2011年12月31日土曜日

12月31日

 
パックインジャーナル3時間生番組に出演して帰宅。
疲れがたまっていたのか、数時間爆睡してPCを開いたら、
次のようなメールが。
……伊達市のイチゴ農家、二本松市のりんご農家が自ら命を絶ちました。
もうこれ以上農民から犠牲者を出さないでください……
 
なんという年の瀬か。
原発事故の「収束宣言」のもとで、なにひとつ解決はしていない
「いま」のわたしたち。
番組でも話をしたが、わたしたちは山ほどの「未だ」を生きている。
未だ、被曝し続けている人がいる。
未だ、止まらない食品汚染がある。
未だ、先行きが見えない除染問題がある。
除染は「移染」でしかないともいう。
未だ、 メルトダウンした燃料の状態がわかっていない。
未だ、  外部被曝、内部被曝してしまった、特に子どもたちへの影響について、予測もつかない等。
未だ、政府は再稼働、原発の輸出を考えている。
これら「未だ」に加えるに、福島の農業生産者の苦悩は「未だ」なにひとつ解決されないまま、
自らのいのちを断つひとが……。
 
この2011年もあと1時間で終わる。

2011年12月30日金曜日

12月30日

あと1日で、この決して忘れられない2011年が終わる。

一字一句正確に覚えているわけではないが、
寺山修司さんの詩に次のようなフレーズがあった。
確か新書館から出ていた、正方形の洒落た詩集だった。
……あなたを思い出すことはありません、
なぜなら思い出すためには一度忘れなくてはならないから……。

このフレーズはたぶん恋についてのそれだと思う。
全くシチュエーションは違うが、2011年3月11日以降の日々を、
わたしは思い出すことはないだろう、なぜなら寺山さん風に言うなら、
思い出すためには一度忘れなくてはならいし、忘れることなど到底できない日々だからだ。

午後からクレヨンハウス各フロアの生花を活けて、気が付けば20時。
レストランはこの時間でも、うれしいことに混んでいる。
最後まで残り、東京で年始を迎えるスタッフもレストランで食事をしてもらう。
被災地に絵本を送る「HUG&READ」の活動や、原発について考える「朝の教室」。
そしてそこから生まれたブックレットなど、すべてスタッフの、きめ細かな協力がなければできなかったものばかりだ。

2012年の「朝の教室」。
1回目は、1月7日。講師はノンフィクション作家であり評論家の柳田邦男さん。タイトルは「政府対応はなぜ遅れた?」。
2回目は」1月21日に、医師の肥田舜太郎さん。タイトルは「広島から見る内部被ばくのこと」。
3月31日には京都大学原子炉実験所の今中哲二さんが決まっている。
2月は日程調整中で、決まり次第お知らせします。
政府は原発輸出や再稼働、新規の建設などに向けて必死だが、
わたしたちは、諦めない2012年にしよう!

2011年12月29日木曜日

12月29日

「9のつく日にお正月の飾りをしてはだめだよ。それから一夜飾りもね」
そんな風に言っていた祖母の言葉がいまだに心にあって、クレヨンハウスのお正月飾りは28日に。
まだ終わっていない生花は、30日にわたしが担当。
31日と元日、クレヨンハウス東京店はお休み。大阪店は31日まで開店して、元日と2日がお休み。
デスクワークのスタッフはほぼ今日からお休みで、各フロアのスタッフは順番に休みをとることになる。
生花をいける(というか、投げ込む)準備を終えて、今日は早めに退出。

今年中にいれる原稿は一応書き終えて……。問題はわが家の掃除。
結局はゴミの収集日に間に合わなかった。
すっきりと整理した家で新年を迎えたいところだが、
あれこれやらなくてはならないことが次々に増えたのだから、仕方がない。

それにしても気になるのは、福島の子どもたち。
一家の中でも意見が異なり、
「顔を合わせると、すぐに諍いになる。だから最近はお互い、
どちらかが茶の間にいると、部屋に入らないようになってしまった」
80代の祖母と60代の息子夫婦、
さらに40代の息子夫婦と中学生、小学生の子どもたちがともに暮らす一家の嘆きである。

武器輸出三原則は緩和され、消費税の増税は既定路線に。
八ッ場ダムの建設の再開も決まった。
武器輸出三原則が緩和されたのは、軍需(古い言葉だが)産業の強力な要請を受けてのことだろう。
この国の政治はだから、国民のことなどてんで考えていない、ということだ。
年の瀬まで腹が立って、腹が立って。

2011年12月28日水曜日

12月28日

2011年も、残すところあと3日。
朝から夕方まで収録があって、それからクレヨンハウスへ。
このブログを書いているいま、火の用心の拍子木が、外から聞こえる。
郷里に帰るデスクワークのスタッフが、口々に「よいお年を」と言って、出ていく。店は31日と1日が休みだが、シフトに都合がついて、やはり帰郷するスタッフがいる。

よいお年を……。2012年は少しでも、どんなにちいさくても希望の見える年にしたい。
火の用心の拍子木を聞きながら、心底そう思う。

机の上に今日届いた書籍が。その中に『フクシマの王子さま』(芸術新聞社/刊)という新刊があった。
椎根 和さん著、荒井良二さんが表紙の絵を担当されている。
……子どもたちは、私たちの希望であり、未来です……。
帯には大きな文字でそんなコピーが。さらにポイントを落とした文字で、つぎのように続く。
「水、米、果物、酪農、水産……自然の宝庫フクシマで起きた
取り返しのつかない原発事故。
いま、本当に守るべきものは何なのか、一緒に考えませんか」

