「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2013年3月29日金曜日
3月29日
都内を歩いていると、風に乗って、どこからか桜の花びらが。
この季節特有の少し強い湿った風に舞っている花びらや
道路の上をくるくると回転していく花びらを見て、
近くに桜の樹があることを知るのも、この季節のことだ。
午前中は原稿書き。午後からは幾つかのインタビューや打ち合わせに終始した一日だった。
あと一か月弱で、沖縄「主権回復の日」と呼ぶひともいるけれど、
現実は、主権回復どころか、日米地位協定によって改めて沖縄が米国の支配下に登録された日でもある。
沖縄の人びとと、沖縄の地が。
4月28日前後にわたしも沖縄を取材で訪れる予定だが、
こんなにも多くの沖縄の人びとの民意を踏みにじったまま、
普天間基地へのオスプレイ配備、そして辺野古埋め立て要請……。
どこに「誠意を尽くした話し合い」があるのか。
沖縄のいまと福島のいまが重なる。
2013年3月26日火曜日
3月26日
昨日月曜日は、淡い花冷えの一日。
おかげで満開に近い東京の桜もまだ少しもちそうな気配が。
しかし、花自身にとってはどちらがいいのだろう。
一日でも長く枝にいるのと、ぱっと咲いて、ぱっと散るのと。
今日も花曇り風な一日だったが、朝刊を開いて、Oh!
問題となりながら、長年放置されてきた「一票の格差」。
「違憲」としながらも、それ以上は足踏み状態、踏み込めなかったじれったい司法であったが、広島高裁は、小選挙区の区割りを「違憲」とし、広島1区、2区について「無効」とする判決を言い渡した。
去年の衆院選挙に関して、司法の「違憲」判断は相次いだが、「無効」ははじめてというか、およそ半世紀となる「一票の格差」訴訟で、「無効」の判決は一度もなかった!のだ。
それ自体、三権分立に対して「違憲」とも言えるのだが。
昨年の総選挙について5件の違憲判決は出るには出たが、「無効」は回避されたままだった。
公益に反する場合は棄却できる「事情判決の法理」(難しい呼称だ)と呼ばれるものがあり、これが国会に「違憲と言われても、無効にはなるまい、まっいっか」という緩さと不遜意識を培ってきたのだろう。
「違憲国会に、改憲をされてなるものか」と、わたしはいろいろなところで書いてきたのだが。
公平な選挙は民主主義の基本だ、と続けて書いて、虚しさを覚えるのも事実だ。
違憲状態であることを充分認識しながら、それを是正しようとしない候補者たちに1票を投じたのも、有権者ひとりひとりだと考える、と、なんだかなあ。
それでも判決は評価したい。
「0増5減」の法律はできたが区割りは未完だし、
「0増5減」方式は違憲状態のおおもとと言われている「一人別枠方式」を温存させたものでもあると言われている。
とすると、抜本的改革にはまだまだ遠い。
おかげで満開に近い東京の桜もまだ少しもちそうな気配が。
しかし、花自身にとってはどちらがいいのだろう。
一日でも長く枝にいるのと、ぱっと咲いて、ぱっと散るのと。
今日も花曇り風な一日だったが、朝刊を開いて、Oh!
