終戦記念日も旅空のもとで、
今日は66回目の終戦記念日。
1945年の8月15日。
シングルでわたしを出産した母は、22歳、
わたしは生後7か月の赤ん坊だった。
郷里の栃木県宇都宮。
終戦の年に生まれた偶然を必然に変えて、
わたしは66年生きてきたような気がする。
反戦も反差別も、わたしには特別のことではなく、自然なことだった。
絶対を言わない母が、戦争にだけは絶対という言葉を使って、
こう言っていた。
「戦争だけは、絶対ダメ、絶対いやだ」と。
湾岸戦争のとき、母の意識はまだしっかりしていた。
「絶対ダメだよ」
アフガニスタンへの「報復攻撃」がはじまったとき、
母の意識は、すでにぼんやりしはじめていた。
いま自分が在る現実と、現実の向こうを往復するように。
それでも「戦争は絶対ダメ」。
イラク戦争がはじまったとき、
彼女は言葉も意識もほぼ失っていた。
おかあさん。
2011年。わたしたちは新しい「戦争」を迎えてしまったのかもしれない。
放射能との闘い、という。
おかあさんは言っていたね。
「戦争をするのが人間なら、それをやめることができるのも人間だ」と。
この新しい「戦争」を完全に終らせることができるのは、いつなんだろう。
どれだけの子どもや胎児が、この「戦争」で被曝するのだろう。
確かなことは誰もわからない。
2011年8月15日
母が愛した郷里には、ササユリは咲いていただろうか。