508・1ミリシーベルト、という数値を前に途方に暮れる。
福島第一原発に近い地域での積算放射線量の数値である。
事故から5か月もたって「はじめて」文科省から発表された。
職業として、放射線を取り扱うひとでも、
年間許容線量は、20ミリシーベルトである。
そうでない一般人の年間許容線量は、「1ミリシーベルトまで」である。
積算放射線量508・1ミリシーベルトといえば、
一般のものが許容されるそれの508年分、ということにはならないか。
むろん、風上か風下かでも、放射線量は違ってくるのだが、
それにしても「今頃になって」の発表である。
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんによると、
この積算放射線量は、事故が起きた「3月中には計算できたもの」だという。
そうであるなら、それを今まで発表しなかったのは、なぜなのか。
一般は1ミリシーベルトというこの国の法律、に違反した上に、
それを知らさないということは、
いのちと人権への重大な侵略犯罪ではないか。
それでもわたしたちは、耐え続けなければならないのか。
従順なる市民でいなければならないのか。
「そんなに安全だと言うならば、
まずは政治家が、ここで暮らせばいい」
という、福島の高校生の言葉が痛い。
土曜日のクレヨンハウス朝の学校の講師は後藤政志さん。
「脱原発を唱えるものは感情的」という声も一方にはある。
わたしたちは何度でも原発の、原子炉の仕組みを学びたい。
そうして、「技術革新」の只中にいた、この技術者が、
なぜ、いつ、どのようにして自らが設計してきた原発に疑問を抱き、
脱原発を唱えるようになったかに耳を傾けよう。
わたしがはじめて後藤さんを知ったのは、
YouTubeの画像を通してだった。
そのあと、番組で直接お目にかかって、
話を伺い、なんと真っ直ぐで熱いかただと思ったのが、
3月の末だったか、4月のはじめだったか。
あれから5か月。
わたしたちは、いま、どこに立っているのだろう。