2011年8月25日木曜日

8月25日

池波正太郎さんのエッセイに次のような一文がある。
……人間という生きものは、苦悩、悲嘆、絶望の最中にあっても、
そこへ、熱い味噌汁が出て来て一口すすりこみ、
「あ、うまい」
と、感じるとき、われ知らず微笑が浮び、生き甲斐を覚えるように
できている。
大事なのは、人間の身体にそなわった、その感覚を存続させて
いくことだと私はおもう………(「私の正月」より)

人間の身体にそなわった、その感覚を、被災地のひとたちは、特に
福島のひとたちは持続できているだろうか。
錯綜する情報のもとで、いっぱいの味噌汁を「あ、うまい」と感じ、
われ知らず浮ぶ微笑を凍らせてはいないだろうか。

白樺湖湖畔で、抱いた生後2か月のあの子の、軽いけれど
確かな重みが甦る。
あの子も、この子も、わたしのシャツブラウスの裾をぎゅっと握り締めた
子も、そしてそれぞれのおかあさんたちも「じいじ」たちも、
みな、福島に帰ったのだ。
嗚呼。