2014年11月24日月曜日

11月24日

長野県で、大きな地震が。
無残にも崩れ落ちた民家を写す画像をみて、息を飲む。
先の御嶽山の噴火と大きな犠牲を考えてみても、
改めてわたしたちは、
火山列島、地震列島の上に
暮らしていることを痛感させられる。
にもかかわらず、原発の再稼働に踏み切る、政府。
川内はもとより、そこに暮らす人々の暮らしに想像力を働かすことなく、
それ自体が崩壊しつつある経済のために、
すべてを犠牲にして心痛むことのない人たち。
このひとたちが、この国のほとんどすべてを決めていると考えるだけで、
頭がくらくらする。
しっかり自分の一票をいかそう。
旅続きの日々の中で、そのことばかりを考えている。

福島の動物たちのレスキューにかかわり、
ノンフィクションを記された作家・森絵都さんをお迎えしての「朝の教室」。
先の土曜日に無事に終了。
ご参加、ありがとうございました。
自分に何が起きたのか? 
どうして今までずっと一緒だった家族(人間)は
突然、どこかに消えてしまったのか?
何ひとつ説明されないまま取り残された
福島の動物たちの姿に、会場からは嗚咽も。
「ごめんなさい」。
泣いてしまった自分を謝罪されたあなた。
泣いてもいいんだ。わたしたちは何度でも
「そこ」から始めればいい。
「そこ」から立ち上がればいい。
選挙について発言されたあなた。そう。
いまこそ、今度こそ、わたしたちの一票が問われて
12月の朝の教室の講師はエコノミストであり、
同志社大学大学院の
ビジネス研究科長専門職学位課程教授・浜矩子さん。
暮れの27日の講演会であるにもかかわらず、
すでに沢山のお申込みをいただいている。

2014年11月21日金曜日

11月21日

昨日は朝から午後までの長時間の仕事があり、
そのあとは、「1945年生まれ」の座談会が文藝春秋で。
雨脚がひどくなる夕暮れ。久しぶりに聖イグナチオ教会を
窓の外に見ながら、座談会で話す資料にざっと目を通していた。
なんせ、1945年~現在まで。長い長い歴史だ。

今朝は早くから、
来年早々に刊行される「積極的その日暮らし」のゲラ校正。
今日はこれから東京を離れる。
バタバタの日々が続いている。帰宅は遅い時間になる。
明朝は9時から「朝の教室」。
東日本大震災、特に福島の動物たちのレスキューに
参加された作家・森 絵都さんの報告のお話を、
画像をまじえながら、うかがいます。
わたしはまだ画像も拝見していないので、
動物たちのどんな姿、
どんな表情がそこで見ることができるのか……。
すでに胸がいっぱい。

人間を信頼しきった犬や猫、あるいは他の動物たちに、
わたしたち人間が返したのは、未曽有の原発事故。
当然、そこに暮らす人々もまた。
にもかかわらず、再稼働に踏み切り、原発を輸出する政府がここに。
600億円以上も使って、いまなぜ選挙なのか!
そんなお話もできたら。
それでは、行ってまいります!

2014年11月18日火曜日

11月18日

風が強い午後の街。
電信柱に貼られたチラシの三方が剥がれている。
何のチラシ? 剥がれた角をもう一度貼り直してみると、
「探しネコ」のそれだった。
数日前から見えなくなってしまった。
行方を捜している。連絡先は……
とワープロで打たれた文字の横、
名前を呼ばれてひょいと振り向いたような姿の
まだ若いネコの写真が貼付されていた。
風が冷たい。今夜は冷えそうだ。
さぞかし心配だろうと思いつつ、
今週の土曜日の朝の教室を考える。
講師は作家の森 絵都さん。
数々の作品でおなじみの作家だが、
彼女の『おいで、一緒に行こう』を読んだのは、
2012年の初夏だったろうか。
福島原発20キロ圏内のペットレスキュー
というサブタイトルが語るように、
あの第一原発の事故のあと、
取り残されたネコや犬たちのレスキューを描いたノンフィクションだ。
動物好きのわたしには、いろいろな意味で「たまらない」作品だった。
以前、処分される直前の犬や猫の写真展を
何度かクレヨンハウスで行い、
大きな反響をいただいた経験もある。
連れていけなかった人間も辛い。
残された動物も、
ひたすら飼い主が帰ってくるのを待ち続ける動物もまた……。
一匹一匹と丁寧に向かい合った森さんのお話を、
反原発・廃炉を求めるわたしたちも丁寧に確かに受け止めたい。
11月22日午前9時から、クレヨンハウスで。

2014年11月15日土曜日

11月15日

きりりとした冷気を感じる季節。
好きです、わたしは。
ただいま土曜日の午前6時。
林檎をかじって、さ、出かける時間だ。

相変わらず、土日や祝日は東京を離れる日々が続いている。
そして怒髪もまた相変わらずだけれど、
11日の抗議行動に参加されたかたがた、風邪をひかれませんでしたか?
気持ちは熱く、けれど外気はかなり冷たく、の夜でしたが。

昨日は作家・黒井千次さんと「老い」についての対談。
長い間、わたしは黒井さんの作品の愛読者。
素敵に年齢を重ね、それが作品にも深く反映されています。

 愛読者といえば、22日(土)のクレヨンハウス朝の教室の講師は、
作家の森 絵都さん。彼女の作品もずっと読んでいます。
リズム』から始まって、『カラフル』、『風に舞いあがるビニールシート』、
『つきのふね』、『アーモンド入りチョコレートワルツ』等々。

今回で53回目(よく続いたなあ)にあたる朝の教室のテーマは、
「原発と動物のいのち」。

2011年3月11日直後から、被災地の動物たちへのやむにやまれぬ思いで、
「ペットレスキュー」の活動に参加されながら取材も続けてこられた森さん。
原発事故と動物たちのいのちについて、ご一緒に考えましょう。

ところで選挙、だって!
この小選挙区制、野党(何を野党と呼ぶかは別として)がそれぞれ
候補を立てていたのでは、この政権はあと4年も続いてしまう。
なんとか柔らかな野党のネットワークはできないのか。
調整という言葉は好きではないのだけれど、前回の選挙でも
うまく調整をしていたら、勝てた地区が幾つもあった。
少々焦っています。

さ、家を出る時間。お元気で!

2014年11月10日月曜日

11月10日

毎年のことながら、この季節、東京を離れることが多く、
ブログもご無沙汰してしまいました。
昨日日曜日は米原、人権をテーマとした講演会でした。
11月7日、鹿児島県議会は川内原発の再稼働を可決しました。
県知事も再稼働に同意。
こんなにも反対の声があがっているにもかかわらず、です。
酷いものです。

ところで、明11日は「11・11総がかり国会包囲行動」があります。
18時~です。ご多用とは思いますが、お時間が許す限りぜひご参加を。

以下、主催事務局資料より
●戦争させない・9条壊すな!11.11総がかり国会包囲行動
 日時:11月11日(火)18時30分~20時
 主催:戦争をさせない1000人委員会/解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会
 場所:国会議事堂周辺
4方向から国会を取り囲み、抗議の声を上げます。
(国会正門エリア・議員会館前エリア・首相官邸前エリア・国会図書館前エリア)
戦争をさせない1000人委員会は「議員会館前エリア」を担当します。


暗くなってからの行動です。ひとりひとりの抗議の意思を示すために、スマートホン、ペンライト、懐中電灯など、光るものをぜひお持ちください。
それぞれ思いを込めたプラカードやメッセージボードも。

2014年10月24日金曜日

10月24日

昨日は12月の寒さ。
今日は陽射しの中を足早に歩けば
うっすらと汗ばむような温かさ。
あれもこれもと気になることばかりの社会だ。

9月の末だったか、友人からミズ・エマ・ワトソン
UN Women 親善大使 国連でのスピーチが送られてきた。
ジェンダーの平等を達成するために、
この地球上のすべての男性にコミットメントを求めるキャンペーン、
HER FOR SHEのスタートを期しての、スピーチだ。

スピーチの中、
「今でなければ、いつ?」、「自分でなければ、誰が?」という問いかけがある。
川内原発の再稼働、そして次は高浜原発か? 
と言われるいま、特定秘密保護法が
12月から実効性を持つと言われる「いま」。
声をあげるのは、「いまでなければ、いつ?」
それぞれの「わたしでなければ、誰が?」の問いかけは
わたしたちの現状にもそのまま適用できる。

あの「ハリーポッター」の
ハーマイオニー役の少女エマ・ワトソンが!
フェミニズムについての捉え方も、素晴らしい、
とオールドフェミニストのわたしは考える。
是非、お時間がある時に以下をご覧ください。
日本語字幕付きです。

>エマ・ワトソン UN Woman 親善大使国連でのスピーチ

11月1日、「朝の教室」の講師は、「ニュース23」をはじめ、
毎日のようにテレビでお目にかかっている
毎日新聞の岸井成格さん。
いまや数少なくなった
テレビでも活躍するリベラル派のお話をご一緒に。

2014年10月15日水曜日

10月15日

昨日14日、東電は福島第一原発の2号機東側にある井戸で、
採取された地下水から、セシウムが
1リットルあたり25万1000ベクレル検出がされたと発表した。
過去最高値!!!
セシウム134が6万1000ベクレル、
セシウム137が19万ベクレル。
東電が敷地内に散水する場合として定めた基準値は、
セシウム134が15ベクレル未満、
137が25ベクレル未満ではなかったのか?
それが25万1000ベクレルとは!

気が遠くなる。
東電では
「台風18号のせいで地下水位が上昇したのだろう」
と説明しているが。
真実、台風のせいだけだろうか?
万が一、台風のせいだとしても、
これから何度台風がこの列島を襲撃するというのだろう。
規制委員会は、こういった事実に返答なし、なのか。

再稼働をすすめている政権も、無視して、
スルーし続けるのか。
酷過ぎる。
この「置き去り状況」を打開する方法はないのか。
このニュースが配信されたのとほぼ同時刻、
宮城県北部では震度4、中央部と南部では震度3の地震が。

更に、政府は特定秘密保護法 について、
昨日 「政令および運用基準」を閣議決定した。
このままいくと、この法律は 12 月 10 日から施行 される。
情報に、わたしたちの知る権利に、シバリがかけられる。

そんなことも含めて、次回のクレヨンハウス朝の教室
11月1日(土)、講師は毎日新聞特別編集委員、
TBSの「ニュース23」でもおなじみの岸井成格さん。

お聞きしたいことが山ほどある!