問題となりながら、長年放置されてきた「一票の格差」。
「違憲」としながらも、それ以上は足踏み状態、踏み込めなかったじれったい司法であったが、広島高裁は、小選挙区の区割りを「違憲」とし、広島1区、2区について「無効」とする判決を言い渡した。
去年の衆院選挙に関して、司法の「違憲」判断は相次いだが、「無効」ははじめてというか、およそ半世紀となる「一票の格差」訴訟で、「無効」の判決は一度もなかった!のだ。
それ自体、三権分立に対して「違憲」とも言えるのだが。
昨年の総選挙について5件の違憲判決は出るには出たが、「無効」は回避されたままだった。
公益に反する場合は棄却できる「事情判決の法理」(難しい呼称だ)と呼ばれるものがあり、これが国会に「違憲と言われても、無効にはなるまい、まっいっか」という緩さと不遜意識を培ってきたのだろう。
「違憲国会に、改憲をされてなるものか」と、わたしはいろいろなところで書いてきたのだが。
公平な選挙は民主主義の基本だ、と続けて書いて、虚しさを覚えるのも事実だ。
違憲状態であることを充分認識しながら、それを是正しようとしない候補者たちに1票を投じたのも、有権者ひとりひとりだと考える、と、なんだかなあ。
それでも判決は評価したい。
「0増5減」の法律はできたが区割りは未完だし、
「0増5減」方式は違憲状態のおおもとと言われている「一人別枠方式」を温存させたものでもあると言われている。
とすると、抜本的改革にはまだまだ遠い。
2013年3月25日月曜日
3月25日
先週の金曜日、22日は夕刻から経産省テント広場の抗議集会に参加。
今までなかった「国有地につき、立ち入り禁止」の看板が。
福島の、それぞれの「私有地」に放射能という、
この上なく危険なものを許可なく、まき散らしておいて、
よくも、と腹が立つ。
私有地にこそ、まずは「放射能、立ち入り禁止」であるのだ。
3月11日の東京新聞にはおよそ800名の福島のかたがたが
原発事故の「関連死」と呼ばれる最期を迎えた
という記事が掲載されていたが。
福島のかたに聞くと、「もっと多いかもしれない、
1000名になるかも」とおっしゃる。
何を{関連死}(なんと悲しい、無念な言葉か)の基準とするかは微妙だが、
それほど多くのかたがたが、
その寸前の日々を送っておられるか。
これからも、もっと増えていく可能性がある。
使用済み核燃料プールの30時間にわたる停電。
それひとつとっても、国も東電も「想定外」と言い放った事故直後と精神構造は
まったく変わっていないと解釈するしかない。
仮設の配電盤で「間に合う」としてきた、いい加減さは、
たぶん他にも多々ある。
「事故」を「事象」と言い換えることもまた、
事故前と同じまま。
今日は花冷えの天気で、東京の桜はまだもっている。
花に嵐のたとえがあったとしても、
反原発を目指す人々の心まで
「散らす」ことは決してできないはずだ。
今までなかった「国有地につき、立ち入り禁止」の看板が。
福島の、それぞれの「私有地」に放射能という、
この上なく危険なものを許可なく、まき散らしておいて、
よくも、と腹が立つ。
私有地にこそ、まずは「放射能、立ち入り禁止」であるのだ。
3月11日の東京新聞にはおよそ800名の福島のかたがたが
原発事故の「関連死」と呼ばれる最期を迎えた
という記事が掲載されていたが。
福島のかたに聞くと、「もっと多いかもしれない、
1000名になるかも」とおっしゃる。
何を{関連死}(なんと悲しい、無念な言葉か)の基準とするかは微妙だが、
それほど多くのかたがたが、
その寸前の日々を送っておられるか。
これからも、もっと増えていく可能性がある。
使用済み核燃料プールの30時間にわたる停電。
それひとつとっても、国も東電も「想定外」と言い放った事故直後と精神構造は
まったく変わっていないと解釈するしかない。
仮設の配電盤で「間に合う」としてきた、いい加減さは、
たぶん他にも多々ある。
「事故」を「事象」と言い換えることもまた、
事故前と同じまま。
今日は花冷えの天気で、東京の桜はまだもっている。
花に嵐のたとえがあったとしても、
反原発を目指す人々の心まで
「散らす」ことは決してできないはずだ。
2013年3月22日金曜日
3月22日
