2011年12月31日土曜日

12月31日

 
パックインジャーナル3時間生番組に出演して帰宅。
疲れがたまっていたのか、数時間爆睡してPCを開いたら、
次のようなメールが。
……伊達市のイチゴ農家、二本松市のりんご農家が自ら命を絶ちました。
もうこれ以上農民から犠牲者を出さないでください……
 
なんという年の瀬か。
原発事故の「収束宣言」のもとで、なにひとつ解決はしていない
「いま」のわたしたち。
番組でも話をしたが、わたしたちは山ほどの「未だ」を生きている。
未だ、被曝し続けている人がいる。
未だ、止まらない食品汚染がある。
未だ、先行きが見えない除染問題がある。
除染は「移染」でしかないともいう。
未だ、 メルトダウンした燃料の状態がわかっていない。
未だ、  外部被曝、内部被曝してしまった、特に子どもたちへの影響について、予測もつかない等。
未だ、政府は再稼働、原発の輸出を考えている。
これら「未だ」に加えるに、福島の農業生産者の苦悩は「未だ」なにひとつ解決されないまま、
自らのいのちを断つひとが……。
 
この2011年もあと1時間で終わる。

2011年12月30日金曜日

12月30日

あと1日で、この決して忘れられない2011年が終わる。

一字一句正確に覚えているわけではないが、
寺山修司さんの詩に次のようなフレーズがあった。
確か新書館から出ていた、正方形の洒落た詩集だった。
……あなたを思い出すことはありません、
なぜなら思い出すためには一度忘れなくてはならないから……。

このフレーズはたぶん恋についてのそれだと思う。
全くシチュエーションは違うが、2011年3月11日以降の日々を、
わたしは思い出すことはないだろう、なぜなら寺山さん風に言うなら、
思い出すためには一度忘れなくてはならいし、忘れることなど到底できない日々だからだ。

午後からクレヨンハウス各フロアの生花を活けて、気が付けば20時。
レストランはこの時間でも、うれしいことに混んでいる。
最後まで残り、東京で年始を迎えるスタッフもレストランで食事をしてもらう。
被災地に絵本を送る「HUG&READ」の活動や、原発について考える「朝の教室」。
そしてそこから生まれたブックレットなど、すべてスタッフの、きめ細かな協力がなければできなかったものばかりだ。

2012年の「朝の教室」。
1回目は、1月7日。講師はノンフィクション作家であり評論家の柳田邦男さん。タイトルは「政府対応はなぜ遅れた?」。
2回目は」1月21日に、医師の肥田舜太郎さん。タイトルは「広島から見る内部被ばくのこと」。
3月31日には京都大学原子炉実験所の今中哲二さんが決まっている。
2月は日程調整中で、決まり次第お知らせします。
政府は原発輸出や再稼働、新規の建設などに向けて必死だが、
わたしたちは、諦めない2012年にしよう!

2011年12月29日木曜日

12月29日

「9のつく日にお正月の飾りをしてはだめだよ。それから一夜飾りもね」
そんな風に言っていた祖母の言葉がいまだに心にあって、クレヨンハウスのお正月飾りは28日に。
まだ終わっていない生花は、30日にわたしが担当。
31日と元日、クレヨンハウス東京店はお休み。大阪店は31日まで開店して、元日と2日がお休み。
デスクワークのスタッフはほぼ今日からお休みで、各フロアのスタッフは順番に休みをとることになる。
生花をいける(というか、投げ込む)準備を終えて、今日は早めに退出。

今年中にいれる原稿は一応書き終えて……。問題はわが家の掃除。
結局はゴミの収集日に間に合わなかった。
すっきりと整理した家で新年を迎えたいところだが、
あれこれやらなくてはならないことが次々に増えたのだから、仕方がない。

それにしても気になるのは、福島の子どもたち。
一家の中でも意見が異なり、
「顔を合わせると、すぐに諍いになる。だから最近はお互い、
どちらかが茶の間にいると、部屋に入らないようになってしまった」
80代の祖母と60代の息子夫婦、
さらに40代の息子夫婦と中学生、小学生の子どもたちがともに暮らす一家の嘆きである。

武器輸出三原則は緩和され、消費税の増税は既定路線に。
八ッ場ダムの建設の再開も決まった。
武器輸出三原則が緩和されたのは、軍需(古い言葉だが)産業の強力な要請を受けてのことだろう。
この国の政治はだから、国民のことなどてんで考えていない、ということだ。
年の瀬まで腹が立って、腹が立って。

2011年12月28日水曜日

12月28日

2011年も、残すところあと3日。
朝から夕方まで収録があって、それからクレヨンハウスへ。
このブログを書いているいま、火の用心の拍子木が、外から聞こえる。
郷里に帰るデスクワークのスタッフが、口々に「よいお年を」と言って、出ていく。店は31日と1日が休みだが、シフトに都合がついて、やはり帰郷するスタッフがいる。

よいお年を……。2012年は少しでも、どんなにちいさくても希望の見える年にしたい。
火の用心の拍子木を聞きながら、心底そう思う。

机の上に今日届いた書籍が。その中に『フクシマの王子さま』(芸術新聞社/刊)という新刊があった。
椎根 和さん著、荒井良二さんが表紙の絵を担当されている。
……子どもたちは、私たちの希望であり、未来です……。
帯には大きな文字でそんなコピーが。さらにポイントを落とした文字で、つぎのように続く。
「水、米、果物、酪農、水産……自然の宝庫フクシマで起きた
取り返しのつかない原発事故。
いま、本当に守るべきものは何なのか、一緒に考えませんか」

今夜はこの本を読む。

2011年12月27日火曜日

12月27日

2011年も間もなく終わる。
なんという年だったのだろう。
なんと非情で残酷な年だったのだろう。
20年後、50年後、100年後、この国の歴史に、そして世界の歴史に、
2011年はどんなふうに記されるのだろう。
それにしても、なんという国にわたしたちは暮らしてきたのだろう。
これからもずっとわたしたちは、この窒息状態の中で暮らし続けるのだろうか。
隠ぺいされる事実。
隠される真実。
糊塗される現実。
置き去りにされる市民。
未来を奪われる子どもたち。
郷里を失うお年寄りたち。
仮説住宅には電気製品もそろっているのだが、将来のめども立たないまま、
少しでも出費を省こうと一日中布団にもぐりこんでいる、お年寄りも少なくない。

「さようなら原発1000万人アクション」、
現在の署名数は320万人だと聞いた。
決して少ない数ではないのだが、1000万人にはまだまだ少ない。

今夜はクレヨンハウスの忘年会だった。
お正月の飾りをもう少し作ってから帰ろう。
明日も朝から仕事だ。

2011年12月26日月曜日

12月26日

2011年が、あと5日と少ししか残り時間がないとは信じられない。
3月11日以降、木々の芽吹きも紅葉も、月の満ち欠けも、季節の花も、
風の感触も空の高さも澄み具合も、みんな素通りしていった。
いつもの年なら、足を止め、耳を澄まし、
感受性の回路を全開して味わうすべてがわたしを素通りしていった。
なんということだろう。
多くの人々は嘆き、憂い、被災地の悲しみに寄り添い、
少しでも自分も背負おうとしてきた。
3月11日を記号にしてはならない、と。
決して決して、その憤りや悲しみを希釈してはならない、と。

詩人であり女性史研究家の堀場清子さんは、
「一億総懺悔』の国に生きて」というタイトルの詩を『いのちの籠』に発表されている。
原発などないかのように生きてきてしまった多くのわたしたち。
その「原罪意識を否定はしないが」と記しながら、堀場さんは加えておられる。

……それより先に 問わねばならなぬ責任はないか
  人災 福島第一原発過酷事故の責任を
  わたしたちは はっきりと糾明すべきだ
  そこから 新しい一歩がはじまる

  権力なき弱者のみが懺悔する
  奇妙な社会の特殊性から
  この不幸な機会に 脱却しようではないか
  問うべき責任を問わず ひたすら沈黙する習性から
  今こそ 自己を解き放とうではないか……

1930年生まれの、このすぐれた女性詩人がつむいだ言葉に、
わたしの心は「そうだ」と強く高鳴る。
月曜日の今日は朝がたから家での原稿書き。
11時からラジオの収録5本分。
その後、作文の選考会があり、16時から「さようなら原発」の来年度の活動についての打ち合わせ。
そして、ほかの個人的な仕事の打ち合わせなどが続いた。

気が付けば、明日の夜は、クレヨンハウスの忘年会。
被災地の子どもたちに絵本をおくる「HUG & READ」の活動や
朝の教室の開催等、みなそれぞれに頑張ってくれた。

2011年12月25日日曜日

12月25日

クレヨンハウスは今日も小さなお子さんと一緒の家族連れで賑わっている。
反・脱原発の著書を集めた3階ミズ・クレヨンハウスで
2人のお子さんと一緒の女性から声をかけられた。
フリーライターをされているという。
「小さな子どもがいると、いろいろと不安で、心配で。
うちの子だけではなく、子どもたちの食べもの、特に給食が心配で心配で」
そういう彼女の背中では、おんぶされた下のお子さんが、
まっすぐな目でまじまじとわたしを見ていた。

メルトダウンを認めたのは、暴走から二か月もたってから。
スピーディが認知した放射能の数値が発表されたのもずっと後のこと。
そのために、暮らしていたところから、
放射能が高いほうに「避難してしまった」住民も少なからずいる。

東芝傘下のアメリカ・ウェスティングハウス社が、
アメリカに新規に原発を建てるという。
軍部の暴走に、国民が知らぬ間に追従していたあの頃と
似ている時代、社会とは言えないか。
あの頃もまた、メディアは大本営発表に専念していたのだ。

クリスマスソングが耳元を素通りする2011年12月25日。

2011年12月24日土曜日

12月24日

クリスマスイブの夜。
いつもなら、クリスマスソングを部屋に流して、
料理などを作っている時間だ。
が、今年はどうしてもそんな気分になれない。
それに、通常の仕事に加えてもろもろの活動が増え、
いろいろなかたにお目にかかったりする時間も増えた結果、原稿のほうが遅れ気味。
ルーティンワークをしっかりすませなくては、と
イブの今日は、朝から夜まで一日中せっせと原稿を。
その間に、たまりにたまった資料の整理をしたり、
洗濯機を回したり、とドメスティックなことも案外時間をとる。
そして22時。なんだか疲れてしまったが、
仕事はまだ終わらない。
もうひと踏ん張りしなくては。

24日の東京新聞の投書欄「発言」に68歳の男性から、
首相の「収束」発言について、次のような投書が。
「この宣言は、原発事故の被災者のため
ではない。これはいわゆる『原子力ムラ』の復活宣言ではないか」と。
まったく同感だ。

東日本の各地で、去年のイブとは
全く違う12月24日を迎えたひとびとが大勢いる。

2011年12月23日金曜日

12月23日

午前9時から始まった、2011年最後の「朝の教室」。
「これからの私たちの暮らし」というテーマで、
宇宙物理学者・池内 了さんがお話しくださった。
国策としての原発がいかなる形で地域に根付いてきたか、を前ふりに、
民主主義とは相いれないはずの、「お任せ体質」や大量消費を当然とする体質の「見直し」。
なにを社会の「発展」と呼ぶかはひとによって違うだろうし、
わたし個人は「いのち」を置き去りにしたそれを「発展」と呼ぶ気持ちには到底なれないが……。
池内さんは、「発展から持続の時代へ」。
その、ひとつのモデルケースとして、池内さんは「わが家でやっていること」。
太陽光発電・太陽熱温水、雨水の中水利用、井戸水の利用、生ゴミの処理等のご紹介を。
すぐに実現することは不可能でも、やれるところから、一年にひとつずつ実行していこうと、池内さんは提案。
むろん並行して、政府や政治には、情報開示要求をはじめ、正当なるアクションを!
希望が見える科学、のお話だった。

次のクレヨンハウス朝の教室は2012年1月7日。
作家で評論家の柳田邦男さんをお迎えして「政府対応はなぜ遅れたか」。
1月21日は広島への原爆投下から現在まで一貫して被ばく者支援を続けてこられた医師の肥田舜太郎さんをお迎えして「広島から見る内部被ばくのこと」をテーマにお話いただく。

14回にわたった2011年「朝の教室」。とにかく無事に終えることができて
ほっ。
講師と参加してくださるそれぞれの受講生のかたが創り上げてくださる1時間30分。心より感謝しています。
ありがとうございます。そして、来年もよろしくお願いいたします。

12月23日

朝まで原稿がかかってしまい、
昨日のブログをいま書いている。
今日から連休。
連休第一日目の今朝は、「朝の教室」。
講師はご案内通り、池内了さん。
「これからの 私たちの暮らし」というタイトルで、
この非情な時代を生きるわたしたちが、
2011年の「いま、この時」から、
わたしたちができること、取り組みたいことについて、
お話をしてくださる。

昨日の新聞には、政府と東電が発表した
福島第一原発1号~4号機の廃炉に向けた工程表が載っている。
原子炉内の状態を把握するだけでも10年近くを必要とし、
燃料の取り出しや建屋の解体まで含めると
最長40年はかかるとしている。
この工程表通りにいくかどうかもわからないのだが、
それでも政府は「収束」宣言をしたのだ。
それでも政府は「原発」輸出をすすめるのだ。
それでも政府は「原発」すべてを廃炉にするとは言わないのだ。

2011年12月21日水曜日

12月21日

九州宗像から帰京。
市民大学での講演。
実行委員のなかに、敬愛する森崎和江さんがいらっしゃる。
六年前に同じ会でお話しをさせていただいたとき以来の、再会だ。
もの忘れをよくしてしまって、とおっしゃてはおられたけれど、
お顔の色艶もよく、お元気そうだった。
こういった素敵な先輩がおられることで、
わたしたち妹の世代も、踏ん張れるのだ。
このところ、先輩たちの入院や加療が続いていただけに、
お元気な森崎さんの姿に、わたしも元気をいただいた。

ところで、「除染」である。
飛行機の中で読んだ毎日新聞だったか
(何紙か読んだので、どの新聞だったか定かではないが)、
「除染」というが、しないよりしたほうがいいが、
それは「移染」でしかないだろう、という投書が掲載されていた。
確かに、いま言われている除染は
投書者が記しておられるようなものだろう。
気持ちは晴れないままの、年の暮れである。

23日は宇宙物理学者、池内了さんが、
「これからのエネルギー」について、語ってくださる。
脱とか反とか言いながら、「これから」どうすればいいの? 
という素朴な疑問に丁寧に答えてくださるはずだ。

2011年12月20日火曜日

12月20日

今日はいつもより少し早く帰宅できたので、カレーを作った。
突然、食べたくなったのだ。
ジャガイモがきれていたので、鶏肉と玉葱、ニンジンと南瓜を、
ニンニクの微塵を入れたオリーブ油で炒める。
そこに水を加えてローレルの葉や乾燥バジル、擦ったリンゴなど適当に、
ほんとに適当に入れて、最後に有機のカレールとカレー粉、
シナモンなどをいれて、あとは待つだけ。
ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」のCDを流しながらのカレー作りだった。

どの家にも、独特のカレーの味がある。
海っきわの、いまはなくなってしまったMさんの家にも、Uさんの家にも、
かあちゃん得意のカレーの味があったはずだ。
もちろん福島の中通りにも南相馬にも飯舘村にもどこにも。
同じ市販のルーを使っても、それぞれ微妙に味が違う。
カレーって、そういうものだ。

そういった、あたりまえの日常を断ち切ったのは
竹内 功さんの詩、『空気を吸いたい』の二行をお借りすると……。
「かぎりなくもうけることしか知らぬ
政治権力と連む(つるむ)我利我利亡者の仕業」
ということになる。
悔しい。

23日は宇宙物理学者池内了さんを講師に
お迎えしての『朝の教室』。
これからのエネルギーについてお話しくださる予定。
ご参加を!

