2012年5月30日水曜日

5月30日

昨日は荒れ模様の天気だった。
「STORMY WEATHER」というスタンダードナンバーもあったな、と。
この曲をテーマソングにしていた、レナ・ホーン(リナとも表記される)も亡くなった。
「クールビュテイー」と呼ばれた彼女は、コットンクラブ(コッポラの映画でおなじみ)で、
僅かな衣装を身にまとって踊り、やがてハリウッドに。
「笑うと、白人社会に迎合しているようでいやだった」と、微笑を消した彼女の抵抗の
姿勢すら、「クールビューティ」と商品化した「夢の都」。
昨夜は遅く仕事から戻って、彼女の「STORMY WEATHER」を聴いた。

先日、観たくてたまらなかった「ザ・ヘルプ」を、ようやく観た。
60年代のアメリカ。
白人中心社会で、白人の家で家事や乳母の仕事をヘルプしたアフリカ系アメリカ人の
女性たちと、白人の若い女性ジャーナリストの交流を描いた作品だ。
主題歌の「LIVING PROOF」(生きた証、とも生き証人とも解釈できる)もとてもいい。
集英社文庫で翻訳(厚手の上下巻)も出ているので、是非。

同じテーマを扱ったもので忘れられない作品に「LONG WALK HOME」がある。
南部のモンゴメリーの街にはじまった、アフリカ系アメリカ人のバスボイコット事件
(公民権運動を広げた)をテーマにしたもので、その映画にも出ていた
シシー・スペイシックが、この「ザ・ヘルプ」にも出ていた。
アカデミー主演女優賞を獲得したこともある女性俳優だが、人種問題に深い視点を
深く持ったひとなのだろう。
いつだって、権力はその社会の「OTHER VOICES」を消していく。

原発についても同じだろう。
前述の歌の中に、次のような一節がある。
♪……最悪の日々は終わった。
まだまだ気を緩めることはできないが……
わたしたち、反・脱原発を求めるものが、そう歌える日々はいつなのか。

拡散を希望する以下のメールが届いていたので、皆様に。
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本日、衆議院本会議において、原子力規制庁・原子力規制委員会設置法案の審議が
スタートしました。
この法案審議に脱原発の意見を反映するため、eシフト:脱原発新しいエネルギー政策を
実現する会は、5月29日、原子力規制委員会および原子力規制庁の設置に関する
NGO声明を発表しました。
みなさまの団体、ネットワークでも掲載等いただければ幸いです。
新しい規制組織の職員・委員が 「原子力ムラ」に占拠されないよう、また、6月末に予定されている国会事故調査委員会の報告・勧告をふまえた法律になるよう、脱原発を目指す市民・団体が協力して、国会議員への働きかけてゆきたいと思います。


原子力規制委員会および原子力規制庁の設置をめぐる与党法案
(原子力組織制度改革法案)と野党法案(原子力規制委員会設置法案)に関するNGO声明


http://e-shift.org/?p=1952

2012年5月29日火曜日

5月29日

気がつけば、クレヨンハウスの「朝の教室」がスタートしてから1年に。

何かできることはないか。
何かをするにしても基本をしっかり学びたい。
クレヨンハウスのスタッフの中には、スリーマイル島の原発事故のときは
「まだ5歳でした」という若いひともいて、
まずはスタッフの学びたいという思いからはじまった朝の教室。
同じころ、オープンの頃から(というと、なんと36年!)から通ってきてくださって、
チェルノブイリ事故の頃の学習会にも参加されていた客様たちからも、
「学びたい」というお声をいただいて、スタートした。

すでに22名の講師のかたがたと共に、考え、学んできたこの教室。
土曜か日曜の朝9時スタート、という時間帯にもかかわらず、大勢のかたが参加してくださっている。
昨夜も地震があったが、地震のたびに、そして竜巻などの天候異変のたびに、
ただでさえ脆弱化した福島第一原発は?
格納容器の水が40センチと言われる1号機は?
60センチと言われた、2号機は?
そして、4号機は? 
と不安で仕方がない。
むろん福島第一だけではなく、どこの原発も。

 以下、6月、7月の「朝の教室」講師のかたをご紹介します。

6月17日(日) 村田光平さん(元スイス大使)
アフリカ・セネガルほか、スイスの大使を長年勤めながら、
さまざまな国際会議に議長・パネリストとして参加。
2012年3月、参議院公聴会にて、
福島第一原発事故の危機的状況への対処を積極的に求め、
国連事務総長をはじめ、国外の人々にもその状況について報告。
著書に『原子力と日本病』(朝日新聞社)、『新しい文明の提唱 未来の世代へ捧げる』(文芸社)など。

7月21日(土) 広瀬 隆さん(作家)
著書『東京に原発を』は反・脱原発を考えるときのバイブルのような一冊。
長い間、原発に警鐘を鳴らし続けた広瀬さんが、
2012年の「いま、この時」何を考えておられるのか。
お聞きし、共に社会を拓いていきましょう。

