2014年5月27日火曜日

5月27日

5月31日の「朝の教室」の講師は、
朝日新聞特別報道部の木村英昭さんを講師にお迎えする。
朝日新聞記者として、2006年から4年間、福島県郡山支局勤務。
現在は特別報道部で「プロメテウスの罠」取材班のおひとりとして、活躍中。
2013年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞。

著書、共著に『検証 福島原発事故 官邸の100時間』、
福島原発事故東電テレビ会議49時間の記録』(ともに岩波書店)などがある。
どちらも力作であり、今後の指針にもなり得るものだ。
このところ、朝日新聞は「吉田調書」の中味の再発見など、ヒットを飛ばしている。
そんな話もお聞きすることができたら、と願っている。

ところで、先週21日ふたつの「司法は生きている!」
と感じさせてくれる判決があったことは、ご存知の通りだ。
ひとつは厚木基地の騒音訴訟。
もうひとつはこのブログでも書いたが、
大飯原発3,4号機運転差し止め訴訟である。
どちらも、稀に見る(と書かねばならないことが無念ではあるが)、
原告である住民の声を受け入れた判決であった。
画期的というよりは、まっとうな判決と言えばいいのか。
二つとも地裁による判決であった。
厚木基地騒音訴訟は、米軍機は例外とされてはいるが。
地裁のこういった、まっとうな判決が、
高裁や最高裁の判決で覆されることがないように
(そんな例も、これもまた無念なことに多々ある)、
わたしたちは今後もしっかり注視する必要があるはず。
裁判は上級審にいけばいくほど、
「国の意向」にそった判決がされやすいという「風評」もある。

司法にとってもメディアにとっても、大事な視点は市民感覚であるはずだ。
権力分離、三権分立が揺らぎ続けてきたこの国の司法の歴史と、
原発の安全神話にのってしまった多くのメディアの過去を考えれば、
これらの判決が一時的ガス抜きであっていいはずはない。
31日は木村さんに、そんなお話も聞くことができたらと思う。

2014年5月26日月曜日

5月26日

土曜日は東海第二原発の再稼働問題に揺れる東海村へ。
脱原発首長会議のまとめ役でもある、
もと村長の村上達也さんや
ドキュメンタリー作家・島田恵さんたちとフォーラム。

ここでも大飯原発3・4号機の再稼働差し止め判決が大きな話題に。
なによりも人間の人格権を主軸に据えた判決文には、
みんな感動していた。
が、今までの例を見ても。
福井地裁でのこの判決が上級審で覆されない保証はない。

日曜は岩国へ。基地の周囲を案内していただいて、
午後からシンポジウム。
祝い島から参加された女性たちもおられた。

と、いった按配で、月曜日の今日はちょっと疲れ気味。
朝一番に通信社の原稿を書いて、ほっ。
朝の教室、今週土曜日・31日の講師は朝日新聞社記者の木村英昭さん。

木村さんには以前ご紹介した『東電テレビ会議49時間の記録』の他に、
原発に関しては、『検証福島原発事故 官邸の100時間』(岩波書店)もある。
帯にある言葉が、わたしたちの肩を揺さぶる。
あの日々を忘れるな、と。ちょっとご紹介しよう。

……原発「退避」か原発「放棄」か。
未曽有の危機に襲われたあのとき、
国家権力の中枢で何が起きていたのか? 
実名による当事者への徹底的な取材があぶり出す「運命の100時間』。

野田内閣時代、2012年夏に刊行されたものだが
ファクトを積み上げて眞實を浮き彫りした優れた作品であり、
同時に後世へのかけがえのない資料でもある。
後書きの最後の次の数行が心に迫る。

……私も福島で勤務したことがある。
本書の底流には事故を引き起こした電力資本と
それを許した政治と行政、専門家たち、
そして私が身を置くジャーナリズムへの
強烈な憤怒の思いがあることを最後に申し伝えておきたい……。

木村さんがおっしゃる「憤怒の思い」と、
なによりもファクトの積み上げを、
わたしたちもしっかり共有したい。

2014年5月23日金曜日

5月23日

関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めの判決。
嬉しい、大歓迎。

判決文で述べていることは、きわめて当然のことであり、
原発に反対するものすべてが、すでに考えてきたことではありますが、
本来、司法はこうでなくちゃね。
司法の独立性は、わたしたちが暮らしていく上で、
かけがえのないものだ。
権力寄りの司法なんて、三権分立に反する。
何よりも心に響いたのは、コスト論を退け、個人の生存権に触れた文言で、
生存権と電気代のコストを並べて比較する姿勢そのものを
「法的には許されない」としたこと。
福島原発事故を「わが国最大の環境汚染」として、
このところ表通りを闊歩していた新・安全神話を
ひとつひとつ否定したことにある。

いまも、それに関しての新聞原稿を書き終えたところだが、
司法の独立性を基本にし、
市民側の考えを汲んだ裁判長は「前途多難」と言われつづけた過去がある。
そのことも、わたしたちはしっかり見つめていきたい。