2011年12月19日月曜日

12月19日

東京は快晴でありながら、陽を浴びても寒く、
陽が沈むとさらに寒さが身に染みる月曜日。

大掃除を前に、ゴミの仕分けをしなければ、とか
ドメスティックなことから、もろもろ未決の事項が目白押しの12月。
師でなくとも、誰もが少々前屈みで小走りになる師走だ。
だからこそ、どーんと構えて、腹据えて、さようなら原発を。
と思いながら、家に戻ると、お風呂に入って即ベッドという日々が続いているため、
散らかした部屋が気になって、気持ちが散る。
家の中のゴミはたとえ今年最後の集配に間に合わなくともなんとかなるけれど、
「核のゴミ」だけはどうにもならない。
大掃除は半ば諦めて、署名の℡をかけまくる夜。

以下、23日の池内了さんの講演のお知らせ。

みなさまも、いろいろと未決事項を抱えておられるのでしょうが、
5月からスタートした『朝の教室』の2011年の最終教室。
学生時代は物理はまったくお手上げ状態。
けれど、ここ数年、池内さんが書かれるものが面白くて、
興味深くて、ずっと読み続けてきた。
『ヤバンな科学』は特に。
そして、この冬、「娘と話す」シリーズに、原発についての一冊が加わった。
こころ強い、一冊だ。是非、ご参加を。

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原発とエネルギーを学ぶ朝の教室 ~Morning study of Silent Spring~
「これからのエネルギーと暮らし」 池内了さん(宇宙物理学者)
12月23日(金・祝) 9:00~10:30 東京店B1 レストラン「広場」

原発に依存するなど不可能だとわかったいま、エネルギーは、わたしたちの暮らしは、どうなれば持続可能なのでしょうか? 池内了さんが想像する未来への扉、開いてみませんか?

講師/池内了さん(宇宙物理学者)
司会/落合恵子(クレヨンハウス主宰)

いけうち・さとる※
宇宙の起源や進化について研究しながら、社会のなかの科学や技術のあり方について問題提起や提案を続けている。新刊の『娘と話す原発』をはじめとした「娘と話す」シリーズ(現代企画室)、『科学の考え方・学び方』(岩波ジュニア新書)、『ヤバンな科学』(晶文社)など著書多数。総合研究大学院大学教授・学融合推進センター長。

参加費/1,000円(税込)
申込/お電話またはメールでご予約ください。
電話03-3406-6465(ミズ・クレヨンハウス 11:00~19:00)
email josei@crayonhouse.co.jp
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2011年12月18日日曜日

12月18日

福島第一原発の「収束」が首相によって宣言された。
このブログで何度も書いてきたが、
何をして「収束」というのか。
原子炉内の状態だってなにひとつわかっていないし、
汚染水だって、今でも漏れ続けている状態である。

それでも「収束」というのか。
誰に、何に、言わされているのか。
福島のひとびとが、そしてこの国に暮らす一人ひとりが認めたとき、
はじめてその言葉を使うことができるはずであるのに。

「収束」を決めるのは、「わたしたち」であり、国ではない。
それでも尚、「核のゴミ」は行き場のないまま、残る。
そういった意味では、一度原発をもってしまった国に、
真の「収束」はない言うべきなのに。

今日は松戸で、地域の市民のネットワークについての、講演。
市民がどこにも属さず、どこからも制御されない
自立的なネットワークをつくることはすばらしいが、
国や行政の不備を補充するために、
市民が「使われる」ことには、わたしは異議あり! である。
クリスマスウィークだ。
毎年、このシーズンは親しいひとへのクリスマスプレゼントを考える時期でもあるのだけれど。
今年は心弾まない。

2011年12月17日土曜日

12月17日

寒かったけれど、快晴の土曜日。
「朝の教室」、本日の講師は、河田昌東さん。
チェルノブイリ支援を長年されてきた河田さんならではの、
チェルノブイリと福島を重ねてのお話。
平易でありながら、骨太(口調はあくまでも穏やかですが)のお話に、共感。
厳しい科学的現実を聞きながら、希望につながる科学的現実に聞き入った。
 
講演の中では触れておられなかったが、金曜日はチェルノブイリの子どもたちに贈る
恒例のクリスマスカードをボランティアのかたがたと書いて、
発送準備をされて夕方の新幹線で上京してくださった。
そうしていま、チェルノブイリの、かつての子どもたちから
福島の子どもたちを元気づけるカードがたくさん届いておられるという。
柔らかく結びつこうとする、市民の力はやはり素晴らしい。
 
「朝の教室」を終えて、そのまま牛久の「平和のつどい」へ。
牛久といえば、『橋のない川』の住井すゑさんが長年、お住まいになっておられた。
30数年前に、クレヨンハウスで住井さんに講演をお願いしたことがあった。
住井さんも骨太な、けれどとてもデリケートでもあるチャーミングなかただった。
 
2011年のいま、ここに、このかたがおられたら、と
考えるかたが幾人もおられる。
そのかたがたから贈られたものをしっかりと抱きしめて
次の世代に手渡していきたい。

2011年12月16日金曜日

12月16日

今日は午後まで、遅くなりがちだった原稿を五本。
老眼鏡がそろそろ合わなくてなってきたのか。
2時間もPCの画面を見ていると、文字がみえにくくなる。

今日書いた原稿の中に、アンネ・フランクについてのそれがあった。
アンネの日記については知らないひとはいないと思う。
が、わたしがアンネについて、
あるいはホロコーストについて書くとき、いつも思うのは、
ヒットラー率いるナチ党は、選挙によって第一党となった党であるということだ。
ナチ党を選んだのは、一般のドイツの国民であり、
地方選挙においては、これもまた一般の市民である。
普段はよき父、よき母であったろうし、隣人が困っていると、
進んで手助けもしたであろう、
「あなた」に似たひと、「わたし」に似たひと、であったはずだ。

「郵政選挙」の時から、政治の劇場化ということばがよく使われるようになった。
閉塞状況の中で、「一般の市民」はよりインパクトのある、
より短く明快な言葉に、何かを求めるのかもしれない。
それは希望や期待の一票ではなく、疲労と疲弊を示す一票であり、
それゆえにしばしのエンタテインメント、熱狂の時を求めるのではないか。
そんなことが気になってならない。

明日は「朝の教室」。
河田昌東さんのお話「放射能から農業を取り戻す」を聞く。

2011年12月15日木曜日

12月15日

昨夜は柚子の話を書いた。
柚子の薬味のカキ鍋は美味だった。
深夜になってから夕刊を開くと、福島・信夫山産の柚子は、
8月に国の基準を超える放射性セシウムが検出されて、出荷停止。
名物の柚子を使ったまんじゅうは、
去年の暮れにとれた信夫山産の柚子を
ジャム状態にして冷凍保存しているのを来年いっぱいは使える。
が、そのあとの見通しはたっていないという。
飯坂温泉の共同浴場の柚子湯も
市などが11月に中止を決定したという。
(東京新聞 12月14日 夕刊)

詩人・堀場清子さんは、その作品で、
原発事故を「一億総懺悔」で終わらせてはならない、
と激しい口調で記しておられる。
(詩集「いのちの籠」より)。
「わたしたちみんな」の責任もある。
たとえば原発推進派の政治家を選んだことや、
知ろうとしないまま来てしまった罪や。
しかし、責任は責任として糾明しなければならない、
と堀場さんは記しておられる。
かつて、第二次世界大戦であれだけの
犠牲をだしながら、「一億総懺悔」で終わらせてしまった罪を、
彼女は問いかけているのだ。
まさに同感である。

今週土曜日は、「朝の教室」
チェルノブイリ原発事故後、
現地で支援活動を続けてこられた河東昌東さんのご講演。
生産者と消費者、両者が「共闘」できる道について、
チェルノブイリの活動体験を交えながら、語ってくださる。
今回の朝の教室は、有機農法に取り組む生産者の参加もあると聞いている。

2011年12月14日水曜日

12月14日

九州から帰京。
この季節、週の半分近くは東京を離れている。
12月も、もう半ば。というか、2011年もあと半月。
「脱原発」のアクション、多少焦りも感じるが、
それぞれがそれぞれで考えた道を、
確かな足取りで、誠実に歩むしかない。

今夜は友人が送ってくれた牡蠣で鍋を。
春菊やネギ、水菜、豆腐などをたっぷりといれた鍋だ。
薬味は柚子を。

たっぷりと湯気のたつ鍋を作ると、決まって
被災地のこの冬を考える。
そうして、「確かな足取りで誠実に」と自分が書いたことに、
また焦りと嫌悪を覚える。
被災地のかたがた、
福島の特に小さな子どもがいるひとたちの日々の不安を考えると。

2011年12月13日火曜日

12月13日

わが八百屋「野菜市場」カキの実、鮮やかな柿色。
とろりととけそうな感じで、店先にある。
キッチンスタッフが、そのカキでドレッシングをつくってくれた。
有機野菜とカキドレッシングのぜいたくに、ほっと息をついたのは昨日だ。

晴天がつづく。しかし寒さが厳しくなった。
風がやむと懐かしいあたたかさを感じるが、
わずかでも風が吹くと、冬の到来を思い知らされる。
何をしていても、東北の被災地に思いがとぶ。
あそび場を失くし、あそびを失くし、ふるさとを失くした子どもたちは…………。

東日本大震災被害状況(12日現在、警視庁まとめ)
死者15,841人
行方不明3,490人
避難332,691人(1日現在、復興対策本部まとめ)
を朝刊で確認した後、政府広報をひらいてみた。
岩手県 112ページ、宮城県226ページ、福島県40ページと、
死者の名簿がつづく。
この数字に、ご家族の悲しみは何倍のページ数を数えるのか。

たくさんの悲しみに、少しでも希望を伝えたいのだが、何がある?
収束の見えない福島第一原発事故を経たのに、
原発輸出をすすめるこの国に住む悲しみが重なる。

被災地の子どもたちに絵本をおくるプロジェクトHUG & READ。
その発送に、きょうもわがスタッフが倉庫へ出向いてくれた。
いまもなお、全国から絵本が届く……。
市民はやさしい。
このやさしさに、この国は甘えすぎていないか。

2011年12月12日月曜日

12月12日

4日ぶりに終日東京にいた。
たまった洗濯物、山積みされたままの資料、
返事をしなければならないメールやファックス、
もろもろの未決事項に囲まれた1日でもあった。

3月11日から9か月と1日。
わたしたち被災地から少し離れたところで暮らすものと、
被災地での9か月と1日全く違うに違いない。
東京の真昼は日差しも暖かで、母を見送った年の12か月を思い出した。
どうにもやりきれなくて、日だまりの中でぼんやりしていた午後があった。
喪失の悲しみそのものは依然心にとどまったままだったが、
日差しに温められた、わたしの外側が、内側をも温めてくれて……。
日差しの中で瞼を閉じると、
気持ちよく涙が頬を伝った午後でもあった。

新刊の打ち合わせの後、
この国の行方、といったテーマで新聞の取材を受ける。

1 市民のきもちと、国のきもちが、離れすぎていること。
2 経済優先すぎること。
  それも原発の輸出等、輸出企業優先主義ではないか等、話をする。

恒久的な平和を志向する平和憲法を遵守し、食料自給率を
もっともっとあげることもまた。

さようなら原発1000万人アクション。
署名はまだまだ。
夜。
詩人、長田弘さんから送っていただいた『詩の樹の下で』(みすず書房)を読む。
幼少期を福島で送ったこの詩人のこの詩集の帯には、
「FUKUSHIMA REQUIEM」とある。

2011年12月11日日曜日

12月11日

日曜日の今日は、広島へ。
「被爆一世はみなお年を召されてしまったが、
わたしらが二世ですし、その次の世代もいます。
わたしは元気で暮らしていますが」
空港で出迎えてくださった主催者側のおひとりは言っていた。
栗原貞子さんの、
あの『生ましめんかな』を思い、そして66年たった6月11日、
原爆ドームの前で、『目を凝らしましょう』とアピールした、
福島出身のうのさえこさんのスピーチを思い、
話をしている最中、何度が言葉が詰まった。
3・11から9か月がたった今日。

後戻りはしない、決して決して、と
自分と約束をする。

2011年12月10日土曜日

12月10日

晴れて、よかった!

朝目覚めた瞬間、思う。
日比谷野外音楽堂で、今日は「さようなら原発」の集会と署名集めなど、
もろもろのイベントが。

残念きわまりないのだが、わたしは以前から決まっていた仕事があり、東京を離れている。

内橋さん、大江さん、鎌田さんがスピーチを。
無事に、楽しく、「また来るね」で終えるように!
晴れてはいても屋外なので、どうか防寒のご準備を。

さようなら原発1000万アクション、現在署名は220万ほど。
まだまだ足りない。どうかよろしく!