今夜はこの本を読む。

2011年12月27日火曜日

12月27日

2011年も間もなく終わる。
なんという年だったのだろう。
なんと非情で残酷な年だったのだろう。
20年後、50年後、100年後、この国の歴史に、そして世界の歴史に、
2011年はどんなふうに記されるのだろう。
それにしても、なんという国にわたしたちは暮らしてきたのだろう。
これからもずっとわたしたちは、この窒息状態の中で暮らし続けるのだろうか。
隠ぺいされる事実。
隠される真実。
糊塗される現実。
置き去りにされる市民。
未来を奪われる子どもたち。
郷里を失うお年寄りたち。
仮説住宅には電気製品もそろっているのだが、将来のめども立たないまま、
少しでも出費を省こうと一日中布団にもぐりこんでいる、お年寄りも少なくない。

「さようなら原発1000万人アクション」、
現在の署名数は320万人だと聞いた。
決して少ない数ではないのだが、1000万人にはまだまだ少ない。

今夜はクレヨンハウスの忘年会だった。
お正月の飾りをもう少し作ってから帰ろう。
明日も朝から仕事だ。

2011年12月26日月曜日

12月26日

2011年が、あと5日と少ししか残り時間がないとは信じられない。
3月11日以降、木々の芽吹きも紅葉も、月の満ち欠けも、季節の花も、
風の感触も空の高さも澄み具合も、みんな素通りしていった。
いつもの年なら、足を止め、耳を澄まし、
感受性の回路を全開して味わうすべてがわたしを素通りしていった。
なんということだろう。
多くの人々は嘆き、憂い、被災地の悲しみに寄り添い、
少しでも自分も背負おうとしてきた。
3月11日を記号にしてはならない、と。
決して決して、その憤りや悲しみを希釈してはならない、と。

詩人であり女性史研究家の堀場清子さんは、
「一億総懺悔』の国に生きて」というタイトルの詩を『いのちの籠』に発表されている。
原発などないかのように生きてきてしまった多くのわたしたち。
その「原罪意識を否定はしないが」と記しながら、堀場さんは加えておられる。

……それより先に 問わねばならなぬ責任はないか
  人災 福島第一原発過酷事故の責任を
  わたしたちは はっきりと糾明すべきだ
  そこから 新しい一歩がはじまる

  権力なき弱者のみが懺悔する
  奇妙な社会の特殊性から
  この不幸な機会に 脱却しようではないか
  問うべき責任を問わず ひたすら沈黙する習性から
  今こそ 自己を解き放とうではないか……

1930年生まれの、このすぐれた女性詩人がつむいだ言葉に、
わたしの心は「そうだ」と強く高鳴る。
月曜日の今日は朝がたから家での原稿書き。
11時からラジオの収録5本分。
その後、作文の選考会があり、16時から「さようなら原発」の来年度の活動についての打ち合わせ。
そして、ほかの個人的な仕事の打ち合わせなどが続いた。

気が付けば、明日の夜は、クレヨンハウスの忘年会。
被災地の子どもたちに絵本をおくる「HUG & READ」の活動や
朝の教室の開催等、みなそれぞれに頑張ってくれた。

2011年12月25日日曜日

12月25日

クレヨンハウスは今日も小さなお子さんと一緒の家族連れで賑わっている。
反・脱原発の著書を集めた3階ミズ・クレヨンハウスで
2人のお子さんと一緒の女性から声をかけられた。
フリーライターをされているという。
「小さな子どもがいると、いろいろと不安で、心配で。
うちの子だけではなく、子どもたちの食べもの、特に給食が心配で心配で」
そういう彼女の背中では、おんぶされた下のお子さんが、
まっすぐな目でまじまじとわたしを見ていた。

メルトダウンを認めたのは、暴走から二か月もたってから。
スピーディが認知した放射能の数値が発表されたのもずっと後のこと。
そのために、暮らしていたところから、
放射能が高いほうに「避難してしまった」住民も少なからずいる。

東芝傘下のアメリカ・ウェスティングハウス社が、
アメリカに新規に原発を建てるという。
軍部の暴走に、国民が知らぬ間に追従していたあの頃と
似ている時代、社会とは言えないか。
あの頃もまた、メディアは大本営発表に専念していたのだ。

クリスマスソングが耳元を素通りする2011年12月25日。

2011年12月24日土曜日

12月24日

クリスマスイブの夜。
いつもなら、クリスマスソングを部屋に流して、
料理などを作っている時間だ。
が、今年はどうしてもそんな気分になれない。
それに、通常の仕事に加えてもろもろの活動が増え、
いろいろなかたにお目にかかったりする時間も増えた結果、原稿のほうが遅れ気味。
ルーティンワークをしっかりすませなくては、と
イブの今日は、朝から夜まで一日中せっせと原稿を。
その間に、たまりにたまった資料の整理をしたり、
洗濯機を回したり、とドメスティックなことも案外時間をとる。
そして22時。なんだか疲れてしまったが、
仕事はまだ終わらない。
もうひと踏ん張りしなくては。

24日の東京新聞の投書欄「発言」に68歳の男性から、
首相の「収束」発言について、次のような投書が。
「この宣言は、原発事故の被災者のため
ではない。これはいわゆる『原子力ムラ』の復活宣言ではないか」と。
まったく同感だ。

東日本の各地で、去年のイブとは
全く違う12月24日を迎えたひとびとが大勢いる。

2011年12月23日金曜日

12月23日

午前9時から始まった、2011年最後の「朝の教室」。
「これからの私たちの暮らし」というテーマで、
宇宙物理学者・池内 了さんがお話しくださった。
国策としての原発がいかなる形で地域に根付いてきたか、を前ふりに、
民主主義とは相いれないはずの、「お任せ体質」や大量消費を当然とする体質の「見直し」。
なにを社会の「発展」と呼ぶかはひとによって違うだろうし、
わたし個人は「いのち」を置き去りにしたそれを「発展」と呼ぶ気持ちには到底なれないが……。
池内さんは、「発展から持続の時代へ」。
その、ひとつのモデルケースとして、池内さんは「わが家でやっていること」。
太陽光発電・太陽熱温水、雨水の中水利用、井戸水の利用、生ゴミの処理等のご紹介を。
すぐに実現することは不可能でも、やれるところから、一年にひとつずつ実行していこうと、池内さんは提案。
むろん並行して、政府や政治には、情報開示要求をはじめ、正当なるアクションを!
希望が見える科学、のお話だった。

