1966年に起きた「袴田事件」の袴田巌さん(78)が昨日、
東京拘置所を釈放された。
静岡地裁が袴田さんの再審開始と刑の執行・拘置の停止を決定したからだ。
1966年の逮捕から、なんと48年! ぶりである。
自分の年齢から48年を引いてみよう。わたしの場合は、21歳で逮捕され、
今日の今日まであらゆるものを奪われ続け、刑の執行に脅え続けるのだ。
48年。その間、袴田さんは死刑囚として、
わたしたちの想像を超えた恐怖と向かい合ってきたのだ。
有罪の決め手とされた「衣類五点の血痕」をはじめとして、
重要な証拠は、警察によるねつ造である可能性が極めて高いことが、これで証明された。
裁判長による、これ以上拘置を長引かせるのは「耐え難いほど正義に反する」という、
珍しく感情をストレートにだした言葉を、警察、検察はどのように受けとるのだろう。
1980年、最高裁で死刑が確定した以降は、
報道によると「死刑執行の恐怖」からか、認知症も進んでしまったという。
再審開始を一日千秋の思いで待ち続ける「死刑囚」はほかにもいる。
そのことを、わたしたちは心に刻みたい。
むろん普段は目を逸らしがちな死刑制度そのものについても。
昨年12月6日に成立した特定秘密保護法がさらに権力によって「活用」されると、
どんな時代と社会になるか。それらもまた、決して別のテーマではない。
年度末のクレヨンハウス「朝の教室」。
明日土曜日の講師は、政治学者の中島岳志さん。
1975年生まれの、この若い学者である論客が、
「反原発運動」と、それに反対する流れをどう位置付け、
どのように突破する道を考えておられるか。再稼働を推進への道に、
わたしたちはどのようにくさびを打ち込むことができるのか。
ご一緒に考えよう。
「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2014年3月28日金曜日
2014年3月26日水曜日
3月26日
東日本大震災、そして福島第一原発過酷事故から
4度目の春である。
3月15日の東京で開かれた「さようなら原発1000万人アクション」は
大勢のかたが集まってくださった。
わたしは以前からお約束していた青森での講演があって、参加できなかった。
が、集会中も、デモ中も、親しいひとたちと携帯で連絡をとりあっていた。
青森の会場には、27年近く前、当時女性たちで制作していたラジオ番組
「ちょっと待ってMONDAY」(文化放送)に何度も電話で出演してくださった
六ヶ所村の「核燃まいね(核燃はいやだよ)」のメンバーが訪ねてくださった。
当時、わたしが彼女に出した葉書のコピーも持ってきてくれた。
幼かった彼女のお子さんも、すでに30歳!
ずっと彼女や彼女の仲間たちは、暮らす場で、反対の声をあげ続けている。
並大抵の異議申し立てではないはずだ。
毎年、デモも続けているし、時には参加者3人などというデモもあったという。
福島第一原発の事故以来、参加する人々や、参加できなくとも立ちどまり、
関心を示すかたがたが増えているという。
「やっぱり続けるしかないのですね、こんな時代になってしまったのだから」
懐かしい響きのある言葉で、彼女は言った。
やさしく穏やかな空気のようなものを身にまとった、
あるいは自分の内側から醸しだしている素敵な彼女である。
「反原発おばさんで一生を終えるのはやだなあ」
当時、彼女がふっともらした言葉が甦る。
当たり前の生活者として、たたかいも喜びも充実も、
一輪の花に心震わせる瞬間も大事にしたい、という思いを秘めた呟きであるだろう。
彼女は、50歳から津軽三味線もはじめたそうだ。
今週の土曜日、3月29日(土)のクレヨンハウス朝の教室。
講師は、政治学者の中島岳志さん。
以前からご著書は拝読していたが、
『報道ステーション』での特定秘密保護法(当時は法案)に対するコメントを聴いて、
どうしても講演をお願いしたかったひとだ。
45回目となる朝の教室、中島さんの講演タイトルは、『反・反原発の壁』。
わたしたちの外側に、時には内側にある「反原発の壁」と
「反・原発の壁」をしっかり見極めよう。
新しい世代に、わかりやすい言葉で、
けれど決して媚びずに社会を政治を運動を語るひとが誕生したことを、心から歓迎したい。
ご著書『「リベラル保守」宣言』、とても刺激!