2012年5月27日日曜日

5月27日


今日は荒川で講演があった。
大幅に遅れ気味の単行本のまとめに、なかなか落ち着いてとりかかれない。
先日、数時間だけ、肋骨のひびのために巻くきついコルセットを外していたら、
ほかのところに負担がかかったためか、背中や腰が痛むようになった。
コルセットをすると、今度は声がスムーズに出ない、という塩梅だ。

もう少しの辛抱、なんのこれしき!これくらい!で、
わたしは参りはしないと思いつつ、ちょっとばかり落ち込むのも事実だ。
母がいた頃、周囲を安心させるためになんでも「大丈夫」と言う母に、
「痛いなら、痛いって言ってよ。お母さん、なんでも大丈夫というのは、やさしさじゃないんだよ」
などと言った娘が、同じことを娘のほうもやっているな、と苦笑。
痛みも充実も、悲しみも喜びも、当人しかほんとのところはわからない。

東京、今日も快晴。かなり暑い。
洗濯をしっかりしてから、外出したかったけれど、パソコンに向かっているうちに、タイムリミット。
夜になってしまった洗濯。

いろいろなところで、選挙の話がでる。
選挙といえば、「一票の格差」である。
国会は一票の格差を、いつまで放置するつもりなのか。
どこの論調も「結論先送りで、衆院解散総選挙を先のばしているしか思えない」で一致している。
その通り、だ。
国会は現在、違法状態だ。通常、違法だと捕まるわけだが、国会を丸ごと逮捕しなければならない、のでは?
参院も同じ。このさい、自動的に公平にするシステムは作れないものか? 
いつも継ぎ接ぎで、定数を決めているのは納得いかない。

2012年5月26日土曜日

5月26日


久しぶりに愛川欽也さんの「パックイン・ジャーナル」に出演。
朝日ニューススターでの最後の番組に出てからだから、ほぼ2か月ぶりである。
敢えて、ご自分の劇団の稽古場を改造し、
自前でスタジオを作っての彼のチャレンジである。
是非ともみんなでサポートしたい、ひとりの負担にしたくないと願いながら、以前からの約束で、わたしも土曜は東京を離れる日が続き、ようやく実現した。

今日もたくさんのテーマがあった。
ひとつは東電が、企業向けの電気料金よりはるかに、
わたしたち一般家庭の電気料金から収益をあげているという事実。
「とれるところから、とろう」ということなのか、
この不公平をどうただしたらいいのだろう。

メディアも、家庭から平均して七割の事業利益をあげているという報道で終わらず、
「総括原価方式」を改めない限りこの構造は変わらないとか、
発送配電を分離しない限り自由競争が起きないとか、
エネルギー政策にもっと踏み込んだ提案をあらゆる角度から、
それも折に触れてしてもらいたいものだ。
政府は、東電を原子力損害賠償支援機構を通じて、
7月25日に実質国有化することにしているが、
そういった立場にある東電が、家庭向けの電気料金の値上げを申請すること自体、実におかしなことなのだが。

企業と一般家庭のこの格差は、企業向けの電気料金は自由化されていて、
電力会社は自由に価格設定ができることによる。
企業の場合、PPSなどの新電力などとの競争で、販売価格を下げたため、利益幅は少なくなっている。
一方、家庭向けは電力会社が各営業区域で販売を独占。
電気料も発電にかかる費用に利益を上乗せできる「総括原価方式」に守られ、 
安定した利益が得られる構造になっているのだ。
つまり、企業向けの競争が、家庭にしわ寄せされ続けてきた、という形だ。
「おかしい」「許容できない」と多くのひとは思っているはずだ。
あとは、政治判断なのだが、こちらも一向に動きが見えない。

2012年5月25日金曜日

5月25日


小雨がぱらつく金曜日。

今日の毎日新聞朝刊には、
見過ごすことのできない記事が一面に。

核燃サイクル政策の見直しをすすめてきた内閣府原子力委員会が
推進側だけで、勉強会と称する「秘密会議」を開いていた問題で、
近藤俊介原子力委員長が去年12月8日の会合に出席していたことが、判明したという。
この「秘密会議」は20回以上開かれ、
高速増殖炉の研究開発などを担当する文科省の職員も出席していたという。
「表」の会議である内閣府原子力委員会の小委員会(ややこしいが)の
審議時間を上回る「秘密会議」が続けられていたことになる。
市民が関知しない、目が届かないところで
再処理推進派だけが集まった「勉強会」とは何を意味するのか。
同紙の「余禄」にも、このブラックボックスを指して、「電力事業者と一体化した原子力ムラ」について、「国民はたまらない」と述べているが、まさに、酷いものだ。
まだまだ原子力ムラ、安泰ということか。