イラク戦争から10年。メディアは特集を組んでいる。
あの頃、わたしは母の介護をしていた。
朝一番のバイタル(血圧や脈)は通常通り。ほっとしたのも束の間、
1時間後に血圧が突然上がったり下がったり、
頻脈が起きたり……。
「ジェットコースター」の日々だった。
当時、上院議員だった現大統領バラク・オバマは戦争に反対だった記憶があるが、
いま彼がしていることを見ると(TPPにしろ何にしろ)首を傾げざるを得ない。
大国・米国の威信のためなら、なんでもやる、ということか。
ノーベル平和賞は何のためのものだったのだろう。
それでも、共和党か民主党か、どちらかと言われれば、民主党を選ぶしかないのだが。
イラク戦争に反対する集会。母の体調がいつどのように変化するかわからず、
スピーチは「予定」とチラシに印刷していただいた。
当時、新聞に連載していた『母に歌う子守唄』(朝日新聞 刊)でも、
自らの中のジレンマを書いた記憶がある。
母を介護し、ひとつのいのちをなんとかサポートしようとすることと、
海の向こうの大勢の人々のいのちに対してなんとかしようとすること(たとえできることは微小であっても)の間で、
わたしは常時、二つに引き裂かれている、と。
辛い日々だった。
ジークムント・バウマンの『リキッド・モダニテイ……液状化する社会』(大月書店)を読んだのは、
ちょうどその頃だったろうか。
本書に関しては、『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)で詳しく触れているが、
バウマンは次のように言っている。
……社会は危険と矛盾を生産しつづける一方、それらへの
対処は個人に押しつける……(森田典生・訳)
思い出していただきたい。
当時の政権が使った「自己責任」という、あの言葉を。
イラク人質事件に関して、どれほどこの言葉を流布し、
多くも、この言葉を受け入れた。
この「自己責任論」に容易にのってしまう社会は危険だ、と
もろもろのコラムで書いた記憶もある。
しかし、「自己責任」という大きな声に、異議などは消されていった。
その後も、「自己責任論」の危険性に関しては、
いろいろなところで書いている。
なぜなら「自己責任」という概念と言葉がさらに拡大解釈されれば、
そして深まれば、バウマンが指摘したように、
社会(国とも代言できる)はこの上ない危険と矛盾を生産しつづけながら、
すべての対処(責任)を個人に押しつけるからだ。
この構図は、原発事故と相似形ではないか。
福祉の切り捨てもまた、この「自己責任論」の上に成立するものだ。
今日は収録と打ち合わせが一日中。
あの頃、わたしは母の介護をしていた。
朝一番のバイタル(血圧や脈)は通常通り。ほっとしたのも束の間、
1時間後に血圧が突然上がったり下がったり、
頻脈が起きたり……。
「ジェットコースター」の日々だった。
当時、上院議員だった現大統領バラク・オバマは戦争に反対だった記憶があるが、
いま彼がしていることを見ると(TPPにしろ何にしろ)首を傾げざるを得ない。
大国・米国の威信のためなら、なんでもやる、ということか。
ノーベル平和賞は何のためのものだったのだろう。
それでも、共和党か民主党か、どちらかと言われれば、民主党を選ぶしかないのだが。
イラク戦争に反対する集会。母の体調がいつどのように変化するかわからず、
スピーチは「予定」とチラシに印刷していただいた。
当時、新聞に連載していた『母に歌う子守唄』(朝日新聞 刊)でも、
自らの中のジレンマを書いた記憶がある。
母を介護し、ひとつのいのちをなんとかサポートしようとすることと、
海の向こうの大勢の人々のいのちに対してなんとかしようとすること(たとえできることは微小であっても)の間で、
わたしは常時、二つに引き裂かれている、と。
辛い日々だった。
ジークムント・バウマンの『リキッド・モダニテイ……液状化する社会』(大月書店)を読んだのは、
ちょうどその頃だったろうか。
本書に関しては、『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)で詳しく触れているが、
バウマンは次のように言っている。
……社会は危険と矛盾を生産しつづける一方、それらへの
