東京は、久しぶりの晴天。猛暑は続いている。
日刊ゲンダイ(9月7日)には
「結局 原発15基分の電力が余った!
あまりにもデタラメだった『節電令』」と題して、
次のような記事が掲載されている。
……就任したばかりの鉢呂経済産業相は、
5日の会見で、今年の冬の「電力使用制限令」を
出さない意向を示した。(略)この夏の制限令だって、
本当に必要だったのか(略)
東電によると、9月直近の需要見直しは
4080万キロワットで、供給力は5510万キロワット。
つまり電力は、1500万キロワット余っているのである………。
記事はそう問題提起をした後、原発問題に取り組む
「たんぽぽ舎」の共同代表・柳田真さんの以下のコメントを紹介している。
「原発の発電量が一基平均約100万キロワットとして、
現在は原発15基分の電力が余っている計算です。
日本にある全原発54基のうち、
現在稼動しているのは11基だから、余力の電力量に相当する。
原発ゼロでも全く問題がないことが証明されたのです」
電力が余り、「大量にダブつき始めた途端、
慌てて解除(節電令を)するありさまだから呆れる」と記事は記す。
電力が足りなくなるイコール原発は必要なのだ、というロジックは、
こういった記事と数字を確認すると、当然ながら成立しないことになる。
8日は夕方から日本青年館で、「1000万人アクション」のプレ講演会が。
内橋克人、大江健三郎、鎌田慧、私の呼びかけ人と
賛同人の山田洋次監督、崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノ演奏がある。
少々疲れ気味のせいか、奥歯が酷く痛む。
頬も腫れてきたがなんとか抗生物質でおさえている。
薬はあまり飲みたくないのだが。
「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2011年9月7日水曜日
2011年9月6日火曜日
9月6日
きょうは、市谷アルカディアで
「さようなら原発1000万人アクション」の記者会見を。
呼びかけ人の大江健三郎さん、鎌田慧さん、私。
そして賛同人の弁護士・宇都宮健児さんも参加してくださった。
野田内閣についての要請など、会場とのやりとりも活発な一時間余。
わたしは、「老朽化なら廃炉。新設なし。けれど再稼動」という、
野田政権の考えかたについて「2つのことを無視した考えではないか」と発言。
1・現に被曝しているひとが居つづけるということを忘れている。
放射能の感受性が高い乳幼児や子ども、おなかのなかの赤ちゃんなど。
いまこのときも、被曝しつづけていることを無視した政策であること。
2・放射能廃棄物(核のゴミ)の処理する技術をわたしたちは持っていない。
にもかかわらず原発を稼動し続ける限り、核のゴミはこれも現在進行形で貯まっていて、その処分の方法に解決策はない。そのことも無視した、政策ではないか。
話している間中も、新しい九月を迎えた福島の子どもたちが
気になって仕方がなかった。
会場では以下のチラシが配られたので、ご紹介を。
わたしたちは、福島第一原発事故のあと、原発社会からの脱却を願って、九月一九日の「さよなら原発五万人大集会」と「一○○○万人署名運動」をよびかけているものです。
このたび発足しました野田内閣は「経済重視」と「原発再開」を掲げております。
経済生活の立て直しは、たしかに緊急の課題ですが、こと原発との対比で語られますと、経済回復のための原発再開、という民意に反する、危険な強権的なものになります。
はたして、経済活動は生命の危機より優先されるべきものでしょうか。
このたびの原発事故は、いったん事故が起きれば、土も空も海も地球上のすべてを汚染し、人間と動植物の生活の場を破壊する恐怖を示したばかりです。
それなのにまだ性懲りもなく、経済優先を語る無痛覚、無責任さには驚かされます。
もう二度と原発事故を起こさせないためには、前首相の浜岡原発停止の英断につづく、積極的かつ真摯な政策が必要とされています。
