2012年7月30日月曜日

7月30日

29日の集会、そしてキャンドルナイト、
おつかれさまでした。
日比谷公園での15時30分からの集会。
北海道から帰京しての参加だったが、喉を少々痛めたのか、
声がうまく出ないで、焦りまくってしまった。
大勢のひとをかき分けて、のど飴を差し入れしてくださった女性、
「あなた」、ありがとう! 助かった。
参加されなかったかたに向けて、喉を詰まらせて
わたしがメッセージしたことを、ここに再度。
限られた時間のスピーチには、
しっかり原稿を作っていくのですが、
その通りにスピーチできなかったので、改めて!

29日のスピーチ。

政府の思考回路は、去年の3月11日以前で止まったままです。むろん電力会社も同じです。
電力不足をあれほど喧伝していた関西電力社長は、後に撤回謝罪しましたが、
「需要ではなく、エネルギーの安全保障のために福井の高浜3・4号機を再稼働させたい」
と信じられないことを言いだしました。
連日の猛暑のもと、けれど、電力の利用率は今のところ原発ゼロでも乗り切れるはずなのです。
活断層が走る敷地内の原発を再稼働させた責任を誰かがとるのでしょう。
原子力聴取会でも、原発比率について、三段階に分けて作った設問自体が欺まん的です。
原発比率0パーセント、15パーセント、原発を増設しなければ達成できない20~25パーセント。
賛成か・反対かという設問でいいのに、三つに分けて、
原発比率が3分の2になるような欺まんをまたもや繰り返しています。
わたしたちが諦めるのを待っているのでしょう。でも、諦めませんよね。
彼らは知らない。わたしたちの内側に、憤りと明日のいのちへの希望から生まれた、
誰にも消すことのできない持続可能なエネルギーがあることを。
誰も押しつぶすことのできない持続可能なエネルギー。
目覚める朝ごと、わたしたちは自らの内側の持続可能なエネルギーに水やりをし、
原発ゼロの世界に向けてまた一歩、歩き出すのです。
この社会の価値観と理不尽な構造をかえるために。
この中にも、たくさんの挫折を知っている世代も多いでしょう。
わたしもその世代のひとりです。
闘いの半ばで、最後まで見届けることもなく、折れていったたくさんのいのちたち。
わたしたちは何度でも立ち上がります。わたしたちこそ、生き証人なのです。
熱中症に気を付けて、キャンドルナイトに向かいましょう。
キャンドルの炎は燃え尽きても、ひとの心を燃え尽きさせることはできないのです。

夕方からのキャンドルナイト。
一度抜けて、打ち合わせをすませて合流したのだけれど、
どこに行っていいのか……。
知り合いに声をかけられて、うろうろしていた。

クレヨンハウスのオーガニックレストランも
昨夜は国会周辺のキャンドルナイトに呼応して、
キャンドルだけの夜とした。

本日はこれから北海道へUターン。

2012年7月27日金曜日

7月27日

元気ですか?
元気でいてください。

ブログアップを数日間、さぼってしまいました。
岩波書店から秋に刊行する反原発の単行本のまとめと
ほかのあれこれが重なり、余裕がなくて。
この間、「10都県でストロンチウム」という忌まわしい記事が、
朝日新聞25日の朝刊に。

続いて、このブログでも触れたように懸案の原子力規制委員の人選案。
市民の命運を左右する人選案だが、「規制」と言いながら、
どこまで独立性と安全性への高い視座を持っているか、
委員の顔ぶれをみても、理解できない。

安全性というなら、
本来、「反・脱」の意識をもった専門家も必要だと思うが、
予想通り、そうではない人選案である。性懲りもなく!