中島岳志さん。
大阪府生まれ。北海道大学公共政策大学院准教授。
南アジア地域の研究とともに戦後日本の政治思想史を専門とし、
保守と革新の対立構造やナショナリズムについて論じている。
『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、
『「リベラル保守」宣言』(新潮社)など著書多数。
4度目の春である。
3月15日の東京で開かれた「さようなら原発1000万人アクション」は
大勢のかたが集まってくださった。
わたしは以前からお約束していた青森での講演があって、参加できなかった。
が、集会中も、デモ中も、親しいひとたちと携帯で連絡をとりあっていた。
青森の会場には、27年近く前、当時女性たちで制作していたラジオ番組
「ちょっと待ってMONDAY」(文化放送)に何度も電話で出演してくださった
六ヶ所村の「核燃まいね(核燃はいやだよ)」のメンバーが訪ねてくださった。
当時、わたしが彼女に出した葉書のコピーも持ってきてくれた。
幼かった彼女のお子さんも、すでに30歳!
ずっと彼女や彼女の仲間たちは、暮らす場で、反対の声をあげ続けている。
並大抵の異議申し立てではないはずだ。
毎年、デモも続けているし、時には参加者3人などというデモもあったという。
福島第一原発の事故以来、参加する人々や、参加できなくとも立ちどまり、
関心を示すかたがたが増えているという。
「やっぱり続けるしかないのですね、こんな時代になってしまったのだから」
懐かしい響きのある言葉で、彼女は言った。
やさしく穏やかな空気のようなものを身にまとった、
あるいは自分の内側から醸しだしている素敵な彼女である。
「反原発おばさんで一生を終えるのはやだなあ」
当時、彼女がふっともらした言葉が甦る。
当たり前の生活者として、たたかいも喜びも充実も、
一輪の花に心震わせる瞬間も大事にしたい、という思いを秘めた呟きであるだろう。
彼女は、50歳から津軽三味線もはじめたそうだ。
今週の土曜日、3月29日(土)のクレヨンハウス朝の教室。
講師は、政治学者の中島岳志さん。
以前からご著書は拝読していたが、
『報道ステーション』での特定秘密保護法(当時は法案)に対するコメントを聴いて、
どうしても講演をお願いしたかったひとだ。
45回目となる朝の教室、中島さんの講演タイトルは、『反・反原発の壁』。
わたしたちの外側に、時には内側にある「反原発の壁」と
「反・原発の壁」をしっかり見極めよう。
新しい世代に、わかりやすい言葉で、
けれど決して媚びずに社会を政治を運動を語るひとが誕生したことを、心から歓迎したい。
ご著書『「リベラル保守」宣言』、とても刺激!
中島岳志さん。
大阪府生まれ。北海道大学公共政策大学院准教授。
南アジア地域の研究とともに戦後日本の政治思想史を専門とし、
保守と革新の対立構造やナショナリズムについて論じている。
『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、
『「リベラル保守」宣言』(新潮社)など著書多数。
2014年3月22日土曜日
3月22日
20日夜。あの風雨(寒かったね)の中、日比谷公園野外音楽堂、
「戦争をさせない1000人員会」の出発式に集まってくださったかたがた。
風邪、ひかれなかったでしょうか。体調を崩されていないでしょうか。
大江健三郎さん、小山内美江子さん、鎌田慧さん、佐高信さんなどのスピーチ、
それぞれが「わたしたちの現在、と、これから」に向けた熱いメッセージでした。
わたしは、戦後、わたしたちの親たちは
こんな時代と社会を目指して復興に汗水たらし、わたしたちを育ててくれたのか。
そして、わたしたち自身、
こんなにも危険な時代と社会を子どもや孫に手渡すために、生きてきたのか。
集団的自衛権はもとより、原発再稼働を平然と決めた政権に対しての反対の意を述べました。
新聞で報道されたのは、その中の、「『戦争をしたい政権』を、
わたしたち『戦争をさせない』市民が、UNDER CONTROLLする」と。
19日訪れた福島で無償の甲状腺検査をしている研究所の話もまた。
僅か5分余のスピーチに、すっごくドキドキ。ドキドキは憤りのドキドキでもあります。
昨日、金曜日は山口県下関へ。政権トップのお膝元。
ご高齢のかた(わたしも高齢者だが、時々、その事実を忘れている)に、
「わたしたちも反対の活動を続けます」。固い握手を。
『遺言……原発さえなければ』の共同監督、豊田直巳さんから以下の転送歓迎のメールが。
作品、心に響きます。