2012年5月23日水曜日

5月23日

朝から夕方までは、少し集中力を要する仕事を。
17時過ぎに湘南新宿ラインで横浜に向かう。
夕刊を開きながら、紙コップ入りのコーヒーを飲むしばしの休憩時間が、「美味」である。
18時過ぎから、憲法の集いで講演を。
5月は憲法集会が続く。

世界に誇るべきわれらが憲法は、わたしたちの暮らしの基本でもある。
ずっと以前、まだ20代にいた頃(ということは40年数年前である!)、
ラジオ局に勤務していたわたしは、深夜放送の中で、憲法を恋愛にたとえたことがあった。

かけがえのないものは、絶えず「それが、ここに在るということ」を意識していなくてはならない。
絶えず、「それ」に磨きをかけていなくてはならない。
「ここに在る」ことに慣れて、かけがえのなさを忘れてしまうとき、
「それ」は壊れるか、輝きを失うか、場合によっては奪われるおそれもある、と。

いま思えば、若いなあと笑ってしまう。
憲法を恋愛にたとえるとは、いささか無謀だなとも思うが、
底流に流れる気持ちに変わりはない。
憲法を考えることを5月だけのイベントに終わらせてはならない、と考える。

2012年5月22日火曜日

5月22日


東京新聞の朝刊を開いて愕然とした。

このブログにも以前書いたが、
福島第一原発2号機の水位が約60センチしかない、
という報道があり、そのことがずっと気になっていた。
その後、その事実をフォローするニュースにも出会っていない。
今朝の新聞にはそれに加えるに、1号機の水位も「40センチ」と報道されている。

…1号機「水位40センチ」。
「格納容器下部に穴 漏水か」…。
原子力安全基盤機構の解析でわかったと記事は伝えている。
他の新聞はこのニュースをどう伝えているか、
当たってみたが、見つからない。
どう考えたらいいのだろう。

知り合いの他社の記者に訊いてみた。
「東京新聞の特ダネでしょう、ほかはすべて
抜かれたのだということだと思います」。
そうなのかもしれない。
が、金環日食だ、スカイツリーの開業だと世間がお祭り騒ぎの中で、
水位60センチと40センチを抱えて、
わたしたちは暮らしている事実を忘れてはいけない。

そしてメディアは、無意識にせよ意図的にせよ、大事な事実を
「忘れさせていく装置」として「稼働」してはならないはずなのだが。
明日の朝刊もしっかり読み比べてみよう。

6月のクレヨンハウス「朝の学校」は、4号機の状態について、
ずっと警鐘を鳴らし続けている元スイス大使の村田光平さんを講師にお迎えしている。

2012年5月21日月曜日

5月21日

昨日の日曜日、武蔵野で憲法の講演会が。
改めて読み直してみて、やはり世界に誇るべきものだと考える。

肋骨のブレストバンドがきつくて、暑くて、声が出にくくて、
昨日数時間とっていたのだが、
やはり痛いところをかばうせいか、今度は反対側の背中が痛くなってしまった。
あせもができようが、やはりまだしばらくはコルセット着用を励行することに。

講演会が終了後、
すぐれた翻訳絵本も遺していってくださった、詩人であり法政大学の教師でもあった
きじまはじめさんの、妹さんからお声をかけていただいた。
「兄がいたなら、ご一緒に活動をしたはずです」。
その言葉が心にしみる。
お元気な頃、絵本についてなどお話をさせていただいた。

あのかたがいま、ここにおられたら……。
折に触れて、懐かしく切なくそう思い出すかたが、少なからずおられる。
長田弘さんの「詩ふたつ」の後書きを改めて心に刻む。

……わたしたちはわたしたち自身の固有の人生を生きながら、
亡くなったひとが生きられなかった時間を贈られて生きているのだ……。
というような、内容の後書きだった。
贈られた時間をしっかり受け止めて、一歩、一歩!

2012年5月17日木曜日

5月17日

まだ仮りの段階ですが、「さようなら原発……」
7月16日の集会の仮チラシが事務局から届きました。
お知らせします。
10万人集会です。
ご無理のない範囲で、わたしたちの「声」を、この国に!

7.16さようなら原発10万人集会
代々木公園B地区
■日時:7月16日(月・休)13:00~(予定)
■場所:代々木公園B地区(JR渋谷駅徒歩10分、JR原宿駅徒歩5分、地下鉄千代田線「明治神宮前」駅徒歩5分)
■呼びかけ:「さようなら原発」一千万署名 市民の会
(内橋克人 大江健三郎 落合恵子 鎌田慧 坂本龍一 澤地久枝 瀬戸内寂聴 辻井喬
鶴見俊輔)
◎集会のあと都内をパレードします。みんなで脱原発の思いをアピールしましょう。
※プラカードなどアピールグッズをお持ち寄りください。
■連絡先:東京都千代田区神田駿河台3-2-11総評会館1階 原水禁気付 TEL03-5289-8224 FAX03-5289-8223

