2014年1月29日水曜日

1月29日

米国のフォークシンガーであり、
環境問題や平和の活動家でもあった
ピート・シガーさんが亡くなった。

『花はどこに行った』は反戦歌だ。

野に咲く花はどこに行く?
野に咲く花は娘たちが摘んでいく。
野に咲く花を摘んだ娘たちは、どこに?
娘たちは、愛する青年のもとに。
青年たちは、どこに行く?
青年たちは、娘たちを遺して戦場に行く。
戦場に行った青年たちは、どこに行く?
戦場に行った青年たちは、GRAVEYARD、お墓に行った。
そうして、青年たちが入ったお墓に花が咲き、
お墓に咲いた花はどこに行く?
YOUNG GIRLS HAVE PICKED THEM EVERYONE

と、繰り返されて、戦争の悲惨さを歌った歌だ。

去年11月まで日々、東京新聞「この道」に連載していた原稿の最後に、
わたしは、彼がうたい広めた『天使のハンマー』について書いた。
ちょうど、彼のおつれあいが亡くなった時(彼女は日系人)で、
彼女もまた平和や環境についての活動をされていたかたである。
もしハンマーがあったら、それを振り回して、
世界中に平和を作りあげる……という歌だった。
今年米国に行く機会があったら、是非ニューヨーク市の彼を訪ね、
お話をうかがいたいと望んでいたのだが。

同じ今日の新聞に、中学と高校の学習指導要領解説書を
改訂する記事が掲載されていた。
国が大きく旋回するとき、まずは教育に手がつけられることは、
すでに歴史が何度となく証明している。

貸して失くしたか、しまい失くしたかはわからないが、
30年近く前に読んだ本に『母の大罪』というノンフィクションがあった。
ひとりで息子を育てていた母は、息子の「立身出世」を望んでいた。
それが自分の喜びであり、充実であり、夢でもあった。

そして第二次世界戦争。
息子は母の希望を自分のそれにして、兵隊になった。
戦場での「立身出世」の道が続く。
1945年8月。戦争が終わり、息子は巣鴨プリズンで戦犯として処刑される。
それを、彼の母は、『母の大罪』と呼んだのだ。

同じ時代が再び来ないように、と願いながら、そこまで来ている、と。
わたしも天使のハンマーが欲しい。

2014年1月22日水曜日

1月22日

昨日今日は、陽だまりにいると、温かさを感じる東京だった。

先回のブログで、
99歳を迎えるむのたけじさんにお目にかかったことを書いた。
敗戦の一日前のこと。
大本営発表の記事を流し続けた新聞社のありかた、
組織のありよう、ジャーナリズムの姿勢に抗議し、退職されたむのさん。
その後、発行し続けた『たいまつ』は、多くの志あるジャーナリストの、
何よりも読者の心の支えであり、水先案内人でもあった。
辞表をだして帰宅した彼に、
「あなたは、そうすると思ったわ」と軽やかに受け止めたのは、おつれあい。
お目にかかったのは記者会見の席上だったが、
そのあと、個人的に取材させていただいた席で、
おつれあいに『感謝していますよ』とおっしゃっていた。

むのさんに、「朝の教室」においでいただきたいと思っていたが、
寒い時期は無理と諦めていたし、お願いしづらい気持ちもあった。
なんと2月15日(土)の「朝の教室」においでいただけるとのこと。
ラッキー!
ジャーナリズムのあるべき姿、読者、受け手であるわたしたちの
ジャーナリズムへのアプローチの仕方も含めて、いろいろと伺いたい。
当日は混雑する予想なので、お申し込みはお早めに!

沖縄名護の市長選で、反基地の稲嶺進さんが再選。
そして福島県南相馬の市長選でも、反原発の桜井勝延さんが再選と、
元気になれるニュースが。

通常国会が始まる。集団的自衛権が、そして……。
そんな時期に、
タイムリーにむのたけじさんをお迎えできることを
大事に考えたい。

2014年1月17日金曜日

1月17日

昨日は比較的温かな一日だった。
陽射しの中をゆっくりと歩けるだけで、
なんだかめっけもん! 気分。
どこかのお宅の陽だまりに、日本水仙が芽と葉をだしていました。
ようやく酷い風邪も抜けて、タフな落合回復!

