2014年2月26日水曜日

2月26日

久しぶりのブログだ。
なんだか知らないが、気持ちが晴れないまま
ブログもさぼっていた。
先週はバタバタだった。
長崎で一泊。帰京して都内の大学で公開対談。
それから新潟長岡に、と旅が続いたが、おかげで
スーザン・ソンタグやハイルブランの懐かしい
本を改めて読み返すことができた。
ゆったりと本を読む、独りの時間ほど、
美味なるものはない。
かさかさになった、「心のかかと」が
すべすべになったような。

美味と言えば、外食が続いた反動で
東京に戻ってからしっかりと料理をした。
いろいろ作ったが、
最も美味だったのはフキノトウの油味噌炒め。
ほろ苦さのある春の味。
時々は面倒だな、と思うこともあるけれど、
こういった時間を消してしまうと、
わたしの場合、「心のかかと」はより荒れる。

今日の空模様は、久しぶりに快晴。
大雪で孤立を余儀なくされていた方々には申し訳ないほどの、
温かな一日だった。

25日午前中、福島第一原発の4号機の使用済み核燃料を保管する
プールの冷却システムが停止した。
4号機ではご存知のように燃料棒の抜き取りが行われている。
復旧再開はしたというが、
冷却が停止したままであったなら、どうなったのか。
こんな危険極まりない「いのちの綱渡り」を、
政府はいつまで続けるのか。
いま、この時も現場で作業する人々がいる。
住民もいる。そしてわたしたちの暮らしがある。
これでも、再稼働か!
間もなく、あの日から丸3年。
先週は福島で暮らす、告訴団の人々や、
埼玉県加須市に避難したご高齢のかたを取材させていただいた。
「時がたつほど苦しさと喪失の痛みは深くなるだけ……」。
福島の双葉町で、母親の代からおよそ100年近く
理容店を営んでおられた76歳の男性は、
「わたしらはいい、けれど孫たちの人生だけは……」と涙ぐまれていた。
3・11を「記念日」にしてはいけない。
わたしたちの反原発、脱原発の「闘い」はまだ始まったばかりだ。

都内や横浜の図書館で、
『アンネの日記』が破られているという。
発見されていないだけで、まだ他にもあるかもしれない。
ニューヨークタイムズだったかは、
「日本には反ユダヤ主義はないはずなのに」
と報道したらしいが、不気味過ぎる事件だ。
気持ちがなんとも落ち着かない。

2014年2月12日水曜日

2月12日

……賢さを伴わない勇気は乱暴であり、
勇気を伴わない賢さなどくそにもなりません。
世界の歴史には、愚かな連中が勇気を持ち、
賢い人たちが臆病だったような時代がいくらでもあります。
(エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』より)

土曜日に降った雪で作った雪だるまが体型を崩しつつ、
陽当たりがよくない角にいまも立っている。
午前中に終わるはずだった、
連載等を加筆しているうちに気がつけば、お昼。
ピタパンとハムエッグ。スライストマトと酢漬けのカリフラワー、
ニンジンジュースでブランチを終えた。

ニンジンジュースは ニンジン3本ぐらい、リンゴ4分の1、レモン少々
キャベツ2、3枚、今日はパセリも入れて、ジューサーにかけた。
このジュースを毎朝(急ぎの朝は省略)愛飲している。
免疫力をあげる効果があると聞いた。
確かにちょっと疲れたな、体調がいまいち、という時に
このジュースを続けると、身体がとても気持ちいい。
キャベツのほかに、コマツ菜や豆苗などなんでも入れてしまうし、
キウイフルーツを入れることもある。

子どもの本の専門店であるクレヨンハウスにとっては馴染み深い存在だが、
エーリッヒ・ケストナーの言葉をこのところ噛みしめている。
「……賢さを伴わない勇気は乱暴であり、
勇気を伴わない賢さなどくそにもなりません。
賢い人たちが臆病だったような時代がいくらでもあります。」

わたしも、勇気をともなった賢さが欲しい。

2014年2月5日水曜日

2月5日

きょうは午後から新幹線の短い旅を。
介護をテーマにした講演会。
ここ数年、講演会に参加する男性が少しずつだが増えているような。
年代は六十代以上が多い。また、女性を介護の含み資産にしていた時代は確実に終わりに近づき、男性もまた、親や、場合によっては配偶者を介護する日々と向かい会う時代を迎えたに違いない。

いつも思うのだが、すべてのそれぞれの子どもが、
生まれてよかったと思える時代と社会はそのまま、
子どもからもっとも遠い年代にある高齢者が長生きしてよかった、と思える社会と時代だ。
介護を見つめることは同時に、高齢者の日々を見つめることと
どこかで重なるものかもしれない。

母を介護した個人的な体験のあれこれから、
可能な限り普遍化できそうなエピソードをまじえて話を進めているうちに、胸がいっぱいになった。
母のことを思ったからではない。お目にかかったことはない、
福島のご高齢の女性を思ったからだ。
福島第一原発の事故で、自分の家を離れざるを得なかった90代の女性。
いつもわたしの心の奥底にいるひとだ。
一日だけ家に帰ることが許可されたその日、「わが家」の庭で、自死された。
……年寄りは足手まといになるだけです。わたしはお墓に避難します……というような遺書を遺されて。
お元気で、自分のことはすべて自分でしていたかただったという。
遺された息子さんや娘さんたちも、どれほど無念なことだろう。
介護するハードさもむろんある……戦争に役立つものにお金などかけずに、福祉にこそ税金は使うべきものだと思うが……が、介護する心の準備はありながら、介護できずに見送ることの底知れない寂しさを、わたしは想像するしかない。

汚染水をはじめ、事故収束には程遠い現実。
昨日とは打ってかわった、風の冷たい一日。
昨日舞った雪は東京ではすでに消えていたが、新幹線の車窓から見える田畑はうっすらと雪をかぶったままだった。