アメリカ合衆国の新大統領ドナルド・トランプ氏が就任後、
早速行ったのは、司法長官代理の解任だった。
中東・アフリカ7か月からの入国を禁止する彼の措置に対して、
大統領令に従わないようにと司法省に通知した
サリー・イェイツ長官代理が解任されたのだった。
バラク・オバマ前大統領も、信仰などによって
個々人を差別することは反対だという声明を発表したし、
国連の事務総長も反対している。
「違憲でもあり、違法」だとする声は大きくなるばかりであり、
措置の無効を求めて連邦地裁に提訴する方針も話し合わせている。
トランプ政権での司法長官が危害で承認されるまで、
サリー・イェイツさんが長官代理であった訳で、
解任されること自体、大問題だ。
が、日本で同じようなことが起きた時、法務省のトップが
「違法・違憲」と首相の命に背くことが果たして可能なのか。
つきつめれば民主主義とは何なのか、に
たどり着くテーマではある。
各地でこの大統領命に反対する抗議デモが続いているが、
この国であったら? ということも考えさせられる。
2月5日(日)の恒例の朝の教室。
講師は哲学者の国分巧一郎さん。
国分さんのご著書と改めて(はじめてのものもある)。
初めて拝読したのは、『暇と退屈の倫理学』。
……わたしたちはパンではなく、バラも求めよう。
生きることはバラで飾られねばならない……と
本書の帯にあり、本文でもそれについて記述されている。
米国の新大統領を見ていると、自分たちは
世界中のバラを集めてバラに埋もれた日々を送りながら
市民(特に中東やアフリカの人々)には、バラどころか
パンさえも取りあげるといった感じがしないでもない。
そういえば、「バラではなくて、権利を」というデモをした
米国の女性たちもかつていた。
NOT ROSES、BUT RIGHT
権利もバラも、そしてパンも、
ひとりや一部に集中させてはならない。
国分さんの、今回の講演にも出てくる話題かもしれないが、
ご著書『民主主義を直観するために』には、政治について、
あるいは政治を語り合うことについて次のような記述がある。
……ぼんやりした圧力を受け続け、したい話ができずにいたら
どうなるでしょう? その話題について考えるのがイヤになって
しまうでしょう。それどころか、自分にその話題のことを考え
させられるような情報に触れることさえ、イヤになってしまう
……違和感を感じないようにするというのは、「自分に嘘を
つく」ということです。自分に嘘をつくというのは、生きていく上で
一番やってはいけないことだと思います。
そう、「違和感」を大事にしたい。自分の内なる違和感と
ちゃんと向かい合ってみよう。話し合ってみよう。
2017年2月5日(土)
9:00~10:30 東京店B1 レストラン「広場」
國分功一郎さん(哲学者)
「いま政治で何が問題になっているのか?」