2011年8月24日水曜日

8月24日

508・1ミリシーベルト、という数値を前に途方に暮れる。
福島第一原発に近い地域での積算放射線量の数値である。

事故から5か月もたって「はじめて」文科省から発表された。
職業として、放射線を取り扱うひとでも、
年間許容線量は、20ミリシーベルトである。
そうでない一般人の年間許容線量は、「1ミリシーベルトまで」である。
積算放射線量508・1ミリシーベルトといえば、
一般のものが許容されるそれの508年分、ということにはならないか。
むろん、風上か風下かでも、放射線量は違ってくるのだが、
それにしても「今頃になって」の発表である。

京都大学原子炉実験所の小出裕章さんによると、
この積算放射線量は、事故が起きた「3月中には計算できたもの」だという。
そうであるなら、それを今まで発表しなかったのは、なぜなのか。
一般は1ミリシーベルトというこの国の法律、に違反した上に、
それを知らさないということは、
いのちと人権への重大な侵略犯罪ではないか。
それでもわたしたちは、耐え続けなければならないのか。
従順なる市民でいなければならないのか。
「そんなに安全だと言うならば、
まずは政治家が、ここで暮らせばいい」
という、福島の高校生の言葉が痛い。

土曜日のクレヨンハウス朝の学校の講師は後藤政志さん。
「脱原発を唱えるものは感情的」という声も一方にはある。
わたしたちは何度でも原発の、原子炉の仕組みを学びたい。
そうして、「技術革新」の只中にいた、この技術者が、
なぜ、いつ、どのようにして自らが設計してきた原発に疑問を抱き、
脱原発を唱えるようになったかに耳を傾けよう。

わたしがはじめて後藤さんを知ったのは、
YouTubeの画像を通してだった。
そのあと、番組で直接お目にかかって、
話を伺い、なんと真っ直ぐで熱いかただと思ったのが、
3月の末だったか、4月のはじめだったか。
あれから5か月。
わたしたちは、いま、どこに立っているのだろう。