次のアクションは、2月11日の全国いっせい同時刻のアクションです。
こちらも予定に入れておいてください。


「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12・10集会
☆★☆★☆★☆★☆★☆
●日時 12月10日(土)
13:15オープニング・コンサート
13:30開会(40分程度の集会の後に、パレードを行います。)
●会場  東京・日比谷野外大音楽堂

2011年12月9日金曜日

12月9日

今日も寒い一日だった。
寒さには強いはずなのだが、こんなにこたえるのは、年齢のせいなのか。
それとも、あまりに非情な時代だからなのか。

今日は朝から会議。
午後は練馬で人権についての講演会。

話をしていて、ふっと思い出した。
夏のはじめ頃の毎日新聞の記事である。
南相馬、緊急時避難準備区域で田畑を守って暮らしていた90代の女性だった。
一時、娘夫婦だかの家に避難。
それでも家に帰りたくて戻ったが……。
数えきれないほどの思い出がある自宅の庭で自死された。
老人は足でまといになるから、と。
だから、「お墓に避難します」と。

何を根拠にした? と問い返したくなる曖昧な政府の避難区域設定に、
こうしてひとつのいのちが奪われた。
猛暑が過ぎ、短い秋が終わり、いまは冬。
彼女のお孫さんたちはどんな12月を迎えているのだろう。

明日は日比谷野音での「さようなら原発1000万人アクション」集会と署名活動などがある。

寒いので、気をつけて。

2011年12月8日木曜日

12月8日

今日も寒い小雨がちの東京だった。

経産省前座りこみに、福島から来られた83歳の女性のこの声を、
この言葉をどうかシェアしてください。

そうして、ご一緒に考えてください。
「わたし」たちのテーマです。
「わたし」たちの思いです。
「わたし」たちがいま、考えるべきことです。

http://www.youtube.com/watch?v=_xpyT_fyC_w

2011年12月7日水曜日

12月7日

昨夜というか、今朝の午前一時まで、
NHK「ラジオ深夜便・ミッドナイトトーク」に出演していた。
だいたい二か月ごとの出演だ。

月ごとにテーマが決まっていて、昨日は『親を語る』だった。
個人的なテーマの中で、普遍化・社会化できるそれについては
躊躇なく書いたり語ったりはするが、あくまでも個人に帰結する
テーマを公にするつもりはない。母との関係性も同様だ。

ただ介護についても、医療のありかたについても、
わたしの母がシングルマザーであったことも、
個人的なテーマであると同時に社会的・政治的なテーマでもある。
それゆえに、わたしは介護の体験を本にし、
わたし自身がシングルマザーの娘であることも公けにしてきたのだ。
人権週間である。差別はどこにでもある。
そうして、ある差別の「される側のひとり」が場面が変われば、
差別を「する側のひとり」になることもある。
『親を語る』というタイトルそのものからは少し外れるが、
番組の中ので人権について触れたのも、そんな理由からだった。

朝にメールで送った被災地についての原稿が
ゲラになってファックスされていた。
余白の部分に、担当のかたの文字で次のように記されていた。

……この冬だけは暖かい日が続いてほしいものです。
寒さと夕暮れは、こたえますので……。

そう記したのは、男性である。
編集をするにも記事を書くにも、その前に暮らしていくうえで
ひとりの人間として、こうした視点は必要だ。
「クール」という言葉はかっこいい、頭がいい、といった風に使われるが、
他者の痛みに対する想像力が希薄なことは、クールではなくて、
単に冷たく身勝手なだけ、なんだよな。

旧藤野町、相模原市緑区で暮らすベーシスト水野俊介さんから、
ピアニスト室坂京子さんとの共演CD「FUKUSHIMA」と
「世界遺産九条の唄」が贈られてきた。

今夜の音楽はこれ、と決める。

CDは送料・税込み1,000円。CDの純益とライブの入場料から経費を引いた収益を、脱原発に取り組む「原子力資料情報室」に寄付する。問い合わせは、OCMレコード=電話042(649)5218へ(2011年10月2日東京新聞「こちら特報部」の記事から)

2011年12月6日火曜日

12月6日

東京はどんよりとした曇り空。
冬の晴れた朝の、ピーンと緊張感が張りつめた感触が好きなのだが。
今年もあと20数日ほど。
今年ほど、昨日が今日に、今日が明日に、明日が明後日に続く日常を
改めてかみしめた年はない。
毎年12月になると、わが家のドアにも手作りのリースを飾るのだが、
12月の第2週になってもできていない。
時間的にも精神的にもその余裕がないのだ。
被災地の冬を思うと、そんなことしている間はない、という声を心に聞く。
一方、日常の「そんなこと」も大事にすることが暮らしの基本になるのだ、
という声もわが心にはあるのだが。

見知らぬかたから、以下のメールが届いた。
グループでに脱原発の署名活動をしているかただ。

……駅前で署名活動をしています。有志5名での活動です。
毎週土曜日の昼過ぎから、駅前で署名を呼びかけています。
「署名したかったんですよ。ごめんなさい、今までやらずに」
と向こうから息を切らして走り寄ってきてくれた女性もいます。
「高校生でもいいですか?」
「署名用紙、一枚ください。コピーして知り合いに回します」
そんなお声もありました。
お子さん連れの若いお母さんたちが、
バギーを止めてそれぞれ署名をしてくれたこともうれしかったです。

2011年12月5日月曜日

12月5日

新しい一週間がはじまった。
そう書いて、「新しい」という言葉に躓くわたしがいることを認めざるを得ない。
「新しい」という言葉が意味する、微かな明りや希望の光が見えるのだろうか、この国は。
非情このうえない、原発事故を体験しながら、何を収束と呼ぶか自体も見えないまま、
福島の苦悩と叫びを無視したまま、時だけが無情にたっていく。
さらに原発を海外に輸出さえしようとしているのだ。
「新しい」ものはない。
いつだって、こうして国は市民の苦悩を踏みつけながら、
経済を優先させてきたのだ。

それで、わたしたちは諦めるのか?
従順なる良民を今後も続けるのか。
非力であること充分承知だが、わたしはあきらめない、
後には戻らない。

お知らせをいくつか。
●さようなら原発1000万人署名」の集会とパレード
  日時;12月10日(土)13:30〜、集会後パレードに出発。
  場所;日比谷野外音楽堂
残念ながら、当日わたしは参加できないが、こちらも是非!

●脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA
 日時:2012年1月14・15日(土・日)
 場所:パシフィコ横浜
 問い合わせ先:「脱原発世界会議」実行委員会(構成団体:ピースボート/環境エネルギー政策研究所/グリーン・アクション/原子力資料情報室/国際環境NGO FoE Japan/国際環境
 NGOグリーンピース・ジャパン、その他協力、後援多数。ウェブサイトにて公開します)http;//npfree.jp
 事務局;ピースボート Tel 03-3363-7561 Fax 03-3363-7562 E-mail;office@npfree.jp

●2012年2月11日、「さようなら原発1000万署名」全国一斉アクション
全国主要都市&原発立地県一斉アクション、東京;代々木公園イベント広場他。
詳細はまたお知らせを。

●2012年3月11日、「さようなら原発1000万署名」福島にて現地集会(東京よりバスツアーあり)《脱原発をめざす女たちの会》も参加
この日もわたしは以前から入っていた予定で参加できないが、ご無理のない範囲で是非!

続いて、クレヨンハウス「朝の教室」の最初の講師を引き受けてくださり、
ブックレット第一号、『原子力と原発のきほんのき』の著者、NPO法人 市民科学研究室代表 上田昌文さんからの、お知らせが。

●『市民研通信』第10号を発行しました。

内容は以下のとおりです。
・食品放射能汚染計測の合理化・適正化に関する研究を開始(上田昌文)
・原子力分野を例に研究開発資金の透明化の意義と方法(上田昌文)
・放射線教育・リテラシーはこれでよいのか(林衛)
・サイエンスアゴラ2011に出展・出演・参加して
(榎木英介、横山雅俊、三輪佳子、石塚隆記)
・ウクライナ・ナショナル・レポート【抜粋訳・その1】
(解説と翻訳:「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク)
・ナノシルバー抗菌剤の健康リスク(解説と翻訳:小林剛)

すべて以下のサイトからダウンロードできます。
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/12/10-1.html

・会費更新の時期がきました。市民研の活動を応援していただけるとありがたいです!

「活動成果をすべて無償で公開する」のが市民研の方針ですが、より質の高い成
果をあげていくには、多くの方々からのご支援が必要になります。新規に会員に
なってくださる方も求めております。年末のせわしない時期に申し訳ありません
が、ぜひよろしくお願いいたします!
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/12/2012.html
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/recruiting%20members%20_2012.pdf

・科学技術社会論学会による2011年度「柿内賢信(よしのぶ)記念賞研究助成
金」の実践部門での助成を受けることが決まりました。
http://jssts.jp/content/view/227/34/
テーマは「食品放射能汚染の計測の合理化・適正化に関する社会実験的研究」で
す。成果を随時ホームページなど絵公開してまいります。ご関心のある方はいつ
でもご連絡ください。

・12月11日(日)と2012年2月26日(土)に「子ども料理科学教室」を実施します。
12月11日(日)午前10時〜 国立市の「くにたち福祉会館」で
「土鍋でお米をおいしく炊く秘訣」を
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/10/1211-1.html
2012年2月26日(日)午後1時半〜
「野菜の甘みを生かしたクッキーつくり」
http://blogs.shiminkagaku.org/food/2011/12/2012226.html
を実施します。ふるってご参加ください。

・12月19日(月)に「科学・技術と社会の会」で市民研の上田が「研究開発資金
の透明化の意義と方法ーー原子力分野を例に」と題した研究発表を行います。

詳しくは以下のサイトをご覧下さい。発表要旨も掲載しています。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/JASTS/main.htm

・「サイエンスアゴラ2011」でのシンポジウム「政策形成における科学的助言のあり方」の動画が公開されています。

市民科学研究室の上田もパネリストとして登壇しました。科学技術政策に関心の
ある方にはいろいろと参考になることがあろうかと思います。
http://www.scienceagora.org/scienceagora/agora2011/program/Mb-52.html
http://www.ustream.tv/recorded/18632820

・ナノシルバーに関する調査を開始します。

上記『市民研通信』で取り上げました、ナノシルバーの健康リスクに関する調査
を、日本での使用状況の把握から始めてみたいと考えております。ご関心のある
方はご一報ください。
http://archives.shiminkagaku.org/archives/2011/12/post-280.html

・12月23日(祝日)に恒例のクリスマス会(2部構成)を実施します!

今年は大震災ゆえに、戦後最大の節目の年となるように思いますが、そのことも
胸に刻みながら、次の年に向けての元気を培う集いとしたいと思っています。
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/2011/11/1223.html

現在(12月5日現在)34名の参加者が確定しています。定員は50名です。参加を
希望される方は上田宛にメールでご連絡いただければと思います。

今年は、茨城県守谷市で有機農業を始めて3年目を迎える、以前市民研のスタッ
フも務めていただいた、小林一朗さんご一家も参加することになります。クリス
マス会当日に取れたての野菜を運び届けて下さいます。小林さんらは精力的に放
射能計測も行ってきました。彼の属する農場(つくば市の手子生・上郷・豊里)
の野菜の測定結果と農場での取り組みは以下に記されています。
http://tsukubanokaze.net/housyanou.html

希望者が集ってのパーティ用の食事作りは午後2時からですが、希望される方に
は、当日の朝守谷に赴き、小林さんの畑で収穫作業を手伝っていただき、その後
一緒に車で会場に向かう、という新しい試みを入れることにしました。農作業を
体験でき、かつ、小林さんの活動のお話しも伺えるという、農業に関心のある方
には大変よい機会になるでしょう。希望者は事前に上田にご連絡ください。

震災と原発事故をめぐって、今年出会うことになり、いろいろな取り組みをすす
めている方々にも、このクリスマス会へお誘いをすることにしています。参加者
の皆さんにとって、新たな貴重な出会い場となることでしょう。ご友人にもお声
がけ下さい。ご家族でのご参加、大歓迎です。

上田昌文(UEDA Akifumi)
ueda.akifumi@shiminkagaku.org
NPO法人 市民科学研所

以上。
みんな、それぞれの「場」で踏ん張っている。
あなたもきっとそうに違いない。

諦めない、疲れない、後戻りしない・・。
約束したい。

2011年12月4日日曜日

12月4日

昨日の宮崎でのレポートの続き。
会場におられたかたから、新聞を渡された。「放置新聞」。
原発事故で「放置」されているひとと共に、という意味をこめて、
新聞は刊行されているらしい。
発行は「放置新聞変衆室』(変換間違えではない)。
映画『チェルノブイリハート』の上映会や、
いろいろな脱原発の活動に取り組んでもいる。
その『放置新聞』12月01号には、
『チェルノブイリハート」を観た、2歳の娘さんがいる
「ミィちゃん」という女性の感想が記されている。

・・(略)未来の子供達に責任を押し付ける原発は
もうこの世の中に要らないと思います。
(中略)今子供のこの子達は自分で選んでいないのに、
無条件に放射能汚染された世の中で生きて行くのです。
そうさせたのは今大人の私たちの責任だと思います。
私たちが無責任で何も行動しなかったら、
どんどん一部の人の都合がいいようになっていきます。
それに気づいた今もまだ何もしなかったらそうなるでしょう・・。
まっとう過ぎるほどまっとうな、この「ミィちゃん」の姿勢にもう一度、
わたしたちは立ちかえり、考えていきたい。

内部被曝を防ぐことなどについて話をすると、
「気にし過ぎじゃないか?」と言われたりもするという。
誰もが四六時中危機感をいだいて暮らすのは辛い。
だから、本来「ひとつ」であるはずの、市民が心ならずも、
「気にする派」と「気にし過ぎじゃない派」に二分される。
福島では、小児科医の山田真さんがクレヨンハウスのブックレットで触れているように、
この現象がもっとあらわであるに違いない。
被害を受けたお互い同士が「対立」するような構造の、
大本はいったい何なのか。
そのことから、わたしたちは目を逸らしてはならないはずだ。


帰京したら、次のようなメールが入っていたのでご紹介を。
     
CD「FUKUSHIMA」発売記念ライヴ&アート
つながる ひろがる「脱原発」メッセージ「あしたへ せんねんのみらいへ」
***********************************
◇LIVE  室坂京子(ピアノ)x 水野俊介(5弦ウッドベース)
12月10日(土)開場17:30 開演18:00 

神奈川県相模原市 藤野倶楽部・直子の台所(別料金で軽食あります)
料金 当日2,000円 前日までのご予約1,800円(1ドリンク付き)

◇ART 西村繁男(絵本作家)x 井上厚(木版画家) 
12月10日(土)・11日(日)・17日(土)・18日(日)11:00-16:00
藤野倶楽部・直子の台所

*売上の純益は原発への警鐘をならし続けた市民派科学者・故高木仁三郎博士が
 設立した原子力資料情報室に寄附されます。 

<お問合せ、ご予約>
・OCM Records
 〒252-0186 神奈川県相模原市緑区牧野4303-14
 tel. 042-649-5218 ハfax. 042-649-5219
  mizunos@iris.dti.ne.jp
  http://www.iris.dti.ne.jp/~mizunos

または
・藤野倶楽部・直子の台所・・・tel.042-689-6105(土日のみ)
fujinoclub@fujinoclub.com  http://www.fujinoclub.com/
アクセス:車ー中央道相模湖ICより国道20号を西へ1.8km、日連入口信号より県道76号へ3km
電車ーJR藤野駅よりやまなみ温泉行きバス15分「中尾」バス停下車手前へ徒歩2分

2011年12月3日土曜日

12月3日

「まだ、間に合うと確信する理由はないが、
その努力を今、放棄する理由もまた見当たらない」
わたしたちの文明と呼ばれるものが崩壊に向かっている事実と対峙し、
それらを救うにはどうしたらいいのか。
記者にそう尋ねられた
アースポリシー研究所の代表、レスター・ブラウン氏が言ったのが
前掲の言葉である。

原発についても同様なことが言えるはずだ。
次はどこで大きな地震が?という不安を抱きながら、
今日を明日につなぐことのなんと息苦しく、悲惨なことだろう。

まだ、間に合うとわたしは考える。
そのために、できることはすべてする、と改めて、
九州からの帰路の飛行機の中で頷く。

2011年12月2日金曜日

12月2日

「脱原発」の活動がいささか失速気味ではないか。

そんな声を聞く。
確かに9・19を意思表示のピークにしてはならない、
むしろすべてはこれからと考えてはいるのだが、
ひとの気持をクサリでつなぐことはできない。
いろいろなところを回ると、むしろ新しく
脱原発を表明するグループやアクションを起こそうとしているひとに出会う。
それら、「それぞれ」が普段は個別に活動をしていても、
柔らかなつながりをもってアピールできることが
「いま」必要なことだと、わたしは切に考える。
「いま」しかない、この状況を「失速」させてはならない、と。

昨日から寒い。
福島で暮らすかたがたは?
ほかの被災地のかたがたは?
頭がくらくらする。

2011年12月1日木曜日

12月1日

寒い一日だった。
風が冷たい。
この秋から初冬にかけて最も
冷え込んだのではないかと思う。

数日前の東京新聞に、アメリカがほぼ30年ぶりに
原発に着工するとの記事が一面トップで掲載されていた。
1979年のスリーマイルアイランドの原発事故以来、
アメリカでは新規の工事は凍結されていたのだが。
最新型の原子炉4基が、早ければ年内にも着工する見通しとか。
なんてこった。
アメリカが着工が、この国に及ぼす影響を考えると……。
暗澹たる気持ちになる。