14日はマスコミ9条の会の先輩たちと、
安倍政権への異議申し立ての記者会見を、日本記者クラブで。
通常、どこに参加しても年上組なのだが、今回は先輩ばかり。

いちばんの先輩は、99歳のむのたけじさん。
敗戦直後(というか、8月14日)に、
戦中、大本営発表を流し続けたジャーナリズムとは何かという自らへの問いかけと、
組織への疑問をばねに、勤務した新聞社を退社。
以来、秋田で「たいまつ」を出し続けた、わたしにとっても「伝説の偉人」。

そのむのさんと同席することができて、感激。
記者会見後、共同通信の原稿の取材で、
今度は取材する側に回って、むのさんとお話を。
ご体調をみて、「朝の教室」でもお話しをいただけたら、
とひそかに計画をしている。

今週から「週刊朝日」の連載がはじまった。
タイトルは、「老いるのはいやですか?」。
加齢の周辺にあることを軸に、
そこに社会への異議申し立てをいかに盛り込むかが、
わたし個人のテーマとなるはず。

朝の教室。今週土曜日、18日はノンフィクション作家の青木 理さんが講師に。
青木さんが書かれるもの、ぶれない視点と姿勢が大好きで、
熱心な愛読者のひとりであると自負しているが、
今回は、原発と特定秘密保護法とのかかわりについてのお話をうかがう予定。

今日はこれから幾つかの取材を受けて(ダウンしたために
延ばしていただいていた)、夜は仕事を離れての(でもないか?)、会食。

沖縄名護市の市長選、そして都知事選と大事な首長選挙を
わたしたちは迎えた。

2014年1月11日土曜日

1月11日




久しぶりのブログである。

年末からその兆候はあったのだが、年始の休みにダウンしてしまった。
きっかけは風邪だった。

知恵熱、知恵熱とうそぶいていたが、高熱が続いた。珍しく食欲もダウン。せっかくのお節も味はしなかった、と書きたいところだが、ちゃんと味わった。

熱はいまは落ち着いたが、知恵は枯渇したまま。どうする?

そのうえ、酷い咳も続いた。ぜいぜいという自分の胸の音が気味悪かった。

振り返ってみれば、子どもの頃、気管支が弱かった。

ここ数十年、タフな落合と言われ続け、自分でもそう思ってきたが、小学生低学年の頃は、よく熱を出して学校を休んでいた。

ぜいぜい、である。すると母は蒸し器で何枚もタオルを温めて、温湿布をしてくれた。息が楽になるのだ。

「ゆっくり眠りなさい、今度目を覚ましたとき、もっと楽になっているからね」

額に手を当てて優しく言った遠い昔の母の言葉を思い出しながら、寝正月を決め込んだ。

その間、ずいぶん本が読めた。熱が下がり始めると、読書の速度は
早まって、「よーし」、ベッドサイドに積んであるいま読みたい本を次々に読破。

その中の一冊に、スーザン・ソンタグの『こころは体につられて 上』もあった。ソンタグの本はたぶんすべて目を通しているはずだが、「日記とノート1964-1980」というサブタイトルがついている。河出書房新社刊。

わたしが現在のもっともすぐれた翻訳者のひとりでもあると信じている木幡和枝さん
が訳されている。ソンタグの『私は生まれなおしている』も『夢の賜物』も木幡さんの訳である。ニッキ・ジョヴァンニの詩集も彼女は訳している……。

先ごろ大ヒットした映画ドイツ映画『ハンナ・アーレント』に、米国での彼女の理解者であり女友だちとして登場する「メアリー」、メアリー・マッカシーについても、
ソンタグは『こころは体につられて 上』で触れている。

「あっちのひと」と「こっちのひと」が、映画と本の中でひとつになるたのしみもまた、
この年始に久しぶりに味わえた映画『ハンナ・アーレント』を観たあと、ハンナに寄り添う米国の女友だち、「メアリー」とファーストネームでしか登場しないその女性が、わが青春の愛読書の一冊、
『グループ』の著者、メアリー・マッカシーと同一人物であったことを知ったときの喜び。そして、ソンタグの本の中で、メアリー・マッカシーと再会する喜び。知恵熱からの贈りもの、である。

ハンナ・アーレントの本は学生時代に読みだしたが、最後までじゅうぶんに読破できたものがないので、その中にメアリー・マッカシーが登場したかどうかも知らない。
ちゃんと読み直そう。

それにしても、メアリー・マッカシーにしても、むろんソンタグにしても、

もちろんハンナ・アーレントにしても、ある意味「闘う女」である。

映画『ハンナ・アーレント』の監督、フォン・トロッタさんもまた。

トロッタさんは初作品である『カテリーナ・ブルームの失われた名誉』の時からファンだ。

というように、わたしはやっぱり「闘うひと」が好きだなあ。闘いかたは
さまざまではあるのだけれど。

2014年、わたしもささやかながら闘うひと、のひとりでありたい、と遅ればせながら、
年頭のご挨拶を。