5月31日、朝の教室
お報せが大幅に遅くなってしまったが、講師は、朝日新聞記者の木村英昭さん。
福島第一原発過酷事故以降、メディアは何をしているのだ、
かけがえのない情報が充分に伝わって来ない、
……という読者の声に対する記者の答えが以下の2冊の書籍だ。
東電テレビ会議49時間の記録』、そして『官邸の一〇〇時間』(岩波書店)。

わたしたちの暮らしを破壊する力にはNO、
それらと闘うもの、共感するものにはYES。
是非、ご参加を。

2014年5月21日水曜日

5月21日

……福島原発事故の深刻さを鑑みれば、この「テレビ会議映像記録」は東電のものではない。私たちのものだ。
ここに、本来の持ち主にこれを還す……。

一冊の本の後書きに記された、上掲の短いことばの中に、どれほどの思いが詰まっていることか。
後書きの数行を前に、落合、柄にもなく涙ぐんでしまった。『原発事故東電テレビ会議49時間の記録』(岩波書店刊)の後書きである。
すごい本だ。後世に残すべき、紛れもなく「わたしたち自身の資料」である。
福島第一原発事故。東電ではどんなテレビ会議が行われ、どんな言葉が飛び交っていたのか。未だ「収束」などほど遠い、福島第一原発の過酷事故。にもかかわらず、政府は再稼働を急ぎ、海外への輸出にも積極的だ。現政府の中では、事故はすでに「過去」のことなのかもしれない。住民はむろんのこと、多くのわたしたちにとっては現在進行形であるのに。
事故を検証するためにも、わたしたちは「大本営発表」ではない、あるがままの真実、まずは基礎資料をどれほど求めてきたことか。断片でしかなかったテレビ会議をまとめたのが、本書である。
そして、この本をまとめられたおひとりが、朝日新聞社の木村英昭さん。後書きを書いたのも、木村さんだ。
この労作の完成と後書きに深く心打たれ、5月31日の「朝の教室」の講師をお願いした。時間的調整に手間取って、発表が遅くなってしまったことをお詫びする。

本書の後書きを繰り返す。
……福島原発事故の深刻さを鑑みれば、この「テレビ会議映像記録」は東電のものではない。私たちのものだ。
ここに、本来の持ち主にこれを還す……。
持ち主である、わたしたちがしっかりと受け止めないで、誰が受けとめ、今後にいかすことが可能か。
酷すぎる時代であるが、わたしは諦めない。
本書がまとまるまでの経緯も含めて、木村さんに伺いたいことは多々ある。ぜひ、ご参加を!

2014年5月13日火曜日

5月13日

日曜日は、上野旧水上音楽堂での女たちの「いのち」の集会。
そして穏やかなデモがあった。
わたしも個人として参加。
多くの懐かしい顔や、
朝の教室」でこの会を知ったという女性たち、
最近食事をご一緒した女性といった顔見知りも含めて、
一緒にウォークすることができた。
会場でのスピーチや歌や演奏。
どれもが心にしみた。
以前、フェミニズムの活動で親しくなった女性たちとも久しぶりに再会。
ほかの反原発の集会やデモにも参加されているのだろうが、
いつもは人数が多く、声をかけ合うだけで終わっていた。
そんな意味でも、とても楽しく
(おおもとを考えると、楽しい気分など吹っ飛ぶが)
解放感溢れるひと時だった。

ところでお報せを。
朝の教室」では、司会進行に徹している(これって、案外難しい)だが、
今回はクレヨンハウスでひとりトークがある。

子どもの本の学校」2014年の一回目、
今週土曜日17日16:00時スタート。
子どもの本の学校」という命名だが、
子どもも現行の社会と無縁では生きることはできないのだから、
原発についても、反核、反差別にしても話をする予定。
レジュメはまだできあがっていないが。

本当はどこで話をするより、
フランチャイズのクレヨンハウスで話をするのが、緊張する。
それも「超」がつく緊張。マキシマム緊張だ。
時々はこういった緊張も悪くない、と自分に言い聞かせている。
では、当日!
質疑応答の時間もあり、です。

2014年5月4日日曜日

5月4日

3日、憲法記念日は松戸で
「松戸憲法記念日の集い」で講演。
1200人のかたがたが集まってくださった。
実行委員会の形式でスタートして、すでに10数年。
市民にしっかり根ざした集会だ。

会場に滝平二郎さんのご子息ご夫妻も来られている。
滝平さんご自身が作られた、
平和と反戦を祈念してのアロハを召しておられた。
同じものを、ご子息からいただいているので、
講演で着ようかどうか迷ったのだが、
季節的にまだちょっと早いような気がして、
いつものジーパンスタイル。

5月3日に限ることはない。
毎日が憲法記念日でなければならない。
そして毎日が「こどもの日」であり、
毎日が「人権週間」で、毎日が「敬老の日」でなくては。
そしてそれらの基本にあるのは、ひとりひとりのいのちであり、
安全であり、人権であるのだ。

3日の東京新聞にもあったが、
「積極的平和」とは、戦争がないこと、
戦争をしないことに加えて差別がないこと、
いかなる意味においてもひとを等級づけしない社会のことだ。
武器を輸出し、原発の再稼働を計画し、
さらに原発を輸出するような政治を「積極的平和主義」とは!

連休は憲法などの講演が続く。