2011年11月30日水曜日

11月30日

快晴とは言えないまでも、晴れて暖かな水曜日だった。
午前中は洗濯機を回しながら原稿を書く。

これを書く、と決まれば、そして書き出せば早いのだが、
東京を離れる日が続いてちょっと疲れているせいか、
とりかかるまで時間がかかる。
午後は打ち合わせや会議のために、クレヨンハウスに。
なんだか久しぶり。薄い光が差すテラスで、あたたかなココアを飲む。

白い山茶花が、雪のひとひら(ポール・ギャリコの同名の作品があったが)のように、煉瓦の道に花びらを散らしている。
ポール・ギャリコの世界とも、ずいぶんご無沙汰している。
凛として、深くあたたかな物語に出会いたい、としみじみと思う。
こんな不安で不穏で不安定な時代こそ、物語や音楽、哲学が、こころにはほしい。
「不可欠」とか言った表現であらわされるそれではなく、
猛烈な渇きとしてのそれではあるが。

脅しとしか呼びようのない、電話が続く。
脱原発の活動がそんなに目障りなのか。
それだけのパワーを「1000万人アクション」が持ちつつあるのなら、意味があるのだが。

明日から12月。
東日本の冬が、そこに暮らす人々ひとりひとりの喪失の悲しみの中に
ほのかな明日に繋ぐ希望が見えることを祈るしかないのか。

ゲラ校正で何度も読み返して、どのテーマがどこにあるのかもほぼ暗記してしまった
山田真さんの『小児科医が診た放射能と子どもたち』を読み返す。
「朝の教室」では、いつもと変わらぬ静かな語り口ではあったが、
ひとつひとつの言葉や行間にこめられた、山田真さんの慟哭がこころに突き刺さる。
非力すぎる自分がこのうえなく悔しい。

2011年11月29日火曜日

11月29日

今日は宇都宮で、介護をテーマとした講演だった。
母の介護から見えてきた、この国の政治や福祉への
じれったい思いはもとより、介護保険について、
そして介護職に就かれているかたがたの、
給与問題などについて話をした。

が、原発のことも触れないわけにはいかない。
福島で現在、どれだけの介護を必要としているひとがおられ、
それぞれの要介護度がどのレベルなのか、
正確な資料を探しているのだが、なかなか見つからない。
在宅で介護をしている家族とされているひとがどれほどで、
施設などに入っておられるひとがどれくらいで……と調べても
正確な数字にたどりつけないでいる。
わたしの調べかたが足りないか、
間違っているのかもしれないが。

宇都宮は、わたしの郷里である。
シングルでわたしを産んだ母の郷里でもある。
その地で、介護について話をするのは
五年前の夏に見送った母への、
まだ思い出にはならない思いを、手繰り寄せるような行為でもある。
「脱原発は、子どもや、これから生まれてくる子どもたちはもちろんのこと、介護を必要としているお年寄りが、心安らかに今まで暮らしてきたところで老いていくためにも必要なもんなんですね」
母親を見送ったばかりだとおっしゃる女性から、
そんな風に声をかけられた。

今日の郷里は、曇り空だったけれど、気温は高め。
母を思い、ふっと泣きたくなる夕暮れだった。

2011年11月28日月曜日

11月28日

年賀状をどうするか、という朝日新聞の取材を受けた。
「おめでとう」という新春の言葉が、
2012年にはどうにもそぐわないのではないか……。
そんな躊躇や迷いの声が多々読者から寄せられているという。

わたし自身も迷っている。
年賀状にかかる経費を被災地に使えないか、とか、いろいろと。
すでに「喪中につき……」」というハガキもうけとっている。
そのなかに、大震災の1週間前に、東北で暮らす母親を見送った
という友人のハガキもあった。
……震災後の旅立ちであれば……離れて暮らす子ども(といっても60代だが)は会えなかった。
……老母の最後の、せめてもの心配りだったかしれません。
「さようなら原発1000万アクション」に果敢に取り組む友人の、せつない言葉が心に響く。

そうして愛するひとを失った被災地のかたがたや、
郷里を放射能で汚されたひとたちは、どんな新年を迎えるのだろう。

今日手元に届いたJCJ(日本ジャーナリスト会議)発行の
『ジャーナリスト』第644号を読んでいたら、
福島第一原発にきわめて近く、
すべての町民が避難させられた大熊町で農業を営んでおられた歌人
佐藤 祐禎さんというかたの短歌が紹介されていた。


補償金などもういらぬ今までの空気と水と空を還せ

ゴモラでもソドムでもなき大熊に殺戮の光線そそぎて止まず

ああ今日がわが家今生の見納めか先祖の位牌抱きて帰る

廃棄物地元処理だと?ふざけるなどこまで犠牲にすればいいのか

2011年11月27日日曜日

11月27日

今日日曜日も朝から長野だった。
椋鳩十記念館主催の講演会だった。
先週も伊那に行っているが、今日は下伊那。
伊那づいている、この秋だ。

椋鳩十さんと言えば、わたしも若い頃は特にその作品を熱心に読んだものだ。
『アルプスの猛犬』『金色の足あと』『クマほえる』『片耳の大しか』等々。
自然に生きる、あるいは自然を生きる、動物たちの毅然とした姿勢と、
人間との関係性を描いたものに心打たれたものだ。
10代の頃だったか、きっかけは何だったか覚えていないが、
お名前を「椋鳩十さんだっけ? あれっ! 鳩椋十さんだっけ?」.
夜中になって急に気になりだし、こころ七転八倒状態だったことを、
いまになって思い出す。
わたしは決して明るい女の子ではなかったが、いまでは懐かしい記憶だ。
植物図鑑と動物図鑑が愛読書であった頃のことだ。
生誕100年椋鳩十ベストセレクション(理論社刊)など、むろん無かった。
 
椋鳩十さんがご健在であるなら、いまの日本をどのように感じ、考えられただろう。
25日のブログでご紹介した石川逸子さんの福島の牛の詩も合わせて考える。

ちょっとだけ疲れがたまってきている。
どこかで、丸一日だけ空白の時間をつくる時期が来ているのかもしれない。

2011年11月26日土曜日

11月26日

今朝は、詩人で翻訳家のアーサー・ビナードさんの「朝の教室」。
タイトルは、「(平和利用)なーんちゃって!」。
古今亭志ん生の落語から引き出した原発がある社会への比喩など
欧米人ではじめて中原中也賞を受賞したこの詩人の、
言葉の巧みさと深さに、気持ちよく笑い、解放感の中で、
さらに考えさせられた一時間半だった。
 
12月の「朝の教室」は17日に、チェルノブイリ原発事故のあと、
現地の要請を受けて、ウクライナに入り、ナタネを使った土壌浄化を行ってきた、
分子生物学者、環境科学の専門家、河田昌東(かわたまさはる)さん。
わたしたち有機にかかわるものにとっては、河田さんは理論的リーダーであり、
すぐれた実践者でもあるが、
新刊『チェルノブイリの菜の花畑から 放射能汚染下の地域復興』(創森社)が多くの支持を得ている。
これからの農業は? 消費者自身は、どのように土と食べ物に向かい合えばいいのか。
お話を期待したい。

2011年11月25日金曜日

11月25日

以前にもご紹介したことがあっただろうか。
「戦争と平和を考える詩の会」が発行している
『いのちのかご(かごは漢字)』という小冊子があり、
いつもお送りいただいている。
その10月号を今日は、移動の電車の中で読んだ。
どれもが「言葉」を選びぬいて、時代と社会と『対決』している。
表現というのは、もともとこういった視点と
姿勢が基盤にあってのものではないだろうか。

その中に、敬愛する詩人、石川逸子さんの作品ものっていた。
この冊子の裏表紙には、ここに掲載されている詩作品は、
反戦集会などのいろいろな集まりで、朗読その他に、
自由に使っていい、といううれしい告知がのっているので、
時々朗読させていただいている。

そして、石川逸子さんの詩である。
クレヨンハウスが発行する総合育児雑誌『月刊クーヨン』でも
石川さんの作品を紹介させていただいたことがあったが、
10月号には、『牛のささやき』という題名の詩が。


『牛のささやき』
                 石川逸子
牛舎で
倒れている 牛たち
道ばたで ハタリ 倒れる牛たち

地震では崩れなかった牛舎が
放射能汚染区域となり
突如避難させられた 飼い主たち

倒れていく牛は知らない
ホウシャノウという言葉も
牛舎も 自分の乳も すでに汚染されていることを

…福島原発に頼っていたトウキョウでは
 原発推進をなお主張 津波災害を天罰と言った
 男が トップ当選していた…

息絶えようとする牛は
無人の家近くをさまよう 犬は 猫は
そんなことは知らない

(神国日本は不敗の次は
(日本の原発は安全)神話の
生け贄になった 動物たち・人間たち

 (ハーメルンの男の吹く笛に
  いつまで
  付いていこうとするのだろうね?)

深夜 牛舎を照らす月光のなか
ものいわぬ牛の遺体が
ひそと ささやき交わすのを聴いた

2011年11月24日木曜日

11月24日

東京新聞朝刊の、
「ストロンチウム 都内3か所で検出」
という見出しが飛び込んできた。
霞が関の経産省庁舎前など都内三か所の路上に堆積していた泥から、
微量ではあるけれど、放射性ストロンチウムが検出された
という一面トップ記事である。
十月半ばには、横浜港北区にあるマンション屋上の
泥からも検出されたというニュースがあったが、今回の調査をしたのも、
先の横浜港北区の自宅マンション屋上でストロンチウムを検出した
男性の教師らの住民のグループだという。

この報道にコメントを寄せている古川路明・名古屋大学名誉教授や
松井英介・岐阜環境医学研究所所長は次のように指摘されている。
「(前略)量としては多くはないが、国は住民に安心してもらうためにも、
セシウムの調査だけでなく、ストロンチウムもどこまで広がっているのか、
土壌検査すべきだ」(古川路明氏)
「(前略。ストロンチウム90は)内部被ばくではセシウムよりも危険度が
高いベータ線を出し、微量でもやっかいだ。国はストロンチウムの食品の基準も
具体的な数値で示して、検査も実施すべきだ」(松井英介氏)

国のいう「風評被害」を防ぐためにも、前掲の男性も指摘するように
「国は食品のストロンチウムの規制値も示し、食品検査に結びつけてほしい」
とわたしも考える。

2011年11月23日水曜日

11月23日

今日は一日、長野県伊那への旅だった。
新宿発の、スーパーあずさを茅野で降り、それから車で伊那へ。
わたしの愛読書の一冊、ヘンリー・デヴィッド・ソローの、
岩波書店から刊行されていた一『市民の反抗』の翻訳者・飯田実さんは、
この伊那の出身だと、迎えに来られた主催者のおひとりから教えていただいた。
ウオールデンの湖畔で,自給自足の暮らしをしながら森の生活などを表したソローではあるが,
奴隷制に反対して税金を納めず,その罪で名誉ある服役もしたひとだ。
学生時代に「我らがソロー」というのが口癖だった、
アメリカ文学の先生にソローについていろいろ教えていただいたことを思い出す。
長髪で、この季節,ダークグリーンのコールテンのジャケットを愛用されていた。
税金不払い、という抵抗の姿勢を貫いて投獄された彼。
そういえば,賢い不服従という言葉があった。
盲導犬のトレイニングなどでも使われるらしい。
飼い主からいかに指示されようとも,危険な命令には服従しない状態をそう呼ぶという。
国からいかに命令にはされようとも,不服従を貫かねばならないときが、
一市民にはあるはずだ。

講演前に、会場近くの公園をあるいた。
赤や黄色の落ち葉を踏んであるく感触を、久しぶりに味わった勤労感謝の日。

2011年11月22日火曜日

11月22日

来年の仕事の予定が決まっていく。
それはいつものことなのだけれど、ふっと不安になることがある。
誰もが有限のいのちを生きているわけで、来年の今頃、
わたしは元気でいられるだろうか。なんの保障もないし、
誰も保障できないことだ。

このところ同世代や、時にはわたしよりはるかに若いひと
の入院や手術、加療の報せが相次いでいる。

それに、この社会、この時代である。次はいつどこで大きな地震が起き、
次はいつどこで原発の暴走が起きるやもしれない、という恒常的な不安もある。
そういった不安を単なる考え過ぎ、という言葉で蓋をする向きもあるが、
ひととして、ごく自然な不安である。

福島のひとたちの中には、いま目の前にある不安さえも充分に言葉にできないような、
言葉にすると、過剰反応だと非難されるという、新しい不安を抱えているひともいる。
「過剰反応」という言葉で、くくってしまおうとしているひとたちの中にも、
悩んで苦しんで、悩みぬいた末に、苦しむことそれ自体に疲れ果ててしまい、
その結果、「いまは考えたくない」というひともおられるだろう。

第一原発の現場に向かう、息子や夫をただただ見送るしかない母や妻がいる。
今朝、下痢をした子どもに、胸しめつられる思いを抱いている母がいる。
「なんでもないわ、この子はすぐにおなかこわすんだから、と不安を打ち消そうと
するのですが……。でも、酷い。わたしたちは生きている限り、ずっとずっと
この不安を抱きつづけなければいけないのです」
この切実きわまりない「叫び」に、国は、社会は、わたしたちひとりひとりは
どんな答えを持ちうるのか。
「さようなら原発」署名、改めてよろしくお願いいたします。

生まれてきたら、そこに原発があった……。ぼくたちは一度もそれを選んではいないのに。
それが、子どもたちの「現実」であるのだから。

2011年11月21日月曜日

11月21日

「あきれた報道監視」という見出しで、
東京新聞11月20日(日)の社会面は、
経済産業省資源エネルギー庁の「メディア監視」事業の
実態を報道している。
のけぞるような「監視」の実態ではある。

原発に関する「誤った報道の是正」という名のもとに、
委託業者を通して、反原発報道を集めていた、という。
むろん、こういった情報収集とチェック体制は
ずっと以前からあったものだろうが。
委託業者からの報告書に添えられたコメントには
「いたずらに不安をあおる」とか、感情的とか
偏っている、といった言葉が並び、感情的で偏っているのは
どちらなのかと問いたいような、不穏な言葉が並んでいる。

「情報公開請求で開示された報告書には、感情的な言葉が並び、
反原発の動きに神経をとがらせる本音が見える」と記事は続くが、
東京新聞(中日新聞)の記事など、ほとんどがエネ庁に言わせれば、
「誤った報道」ということになるのだろう。

収集された情報の、批判の対象は記事だけではなく、
たとえば人気漫画の『美味しんぼ』などにも向けられているという。
『ビッグコミックスピリッツ』2009年12月7日号に掲載された回では、
青森六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の問題点を論じる場面があるという。
「美味しんぼ」はわたしも愛読する漫画だが、
主人公の記者が「もし大事故が起こったら最悪の環境破壊です」と
語る場面などについて、
例によって「いたずらに不安をあおる」と非難しているそうだ。
東京新聞の取材に対して、原作者は、
「書いたことは不正確ではない。電力会社に不都合なだけだ。
報告書のコメントこそ不正確だ」と反論。
「国民の税金を使って、電力会社の秘密警察を務めている」
と小気味よく、批判している。

多額の費用(むろんわたしたちの税金)を使っての、このような「検閲」。
現在はチェックの対象が、ネットに移行し、
ブログなどが「監視」されているという。
こういった無駄遣いを「仕分け」すべきだが、
原発推進に傾く現行の政府には期待できないことか。