2012年5月16日水曜日

5月16日

このブログでも何度か触れたが、14日、
脱原発を掲げる全国の66の自治体の長(茨城県東海村の村上達也村長)などが
先月設立した「脱原発をめざす首長会議」が、経産省に要望。
この夏に改訂される国のエネルギー基本計画で、原発と決定すること、再稼働を拙速に
行わず立地自治体や周辺自治体への充分なる説明と合意を図ることなどを経産省が
要望した。
これに対して、柳澤副大臣は次のように応えた。
「原発を減らし、新エネルギーを増やす方向性は一致している。運転再会については、
石油価格や夏場の需要なども考えながら判断をしていきたい」。
すでに関西電力大飯原発のある町会議は再稼働に合意をしているが。

これに対して村上村長がコメントしたように、主なる理由は経済的な問題だろう。
反・脱原発を唱えるとき、立地自治体の経済をどうするかについても、
まずは国が明確な政策を示すことが先決だが、
同時にすべてのわたしたちも議論のテーブルにのせなければならない。

そうして、昨日15日は、沖縄復帰記念日だった。
40年前のあの日、わたしは当時勤めていた民放のラジオ局にいた。
通常通りの勤務である。
そして、九段の武道館と那覇市民会館とを中継でむすぶ記念式典を
局内のモニターを通して、聴いていた。
当時の佐藤栄作首相は、国会答弁でも沖縄の基地は
「本土並みになるべき」という未来図を描いてみせたが、現実は今もって
何ひとつ変わらず、この国にある米軍の基地の74パーセントは沖縄に存在している。
それが沖縄の日常であるのだ。
40年前の記念式典で、復帰後初の沖縄県知事になった屋良朝苗(やら ちょうびょう)
さんの、決して手放しで復帰を喜んではいない、苦汁に充ちたスピーチも忘れられない。

多数派の安全や利益のために、少数派が犠牲になるこのシステムは、
沖縄でも福島でも変わりはない。

5月15日が、沖縄復帰記念日。
そしてそれからひと月後の6月15日は、樺美智子さんのご命日にあたる。

2012年5月15日火曜日

5月15日

すでに旧聞に属することになってしまったが、
関西電力大飯原発3号機、4号機のストレステストに対する、
意見聴取会委員の井野博満さん、後藤政志さんおふたりの
審査書提出に対する抗議声明が、
提出日より3か月以上たった今も、気になって仕方がない。
もう一度、ここに紹介するので、お読みいただきたい。
井野さんはお目にかかったことはないが、
後藤さんは朝の教室の講師を昨年していただき、
クレヨンハウスよりブクレットも出していただいている信頼できる専門家だ。

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2012年2月13日

関西電力大飯3・4号機ストレステスト審査書提出に抗議する緊急声明
ストレステスト意見聴取会委員
井野博満・後藤政志

原子力安全・保安院は、本日、関西電力大飯原発3・4号機の一次評価を
「妥当」とする審査書を原子力安全委員会に提出しました。私たちは、
このような拙速なやり方は、とうてい認められません。

2月8日の第8回意見聴取会では、様々な技術的な課題が残されている
ことが明らかになりました。原子力安全・保安院も、その場で議論を終了
するとは明言しませんでした。当然、継続審議となると思いました。審査
書が原子力安全委員会に提出されたことに対して意見聴取会の委員として
抗議します。

ストレステスト意見聴取会では、徹底して議論を尽くすことが、国民に
対する原子力安全・保安院の責務です。次のような根本的な問題が残って
います。

(1) 判断基準について、保安院は「福島第一原子力発電所を襲ったような
地震・津波が来襲しても同原子力発電所のような状況にならないこと
を技術的に確認する」としています。しかし、津波の想定は11.4メー
トルで、福島事故の14メートルよりも低くなっています。そもそも、
福島事故は収束しておらず、原因もわからない状態です。

(2) 評価の対象、基準の適用について以下の技術的な疑問があります。
①制御棒の挿入性を検討の対象から外しています。
②基礎ボルトなど機器の強度については、安全率を削って評価して
います。 
③原子炉建屋などの構造強度に関わる許容値について、耐震バック
チェックの基準より甘い許容値を適用することを認めています。
④本来の設備は福島原発事故前から改善せず、消防車や非常発電
装置などの外部仮設設備だけで安全だとしています。

(3) ストレステストは、過酷事故対策の検証を含めた二次評価と合わせて
評価しなければ、地域住民が安全性を判断する上では意味がありません。

電力事業者は、原子力安全・保安院の指示により、これを
2011年末を目処に提出するはずでしたが、関西電力は二次評価結果を
未だに提出していません(2月13日現在)。

原子力安全・保安院が、現時点で「妥当」としたことは、はじめに再稼働
ありきの見切り発車と言わざるを得ません。このような姿勢こそが、福島
原発事故を招いた要因です。このように原子力安全・保安院は、規制当局
としての役割を十分に果たしていません。まずすべきことは、自らのあり
ようについて根本的な反省をすることです。