次のクレヨンハウス朝の教室は2012年1月7日。
作家で評論家の柳田邦男さんをお迎えして「政府対応はなぜ遅れたか」。
1月21日は広島への原爆投下から現在まで一貫して被ばく者支援を続けてこられた医師の肥田舜太郎さんをお迎えして「広島から見る内部被ばくのこと」をテーマにお話いただく。

14回にわたった2011年「朝の教室」。とにかく無事に終えることができて
ほっ。
講師と参加してくださるそれぞれの受講生のかたが創り上げてくださる1時間30分。心より感謝しています。
ありがとうございます。そして、来年もよろしくお願いいたします。

12月23日

朝まで原稿がかかってしまい、
昨日のブログをいま書いている。
今日から連休。
連休第一日目の今朝は、「朝の教室」。
講師はご案内通り、池内了さん。
「これからの 私たちの暮らし」というタイトルで、
この非情な時代を生きるわたしたちが、
2011年の「いま、この時」から、
わたしたちができること、取り組みたいことについて、
お話をしてくださる。

昨日の新聞には、政府と東電が発表した
福島第一原発1号~4号機の廃炉に向けた工程表が載っている。
原子炉内の状態を把握するだけでも10年近くを必要とし、
燃料の取り出しや建屋の解体まで含めると
最長40年はかかるとしている。
この工程表通りにいくかどうかもわからないのだが、
それでも政府は「収束」宣言をしたのだ。
それでも政府は「原発」輸出をすすめるのだ。
それでも政府は「原発」すべてを廃炉にするとは言わないのだ。

2011年12月21日水曜日

12月21日

九州宗像から帰京。
市民大学での講演。
実行委員のなかに、敬愛する森崎和江さんがいらっしゃる。
六年前に同じ会でお話しをさせていただいたとき以来の、再会だ。
もの忘れをよくしてしまって、とおっしゃてはおられたけれど、
お顔の色艶もよく、お元気そうだった。
こういった素敵な先輩がおられることで、
わたしたち妹の世代も、踏ん張れるのだ。
このところ、先輩たちの入院や加療が続いていただけに、
お元気な森崎さんの姿に、わたしも元気をいただいた。

ところで、「除染」である。
飛行機の中で読んだ毎日新聞だったか
(何紙か読んだので、どの新聞だったか定かではないが)、
「除染」というが、しないよりしたほうがいいが、
それは「移染」でしかないだろう、という投書が掲載されていた。
確かに、いま言われている除染は
投書者が記しておられるようなものだろう。
気持ちは晴れないままの、年の暮れである。

23日は宇宙物理学者、池内了さんが、
「これからのエネルギー」について、語ってくださる。
脱とか反とか言いながら、「これから」どうすればいいの? 
という素朴な疑問に丁寧に答えてくださるはずだ。

2011年12月20日火曜日

12月20日

今日はいつもより少し早く帰宅できたので、カレーを作った。
突然、食べたくなったのだ。
ジャガイモがきれていたので、鶏肉と玉葱、ニンジンと南瓜を、
ニンニクの微塵を入れたオリーブ油で炒める。
そこに水を加えてローレルの葉や乾燥バジル、擦ったリンゴなど適当に、
ほんとに適当に入れて、最後に有機のカレールとカレー粉、
シナモンなどをいれて、あとは待つだけ。
ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」のCDを流しながらのカレー作りだった。

どの家にも、独特のカレーの味がある。
海っきわの、いまはなくなってしまったMさんの家にも、Uさんの家にも、
かあちゃん得意のカレーの味があったはずだ。
もちろん福島の中通りにも南相馬にも飯舘村にもどこにも。
同じ市販のルーを使っても、それぞれ微妙に味が違う。
カレーって、そういうものだ。

そういった、あたりまえの日常を断ち切ったのは
竹内 功さんの詩、『空気を吸いたい』の二行をお借りすると……。
「かぎりなくもうけることしか知らぬ
政治権力と連む(つるむ)我利我利亡者の仕業」
ということになる。
悔しい。

23日は宇宙物理学者池内了さんを講師に
お迎えしての『朝の教室』。
これからのエネルギーについてお話しくださる予定。
ご参加を!

2011年12月19日月曜日

12月19日

東京は快晴でありながら、陽を浴びても寒く、
陽が沈むとさらに寒さが身に染みる月曜日。

大掃除を前に、ゴミの仕分けをしなければ、とか
ドメスティックなことから、もろもろ未決の事項が目白押しの12月。
師でなくとも、誰もが少々前屈みで小走りになる師走だ。
だからこそ、どーんと構えて、腹据えて、さようなら原発を。
と思いながら、家に戻ると、お風呂に入って即ベッドという日々が続いているため、
散らかした部屋が気になって、気持ちが散る。
家の中のゴミはたとえ今年最後の集配に間に合わなくともなんとかなるけれど、
「核のゴミ」だけはどうにもならない。
大掃除は半ば諦めて、署名の℡をかけまくる夜。

以下、23日の池内了さんの講演のお知らせ。

みなさまも、いろいろと未決事項を抱えておられるのでしょうが、
5月からスタートした『朝の教室』の2011年の最終教室。
学生時代は物理はまったくお手上げ状態。
けれど、ここ数年、池内さんが書かれるものが面白くて、
興味深くて、ずっと読み続けてきた。
『ヤバンな科学』は特に。
そして、この冬、「娘と話す」シリーズに、原発についての一冊が加わった。
こころ強い、一冊だ。是非、ご参加を。

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原発とエネルギーを学ぶ朝の教室 ~Morning study of Silent Spring~
「これからのエネルギーと暮らし」 池内了さん(宇宙物理学者)
12月23日(金・祝) 9:00~10:30 東京店B1 レストラン「広場」

原発に依存するなど不可能だとわかったいま、エネルギーは、わたしたちの暮らしは、どうなれば持続可能なのでしょうか? 池内了さんが想像する未来への扉、開いてみませんか?