技術的に未完成、かつ危険な「もんじゅ」と「再処理工場」の停止と破棄、
緊急停止中の原発の再稼動中止、全原発の段階的な運転停止、
という大英断が必要とされています。
人類が自然のなかで大らかに、核の恐怖に怯えることなく、
平和にして持続的な自然エネルギーに依拠して暮らす、その人間的な権利を手にしましょう。
一、被曝したひと、被曝した食物、被曝した動物、生物の補償が円満解決するまで、政府と東電は交渉を打ち切らない。
一、子どもたちの健康調査と治療は、将来的にも打ち切らない。
一、停止している原発は、再稼動させない
一、老朽化、危険な原発から即刻廃炉にする。
一、もっとも危険なプルトニュームを原料とする、もんじゅ、再処理工場、MOX加工工場は、操業せず、廃棄する。
一、持続可能な、自然エネルギーを中心に据えた、新エネルギー政策への転換を早急に開始する。
以上を求めます。
二○一一年九月六日
9・19大集会呼びかけ人、賛同人一同
「さようなら原発1000万人アクション」の記者会見を。
呼びかけ人の大江健三郎さん、鎌田慧さん、私。
そして賛同人の弁護士・宇都宮健児さんも参加してくださった。
野田内閣についての要請など、会場とのやりとりも活発な一時間余。
わたしは、「老朽化なら廃炉。新設なし。けれど再稼動」という、
野田政権の考えかたについて「2つのことを無視した考えではないか」と発言。
1・現に被曝しているひとが居つづけるということを忘れている。
放射能の感受性が高い乳幼児や子ども、おなかのなかの赤ちゃんなど。
いまこのときも、被曝しつづけていることを無視した政策であること。
2・放射能廃棄物(核のゴミ)の処理する技術をわたしたちは持っていない。
にもかかわらず原発を稼動し続ける限り、核のゴミはこれも現在進行形で貯まっていて、その処分の方法に解決策はない。そのことも無視した、政策ではないか。
話している間中も、新しい九月を迎えた福島の子どもたちが
気になって仕方がなかった。
会場では以下のチラシが配られたので、ご紹介を。
わたしたちは、福島第一原発事故のあと、原発社会からの脱却を願って、九月一九日の「さよなら原発五万人大集会」と「一○○○万人署名運動」をよびかけているものです。
このたび発足しました野田内閣は「経済重視」と「原発再開」を掲げております。
経済生活の立て直しは、たしかに緊急の課題ですが、こと原発との対比で語られますと、経済回復のための原発再開、という民意に反する、危険な強権的なものになります。
はたして、経済活動は生命の危機より優先されるべきものでしょうか。
このたびの原発事故は、いったん事故が起きれば、土も空も海も地球上のすべてを汚染し、人間と動植物の生活の場を破壊する恐怖を示したばかりです。
それなのにまだ性懲りもなく、経済優先を語る無痛覚、無責任さには驚かされます。
もう二度と原発事故を起こさせないためには、前首相の浜岡原発停止の英断につづく、積極的かつ真摯な政策が必要とされています。
技術的に未完成、かつ危険な「もんじゅ」と「再処理工場」の停止と破棄、
緊急停止中の原発の再稼動中止、全原発の段階的な運転停止、
という大英断が必要とされています。
人類が自然のなかで大らかに、核の恐怖に怯えることなく、
平和にして持続的な自然エネルギーに依拠して暮らす、その人間的な権利を手にしましょう。
一、被曝したひと、被曝した食物、被曝した動物、生物の補償が円満解決するまで、政府と東電は交渉を打ち切らない。
一、子どもたちの健康調査と治療は、将来的にも打ち切らない。
一、停止している原発は、再稼動させない
一、老朽化、危険な原発から即刻廃炉にする。
一、もっとも危険なプルトニュームを原料とする、もんじゅ、再処理工場、MOX加工工場は、操業せず、廃棄する。
一、持続可能な、自然エネルギーを中心に据えた、新エネルギー政策への転換を早急に開始する。
以上を求めます。
二○一一年九月六日
9・19大集会呼びかけ人、賛同人一同
2011年9月5日月曜日
9月5日
会ったこともないのに、あのひとはどうされているだろう?