対処は個人に押しつける……(森田典生・訳)
思い出していただきたい。
当時の政権が使った「自己責任」という、あの言葉を。
イラク人質事件に関して、どれほどこの言葉を流布し、
多くも、この言葉を受け入れた。
この「自己責任論」に容易にのってしまう社会は危険だ、と
もろもろのコラムで書いた記憶もある。
しかし、「自己責任」という大きな声に、異議などは消されていった。
その後も、「自己責任論」の危険性に関しては、
いろいろなところで書いている。
なぜなら「自己責任」という概念と言葉がさらに拡大解釈されれば、
そして深まれば、バウマンが指摘したように、
社会(国とも代言できる)はこの上ない危険と矛盾を生産しつづけながら、
すべての対処(責任)を個人に押しつけるからだ。
この構図は、原発事故と相似形ではないか。
福祉の切り捨てもまた、この「自己責任論」の上に成立するものだ。
今日は収録と打ち合わせが一日中。
2013年3月21日木曜日
3月21日
まずは大事なお報らせから。
先月に仕事をご一緒したNHKのディレクターさんから
以下のメールが入りました。
……3月22日(金)深夜25:00~ 『Eテレ・アーカイブス』〔NHK教育〕
未来潮流 『科学を人間の手に~高木仁三郎・闘病からのメッセ-ジ~』(99年放送 74分)
原子力資料情報室の創始者である故・高木仁三郎さんの遺言となった番組です。
原子力発電を手がける企業に就職してから、大学の研究者を経て脱原発運動に踏み出すまでの歩みを、
若い世代に託した思いとともに伝えるものです。
(番組は、後に 岩波新書『市民科学者として生きる』 として書籍化されました。)
現在から振り返ると、私自身を含む社会の側の認識の甘さに愕然とします。
よろしければ、ご覧ください。
22日深夜1時。わたしもテレビの前にいます。
ところで、福島第一原発、使用済み核燃料プールなどの冷却が同時多発的に止まった事故。
20日、内部の壁に焦げた跡が見つかって、近くにはネズミらしい小動物がいた
というのが、東電の発表。
「事故」でなく、「事象」だって。
先週末にお通夜と告別式があった福島双葉の佐藤祐禎さんの短歌を思う。
・一基にて日に数億を稼ぐといふ原子炉の寿命知る人のなし
・質問の答へは確信触れぬまま原発健全性の説明会閉づ
・反原発のわが歌に心寄せくるは大方力なき地区の人々
(歌集『青白き光』 いりの舎・刊 いりの舎・☎03-6413-8426
ミズ・クレヨンハウスにも置いてあります)
それにしても、未だ収束など何一つみていない、あの苛酷事故から丸2年。
事故発生直後に設置した「仮設」の配電盤のままできた東電である。
あれほどの事故を起こしても、まだこの程度の認識なのか。
15万余の人々が家に帰れず、一方福島で暮らしている人々がいることを
東電は、そして政府はどう考えているのか。
こうして伏せられ、蓋をされてきたことが、山ほどあるのだろう。
この停電だって、事故前であったら、発表さえされなかったかもしれない。
もうひとつお報せが。
☆仮処分に対する「記者会見」と「集会」のお知らせ
経産省テントひろばを開設して1年半、福島をはじめ脱原発を訴える全国のさら
に世界の人々が訪れる文字通りの脱原発ひろばに危機が来ました。
債権者として「国」がテントひろばに「占有移転禁止仮処分」を訴え、
東京地裁がこれを認め、3月14日にテントひろばに仮処分を通告。
次に土地の明け渡し請求訴訟を準備していると思われます。
そこで、私たちは顧問弁護士の出席をお願いして、次の様に緊急の記者会見と集会を
開催します。
メディア関係の皆さまには両方への取材および報道をお願いしたく、全国のテントの
支援者の皆さまには集会への参加をお願いしたく、ご案内申し上げます。
経産省前テントひろば
○ 記者会見
日時 2013年3月21日(木)13時~14時
場所 経産省テントひろば前(雨天等の場合はテント内)
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-3-1
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他
問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)