2014年10月13日月曜日

10月13日

週末ごとに大型の台風が。
不穏な政治状況を映したわけではないだろうが、
列島の天気もまた、
きわめて不穏なそれに変わってしまったようだ。
鹿児島に台風が上陸などと報道されると、
川内原発の「いま」が心配になる。
福島第一もまた。
御嶽山の噴火で、
予期せぬ被害に遭われたかたがたを思うと、
この火山列島に原発があることの恐怖を
今更ながら思い知らされる。

以下、鹿児島川内原発についで
再稼働の計画が進められていると言われる、
福井高浜原発について拡散要望のお報せが。
以下をご参照ください。

……「福井県の原発の再稼働を認めないよう西川一誠知事に求める署名」が、
県外の人たちも(海外の全世界からも)下記サイトからイン ターネットで参加できるようになっています。
現地では、必死の署名集めが展開。
http://fukui.jpn.org/

 ・恒例の朝の教室。

次回は、11月1日(土)に開催。
講師は毎日新聞特別編集委員、
「ニュース23」のアンカーでもある岸井成格さん。
秘密保護法、集団的自衛権、原発について、
わかり易いお話をいただけるはず。
メディアの中におられるゆえに「見える景色」と、
わたしたちからのメディアへの疑問や要望についても、
率直に語り合いましょう。
混雑が予想されます。早めのご予約を。

2014年10月10日金曜日

10月10日

ノーベル平和賞が、パキスタン出身、英国在住のマララ・ユスフザイさんと、
インドの子どもの人権の活動家、カイラシュ・サティアティ氏(60)に決定した。

「憲法九条」は残念ながら、今回は受賞を逸したが、またの機会を!
マララ・ユスフザイさんは史上最年少の受賞者だ。
イスラム武装勢力タリバンに襲撃され重傷を負いながら、
女性や子どもの教育の機会をと訴え続け、
わたしはマララ』という翻訳も出ている。
受賞者はふたりとも、「子どもの人権」を軸に活動をしている。

子どもは、わたしたち大人の未来形の夢の形だ、
今回の受賞は、子ども=現在・未来を大きな世界的なテーマであると同時に、
大人社会のミッションとしてとらえた結果でもあるだろう。
それはそのまま日本国憲法がうたう、学問の自由の23条をはじめとして、
憲法の各条項のテーマとも重なるものだ。
九条が受賞したら、という前提付きで
憲法についての原稿や取材、座談会等をお受けしていた。
それらは流れたが、やはり憲法はかけがえのないものだと思う。
過去の受賞者の活動と、日本国憲法の条項の幾つかはしっかり重なる。

次回の朝の教室
11月1日(土) 講師はTBS「NEWS23」や「サンデーモーニング」等でもおなじみの、
毎日新聞特別編集委員の岸井成格さん。
ウィークデイは「NEWS23」、日曜はタイトル通り「サンデーモーニング」と出ずっぱりの岸井さん。
お疲れであることは充分承知で、お願いした「朝の教室」。
ご快諾いただけて、感謝。
告知が遅れてしまいましたが、参加のご予約はお早目に。
集団的自衛権についても詳しいお話がうかがえるはずです。

2014年9月25日木曜日

9月25日

23日、「さようなら原発全国大会」。
晴天に恵まれて、無事終了。

おつかれさま!でした。
代々木公園から亀戸中央公園に
会場が変わりましたが、
16,000人(主催者発表)ものかたがたが
全国から集まりました。
九電の川内原発再稼働反対と、
もちろん福島への思いを再び心に刻む集会&デモ。

わたしは「デモ体質」なのかしら? 
デモをすると、机にへばりついていると時に見舞われる
腰痛が消えるのです。普段、運動不足ということかも。

横断幕を手に歩き始めて15分もたった頃。
一軒の葬儀社の前を通りかかりました。
この前で声をあげるのは失礼かも、と思った時、
その会社の前には、黒いスーツ姿の
中年の男性がひとり立っているのが
目に入りました。
社員であるのか、あるいは御葬儀の相談に
来られたかたなのかは知りませんが、
「うるさい」と思われたのかな、申し訳ない
と場所柄、戸惑いましたが、しかし……。
わたしたちが「さ、い、かどう 反対」と
声をあげるたびに、彼のぴっかぴかの
黒い革靴の爪先が、なんと同じように
リズムをとっているではありませんか。

最初、錯覚かしら? とわたしの視線は彼の
革靴の爪先に釘付け。何度見ても、爪先が
「さいかどう はんたい」、「さいかどう はんたい」。
舗道の彼の横を、車道のわたしたちが通過する時には
彼の唇も音声を消したまま、
「さいかどう はんたい」「さいかどう はんたい」
と確かに動いていることを発見。
なんか、すっごく嬉しかった。
「前回もそう感じたけれど、下町って道行くひとの
反応が率直ですね」
解散後にハイタッチを繰り返した、女性たちの感想。

51回目を迎える朝の教室
28日(日)の講師は、作家の高橋源一郎さん。
以下、高橋さんの単行本から。「次男」さんが
「重度な障がい」を負うかもしれないと医師から
言われた時のことを記された文章だ。
……わたしと妻は、一度、帰宅した。用意すべきことがいくつもあったからだ。
(略)次男がこれからずっと寝たままで生涯を過ごすとして、いくら経費がかかるか、
わたしが死んでからなおどれほどの年月、彼は生きねばならぬかを考えた。
わたしに財産はないに等しい。それからまた別のことを考えた。
重度な障害の遺った次男は、
どんな生活をおくることになるのか。教育はどうなるのか。
(略)翌朝、わたしは、それがどのようなものであろうと、事実を受け入れるべきだと
考えるに至った。
そして、その瞬間、不思議なことに、いままで考えたことのないような深い喜びを感じた。
いま思えば、その夜、わたしはキューブラー・ロスが言った「死を受け入れる5つの段階」を
経験したのだ。
否認(なぜ、彼が死んだり、障害者にならなければならないのか)→怒り(彼には
なんの咎もないのに)→取引(わたしはどうなってもいいから、彼を元に戻してほしい)
→抑鬱(もう耐えられない)→受け入れ(この事実を認め、どうやって彼と共に
生きてゆくかを考えよう)である。
子どもの死は、わたしにとって、自身の死に匹敵するものだったのだろうか。
あるいは、解決できない難問を前にすると、
わたしたちはいつも「死を受け入れる5つの段階」と同じステップを踏んで
考えるしかないのだろうか。
わたしは、次男が死ぬまで身動きできず、ことばも話せないという状態になったとして、
最後まで支えることを決めた。
「決めた」というのは、おかしな表現かもしれない。それは、「責務」だろうか? 違う、
とわたしは感じた。わたしたちにとって義務や仕事の多くは
「わたしではなく、他の誰か」でも代替可能なものだ。だが、その次男を支えて
生きることは「他の誰かではなく、わたしたち親」に対して、捧げられた仕事なのだ、
と感じた。
わたし(たち)にしかできない仕事、あるいは義務、それは喜ばしいものでは
ないだろうか。
一日かかって、前掲の結論に辿りつかれた高橋さんは、そのことをおつれあいに告げた。
……すると、妻は呆れたように「そんなことを一日考えてたの?」といった。
わたしが一日かかってたどり着いた結論に、妻は、医師の宣告から数分で
たどり着いていたのである。
わたしたちが彼らを必要としているのだ……。
こういった切実な体験を通して(だろう)、高橋さんは「弱さ」というキイワードを
再発見する。
「弱さ」とは何なのか。それは「否定」されるべきものなのか。
むしろ、「そこ」から学ぶものがあるのではないか……。
原発に関しても、この時代の諸々の現象、コトやモノに関しても、
様々なご意見がある「高橋源一郎ワールド」。
お楽しみに。わたしもすっごく楽しみだ。

2014年9月21日日曜日

9月19日

昨日土曜日は「九条の会 こがねい」での講演。
50代以上のかたが会場には多かったですが、
学生さんたちもいらっしゃっていて、和やかな中に
社会を拓いていこうという決意が感じられる会でした。

23日(秋分の日)は「さようなら原発」全国大集会です。
以下をご参照ください。

会場:亀戸中央公園←(代々木公園から変更。お間違いないように)

11:00
 ブース開店
 第二ステージ ライブ&トーク 開始
  司会:菱山南帆子(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
  ゼロノミクマ
  桃梨&制服向上委員会
  島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS
  小野有五さん(北海道大学名誉教授)
  パク・ヘリョンさん(韓国・脱原発新聞共同代表)
  チェ・スーシンさん(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
  若泉政人さん(もう動かすな原発福井県民署名実行委員会共同代表)
  河合弘之さん(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)
  村上達也さん(東海村元村長)

12:20 第二ステージ・ライブ&トーク 終了

12:20 第一ステージ ライブ・スタート
    エセタイマーズ
13:00 第一ステージ トーク開始
  司会:木内みどりさん
  鎌田慧さん
  内橋克人さん
  澤地久枝さん
  大江健三郎さん
  大石又七さん(第五福竜丸元乗組員)
  向原祥隆さん(反原発・かごしまネット代表)
  橋本あきさん(原発いらない福島の女たち)
  古今亭菊千代さん(落語家)
  パク・ヘリョンさん(韓国・脱原発新聞共同代表)
  チェ・スーシンさん(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
  広瀬隆さん
  落合恵子

14時15分頃からデモに出ます。
ご無理のない範囲で、ご参集を。


28日(日)9:00、
クレヨンハウス「朝の教室」の講師は、
作家の高橋源一郎さん。
この社会における「弱さ」とは何なのか。
「弱さ」を否定する社会の恐ろしさ
についてもお話をいただけると思います。

2014年9月18日木曜日

9月18日


9月も半ばを過ぎて……。
お元気ですか?
暑さ疲れが出る頃です。
どうかご自愛を。

9月に入ってからも、
「戦争をさせない1000人委員会」の集会(at日比谷野音)、
経産省テントひろば3周年(なにひとつ収束していない!!)など、続きました。

そして23日は、「さようなら原発、川内再稼働反対」の集会とデモが。

当初代々木公園を予定していましたが、デング熱で閉鎖。
亀戸中央公園に会場が変わりました。
ご無理のない範囲で、どうぞよろしく! 
もちろんわたしも参加します。
川内が再稼働になれば、あとはなし崩しに。

わたしたちは、原発が稼働しなくとも暮らしていけることを、
夜になれば電気がつき、冷蔵庫は動いていることに、
スタンドの灯りのもとで本を読む楽しさも奪われないことを
すでに充分に体験してきました。

それでも、原発を動かすというのか!
いまもって10数万の人々が郷里に、わが家に、
戻ることができないこの現状を、
推進派はどうとらえているのか。
「反対」の声は切り捨て、蓋をし、
「賛成」の声だけを拾い上げていくやりかたにこそ、
原発的体質が。

さらにこのままいけば、
日本のジャーナリズムは壊滅する。
むろん誤報は改め、謝罪すべきだが、
この流れが続けば、
自主規制はさらに強まり、
大本営発表の時代が来るのか。
「戦争前夜」を作っていはならない、と心から。

もろもろの思いをこめて、23日に会いましょう!