講師/池内了さん(宇宙物理学者)
司会/落合恵子(クレヨンハウス主宰)

いけうち・さとる※
宇宙の起源や進化について研究しながら、社会のなかの科学や技術のあり方について問題提起や提案を続けている。新刊の『娘と話す原発』をはじめとした「娘と話す」シリーズ(現代企画室)、『科学の考え方・学び方』(岩波ジュニア新書)、『ヤバンな科学』(晶文社)など著書多数。総合研究大学院大学教授・学融合推進センター長。

参加費/1,000円(税込)
申込/お電話またはメールでご予約ください。
電話03-3406-6465(ミズ・クレヨンハウス 11:00~19:00)
email josei@crayonhouse.co.jp
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2011年12月18日日曜日

12月18日

福島第一原発の「収束」が首相によって宣言された。
このブログで何度も書いてきたが、
何をして「収束」というのか。
原子炉内の状態だってなにひとつわかっていないし、
汚染水だって、今でも漏れ続けている状態である。

それでも「収束」というのか。
誰に、何に、言わされているのか。
福島のひとびとが、そしてこの国に暮らす一人ひとりが認めたとき、
はじめてその言葉を使うことができるはずであるのに。

「収束」を決めるのは、「わたしたち」であり、国ではない。
それでも尚、「核のゴミ」は行き場のないまま、残る。
そういった意味では、一度原発をもってしまった国に、
真の「収束」はない言うべきなのに。

今日は松戸で、地域の市民のネットワークについての、講演。
市民がどこにも属さず、どこからも制御されない
自立的なネットワークをつくることはすばらしいが、
国や行政の不備を補充するために、
市民が「使われる」ことには、わたしは異議あり! である。
クリスマスウィークだ。
毎年、このシーズンは親しいひとへのクリスマスプレゼントを考える時期でもあるのだけれど。
今年は心弾まない。

2011年12月17日土曜日

12月17日

寒かったけれど、快晴の土曜日。
「朝の教室」、本日の講師は、河田昌東さん。
チェルノブイリ支援を長年されてきた河田さんならではの、
チェルノブイリと福島を重ねてのお話。
平易でありながら、骨太(口調はあくまでも穏やかですが)のお話に、共感。
厳しい科学的現実を聞きながら、希望につながる科学的現実に聞き入った。
 
講演の中では触れておられなかったが、金曜日はチェルノブイリの子どもたちに贈る
恒例のクリスマスカードをボランティアのかたがたと書いて、
発送準備をされて夕方の新幹線で上京してくださった。
そうしていま、チェルノブイリの、かつての子どもたちから
福島の子どもたちを元気づけるカードがたくさん届いておられるという。
柔らかく結びつこうとする、市民の力はやはり素晴らしい。
 
「朝の教室」を終えて、そのまま牛久の「平和のつどい」へ。
牛久といえば、『橋のない川』の住井すゑさんが長年、お住まいになっておられた。
30数年前に、クレヨンハウスで住井さんに講演をお願いしたことがあった。
住井さんも骨太な、けれどとてもデリケートでもあるチャーミングなかただった。
 
2011年のいま、ここに、このかたがおられたら、と
考えるかたが幾人もおられる。
そのかたがたから贈られたものをしっかりと抱きしめて
次の世代に手渡していきたい。

2011年12月16日金曜日

12月16日

今日は午後まで、遅くなりがちだった原稿を五本。
老眼鏡がそろそろ合わなくてなってきたのか。
2時間もPCの画面を見ていると、文字がみえにくくなる。

今日書いた原稿の中に、アンネ・フランクについてのそれがあった。
アンネの日記については知らないひとはいないと思う。
が、わたしがアンネについて、
あるいはホロコーストについて書くとき、いつも思うのは、
ヒットラー率いるナチ党は、選挙によって第一党となった党であるということだ。
ナチ党を選んだのは、一般のドイツの国民であり、
地方選挙においては、これもまた一般の市民である。
普段はよき父、よき母であったろうし、隣人が困っていると、
進んで手助けもしたであろう、
「あなた」に似たひと、「わたし」に似たひと、であったはずだ。

「郵政選挙」の時から、政治の劇場化ということばがよく使われるようになった。
閉塞状況の中で、「一般の市民」はよりインパクトのある、
より短く明快な言葉に、何かを求めるのかもしれない。
それは希望や期待の一票ではなく、疲労と疲弊を示す一票であり、
それゆえにしばしのエンタテインメント、熱狂の時を求めるのではないか。
そんなことが気になってならない。

明日は「朝の教室」。
河田昌東さんのお話「放射能から農業を取り戻す」を聞く。

2011年12月15日木曜日

12月15日

昨夜は柚子の話を書いた。
柚子の薬味のカキ鍋は美味だった。
深夜になってから夕刊を開くと、福島・信夫山産の柚子は、
8月に国の基準を超える放射性セシウムが検出されて、出荷停止。
名物の柚子を使ったまんじゅうは、
去年の暮れにとれた信夫山産の柚子を
ジャム状態にして冷凍保存しているのを来年いっぱいは使える。
が、そのあとの見通しはたっていないという。
飯坂温泉の共同浴場の柚子湯も
市などが11月に中止を決定したという。
(東京新聞 12月14日 夕刊)

詩人・堀場清子さんは、その作品で、
原発事故を「一億総懺悔」で終わらせてはならない、
と激しい口調で記しておられる。
(詩集「いのちの籠」より)。
「わたしたちみんな」の責任もある。
たとえば原発推進派の政治家を選んだことや、
知ろうとしないまま来てしまった罪や。
しかし、責任は責任として糾明しなければならない、
と堀場さんは記しておられる。
かつて、第二次世界大戦であれだけの
犠牲をだしながら、「一億総懺悔」で終わらせてしまった罪を、
彼女は問いかけているのだ。
まさに同感である。