この映画にご出演もされている酪農家の長谷川健一さんを、
4月27日(日)の「朝の教室」、講師にお迎えします。
----
満員御礼!そして明日から緊急追加上映!【転送歓迎】
フォトジャーナリストの豊田直巳です。
映画『遺言~原発さえなければ』のポレポレ東中野での劇場初公開(3月8日~14日)は連日満員、札止め状況の内に終了しました。
まずは、ご支援をいただいた方々にお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
しかし一方で、110名の劇場席で、立ち見をして頂き120名まで入っていただき、なおかつ急遽設置した第二会場の60席も連日の満席で、
毎日数十名から100名に達する方々にご覧頂くことが出来ずお帰りいただくという、大変に申し訳のない事態にもなりました。
その状況で3月15日に緊急に設置した中野ZEROホールでの上映会にも早朝8時からお並びいただき沢山の方々にご覧いただいきました。
しかし、まだ映画『遺言~原発さえなければ』をご覧になりたいというお声が絶えません。
また、ポレポレ東中野で鑑賞いただくためにご購入いただいた前売りチケットをお持ちになりながら、
満席で映画をご覧いただけなかったという方がいらっしゃるということで、緊急に下記のように
ポレポレ東中野での追加上映(3月22日~28日)をすることになりました。
すでのお求め頂いた方は、前売りチケットをご使用になれます。もちろん当日券をご購入いただくこともできます。座席の具合は劇場にお問合せください。
http://yuigon-fukushima.com/
また、映画と同時に刊行しました『福島を生きる人々』(岩波書店)の方も好評で喜んでおります。こちらもお手にとってご覧いただければと存じます。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/2708930/top.html
また、映画が全国に広がっているだけに、資金面でのご支援も改めてお願いします。
https://motion-gallery.net/projects/yuigon_fukushima
まだまだ、これからと気を引き締めていく所存ですので、今後とも引き続き、ご支援とご協力をお願い申します。お礼のつもりがお願いになったことを、すいません。
豊田の共同監督 映画『遺言~原発さえなければ』 http://yuigon-fukushima.com/
同映画の応援サイト https://motion-gallery.net/projects/yuigon_fukushima
豊田直巳公式HP『境界線の記憶』http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/
豊田直巳戦火の子どもたち写真展を広げる会
http://senka-kodomotachi.cocolog-nifty.com/blog/1/index.html
2014年3月12日水曜日
3月12日
あの日から丸1日たった今日。
午前中から15時まで外での少々煩雑な仕事を終えて、クレヨンハウスへ。「終活」についての取材。「就活」とか「婚活」に続いて、「終活」か。
わたしは毎年1月1日に、リヴィングウィル、遺言書を書いている。
書くことで自分がいまここにあることを確かめ、深めたいと思ってのことだし、自分の生を「生き切る」(というほど大げさなものではないが)ために。
取材には、そんな話をした。
先日亡くなった米国のシンガーソングライター、ピート・シーガーについては新聞に書いたばかりだが、たまたま読んでいた本で、ピートやPPM(ピーター、ポール&マリー)などが世に広めた『勝利を我らに、WE SHALL OVERCOME』は、彼らがヒットさせた60年代より前にアフリカ系アメリカ人の教会などで歌われていた歌、『I WILL BE ALLRIGHT』というオリジナルがあったことを知った。『勝利を我らに』のメロディで口ずさんでみると、確かにすっぽりと収まる。
♪……わたしたちは 克服できる
わたしたちは きっと克服できる いつの日にか
「克服」を「打ち勝つ」や「勝利を収める」と言い換えてもむろんいい。
そうして、わたしたちは「I AM BE ALLRIGHT」になれるのだ。その実現がいつであるかはわからない。わたしが生きている間は、その歌を歌うことはできないかもしれないが。
だから、諦めてしまうのか? NO!
だから、この状況に「順応」するのか? NO!!!!!!!!!!!!!!