本日の審査書の提出は、「安全性に関する総合的評価」とされるストレス
テスト評価の体をなしていません。         

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大飯原発が再稼働されれば、2月13日付の抗議の声明にあるような理不尽で
非科学的とも言える「基準」がそのまま適用されて危険性をわたしたちは
今現在抱えている。
5月5日~の原発ゼロの日は続いているが、原発ゼロを「束の間の
夢」で終わらせないよう、再度考える上で、おふたりの声明文を
再び読み解いていただきたい。

2012年5月14日月曜日

5月14日

東京電力は、家庭の電力値上げについて、
平均10・28パーセントと試算を発表した。
「標準家庭」の場合、月480円の電気料値上げだという。

 しかし、ちょっと待てよ。
「標準家庭」とは、どんな家庭なのか。
東京電力は、この標準家庭を、夫婦二人の共働き家庭と設定している。
確かに、この形態の家族が多いのは事実だが、夫婦二人の共働きである場合、
最も電気料金が高くなる昼間は家にいないことになる。
夫婦二人に、子どもが二人の場合はどうなるのか。
また、該当する商店や町工場などはどうなるのか。

電力使用量がピーク時(最も料金が高くなる)は
そのまま商店街にとっては買い物客を迎える時間だ。
いくら節電がしたくとも、電気を消してお客を迎えることはできない。

柏崎刈羽原子力発電所の再稼働を条件として試算されたものである。
苛酷事故を体験したこの国のエネルギーを今後どうするのか。
原発依存を相変わらず続けていくのか等、
根本的な議論がなされないまま、試算が出てきたところで、
わたしは到底納得することはできない。
使用済み核燃料、核のゴミもまたすぐに一杯になる
状況を抱えながら、地図なきままに、すべてをまたすすめるのか。

2012年5月13日日曜日

5月13日

昨12日は、クレヨンハウス「朝の学校」、講師は
アワプラネットTVの白石 草さんだった。
福島第一原発事故に限らず、
メディアを読み解く力、メディアリテラシーは、
わたしたち「受け手」に必要な視点であり、
そのことをより鮮明にしたのが、
原発のシビアアクシデントであった、
というのが正確なところであるだろう。
その間、市民メディアとして踏ん張ってこられた白石さんの講演を聴きながら、
何十年来、わたしが夢見ていた、市民目線のメディアの必要性を
改めて再確認させられた。

たとえば、この「朝の教室」の大きなテーマのひとつは
まさにメディアリテラシーである。
同時に、専門書店であるクレヨンハウスが
ささやかながら、こうして小さなメディアとして機能していることは、
わたしたちにとってはやりがいのある活動であると同時に、
もっと市民メディアが欲しい、という思いをも連れてきてくれる。

受け手と発信者が役割分担という図式に
すっぽりとはまってしまうのではなく、
それぞれのひとりが発信者兼受け手という
新しく、やわらかなありかたを今後も是非模索していきたい。

6月の「朝の教室」の講師は、もとスイス大使であり、
福島第一原発の過酷事故(その後)の危険性について
果敢に発信されている村田光平さん。
シビアアクシデントを起こした国と政府への、海外からの「声」も、
この社会を拓く上で、かけがえのないテーマだと思う。

2012年5月11日金曜日

5月10,11日


晴れたり、突然黒い雲が空を覆って、風雨が激しくなったり、
と荒れ模様の天気が続く。
竜巻はいつどこで起きるかわからず、過日の竜巻が、
原発があるところで起きたら……と不安でならない。
さらに富士山の真下にも活断層があるという発表が、今頃になって。
これで事故が起きたら(起きないことを願うしかないのか!)、
福島第一原発のように「想定外」という説明で「収束」にされてしまうのか。
暗澹たる思いだ。

福井県原子力安全委員会は、8日の会合で議論をほぼ終結、
報告書の取りまとめに入る方針、と報じられている。
大飯原発3・4号機の再稼働に関して、
さまざまな問題やリスクは先送りのままGOなのか。

5・5日の集会の後、ドイツの通信社の記者のかたに、
「どうして、あれほどの過酷事故を体験しながら、
日本の市民は原発を止めるために、大きな世論を作り、
行動しないのか」と訊かれた。

海外から見れば、この上なく不思議な「現象」であるのだろう。
この社会の教育をはじめ、自己主張の芽を摘んでいく環境、
目立つことへの不安など、さまざまな場合の説明をしたが、
確かに、「あれだけの苛酷事故」の体験がすべて共有されているとは言えない。
ここで、大飯が(大飯に限らない)再稼働されてしまえば、
すべてが右にならえになるだけだろう。