元気でいてください、と祈るように思うひとが、いる。
たとえば北海道泊原発の近くで暮らし、毎日、毎日、一日も休むことなく、
海水の温度を測っている男性がおられる。
もと保育士だったかただと記憶している。
原発は温暖化を促進する「海あたため装置」であり、
100万キロワットの原発一基ごとに一秒間に70トンの海水を取り入れ冷却し、
排水口から放射能や化学物質をともなって、海に放出される。
その結果、海水は7度から10度は上昇している。
その海水温度を彼は毎日計り、記録をとっているのだ。
それを紙芝居にして、請われれば、集まりに出かけていって上演していると知ったのは、
確か新聞の記事だった。(東京新聞「こちら特報部」だった記憶がある)
各地でこういった地道な活動をされているかたがたの声。
警鐘を鳴らし続けた専門家たちの声。
そうして「誰」かに「頑張ってください」と託すのではなく、
ほかでもない、ひとりひとりの「わたし」の声が、
柔らかくひとつになりますように、と思う夜。
8月20日。抱っこした生後二ヶ月の赤ちゃんの重みが、いまだ両腕にある。
この子たちは、なにひとつ選んではいないのだ。
元気でいてください、と祈るように思うひとが、いる。
たとえば北海道泊原発の近くで暮らし、毎日、毎日、一日も休むことなく、
海水の温度を測っている男性がおられる。
もと保育士だったかただと記憶している。
原発は温暖化を促進する「海あたため装置」であり、
100万キロワットの原発一基ごとに一秒間に70トンの海水を取り入れ冷却し、
排水口から放射能や化学物質をともなって、海に放出される。
その結果、海水は7度から10度は上昇している。
その海水温度を彼は毎日計り、記録をとっているのだ。
それを紙芝居にして、請われれば、集まりに出かけていって上演していると知ったのは、
確か新聞の記事だった。(東京新聞「こちら特報部」だった記憶がある)
各地でこういった地道な活動をされているかたがたの声。
警鐘を鳴らし続けた専門家たちの声。
そうして「誰」かに「頑張ってください」と託すのではなく、
ほかでもない、ひとりひとりの「わたし」の声が、
柔らかくひとつになりますように、と思う夜。
8月20日。抱っこした生後二ヶ月の赤ちゃんの重みが、いまだ両腕にある。
この子たちは、なにひとつ選んではいないのだ。
2011年9月4日日曜日
9月4日
福井に行ってきた。
飛行機で行く予定だったが、
台風の余波で欠航もあり得ることを考えて、急遽陸路で行くことにした。
東京駅から新幹線で越後湯沢に出て、
越後湯沢から「はくたか」に乗り換えて富山入り。
荒れ模様の天気だったが、大勢の方が集まってくださった。
10年前にも、同じ会場で話をしたことがあり、
そのとき担当をされた女性が、会場である富山県民共生センターの
いまは館長さんになっておられた。
時に遅々とした歩みに思える「男女共同参画社会」も、
ささやかながら確かな足取りでこうして進んでいるようで嬉しい。
奴隷と王さまだって、ひとつの社会に「共生」はできる。
差別を積み残したままの「共生」にどんな意味があるのか、
という疑問は依然存在するのだが、できることは、
それがなんでもやったほうがいい。
雨の中、こんなにも多くの女性(男性は団塊の世代以上とお見受けした)が集まり、
さまざまなテーマ(といっても、いのちと人権が基本だが)をともに考える……。
それはやはり大きな「前進」だと捉えたい。
話を終えた後、何人かの女性から
「9月19日の1000万アクション、上京します」と声をかけられる。
帰路は飛行機で。ずいぶん揺れた。
この台風で行方不明になられたかたも少なからずでている。
自然はわたしたち人間を大きな懐でHUGしてくれる一方、
時に人間など抗することのできない刃をむく。
その自然を手中に収めたがごとき幻想と錯覚の上で、
わたしたちが文明と呼ぶものは「進化」してきた。
というか、進化したと思いこんできた。
次はどこに大地震が?