もうひとつお報せ。
51回目を迎える原発とエネルギーを考える「朝の教室」。
講師は作家の高橋源一郎さん。
いま本を読み返しているのだが、共感する。
とてもいい。

今日は朝から仕事。
では、行ってまいります。

2014年8月15日金曜日

8月15日

8月15日早朝です。
外はまだ薄い闇の中。
終戦の日です。
69年前の今日、わたしは生後7か月の赤んぼうでした。
わたしと同級生になったかもしれない赤んぼうが
空襲で、機銃掃射で、防空壕の中で、栄養失調で、平時であったら
助かったはずの病で、どれだけいのちを断たれたことでしょう。
この国でも、戦争をしたどの国でも、
死んでいった子どもは、わたしだったかもしれないのです。
 
自分自身の人生を、「生ききる」ことの意味を考えています。
 
子どもの寝顔を見つめよう。
安心しきったあの寝顔を。
唇の端に、かすかな笑みを留めた寝顔を
全身で笑い、全身で泣く子の今日を、明日を、
大人たちが奪ってはならない。
ひとりひとりの子どもが、
充分に自分を生ききる権利を、
かつての子どもである
わたしたちが侵してはならない。
 
いま、秘密保護法のパブコメをやっています。
24日が締めきり。
この法律が施行されると、反原発や反基地の活動、
権力に異議申し立てをする、およそすべての活動が
不自由になり、他大な影響があります。
 
以下、拡散希望のメールから。
「……政府がパブコメの対象としている運用基準で何とかなるようなレベルの法律では
ありません。
日弁連のHPに文例が載っているので、ご参考を。
秘密保護法廃止実行委HPにも例文集が載っています。
http://www.himituho.com/

みんなで工夫して、パブコメをたくさん出して、秘密保護法の廃止を求める声が
大きいことを広く訴えよう」 
 
原発と新しいエネルギーを考える朝の教室は、
この8月、50回目を迎えます。
むろんこれからも続けますが、こういった会だって、
チェックの対象にならないと、誰が保証できるでしょう。
50回を記念した朝の教室は、「夕の教室」に。
東京ウィメンズプラザで、三宅洋平さんをお迎えして。
詳しくはクレヨンハウスのホームページを。

http://www.crayonhouse.co.jp/shop/pages/Morningstudy.aspx

2014年8月12日火曜日

8月12日

お盆休みで、久しぶりにゆったりとした時間を
過ごしておられるかたもおられるでしょうが……。
既にご存知のこととは思うが、
11日、東京電力は福島第一原発
1号機~4号機までの原子炉建屋周囲の井戸等から地下水をくみ上げ、
放射性物質の濃度を減少させた上で、
海に放出する計画を原子力規制委員会に提出。
汚染水が増え続けている現状への対策だという。
が、これもご存知のように、
地下水に含まれるセシウム、ストロンチウム等の
放射性物質の濃度を低下させることはできたとしても、トリチウムの濃度を減らすことはできない、と聞いている。
それらについて、当局はどう考えているのか。
地元の漁業関係者の不安は底知れないことと思う。
「海に放出」といっても、いったい、
「海」は誰のものなのか?
一企業や一国家が、
「海に放出」と決める権利があるのか。
集団的自衛権をもってしても、この国は世界から「敵」とみなされるようなことばかりを
実行している。
ずっと以前に新聞の投書欄に掲載されていた言葉、
「あれは汚染水ではなく、被曝水だ」という、
どなたかのやむにやまれる言葉を思い出す。

原発と新しいエネルギーを考えるクレヨンハウス朝の教室
50回目を迎える8月は、三宅洋平さんを講師にお迎えして、8月27日(水)18時30分~
東京ウィメンズプラザで。
若いひとたちも是非、ご参加を。

2011年、福島第一原発の事故の直後からスタートしたこの朝の教室
朝9時からという条件下で、けれど大勢のかたがたが、それも連続して参加してくださっっている。
吹けば飛ぶような一零細企業が、
「主旨には賛同だとけれど、そんなことして大丈夫?」
そんな声もいただいた。
「向かい風には慣れてるもんね」とわたし。
無事、50回目を迎えることができたのは、
受講生のかたがたの学びたい熱意と、
講師の方々の伝えたい思いがあってからこそ。
改めて、今後ともよろしくお願いいたします。

2014年8月10日日曜日

8月10日

昨日9日は長崎の原爆犠牲者慰霊平和記念式典だった
6日は、広島に向かう準備で、
後追いで記事を読むしかなかったが、昨日はテレビの前。
田上富久市長の平和宣言の中、
集団的自衛権の行使容認について、
政府に「不安と懸念の声に真摯に耳を傾けること」を要求した。「懸念」という表現は弱すぎるではないかという声もあるが、
政府と自民党主導の市議会を考えると、
精一杯の声明だったかもしれない。
被ばく者代表の城台美弥子さんの平和への誓いは、
事前に準備した原稿にはなかった文言も入ったと
今朝10日付けの東京(中日)新聞が報道している。
「出席した政治家たちを見て、黙っていられなかった」
と城台さんはおっしゃっている。
……いま、進められている集団的自衛権の行使容認は、
日本国憲法を踏みにじる暴挙です。
日本が戦争をできるになり
武力で守ろうというのですか?
武器製造、武器輸出は戦争への道です。
いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。
歴史が表明しているではないですか。
日本の未来を担う若者や子どもたちを
脅かさないでください……
 
平和のための思想と姿勢とは到底思えない、
現政権の「積極的平和主義」。
1942年、アメリカ合衆国の法学者が「消極的平和」と
ワンセットで唱えたという「積極的平和」という言葉と概念。
そしてノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが、
「戦争のない状態」を消極的平和とし、
積極的平和とは、戦争がないという状態だけではなく、
「貧困」やあらゆる「差別」等、
「社会的構造から発生する暴力がない状態」と定義。
平和学に限らず、
多くのわたしたちが考える「積極的平和」とは、
そういうものだ。
 
戦争がないことだけが平和なのではない。
あらゆる差別や格差、暴力と呼ばれるものの一掃こそ、
平和な暮らしの基本である……。
ずっと以前から、微力ながら言い続けてきたが、
この国は真逆の意味の
「積極的戦争主義」に向かっているような。
 
間もなく終戦の日。
次の、そのまた次の世代に、
戦争と平和を伝える拓かれた言葉をわたしたちは見つけたい。

2014年8月9日土曜日

8月9日

台風が近づいているせいか、
暑さが少し遠のいた土曜日。
お元気ですか?
元気でいてください。
でも、いつも元気なんて嘘、だよね……
などという言葉で始まる連載を遠い昔に
書いたことがあります。
 
今日6日は長崎に原爆が投下された日。
市長のどのような平和宣言がされるか
しっかり五感を研ぎ澄ませておこうと
(いまはまだ早朝)思います。
 
以下、拡散希望のお報せです。
 
川内原発現地で、九州各地の皆様のご協力で、
以下の集会を企画しています。
とにかく、川内原発再稼働ストップを
成功させなくてはという思いです。
全国の皆様にお知らせください。
1.    日時:831日(日)13:00~
2.    会場:鹿児島県薩摩川内市 川内駅西口前広場
  スケジュール
  川内集会13:00~
  デモ行進14:00~
  戸別訪問14:30~
  原発現地17:00~
3.    ストップ川内原発再稼働8.31九州・川内行動
   ~ストップ川内原発再稼働9.28全国集会 前段行動~
4.    主催: 原発いらない!九州実行委員会
協力:ストップ再稼働3.11鹿児島集会実行委員会
川内原発の再稼働をストップすることが、
全国の原発再稼働ストップにつながります!
皆さま、ぜひ、川内原発現地に集合してください!

7
16日、原子力規制委員会は、
川内原発が新規制基準に適合した
という審査書案を発表しました。
田中規制委員長は、
新規制基準合格は、
安全を証明するものではないと
何回も繰り返していますが、
伊藤鹿児島県知事も岩切薩摩川内市長も、
新規制基準合格なら安全性の証明だと豪語し、
再稼働に同意する様子です。
福島原発事故の教訓の一つである
原発災害の避難計画は、
再稼働の条件にもなっていません。
何よりも、福島原発事故の原因も究明されず、
汚染水問題、被災者の苦しみが続いている中での
 
再稼働は許されません!
川内原発現地の市民自主アンケートによると、
住民の85%は再稼働反対です。
しかし、議会では、80%以上が再稼働賛成です。
私たちは、この集会で、戸別訪問を行い、
住民の良心に訴えることにしました。
住民1人ひとりが、勇気をだして、
市長と議員たちに直接ハガキで、
ふるさとを守る思いを伝えることで、
再稼働ストップにつなげたいのです。
夏休み最後の日曜日、831日にぜひ、
川内駅前にお集まりください!
再稼働反対の声を出しにくい住民を励ましてください!
川内原発再稼働をストップするため、連帯しましょう。

2014年8月7日木曜日

8月7日

8月も今日は7日。
昨日、6日は広島に行きました。
広島に原爆が投下された日に
平和と反戦の思いを共有しようという集会。
女性たちが多い会でしたが、なんと!会場で、
秋田明大さんにお目にかかりました。
若いかたたちはご存知ないかもしれませんが、
全共闘のシンボルとも言われた彼です。
車の整備工場をされていることは知っていたのですが。
あの頃の「団塊の世代」。それぞれ、どこでいま、
集団的自衛権行使容認の政治を
見ているのでしょう。

広島に行く前は、恒例のクレヨンハウス夏の学校2014
長谷川義史さんや角野栄子さんたち、いわゆる
子どもの本に係る方々の他に、ゲスト講師として
99歳のジャーナリストむのたけじさん、
倉本聰さん、松本市長で医師でもある菅谷昭さんも
お招きしました。
どの講義も熱のこもった素晴らしいもので、
たくさんの宿題も。

毎月行ってきた「朝の教室」。
50回を迎える8月の講師は三宅洋平さん。
いつもはクレヨンハウスで朝9時スタートですが、
50回記念の講演は、近くのウィメンズプラザで18:00開場。
今まで講師をされた方々もお招きをしました。

外に出ることが続いて、
ちょい疲れ気味ではありますが、
自分との約束を確認し、確認させられる8月。
猛暑が続きます。
皆様、ご自愛を!

2014年7月15日火曜日

7月15日

やっぱりね。
口惜しいことに、不安が的中してしまった。
昨夏、福島第一原発のがれき撤去時に、
放射性物質が飛散したと思われるとの報道である。
東電は、放射性セシウムの総放出量を
最大4兆ベクレルと試算していたそうだが、
市にも伝えていなかったとのこと。
この4兆ベクレル、報道によると、
事故後の第一原発から放出される放射性セシウムの、
なんと!一万倍とか。と数字で書いても気が遠くなる。

こうなんだよね、いつだって。
いつだって、その時点では住民に知らされず、
ずっと後になって公になるのだ。
南相馬のお米から基準値を超えるセシウムが
検出されたこととの関係については、
東電は「事故直後のものかもしれず、断定できない」
と言っているという。
が、「事故直後」であろうと、
去年のがれき撤去時のものであろうと、
あれだけの過酷事故そのものに原因があることに変わりはない。
酷い国であり、政権であり、電力会社だ。
政・財・官・アカデミズム、そして一部メディアの
癒着体質は何一つ変わっていないし、
だいたい変える気などないのだろう。
九州電力の川内原発の再稼働も秒読み状態。
16日にも規制委員会はゴ―サインをだすらしい。

「国民の生命と自由と幸福追求の権利」だって?
それらが明白に危険にさらされた時、
集団的自衛権の行使は容認されるって?

ひとりひとりの福島の住人の、
自由と幸福追求の権利をはく奪しているのは、誰だ!