昨夜、次のような「拡散希望」のメールが入ったので、ご紹介する。

……大飯3・4号機の再稼働に関し、緊急の政府交渉を行います。活断層評価、避難ルート、雇用・生活支援などを問うていきましょう。ぜひ、ご参加ください。

【5・15政府交渉】大飯3・4号機の再稼働にストップ!
活断層評価、避難ルート、雇用・生活支援などを問う

大飯3・4号機の再稼働について、「福井県原子力安全専門委員会は8日の会合で議論をほぼ終結し、報告書の取りまとめに入る方針」と報じられていますが、活断層評価は甘い手法で行われ、基準地震動は過小評価されています。1本しかない避難ルートについても、多くの住民が不安をかかえているのにもかかわらず、問題は先送りされています。
また、原発依存をいままで政策としてすすめてきた国として、現在、原発立地地域がかかえる雇用問題に関して、早急に支援政策を検討する責任があります。
新規制庁の発足もめどがたたぬまま、なし崩し的に大飯3・4号機のみの再稼働を許すわけにはいきません。下記のように政府交渉を行いますので、ぜひご参加ください。
事前集会では、最新の情報を共有し、交渉のポイントを話し合います。

◆日時:5月15日(火)13:00-16:30
※30分前から通行証を配布します。
13:00-14:00:事前集会
14:00-15:30:政府交渉(予定) 相手方:原子力安全・保安院、
            資源エネ庁(予定)
15:30-16:30:事後集会
◆場所:参議院議員会館 講堂(最寄駅:東京メトロ・永田町、国会議事堂前)
◆テーマ:1.新規制庁の発足前の再稼働
2.基準地震動と耐震安全評価について
           3.避難ルートについて
4.原発の停止に伴う雇用や生活の支援・補償について
            5.再稼働についての地元合意について
◆主催: 美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会
グリーン・アクション 原発設置反対小浜市民の会 
           プルサーマルを心配するふつうの若狭の民の会
福島老朽原発を考える会(フクロウの会)
            国際環境NGO FoE Japan グリーンピース・ジャパン
福島原発事故緊急会議 再稼働反対! 全国アクション
            ふぇみん婦人民主クラブ 原発を考える品川の女たち 日本消費者連盟
◆資料代:500円 以上。

11日は終日、東京を離れる。
12日は(土)は、朝の教室開催。講師は新しいメディアのありかたを考える
アワプラネットTVの代表白石 草さん。
規制が少なくない既成のメディアに不信感を募らせている市民は、
いったい、どこから情報を得ればいいのか。
得た情報をどのように検証し、どのように共有すればいいのか。
「受け身」の「受け手」から、能動的な存在に変わっていくには……。
興味深いお話をお聞きできるはず。

2012年5月9日水曜日

5月9日

5月5日の「さようなら原発5・5集会」も無事終了。
今日は朝から仕事。
夕方からの番組2本の収録が終えるのは夜遅くになるだろう。
兜の緒ならぬ、ブレストバンドをきつく締めて、いざ! の心境である。
明日、整形外科で精密検査をもう一度受ける予定。
痛みはだいぶ和らいで、ほっとしているが。

5月12日(土)のクレヨンハウスの
「朝の教室」講師は、市民メディア、OurPlanet-TVを主宰される白石 草さん。

メディアは一体、誰のためのものか?
誰を主体と考えるべきか。
誰のための情報を発するべきか。

大手メディアでの番組作りを経て、
「市民」のためのメディアを作ろうと思い立った理由は? 
そして、実際立ち上げて見えてきたことは?
福島第一原発事故以来、多くの市民の信頼を得ている、
市民メディアの立ち上げから「今日まで」、そして「これから」へ、と。

個人的にもとても関心のあるメディアのありかたについて、お話をいただける。
白石さんは、「朝の教室で話をさせてください」と
ご自分からご連絡をいただいた、はじめて講師である。
長い間、フェミニズムの活動にもかかわってきたわたしにとっては、
それもとても嬉しい! 
5月12日(土)9時~
ぜひご参加を。

2012年5月8日火曜日

5月8日

トルネードのひどい被害が報道されている。
空が暗くなり、突然激しい風が……。
福島からの避難先で、このトルネードの被害に遭われたかたもいる。
なんて、こった、と考える。
そして、さらに想像力は悪いほうに傾く。
もし、この竜巻が、脆弱化した福島第一原発や、
安全性に関して「神話」はとうに崩壊した他の原発を襲ったとしたら……。
一体、どうなるのだろう。
これもまた、あの「想定外」という言葉で片付けられるのだろうか。
不安ばかりが、黒い空のように心を覆う。