送られてきた『原発訴訟』(海渡雄一・著 岩波新書)を読み始める。
帯には、「建設・運転の差し止めから事故後の損害賠償まで」とある。
どれもが、わたしたちの日常に関する「原発訴訟」である。

2011年11月20日日曜日

11月20日

南房総からただいま帰宅したところだ。
 
風が強く、久しぶりに対面した海は荒れて、
白い波しぶきが。
講演前に、岩場を歩くと、波の飛沫が飛んできて、
話の最中に唇をなめたら、しょっぱかった。
 
クレヨンハウス「朝の教室」から、また新しいブックレットが
二冊生まれた。ちょうど見本が届いたところだ。
 
一冊は、後藤政志さんの『「原発をつくった」から言えること』。
東芝で原子炉格納容器の設計に携わった後藤政志さんが、
いつ、どのようにして自らがかかわってきた原発の恐ろしさに気づき、
実名で脱原発を主張するようになったのか……。
技術者の視点からの警告にわたしたちは耳を傾けたい。
 
ブックレットのもう一冊は、『小児科医が診た放射能と子どもたち』
福島にたびたび通っておられる小児科医・山田 真さんが
実際に福島で暮らすひとたちの健康相談をして
見えてきたものを中心にまとめてくださっている。
原発暴走が、同じ苦悩と不安を抱えた地域を、
住民を分断する現実を、山田さんはまっすぐに告発しておられる。
 
次の「朝の教室」の講師は、作家アーサー・ビナードさん。
 
さらにお知らせをひとつ。
「さようなら原発1000万人アクション」は、
12月10日に「がんばろう!さようなら原発1000万署名」の集会を行う。
場所:日比谷野外音楽堂  
開場 13:10 
オープニングコンサート パンタ(元頭脳警察)
13:30 開始 
詳しいことが決まり次第、またお知らせを。

2011年11月19日土曜日

11月19日

風雨の強い一日。群馬での講演だった。
この風雨の、足元が悪い中、10代から80代まで、
主に女性だがさまざまな年代のかたが集まってくださった。

相変わらず、走り回る晩秋。
去年の今頃、わたしは何をしていたのだろうと思うのだが、
もちろん明確な記憶は甦ってこない。
たぶん、来年の今頃に今年を振り返ると、憤りと不安と追いつめられた気持ちで、
とにかく、できることからと、あたふたと走り回っていたことだけは、
はっきりと思い出すことができるはずだ。

IFOAMの世界理事だったかたから、次のようなメールが届いたので、転送する。
-----------------------------
皆様今週日曜日に脱原発や有機農業政策などの実現をめざして、
「緑の党をつくろう!」というフォーラムが開催されます。
主催はみどりの未来です。詳細は以下の案内をご覧下さい。
http://site.greens.gr.jp/article/47824048.html

以下は関連の報道です。よろしければご覧下さい。
東京新聞11月15日(火)「こちら特報部」
『緑の党根付くか みどりの未来代表に聞く』
http://site.greens.gr.jp/article/50476542.html

朝日新聞11月16日(水)社会面
『「緑の党」「茶会」日本でも(震災・政治不信を契機に)』
http://digital.asahi.com/articles/TKY201111150648.html
http://organic.no-blog.jp/
http://twitter.com/#!/MasayaKoriyama

3.11後の暮らしと子どもたちの未来を考えるフォーラム
「みんなでつくろう!緑の党」
 詳しくは↓↓↓
 http://greens.gr.jp/pdf/20111120.pdf

日時:11月20日(日) (開場12:30)午後1:00?4:30
会場:YMCAアジア青少年センター(地下ホール)
    JR水道橋駅東口徒歩5分 TEL:03-3233-0611
    地図→ http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/map1.htm
参加費:1000円 (みどりの未来会員・サポーター700円)
      中学生以下無料、経済的に厳しい方の割引あり)
*事前申込不要
*報道自由(ネット中継・撮影・録音可)
主催:みどりの未来 http://greens.gr.jp

・・・ プ ロ グ ラ ム・・・

1.基調提言 「2013年 緑の党が政治を変える」
 〈みどりの未来共同代表〉すぐろ奈緒 杉並区議会議員

2.パネルディスカッション 基調提言を受けて

<1>経済成長神話にサヨナラ 脱成長こそ環境と雇用・生活を守る
 飯田哲也 環境エネルギー政策研究所所長
        『北欧のエネルギーデモクラシー』
 満田夏花 国際環境NGO FoE Japan
      原発・エネルギー担当
 松本 哉 リサイクルショップ「素人の乱」店主
      『貧乏人の逆襲!?タダで生きる方法』
 星野 泉 明治大学教授授(財政学、地方財政論)
      『スウェーデン高い税金と豊かな暮らし』
 〈みどりの未来共同代表〉中山 均 新潟市議会議員

<2>サヨナラおまかせ民主主義 大事なことはみんなで決めよう
 平田仁子 環境NGO気候ネットワーク東京事務所長
        『地球温暖化防止の市民戦略』(共著)
 白井和宏 緑の政治フォーラム・かながわ
        『緑の政治ガイドブック(仮)』(訳書、近刊予定)
 畑山敏夫 佐賀大学教授授(政治学)
        『フランス緑の党とニューポリティクス』
 〈みどりの未来運営委員〉渡辺さとこ 前香川県議会議員

★ゲストスピーチ
 ジルビア・コッティング=ウール
 ドイツ連邦議会議員、緑の党 原子力・環境政策スポークスパーソン
 稲村和美 尼崎市長、前みどりの未来共同代表

また、午後5:30?7:15には若者企画☆トークイベントもあります。
『若者目線で考える3.11後の新しい政治のカタチ』
 参加費 500円 終了後、懇親会を予定しています。以上
------------------------------------------
以上。

それぞれのわたしたちが、それぞれの、やわらかな形でもって
この「原発社会」を拓いていこうとしている。
北海道泊や九州玄海の「再開」を考えると、一刻の猶予もならないと思う。

前掲のイベントに、わたしは残念ながら東京を離れていて、参加できないが、
関心がおありになるかたは、ぜひ!
成果のみをカウントせず、やれることはすべてやり尽くしたいと心から思う。

2011年11月18日金曜日

11月18日

いま読みたくて、取り寄せた本がある。
★『3・11後の「安全」報道を読み解く』
影浦 峡著/現代企画室刊/1000円+税
副題が「社会情報リテラシー実践講座」。

土曜日にはわが書店に入るそうだが、土、日は東京を離れているので
手にして読めるのは来週だろう。
報道を読み解く力、メディアリテラシーも、いまわたしたちにとって大事なテーマだ。

読みたい本が山ほどあり、考えたいことが山ほどあり、
それでも、なかなか時間的余裕がない。
どこかで、一日中、本漬けの日を作りたいと切望する。

2011年11月17日木曜日

11月17日

相変わらず、ばたばたと走り回っている。
去年の今頃、わたしは何をしていたのだろうと思うのだが、
もちろん明確な記憶は甦ってこない。
たぶん、来年の今頃に今年を振り返ると、
憤りと不安と追いつめられた気持ちで、
とにかく、できることからと、あたふたと走り回っていたことだけは、はっきりと思い出すことができるはずだ。
 
昨日のペンクラブのシンポジウムでも会場の参加者から、
「原発のとらえかたについて温度差があり過ぎる」
という声があがっていた。
地域差もあるし、むろん個人差もある。
春から夏へ、そして秋から初冬へと、季節はめぐり、
日常の中にある「原発」が、また見えなくされているような。
 
なにをして「収束」と呼ぶのか別として、
収束など遠い日々の中で、
絶え間ないストレスと苦悩を抱えたひとたちが2011年の11月の今、
ここにいることを忘れてはならない、と自分と絶えず確認し続けなくてはと、確認する。
 
今夜も冷え込みそうだ。

2011年11月16日水曜日

11月16日

今日は朝9時〜仕事で、帰宅したのが23時。
遅い夕食をとって、
このブログを書くために、パソコンに向かった。

余談ながら本日の夕食は、鍋料理。
鶏でだしを取って、野菜室にある野菜たち、
白菜、小松菜、水菜、茸各種、豆腐などを。
湯気がたつ鍋料理がうまい季節になったのだ、もう。
以前にも書いたが、3月11日以来、時間や日にち、季節の感覚が
なくなってしまったような、浮遊感の中にいる。

去年の今頃、自分たちが暮らすところが、被災地と呼ばれることなど予想もせずに
熱々の鍋を囲んでいたひとたちが、東日本には大勢おられただろう。
むろん福島にも。

午後は、もと経産省の官僚で、『日本中枢の崩壊』などの著者、古賀茂明さんと対談。
彼も脱原発、である。

そのあとは、日本ペンクラブの脱原発シンポジウム。
「朝の教室」でも講師をお願いしたフォトジャーナリストの広河隆一さんたちとご一緒に。

2011年11月15日火曜日

11月15日

移動の新幹線の中で、池内 了(いけうち さとる)さんの
『娘と話す 原発ってなに?』(現代企画室)を読む。
10月に送っていただいた新刊だが、もっとゆったりとした
時空の中でと思って、机の上に大事に置いておいた。
けれどやはり読みたくて、今日は旅行鞄に忍ばせた。

池内さんが原発反対とおっしゃっていることは、
さまざまなメディアでの発言を通して、わたしたちは知っている。
同世代のこの著者の『娘と話す……』シリーズは、
どれもが魅力的だが、特に本書は心に響く。
晶文社から刊行されている池内さんの『ヤバンな科学』も愛読書だ。
……原発事故が起こって初めて、私たちは異様な国に住んでいたことを
しみじみと認識させられた。五十四基もの原発を海岸線に建設して
安逸さを貪ってきたことだ。原発が危険な放射能を大量に内蔵している
ことを知りつつ、安全神話を信じ込み、エネルギー浪費の体質に染まっていた。(中略)
そこに潜む差別の構造を見て見ぬふりをしてきた……(後書きより)。
だからこそ、「既存の路線を踏襲しようという勢力」と対峙し、
わたしたちは「今回の事故を奇貨にして世界に先駆けて文明の転換を図る国にしなければならない」
と池内さんは記す。

まったく同感だ。
これを「奇貨として、文明の転換を図る」ことができなかったら、
わたしたちはあまりに愚かであり、悲しすぎる。

2011年11月14日月曜日

11月14日

夕暮れが、さらにはやくなった。
猛暑の夏にはまだ真昼の延長にも思えた時間帯がいまは、
17時を過ぎると、夜の色が濃い。

17時ちょうどにクレヨンハウスがある周辺には、
電子音で、童謡の『七つの子』が流れる。
♪……カラスなぜなくの?♪で始まる、おなじみのあの童謡だ。
と、書いて今の子どもたちはどれくらい
この歌を知っているのだろうかと思う。
この童謡を知らない子も少なくはないだろう。
電子音は無機的で深みがないが、気がつけば、
流れるメロデイに合わせて口ずさんでいるわたしがいたりする。

被災地にも、こういった童謡が流れるときがあるだろう。
そんなとき、流れる童謡を被災地のかたがたは、どのように聞いておられるのだろう。
特にお年寄りは。
明かりがついたガラス戸にはりついた、真紅のハゼの葉を見ながら考える。

そういえば、亡くなった俳優の森繁久弥さんが、
この童謡を子どもたちの前でうたう機会があったときのエピソードを読んだことがある。
目の不自由な子だったそうだ。
♪まーるい目をした♪というフレーズのところで、一瞬詰まった彼は次の瞬間、
目ではなく、顔に言葉を変えてうたったという話だった記憶がある。
なんで読んだのか、どなたが書いたのかも思い出せないし、
思い出したフレーズが正確なのかどうかも自信がないが。

童謡というのは、その歌になじんだ時代の自分へ、ときにやさしく、
ときには強引にひとを呼び戻すものなのかもしれない。

福島で暮らす幼い子どもたちは、
いま、誰の膝や背中で、どんな歌を聴いているのだろう。
福島第一原発が報道陣に公開され、
写真や、現場で陣頭指揮をとるひとへのインタビューも各紙に掲載された。
無残な姿を曝す原子炉の写真に接し、わたしたちはやはり選んではならないものを、
積極的ではないにせよ選んでしまったのだ、と痛感する。

2011年11月13日日曜日

11月13日

今日は山形に。
山形といえば、敬愛する作家、藤沢周平さんの郷里であり、
経済評論家であり、「週刊金曜日」編集委員の佐高信さんの郷里でもある。
そして、写真家・土門拳さんも山形酒田の生まれだった。
講演のテーマはフリーでいいということだったので、
むろん原発の話をしっかりしてきた。

羽田空港では、朝日新聞の星浩さんにお声をかけられる。
記事はよく拝読するし、テレビでもよく観ているので、
はじめまして、といった感じではなかったが。

二日続けての小旅行は、やはりこたえる。
こういうときだ、普段は忘れている体力の衰えを痛感するのは。

原稿はひと眠りしてからにしよう。

2011年11月12日土曜日

11月12日

3月11日から、8か月と1日が過ぎようとしている。
今日は、岩手で講演。
秋にあった脱原発集会で岩手を訪れたときは
かすかに黄色を帯びていた並木の銀杏が
与謝野晶子風にいうと、今日は金色に。
今日訪れたところは、
内陸部で東日本大震災の被害は少なかったと
土地のかたが言っておられたが、
「親類や友人が被害の大きかった海っ側で暮らしている」
というかたもおられた。
同時に
「自分にはいったい何ができるかを考え続けて、
時々自己嫌悪に陥ることがある。
でも、忘れない、ずっと記憶に刻んでおくことを、
8か月たったいま、自分や子どもたちと約束している」
というかたも。

金色の銀杏と真紅の満天星つつじと、
「明日あたり山は雪かな」。
そんな言葉が心に響く初冬の岩手の一日だった。

2011年11月11日金曜日

11月11日

TPP参加に向けて、政府は大きく舵を切った。
野田首相が「TPPについて、関係国と協議に入ることにした」と今夜表明したのだから。
この国で暮らすわたしたちひとりひとりには
充分な説明も情報も開示されないまま、ひたすらGO。

このやり方、何かに似ていないか。
そう、原発もこうして、その危険性に気づいたひとびと、
少数派の反対の声を踏みにじり蹴散らし、
多数派の「よくわからない」の声に蓋をして、
それで大いなる利益を得る亡者たちの「賛成」の大合唱をBGMに、
既成事実として推進されてきたのではないか。

また同じことの繰り返しなのか! 
わたしたちもまた彼らが繰り返すのを許容してしまうのか。
こういった進め方が、わたしには「いつか来た道」に思えてならない。
さらに、このところ大きな地震が相次ぎ、
犠牲者もでているトルコに原発を輸出しようとは! 
とうていまともな神経とは思えない。
ひどいはなしだ。

今日は寒い一日だった。被災地はすでに冬だ。

2011年11月10日木曜日

11月10日

よく仕事をした木曜日だった。大学で授業をふたコマ。
それから全国中学生人権作文コンテストの選考会。
そして、カナダの児童文学者デボラ・エリスさんとの対談。
そして、その後別の場所へ移動して打ち合わせ。
ひとは十数時間働きつづけると、規模の大小に関係なく、
なんらかのミスをすると言われているが。
ミスしなかったか? わたしよ。

デボラ・エリスさんはの作品はさ・え・ら書房などから何冊も翻訳されている。
戦火のもとの子供たちや、貧困の中の子ども、
学校というシステムの中で立ちすくんだり、
果敢にその壁を破ろうとする子どもや女性を描く作家だ。

