2014年4月26日土曜日

4月26日

東京、朝から快晴。
昔は完全なる夜型だったのに、
いまは夜明けと共に目が覚める。
加齢からの、素敵な贈り物だ。

朝に洗濯機を回し、青空を見上げながら、
洗濯ものを干し終える達成感!
朝から、なんか大きな仕事を終えた気分になってしまう。

今日のブランチはパスタ二種。
密かに「学生街のナポリタン」と呼んでいるやつと、
鷹の爪と自然塩、海苔を使った和風風味のパスタ。
それに、レタスとゆで卵のミモザサラダと、トマトサラダ。
ベーコンとホウレンソウのホットサラダ。
ニンジンジュースとコーヒー二杯。キュウイフルーツと苺。

朝からこんなに食べていいのか?
連休前の書きだめで、午前中いっぱいはエネルギーを大量消費するから、
ま、いいだろう。
午後は打ち合わせが二つ。
それから連休に向けて、初夏のハンギングバスケットを幾つか作る予定。
いまは春の花がそれは見事に咲いてくれているが、
そろそろビオラなどは終わり。
アブラムシ、発生のSOSに、
水で薄めたお酢をせっせと黄色系の花とワイヤープランツに。

明日日曜の「朝の教室」。
講師は、飯館村の酪農家・長谷川健一さん。

飯館には「までい」という言葉がある。
「心をこめて」とか「丁寧に」とか「物事を大切に」という意味だそうだ。
「世界で最も美しい村」と呼ばれた飯館を愛し、
人間関係も動植物とのつきあいも、
それは「までいに」実践してきた長谷川さんが、原発事故以降、
そして現在も尚、抗っているものとは。
「一緒に暮らしてきた家族はバラバラになり、牛も処分され、
家や土地からも追われた」飯館の多くの人々はいま、
何を軸として、今日を明日につないでいくのか。
地団太踏みたくなるような政府や県の対応に、
自然と共に生きてきた彼らがどのように対峙し、抗っていくのか。
お話をうかがい、
「これから」についてご一緒に考える時空を分かち合いたいと思います。

追伸 そろそろ定員です。ご予約はお早目に。

2014年4月24日木曜日

4月24日

もうすぐゴールデンウィーク。
メディアの話題もそちらに移行しがち。
でも、わたしたちは心に刻み、問い続けたい。
東日本大震災、そして福島第一原発の事故で
その人生を大きく変えられたひとたちの存在を。

朝の教室について、
「まだ続いているんですよね。ちょっとさぼっていました。
今月から出席します」
昨日、クレヨンハウスのアウトテリアで花の手入れをしていたら、
そうお声をかけてくださった女性がいた。
「母の介護がはじまってしまって、
3回、おやすみしてしまいました。
でも、母の寝顔を見ながらしみじみと思ったんです、昨夜。
もっと大変な介護をしていたひとたちも、福島には暮らしているんだって。
暮らしそのものを奪われたひとたちもいるんだって」

27日(日)の「朝の教室」(40回目を越えた!)の講師は、
福島飯館村の酪農家、長谷川健一さん。
長谷川さんの『原発に「ふるさと」を奪われて』(宝島社)を改めて読み直し始めている。
2012年に刊行された本書。帯にあるように、これはまさに「平成の棄民物語」である。
子どもや孫たちを「被曝」させた苦しみ。
家族と同じように共に暮らしてきた牛たちとの別離。
酪農仲間の、無念この上ない自死……。
長谷川さんの言葉のひとつひとつを、
あの日から4年目を迎えたいま、心に刻みたい。
今日は本書を手に、さ、出かける時間だ。
長谷川さんの「ふとさと」飯館村に、
この国のどこかが明日、ならないとは限らない。

2014年4月22日火曜日

4月22日

長谷川健一さんという酪農家をご存知でしょうか。
話題のドキュメンタリー映画『遺言 原発さえなければ』を通して
強い意志を、観るものの心に伝えてくれた酪農家であり、飯館村前田
地区区長さんです。
映像の最後では喉の手術を受けるシーンがあり、とても心配していましたが、
今週日曜日4月27日の「朝の教室」で講演をしてくださいます。
酪農家をはじめ、米や野菜をつくっていたひとたち。
最も美しい村は、2011年のあの春から、破壊と離散、喪失と憤りと
諦めが混在する日々の中に突入してしまいした。
映画のサブタイトル「原発さえなければ」は、その言葉を板壁に書き殴って
自死された、長谷川健一さんのお仲間の言葉です。

わたしたちは忘れてはならないはずです。
4年目に入った現在も、元の暮らしに戻ることができない人々が
福島には大勢おられることを。特に飯館で、新しい村づくりにその半生を
かけてこられた長谷川さんたちの苦悩はどれほどのものでしょうか。
あの日から、何が変わり、何が変わらないままなのか。わたしたちは
再稼働GO、原発GOの酷い政治の中で、さらに考えなければ
ならないはずです。
ご家族で酪農に従事してこられた長谷川健一さん。
仲間たちの兄貴として、酪農家をまとめてこられた長谷川さん。
住民のために奔走されてこられた長谷川さん。
ひとりの福島県民として、4年目に入ったいま、原発の過酷事故を
どう捉えるのか。そして、今後の日々をどう考えておられるのか。
ご一緒に考えましょう。


はせがわ・けんいち
福島県飯舘村に生まれ、酪農家として息子たちと牛を飼い、暮らしていたなか福島第一原発事故に遭う。住民のために奔走しながら、飯舘村で起きていることを記録し、各地で知らせる活動を続けている。著書に『写真集 飯舘村』(七つ森書館)など。福島県酪農協同組合理事。

2014年4月7日月曜日

4月7日

土曜日は名古屋での、
秘密保全法に反対する集会で話をさせていただいた。
特定秘密保護法は昨年の12月6日に、
あれだけの反対の声をねじ伏せるように決まってしまったが、
むろん反対の声をわたしたちは挙げ続けよう。
声を上げ続けることが、わたしたちの意思表示であり、
「表現の自由」であるのだから。
風が冷たい一日で、風の乗って散ってきた桜の花びらを
雪かと勘違いしたほどだった。

関西のラジオ番組で、戦前、戦時下の秘密保護法についての放送があり、
その内容を報せてくれた関西のリスナーからのメールを読んでいて
ああ、宮澤さんのことが語られていると改めて考えさせられた。
1941年に「スパイ」と見なされ、特高によって逮捕された北大生、宮澤弘幸さん。
語学が得意で、米国人の教師とも交流もあったことなどが問題とされ、彼は逮捕をされた。
そんなことで逮捕されるの? どうして? 
これが保護法の恐ろしいところだ。

裁判は非公開。
何が秘密にあたり、その秘密の何に彼が抵触したのかも明らかにされないまま、
宮澤さんは終戦後、1947年に27歳で死去された。
30年近く前に何度か、宮澤さんの妹さんである美江子さんや、
彼の弁護士であった上田誠吉さん(故人)も交えてインタビューをさせていただいた記憶がある。
当時、制作にもかかわっていた、「ちょっと待ってMONDAY」という日曜の夜の生番組だった。
宮澤さんと親交があった米国人の教師レーン夫婦も逮捕され、
人生を大きく転換させられた事件であった。
この経過については、朝日新聞、東京新聞等でも報道されているが、
わたしたちは今後再び、何が秘密なのか、
何が罪になるかもよくわからない法律と「共に暮らす」ことになる。