まったくもって深呼吸をしにくい時代へと向かっている。
特定秘密保護法が、強行採決によって「法案」から法になったのが、去年の12月6日。そしていまは集団的自衛権の容認が大きなテーマになっている。
福島第一原発の過酷事故が、何ひとつ収束しないまま再稼働を云々する流れも、戦争ができる国への一歩である集団的自衛権の容認も、すべては市民の「いのち」と、そのいのちを「生き切る」ことへの侵害である。
DVを、子どもや高齢者への虐待を許することができないなら、国をあげての、これらの侵害を当然許容することはできないはずだ。
だから、わたしたちはOVERCOMEを目指したい。
そう、絶望はいつだってできる。だったら、わたしは絶望しない。
むのたけじさんはそれを次のようにおっしゃっている。
「絶望の真ん中に希望はある」と。
午前中から15時まで外での少々煩雑な仕事を終えて、クレヨンハウスへ。「終活」についての取材。「就活」とか「婚活」に続いて、「終活」か。
わたしは毎年1月1日に、リヴィングウィル、遺言書を書いている。
書くことで自分がいまここにあることを確かめ、深めたいと思ってのことだし、自分の生を「生き切る」(というほど大げさなものではないが)ために。
取材には、そんな話をした。
先日亡くなった米国のシンガーソングライター、ピート・シーガーについては新聞に書いたばかりだが、たまたま読んでいた本で、ピートやPPM(ピーター、ポール&マリー)などが世に広めた『勝利を我らに、WE SHALL OVERCOME』は、彼らがヒットさせた60年代より前にアフリカ系アメリカ人の教会などで歌われていた歌、『I WILL BE ALLRIGHT』というオリジナルがあったことを知った。『勝利を我らに』のメロディで口ずさんでみると、確かにすっぽりと収まる。
♪……わたしたちは 克服できる
わたしたちは きっと克服できる いつの日にか
「克服」を「打ち勝つ」や「勝利を収める」と言い換えてもむろんいい。
そうして、わたしたちは「I AM BE ALLRIGHT」になれるのだ。その実現がいつであるかはわからない。わたしが生きている間は、その歌を歌うことはできないかもしれないが。
だから、諦めてしまうのか? NO!
だから、この状況に「順応」するのか? NO!!!!!!!!!!!!!!
まったくもって深呼吸をしにくい時代へと向かっている。
特定秘密保護法が、強行採決によって「法案」から法になったのが、去年の12月6日。そしていまは集団的自衛権の容認が大きなテーマになっている。
福島第一原発の過酷事故が、何ひとつ収束しないまま再稼働を云々する流れも、戦争ができる国への一歩である集団的自衛権の容認も、すべては市民の「いのち」と、そのいのちを「生き切る」ことへの侵害である。
DVを、子どもや高齢者への虐待を許することができないなら、国をあげての、これらの侵害を当然許容することはできないはずだ。
だから、わたしたちはOVERCOMEを目指したい。
そう、絶望はいつだってできる。だったら、わたしは絶望しない。
むのたけじさんはそれを次のようにおっしゃっている。
「絶望の真ん中に希望はある」と。
2014年3月10日月曜日
3月10日
3月11日。あの日から丸3年がたとうとしている。
東日本大震災という自然災害と、福島第一原発事故という紛れもない「人災」。
「あの日」と「あの日からの3年」。
わたしたちは何を自分に引き寄せ、自分で引き受けてきたのだろう。
体験が深い意味を持つのは、自己と他者、社会と個人との間に、そうした「行き来」を意識的に、また無意識下でも頻繁に行った時である。
国策として原発を推進してきたこの国は、現政府は、何一つ自らに引き寄せることはなく、再稼働の旗を振る。海外にまで輸出しようとしている。
どの国にも、どの社会にも福島と同じように多くの、それぞれの子どもが
「いま」を生きているにもかかわらず。
南米チリ初のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ミストラルは言った。
子どもの血肉は「いま」作られているのだ、と。
子どもに、いつまで待て、というのだ。子どもに、いつになったら「安全」だと言うのだ。
3月11日を「記念日」にしてはならない。「式典」や「イベントがある日」にしてはならない。