わたしは特に、2001年に日本では翻訳刊行された『Xをさがして』の主人公、
「カイバー」(自分でつけた名前が)が大好きだ。
……母さんは昔、ストリッパーだった……から始まる、
この過激にして初々しい少女の、成長物語。
それはそのまま、母さんと双子の自閉症の弟と「わたし」という
家族の成長物語でもあるのだが。

「カイバーは、わたしに似ている部分もあるし、
わたしがそうありたかった少女像でもあるわ」
デボラさんはそうおっしゃった。
はじめての来日。
講演などの合間に、福島を旅して、
いろいろなひとやいろいろな風景に出会ってきた。
17歳の時から、非暴力、平和運動、フェミニズムなどの
活動をはじめた彼女は、いまもパートタイムで、
かつて勤務していたトロントの施設で、カウンセラーの仕事も続けている。
並行してアフガンの難民を支援するNPOの中心人物でもある。

「わたしは子どもがいないわ。でも、わたしは
かつて子どもだったし、わたしの中にはかつて子どもだったわたしがいまもいる。
だから、子どものことを書くのは自然なことだと思う」。
と、彼女。
原発をなくすために、「わたしたち」にできること。
そのテーマでも熱くなって話をした。
詳しくは2月号の『クーヨン』で。

2011年11月9日水曜日

11月9日

纐纈あやさんが初監督した『祝の島』をDVDで観たという話は数日前に書いた。
是非おすすめしたい作品だが、
そのブログを読んでくださった作家渡辺一枝さんから、『女たちの3・11l それでも、私は命を繋いでいく。』(脱原発ナガノ・2011フォーラム 編・オフィスエム発行)が送られてきた。
一枝さんをはじめ、前掲の纐纈あやさん、ドキュメンタリー映画『花はどこへいった』の監督・坂田雅子さん(亡くなったお母様が『聞いてください』の著者・坂田静子さん)たちの鼎談をまとめた本だ。

坂田さんはベトナムでの兵役を体験した夫、フォトジャーナリストのグレッグ・デイビスさんが癌で亡くなったのをきかっけに、ベトナム戦争でも盛んに使われた枯葉剤の世代を超えた被害を取材し映画化したのが、『花はどこへいった』だった。
このドキュメントを制作されたときに坂田さんとはクレヨンハウスでお目にかかっている.
渡辺一枝さんは『夏の学校』の講師をお願いしたこともあるし、憲法などをテーマとした会でもお目にかかる機会が多い、以前からのお知り合いだ。
そして、纐纈あやさんは、先日の朝の教室の講師、フォトジャーナリストであり、映画監督の本橋誠一さんのもとで、映画製作にかかわってきたかただ。
『祝の島』を拝見してから、はるか年下だが、仲間という気持ちになっている……といったあんばいで、どこかで、ひとは繋がっているのだ、と再確認した。

『女たちの3・11』には、30年も祝島で原発に反対してこれたのは「おばちゃんたちの力です」というエピソードが紹介されている。
「おばちゃんたちは、『危ないもんは危ない、嫌なものは嫌』と実にはっきりしていて、それはもう理屈じゃないのです」。
この鼎談の司会をされているのは、この本の発行もと「オフィスエム」の代表・寺島純子さん。その寺島さんはこうおっしゃっている。
「女性の生活実感から感じる「ヤバさ」のようなものは、案外正しいのかも知れないと思うんですよね」

NOというべきものにはNO。そして心から賛同するのものにはエールを! 
女たちはいま、「イズム」に寄りかからず、自前の言葉で声をあげはじめている。

2011年11月8日火曜日

11月8日

今日は午後まで外での仕事と打ち合わせ。
午後から夕方までは、
全国の中学生が書いた人権についての作文コンテストの採点を。
数日前にすでに採点をし終えているのだが、
もう一度目を通したくて、締切の今日まで提出をしていなかった。
この人権作文コンテストは、
すでに20年近く続いているわたしにとっては11月の行事で、
毎年思うのは……。

「こういった中学生が大人になったとき、
この社会の人権意識は必ず変わる!」ということだ。
幼いところもあるが、本当に真正面から人権と向かい合っている。
今年は当然ながら大震災や原発事故をいのちと人権からとらえた、
鋭い作品もあった。
選考は山田洋次監督や、各メディアからの委員で行う。
本当は内容もご紹介したいほどだが、
選考会がこれからなので、ご紹介することはできず、残念!

遠い昔、晴海にある中学校に、
教育実習で 通っていた21歳の晩秋を思い出す。
当時の中学生はすでに50代半ばになっている。
この大震災を、そして原発暴走を彼女や彼らは、
どんな風にとらえているだろうか。
共に憤り、社会を変えようと思ってくれたらうれしいのだが。

2011年11月7日月曜日

11月7日

この12月に刊行予定の翻訳絵本『ハグくまさん』と
『生まれかわったヘラジカさん』の最終稿に目を通す。

ちいさなひとたちも手にする絵本なので余計のこと、
ひとつひとつの言葉の選択に悩む。
最後の最後に来て、加筆したり、言葉を選びかえたり……。
手元にある限りは、そんなことを繰り返してしまう自分を知っている。
それがまた楽しいのだ。それでまた「愛しすぎてしまう」のだ。

2冊とも、カナダの絵本作家ニコラス・オールドランドの
「人生を希望に変える絵本」シリーズで、

『ハグくまさん』は、なんでもハグしてしまう平和主義のくまさんが、
生まれてはじめて愛せない、ハグもできないもの(森の木を切り倒そうと
する人間なのだが)に出会ったとき、どうするかを描いたもの。

『生まれかわったヘラジカさん』は、無気力なヘラジカさんが
「自分はこのままでいいの?」と気づいた時、
何がどう変わっていくかを描いた絵本。

生まれてはじめて本というものに出会うちいさなひとから、
年齢制限なし、大人にとっても大事なメッセージが含んだ絵本たちだ。

ニコラスの絵本、3冊目は、いつの間にか「忙しいこと」が
人生の目的そのものになってしまったビーバーが主人公。
なんだか身につまされる。

加筆修正のあいまに、FM東京の3・11から8か月。
わたしたちはどう変わったかの取材。
ただいま19時。
これからもうひとつの仕事に向けて、クレヨンハウスからご出勤。

2011年11月6日日曜日

11月6日

今日、日曜日も19時まで、あちこち外での仕事が。
昨夜は、昨日の「朝の教室」の講演者のおひとりだった本橋誠一さんがプロデュース、
纐纈(はなぶさ)あやさんが初監督をされた『祝いの島(ほうりのしま)』を観た。
昨日、本橋さんから「監督からです」と手渡されたDVDである。

1000年前、難破した船を助けたことから農耕がもたされた、
海と山に囲まれた小さな島、山口県上の関町、祝島(いわいじま)。
1982年、島の対岸4キロメートルに原発の建設計画が持ち上がったことは、
鎌仲ひとみさんのドキュメント映画でも、またこのたびの町長選挙でも、
多くのわたしたちが知るところになった。
建設の話が持ち上がって以来、28年間、
島のひとたちが続けてきた反対運動を追ったドキュメントだ。
作品の中でも時々耳にすることができる声が監督のものだろうか。

その声と島に長く住み慣れた80代や70代の声とのやりとりが、心に響く。
「米さえあれば、なんとか食べていける」と祖父がひとりでつくった棚田で、
70年間、米をつくりつづけている男性。
原発反対運動の先頭に立っていた夫を25年前になくし、それを引き継いでいる女性。
普段は運搬の仕事もしながら、原発反対派として町議会議員を。
いまでも島のひとたちからは「敏坊」と呼ばれる50代の男性。
島唯一の、60代の女性漁師さん等々。

「贅沢」ではないが、地に足つけてまっとうに等身大で暮らす島のひとびとの姿から、
島の人たちがなぜ原発に反対するのかが、
沖合からあがる朝日のように、すっくと立ち上がる。
暮らしってこういうものなのだ。
暮らしから生まれる思想と姿勢ってこういうものなのだ、と
深くうなずかせてくれる作品だ。

「朝の教室」で「暮らしからチェルノブイリを撮りたかった」と言われた本橋さんの発言とつながるDVD(販売元 株式会社新日本映画社)。ぜひご覧いただきたい。

DVD制作者の静かな、厳しい怒りに共感する。
暮らしを根こそぎ奪っていく原発推進の流れを、どうしても止めなければならない。
いま目の前に、福島原発事故で暮らしを奪われた多くのひとの現実があるのに、
なお原発推進派の動きが止まらない。利権は、生命より重いのか?

2011年11月5日土曜日

11月5日

「朝の教室」、5日の講師は絵本作家のスズキコージさんと写真家本橋成一さん。
5月からはじめたこの教室、はじめての対談形式の1時間30分だった。
朝から雨? と不安だったが、どうにか天気ももって今回も大勢のお客様が。
途中、映像を映すPCがうまく作動せず(ごめんなさい)、
つなぎにわたしも加わっての、鼎談のひと時も。
浜岡原発の近くに生まれたスズキさんと、ベラルーシを取材して、
映画『アレクセイの泉」などでは監督もつとめた旧知のお2人のトークは絶妙。

玄海4号機の再稼働、福島第一原発2号機からはキセノンが検出。
大間の原発(フルMOX燃料)も建設開始らしいというニュースを、
函館の友人と昨夜電話で話し合ったばかりだ。
テレビをつければ、節電のこの冬を、電力不足の厳寒を
どう乗り越えるかという話題ばかりが。
もちろんこれは、原発再稼働のための大キャンペーンと解釈したほうが妥当であろう。
こうしてメディアは侵略されていく。
わたしたち市民発の、真実を伝えるメディアがほしい。

2011年11月4日金曜日

11月4日

今日も一日、大盛りの仕事が。
昨夜のお鍋の残りに春雨や春菊、アワビ茸などを入れて軽く食べたまま、
気がつけば19時。おなか、すくはずだ。

午前中は外での仕事。
午後は、韓国で24時間ニュースだけを流しているテレビ局の取材を受ける。
ちょうど韓国からの新婚旅行のおふたりが来られていて、Good timing!
テーマはむろん脱原発について。韓国にも20基の原発がある。
「僕は韓国人ですが、心から支持します」 
日本メディアのひとは、そういう習慣なのか、不文律があるのか、
個人としての意見は取材中にあまり,言葉にしない人が多い。
なんだかとても新鮮な感じがした。

取材の後は急ぎ銀座に。新春対談である。
もう、そんな季節なのだと改めて確認。 
対談場所から帰る途中、官庁の前でTPP反対のひとびとの一団が。
農業もそうだが、TPPに参加したら、
日本がいま世界に誇れる唯一のものとも言える
「国民皆保険」が破たんする可能性が。

そうなると、病院で手厚い治療を受けることができるのは、富裕なひとだけ。
あとは治療も受けられない多数が誕生することになる。
ウォールストリートに端を発した「1:99」不公平他国の話ではなくなっていく。

クレヨンハウスでは今、クリスマス飾りの最後の仕上げの真っ最中。
各セクションからスタッフが出て、
アウトテリアや道路沿いリースを飾ったり、ベルを吊るしたり、
頑張ってくれている姿がうれしい。

さあ、わたしもあとひと踏ん張り。
明日は「朝の教室」。絵本作家スズキコージさんと
写真家で映画監督の本橋成一さんの対談。
おふたりの脱原発を願っての告発のコラボの作品展が、
クレヨンハウスの1階で、11月15日まで。ぜひご覧を。
「作品を買うことができます」と、スタッフがしきりにすすめてくれる。

2011年11月3日木曜日

11月3日

今日も一日、仕事だった。
3月11日から、一日も休んでいない。
こういった働きかたはまずいなと思いつつ、
通常の仕事に、クレヨンハウスの「朝の教室」の講演を基にした
ブックレットの編集や校正も手伝わなければならないので、
いつものの二倍は働いているだろう。

気が付けば、11月。
ゆったりと季節の移ろいを体感し、植物を眺め、
ひとつ先の季節に咲いてくれる種子を蒔く……。
といった我が得意分野のあれこれも、少々遠ざかっている。

仕事の帰り、カーラジオから「ワルティングマチルダ」が流れてきた。
映画『渚にて』でも効果的に使われていた遠い記憶がある。
イギリスの作家だったと思うが、ネビル・シュートの作品だ。
帰宅して調べてみたら、スタンリー・クレイマー監督で映画化されたのが1959年、
わたしが14歳の時だ。
洋画ファンだった叔母に連れられて、観に行った。
主演はグレゴリー・ペック。
第三次世界大戦と核爆弾の恐怖を描いた作品だった。
核兵器の放射性物質で被曝する人々の話だが、
被爆の認識と描写が実際とは違っていると映画について誰かが論評した、
とわたしに教えてくれたのは叔母だったか。
世界が競って「核の力」を誇示しあうとした時代に生まれた作品であることだけは確かだ。
そうしていま、この国では。

2011年11月2日水曜日

11月2日

昨夕は本当にショックと憤りで、くらくらした。
昨日のブログにも書いたが、玄海原発4号機の再稼働のニュースである。
2,3号機の再稼働について、第三者を装い、再稼働に賛成の声を寄せた「やらせメール」事件が問題になった。
その後、第三者委員会の意向を無視し、換骨奪胎した報告書を提出。
最終報告書の再提出を求められながらも未だ応じていない現実がある。
それを目の前にしても、「国」は再稼働GOなのか。

問題の4号機の自動停止は、10月のはじめだった。
部品交換の手順に誤りがあり、発電タービンが停止。
連動して、原子炉も止まった「事件」である。

手順書そのものに不備があったらしい。
ということは、初歩の初歩の、初歩的なミスである。
初歩的ミスが、原発の場合は致命的な暴走につながるのだ。
自然災害だけが原発事故を招くのではなく、人為的ミスや原発そのものの老朽化もまた事故の原因になる。
そして、一度事故を起こしたら、取り返しのつかないことになるのは、原発被災地福島をみても、充分理解できる。
「対処」療法だけで、すべてが解決する問題ではないし、
同じような人為的ミスや地震などが、ほかの「どの原発」で今日、
起きないとも限らないのだ。明日も。
老朽化した原発もしかりである。
いのちあるものと共存してはならないものを、
わたしたちの社会は持ってしまったのだ。
むろん核のゴミの問題も依然解決してはいない。
次はどこで? という恒常的不安と絶望を抱えながら、
わたしたちは、わたしたちの子や孫は、生きていかなくてはならないのか、
今後もずっと。何十年も何百年も。
わたしたちの次世代もまた次世代もずっと、ずうっと。

2日は、朝日ニューススターで、
先日の朝日新聞オピニオン欄に掲載された
市民運動に関するインタビューを軸に討論。
放映は11月6日22時30分だそうだ。

自分が出た番組というのは、見たくなくて
(画面の中の自分がなぜか他人みたいに思えるのだ)、
今回も見ないだろうが。
生ではなく、収録というのは、どこをカットされるかで全体の印象が違ってくる。
それでも出ることにしたのは、9・19を一過性のイベントには決してしない、
という思いがあるからだ。
原稿の締め切りをいくつか抱えたまま、スタジオに。
と書いたところで、新たな衝撃的なニュースが。

福島第一原発2号機からキセノン133と135が検出された。
キセノンは半減期が短いものだが、核分裂でできるものだ。
ということは、規模はどうであれ、2号基で「臨界」状態が起きた、ということだ。
半減期を考えると、それも最近に。
「起きたとしても小さなもの」という説明をどれだけ信頼していいのかはわからないが……。
一度起きたら、取り返しのつかないことになる、をまた証明してくれた2号機である。