○ 抗議集会
日時 2013年3月22日(金)17時~18時半
場所 経産省テントひろば前
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他著名
問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)
21日は時間調整ができないのですが、明日22日はなんとか調整して
参加したいと思います。
先月に仕事をご一緒したNHKのディレクターさんから
以下のメールが入りました。
……3月22日(金)深夜25:00~ 『Eテレ・アーカイブス』〔NHK教育〕
未来潮流 『科学を人間の手に~高木仁三郎・闘病からのメッセ-ジ~』(99年放送 74分)
原子力資料情報室の創始者である故・高木仁三郎さんの遺言となった番組です。
原子力発電を手がける企業に就職してから、大学の研究者を経て脱原発運動に踏み出すまでの歩みを、
若い世代に託した思いとともに伝えるものです。
(番組は、後に 岩波新書『市民科学者として生きる』 として書籍化されました。)
現在から振り返ると、私自身を含む社会の側の認識の甘さに愕然とします。
よろしければ、ご覧ください。
22日深夜1時。わたしもテレビの前にいます。
ところで、福島第一原発、使用済み核燃料プールなどの冷却が同時多発的に止まった事故。
20日、内部の壁に焦げた跡が見つかって、近くにはネズミらしい小動物がいた
というのが、東電の発表。
「事故」でなく、「事象」だって。
先週末にお通夜と告別式があった福島双葉の佐藤祐禎さんの短歌を思う。
・一基にて日に数億を稼ぐといふ原子炉の寿命知る人のなし
・質問の答へは確信触れぬまま原発健全性の説明会閉づ
・反原発のわが歌に心寄せくるは大方力なき地区の人々
(歌集『青白き光』 いりの舎・刊 いりの舎・☎03-6413-8426
ミズ・クレヨンハウスにも置いてあります)
それにしても、未だ収束など何一つみていない、あの苛酷事故から丸2年。
事故発生直後に設置した「仮設」の配電盤のままできた東電である。
あれほどの事故を起こしても、まだこの程度の認識なのか。
15万余の人々が家に帰れず、一方福島で暮らしている人々がいることを
東電は、そして政府はどう考えているのか。
こうして伏せられ、蓋をされてきたことが、山ほどあるのだろう。
この停電だって、事故前であったら、発表さえされなかったかもしれない。
もうひとつお報せが。
☆仮処分に対する「記者会見」と「集会」のお知らせ
経産省テントひろばを開設して1年半、福島をはじめ脱原発を訴える全国のさら
に世界の人々が訪れる文字通りの脱原発ひろばに危機が来ました。
債権者として「国」がテントひろばに「占有移転禁止仮処分」を訴え、
東京地裁がこれを認め、3月14日にテントひろばに仮処分を通告。
次に土地の明け渡し請求訴訟を準備していると思われます。
そこで、私たちは顧問弁護士の出席をお願いして、次の様に緊急の記者会見と集会を
開催します。
メディア関係の皆さまには両方への取材および報道をお願いしたく、全国のテントの
支援者の皆さまには集会への参加をお願いしたく、ご案内申し上げます。
経産省前テントひろば
○ 記者会見
日時 2013年3月21日(木)13時~14時
場所 経産省テントひろば前(雨天等の場合はテント内)
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-3-1
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他
問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)
○ 抗議集会
日時 2013年3月22日(金)17時~18時半
場所 経産省テントひろば前
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他著名
問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)
21日は時間調整ができないのですが、明日22日はなんとか調整して
