「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2012年5月27日日曜日
5月27日
今日は荒川で講演があった。
大幅に遅れ気味の単行本のまとめに、なかなか落ち着いてとりかかれない。
先日、数時間だけ、肋骨のひびのために巻くきついコルセットを外していたら、
ほかのところに負担がかかったためか、背中や腰が痛むようになった。
コルセットをすると、今度は声がスムーズに出ない、という塩梅だ。
もう少しの辛抱、なんのこれしき!これくらい!で、
わたしは参りはしないと思いつつ、ちょっとばかり落ち込むのも事実だ。
母がいた頃、周囲を安心させるためになんでも「大丈夫」と言う母に、
「痛いなら、痛いって言ってよ。お母さん、なんでも大丈夫というのは、やさしさじゃないんだよ」
などと言った娘が、同じことを娘のほうもやっているな、と苦笑。
痛みも充実も、悲しみも喜びも、当人しかほんとのところはわからない。
東京、今日も快晴。かなり暑い。
洗濯をしっかりしてから、外出したかったけれど、パソコンに向かっているうちに、タイムリミット。
夜になってしまった洗濯。
いろいろなところで、選挙の話がでる。
選挙といえば、「一票の格差」である。
国会は一票の格差を、いつまで放置するつもりなのか。
どこの論調も「結論先送りで、衆院解散総選挙を先のばしているしか思えない」で一致している。
その通り、だ。
国会は現在、違法状態だ。通常、違法だと捕まるわけだが、国会を丸ごと逮捕しなければならない、のでは?
参院も同じ。このさい、自動的に公平にするシステムは作れないものか?
いつも継ぎ接ぎで、定数を決めているのは納得いかない。