49回目の「朝の教室」。
講師は作家であり作詞家の、なかにし礼さん。
「権威なんてまったく信じていない」(先日、週刊誌で対談)とおっしゃるなかにしさんと、
怒りの言葉と思いを、そしてこれからの暮らしをシェアしよう。
ただいまキャンセル待ちの状態ではありますが。

2014年7月9日水曜日

7月9日

夜型の日々が何十年も続いたが、
いまは完全な朝型というか、夜明け型。
ぐいぐい伸びている朝顔の蔓。
若い葉に点々と虫食いの跡が。やられた!
効果あるかどうかわからないが、
木酢液をかけてよく見ると、
小さな小さな尺取虫風が葉を食べていた。

さて、葉を食う虫ならまだ許せるが、
川内原発再稼働(どの原発もそうだが)は決して許容できない。
今夕18時~川内原発再稼働を許さない!緊急集会!
昨日も道南、道央で大きな地震があった。
北海道には泊原発、青森には東通原発、六ヶ所村がある。
運転していなくとも、54基の原発がこの国にはあるのだ。
動いていなくても、あるだけで危険なのが原発。
プールの水がなくなれば、使用済み核燃料が露出し、たちまち放射能汚染が。
その上、集団的自衛権の行使容認を閣議のみで決定してしまったこの国。
原発がテロの対象にならないと誰が保障できるだろう。
福島第一原発の過酷事故から3年余り。
対応は遅れに遅れ、その場凌ぎのことばかり。
同じことを繰り返すのか。
今日9日にも、原子力規制委員会が川内原発1.2号機について
適合性審査の報告書をだすと言われていたが、
少し来週以降になったと報道されている。
が、予断は許されない形勢。
昼間の緊急国会前行動と、夕方の緊急集会。
ご無理のない範囲でご参加を。
昨日のブログに、夕方の集会は明治公園と書いたが、間違いです。
会場は「代々木公園B地区」。ごめんなさい。
これから原稿を3本書いて、外での仕事を終えて、緊急集会と合流する。
長い一日になりそうだが、しっかり朝ご飯食べて、GO。

2014年7月7日月曜日

7月7日

小雨模様の七夕、月曜日。
クレヨンハウスの玄関にある笹には、いろいろな願いごとを書いた短冊が。
平仮名を覚え始めたような小さなひとが一生懸命書いた短冊もあれば、大人(たぶん)の文字もある。平和や安全について記したものがやはり多い。

昨日は三重県鈴鹿での講演会。「3.11を忘れない」、というタイトルのもとに、大勢のかたがたが集まってくださった。昨年だったか、京大原子炉実験所の小出裕章さんのご講演を聞いて、このままではいけない、ひとりひとりが声をあげようと作られた20数人の実行委員会のかたがた。
みな、熱い。1200人以上の市民のかたがたで、さらに熱いひとときが。
原発と、7月1日に臨時閣議で決定した集団的自衛権の相似形のプロセスについても話をした。
いつだって市民を蚊帳の外にしておいて,結果だけ「自己責任」とばかりに市民に負わせるのが、この国の常套手段。
ひとたびことが起きれば、苦しみ傷つくのは、それぞれの市民であり、その家族である。
安全神話が流布され続けた原発と、「国民の生命と自由、幸福追求の権利」が侵害されるときに、集団的自衛権の行使は容認されるというもの言いも、どこか底流で共通するものがある。
ため息が出るようなこの国の「いま」。

来週土曜日19日の朝の教室、講師は、作家であり作詞家である
なかにし礼さん。彼はいま、「君 死に給うことなかれ」に匹敵する2014年の詩を書いておられるはず。
9日(水曜日)は、再稼働を巡る状況が緊迫している川内原発の再稼働に反対する集会が、代々木公園B地区で。18時過ぎから、という連絡が。

2014年7月5日土曜日

7月5日

7月1日。奇しくも60年前に自衛隊が発足した同じ日に
政権は、集団的自衛権の行使容認を臨時閣議で決定した。


言うまでもなく憲法は、権力の暴走へのシバリになるものであるのだが、
国民に信を問うことなく、国会も通さず、
臨時閣議で決定してしまった。
民主主義、そして立憲主義の息の根が止められようとした日として、
この日は歴史に刻まれるだろう。

その日の19時から、大江健三郎さんたちと反対の記者会見を
永田町の星陵会館で開いた。
会場に行く前、官邸前、国会周辺は抗議する人たちで
埋め尽くされていた。
抗議に集まった中高年層の一部が帰宅し、
代わって若者たちが増えはじめた時間に、
解釈改憲反対の会見(同じ「かいけん」でも中味は真逆)がスタート。
その前日、自衛隊員の妻から、
「私たち家族はどこに向おうとしているのか」
と言う悲鳴に近い電話があった、
30代、3歳と5歳の男の子がいるという。

以前にもご紹介したことがあったかもしれないが、
以下、エーリヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』より。

……賢さを伴わない勇気は乱暴であり、
勇気を伴わない賢さは無意味です。
世界の歴史には、愚かな連中が勇気を持ち、
賢い人たちが臆病だったような時代がいくらでもあります……

閣議決定なのだから、まだ間に合う!

 7月の「朝の教室」は、19日(土)に。
講師は、作家であり作詞家でもある、なかにし礼さん。
先日、対談でお目にかかったばかりだが、
「いま、書いて言っておかないと」とおっしゃっていた。

閣議決定なのだから、まだ間に合う!

すべてが決まってしまう前に、ご一緒に考えよう。

2014年6月28日土曜日

6月28日

早くて1日、遅くとも4日頃までに集団的自衛権の行使容認が決まると、聞いた。

これだけ多くの市民が、そして心ある首長の中からも反対の声があがっているにもかかわらず、それらの声に立ち止まることもなく、
解釈改憲は秒単位で独り歩きしはじめている6月末の週末。
まさに戦争前夜、である。

20世紀初頭、デンマークの軍人がこの地球上から戦争を絶滅させるための法案を提案したことを思う。
戦争が起きたら10時間以内で、以下のひとたちは一兵卒として
最前線に赴くという法案である。
①大統領をはじめとして元首。
②元首の16歳以上の男性親族。
③首相、大臣、次官。
④戦争に反対しなかった男性の国会議員、高位聖職者等々。
確かに戦争は上掲のものたちによってはじめられるのだから、そうしてもらおう。現実は、彼らは安全地帯にいて、最前線に送られるのは、市民の父であり、息子であるのだから。

生きている間に何度か著作をナチやネオナチに焼かれたドイツの作家であり児童文学者エーリヒ・ケストナーは『飛ぶ教室』の中で次のように記している。
……賢さをともなわない勇気は、不法だ。勇気のともなわない賢さはくだらない。世界史には愚かな人びとが勇ましかったり、賢い人びとが臆病だったりした時が、いくらもあった。(略)勇気ある人々が賢く、賢い人びとが勇気をもった時、人類ははじめて前にすすむことができる……。
一字一句暗記しているわけではないが、そんな言葉だった。
賢さは学校の「お勉強」だけで身につくものではないし、勇気と蛮勇はむろん違う。

本日土曜日は、明治公園でさようなら原発、再稼働に反対する集会が。
残念なことに、以前から決っていた仕事の関係で、わたしは参加できないけれど、熱く深い集会になることを心より!

2014年6月13日金曜日

6月13日

東京、昨日と打って変わった快晴。
朝から気温は高い。
昨日12日は日隅一雄さんの活動を記念しての「日隅一雄・情報流通促進賞」の表彰式。
大賞は、福島原発事故の被害者支援や情報発信活動などに積極的に取り組んでこられた
フクロウ・FoEチャンネルの満田夏花さん・坂上武さん
奨励賞は、平和と名護市政民主化を求める会などの活動に取り組む日野行介さん。
特別賞は、「福島原発自己東電テレビ会議 49時間の記録」をまとめられた木村英昭さんと宮崎知己さん。
秘密保全法に反対する愛知の会の活動。
選考委員も兼ねているので、チャンネル選考委員のひとりとして、
それぞれの活動に心からの敬意を表しつつ、15分のショート講演を。
この会が日比谷図書館の地下であり、それを終えてすぐ目と鼻の先の野音へ澤地さんと。

「6・12 戦争をさせない全国署名提出集会・国会包囲抗議行動」へ。
こちらでもショートスピーチ。大江健三郎さん、菅原文太さん、鎌田慧さん、香山リカさん、
菅原文太さん、法学者の樋口陽一さん、他集団的自衛権の行使容認に反対する各政党の議員さんたちも参加。
夕方から強い降りになるという天気予報がはずれてよかった。
国会包囲行動も無事終わった。
昨日は朝から仕事があり、夜までもつか? と自信がなかったが、何事もなく終了。
といっても、政情はまったく変わらず……。

14日(土)の「朝の教室」は、河野太郎さんをお迎えする。

2014年6月12日木曜日

6月12日

12日の早朝に、このブログを書いている。
本日18時30分(開場18時)~日比谷野外音楽堂で、
「6・12 戦争をさせない全国署名提出集会・国会包囲抗議行動」があります。
戦争をさせない1000人委員会」の、わたしも呼びかけ人のひとです。
今夕は、日隅一雄賞の表彰式でのスピーチと重なっていますが、抜け出して、参加します。
呼びかけ人からは、大江健三郎さんたちもご参加の予定です。
この国の、この政権の暴走を許すことはできません。

お時間、体調が許す方は是非ともご参加を。

2014年6月6日金曜日

6月6日

2011年9月にスタートした経産省前テントひろば。
1000日を迎える。
真冬も真夏も、踏ん張ってきた人々。
昨年3月、国はテントひろばの明け渡しを求める
訴えを東京地裁に起こした。
「不法占拠」という理由だ。
が、福島の人々の、この国で生きる人々それぞれが安全に、
安心して「自分を生きる権利」を「不法」に侵害し、
占拠したのは、どちらなのか。
テントひろばは「私のもう一つの故郷です」と言ったひとがおられたが、
ソローの「市民的不服従」を体現した場だ。

2014年5月27日火曜日

5月27日

5月31日の「朝の教室」の講師は、
朝日新聞特別報道部の木村英昭さんを講師にお迎えする。
朝日新聞記者として、2006年から4年間、福島県郡山支局勤務。
現在は特別報道部で「プロメテウスの罠」取材班のおひとりとして、活躍中。
2013年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞。

著書、共著に『検証 福島原発事故 官邸の100時間』、
福島原発事故東電テレビ会議49時間の記録』(ともに岩波書店)などがある。
どちらも力作であり、今後の指針にもなり得るものだ。
このところ、朝日新聞は「吉田調書」の中味の再発見など、ヒットを飛ばしている。
そんな話もお聞きすることができたら、と願っている。

ところで、先週21日ふたつの「司法は生きている!」
と感じさせてくれる判決があったことは、ご存知の通りだ。
ひとつは厚木基地の騒音訴訟。
もうひとつはこのブログでも書いたが、
大飯原発3,4号機運転差し止め訴訟である。
どちらも、稀に見る(と書かねばならないことが無念ではあるが)、
原告である住民の声を受け入れた判決であった。
画期的というよりは、まっとうな判決と言えばいいのか。
二つとも地裁による判決であった。
厚木基地騒音訴訟は、米軍機は例外とされてはいるが。
地裁のこういった、まっとうな判決が、
高裁や最高裁の判決で覆されることがないように
(そんな例も、これもまた無念なことに多々ある)、
わたしたちは今後もしっかり注視する必要があるはず。
裁判は上級審にいけばいくほど、
「国の意向」にそった判決がされやすいという「風評」もある。