7月29日(日曜)の国会包囲キャンドルデモは、
午後15:30 日比谷公園集合(日比谷公会堂裏の中幸門)
16:30 デモ出発
19:00 国会大包囲!!
主催は毎週金曜の官邸前抗議を呼びかけてきた
偉大なる「首都圏反原発連合有志」。

28日に北海道、30日も北海道で講演があり、
ほんとは中一日、北海道での休日にあてたかったが……。
一度帰京し、日比谷公園で短いスピーチを。
それからキャンドルナイトの国会包囲に参加。
途中抜け出して北海道に戻ることにした。
体力勝負、って感じだ(笑い)
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前述の規制庁人事に関しては、以下をご参考に。

 【超・緊急署名】~★大拡散希望!
★「原子力規制委員会」のムチャクチャ人事に異議あり!「原子力ムラ」だらけの人事はもうたくさん。これでは子どもたちは守れません!
★オンライン署名はこちらからhttps://fs222.formasp.jp/k282/form2/
★こちら補助フォームです。https://pro.form-mailer.jp/fms/d75df4fc31929
★紙の署名はこちらからhttps://dl.dropbox.com/u/23151586/120725_shomei_jinji.pdf
一次締め切り:7月30日(月)午前9時 
二次締め切り:8月2日(木)午前9時

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原発担当大臣 細野豪志 様国会議員各位「原子力規制委員会」の5人(田中俊一氏、更田豊志氏、大島賢三氏、中村佳代子氏、島崎邦彦氏)の国会同意人事案が複数のメディアに報じられました。しかし、このうちの3人は、明らかに「原子力村」の人間であり、現在までの原子力推進政策の責任者としてその責任を問われるべき立場にあります。とりわけ田中俊一氏は、日本原子力研究開発機構 副理事長、原子力委員長代理、原子力学会会長を歴任し、長年にわたって「原子力村」の中心で活動してきた人物です。事故後も原子力損害賠償紛争審査会では、最後まで自主的避難者への賠償に反対しました。低線量被ばくリスクについての認識がなく、「100mSvというのは健康に大きな影響がないということ。このあたりをどう今後住民に、折り合いをつけていただくかということが大変大事」と発言しています(注1)。政府が決めた年間20ミリシーベルトの避難基準をそのまま帰還基準とし、住民に20ミリシーベルト近い線量を浴びる暮らしを強いても構わないという考えです。中村佳代子氏も、「低線量被曝では子供と大人で発がんリスクに差がなく、原発事故による住民の被曝線量も十分に低い」(注2)と発言しています。注1)2011年8月23日 第32回原子力委員会 議事録より注2)読売新聞 2012年7月22日「原子力規制委員起用予定の中村さん、福島で講演」これは、「原子力ムラ」の中心人物に「規制」を担当させるもので、「利用と規制の一体化」に他ならず、「中立公正」でもなく、国会での法案審議の趣旨を踏みにじり、3.11の教訓から何も学ぶことなく、原子力安全行政に対して更なる国民の不信をもたらします。また、低線量被ばくの影響をもみ消そうとする巨大な行政の力を加速させることとなります。もうこりごりです。直ちにこの人事案を撤回して、国民の意見を踏まえた上での人事案を示してください!以下を要請します。


1.現在の人事案を白紙撤回し、原子力ムラの影響を完全に排除した案に差し換えること。
2.選定基準、選定に当たった内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室の体制、政府による選定プロセスを明らかにすること。
3.国民の意見をきくためのプロセスを設けること。パブリック・コメントを設けること
一次締め切り:7月30日(月)午前9時 二次締め切り:8月2日(木)午前9時

2012年7月24日火曜日

7月24日

毎日、家に戻るのが遅くなり、
メールチェックも従って遅くなる。

 昨夜のメールから、以下のものをお伝えします。
拡散をお願いいたします。

みなさま、様々な形で細野原発大臣、国会議員、マスコミに対して、
「原子力ムラの専門家を原子力規制委員に選任するな!」と、声を上げてください。
どんな短い要請文でもかまいません。何とかこの人選案を差し替えないと
今後、危険な原発が稼働を始めてしまいます。
ツイッターなどで、声を上げてください。

<一般向け>
大ピンチ。新設の「原子力規制委員会」の人事案、原子力ムラの面々。トップの田中俊一氏は、自主的避難の賠償に最後まで反対。新設の委員 会は巨大 な権限。まだ間に合う。人事には国会の同意が必要。国会議員に声を!
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5a71.html

<国会議員向け>
原子力規制委員会の人事に反対を。こんな人事では原子力ムラに日本は牛耳られます。トップの田中俊一氏は、原研機構副理事長、原子力委員 長代理、 原子力学会会長を歴任したムラ出身者。自主的避難の賠償を妨げた張本人。
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5a71.html