2012年5月7日月曜日

5月7日

5月5日の「さようなら原発」の集会後に
記者会見を開き、以下の宣言文を
お配りしました。
遅ればせながら、ご紹介いたします。

さようなら原発5・5宣言
本日、北海道電力泊原発が運転停止、これで日本の原発54基のすべてが停止します。
福島第一原発の爆発事故以来、一年二ヶ月たって、ようやく、日本は原発 の恐怖から
解放さ れます。
といっても、この必然的な大事故は人類にとって取り返しのつかないもので、
いまなお、続いています。
さらに、各地の原発のプールには膨大な数量の使用済み核燃料が貯蔵され、
地震の恐怖に曝されていることにも、変わりがありません。
この事故とその後の政府、東電の対応によって、原発社会の腐敗と非民主的な体質が
明らかになりました。
しかし原発全停止が切り拓いたのは、原発がなくとも、わたしたちの生活にはなんら
不自由がない、という現実です。
原発は「電力不足」という危機感を煽るだけの存在であり、虚構の存在だったことが
明らかになったのです。
わたしたちは、巨大なムダと放射能汚染の恐怖に支配されてきました。
原発はこの社会のもっとも根本的なムダでもっとも危険な存在でした。
いま原発全停止のもとで、ようやく得ることのできた、このさわやかな解放感こそ、
政府と電力会社と原発メーカーが恐れていたものでした。
わたしたちは、この日を記念して、脱原発への不退転の意志を固め、
原発から一歩一歩遠ざかり、原発のない平和な社会にむかって歩いていきます。
もうカネが支配する原発社会へはもどりません。
さようなら原発、
さよなら利権社会。 
二〇一二年五月五日
内橋克人
大江健三郎
落合恵子
鎌田慧
坂本龍一
澤地久枝
瀬戸内寂聴
辻井喬
鶴見俊輔

2012年5月5日土曜日

5月5日


こどもの日。
北海道泊原発3号機が定期検査のために停まり、
「原発ゼロ」の日を迎える。
それを記念(祈念でもあるが)しての
「さようなら原発1000万アクション」。
東京は芝公園で集会が。

内橋克人さん、鎌田慧さん、麦わら帽子姿がとてもキュートな澤地久枝さん、
そのほか、大勢のスピーカーを迎えて、まずは集会。
経産省前のテントひろばでハンストをしていた女性や男性たちも加わった。

肋骨負傷のていたらくを抱えながら、私は以下のメッセージを。

2012年5月5日、奇しくも、こども日の今日の深夜、
泊原発3号機が停止し、日本は「原発ゼロ」になります。
1970年春以来、なんと42年ぶりの「原発ゼロ」、
「核の火」が消えるのです。
まやかしの平和利用の名のもとに、「核」は生き延びてきました。

心に刻みましょう。
福島第一原発の過酷事故以来、いまも尚、16万人以上の住民が、かけがえない、
それぞれの家族の歴史を刻んだ家や郷里に帰ることができていないことを。
地域は分断され、友人や家族とも切り離されている人々がいま、いま、ここにいることを。

改めて心に刻みましょう。
しかし、「原発ゼロ」の日を迎えたからといって、
それはひとつのプロセスの形でしかありません。
使用済み核燃料をはじめとして、気が遠くなるような放射能を持った破滅へのゴミを、
わたしたちは今なお、持ったままなのです。

心に刻みましょう。
放射性廃物の処理方法も持たず、安全に管理する方法もいっさい持たずにいるという現実を。
私たちはしっかり心に刻みつつ、それでも2012年5月5日の今日、
原発ゼロで迎えたこどもの日を心から歓迎しましょう。

さらに、わたしたちは心に刻みましょう。
現政権は、そして歴代の政権は、
それぞれの市民のことも、いま子ども時代を生きている子どものことも、
これから生まれてくる子どもの未来に関しても、
生存権にも基本的人権にも、醜悪なまでに鈍感であったことを。
そして、そういった政権を倒すことができなかった私たちもまた、
いのちと人権に対して充分にはセンシティブではなかったことを。
電力不足になる、という数字や数値の奇怪なマジックに、私たちはもうだまされません。
原発を止めることは集団自殺だと言い、後に訂正した政治家がいます。
この地震列島で原発に依存し、
核のゴミを何世代、何十世代先もの子どもたちに押しつけることこそ
「集団自殺」ではないでしょうか。

好きな言葉を紹介して、スピーチは終えます。
……起きてしまった原発事故をなかったことにすることはできない。
しかし、現在を、そして未来を変えていくことができるのは、ひとりひとりの私なのです……
原発の存在そのものこそ、人類のいのちに対するテロリズムなのです。
束の間の原発ゼロではなく、永遠の原発ゼロに向かって、
再びのはじめの一歩を、今日、ここから。

沢山のビラをいただいた。
まだ整理していないのだが、その中からひとつをご紹介を。

……げんぱつ やめちゃお! 子どもの署名提出行動! 内閣府前に集まろう
  5月7日(月)10時45分-11:00
1988年、7歳の成田すずさんが集め始めた約1万人の子どもだけの署名。
24年の時を経て、届けます。

2012年5月4日金曜日

5月4日


午前中から日本保育学会での講演。
全国から集まった保育士のかたがたが、今日から一泊二日で学会を。
子どもと向かい合うことを積極的に選択された、
いろいろな年代の保育士さんたち。
熱い! その熱さがとても快い。
当方、先日盛岡で痛めた肋骨のひび、呼吸するのも痛い状態。
そのためにブレストバンドできつく締め上げているので、
いつものようにおなかから声が出ない。
浅い呼吸で、腹に力が入らないのだ。
腹に力が入らないと、なんとも心もとない。
それでも無事、1時間30分を終えることができたのは、
会場の保育士さんたちの無言のサポートがあったから。
感謝、感謝!