次はどこに大津波が?
次は? 次は? と怯えて暮らす人生が、
わたしたちの「進化」のあかしなのか。
オーストラリアの女性小児科医、ヘレン・カルデコットさんの
あの「茹でカエル」の話を、
羽田からクレヨンハウスに戻る車中で噛み締める。
熱湯に放り込まれたカエルはその熱さに外に飛び出して助かるが、
水を入れた鍋に入れられたカエルは、鍋ごとガスにかけられ、
水がやがては熱湯になっても、それに慣れて(慣らされて)
茹で上がってしまう、というあの話だ。彼女を思い出したのは、
昨日このブログで紹介したイギリス、インディペデント紙が報じた
「フクシマ」のこれからという記事に彼女の名前を見つけたからだ。
あの日から、まもなく6か月。
わたしたちは「茹でカエル」状態になっていないか?
日が短くなった。
短くなっていく日に合わせて、何かを選びなおすプロセスをはしょってはならない。
飛行機で行く予定だったが、
台風の余波で欠航もあり得ることを考えて、急遽陸路で行くことにした。
東京駅から新幹線で越後湯沢に出て、
越後湯沢から「はくたか」に乗り換えて富山入り。
荒れ模様の天気だったが、大勢の方が集まってくださった。
10年前にも、同じ会場で話をしたことがあり、
そのとき担当をされた女性が、会場である富山県民共生センターの
いまは館長さんになっておられた。
時に遅々とした歩みに思える「男女共同参画社会」も、
ささやかながら確かな足取りでこうして進んでいるようで嬉しい。
奴隷と王さまだって、ひとつの社会に「共生」はできる。
差別を積み残したままの「共生」にどんな意味があるのか、
という疑問は依然存在するのだが、できることは、
それがなんでもやったほうがいい。
雨の中、こんなにも多くの女性(男性は団塊の世代以上とお見受けした)が集まり、
さまざまなテーマ(といっても、いのちと人権が基本だが)をともに考える……。
それはやはり大きな「前進」だと捉えたい。
話を終えた後、何人かの女性から
「9月19日の1000万アクション、上京します」と声をかけられる。
帰路は飛行機で。ずいぶん揺れた。
この台風で行方不明になられたかたも少なからずでている。
自然はわたしたち人間を大きな懐でHUGしてくれる一方、
時に人間など抗することのできない刃をむく。
その自然を手中に収めたがごとき幻想と錯覚の上で、
わたしたちが文明と呼ぶものは「進化」してきた。
というか、進化したと思いこんできた。
次はどこに大地震が?
次はどこに大津波が?
次は? 次は? と怯えて暮らす人生が、
わたしたちの「進化」のあかしなのか。
オーストラリアの女性小児科医、ヘレン・カルデコットさんの
あの「茹でカエル」の話を、
羽田からクレヨンハウスに戻る車中で噛み締める。
熱湯に放り込まれたカエルはその熱さに外に飛び出して助かるが、
水を入れた鍋に入れられたカエルは、鍋ごとガスにかけられ、
水がやがては熱湯になっても、それに慣れて(慣らされて)
茹で上がってしまう、というあの話だ。彼女を思い出したのは、
昨日このブログで紹介したイギリス、インディペデント紙が報じた
「フクシマ」のこれからという記事に彼女の名前を見つけたからだ。
あの日から、まもなく6か月。
わたしたちは「茹でカエル」状態になっていないか?