今週土曜日は、「朝の教室」
チェルノブイリ原発事故後、
現地で支援活動を続けてこられた河東昌東さんのご講演。
生産者と消費者、両者が「共闘」できる道について、
チェルノブイリの活動体験を交えながら、語ってくださる。
今回の朝の教室は、有機農法に取り組む生産者の参加もあると聞いている。

2011年12月14日水曜日

12月14日

九州から帰京。
この季節、週の半分近くは東京を離れている。
12月も、もう半ば。というか、2011年もあと半月。
「脱原発」のアクション、多少焦りも感じるが、
それぞれがそれぞれで考えた道を、
確かな足取りで、誠実に歩むしかない。

今夜は友人が送ってくれた牡蠣で鍋を。
春菊やネギ、水菜、豆腐などをたっぷりといれた鍋だ。
薬味は柚子を。

たっぷりと湯気のたつ鍋を作ると、決まって
被災地のこの冬を考える。
そうして、「確かな足取りで誠実に」と自分が書いたことに、
また焦りと嫌悪を覚える。
被災地のかたがた、
福島の特に小さな子どもがいるひとたちの日々の不安を考えると。

2011年12月13日火曜日

12月13日

わが八百屋「野菜市場」カキの実、鮮やかな柿色。
とろりととけそうな感じで、店先にある。
キッチンスタッフが、そのカキでドレッシングをつくってくれた。
有機野菜とカキドレッシングのぜいたくに、ほっと息をついたのは昨日だ。

晴天がつづく。しかし寒さが厳しくなった。
風がやむと懐かしいあたたかさを感じるが、
わずかでも風が吹くと、冬の到来を思い知らされる。
何をしていても、東北の被災地に思いがとぶ。
あそび場を失くし、あそびを失くし、ふるさとを失くした子どもたちは…………。

東日本大震災被害状況(12日現在、警視庁まとめ)
死者15,841人
行方不明3,490人
避難332,691人(1日現在、復興対策本部まとめ)
を朝刊で確認した後、政府広報をひらいてみた。
岩手県 112ページ、宮城県226ページ、福島県40ページと、
死者の名簿がつづく。
この数字に、ご家族の悲しみは何倍のページ数を数えるのか。

たくさんの悲しみに、少しでも希望を伝えたいのだが、何がある?
収束の見えない福島第一原発事故を経たのに、
原発輸出をすすめるこの国に住む悲しみが重なる。

被災地の子どもたちに絵本をおくるプロジェクトHUG & READ。
その発送に、きょうもわがスタッフが倉庫へ出向いてくれた。
いまもなお、全国から絵本が届く……。
市民はやさしい。
このやさしさに、この国は甘えすぎていないか。

2011年12月12日月曜日

12月12日

4日ぶりに終日東京にいた。
たまった洗濯物、山積みされたままの資料、
返事をしなければならないメールやファックス、
もろもろの未決事項に囲まれた1日でもあった。

3月11日から9か月と1日。
わたしたち被災地から少し離れたところで暮らすものと、
被災地での9か月と1日全く違うに違いない。
東京の真昼は日差しも暖かで、母を見送った年の12か月を思い出した。
どうにもやりきれなくて、日だまりの中でぼんやりしていた午後があった。
喪失の悲しみそのものは依然心にとどまったままだったが、
日差しに温められた、わたしの外側が、内側をも温めてくれて……。
日差しの中で瞼を閉じると、
気持ちよく涙が頬を伝った午後でもあった。

新刊の打ち合わせの後、
この国の行方、といったテーマで新聞の取材を受ける。

1 市民のきもちと、国のきもちが、離れすぎていること。
2 経済優先すぎること。
  それも原発の輸出等、輸出企業優先主義ではないか等、話をする。

恒久的な平和を志向する平和憲法を遵守し、食料自給率を
もっともっとあげることもまた。

さようなら原発1000万人アクション。
署名はまだまだ。
夜。
詩人、長田弘さんから送っていただいた『詩の樹の下で』(みすず書房)を読む。
幼少期を福島で送ったこの詩人のこの詩集の帯には、
「FUKUSHIMA REQUIEM」とある。

2011年12月11日日曜日

12月11日

日曜日の今日は、広島へ。
「被爆一世はみなお年を召されてしまったが、
わたしらが二世ですし、その次の世代もいます。
わたしは元気で暮らしていますが」
空港で出迎えてくださった主催者側のおひとりは言っていた。
栗原貞子さんの、
あの『生ましめんかな』を思い、そして66年たった6月11日、
原爆ドームの前で、『目を凝らしましょう』とアピールした、
福島出身のうのさえこさんのスピーチを思い、
話をしている最中、何度が言葉が詰まった。
3・11から9か月がたった今日。

後戻りはしない、決して決して、と
自分と約束をする。

2011年12月10日土曜日

12月10日

晴れて、よかった!

朝目覚めた瞬間、思う。
日比谷野外音楽堂で、今日は「さようなら原発」の集会と署名集めなど、
もろもろのイベントが。

残念きわまりないのだが、わたしは以前から決まっていた仕事があり、東京を離れている。

内橋さん、大江さん、鎌田さんがスピーチを。
無事に、楽しく、「また来るね」で終えるように!
晴れてはいても屋外なので、どうか防寒のご準備を。

さようなら原発1000万アクション、現在署名は220万ほど。
まだまだ足りない。どうかよろしく!