明日は、13時から芝公園で「さようなら原発……」の集会。
鎌田慧さん、澤地久枝さん、それから内橋克人さんもたぶん、ご参加いただけそう。
諸先輩が頑張っておられるのに、休むわけにはいかない。
腹に力が入らないかもしれないが、わたしももちろん行く!
13時からコンサートがスタート。メッセージの第一発言者は澤地久枝さん。

雨もあがりそうな5月5日。
ご無理のない範囲で、ご参加を!

2012年5月2日水曜日

5月2日

東京は今日一日中、雨。…だと思っていたら、
午前10時頃から1時間は「雨も上がり、晴れ間も見えたわよ」
と「さようなら原発1000万人…」の呼びかけ人のおひとり
澤地久枝さんから教えていただいた。
鎌田慧さん、澤地さん、
そして京都から上京された瀬戸内寂聴さんが加わって、
今朝10時から経産省前のテントひろばで記者会見とハンストを。

わたしも参加したかったが、スケジュール調整ができず、
辿り着けたのは16時近く。
記者会見にはテレビクルーもずいぶん入っていたというから、大きく報道されるはず。
わたしが到着したのは、瀬戸内さんがお帰りになるために車に乗り込まれた時で、
開いたドアを中にして、短いご挨拶しかできなかった。
どこにいてもハンストはできる、
と寂聴さんも澤地さんも、昨夜からお白湯しかとっていなかったとおっしゃる。
ぎょっ! わたしは昨夜も今朝もお昼もしっかり摂ってしまった。なんたることか。
明日3日は外での仕事をしながらだが、個人的にハンストを決行しようと誓う。

「大丈夫ですか? 肋骨は?」
テントひろばでも随分声をかけていただいて、恐縮。
みな、やさしい。痛みに敏感だ。
だからこそ、原発事故を、再稼働を黙認することができないのだ。
それに比べりゃ、肋骨の痛みなどなんのその。
きつくブレストバンドをしているので息苦しいが、これも慣れだ。
テントひろばの女性たちや男性たちと会うと、元気が出る。
まっすぐであること、まっとうであることは、やはりひとの心を深く打つ。

5月5日こどもの日は、芝公園で会おうね

2012年5月1日火曜日

5月1日

土曜日から被災地、岩手宮古市田老地区に取材で。
「先週は寒いほどだったけど、今日は暖かだね」
地元のかたが見上げるさきには、満開の桜。
足元には土筆や蕗の薹も。
梅も咲いているし、辛夷の花も木藤も、と
自然は忘れずに早春と陽春の花をいちどきに連れてきてくれていた。

「真っ黒い津波が二度も、わたしたちの暮らしを奪っていった」
自然には一方で、こんな顔もあるのだ。
偶然、大きな敷地が高台にあって、そこに仮設住宅が建ち、
地区のひとびとが分断されずに暮らせたのを「不幸中の幸い」と、
再び笑顔に戻って、発言してくださるかたがたもいらっしゃった。
主に女性たちは趣味を生かして、いろいろな愛好会を発足させているが、
ちょっと気になるのは男性たち。
「とうちゃんハウス」とみんなが呼んでいる屋根のある小さなスペースで、
ちょっとばかり手持無沙汰な様子だ。
「早く働きたいよな」。
漁師さんをされていた男性は呟く。
こういったとき、女性たちのほうがネットワークを作りやすいのかもしれない。
かといって、無理やり誘っても、かえってストレスを募らせるだけだろう。
被災されたかたがたからむしろ、
たくさんの元気をいただいてしまったような2日間だったが、
最後に個人的なアクシデントが。
どうしてそうなったのか今もわからないのだけれど、
転んで、肋骨にヒビが入ってしまった。
瞬間声も出ず、息もできないほどだったが、日曜の夜に帰京。
いまは、ブレストバンドをして鎮痛剤を飲んでいる。
幸い、骨が肺に刺さったりしていないので、あとは時間がたつのを待つだけだ。
今週はいくつか講演の予定があり、
声をだすのがちょっと大変だが、ま、なんとかなるだろう。
ささやかでもサポートができたら、と願っていたが、このていたらく。
落ち込む!
明日は15時までに仕事を終えて、体調と相談しながら、
鎌田慧さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さんたちが参加されている経産省前の
テントひろばに。
5日は芝公園で、原発ゼロの日の集会が。
そのテントでハンガーストライキのリレーバトンを受け取った「朝の教室」の常連さん、
世田谷のM子さんから、5月1日の誕生花だというすずらんの写真がメールで贈られて
きていた。
植物好きのかたなので、彼女の家の庭で咲いたスズランだろう。
スズランの花言葉は、「希望」だと、これも彼女に教えていただいた。