日が短くなった。
短くなっていく日に合わせて、何かを選びなおすプロセスをはしょってはならない。
2011年9月3日土曜日
9月3日
台風の動きが不安だった土曜日。
西日本各地への被害は心配だが、
「朝の学校」は、ジャーナリストの鎌田 慧さんを迎えて無事開講。
原発が各地で、どのようにして推進されてきたか。
住民はどのように反対を唱え、けれど屈服させられていったか等、
取材を通して見えてきた「この国のありよう」を詳しく説明してくださった。
講演の後、「さようなら原発1000万人アクション」についての打ち合わせを。
静かな会議室で話し合っていると、3・11以降の日々が
まるでいつかは醒める、悪夢のように思えなくもない。
けれど、これが紛れもなく「わたしたちの現実」であるのだ。
イギリスのインディペンデント紙の電子版が29日に(現地時間)
伝えたというニュースが関西在住のかたからメールで入っていた。
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0901&f=national_0901_034.shtml
西日本各地への被害は心配だが、
「朝の学校」は、ジャーナリストの鎌田 慧さんを迎えて無事開講。
原発が各地で、どのようにして推進されてきたか。
住民はどのように反対を唱え、けれど屈服させられていったか等、
取材を通して見えてきた「この国のありよう」を詳しく説明してくださった。
講演の後、「さようなら原発1000万人アクション」についての打ち合わせを。
静かな会議室で話し合っていると、3・11以降の日々が
まるでいつかは醒める、悪夢のように思えなくもない。
けれど、これが紛れもなく「わたしたちの現実」であるのだ。
イギリスのインディペンデント紙の電子版が29日に(現地時間)
伝えたというニュースが関西在住のかたからメールで入っていた。
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0901&f=national_0901_034.shtml
2011年9月2日金曜日
9月2日
どうしてこうも、ニュースは次々に
前のめりになるのだろう。
3月11日以降のあれこれのほとんどは
まだ片付いていないというのに。
フクシマの子どもたちは、その家族は、
胸潰れるような思いを今尚、
そしてたぶん10年先も味わっていかなければならないというのに。
組閣もむろん大事だし、野田政権の今後も
わたしたちの暮らしそのものを直結するものではあるが………。
いま、わたしたちが最も知りたいと願い、
しかし充分に知ることのできない「フクシマ」の「あれから」と「今」が、
充分に伝わってこない。
伝えられていない。
作業している人々の被曝量は、どうなっているのか。
新学期を迎えた、子どもたちの「いま」は!
新しい出来事を伝えるのがニュースであるなら、
それはそれはでいい。
しかし未決のニュ―スを執拗にフォローすることもまた、
ニュ―スであるはずだ。
数年前だったか。
旅先で読んだ地方紙に車の事故を起こした加害者と、
被害者の遺族の5年後だったかを丹念に追った社会面の記事を
読んだことがある。
人としての深い姿勢を感じる、充実した記事だった。
「新しいニュースを追うことだけが報道ではない。
過去にニュースになったものに新しい光を当てることも、
私たちの使命である」
そんなコピーが載っていた。
収束していない原発の事故をしっかり報道すること。
それらが新政権のもとで、どのように扱われるかを取材することも、
ジャーナリズムの大事なテーマであるはずだ。
台風が気になるが………。
明日は、鎌田 慧さんの「朝の教室」。
お気をつけて、ご参加を!
前のめりになるのだろう。
3月11日以降のあれこれのほとんどは
まだ片付いていないというのに。
フクシマの子どもたちは、その家族は、
胸潰れるような思いを今尚、
そしてたぶん10年先も味わっていかなければならないというのに。
組閣もむろん大事だし、野田政権の今後も
わたしたちの暮らしそのものを直結するものではあるが………。
いま、わたしたちが最も知りたいと願い、
しかし充分に知ることのできない「フクシマ」の「あれから」と「今」が、
充分に伝わってこない。
伝えられていない。
作業している人々の被曝量は、どうなっているのか。
新学期を迎えた、子どもたちの「いま」は!