<メディア向け>
ちゃんと取材をしてください。原子力規制委員会の人事に異議あり。原子力ムラに日本は牛耳られます。トップの田中俊一氏は、原研機構副理 事長、原 子力委員長代理、原子力学会会長を歴任したムラ出身者。自主的避難の賠償を妨げた張本人。
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5a71.html
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2012年7月22日日曜日

7月22日

やらなければならないことが山ほどあるのに、ちょっとボーっとしている。
仕事を抜けさせてもらって、東京会館で行われた日隅一雄さんを偲ぶ会に
短時間だが参加してきた。
白い花で飾られた祭壇の中央に、日隅さんの写真が。
確か東京新聞に掲載された写真だ。

昨年の5月末期の胆のう癌で「余命半年」と告知され,苦しい闘病をしながらも、
インターネットメディア「NPJ」(News  for  the  people in Japan)編集長として記者会見場に日々通い、東電に鋭い質問を発し続けていた日隅さんだった。

「主権在官」構造を打ち砕き、真の民主主義、「主権市民」を求め続けた彼の志を、
改めてわたしたちもしっかりと受け止めたい。
自分とそう約束しつつも、日隅さんの写真が瞼に焼き付いて……。

4月14日にクレヨンハウスの「朝の学校」で講演していただいた時の、
彼の言葉のひとつひとつが甦る。
東京共同法律事務所の先輩、海渡雄一さんが日隅さんに代わって、
最後の校正をしてくださったブクレット『原発事故報道のウソから学ぶ……市民が主人公となる社会のために』。
海渡さんはもとより、クレヨンハウスの編集担当者も本当に頑張ってくれて、
偲ぶ会に間に合わせることができたのだけれど……。
ご本人に直接手渡したかった。
きっと、はにかんだうような、あのキュートな笑顔を見せて受け取ってくれたに違いない。
無念だ。悔しい。
でも「市民が主役」の社会を目指して、わたしたちは歩いていこう。
日隅さんの、あの笑顔を胸に刻んで。

2012年7月20日金曜日

7月20日

金曜日。夕暮れの時間が近くなると、落ち着かなくなる。
しっかり雨具の準備もして家を出たのだが、仕事が終わらず、
悔しいな、首相官邸周囲での首都圏反原発行動には参加できなかった。
来週こそ!

ところで……。
今朝の朝日新聞には、沖縄普天間基地に配備されるオスプレイの
この5年間での事故件数が58件だという。
この国は、市民を「犠牲のシステム」の中に組み込んで、平然とし続けている。

さらに今朝の東京新聞には、「原発聴取会 業者任せ」という記事が。
将来の原発の比率はどれくらいがいいかを問う、市民への聴取会である。
アンケートの集計や分析も、広告代理店任せであると記事にはある。

明日の「朝の教室」講師は、広瀬隆さん。
明日の朝も、小さな会場は熱く! 熱く! なりそうだ。

2012年7月19日木曜日

7月19日

だいぶ遅くなってしまったけれど、7月16日はおつかれさまでした!
10万人集会に、なんと17万のかたがたが。
33度の炎天下、わたしたちの憤りは沸騰。 集会に続くパレードは、千駄ヶ谷コースを。
暑かったけれど、なんだかとても元気になれた一日だった。

16日までは、と手がつかなかった仕事が、そのあとにドーッと押し寄せ、ブログをさぼってしまった。
そして今日、7月19日の東京新聞朝刊には、おそろしいことが載っている。
原発が活断層の上にあることが判明して、「立地不適格」とわかっても、
現行法では、国が廃炉の命令ができないというのだ。
大飯3・4号機の建屋直近にある断層は?
志賀原発1号機の直下を通る断層は?
大飯原発再稼働しておいて、再調査指示だという。 まったく理解できない。

2012年7月15日日曜日

7月15日


「行くよー」
大勢のかたから、16日の10万人集会へのメッセージが続々と。
ありがとうございます。
北海道からも沖縄からも、福島からも、各地から。
すでに今日、東京入りをされたかたがたも大勢おられる。