次のアクションは、2月11日の全国いっせい同時刻のアクションです。
こちらも予定に入れておいてください。


「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12・10集会
☆★☆★☆★☆★☆★☆
●日時 12月10日(土)
13:15オープニング・コンサート
13:30開会(40分程度の集会の後に、パレードを行います。)
●会場  東京・日比谷野外大音楽堂

2011年12月9日金曜日

12月9日

今日も寒い一日だった。
寒さには強いはずなのだが、こんなにこたえるのは、年齢のせいなのか。
それとも、あまりに非情な時代だからなのか。

今日は朝から会議。
午後は練馬で人権についての講演会。

話をしていて、ふっと思い出した。
夏のはじめ頃の毎日新聞の記事である。
南相馬、緊急時避難準備区域で田畑を守って暮らしていた90代の女性だった。
一時、娘夫婦だかの家に避難。
それでも家に帰りたくて戻ったが……。
数えきれないほどの思い出がある自宅の庭で自死された。
老人は足でまといになるから、と。
だから、「お墓に避難します」と。

何を根拠にした? と問い返したくなる曖昧な政府の避難区域設定に、
こうしてひとつのいのちが奪われた。
猛暑が過ぎ、短い秋が終わり、いまは冬。
彼女のお孫さんたちはどんな12月を迎えているのだろう。

明日は日比谷野音での「さようなら原発1000万人アクション」集会と署名活動などがある。

寒いので、気をつけて。

2011年12月8日木曜日

12月8日

今日も寒い小雨がちの東京だった。

経産省前座りこみに、福島から来られた83歳の女性のこの声を、
この言葉をどうかシェアしてください。

そうして、ご一緒に考えてください。
「わたし」たちのテーマです。
「わたし」たちの思いです。
「わたし」たちがいま、考えるべきことです。

http://www.youtube.com/watch?v=_xpyT_fyC_w

2011年12月7日水曜日

12月7日

昨夜というか、今朝の午前一時まで、
NHK「ラジオ深夜便・ミッドナイトトーク」に出演していた。
だいたい二か月ごとの出演だ。

月ごとにテーマが決まっていて、昨日は『親を語る』だった。
個人的なテーマの中で、普遍化・社会化できるそれについては
躊躇なく書いたり語ったりはするが、あくまでも個人に帰結する
テーマを公にするつもりはない。母との関係性も同様だ。

ただ介護についても、医療のありかたについても、
わたしの母がシングルマザーであったことも、
個人的なテーマであると同時に社会的・政治的なテーマでもある。
それゆえに、わたしは介護の体験を本にし、
わたし自身がシングルマザーの娘であることも公けにしてきたのだ。
人権週間である。差別はどこにでもある。
そうして、ある差別の「される側のひとり」が場面が変われば、
差別を「する側のひとり」になることもある。
『親を語る』というタイトルそのものからは少し外れるが、
番組の中ので人権について触れたのも、そんな理由からだった。

朝にメールで送った被災地についての原稿が
ゲラになってファックスされていた。
余白の部分に、担当のかたの文字で次のように記されていた。

……この冬だけは暖かい日が続いてほしいものです。
寒さと夕暮れは、こたえますので……。

そう記したのは、男性である。
編集をするにも記事を書くにも、その前に暮らしていくうえで
ひとりの人間として、こうした視点は必要だ。
「クール」という言葉はかっこいい、頭がいい、といった風に使われるが、
他者の痛みに対する想像力が希薄なことは、クールではなくて、
単に冷たく身勝手なだけ、なんだよな。

旧藤野町、相模原市緑区で暮らすベーシスト水野俊介さんから、
ピアニスト室坂京子さんとの共演CD「FUKUSHIMA」と
「世界遺産九条の唄」が贈られてきた。

今夜の音楽はこれ、と決める。

CDは送料・税込み1,000円。CDの純益とライブの入場料から経費を引いた収益を、脱原発に取り組む「原子力資料情報室」に寄付する。問い合わせは、OCMレコード=電話042(649)5218へ(2011年10月2日東京新聞「こちら特報部」の記事から)

2011年12月6日火曜日

12月6日

東京はどんよりとした曇り空。
冬の晴れた朝の、ピーンと緊張感が張りつめた感触が好きなのだが。
今年もあと20数日ほど。
今年ほど、昨日が今日に、今日が明日に、明日が明後日に続く日常を
改めてかみしめた年はない。
毎年12月になると、わが家のドアにも手作りのリースを飾るのだが、
12月の第2週になってもできていない。
時間的にも精神的にもその余裕がないのだ。
被災地の冬を思うと、そんなことしている間はない、という声を心に聞く。
一方、日常の「そんなこと」も大事にすることが暮らしの基本になるのだ、
という声もわが心にはあるのだが。

見知らぬかたから、以下のメールが届いた。
グループでに脱原発の署名活動をしているかただ。

……駅前で署名活動をしています。有志5名での活動です。
毎週土曜日の昼過ぎから、駅前で署名を呼びかけています。
「署名したかったんですよ。ごめんなさい、今までやらずに」
と向こうから息を切らして走り寄ってきてくれた女性もいます。
「高校生でもいいですか?」
「署名用紙、一枚ください。コピーして知り合いに回します」
そんなお声もありました。
お子さん連れの若いお母さんたちが、
バギーを止めてそれぞれ署名をしてくれたこともうれしかったです。

2011年12月5日月曜日

12月5日

新しい一週間がはじまった。
そう書いて、「新しい」という言葉に躓くわたしがいることを認めざるを得ない。
「新しい」という言葉が意味する、微かな明りや希望の光が見えるのだろうか、この国は。
非情このうえない、原発事故を体験しながら、何を収束と呼ぶか自体も見えないまま、
福島の苦悩と叫びを無視したまま、時だけが無情にたっていく。
さらに原発を海外に輸出さえしようとしているのだ。
「新しい」ものはない。
いつだって、こうして国は市民の苦悩を踏みつけながら、
経済を優先させてきたのだ。

それで、わたしたちは諦めるのか?
従順なる良民を今後も続けるのか。
非力であること充分承知だが、わたしはあきらめない、
後には戻らない。

お知らせをいくつか。
●さようなら原発1000万人署名」の集会とパレード
  日時;12月10日(土)13:30〜、集会後パレードに出発。
  場所;日比谷野外音楽堂
残念ながら、当日わたしは参加できないが、こちらも是非!

●脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA
 日時:2012年1月14・15日(土・日)
 場所:パシフィコ横浜
 問い合わせ先:「脱原発世界会議」実行委員会(構成団体:ピースボート/環境エネルギー政策研究所/グリーン・アクション/原子力資料情報室/国際環境NGO FoE Japan/国際環境
 NGOグリーンピース・ジャパン、その他協力、後援多数。ウェブサイトにて公開します)http;//npfree.jp
 事務局;ピースボート Tel 03-3363-7561 Fax 03-3363-7562 E-mail;office@npfree.jp

●2012年2月11日、「さようなら原発1000万署名」全国一斉アクション
全国主要都市&原発立地県一斉アクション、東京;代々木公園イベント広場他。
詳細はまたお知らせを。

●2012年3月11日、「さようなら原発1000万署名」福島にて現地集会(東京よりバスツアーあり)《脱原発をめざす女たちの会》も参加
この日もわたしは以前から入っていた予定で参加できないが、ご無理のない範囲で是非!

続いて、クレヨンハウス「朝の教室」の最初の講師を引き受けてくださり、
ブックレット第一号、『原子力と原発のきほんのき』の著者、NPO法人 市民科学研究室代表 上田昌文さんからの、お知らせが。

●『市民研通信』第10号を発行しました。

内容は以下のとおりです。
・食品放射能汚染計測の合理化・適正化に関する研究を開始(上田昌文)
・原子力分野を例に研究開発資金の透明化の意義と方法(上田昌文)
・放射線教育・リテラシーはこれでよいのか(林衛)
・サイエンスアゴラ2011に出展・出演・参加して
(榎木英介、横山雅俊、三輪佳子、石塚隆記)
・ウクライナ・ナショナル・レポート【抜粋訳・その1】
(解説と翻訳:「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク)
・ナノシルバー抗菌剤の健康リスク(解説と翻訳:小林剛)

すべて以下のサイトからダウンロードできます。
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/12/10-1.html

・会費更新の時期がきました。市民研の活動を応援していただけるとありがたいです!

「活動成果をすべて無償で公開する」のが市民研の方針ですが、より質の高い成
果をあげていくには、多くの方々からのご支援が必要になります。新規に会員に
なってくださる方も求めております。年末のせわしない時期に申し訳ありません
が、ぜひよろしくお願いいたします!
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/12/2012.html
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/recruiting%20members%20_2012.pdf

・科学技術社会論学会による2011年度「柿内賢信(よしのぶ)記念賞研究助成
金」の実践部門での助成を受けることが決まりました。
http://jssts.jp/content/view/227/34/
テーマは「食品放射能汚染の計測の合理化・適正化に関する社会実験的研究」で
す。成果を随時ホームページなど絵公開してまいります。ご関心のある方はいつ
でもご連絡ください。

・12月11日(日)と2012年2月26日(土)に「子ども料理科学教室」を実施します。
12月11日(日)午前10時〜 国立市の「くにたち福祉会館」で
「土鍋でお米をおいしく炊く秘訣」を
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/10/1211-1.html
2012年2月26日(日)午後1時半〜
「野菜の甘みを生かしたクッキーつくり」
http://blogs.shiminkagaku.org/food/2011/12/2012226.html
を実施します。ふるってご参加ください。

・12月19日(月)に「科学・技術と社会の会」で市民研の上田が「研究開発資金
の透明化の意義と方法ーー原子力分野を例に」と題した研究発表を行います。

詳しくは以下のサイトをご覧下さい。発表要旨も掲載しています。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/JASTS/main.htm

・「サイエンスアゴラ2011」でのシンポジウム「政策形成における科学的助言のあり方」の動画が公開されています。

市民科学研究室の上田もパネリストとして登壇しました。科学技術政策に関心の
ある方にはいろいろと参考になることがあろうかと思います。
http://www.scienceagora.org/scienceagora/agora2011/program/Mb-52.html
http://www.ustream.tv/recorded/18632820

・ナノシルバーに関する調査を開始します。

上記『市民研通信』で取り上げました、ナノシルバーの健康リスクに関する調査
を、日本での使用状況の把握から始めてみたいと考えております。ご関心のある
方はご一報ください。
http://archives.shiminkagaku.org/archives/2011/12/post-280.html

・12月23日(祝日)に恒例のクリスマス会(2部構成)を実施します!

今年は大震災ゆえに、戦後最大の節目の年となるように思いますが、そのことも
胸に刻みながら、次の年に向けての元気を培う集いとしたいと思っています。
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/11/1223.html

現在(12月5日現在)34名の参加者が確定しています。定員は50名です。参加を
希望される方は上田宛にメールでご連絡いただければと思います。

今年は、茨城県守谷市で有機農業を始めて3年目を迎える、以前市民研のスタッ
フも務めていただいた、小林一朗さんご一家も参加することになります。クリス
マス会当日に取れたての野菜を運び届けて下さいます。小林さんらは精力的に放
射能計測も行ってきました。彼の属する農場(つくば市の手子生・上郷・豊里)
の野菜の測定結果と農場での取り組みは以下に記されています。
http://tsukubanokaze.net/housyanou.html

希望者が集ってのパーティ用の食事作りは午後2時からですが、希望される方に
は、当日の朝守谷に赴き、小林さんの畑で収穫作業を手伝っていただき、その後
一緒に車で会場に向かう、という新しい試みを入れることにしました。農作業を
体験でき、かつ、小林さんの活動のお話しも伺えるという、農業に関心のある方
には大変よい機会になるでしょう。希望者は事前に上田にご連絡ください。

震災と原発事故をめぐって、今年出会うことになり、いろいろな取り組みをすす
めている方々にも、このクリスマス会へお誘いをすることにしています。参加者
の皆さんにとって、新たな貴重な出会い場となることでしょう。ご友人にもお声
がけ下さい。ご家族でのご参加、大歓迎です。