参加したいと思います。
2013年3月19日火曜日
3月19日
ただいまー、である。
先週金曜15日が広島、16日が細かい雪が降る札幌、
17日、8日が大阪で講演と東京を離れる日が続いていた。
開花宣言が聞これる地域もあれば、道路の両側に雪の山を
視ながら風花散る地域もあって、強風にあおられた揺れる飛行機の中で、
列島の縦長の形を再確認させられた週末から週のはじめ。
少々疲れ気味だったせいか、大阪豊中での講演会では、
突如冷や汗がしたたり落ち、眩暈発生。
OH,どうする? ひやっとしたが、会場との質疑応答に5分ほど
進行を変えて(この間だけ座った)、無事終了。成功。
「あなた、自分を幾つだと思っているの?」。
いつも心配をかけている友人たちからの叱責を思い出す瞬間がある。
案じてくれる友人たちに感謝しながらも、質問には
「68だよ!」
と、型通りに答えることにしている。
あと何年、元気で走れるかはわからないが、
いま走らずして、いつ走る! 落合である。
大阪ではクレヨンハウスの大阪店にも立ち寄ってきた。
隣の男性もの用のファッション店で、リネンの気持ちよ
さそうなシャツなどを購入。服を購入する時間がないまま、
このところ「あなた、同じような恰好ばかりしているわよ」
(よき友人は往々にして口が悪い)のこれまた注意を思い出しながら。
今朝の東京新聞。
一面は「南海トラフ被害220兆円」の大きな見出しが。
南海トラフで東日本大震災と同じM9級の
巨大地震が発生すると、最悪950万人が
避難が必要となり、もろもろの損害は
220兆円になるという想定を、内閣府
中央防災会議がまとめたものだ。
この筋には、東日本大震災の福島第一原発
での、数字にできない精神的被害も、
まだ明らかではな建物被害や経済活動の
被害も加算されてはいない。
この記事の横には、「原発事故盛り込ます」
という至極まっとうな見出しがついた記事と、
その下には、福島第一原発での停電事故、
燃料給油プールが冷却停止した記事(3時間後に
公表)も掲載されている。
去年も4号機プールで冷却が停止し、
水温が一時43度まであがったことも、わたし
たちは忘れてはならない。
今なお「何があっても不思議ではないこの列島で」
政権は原発を推進し、海外にまで輸出しようと
している。
豊中での集まりには、親子で関西に避難している
女性も参加されていた。
4人のお子さんのうち、高校生のおねえちゃんだけ
福島の祖父母の家で暮らしている。
「小さいのもいないと淋しい、という両親の言葉を
聞くたびに、わたしはわがままなのでは? 帰ら
なくてはいけないのでは}と思います、と涙ぐんで
おられた。彼女は、9日の反原発集会でも
素晴らしいスピーチをされた。
今日は朝から快晴。
たまった洗濯をしながら(乾燥機を使わないで
すむのがうれしい)、これまた、たまった原稿を書いて、
夕方からは外での仕事だ。
いい天気だ。
先週金曜15日が広島、16日が細かい雪が降る札幌、
17日、8日が大阪で講演と東京を離れる日が続いていた。
開花宣言が聞これる地域もあれば、道路の両側に雪の山を
視ながら風花散る地域もあって、強風にあおられた揺れる飛行機の中で、
列島の縦長の形を再確認させられた週末から週のはじめ。
少々疲れ気味だったせいか、大阪豊中での講演会では、
突如冷や汗がしたたり落ち、眩暈発生。
OH,どうする? ひやっとしたが、会場との質疑応答に5分ほど
進行を変えて(この間だけ座った)、無事終了。成功。
「あなた、自分を幾つだと思っているの?」。
いつも心配をかけている友人たちからの叱責を思い出す瞬間がある。
案じてくれる友人たちに感謝しながらも、質問には
「68だよ!」
と、型通りに答えることにしている。
あと何年、元気で走れるかはわからないが、
いま走らずして、いつ走る! 落合である。
大阪ではクレヨンハウスの大阪店にも立ち寄ってきた。
隣の男性もの用のファッション店で、リネンの気持ちよ
さそうなシャツなどを購入。服を購入する時間がないまま、
このところ「あなた、同じような恰好ばかりしているわよ」
(よき友人は往々にして口が悪い)のこれまた注意を思い出しながら。
今朝の東京新聞。
一面は「南海トラフ被害220兆円」の大きな見出しが。