「年寄りは足手まといになるだけです。私はお墓に避難します」
と記して、自らをこの社会から消すしかなかった、あの90代の女性の
無念さを、わたしはわたしに引き寄せる。
「原発の事故で死んだ人はいない」と述べた政治家の、
あまりにも鈍感な感受性を、わたしは憤り、そして恥じる。
「関連死」が3年たった現在も増え続けていることを知らないのか。あるいは目を逸らしているだけなのか。
終わりのない、この放射能との「戦さ」を、わたしたちは次世代、そのまた
次の世代に押しつけて、死んでいくのか。
被曝した汚染水の漏洩は止められないエライひとたちが、情報だけは漏洩させまいと強引に作った特定秘密保護法。そして、「戦争ができる国」へとこの国はひた走る。
何も自らに引き寄せず、何も自らで引き受けず、空疎な進軍喇叭を、けれど高らかに鳴らす人びと。
わたしたちも「当事者」ではなかったのか。福島第一原発で作られる電気をさんざん消費してきた当事者では。
わたしたちは忘れることを選んだのか。「気の毒なあのひとたち」と距離をとって。
わたしたちは何一つ責任を取ることも責任を問うこともやめたのか。
諦念と溜息と曖昧な微笑の下で。
子どもたちに、どうして言える。いのちを大切にしなさい、と。
子どもたちに、どうして言える。努力で未来は拓かれる、と。
わたしたちはまた、騙されることを選ぶのか。新・安全神話に。
やすやすと自分を明け渡し、今夜の食卓にのったフキノトウに舌鼓を打つのか。
権力に揉み手をして、媚びるのか。
本の中でしか知らない、田中正造を思う、賢治を考える。
東日本大震災という自然災害と、福島第一原発事故という紛れもない「人災」。
「あの日」と「あの日からの3年」。
わたしたちは何を自分に引き寄せ、自分で引き受けてきたのだろう。
体験が深い意味を持つのは、自己と他者、社会と個人との間に、そうした「行き来」を意識的に、また無意識下でも頻繁に行った時である。
国策として原発を推進してきたこの国は、現政府は、何一つ自らに引き寄せることはなく、再稼働の旗を振る。海外にまで輸出しようとしている。
どの国にも、どの社会にも福島と同じように多くの、それぞれの子どもが
「いま」を生きているにもかかわらず。
南米チリ初のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ミストラルは言った。
子どもの血肉は「いま」作られているのだ、と。
子どもに、いつまで待て、というのだ。子どもに、いつになったら「安全」だと言うのだ。
3月11日を「記念日」にしてはならない。「式典」や「イベントがある日」にしてはならない。
「年寄りは足手まといになるだけです。私はお墓に避難します」
と記して、自らをこの社会から消すしかなかった、あの90代の女性の
無念さを、わたしはわたしに引き寄せる。
「原発の事故で死んだ人はいない」と述べた政治家の、
あまりにも鈍感な感受性を、わたしは憤り、そして恥じる。
「関連死」が3年たった現在も増え続けていることを知らないのか。あるいは目を逸らしているだけなのか。
終わりのない、この放射能との「戦さ」を、わたしたちは次世代、そのまた
次の世代に押しつけて、死んでいくのか。
被曝した汚染水の漏洩は止められないエライひとたちが、情報だけは漏洩させまいと強引に作った特定秘密保護法。そして、「戦争ができる国」へとこの国はひた走る。
何も自らに引き寄せず、何も自らで引き受けず、空疎な進軍喇叭を、けれど高らかに鳴らす人びと。
わたしたちも「当事者」ではなかったのか。福島第一原発で作られる電気をさんざん消費してきた当事者では。
わたしたちは忘れることを選んだのか。「気の毒なあのひとたち」と距離をとって。
わたしたちは何一つ責任を取ることも責任を問うこともやめたのか。
諦念と溜息と曖昧な微笑の下で。
子どもたちに、どうして言える。いのちを大切にしなさい、と。
子どもたちに、どうして言える。努力で未来は拓かれる、と。
わたしたちはまた、騙されることを選ぶのか。新・安全神話に。
やすやすと自分を明け渡し、今夜の食卓にのったフキノトウに舌鼓を打つのか。
権力に揉み手をして、媚びるのか。
本の中でしか知らない、田中正造を思う、賢治を考える。
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