上田昌文(UEDA Akifumi)
ueda.akifumi@shiminkagaku.org
NPO法人 市民科学研所

以上。
みんな、それぞれの「場」で踏ん張っている。
あなたもきっとそうに違いない。

諦めない、疲れない、後戻りしない・・。
約束したい。

2011年12月4日日曜日

12月4日

昨日の宮崎でのレポートの続き。
会場におられたかたから、新聞を渡された。「放置新聞」。
原発事故で「放置」されているひとと共に、という意味をこめて、
新聞は刊行されているらしい。
発行は「放置新聞変衆室』(変換間違えではない)。
映画『チェルノブイリハート』の上映会や、
いろいろな脱原発の活動に取り組んでもいる。
その『放置新聞』12月01号には、
『チェルノブイリハート」を観た、2歳の娘さんがいる
「ミィちゃん」という女性の感想が記されている。

・・(略)未来の子供達に責任を押し付ける原発は
もうこの世の中に要らないと思います。
(中略)今子供のこの子達は自分で選んでいないのに、
無条件に放射能汚染された世の中で生きて行くのです。
そうさせたのは今大人の私たちの責任だと思います。
私たちが無責任で何も行動しなかったら、
どんどん一部の人の都合がいいようになっていきます。
それに気づいた今もまだ何もしなかったらそうなるでしょう・・。
まっとう過ぎるほどまっとうな、この「ミィちゃん」の姿勢にもう一度、
わたしたちは立ちかえり、考えていきたい。

内部被曝を防ぐことなどについて話をすると、
「気にし過ぎじゃないか?」と言われたりもするという。
誰もが四六時中危機感をいだいて暮らすのは辛い。
だから、本来「ひとつ」であるはずの、市民が心ならずも、
「気にする派」と「気にし過ぎじゃない派」に二分される。
福島では、小児科医の山田真さんがクレヨンハウスのブックレットで触れているように、
この現象がもっとあらわであるに違いない。
被害を受けたお互い同士が「対立」するような構造の、
大本はいったい何なのか。
そのことから、わたしたちは目を逸らしてはならないはずだ。


帰京したら、次のようなメールが入っていたのでご紹介を。
     
CD「FUKUSHIMA」発売記念ライヴ&アート
つながる ひろがる「脱原発」メッセージ「あしたへ せんねんのみらいへ」
***********************************
◇LIVE  室坂京子(ピアノ)x 水野俊介(5弦ウッドベース)
12月10日(土)開場17:30 開演18:00 

神奈川県相模原市 藤野倶楽部・直子の台所(別料金で軽食あります)
料金 当日2,000円 前日までのご予約1,800円(1ドリンク付き)

◇ART 西村繁男(絵本作家)x 井上厚(木版画家) 
12月10日(土)・11日(日)・17日(土)・18日(日)11:00-16:00
藤野倶楽部・直子の台所

*売上の純益は原発への警鐘をならし続けた市民派科学者・故高木仁三郎博士が
 設立した原子力資料情報室に寄附されます。 

<お問合せ、ご予約>
・OCM Records
 〒252-0186 神奈川県相模原市緑区牧野4303-14
 tel. 042-649-5218 ハfax. 042-649-5219
  mizunos@iris.dti.ne.jp
  http://www.iris.dti.ne.jp/~mizunos

または
・藤野倶楽部・直子の台所・・・tel.042-689-6105(土日のみ)
fujinoclub@fujinoclub.com  http://www.fujinoclub.com/
アクセス:車ー中央道相模湖ICより国道20号を西へ1.8km、日連入口信号より県道76号へ3km
電車ーJR藤野駅よりやまなみ温泉行きバス15分「中尾」バス停下車手前へ徒歩2分

2011年12月3日土曜日

12月3日

「まだ、間に合うと確信する理由はないが、
その努力を今、放棄する理由もまた見当たらない」
わたしたちの文明と呼ばれるものが崩壊に向かっている事実と対峙し、
それらを救うにはどうしたらいいのか。
記者にそう尋ねられた
アースポリシー研究所の代表、レスター・ブラウン氏が言ったのが
前掲の言葉である。

原発についても同様なことが言えるはずだ。
次はどこで大きな地震が?という不安を抱きながら、
今日を明日につなぐことのなんと息苦しく、悲惨なことだろう。

まだ、間に合うとわたしは考える。
そのために、できることはすべてする、と改めて、
九州からの帰路の飛行機の中で頷く。

2011年12月2日金曜日

12月2日

「脱原発」の活動がいささか失速気味ではないか。

そんな声を聞く。
確かに9・19を意思表示のピークにしてはならない、
むしろすべてはこれからと考えてはいるのだが、
ひとの気持をクサリでつなぐことはできない。
いろいろなところを回ると、むしろ新しく
脱原発を表明するグループやアクションを起こそうとしているひとに出会う。
それら、「それぞれ」が普段は個別に活動をしていても、
柔らかなつながりをもってアピールできることが
「いま」必要なことだと、わたしは切に考える。
「いま」しかない、この状況を「失速」させてはならない、と。

昨日から寒い。
福島で暮らすかたがたは?
ほかの被災地のかたがたは?
頭がくらくらする。

2011年12月1日木曜日

12月1日

寒い一日だった。
風が冷たい。
この秋から初冬にかけて最も
冷え込んだのではないかと思う。

数日前の東京新聞に、アメリカがほぼ30年ぶりに
原発に着工するとの記事が一面トップで掲載されていた。
1979年のスリーマイルアイランドの原発事故以来、
アメリカでは新規の工事は凍結されていたのだが。
最新型の原子炉4基が、早ければ年内にも着工する見通しとか。
なんてこった。
アメリカが着工が、この国に及ぼす影響を考えると……。
暗澹たる気持ちになる。