それでも、再稼働をするのか。
「多くの住民の理解が得られた」という町の発表もあったが、
2000戸のうち、「賛成・激励」の回答があったのは、30数戸であったという。
福島の「収束」がまったく見えない現実を目の当たりにしながら、
「こう!」であるのだ、この国は。
廃炉に持ち込むことができなかったら、終わりだ、この国!
民主主義はまったく機能していない。

2011年11月1日火曜日

11月1日 その2

11月1日21時30分。
今日のブログは書いてしまったのだが、特大の文字で、加筆を。
打ち合わせを終えて、毎日のWEBニュースをみたら、

玄海原発(佐賀県玄海町)4号機再稼働!の報道が。

ショックのあまり、しばし呆然自失。

「九州電力は1日夜、記者会見を開き、トラブルで停止している玄海原発(佐賀県玄海町)4号機を同日午後11時ごろに再稼働させると発表した。これに先立ち九電は同日、自社の判断で再稼働させることを玄海町の岸本英雄町長に伝え、町長は受け入れる考えを表明。同県の古川康知事も報道陣に容認の意向を示した。東京電力福島第1原発事故後、定期検査やトラブルで停止していた原発の再稼働は全国で初めて」

4号機は明日2日の午後に発電を開始するという。4日までには通常運転(フル稼働)となる見通しだそうだ。

国の原子力安全・保安院が「おおむね妥当」と評価し、再稼働を容認。町長は「国が安全と言ったので納得している」と応じ、古川知事も「国が大丈夫だと判断した以上、これまでの手続きに沿って対応した」と記者たちに述べたという。
4号機は12月中旬から定期検査に入る予定で、再稼働せずに検査入りすると思われていた(わたしもそう思っていた)が、九電は自社の判断で再稼働する方針を佐賀県や玄海町に連絡していたという。
知事も町長も「国」が許可したのだから、と国を錦の御旗にしている。
この国は、「福島」の反省など微塵もない。

今朝がた、わたしは廃炉アクションに向けての一歩として、1基も再稼働を
許容してはならないというメッセージを書いて、岩波書店に送ったばかりだった。
「やらせメール」に始まり、第三者委員会の報告書も無視した経緯もまた、
これでチャラになるのか。

酷すぎる。こうやって「民意」は、頭から「ないもの」としていくのが、
彼らの常套手段だ。
許してはならない。
これでNOアクションであったら、各地の原発は再稼働するし、
新規の建設も
NO PROBLEMになってしまうだろう。

11月1日

以下のメールが「さようなら原発1000万人アクション」の投稿欄に届いたそうです。
昨日は留守にしていたので、メールを即お届けできず、締切に
間に合わなかったのですが、ぜひご一読ください。
わたしも、むろん原発輸出は反対!です。
福島と同じ苦しみを他国のひとびと、特に子どもや、これから生まれて
くる子どもに味あわせるのは罪深いことです。
本文中の「明日」は、31日現在です。


明日にも日本からベトナムへの原発の輸出が両国政府によって
合意・進展してしまいそうです。
皆様、緊急ウェブ署名に、ぜひご協力ください。
明日午後には提出となりますので、できるだけ早く、今晩のうちにご署名ください。
よろしくお願いいたします。

==============拡散希望!=====================
【24時間・緊急署名】私たちは、原発輸出を促進する日越合意に反対します。
輸出すべきは、福島の経験から得られた学びであり、命を脅かす原発ではありません
http://goo.gl/td0KY(どれからでも署名できます)
署名フォーム1: http://goo.gl/sYfBg
署名フォーム2: http://goo.gl/GGBNL
署名フォーム3:https://pro.form-mailer.jp/fms/356a455e23405
締め切り:10月31日正午まで
---------------------------------------------
声明:私たちは、原発輸出を促進する日越合意に反対します。輸出すべきは、
福島の経験による学びであり、命を脅かす原発ではありません。
福島の原発事故は未だ収束せず、日本の大地、自然、海に
いまも放射性物質が降り注いでいます。福島をはじめとして、多くの人達が、
放射能汚染の危機にさらされ、生活を破壊され、苦しんでいます。事故の原因さえ、
究明されていません。そんな中、原発輸出をまた一歩前進させる日越政府合意が
行われようとしています。現在、ベトナムでは、日本の税金によってニントゥアン省の
原発建設に向けた実行可能性調査が実施されています。しかしこの調査の結果は、
ベトナムの住民や日本の納税者に公開される保証がありません。
ベトナムの建設予定地は、風光明媚な自然が広がり、住民たちは漁業や農業、
観光などでくらしをたてています。原発建設はこのような住民の生活を脅かすものです。
さらにひとたび事故が起これば、放射能汚染はタイ、カンボジア、ラオスなどの
ベトナムの近隣国にも広がります。日越政府は、自国民に対する説明責任を
果たしていないのと同様、これらの国々の住民にも一切の説明責任を果たしていません。
私たち、経済産業省前に集った北海道から九州までの女たち、そして原発輸出に
懸念を有する市民たちは、日本政府の原発輸出に強く反対します。
輸出すべきは、福島の痛みによって得られた貴重な経験による学びであり、
断じて原発ではありません。以上を踏まえ、私たちは日越両政府に対して、
以下を要請します。
・日本政府は、原発輸出を行わない方針を明確に打ち出すこと
・日本政府は、原発輸出に向け、これ以上無駄な税金を使わないこと
・日越両政府は、現在実施されている実行可能性調査を打ち切ること
・日越政府は、自国民、近隣国の住民に対する説明責任を果たすこと
以上呼びかけ団体:原発いらない全国の女たちアクション
--満田夏花 MITSUTA Kanna
kanna.mitsuta@nifty.com
携帯:090-6142-1807
国際環境NGO FoE Japan/tel: 03-6907-7217 fax:03-6907-7219
--------------------------------------------------------
★【署名】渡利の子どもたちを守ろう!
http://www.foejapan.org/energy/news/111007.html
--------------------------------------------------------

2011年10月31日月曜日

10月31日

イタリア、スイスが脱原発を決めて、
ドイツも脱原発の時期を早めている中、
ベルギーでも脱原発に合意し、
2015年から段階的な閉鎖に向かい、
25年には七基すべてを全廃するとのこと。

ベルギーではこの七基の原発が
国内の電力の5割以上をまかなっているというが、
それでもこの半年以内に代替エネルギーの開発計画をつくり、
全廃への道に踏み出すという。

それに比べて……である。

2011年10月30日日曜日

10月30日

今日は富山に。
旅が続き、原稿も重なり、少々疲れ気味。
空港での売店で、文庫本を一冊購入。
重松清さんの『せんせい。』
読みだしてすぐに、以前読んだことがあったと思い出す。
単行本の時の タイトルを改題したものだった。
が、以前読んだときには通過していた一行や言葉が多々あり、
改めて熟読。
重松さんの作品の、わたしは熱心な愛読者だが、
この短編集もしみじみと心に響き、しみる。
文庫本のタイトルが示すように、
教師(この本に登場する教師はやっぱり「せんせい」と呼びたいひとばかりだが)と、
生徒との出会い、再開、わだかまりと和解を描いたものだ。
読みながら、何度も涙ぐんだ。
疲れのせいにしたいところだが、人間を信じるやわらかにして、
けれど硬質な感受性が素晴らしい。

明日は、クレヨンハウス朝の教室から生まれた、
後藤政志さんのブックレットの校了。最後の読み込みを。
ブックレットに関しては編集者も兼任しているので。

日刊ゲンダイに連載されている重松さんの
被災地への思いとレポートも心に響く。

2011年10月29日土曜日

10月29日

土曜日のきょうは北海道北広島に。
ずっと以前、何かの本で、北広島という地名は、
その地に入植したかたが広島出身だったので故郷をしのんで、そう名付けた……。
というようなことを読んだか聞いたかした記憶があった。
地元で尋ねてみると、やはりそうだった、とのこと。
ひと、というものは、どこかにこうして自分が生まれ育ったところへの思いを
残したいと考えるのかもしれない。
晴天の北海道。空は高く青かった。

原発被災の福島のかたたちは、奪われた郷里への思いを
どう受け継いでいかれるのだろう。
講演をお聞きいただいた中に、「さようなら原発」の、
みっしり署名のある用紙を手に、お声をかけてくださった女性がおられた。
感謝。

2011年10月28日金曜日

10月28日

「さようなら原発 1000万人アクション」の取材が続いている。

わたしは、すべてのメディアを「封筒」と考えている。
その封筒を使わせてもらって、わたしはわたしのメッセージを書いたり、
語ったりさせてもらう。

これがメディアの片隅で、考えてみれば40年、ささやかながら
発信してきたわたしの、わたしとの約束であり、
少々振りかぶった言い方をするなら、覚悟でもある。

さて、11月5日は、クレヨンハウス朝の教室。
写真家であり映画監督でもある本橋成一さんと、絵本作家スズキコージさん
おふたりをお招きしての講演会。

2011年11月5日(土)9:00〜10:30
スズキコージさん(絵本作家)、本橋成一さん(写真家・映画監督)
「脱原発を表現すること、伝えること」

「もう、原発をやめていきたい」という想いを共有してつながりあえれば、
実現に一歩近づくはず。

アーティストの表現には、わたしたちが学ぶことがあります。
さて、これからどう伝えていくか……作品を見ながら、おふたりに
語り合っていただく。

同時にクレヨンハウス一階では、展示会も開催。

NO MORE ATOMIC ENERGY
本橋成一(写真)× スズキコージ(ART)
ゲンパツ イラナイ展
2011年11月1日(火)〜 11月15日(火)

本橋さんの「チェルノブイリ三部作」の写真を、スズキコージさんが
コラージュした作品を展示販売。
おふたりの著作やグッズを特集します。

是非、ごらんください。

2011年10月27日木曜日

10月27日

27日付「日刊ゲンダイ」の「にっぽん改国」欄。
田中康夫さんがTPPについて書いておられる。

アメリカのモンサント社については、このブログでも書いたことがあるが、遺伝子組み換え作物の開発で有名な会社である。
いま政府や多くの識者も、「乗り遅れるな」と盛んに喧伝しているが、
TPPは日本の市民にとって、そんなに意味のあるものなのか。
わたしには疑問だ。

田中康夫さんのコラムはそこのところを見事に解きあかし、
「日本にとってプラス」と主張する人々を、
「行先も判らぬバスに乗り込むなんて」と疑問を呈しておられる。
「ルールづくりから入って、ダメだったらやめればいい論」もあるが、
それを田中さんは「離婚するかも知れないけれど取り敢えずは結納の打ち合わせしませんか」と言っているようなものだ、と見事に看破。
いい加減「アメリカへの阿諛追従」はやめたほうがいいという田中論を、
わたしは支持する。

2011年10月26日水曜日

10月26日

今日は名古屋での福祉についての講演会。
このところ講演続きで少々疲れ気味だが、
介護やリハビリは母がわたしに遺していってくれた大事なテーマでもある。

話し始めると、体の内側から熱くなる。
PT(理学療法士)やOT(作業療法士)を職業とするひとや、
将来その職業につく学生たちも多く参加してくれた。
茶髪の、まだ少年のような表情の若者が、
まっすぐとしたまなざしで聴いてくれている様子を見ると、
それだけで胸が熱くなる。

真面目とまっすぐ、がやっぱりいいよね。
斜に構えて、エックスキューズばかりがうまくなる人生よりも、はるかに。

2011年10月25日火曜日

10月25日

東京新聞の「こちら特報部」相変わらずがんばってくれている。
きょうの朝刊は、原発大国フランスで来年の春にある大統領選に
「ヨーロッパエコロジー・緑の党」の候補として立候補する、
欧州議会議員のエヴァ・ジョリさん(67歳)のクローズアップ記事。
大統領選でミニ政党の候補者が当選する可能性は小さいが、
しかし社会党を中心とする左派が選挙で躍進すれば、
連立政権樹立で私たちが必要となるだろう」と彼女。

こういった筋の通ったしたたかさは政治には必要なものだ。
「私たちにとって大統領選の中心問題は」原子力発電だというエヴァ・ジョリさん。
「今後20年ですべての原発をシャットダウン」。
新しい原発の開発も認めない、という。

9月にフランス・マルクール地区の核廃棄物施設で事故が起きた。
ひとりのかたが亡くなったというニュース以降、詳しいフォローに
あまり触れられないまま今日に至っている。

フランスの原子力安全局は、放射性物質による汚染はないと早々に発表し、
事故を終結させてしまったことに対して、
彼女は、「政府というのはいつでもリスクを小さく見せるものだ」と指摘。

どこの国でも「国策」はこういった隠ぺい体質とワンセットですすめられてきたものであり、抜本的な解体をしない限り、今後も同じ体質を持ち続けるのだろう。

2011年10月24日月曜日

10月24日

実りの秋、という言葉とイメージが、今年ほど
切なく心に迫る秋もない。
私たちの主食のお米は本当に大丈夫なのか。
汚染の実態を反映した調査をしているのか。
放射性物質検査は緩くないか。

消費者の不安が、せっかく出来がいいと言われている
生産者を違った意味で不安にさせている。
福島の佐藤雄平知事は安全宣言をした。
しかしそれだけで、充分だろうか。結果的に売れ行きが
思わしくなく生産者を苦しめることにならないか。
消費者にとっても現行のサンプル検査だけでは不安は
消えない可能性もある。

民主・自民・公明・みんな、社民各党の一議員が
唱えている、食品の全量検査を義務づける議員立法が
実現しないか。

充分にして正確な情報開示が遅くなったり、情報を
隠しすことで生じやすい、[風評被害]を国が作ってはならない。
おおもとの原発それ自体が、市民不在の「国策」であったことを
わたしたちは忘れない。

2011年10月23日日曜日

10月23日

青森からただいま帰京。
男女共同参画社会の講演だった。
15年前の10月22日、同じ会場で同じテーマで、
わたしは話をしている。
15年前の22日が男女共同参画社会採択のオープニングだった。

あのころはまだ母がいた。
あのころ、わたしは50代に突入したばかりだった。

青森といえば六ヶ所村。そして大間がある。
男女共同参画社会の基本にあるのは、人権であり反差別であるだろう。
脱原発は、男女共同参画社会のテーマでもある。
原発推進のおおもとにある核兵器保有も、競争社会で勝ち抜くことも、
個々の男性ではなく「男性社会」の効率至上主義と重なるものだ。

脱原発を選択したドイツの人工衛星が落下した。
落下物が人にあたる確率は2000分の1と言われていた。
ということは2000人に1人ということで決して低い確率ではない。
アメリカの人工衛星落下の時も書いたが、「開発」の名のもとに宇宙でも
各国は勢力争いをしたのだ。

その象徴のひとつである人工衛星の「かけら」が、
世界のどこかの原発に衝突したら……。
今回も同じことに恐怖を感じた。
幸いはそうはならなかったようだが。

2011年10月22日土曜日

10月22日

珍しく東京にいる土曜日。
午前中から午後まで、来年に予定している
プロジェクトの打ち合わせを数時間。
気が付けば午後二時近い時間。

おっ、お昼を食べていなかった。
朝も野菜ジュースと、リンゴを一個かじっただけだった、
と思った途端、猛烈な空腹を覚え、クレヨンハウスのランチバイキングに飛び込む。

ガーリックが効いたパスタサラダが美味だった。
カリカリに上げた油揚げに細切りを散らした、グリーンサラダも満足。
オーガニックチキンのシンプルなから揚げも美味しかった。