司法にとってもメディアにとっても、大事な視点は市民感覚であるはずだ。
権力分離、三権分立が揺らぎ続けてきたこの国の司法の歴史と、
原発の安全神話にのってしまった多くのメディアの過去を考えれば、
これらの判決が一時的ガス抜きであっていいはずはない。
31日は木村さんに、そんなお話も聞くことができたらと思う。

2014年5月26日月曜日

5月26日

土曜日は東海第二原発の再稼働問題に揺れる東海村へ。
脱原発首長会議のまとめ役でもある、
もと村長の村上達也さんや
ドキュメンタリー作家・島田恵さんたちとフォーラム。

ここでも大飯原発3・4号機の再稼働差し止め判決が大きな話題に。
なによりも人間の人格権を主軸に据えた判決文には、
みんな感動していた。
が、今までの例を見ても。
福井地裁でのこの判決が上級審で覆されない保証はない。

日曜は岩国へ。基地の周囲を案内していただいて、
午後からシンポジウム。
祝い島から参加された女性たちもおられた。

と、いった按配で、月曜日の今日はちょっと疲れ気味。
朝一番に通信社の原稿を書いて、ほっ。
朝の教室、今週土曜日・31日の講師は朝日新聞社記者の木村英昭さん。

木村さんには以前ご紹介した『東電テレビ会議49時間の記録』の他に、
原発に関しては、『検証福島原発事故 官邸の100時間』(岩波書店)もある。
帯にある言葉が、わたしたちの肩を揺さぶる。
あの日々を忘れるな、と。ちょっとご紹介しよう。

……原発「退避」か原発「放棄」か。
未曽有の危機に襲われたあのとき、
国家権力の中枢で何が起きていたのか? 
実名による当事者への徹底的な取材があぶり出す「運命の100時間』。

野田内閣時代、2012年夏に刊行されたものだが
ファクトを積み上げて眞實を浮き彫りした優れた作品であり、
同時に後世へのかけがえのない資料でもある。
後書きの最後の次の数行が心に迫る。

……私も福島で勤務したことがある。
本書の底流には事故を引き起こした電力資本と
それを許した政治と行政、専門家たち、
そして私が身を置くジャーナリズムへの
強烈な憤怒の思いがあることを最後に申し伝えておきたい……。

木村さんがおっしゃる「憤怒の思い」と、
なによりもファクトの積み上げを、
わたしたちもしっかり共有したい。

2014年5月23日金曜日

5月23日

関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めの判決。
嬉しい、大歓迎。

判決文で述べていることは、きわめて当然のことであり、
原発に反対するものすべてが、すでに考えてきたことではありますが、
本来、司法はこうでなくちゃね。
司法の独立性は、わたしたちが暮らしていく上で、
かけがえのないものだ。
権力寄りの司法なんて、三権分立に反する。
何よりも心に響いたのは、コスト論を退け、個人の生存権に触れた文言で、
生存権と電気代のコストを並べて比較する姿勢そのものを
「法的には許されない」としたこと。
福島原発事故を「わが国最大の環境汚染」として、
このところ表通りを闊歩していた新・安全神話を
ひとつひとつ否定したことにある。

いまも、それに関しての新聞原稿を書き終えたところだが、
司法の独立性を基本にし、
市民側の考えを汲んだ裁判長は「前途多難」と言われつづけた過去がある。
そのことも、わたしたちはしっかり見つめていきたい。

5月31日、朝の教室
お報せが大幅に遅くなってしまったが、講師は、朝日新聞記者の木村英昭さん。
福島第一原発過酷事故以降、メディアは何をしているのだ、
かけがえのない情報が充分に伝わって来ない、
……という読者の声に対する記者の答えが以下の2冊の書籍だ。
東電テレビ会議49時間の記録』、そして『官邸の一〇〇時間』(岩波書店)。

わたしたちの暮らしを破壊する力にはNO、
それらと闘うもの、共感するものにはYES。
是非、ご参加を。

2014年5月21日水曜日

5月21日

……福島原発事故の深刻さを鑑みれば、この「テレビ会議映像記録」は東電のものではない。私たちのものだ。
ここに、本来の持ち主にこれを還す……。

一冊の本の後書きに記された、上掲の短いことばの中に、どれほどの思いが詰まっていることか。
後書きの数行を前に、落合、柄にもなく涙ぐんでしまった。『原発事故東電テレビ会議49時間の記録』(岩波書店刊)の後書きである。
すごい本だ。後世に残すべき、紛れもなく「わたしたち自身の資料」である。
福島第一原発事故。東電ではどんなテレビ会議が行われ、どんな言葉が飛び交っていたのか。未だ「収束」などほど遠い、福島第一原発の過酷事故。にもかかわらず、政府は再稼働を急ぎ、海外への輸出にも積極的だ。現政府の中では、事故はすでに「過去」のことなのかもしれない。住民はむろんのこと、多くのわたしたちにとっては現在進行形であるのに。
事故を検証するためにも、わたしたちは「大本営発表」ではない、あるがままの真実、まずは基礎資料をどれほど求めてきたことか。断片でしかなかったテレビ会議をまとめたのが、本書である。
そして、この本をまとめられたおひとりが、朝日新聞社の木村英昭さん。後書きを書いたのも、木村さんだ。
この労作の完成と後書きに深く心打たれ、5月31日の「朝の教室」の講師をお願いした。時間的調整に手間取って、発表が遅くなってしまったことをお詫びする。

本書の後書きを繰り返す。
……福島原発事故の深刻さを鑑みれば、この「テレビ会議映像記録」は東電のものではない。私たちのものだ。
ここに、本来の持ち主にこれを還す……。
持ち主である、わたしたちがしっかりと受け止めないで、誰が受けとめ、今後にいかすことが可能か。
酷すぎる時代であるが、わたしは諦めない。
本書がまとまるまでの経緯も含めて、木村さんに伺いたいことは多々ある。ぜひ、ご参加を!

2014年5月13日火曜日

5月13日

日曜日は、上野旧水上音楽堂での女たちの「いのち」の集会。
そして穏やかなデモがあった。
わたしも個人として参加。
多くの懐かしい顔や、
朝の教室」でこの会を知ったという女性たち、
最近食事をご一緒した女性といった顔見知りも含めて、
一緒にウォークすることができた。
会場でのスピーチや歌や演奏。
どれもが心にしみた。
以前、フェミニズムの活動で親しくなった女性たちとも久しぶりに再会。
ほかの反原発の集会やデモにも参加されているのだろうが、
いつもは人数が多く、声をかけ合うだけで終わっていた。
そんな意味でも、とても楽しく
(おおもとを考えると、楽しい気分など吹っ飛ぶが)
解放感溢れるひと時だった。

ところでお報せを。
朝の教室」では、司会進行に徹している(これって、案外難しい)だが、
今回はクレヨンハウスでひとりトークがある。

子どもの本の学校」2014年の一回目、
今週土曜日17日16:00時スタート。
子どもの本の学校」という命名だが、
子どもも現行の社会と無縁では生きることはできないのだから、
原発についても、反核、反差別にしても話をする予定。
レジュメはまだできあがっていないが。

本当はどこで話をするより、
フランチャイズのクレヨンハウスで話をするのが、緊張する。
それも「超」がつく緊張。マキシマム緊張だ。
時々はこういった緊張も悪くない、と自分に言い聞かせている。
では、当日!
質疑応答の時間もあり、です。

2014年5月4日日曜日

5月4日

3日、憲法記念日は松戸で
「松戸憲法記念日の集い」で講演。
1200人のかたがたが集まってくださった。
実行委員会の形式でスタートして、すでに10数年。
市民にしっかり根ざした集会だ。

会場に滝平二郎さんのご子息ご夫妻も来られている。
滝平さんご自身が作られた、
平和と反戦を祈念してのアロハを召しておられた。
同じものを、ご子息からいただいているので、
講演で着ようかどうか迷ったのだが、
季節的にまだちょっと早いような気がして、
いつものジーパンスタイル。

5月3日に限ることはない。
毎日が憲法記念日でなければならない。
そして毎日が「こどもの日」であり、
毎日が「人権週間」で、毎日が「敬老の日」でなくては。
そしてそれらの基本にあるのは、ひとりひとりのいのちであり、
安全であり、人権であるのだ。

3日の東京新聞にもあったが、
「積極的平和」とは、戦争がないこと、
戦争をしないことに加えて差別がないこと、
いかなる意味においてもひとを等級づけしない社会のことだ。
武器を輸出し、原発の再稼働を計画し、
さらに原発を輸出するような政治を「積極的平和主義」とは!

連休は憲法などの講演が続く。

2014年4月26日土曜日

4月26日

東京、朝から快晴。
昔は完全なる夜型だったのに、
いまは夜明けと共に目が覚める。
加齢からの、素敵な贈り物だ。

朝に洗濯機を回し、青空を見上げながら、
洗濯ものを干し終える達成感!
朝から、なんか大きな仕事を終えた気分になってしまう。

今日のブランチはパスタ二種。
密かに「学生街のナポリタン」と呼んでいるやつと、
鷹の爪と自然塩、海苔を使った和風風味のパスタ。
それに、レタスとゆで卵のミモザサラダと、トマトサラダ。
ベーコンとホウレンソウのホットサラダ。
ニンジンジュースとコーヒー二杯。キュウイフルーツと苺。

朝からこんなに食べていいのか?
連休前の書きだめで、午前中いっぱいはエネルギーを大量消費するから、
ま、いいだろう。
午後は打ち合わせが二つ。
それから連休に向けて、初夏のハンギングバスケットを幾つか作る予定。
いまは春の花がそれは見事に咲いてくれているが、
そろそろビオラなどは終わり。
アブラムシ、発生のSOSに、
水で薄めたお酢をせっせと黄色系の花とワイヤープランツに。

明日日曜の「朝の教室」。
講師は、飯館村の酪農家・長谷川健一さん。

飯館には「までい」という言葉がある。
「心をこめて」とか「丁寧に」とか「物事を大切に」という意味だそうだ。
「世界で最も美しい村」と呼ばれた飯館を愛し、
人間関係も動植物とのつきあいも、
それは「までいに」実践してきた長谷川さんが、原発事故以降、
そして現在も尚、抗っているものとは。
「一緒に暮らしてきた家族はバラバラになり、牛も処分され、
家や土地からも追われた」飯館の多くの人々はいま、
何を軸として、今日を明日につないでいくのか。
地団太踏みたくなるような政府や県の対応に、
自然と共に生きてきた彼らがどのように対峙し、抗っていくのか。
お話をうかがい、
「これから」についてご一緒に考える時空を分かち合いたいと思います。