わたしたちの反原発の声を、大きく、豊かに響かせよう、
東京(集会やパレードが行われるどこでも)の空に響かせよう。

理不尽過ぎるこの時代と、この社会を変えるどんな小さなチャンスも見逃さず、
果敢に、けれどデリケートに、すすんでいこう。
大権力に、21世紀の「アンチ」の形と意気込みを刻もう。

気温はかなり高そう。
湿度もまた高そうなので、参加されるかたは、くれぐれもご注意を。
毎回お伝えしているが、怪我や熱中症、むろん逮捕などゼロの、
解放感のある気持ちのいい、しかし意志のある集会とパレードを約束しよう。 
途中、気分が悪くなったら、決して無理せずに。
明日で終わるのではなく、明日からも続くのだから、無理は禁物。

それでは、集会とパレードで会おうね。

2012年7月14日土曜日

7月14日


九州をはじめ各地で、豪雨の被害が。
この国は、天候もまた大きく変わりつつある。
豪雨のニュースに接すると、いつも気になるのが、
崖に面したロケーションなどに建てられている
お年寄りの施設が少なくない事実である。
自然が豊かで風光明媚な、と言えないこともないけれど、
地価が安いところを選んだ結果でもあるだろう。

いつだってこの国は、より声が小さい側のひとたちに無理を強いて、
「経済的発展」を遂げてきたのだ。
果たしてそれを「発展」と呼んでいいのか。
以前にも集中豪富で、裏山が崩れ、
土砂流が施設をまるごと流してしまった悲しい事故があった。
こういった「小さな声」を封じ込め、いのちを後回しにする流れと、
原発推進・再稼働は無縁のことではない。
首相官邸を取り巻く多くの人々の声を「大きな音」と呼ぶ人々が、
この国の現在と未来を決めているのだ。

東電の記者会見で鋭い質問をされていた弁護士日隅一雄さん。
4月14日に「朝の教室」でもご講演いただいた。
そのお話を軸としたブックレットが22日の「故日隅一雄氏(弁護士)を偲ぶ会」
までにできる。
なんとしても間に合わせましょう、と日隅さんに代わってゲラチェックをしていただいた
同じ事務所の弁護士海渡雄一さんのおかげが大きい。感謝とお礼を。

さて、16日である。
東京では「10万人集会」。
そして同じ時刻に各地での集会が計画されている。
上京されるかたがたから、「行きますよ」というご連絡をいただいているが、
どうかお気をつけて。
また、事情があるかたはどうか無理をされないで!
わたしたちの反・脱原発の運動はまだまだ続くのだから。

2012年7月10日火曜日

7月10日

数日前の東京新聞に、ひとりの男性が紹介されていた。
福島の二本松市のNPO職員、関久雄さんというかただ。
61歳の彼は、東京電力福島第一原発の事故で放射能に汚染された自宅庭の土をリュックサックに背負い、東京を目指して歩いている。
歩いて、いるのだ。この暑さの中を。

東京にたどりついたら、彼は東電と経済産業省の職員に手渡す予定だという。
「この中に含まれる放射性物質は私たちの物ではない。国と東電に返したい」。
関さんの憤りが伝わってくる言葉だ。
ビニール袋に入った少しの土に、持ち歩いている放射線量測定器をかざすと、
毎時0・27マイクロシーベルトを示したという。
この数値は、24時間身に付けているとすると、単純計算で、
155日日間で一般の人の被ばく線量限度である年間1ミリシーベルトに達する計算だ。
放射性物質を含んだ土の遺棄は放射性物質汚染対処特別措置法に触れる可能性はあるが、携行について取り締まる法律はないという。
関さんのNPOでは廃校を利用し、農業体験や自然との触れあいの場を子どもたちに提供してきたそうだ。
事故の直後、自宅前の土や芝生の放射線量は毎時7~9マイクロシーベルトの高い値になった。
表土をはぎ取ったりしたが、現在も〇・7マイクロシーベルト前後で、室内でさえ〇・~〇・マイクロシーベルト。