南海トラフで東日本大震災と同じM9級の
巨大地震が発生すると、最悪950万人が
避難が必要となり、もろもろの損害は
220兆円になるという想定を、内閣府
中央防災会議がまとめたものだ。
この筋には、東日本大震災の福島第一原発
での、数字にできない精神的被害も、
まだ明らかではな建物被害や経済活動の
被害も加算されてはいない。
この記事の横には、「原発事故盛り込ます」
という至極まっとうな見出しがついた記事と、
その下には、福島第一原発での停電事故、
燃料給油プールが冷却停止した記事(3時間後に
公表)も掲載されている。
去年も4号機プールで冷却が停止し、
水温が一時43度まであがったことも、わたし
たちは忘れてはならない。
今なお「何があっても不思議ではないこの列島で」
政権は原発を推進し、海外にまで輸出しようと
している。
豊中での集まりには、親子で関西に避難している
女性も参加されていた。
4人のお子さんのうち、高校生のおねえちゃんだけ
福島の祖父母の家で暮らしている。
「小さいのもいないと淋しい、という両親の言葉を
聞くたびに、わたしはわがままなのでは? 帰ら
なくてはいけないのでは}と思います、と涙ぐんで
おられた。彼女は、9日の反原発集会でも
素晴らしいスピーチをされた。
今日は朝から快晴。
たまった洗濯をしながら(乾燥機を使わないで
すむのがうれしい)、これまた、たまった原稿を書いて、
夕方からは外での仕事だ。
いい天気だ。
2013年3月14日木曜日
3月14日
春の嵐、というと、なんだか文学的でも
あるけれど、昨日もまた砂嵐が。
10日もデモに出る直前から砂嵐になったが。
福島双葉出身の歌人、佐藤祐禎さんが
12日に亡くなられたことは、一昨日のブログでお報せした。
土曜日がご葬儀だそうだ。
ゲームクリエーターの飯野賢治さんも亡くなった。
40代。若すぎる、本当に若すぎる死である。
わたしはゲームをしないので知らなかったが、天才的
クリエーターだと言われていたという彼である。
その飯野さんが、2011年福島第一原発事故のあと、
ご自分のブログで、反原発をおっしゃっていることを
編集部のスタッフから聞いて、クレヨンハウスの
育児雑誌『月刊クーヨン』でインタビューをさせて
いただいたのは、2011年7月号の『クーヨン』だった。
穏やかなかただった、と取材にいったスタッフも言っていた。
そのインタビュー記事を改めて、ご紹介したい。
……もともと原発の問題には関心があって、いくつかの活動に名を
連ねてはいたんですが、たいした運動をしているわけではありませんでした。
仕事のこともあって、公然と「原発反対」と言ってこなかったところもあったん
ですが、このタイミングで言わなければ ずっと言わないだろう、それも気持ち悪い
なと思ったんです。
自分の態度を公にして、その姿を子どもにも見てほしい、そして考えてほしいと思っ
たんです。
原発の話って、経済効率や安全性はどうか、だから反対か賛成か という話になりが
ちだけれど、
そういう論理的なことで判断していくと、失敗してしまうと思うんです。
ぼくは、先の世代を考えることが大事だと思う。
原発は廃棄物の処理に10万年もかかる。そんな後回しはないですよね。
世の中「自分がOKなら OK」と言ってしまうと、環境問題でも何でもどうでもよく
なってしまう。
たとえば、ふだん「親や友だちには迷惑をかけたくない」と 思いますよね。
そんなふうに気にかける範囲を広くし、時間軸まで 広げていくやさしさが
ひととしては大事で、原発にはその視点が欠けていると思います。
子どもに話すときも、論理的な説明はあまり届かないんです。
それよりも、こっちもまだ悩んでいる、ことばを選んでいる、そういう気配を、
子どもって敏感に感じ取るんですよね。
逆にそういう態度を見せられないと、親ではなくなってしまう気がしたんです。
テレビや本が言うことと、変わらなくなってしまいますから。
結局は 息子が自分なりに考えてどう思うかでいいんですが、話してみたら
意外と原発にポジティブで驚いたんです。いまの子は普通に生きているとそうなっ
ちゃうんだ、と。
子どもはこういうときの親の行動を見て、ちいさなひとこともよく聞いています。
