23日、「さようなら原発全国大会」。
晴天に恵まれて、無事終了。
おつかれさま!でした。
代々木公園から亀戸中央公園に
会場が変わりましたが、
16,000人(主催者発表)ものかたがたが
全国から集まりました。
九電の川内原発再稼働反対と、
もちろん福島への思いを再び心に刻む集会&デモ。
わたしは「デモ体質」なのかしら?
デモをすると、机にへばりついていると時に見舞われる
腰痛が消えるのです。普段、運動不足ということかも。
横断幕を手に歩き始めて15分もたった頃。
一軒の葬儀社の前を通りかかりました。
この前で声をあげるのは失礼かも、と思った時、
その会社の前には、黒いスーツ姿の
中年の男性がひとり立っているのが
目に入りました。
社員であるのか、あるいは御葬儀の相談に
来られたかたなのかは知りませんが、
「うるさい」と思われたのかな、申し訳ない
と場所柄、戸惑いましたが、しかし……。
わたしたちが「さ、い、かどう 反対」と
声をあげるたびに、彼のぴっかぴかの
黒い革靴の爪先が、なんと同じように
リズムをとっているではありませんか。
最初、錯覚かしら? とわたしの視線は彼の
革靴の爪先に釘付け。何度見ても、爪先が
「さいかどう はんたい」、「さいかどう はんたい」。
舗道の彼の横を、車道のわたしたちが通過する時には
彼の唇も音声を消したまま、
「さいかどう はんたい」「さいかどう はんたい」
と確かに動いていることを発見。
なんか、すっごく嬉しかった。
「前回もそう感じたけれど、下町って道行くひとの
反応が率直ですね」
解散後にハイタッチを繰り返した、女性たちの感想。
51回目を迎える朝の教室。
28日(日)の講師は、作家の高橋源一郎さん。
以下、高橋さんの単行本から。「次男」さんが
「重度な障がい」を負うかもしれないと医師から
言われた時のことを記された文章だ。
……わたしと妻は、一度、帰宅した。用意すべきことがいくつもあったからだ。
(略)次男がこれからずっと寝たままで生涯を過ごすとして、いくら経費がかかるか、
わたしが死んでからなおどれほどの年月、彼は生きねばならぬかを考えた。
わたしに財産はないに等しい。それからまた別のことを考えた。
重度な障害の遺った次男は、
どんな生活をおくることになるのか。教育はどうなるのか。
(略)翌朝、わたしは、それがどのようなものであろうと、事実を受け入れるべきだと
考えるに至った。
そして、その瞬間、不思議なことに、いままで考えたことのないような深い喜びを感じた。
いま思えば、その夜、わたしはキューブラー・ロスが言った「死を受け入れる5つの段階」を
経験したのだ。
否認(なぜ、彼が死んだり、障害者にならなければならないのか)→怒り(彼には
なんの咎もないのに)→取引(わたしはどうなってもいいから、彼を元に戻してほしい)
→抑鬱(もう耐えられない)→受け入れ(この事実を認め、どうやって彼と共に
生きてゆくかを考えよう)である。
子どもの死は、わたしにとって、自身の死に匹敵するものだったのだろうか。
あるいは、解決できない難問を前にすると、
わたしたちはいつも「死を受け入れる5つの段階」と同じステップを踏んで
考えるしかないのだろうか。
わたしは、次男が死ぬまで身動きできず、ことばも話せないという状態になったとして、
最後まで支えることを決めた。
「決めた」というのは、おかしな表現かもしれない。それは、「責務」だろうか? 違う、
とわたしは感じた。わたしたちにとって義務や仕事の多くは
「わたしではなく、他の誰か」でも代替可能なものだ。だが、その次男を支えて
生きることは「他の誰かではなく、わたしたち親」に対して、捧げられた仕事なのだ、
と感じた。
わたし(たち)にしかできない仕事、あるいは義務、それは喜ばしいものでは
ないだろうか。
一日かかって、前掲の結論に辿りつかれた高橋さんは、そのことをおつれあいに告げた。
……すると、妻は呆れたように「そんなことを一日考えてたの?」といった。
わたしが一日かかってたどり着いた結論に、妻は、医師の宣告から数分で
たどり着いていたのである。
わたしたちが彼らを必要としているのだ……。
こういった切実な体験を通して(だろう)、高橋さんは「弱さ」というキイワードを
再発見する。
「弱さ」とは何なのか。それは「否定」されるべきものなのか。
むしろ、「そこ」から学ぶものがあるのではないか……。
原発に関しても、この時代の諸々の現象、コトやモノに関しても、
様々なご意見がある「高橋源一郎ワールド」。
お楽しみに。わたしもすっごく楽しみだ。
「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2014年9月25日木曜日
2014年9月21日日曜日
9月19日
昨日土曜日は「九条の会 こがねい」での講演。
50代以上のかたが会場には多かったですが、
学生さんたちもいらっしゃっていて、和やかな中に
社会を拓いていこうという決意が感じられる会でした。
23日(秋分の日)は「さようなら原発」全国大集会です。
以下をご参照ください。
会場:亀戸中央公園←(代々木公園から変更。お間違いないように)
11:00
ブース開店
第二ステージ ライブ&トーク 開始
司会:菱山南帆子(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
ゼロノミクマ
桃梨&制服向上委員会
島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS
小野有五さん(北海道大学名誉教授)
パク・ヘリョンさん(韓国・脱原発新聞共同代表)
チェ・スーシンさん(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
若泉政人さん(もう動かすな原発福井県民署名実行委員会共同代表)
河合弘之さん(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)
村上達也さん(東海村元村長)
12:20 第二ステージ・ライブ&トーク 終了
12:20 第一ステージ ライブ・スタート
エセタイマーズ
13:00 第一ステージ トーク開始
司会:木内みどりさん
鎌田慧さん
内橋克人さん
澤地久枝さん
大江健三郎さん
大石又七さん(第五福竜丸元乗組員)
向原祥隆さん(反原発・かごしまネット代表)
橋本あきさん(原発いらない福島の女たち)
古今亭菊千代さん(落語家)
パク・ヘリョンさん(韓国・脱原発新聞共同代表)
チェ・スーシンさん(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
広瀬隆さん
落合恵子
14時15分頃からデモに出ます。
ご無理のない範囲で、ご参集を。
28日(日)9:00、
クレヨンハウス「朝の教室」の講師は、
作家の高橋源一郎さん。
この社会における「弱さ」とは何なのか。
「弱さ」を否定する社会の恐ろしさ
についてもお話をいただけると思います。
50代以上のかたが会場には多かったですが、
学生さんたちもいらっしゃっていて、和やかな中に
社会を拓いていこうという決意が感じられる会でした。
23日(秋分の日)は「さようなら原発」全国大集会です。
以下をご参照ください。
会場:亀戸中央公園←(代々木公園から変更。お間違いないように)
11:00
ブース開店
第二ステージ ライブ&トーク 開始
司会:菱山南帆子(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
ゼロノミクマ
桃梨&制服向上委員会
島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS
小野有五さん(北海道大学名誉教授)
パク・ヘリョンさん(韓国・脱原発新聞共同代表)
チェ・スーシンさん(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
若泉政人さん(もう動かすな原発福井県民署名実行委員会共同代表)
河合弘之さん(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)
村上達也さん(東海村元村長)
12:20 第二ステージ・ライブ&トーク 終了
12:20 第一ステージ ライブ・スタート
エセタイマーズ
13:00 第一ステージ トーク開始
司会:木内みどりさん
鎌田慧さん
内橋克人さん
澤地久枝さん
大江健三郎さん
大石又七さん(第五福竜丸元乗組員)
向原祥隆さん(反原発・かごしまネット代表)
橋本あきさん(原発いらない福島の女たち)
古今亭菊千代さん(落語家)
パク・ヘリョンさん(韓国・脱原発新聞共同代表)
チェ・スーシンさん(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
広瀬隆さん
落合恵子
14時15分頃からデモに出ます。
ご無理のない範囲で、ご参集を。
28日(日)9:00、
クレヨンハウス「朝の教室」の講師は、
作家の高橋源一郎さん。
この社会における「弱さ」とは何なのか。
「弱さ」を否定する社会の恐ろしさ
についてもお話をいただけると思います。
2014年9月18日木曜日
9月18日
9月も半ばを過ぎて……。
お元気ですか?
暑さ疲れが出る頃です。
どうかご自愛を。
9月に入ってからも、
「戦争をさせない1000人委員会」の集会(at日比谷野音)、
経産省テントひろば3周年(なにひとつ収束していない!!)など、続きました。
そして23日は、「さようなら原発、川内再稼働反対」の集会とデモが。
当初代々木公園を予定していましたが、デング熱で閉鎖。
亀戸中央公園に会場が変わりました。
ご無理のない範囲で、どうぞよろしく!
もちろんわたしも参加します。
川内が再稼働になれば、あとはなし崩しに。
わたしたちは、原発が稼働しなくとも暮らしていけることを、
夜になれば電気がつき、冷蔵庫は動いていることに、
スタンドの灯りのもとで本を読む楽しさも奪われないことを
すでに充分に体験してきました。
それでも、原発を動かすというのか!
いまもって10数万の人々が郷里に、わが家に、
戻ることができないこの現状を、
推進派はどうとらえているのか。
「反対」の声は切り捨て、蓋をし、
「賛成」の声だけを拾い上げていくやりかたにこそ、
原発的体質が。
さらにこのままいけば、
日本のジャーナリズムは壊滅する。
むろん誤報は改め、謝罪すべきだが、
この流れが続けば、
自主規制はさらに強まり、
大本営発表の時代が来るのか。
「戦争前夜」を作っていはならない、と心から。
もろもろの思いをこめて、23日に会いましょう!
もうひとつお報せ。
51回目を迎える原発とエネルギーを考える「朝の教室」。
講師は作家の高橋源一郎さん。
いま本を読み返しているのだが、共感する。
とてもいい。
今日は朝から仕事。
では、行ってまいります。
登録:
投稿 (Atom)