関さんは過去にも反原発運動の一環で、使用済み核燃料再処理工場がある青森県六ケ所村から、高速増殖原型炉「もんじゅ」が立つ福井県敦賀市まで、複数の仲間とリレー形式で走った経験があるという。
六月上旬に二本松市を出発し、仕事が休みの月曜と火曜を利用して東京に向かった。
前回歩いた場所までは知人の運転する車などで歩みを進め、福島県郡山市、須賀川市、栃木県那須町と南下してきた。
「原発いらない」「こどもを逃がせ」と手書きした段ボールを体にくくり付けてのウォーク。
通りがかりの車から支援のクラクションが鳴る。時には、止まって「がんばってください」と言ってくれるひともいるという。
16日に東京・代々木公園で行われるデモ「さようなら原発十万人集会」に間に合わせるため、すべての道のりを歩くことは断念したそうだが、
17日に東電本店や経産省前で予定されるデモの時に、土を手渡す予定だという。

……と書いていて、涙がでた。

関さん。そして多くの方々、
16日、お目にかかりましょう。

2012年7月9日月曜日

7月9日


茨城県東海村に行ってきた。
「脱原発首長会議」の呼びかけ人でもある、
茨城県東海村の村長、村上達也さんと対談するためだ。
東京新宿を11時30分にたって、途中パーキングエリアでお蕎麦などすすり、
2時間余で東海村に。

東海村といえば、1966年わが国で初の商業用原発が稼働したところである。
村上達也さんが東海村の村長になったのは、1997年。
1999年9月30日の、核燃料加工会社JCOの臨界事故。
出張先の栃木県で村上さんは、緊急の電話で知らせを受けた。
とって返した村上さんは、災害対策基本法から逸脱する独断で、村民を避難させた。
「私が守るのは原発ではなく、住民だ」
この臨界事故では、無念にも2名の作業員が亡くなった。
村上さんが村長に就任した、東海村には2機の原発があり、水面下では、
3号機、4号機の建設も予定されていた。

原発を一機誘致すれば、20年間で、1千億円が入ってくる。
それゆえの、3号機、4号機の増設計画である。

決してはじめから脱原発と考えていたわけではないが、
増設には積極的になれなかった。

そのあと3度の村長選があった。
独断で住民を避難させた臨界事故直後は違ったが、3選目、4選目の村長選では、
推進派や原発増設派が対抗馬として立候補し、僅差での当選だった。

そうして2011年3月11日東日本大震災。
その時、東海村第二原発も、冷却用の海水ポンプのひとつが津波のために水没し、
福島第一原発とほぼ同じような危機一髪の状態にあったと村上さんが知ったのは、
震災から2週間がたった頃だった。
福島の惨状を知れば知るほど政府への、不信感が募った。
過酷事故を過少評価し、情報を隠ぺいし、被災者に不要な被曝を拡大させる専門家集団。
原発に反対するものを敵視したり無視する推進派。
昨年の6月、当時の経産大臣が安全を宣言し、運転再開に向けてゴーサインを出した時、
村上さんは、明確な「脱原発」派になった、とおっしゃる。

東海村に並ぶ家々の庭には、向日葵が咲き、立葵が青い空に向かってすっくと立っている。
梅雨の晴れ間に洗濯物は舞い、田んぼには緑の稲穂が。
これらの光景も、海水ポンプが水没した3・11に失われていたかもしれないのだ……。

詳しい対談は、「通販生活」の秋号を。

鹿児島県知事選・向原祥隆さん。残念。

2012年7月8日日曜日

7月8日


日曜日の19時45分。
さっきまでほのかな明るさが残っていた空も、この時間となると
群青色を溶かした墨色になっている。
窓の外、伸びた夕顔の蔓が、緑のネットにからみついている。
あと半月もすれば、白い、ほんとうに純白の花が夕暮れに
ほろりと花びらをほどいてくれるだろう。

郷里の宇都宮の垣根にも、この季節、夕顔が伸びていた。
大好物の海苔巻きの干瓢のおおもとが、夕顔だとは知らなかった
子ども時代の頃のこと。裏庭には、糸瓜棚もあった。
記憶のシェルター、という言葉が心に浮かぶ。
どうにも疲れた日は、その中にもぐりこみ、
疲労をとったら、またそこから飛び立つことのできる、
懐かしい記憶を集めたシェルターだ。
わたしの記憶のシェルターにあるのは、
やはり子ども時代のそれが多い。