いま親がどう動くか、そのコピーで大人になると思っていい。
そう考えると、いまほど教育の機会はないと思いますよ。
ぼくが先の世代を考えれば、息子もその先の世代を考えてくれる。
伝えなければその視点をもたない。だから話をしようと、
うちの親父が聞いたら笑っちゃうような当たり前のことを言っているだけなんです。
話せる状況はふだんからつくっておかなきゃ。
わがやは年に一度、上の息子が小学2年生くらいから父子旅行をしているんですよ。
下の子にも、そのうち話をしていかなきゃいけないですね……。
2011年の春にこのインタビューをお願いしたとき、
その春に中学に入学した「上の息子」さんと、
まだ小さかったもうひとりの息子さんと、
飯野さんは写真におさまってくださった。
あるけれど、昨日もまた砂嵐が。
10日もデモに出る直前から砂嵐になったが。
福島双葉出身の歌人、佐藤祐禎さんが
12日に亡くなられたことは、一昨日のブログでお報せした。
土曜日がご葬儀だそうだ。
ゲームクリエーターの飯野賢治さんも亡くなった。
40代。若すぎる、本当に若すぎる死である。
わたしはゲームをしないので知らなかったが、天才的
クリエーターだと言われていたという彼である。
その飯野さんが、2011年福島第一原発事故のあと、
ご自分のブログで、反原発をおっしゃっていることを
編集部のスタッフから聞いて、クレヨンハウスの
育児雑誌『月刊クーヨン』でインタビューをさせて
いただいたのは、2011年7月号の『クーヨン』だった。
穏やかなかただった、と取材にいったスタッフも言っていた。
そのインタビュー記事を改めて、ご紹介したい。
……もともと原発の問題には関心があって、いくつかの活動に名を
連ねてはいたんですが、たいした運動をしているわけではありませんでした。
仕事のこともあって、公然と「原発反対」と言ってこなかったところもあったん
ですが、このタイミングで言わなければ ずっと言わないだろう、それも気持ち悪い
なと思ったんです。
自分の態度を公にして、その姿を子どもにも見てほしい、そして考えてほしいと思っ
たんです。
原発の話って、経済効率や安全性はどうか、だから反対か賛成か という話になりが
ちだけれど、
そういう論理的なことで判断していくと、失敗してしまうと思うんです。
ぼくは、先の世代を考えることが大事だと思う。
原発は廃棄物の処理に10万年もかかる。そんな後回しはないですよね。
世の中「自分がOKなら OK」と言ってしまうと、環境問題でも何でもどうでもよく
なってしまう。
たとえば、ふだん「親や友だちには迷惑をかけたくない」と 思いますよね。
そんなふうに気にかける範囲を広くし、時間軸まで 広げていくやさしさが
ひととしては大事で、原発にはその視点が欠けていると思います。
子どもに話すときも、論理的な説明はあまり届かないんです。
それよりも、こっちもまだ悩んでいる、ことばを選んでいる、そういう気配を、
子どもって敏感に感じ取るんですよね。
逆にそういう態度を見せられないと、親ではなくなってしまう気がしたんです。
テレビや本が言うことと、変わらなくなってしまいますから。
結局は 息子が自分なりに考えてどう思うかでいいんですが、話してみたら
意外と原発にポジティブで驚いたんです。いまの子は普通に生きているとそうなっ
ちゃうんだ、と。
子どもはこういうときの親の行動を見て、ちいさなひとこともよく聞いています。
いま親がどう動くか、そのコピーで大人になると思っていい。
そう考えると、いまほど教育の機会はないと思いますよ。
ぼくが先の世代を考えれば、息子もその先の世代を考えてくれる。
伝えなければその視点をもたない。だから話をしようと、
うちの親父が聞いたら笑っちゃうような当たり前のことを言っているだけなんです。
話せる状況はふだんからつくっておかなきゃ。
わがやは年に一度、上の息子が小学2年生くらいから父子旅行をしているんですよ。
下の子にも、そのうち話をしていかなきゃいけないですね……。
2011年の春にこのインタビューをお願いしたとき、
その春に中学に入学した「上の息子」さんと、
まだ小さかったもうひとりの息子さんと、
飯野さんは写真におさまってくださった。
登録:
投稿 (Atom)