追伸 そろそろ定員です。ご予約はお早目に。

2014年4月24日木曜日

4月24日

もうすぐゴールデンウィーク。
メディアの話題もそちらに移行しがち。
でも、わたしたちは心に刻み、問い続けたい。
東日本大震災、そして福島第一原発の事故で
その人生を大きく変えられたひとたちの存在を。

朝の教室について、
「まだ続いているんですよね。ちょっとさぼっていました。
今月から出席します」
昨日、クレヨンハウスのアウトテリアで花の手入れをしていたら、
そうお声をかけてくださった女性がいた。
「母の介護がはじまってしまって、
3回、おやすみしてしまいました。
でも、母の寝顔を見ながらしみじみと思ったんです、昨夜。
もっと大変な介護をしていたひとたちも、福島には暮らしているんだって。
暮らしそのものを奪われたひとたちもいるんだって」

27日(日)の「朝の教室」(40回目を越えた!)の講師は、
福島飯館村の酪農家、長谷川健一さん。
長谷川さんの『原発に「ふるさと」を奪われて』(宝島社)を改めて読み直し始めている。
2012年に刊行された本書。帯にあるように、これはまさに「平成の棄民物語」である。
子どもや孫たちを「被曝」させた苦しみ。
家族と同じように共に暮らしてきた牛たちとの別離。
酪農仲間の、無念この上ない自死……。
長谷川さんの言葉のひとつひとつを、
あの日から4年目を迎えたいま、心に刻みたい。
今日は本書を手に、さ、出かける時間だ。
長谷川さんの「ふとさと」飯館村に、
この国のどこかが明日、ならないとは限らない。

2014年4月22日火曜日

4月22日

長谷川健一さんという酪農家をご存知でしょうか。
話題のドキュメンタリー映画『遺言 原発さえなければ』を通して
強い意志を、観るものの心に伝えてくれた酪農家であり、飯館村前田
地区区長さんです。
映像の最後では喉の手術を受けるシーンがあり、とても心配していましたが、
今週日曜日4月27日の「朝の教室」で講演をしてくださいます。
酪農家をはじめ、米や野菜をつくっていたひとたち。
最も美しい村は、2011年のあの春から、破壊と離散、喪失と憤りと
諦めが混在する日々の中に突入してしまいした。
映画のサブタイトル「原発さえなければ」は、その言葉を板壁に書き殴って
自死された、長谷川健一さんのお仲間の言葉です。

わたしたちは忘れてはならないはずです。
4年目に入った現在も、元の暮らしに戻ることができない人々が
福島には大勢おられることを。特に飯館で、新しい村づくりにその半生を
かけてこられた長谷川さんたちの苦悩はどれほどのものでしょうか。
あの日から、何が変わり、何が変わらないままなのか。わたしたちは
再稼働GO、原発GOの酷い政治の中で、さらに考えなければ
ならないはずです。
ご家族で酪農に従事してこられた長谷川健一さん。
仲間たちの兄貴として、酪農家をまとめてこられた長谷川さん。
住民のために奔走されてこられた長谷川さん。
ひとりの福島県民として、4年目に入ったいま、原発の過酷事故を
どう捉えるのか。そして、今後の日々をどう考えておられるのか。
ご一緒に考えましょう。


はせがわ・けんいち
福島県飯舘村に生まれ、酪農家として息子たちと牛を飼い、暮らしていたなか福島第一原発事故に遭う。住民のために奔走しながら、飯舘村で起きていることを記録し、各地で知らせる活動を続けている。著書に『写真集 飯舘村』(七つ森書館)など。福島県酪農協同組合理事。

2014年4月7日月曜日

4月7日

土曜日は名古屋での、
秘密保全法に反対する集会で話をさせていただいた。
特定秘密保護法は昨年の12月6日に、
あれだけの反対の声をねじ伏せるように決まってしまったが、
むろん反対の声をわたしたちは挙げ続けよう。
声を上げ続けることが、わたしたちの意思表示であり、
「表現の自由」であるのだから。
風が冷たい一日で、風の乗って散ってきた桜の花びらを
雪かと勘違いしたほどだった。

関西のラジオ番組で、戦前、戦時下の秘密保護法についての放送があり、
その内容を報せてくれた関西のリスナーからのメールを読んでいて
ああ、宮澤さんのことが語られていると改めて考えさせられた。
1941年に「スパイ」と見なされ、特高によって逮捕された北大生、宮澤弘幸さん。
語学が得意で、米国人の教師とも交流もあったことなどが問題とされ、彼は逮捕をされた。
そんなことで逮捕されるの? どうして? 
これが保護法の恐ろしいところだ。

裁判は非公開。
何が秘密にあたり、その秘密の何に彼が抵触したのかも明らかにされないまま、
宮澤さんは終戦後、1947年に27歳で死去された。
30年近く前に何度か、宮澤さんの妹さんである美江子さんや、
彼の弁護士であった上田誠吉さん(故人)も交えてインタビューをさせていただいた記憶がある。
当時、制作にもかかわっていた、「ちょっと待ってMONDAY」という日曜の夜の生番組だった。
宮澤さんと親交があった米国人の教師レーン夫婦も逮捕され、
人生を大きく転換させられた事件であった。
この経過については、朝日新聞、東京新聞等でも報道されているが、
わたしたちは今後再び、何が秘密なのか、
何が罪になるかもよくわからない法律と「共に暮らす」ことになる。

2014年3月28日金曜日

3月28日

1966年に起きた「袴田事件」の袴田巌さん(78)が昨日、
東京拘置所を釈放された。
静岡地裁が袴田さんの再審開始と刑の執行・拘置の停止を決定したからだ。
1966年の逮捕から、なんと48年! ぶりである。
自分の年齢から48年を引いてみよう。わたしの場合は、21歳で逮捕され、
今日の今日まであらゆるものを奪われ続け、刑の執行に脅え続けるのだ。
48年。その間、袴田さんは死刑囚として、
わたしたちの想像を超えた恐怖と向かい合ってきたのだ。

有罪の決め手とされた「衣類五点の血痕」をはじめとして、
重要な証拠は、警察によるねつ造である可能性が極めて高いことが、これで証明された。
裁判長による、これ以上拘置を長引かせるのは「耐え難いほど正義に反する」という、
珍しく感情をストレートにだした言葉を、警察、検察はどのように受けとるのだろう。
1980年、最高裁で死刑が確定した以降は、
報道によると「死刑執行の恐怖」からか、認知症も進んでしまったという。
再審開始を一日千秋の思いで待ち続ける「死刑囚」はほかにもいる。
そのことを、わたしたちは心に刻みたい。
むろん普段は目を逸らしがちな死刑制度そのものについても。
昨年12月6日に成立した特定秘密保護法がさらに権力によって「活用」されると、
どんな時代と社会になるか。それらもまた、決して別のテーマではない。

年度末のクレヨンハウス「朝の教室」。
明日土曜日の講師は、政治学者の中島岳志さん。
1975年生まれの、この若い学者である論客が、
「反原発運動」と、それに反対する流れをどう位置付け、
どのように突破する道を考えておられるか。再稼働を推進への道に、
わたしたちはどのようにくさびを打ち込むことができるのか。
ご一緒に考えよう。

2014年3月26日水曜日

3月26日

東日本大震災、そして福島第一原発過酷事故から
4度目の春である。
3月15日の東京で開かれた「さようなら原発1000万人アクション」は
大勢のかたが集まってくださった。
わたしは以前からお約束していた青森での講演があって、参加できなかった。
が、集会中も、デモ中も、親しいひとたちと携帯で連絡をとりあっていた。
青森の会場には、27年近く前、当時女性たちで制作していたラジオ番組
「ちょっと待ってMONDAY」(文化放送)に何度も電話で出演してくださった
六ヶ所村の「核燃まいね(核燃はいやだよ)」のメンバーが訪ねてくださった。
当時、わたしが彼女に出した葉書のコピーも持ってきてくれた。

幼かった彼女のお子さんも、すでに30歳!
ずっと彼女や彼女の仲間たちは、暮らす場で、反対の声をあげ続けている。
並大抵の異議申し立てではないはずだ。
毎年、デモも続けているし、時には参加者3人などというデモもあったという。
福島第一原発の事故以来、参加する人々や、参加できなくとも立ちどまり、
関心を示すかたがたが増えているという。

「やっぱり続けるしかないのですね、こんな時代になってしまったのだから」
懐かしい響きのある言葉で、彼女は言った。
やさしく穏やかな空気のようなものを身にまとった、
あるいは自分の内側から醸しだしている素敵な彼女である。
「反原発おばさんで一生を終えるのはやだなあ」
当時、彼女がふっともらした言葉が甦る。
当たり前の生活者として、たたかいも喜びも充実も、
一輪の花に心震わせる瞬間も大事にしたい、という思いを秘めた呟きであるだろう。
彼女は、50歳から津軽三味線もはじめたそうだ。

今週の土曜日、3月29日(土)のクレヨンハウス朝の教室
講師は、政治学者の中島岳志さん。
以前からご著書は拝読していたが、
『報道ステーション』での特定秘密保護法(当時は法案)に対するコメントを聴いて、
どうしても講演をお願いしたかったひとだ。
45回目となる朝の教室、中島さんの講演タイトルは、『反・反原発の壁』。
わたしたちの外側に、時には内側にある「反原発の壁」と
「反・原発の壁」をしっかり見極めよう。
新しい世代に、わかりやすい言葉で、
けれど決して媚びずに社会を政治を運動を語るひとが誕生したことを、心から歓迎したい。
ご著書『「リベラル保守」宣言』、とても刺激!

中島岳志さん。
大阪府生まれ。北海道大学公共政策大学院准教授。
南アジア地域の研究とともに戦後日本の政治思想史を専門とし、
保守と革新の対立構造やナショナリズムについて論じている。
『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)、
「リベラル保守」宣言』(新潮社)など著書多数。

2014年3月22日土曜日

3月22日



20日夜。あの風雨(寒かったね)の中、日比谷公園野外音楽堂、
「戦争をさせない1000人員会」の出発式に集まってくださったかたがた。
風邪、ひかれなかったでしょうか。体調を崩されていないでしょうか。


大江健三郎さん、小山内美江子さん、鎌田慧さん、佐高信さんなどのスピーチ、
それぞれが「わたしたちの現在、と、これから」に向けた熱いメッセージでした。
わたしは、戦後、わたしたちの親たちは
こんな時代と社会を目指して復興に汗水たらし、わたしたちを育ててくれたのか。
そして、わたしたち自身、
こんなにも危険な時代と社会を子どもや孫に手渡すために、生きてきたのか。
集団的自衛権はもとより、原発再稼働を平然と決めた政権に対しての反対の意を述べました。
新聞で報道されたのは、その中の、「『戦争をしたい政権』を、
わたしたち『戦争をさせない』市民が、UNDER CONTROLLする」と。
19日訪れた福島で無償の甲状腺検査をしている研究所の話もまた。
僅か5分余のスピーチに、すっごくドキドキ。ドキドキは憤りのドキドキでもあります。

昨日、金曜日は山口県下関へ。政権トップのお膝元。
ご高齢のかた(わたしも高齢者だが、時々、その事実を忘れている)に、
「わたしたちも反対の活動を続けます」。固い握手を。