だいたいこのブログは一日の終わり、それもかなり遅くなってから
書くのが常だったが、今夜は珍しく、早い時間にパソコンに向かっている。
金曜日、土曜日とブログが書けなかった。

毎週金曜日に首相官邸を取り巻く、抗議行動。
7月6日も雨の中、多くの人が集ったという。
わたしは仕事で東京を離れていて、とても残念だが、参加できなかった。
友人たちも大勢参加していて、携帯で「実況中継」をしてくれた。
終わりの頃、ちょっと揉みあいがあったと聞いているが、
怪我などがなくってほんとによかった。
ようやくメディアも取材するようになり、
「ニュースにならなきゃニュースじゃない」の法則が崩れつつあるようだ。

金曜日は朝から三鷹で講演。環境ホルモンフリーの、
主にドイツの玩具を輸入している会社「二キティキ」主催の講演会。
ニキティキが輸入している玩具は、クレヨンハウスでも人気のものばかり。
シンプルで、子どもの(大人も)の想像力と創造力をさっくりと耕してくれる
「一生もん」の玩具たち。

ケーセンの、ぬいぐるみもわたしのお気に入りのひとつだ。
母のベッドサイドにはいつもケーセンの、ゆったりと腹這った
確かな重量感のある猫や、ゴールデンレトリーバーや、熊や、
掌にのってしまう馬たちもいた。
いまは会長になられた、このニキティキの創立者・西川敏子さんが
素敵なかたなのだ! 
ドイツに留学している時に玩具に出会い、
帰国されてからニキティキを創られた。
知的で繊細で、毅然としていながらひとを寛がせる豊かな深さをお持ちの方で、
わたしはいつもドキドキしながら、ちょっと遠くから見ている。

彼女は、わたしがどんな話をするかも充分承知の上で、1時間30分の
時間をくださった。
もちろん原発の話もした。
子どもと向かい合う、すべての大人は子どもからするなら、
もうひとつの環境問題であること。

福島第一原発の原因究明もまだまだの状況で、
大飯原発3号機の再稼働をしてしまった、現政府の非情さ等々。
話を終えて、神奈川女性センターに直行。
追い詰められて、こころにトラブルを抱えた人々を支援するひとたちの全国大会での
話をした。
神奈川女性センターは、江の島にある。
記憶のシェルターにもぐりこば、
子どもの頃、江の島は母と来た海だった。
海ほうずきをまだうまく鳴らすことができず、口の中で噛んでいた夏だった。

城南信用金庫理事長、吉原毅さんのブックレットと、
亡くなった日隅一雄さんのブックレットの校正の手伝いを。
日隅さんとともに東電の記者会見に参加し、
共著『検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したか』を刊行された
木野龍逸さんが、東電記者会見に入ることができなくなったというニュースが。

明日は東海村に。
脱原発を目指す首長の会の、東海村村長・村上達也さんと対談を。

2012年7月5日木曜日

7月5日

以前から知り合いの、
はるか年下の女性(素敵な教師です)から、
以下、うれしいメールをいただいたので、ご紹介を。

……うれしい&楽しい話を。
 毎週金曜日の首相官邸前や、
 先日の新宿の脱原発デモなどで頑張っている知り合いの青年から 聴いた話です。

 日曜日、新宿デモのあとの居酒屋での乾杯を
 単なる「かんぱ~い」ではなく、
 「再稼働、はんた~い!」としていたら、
 いつの間にか、デモとは関係ない他のテーブルのお客さんたちもみんな
 「再稼働、はんた~い!」という乾杯になったとのこと。
 その場に居合わせたかったなと思いました……。