新しい出来事を伝えるのがニュースであるなら、
それはそれはでいい。
しかし未決のニュ―スを執拗にフォローすることもまた、
ニュ―スであるはずだ。
数年前だったか。
旅先で読んだ地方紙に車の事故を起こした加害者と、
被害者の遺族の5年後だったかを丹念に追った社会面の記事を
読んだことがある。
人としての深い姿勢を感じる、充実した記事だった。
「新しいニュースを追うことだけが報道ではない。
過去にニュースになったものに新しい光を当てることも、
私たちの使命である」
そんなコピーが載っていた。
収束していない原発の事故をしっかり報道すること。
それらが新政権のもとで、どのように扱われるかを取材することも、
ジャーナリズムの大事なテーマであるはずだ。
台風が気になるが………。
明日は、鎌田 慧さんの「朝の教室」。
お気をつけて、ご参加を!
2011年9月1日木曜日
9月1日
九月だというのに猛暑は続き、さらに
大型の台風が西日本に近づいている。
今回は大雨の不安はないだろうが、
大降りになると聞くと、福島第一原発がさらに心配になる。
作業されているかたの高濃度の放射線による被曝の不安はそのままだし、
いま、何が、どこまで進んでいるのかも正直わからないところが市民にはある。
さらにその中で行われた民主党代表戦は、
まるで原発事故などなかったかのように、
きわめて内向きな抗争に終始。
財務省の「組織内候補」と呼ばれたひとが、
経産省の、これまた組織内候補と呼ばれるひとを破って、
新首相が誕生した。
選挙中、少し影を顰めた、増税の声もまたぞろ聞こえる新内閣。
停止中の原発は今後、どうなるのか。
「フクシマ」の収束が見えないまま、
再稼動は、あまりにも民意に背いた「稼動」でしかない。
改めてわたしたちは、新首相にそれを問いかけたい。
台風の大荒れが予想される土曜日、
クレヨンハウス「朝の教室」の講師は
ジャーナリストの鎌田 慧さん。
無事に開講できるよう、明日は天気予報に注意。
久しぶりに21時に帰宅。
このところ東京を離れる日が多く、
外食ばかりだった。
名残の夏野菜をたっぷりとりたくて、遅い夕食の支度をする。
オリーブオイルで、ズッキーニ、青唐辛子、パブリカ、ピーマン、
トマト、タマネギなどのざく切りを炒めて、野菜ブイヨンを加えて煮込む。
即席のラタトウイユとレーズンパン。
グリーンサラダで、久しぶり野菜たっぷりな夕食。
大型の台風が西日本に近づいている。
今回は大雨の不安はないだろうが、
大降りになると聞くと、福島第一原発がさらに心配になる。
作業されているかたの高濃度の放射線による被曝の不安はそのままだし、
いま、何が、どこまで進んでいるのかも正直わからないところが市民にはある。
さらにその中で行われた民主党代表戦は、
まるで原発事故などなかったかのように、
きわめて内向きな抗争に終始。
財務省の「組織内候補」と呼ばれたひとが、
経産省の、これまた組織内候補と呼ばれるひとを破って、
新首相が誕生した。
選挙中、少し影を顰めた、増税の声もまたぞろ聞こえる新内閣。
停止中の原発は今後、どうなるのか。
「フクシマ」の収束が見えないまま、
再稼動は、あまりにも民意に背いた「稼動」でしかない。
改めてわたしたちは、新首相にそれを問いかけたい。
台風の大荒れが予想される土曜日、
クレヨンハウス「朝の教室」の講師は
ジャーナリストの鎌田 慧さん。
無事に開講できるよう、明日は天気予報に注意。
久しぶりに21時に帰宅。
このところ東京を離れる日が多く、
外食ばかりだった。
名残の夏野菜をたっぷりとりたくて、遅い夕食の支度をする。
オリーブオイルで、ズッキーニ、青唐辛子、パブリカ、ピーマン、
トマト、タマネギなどのざく切りを炒めて、野菜ブイヨンを加えて煮込む。
即席のラタトウイユとレーズンパン。
グリーンサラダで、久しぶり野菜たっぷりな夕食。
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