 『遺言……原発さえなければ』の共同監督、豊田直巳さんから以下の転送歓迎のメールが。

作品、心に響きます。
この映画にご出演もされている酪農家の長谷川健一さんを、
4月27日(日)の「朝の教室」、講師にお迎えします。

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満員御礼!そして明日から緊急追加上映!【転送歓迎】

フォトジャーナリストの豊田直巳です。
映画『遺言~原発さえなければ』のポレポレ東中野での劇場初公開(3月8日~14日)は連日満員、札止め状況の内に終了しました。
まずは、ご支援をいただいた方々にお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
しかし一方で、110名の劇場席で、立ち見をして頂き120名まで入っていただき、なおかつ急遽設置した第二会場の60席も連日の満席で、

毎日数十名から100名に達する方々にご覧頂くことが出来ずお帰りいただくという、大変に申し訳のない事態にもなりました。
その状況で3月15日に緊急に設置した中野ZEROホールでの上映会にも早朝8時からお並びいただき沢山の方々にご覧いただいきました。
しかし、まだ映画『遺言~原発さえなければ』をご覧になりたいというお声が絶えません。

また、ポレポレ東中野で鑑賞いただくためにご購入いただいた前売りチケットをお持ちになりながら、

満席で映画をご覧いただけなかったという方がいらっしゃるということで、緊急に下記のように
ポレポレ東中野での追加上映(3月22日~28日)をすることになりました。

すでのお求め頂いた方は、前売りチケットをご使用になれます。もちろん当日券をご購入いただくこともできます。座席の具合は劇場にお問合せください。
http://yuigon-fukushima.com/

また、映画と同時に刊行しました『福島を生きる人々』(岩波書店)の方も好評で喜んでおります。こちらもお手にとってご覧いただければと存じます。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/2708930/top.html

また、映画が全国に広がっているだけに、資金面でのご支援も改めてお願いします。
https://motion-gallery.net/projects/yuigon_fukushima

まだまだ、これからと気を引き締めていく所存ですので、今後とも引き続き、ご支援とご協力をお願い申します。お礼のつもりがお願いになったことを、すいません。


豊田の共同監督 映画『遺言~原発さえなければ』 http://yuigon-fukushima.com/
同映画の応援サイト https://motion-gallery.net/projects/yuigon_fukushima

豊田直巳公式HP『境界線の記憶』http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/
豊田直巳戦火の子どもたち写真展を広げる会
   http://senka-kodomotachi.cocolog-nifty.com/blog/1/index.html

2014年3月12日水曜日

3月12日

あの日から丸1日たった今日。
午前中から15時まで外での少々煩雑な仕事を終えて、クレヨンハウスへ。「終活」についての取材。「就活」とか「婚活」に続いて、「終活」か。
わたしは毎年1月1日に、リヴィングウィル、遺言書を書いている。
書くことで自分がいまここにあることを確かめ、深めたいと思ってのことだし、自分の生を「生き切る」(というほど大げさなものではないが)ために。
取材には、そんな話をした。

先日亡くなった米国のシンガーソングライター、ピート・シーガーについては新聞に書いたばかりだが、たまたま読んでいた本で、ピートやPPM(ピーター、ポール&マリー)などが世に広めた『勝利を我らに、WE SHALL OVERCOME』は、彼らがヒットさせた60年代より前にアフリカ系アメリカ人の教会などで歌われていた歌、『I WILL BE ALLRIGHT』というオリジナルがあったことを知った。『勝利を我らに』のメロディで口ずさんでみると、確かにすっぽりと収まる。
♪……わたしたちは 克服できる
     わたしたちは きっと克服できる いつの日にか
「克服」を「打ち勝つ」や「勝利を収める」と言い換えてもむろんいい。
そうして、わたしたちは「I AM BE ALLRIGHT」になれるのだ。その実現がいつであるかはわからない。わたしが生きている間は、その歌を歌うことはできないかもしれないが。
だから、諦めてしまうのか? NO!
だから、この状況に「順応」するのか? NO!!!!!!!!!!!!!!

まったくもって深呼吸をしにくい時代へと向かっている。
特定秘密保護法が、強行採決によって「法案」から法になったのが、去年の12月6日。そしていまは集団的自衛権の容認が大きなテーマになっている。
福島第一原発の過酷事故が、何ひとつ収束しないまま再稼働を云々する流れも、戦争ができる国への一歩である集団的自衛権の容認も、すべては市民の「いのち」と、そのいのちを「生き切る」ことへの侵害である。
DVを、子どもや高齢者への虐待を許することができないなら、国をあげての、これらの侵害を当然許容することはできないはずだ。
だから、わたしたちはOVERCOMEを目指したい。
そう、絶望はいつだってできる。だったら、わたしは絶望しない。
むのたけじさんはそれを次のようにおっしゃっている。
「絶望の真ん中に希望はある」と。

2014年3月10日月曜日

3月10日

3月11日。あの日から丸3年がたとうとしている。
東日本大震災という自然災害と、福島第一原発事故という紛れもない「人災」。
「あの日」と「あの日からの3年」。
わたしたちは何を自分に引き寄せ、自分で引き受けてきたのだろう。
体験が深い意味を持つのは、自己と他者、社会と個人との間に、そうした「行き来」を意識的に、また無意識下でも頻繁に行った時である。
国策として原発を推進してきたこの国は、現政府は、何一つ自らに引き寄せることはなく、再稼働の旗を振る。海外にまで輸出しようとしている。
どの国にも、どの社会にも福島と同じように多くの、それぞれの子どもが
「いま」を生きているにもかかわらず。
南米チリ初のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ミストラルは言った。
子どもの血肉は「いま」作られているのだ、と。
子どもに、いつまで待て、というのだ。子どもに、いつになったら「安全」だと言うのだ。
3月11日を「記念日」にしてはならない。「式典」や「イベントがある日」にしてはならない。
「年寄りは足手まといになるだけです。私はお墓に避難します」
と記して、自らをこの社会から消すしかなかった、あの90代の女性の
無念さを、わたしはわたしに引き寄せる。
「原発の事故で死んだ人はいない」と述べた政治家の、
あまりにも鈍感な感受性を、わたしは憤り、そして恥じる。
「関連死」が3年たった現在も増え続けていることを知らないのか。あるいは目を逸らしているだけなのか。
終わりのない、この放射能との「戦さ」を、わたしたちは次世代、そのまた
次の世代に押しつけて、死んでいくのか。
被曝した汚染水の漏洩は止められないエライひとたちが、情報だけは漏洩させまいと強引に作った特定秘密保護法。そして、「戦争ができる国」へとこの国はひた走る。
何も自らに引き寄せず、何も自らで引き受けず、空疎な進軍喇叭を、けれど高らかに鳴らす人びと。
わたしたちも「当事者」ではなかったのか。福島第一原発で作られる電気をさんざん消費してきた当事者では。
わたしたちは忘れることを選んだのか。「気の毒なあのひとたち」と距離をとって。
わたしたちは何一つ責任を取ることも責任を問うこともやめたのか。
諦念と溜息と曖昧な微笑の下で。
子どもたちに、どうして言える。いのちを大切にしなさい、と。
子どもたちに、どうして言える。努力で未来は拓かれる、と。
わたしたちはまた、騙されることを選ぶのか。新・安全神話に。
やすやすと自分を明け渡し、今夜の食卓にのったフキノトウに舌鼓を打つのか。
権力に揉み手をして、媚びるのか。
本の中でしか知らない、田中正造を思う、賢治を考える。

2014年2月26日水曜日

2月26日

久しぶりのブログだ。
なんだか知らないが、気持ちが晴れないまま
ブログもさぼっていた。
先週はバタバタだった。
長崎で一泊。帰京して都内の大学で公開対談。
それから新潟長岡に、と旅が続いたが、おかげで
スーザン・ソンタグやハイルブランの懐かしい
本を改めて読み返すことができた。
ゆったりと本を読む、独りの時間ほど、
美味なるものはない。
かさかさになった、「心のかかと」が
すべすべになったような。

美味と言えば、外食が続いた反動で
東京に戻ってからしっかりと料理をした。
いろいろ作ったが、
最も美味だったのはフキノトウの油味噌炒め。
ほろ苦さのある春の味。
時々は面倒だな、と思うこともあるけれど、
こういった時間を消してしまうと、
わたしの場合、「心のかかと」はより荒れる。

今日の空模様は、久しぶりに快晴。
大雪で孤立を余儀なくされていた方々には申し訳ないほどの、
温かな一日だった。

25日午前中、福島第一原発の4号機の使用済み核燃料を保管する
プールの冷却システムが停止した。
4号機ではご存知のように燃料棒の抜き取りが行われている。
復旧再開はしたというが、
冷却が停止したままであったなら、どうなったのか。
こんな危険極まりない「いのちの綱渡り」を、
政府はいつまで続けるのか。
いま、この時も現場で作業する人々がいる。
住民もいる。そしてわたしたちの暮らしがある。
これでも、再稼働か!
間もなく、あの日から丸3年。
先週は福島で暮らす、告訴団の人々や、
埼玉県加須市に避難したご高齢のかたを取材させていただいた。
「時がたつほど苦しさと喪失の痛みは深くなるだけ……」。
福島の双葉町で、母親の代からおよそ100年近く
理容店を営んでおられた76歳の男性は、
「わたしらはいい、けれど孫たちの人生だけは……」と涙ぐまれていた。
3・11を「記念日」にしてはいけない。
わたしたちの反原発、脱原発の「闘い」はまだ始まったばかりだ。

都内や横浜の図書館で、
『アンネの日記』が破られているという。
発見されていないだけで、まだ他にもあるかもしれない。
ニューヨークタイムズだったかは、
「日本には反ユダヤ主義はないはずなのに」
と報道したらしいが、不気味過ぎる事件だ。
気持ちがなんとも落ち着かない。

2014年2月12日水曜日

2月12日

……賢さを伴わない勇気は乱暴であり、
勇気を伴わない賢さなどくそにもなりません。
世界の歴史には、愚かな連中が勇気を持ち、
賢い人たちが臆病だったような時代がいくらでもあります。
(エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』より)

土曜日に降った雪で作った雪だるまが体型を崩しつつ、
陽当たりがよくない角にいまも立っている。
午前中に終わるはずだった、
連載等を加筆しているうちに気がつけば、お昼。
ピタパンとハムエッグ。スライストマトと酢漬けのカリフラワー、
ニンジンジュースでブランチを終えた。

ニンジンジュースは ニンジン3本ぐらい、リンゴ4分の1、レモン少々
キャベツ2、3枚、今日はパセリも入れて、ジューサーにかけた。
このジュースを毎朝(急ぎの朝は省略)愛飲している。
免疫力をあげる効果があると聞いた。
確かにちょっと疲れたな、体調がいまいち、という時に
このジュースを続けると、身体がとても気持ちいい。
キャベツのほかに、コマツ菜や豆苗などなんでも入れてしまうし、
キウイフルーツを入れることもある。

子どもの本の専門店であるクレヨンハウスにとっては馴染み深い存在だが、
エーリッヒ・ケストナーの言葉をこのところ噛みしめている。
「……賢さを伴わない勇気は乱暴であり、
勇気を伴わない賢さなどくそにもなりません。
賢い人たちが臆病だったような時代がいくらでもあります。」