わたしもその場に居合わせたかったと心から。
去年から、誰かさんの本のタイトルではないけれど
『積極的その日暮らし』を続けている。拙著のタイトルだけど。
一日も休んでいないので、たまーに、ふーっとため息をもらしたくなることがある。
それでも、「かんぱーい」の代わりに「再稼働、はんたーい」で乾杯、
ほかのテーブルのお客さんもそれに合わせて……
と言う、うれしいニュースに接すると、それだけで疲れが吹っ飛ぶのだ。
今はちょっとしんどいけれど、わたしたちは「希望」に向かって歩いているのだ。
確かな明日に向かって、一歩一歩歩いているのだ……、と。

8日は川内原発のある鹿児島県知事選。
鹿児島在住であればよかったのに、選挙権が欲しい、と心から。

2012年7月4日水曜日

7月4日

昨日は午後遅くから、
フォトジャーナリストの樋口健二さんとブックレットの打ち合わせを。
原発で働いてきたひととじっくりつきあい、深い信頼関係の中から写された写真たち。
カメラに向かって、微笑んだり、ちょっと照れていたりするかたがたが、
「ひとをひととも思わない」現場で、そして現場を離れてからも、
どれほどの苦しみと無念さを募らせてきたか。
写真の中の彼らの中には、
すでに筆舌に尽くしがたい苦しみの中で亡くなられたかたがたもおられる。
危険性についてはほとんど何も知らされず、
原発という職場に出かけていった彼ら。
いまもなお、この流れは続いているはずだ。
「直球しか投げられない」と笑う樋口さんの姿勢と思想に頭が下がる。
苦しみ抜いて亡くなったかた。遺されたご遺族も、「本を待っています」。
頑張られねば。

ところで、8日が投票の鹿児島県知事選。
川内原発がある鹿児島での知事選である。
再稼働容認の現職と、
廃炉を求める反原発団体事務局長の向原(むこはら)祥隆さんの一騎打ちだ。
28日の東京新聞に掲っている、向原さんの笑顔のなんと素敵なことだろう。
顔がすべてではないが、顔がそのひとの生き方を確かにうつしだす場合はある。
市民団体が支持層の向原さんの応援は特に
小さな子どもがいるご家族が中心だとか。
東京新聞の記事によると、なんと告知後、
九州電力から「計画停電時の注意事項」というハガキが各家庭に届いたという。
受け取ったひとは「え? 計画停電するの?」と驚いたそうだが、
あくまでもお報せだったとか。
いまはまだどちらに投票するか決めていないという記事の中の男性でも、
この計画停電の報せには、原発を再稼働しないと電力不足がおきるという「脅しとしか受け取れない。
やり方があまりに露骨だ」と憤慨している、そうだ。
桜島の噴火回数はこのところずっと増えている。
去年より今年は3割強だと言われる。
地底で何かが起きている証拠でもあるだろう。
九州に脱原発の知事が誕生したら、社会は大きく変わる。
以下、『まだ、まにあうのなら』の著者、甘蔗珠恵子さんからの拡散希望のメールです。

……九州の脱原発を願っているグループみんなの力を結集してせっかく立候補してくれた向原さんを当選させましょうよ。
東京官邸前を包囲した20万人の人々希望はあります。山口県からは飯田哲也さんが立候補されています。
この二人が当選されたら一気に弾みがつきます。
草の根市民の力を発揮させたいです。
応援にはグリーンのスカーフ、タオル、Tシャツ、リボン、帽子、手袋、メガネ、なんでもいいです。
各々身に着けていって下さい。
投票は7月8日(日)です。時間がありません……

2012年7月1日日曜日

7月1日

大飯原発3・4号機が再稼働。
原発の真下に活断層がある可能性が高い
という専門家からの声があるにもかかわらず! 

また脆弱化した福島第一原発。
今後、地震が起きたら、どうするつもりか。
出たばかりの「週刊現代」(7・14号)の特集。
1号機建屋内の地下1階にたまった汚染水の照射線量は、
毎時10以上シーベルト(ミリシーベルトではない!)という数値であり、
それは人間が浴びると即死するレベルであることを全国紙の記者が証言している。
原発事故から1年と3か月。
この破滅的な数値をどう読めばいいのか。
さらに4号機貯蔵プールの使用済み核燃料。
地震で冷却水が回らなくなったら、という疑問も呈している。
大飯再稼働に続いて、伊方か?
苛酷事故は収束していないのだ。

夕方から池袋で集会。