わたしも、勇気をともなった賢さが欲しい。

2014年2月5日水曜日

2月5日

きょうは午後から新幹線の短い旅を。
介護をテーマにした講演会。
ここ数年、講演会に参加する男性が少しずつだが増えているような。
年代は六十代以上が多い。また、女性を介護の含み資産にしていた時代は確実に終わりに近づき、男性もまた、親や、場合によっては配偶者を介護する日々と向かい会う時代を迎えたに違いない。

いつも思うのだが、すべてのそれぞれの子どもが、
生まれてよかったと思える時代と社会はそのまま、
子どもからもっとも遠い年代にある高齢者が長生きしてよかった、と思える社会と時代だ。
介護を見つめることは同時に、高齢者の日々を見つめることと
どこかで重なるものかもしれない。

母を介護した個人的な体験のあれこれから、
可能な限り普遍化できそうなエピソードをまじえて話を進めているうちに、胸がいっぱいになった。
母のことを思ったからではない。お目にかかったことはない、
福島のご高齢の女性を思ったからだ。
福島第一原発の事故で、自分の家を離れざるを得なかった90代の女性。
いつもわたしの心の奥底にいるひとだ。
一日だけ家に帰ることが許可されたその日、「わが家」の庭で、自死された。
……年寄りは足手まといになるだけです。わたしはお墓に避難します……というような遺書を遺されて。
お元気で、自分のことはすべて自分でしていたかただったという。
遺された息子さんや娘さんたちも、どれほど無念なことだろう。
介護するハードさもむろんある……戦争に役立つものにお金などかけずに、福祉にこそ税金は使うべきものだと思うが……が、介護する心の準備はありながら、介護できずに見送ることの底知れない寂しさを、わたしは想像するしかない。

汚染水をはじめ、事故収束には程遠い現実。
昨日とは打ってかわった、風の冷たい一日。
昨日舞った雪は東京ではすでに消えていたが、新幹線の車窓から見える田畑はうっすらと雪をかぶったままだった。


2014年1月29日水曜日

1月29日

米国のフォークシンガーであり、
環境問題や平和の活動家でもあった
ピート・シガーさんが亡くなった。

『花はどこに行った』は反戦歌だ。

野に咲く花はどこに行く?
野に咲く花は娘たちが摘んでいく。
野に咲く花を摘んだ娘たちは、どこに?
娘たちは、愛する青年のもとに。
青年たちは、どこに行く?
青年たちは、娘たちを遺して戦場に行く。
戦場に行った青年たちは、どこに行く?
戦場に行った青年たちは、GRAVEYARD、お墓に行った。
そうして、青年たちが入ったお墓に花が咲き、
お墓に咲いた花はどこに行く?
YOUNG GIRLS HAVE PICKED THEM EVERYONE

と、繰り返されて、戦争の悲惨さを歌った歌だ。

去年11月まで日々、東京新聞「この道」に連載していた原稿の最後に、
わたしは、彼がうたい広めた『天使のハンマー』について書いた。
ちょうど、彼のおつれあいが亡くなった時(彼女は日系人)で、
彼女もまた平和や環境についての活動をされていたかたである。
もしハンマーがあったら、それを振り回して、
世界中に平和を作りあげる……という歌だった。
今年米国に行く機会があったら、是非ニューヨーク市の彼を訪ね、
お話をうかがいたいと望んでいたのだが。

同じ今日の新聞に、中学と高校の学習指導要領解説書を
改訂する記事が掲載されていた。
国が大きく旋回するとき、まずは教育に手がつけられることは、
すでに歴史が何度となく証明している。

貸して失くしたか、しまい失くしたかはわからないが、
30年近く前に読んだ本に『母の大罪』というノンフィクションがあった。
ひとりで息子を育てていた母は、息子の「立身出世」を望んでいた。
それが自分の喜びであり、充実であり、夢でもあった。

そして第二次世界戦争。
息子は母の希望を自分のそれにして、兵隊になった。
戦場での「立身出世」の道が続く。
1945年8月。戦争が終わり、息子は巣鴨プリズンで戦犯として処刑される。
それを、彼の母は、『母の大罪』と呼んだのだ。

同じ時代が再び来ないように、と願いながら、そこまで来ている、と。
わたしも天使のハンマーが欲しい。

2014年1月22日水曜日

1月22日

昨日今日は、陽だまりにいると、温かさを感じる東京だった。

先回のブログで、
99歳を迎えるむのたけじさんにお目にかかったことを書いた。
敗戦の一日前のこと。
大本営発表の記事を流し続けた新聞社のありかた、
組織のありよう、ジャーナリズムの姿勢に抗議し、退職されたむのさん。
その後、発行し続けた『たいまつ』は、多くの志あるジャーナリストの、
何よりも読者の心の支えであり、水先案内人でもあった。
辞表をだして帰宅した彼に、
「あなたは、そうすると思ったわ」と軽やかに受け止めたのは、おつれあい。
お目にかかったのは記者会見の席上だったが、
そのあと、個人的に取材させていただいた席で、
おつれあいに『感謝していますよ』とおっしゃっていた。

むのさんに、「朝の教室」においでいただきたいと思っていたが、
寒い時期は無理と諦めていたし、お願いしづらい気持ちもあった。
なんと2月15日(土)の「朝の教室」においでいただけるとのこと。
ラッキー!
ジャーナリズムのあるべき姿、読者、受け手であるわたしたちの
ジャーナリズムへのアプローチの仕方も含めて、いろいろと伺いたい。
当日は混雑する予想なので、お申し込みはお早めに!

沖縄名護の市長選で、反基地の稲嶺進さんが再選。
そして福島県南相馬の市長選でも、反原発の桜井勝延さんが再選と、
元気になれるニュースが。

通常国会が始まる。集団的自衛権が、そして……。
そんな時期に、
タイムリーにむのたけじさんをお迎えできることを
大事に考えたい。

2014年1月17日金曜日

1月17日

昨日は比較的温かな一日だった。
陽射しの中をゆっくりと歩けるだけで、
なんだかめっけもん! 気分。
どこかのお宅の陽だまりに、日本水仙が芽と葉をだしていました。
ようやく酷い風邪も抜けて、タフな落合回復!

14日はマスコミ9条の会の先輩たちと、
安倍政権への異議申し立ての記者会見を、日本記者クラブで。
通常、どこに参加しても年上組なのだが、今回は先輩ばかり。

いちばんの先輩は、99歳のむのたけじさん。
敗戦直後(というか、8月14日)に、
戦中、大本営発表を流し続けたジャーナリズムとは何かという自らへの問いかけと、
組織への疑問をばねに、勤務した新聞社を退社。
以来、秋田で「たいまつ」を出し続けた、わたしにとっても「伝説の偉人」。

そのむのさんと同席することができて、感激。
記者会見後、共同通信の原稿の取材で、
今度は取材する側に回って、むのさんとお話を。
ご体調をみて、「朝の教室」でもお話しをいただけたら、
とひそかに計画をしている。

今週から「週刊朝日」の連載がはじまった。
タイトルは、「老いるのはいやですか?」。
加齢の周辺にあることを軸に、
そこに社会への異議申し立てをいかに盛り込むかが、
わたし個人のテーマとなるはず。

朝の教室。今週土曜日、18日はノンフィクション作家の青木 理さんが講師に。
青木さんが書かれるもの、ぶれない視点と姿勢が大好きで、
熱心な愛読者のひとりであると自負しているが、
今回は、原発と特定秘密保護法とのかかわりについてのお話をうかがう予定。

今日はこれから幾つかの取材を受けて(ダウンしたために
延ばしていただいていた)、夜は仕事を離れての(でもないか?)、会食。

沖縄名護市の市長選、そして都知事選と大事な首長選挙を
わたしたちは迎えた。

2014年1月11日土曜日

1月11日




久しぶりのブログである。

年末からその兆候はあったのだが、年始の休みにダウンしてしまった。
きっかけは風邪だった。

知恵熱、知恵熱とうそぶいていたが、高熱が続いた。珍しく食欲もダウン。せっかくのお節も味はしなかった、と書きたいところだが、ちゃんと味わった。

熱はいまは落ち着いたが、知恵は枯渇したまま。どうする?

そのうえ、酷い咳も続いた。ぜいぜいという自分の胸の音が気味悪かった。

振り返ってみれば、子どもの頃、気管支が弱かった。

ここ数十年、タフな落合と言われ続け、自分でもそう思ってきたが、小学生低学年の頃は、よく熱を出して学校を休んでいた。

ぜいぜい、である。すると母は蒸し器で何枚もタオルを温めて、温湿布をしてくれた。息が楽になるのだ。

「ゆっくり眠りなさい、今度目を覚ましたとき、もっと楽になっているからね」

額に手を当てて優しく言った遠い昔の母の言葉を思い出しながら、寝正月を決め込んだ。

その間、ずいぶん本が読めた。熱が下がり始めると、読書の速度は
早まって、「よーし」、ベッドサイドに積んであるいま読みたい本を次々に読破。

その中の一冊に、スーザン・ソンタグの『こころは体につられて 上』もあった。ソンタグの本はたぶんすべて目を通しているはずだが、「日記とノート1964-1980」というサブタイトルがついている。河出書房新社刊。

わたしが現在のもっともすぐれた翻訳者のひとりでもあると信じている木幡和枝さん
が訳されている。ソンタグの『私は生まれなおしている』も『夢の賜物』も木幡さんの訳である。ニッキ・ジョヴァンニの詩集も彼女は訳している……。

先ごろ大ヒットした映画ドイツ映画『ハンナ・アーレント』に、米国での彼女の理解者であり女友だちとして登場する「メアリー」、メアリー・マッカシーについても、
ソンタグは『こころは体につられて 上』で触れている。

「あっちのひと」と「こっちのひと」が、映画と本の中でひとつになるたのしみもまた、
この年始に久しぶりに味わえた映画『ハンナ・アーレント』を観たあと、ハンナに寄り添う米国の女友だち、「メアリー」とファーストネームでしか登場しないその女性が、わが青春の愛読書の一冊、
『グループ』の著者、メアリー・マッカシーと同一人物であったことを知ったときの喜び。そして、ソンタグの本の中で、メアリー・マッカシーと再会する喜び。知恵熱からの贈りもの、である。

ハンナ・アーレントの本は学生時代に読みだしたが、最後までじゅうぶんに読破できたものがないので、その中にメアリー・マッカシーが登場したかどうかも知らない。
ちゃんと読み直そう。

それにしても、メアリー・マッカシーにしても、むろんソンタグにしても、

もちろんハンナ・アーレントにしても、ある意味「闘う女」である。

映画『ハンナ・アーレント』の監督、フォン・トロッタさんもまた。

トロッタさんは初作品である『カテリーナ・ブルームの失われた名誉』の時からファンだ。

というように、わたしはやっぱり「闘うひと」が好きだなあ。闘いかたは
さまざまではあるのだけれど。

2014年、わたしもささやかながら闘うひと、のひとりでありたい、と遅ればせながら、
年頭のご挨拶を。