女友だちとランチに来られた素敵な女性に声をかけられる。
「行きましたよ、9・19のデモ。また呼びかけてください。
ブログしっかりチェックしています」 
つれの友人はカナダ出身で、日本の大学で教えているそうで、
「さようなら原発の署名をたくさん、集めたよ」と。

夕方からは、クリスマスのリース作りを。
いくつか見本を作って、それを観てスタッフが来週あたりから、本格的に作り始める。

気分を出すために、自宅からクリスマスソングのCDを持参して、
今日は静かな土曜日の会議室で、ひとり歌いながらのリース作り。

気が付くと、21時。
明日は朝早く東京を離れる。
夕ごはんもクレヨンハウスですまそうか。
それとも帰って作ろうか。ただいま考慮中。

2011年10月21日金曜日

10月21日

曇り空の中を、介護の講演で高松空港へ。
飛行機はよく揺れてくれたが、
少々疲れ気味だったせいか、
新聞を読みながら、時々居眠りを。
機内の 楽しみのひとつに、いわゆる地方紙を読むそれがある。
朝一番に、どこから発ったかによって、
全国紙以外のどの新聞が搭載されているかが決まる。
行きは西日本新聞。帰路は、琉球新報と沖縄タイムズが。
どれも好きな新聞で、大歓迎。

沖縄の2紙には、基地の騒音訴訟についての記事が大きくとりあげられていた。
沖縄の置かれた歴史と原発を受け入れた地元の事情は重なるものがある。
どちらも、地元だけの問題でないことは言うまでもない。
それを多くのわたしたちは地元の問題として、普段は目を逸らしがちだった。
福島も沖縄も、地元以外に暮らすわたしたちがむしろ問われているテーマとも言える。

明日、伊方原発に集まるんですよ。介護も原発も、命の問題ですよね。
そう声をかけてくださった女性が会場におられた。

帰郷してから、クレヨンハウスで女性記者のかたふたりと遅い夕食を。
帰宅は今夜も23時を回ってしまった。

2011年10月20日木曜日

10月20日

今朝、東京新聞一面を見て、愕然とした!
「7基、計画通り推進」
見出しには大きな文字が。
野田首相は、福島第一原発事故を受けて、
「新規は困難」と言っていたはずなのだが。
電源開発の大間(青森)、日本原子力発電の敦賀3,4号基。
中国電力の島根3号基。上関1,2号基(山口)、九州電力の川内(せんだい)3号基。
これら7基については、計画通りすすめると、電力事業者は回答したという。

野田首相は就任以来、「新規は困難」とは言っているが、
建設中の原発については、「個々の案件ごとに判断していく」
と含みを残した言葉を使っている。
第三者委員会の調査報告書を無視した九電といい、
福島第一原発事故の「教訓」は彼らにはまったくないのか。
真冬を目の前にして苦しい暮らしを強制されている
原発被災者の声は、彼らには聞こえないのか。

朝日新聞朝刊「耕論」に、市民運動のこれからについての、
わたしへのインタビュー記事が掲載されている。ご一読を。

10月19日

今日はほぼ一日NHKに。
「ニッポンリハビリ応援団」の二本分の収録が。
ずっと気になって、番組でも触れていた
被災地のお年寄りの介護状況とリハビリの実態について
11月7日と8日二夜連続で放映予定。

二本とも、ボランティアで被災地に入っていた
PT(理学療法士)のかたがたがゲストだった。
被災地での情報ゼロの中で、ひととひとを結び、
リハビリを復活させるために彼らがとった行動は素晴らしいが、
避難所から仮設に、また自宅へのと被災者の方々が移動したことで、
「かえって、お年寄りの需要も状況も見えにくくなってしまった」。
被災状況の非情さに
「勤めている病院を辞めて、被災地に入ろうかどうか悩んでいました。
小さな子どもがふたりいますし。そんな時、行くべきでしょ、当たり前よ、
と僕の背中を押してくれたのが、妻でした」

わたしから見れば、半分ぐらいの年齢の彼らが、穏やかに淡々と、
「やれることに取り組む」姿に感動した。
ただし、すべてボランティアなので、
「交通費だけでも大変です」。
なんとかできないものか。

昨夜はくたくたで、ブログを書けずに爆睡。20日になってから書いている。
「朝の学校」で原子炉格納容器の設計をしていた後藤政志さんが
お話をしてくださったのは、8月末。
そのブックレットを作成中だが、その校正もしなくてはいけなかったのに。

2011年10月18日火曜日

10月18日

佐賀県、玄海原発の再稼働をめぐる「やらせメール」問題。
第三者委員会が調査をしたことは、
すでに広く知られている事実だ。
従来の隠ぺい体質を考えると、必要な措置だった。
が、その第三者委員会の、「やらせメール事件」は、
古川知事の発言が発端であるという認定を、
最終報告書にまったく盛り込まなかったことが、
また問題になっている。
酷いものだ。
隠ぺい体質ややらせ体質を、抜本的に改善するための
第三者委員会の報告を、またもや、隠ぺいし、
なかったという「やらせ」をしたのだ。
九電社長は続投だという。
福島第一原発の暴走を目の前にしても、
体質はまったく変わらない、ということである。
すでに多くの人が気づいているのだが、これで、
九電と知事の蜜月関係も、再確認できたということだ。
まったくもって、地元住民のみならず、日本中を、
世界中をコケにした話である。
「こういうひとたち」が原発をつくり、
再稼働をしようとしていることを、
わたしたちは決して忘れてはならない。

2011年10月17日月曜日

10月17日

昨日は山形だった。
このところ、東京を離れる日が続いている。
いま、東京にいてしなければならないこと、したいことがあるのだが、
以前から決まっていたスケジュールなので、粛々と。
「行ったよー、9・19に」
空港や駅で、そんなお声をいただく。
あの日の、静かな昂揚感が甦る瞬間だ。
クレヨンハウス「朝の学校」も、無事に続いている。
9・19を一過性のイベントに終わらせないため、
しっかりと、かつ柔軟性をもって足元を見つめなければ、と自分と約束する。
集英社「すばる」への脱原発特集の原稿、15枚をようやく書き終える。
書けないのではなく、書きたいことが多すぎて、
何を削るかに手間取ってしまった。

2011年10月16日日曜日

10月16日

ニューヨークにはじまった「OCCUPY WALLSTREET」(ウォール街を占拠せよ)の抗議デモは、全米100の都市に広がり、ますます勢いを増している。
「1パーセントの金持ちと、あとはわたしたち99パーセントの持たざるものたちで、この国は成り立っている」。「富めるものには税金を。わたしたち貧しいものには食べ物を」。さまざまなプラカードが掲げられている。

「勝ち組・負け組」という、いやな言葉が、流布した季節がこの国にもあった。そしてアメリカでも、主に若者たちが、自国の市場原理主義に「NO」と意思表示をした。
オバマ大統領の誕生に、アメリカンドリームを賭けた、
かの国の国民が、いま失望と憤りの反旗を翻す。
むろんオバマ大統領も富裕層からの税金を必死でとろうとしているし、雇用の改善もはかっているが、長年続いた共和党政権のつけがここにきて破綻。
この構図は、自民一党支配とも見えた戦後の歴史を覆し、
民主党政権へと変わった直後の混乱とも重なるところはあるが……。
いまもって、アメリカの破綻しかかった「新自由主義」をなぞろうとしている野田政権である。
日本もまた、新自由主義、市場原理主義に破壊されてしまった。
そうしていま、原発暴走という、未曽有ないのちへの犯罪を迎えてしまった。
間違いなく迎えるであろう、この国の大不況を前にして、つらい状況にあるひとはさらに苦境に陥るだけだ。
そのうえ、消費税10パーセントを強行しようとしているのだから、酷い。

2011年10月15日土曜日

10月15日

二日前にブログでもご紹介した
東京世田谷・弦巻での「ラジウム騒動」のニュース。
区道沿いにある住宅の床下にあった瓶の付近から、
毎時30マイクロシーベルト以上の放射線が検出されているという。
が、文科省の会見では、
瓶の中の物質に放射線セシウムが検出されなかったことから、
福島第一原発の事故とは関係ないと判断したという。
本来、放射性物質は、徹底した管理下に置かれるべきものであり、それがなぜ、民家の床下にあったのか。もともと専門の大学の研究室や病院などにしかないはずなのだが。住民の不安は募るばかりだ。

今週は岐阜・山形・関西と日々移動が続く。
ほんとうはいまは東京にいたいのだが。

2011年10月14日金曜日

10月14日

今日も一日、バタバタ気味。
午後はクレヨンハウスで、「さようなら原発1000万アクション」について、
朝日新聞の取材が。
たぶん来週ぐらいの、オピニオン「耕論」に掲載される予定。今回の6万人が集ったアクションが今後の市民運動に、どんな影響を与えるか等。
取材に来られたご担当の記者のかたは、30代のはじめでいらっしゃる。
「すべてがはじめての体験でした」と。
わたしは彼の二倍以上も生きていることになるのだが、
わたしにも「はじめて」と感じたことは、多々あった。

デモに、ひとり参加、家族参加、はじめて参加等、
動員とは別に、本当に自主的・自前で参加されたかたが多かった。
官製管制の、すべての仕組みの象徴である「原発」に対する静かな憤りが、
そして、「わたしたちの代」で。
それを終わらせなくてはという思いが、あの高揚に結びついたのだと考えている。
むろん、わたしたちの活動は、9・19がむしろ、
再びの「はじめの一歩」になるのだが。

2011年10月13日木曜日

10月13日

東京の世田谷では毎時2.7マイクロシーベルトの高放射線量、
そして横浜港北区のマンションの屋上からはストロンチウム、
が検出されたというニュースが。

いまもって測定できていない各所でも、同様のことがあるのだろう。
原発暴走以来、そして「ただちに」深刻な影響はないと
安心神話が流布されていた頃から充分に「想定」できたことではあるが、
悲しくも無念な確信があったことではあるけれど……。
これが、わたしたちの「わかった範囲での現実」である。
まだまだ「わかっていないこと」、そこにありながら手にできない情報が、
多々あるのではないかと、これも「想定」できる。
3月のあの日からの、政府や保安院の発表はいったい、
何であったのだろう、と今更ながら腹が立つ。

ジャーナリスト斉藤貴男さんの『民意のつくられかた』(岩波書店)を購入する。
お目にかかったことはないが、このジャーナリストが書く視点と姿勢には、
いつも共感と敬意を抱いている。
そうして「民意」は「つくられてきたし、絶えずつくられつつある」
という苛立ちを、わたしも抱いているからだ。
操作された「民意」に対抗する、わたしたちの自然発生的「民意」を
どのように広げ、深めていくべきか。

真剣に考えたい。

2011年10月12日水曜日

10月12日

東京新聞。朝いちばんにそれを開いて、「OH!」。
思わず声を。
東海第二原発について「地元村長が廃炉要望」
との大きなリードが目に飛び込んできた。

記事によると、村上達也村長は、11日、細野原発事故担当相と会談し、
東海第二原発について、周辺人口の多さと老朽化を理由に、廃炉にするように求めた。
1978年に運転が開始されたもので、東日本大震災で原子炉は自動停止。現在、検査中である。

(ちなみに1号機が日本初の商業用原子力発電所。1966年7月に営業運転開始。27年間、営業運転をし、98年3月に停止。2014年日本初の原子炉解体開始に向けたプロジェクトが進行しているという。停止から原子炉解体開始まで16年。廃炉まで何年かかるかわからない。さらに使用済み核燃料の無毒化に、気の遠くなるような時間が必要なので、そこまでの管理が!……これだけでも、原子力発電の複雑さ、怖さが伝わってくる)

村上村長は再稼働について、次のように言っている。
「原子力安全委員会や(中略)保安院の信用は失墜した。
原子力規制体制を早期に確立しなければ、第二原発の再稼働は受け入れられない」と。
第二原発についての意思表示であり、ほかは?と大いに気になるが、まずは半歩前進ととらえたい。

地震や津波のような自然災害がなくとも、老朽化した原発それ自体が
事故の可能性をはらんでいることは、このブログでも何度かふれた。

同じ日の「こちら特報部」は、放射線審議会が住民の被曝線量を1ミリシーベルトから「1~20ミリシーベルト」に大幅に緩和した方針について、見事な意義申し立てをしている。

こちらもご一読を。

2011年10月11日火曜日

10月11日

徹夜してしまった。

カナダの絵本作家ニコラス・オールドランドの、
個性豊かな森の仲間たちを描いた絵本で、
いまわたしの手元にある一冊は、
なんでもハグしてしまう大きな熊の話と
もう一冊は、ちょっと無気力な、
これまた大きなヘラジカが主人公のはなしだ。

春から夏にかけて、バタバタと走り回ることが多く、
一応はあらい訳をつけてはいたのだが、未完成のままだった。

昨日は、「被曝労働者」を撮り続け、
その存在を社会に広めることに40数年をかけてこられた
フォトジャーナリスト・樋口健二さんを、
「朝の教室」にお迎えした。
その熱く、まっすぐな口調、
腹をくくったところから生まれる解放感に感動し、
そのはずみの延長線上での、徹夜であり、
二冊の絵本の仕上げだった。

なんでもハグしてしまうくまさんが主人公の絵本は
『ハグくまさん』というタイトルに決めた。
好きなものより嫌いなものが多すぎる無気力ヘラジカの話は、
タイトルが決まらないまま朝を迎えた。

一匹のヘラジカの、「before&after]の話であるが。
通常のエッセイはいつでもどこでも書けるのだが、
絵本はなかなかそうはいかない。
それでも、とにかくほっとしている。

これから脱原発について、少し長い原稿を『すばる』に書かなくては。

そういえば、昨夜、ぐらついていた奥歯が一本抜けてしまった。
すっぽりきれいに抜けてくれえばいいのだが、
歯茎に残りの歯があって、それが舌に当たる。
舌を刺激するのはよくないので、
歯医者さんに行きたいのだけれど、今秋は余裕なし。
ご飯がおいしくない。
食いしん坊のわたしが珍しく小食きみになってしまった。

きょうは11日。あの日から7か月になる。
遅々として進まない、いろいろのこと。
冬は近い。
心配と怒りはつのるばかりだ。

2011年10月10日月曜日

10月10日

「朝の教室」、今日はフォトジャーナリスト樋口健二さんの講演だった。
かつて『原発ジプシー』という本(復刊、ぜひご一読を)があったが、
昨日ブログでご紹介したドイツのテレビが報道したように、
現場の過酷さ、絶え間ない不安と恐怖、
いのちを使い捨てするような体制は全く変わっていない。
現場にいるかたがたの日々を、そのご家族の苦悩を
わたしたちは決して忘れてはならない。

福島の女性たちが、経産省の前でシットインする。
エントリーするひとを集めている。
以下、ブログを是非是非!ご覧ください。
募集チラシは、こちらのブログからどうぞ。
http://onna100nin.seesaa.net/article/228900129.html
原発のない世界へ(小出裕章さんの新刊のタイトルと同じだが)、
わたしたちひとりひとりの、いま声をあげるとき!

2011年10月9日日曜日

10月9日

今日は、いつもと違った場所からのメールだ。
敬愛するジャーナリストから
次のような一文と映像が送られてきた。

ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」
隠れて撮影された「福島原発労働者の実態」です!
ぜひ、動画を観てください。

ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」
   http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA

この映像の中で、3人の作業員が、
非人間的な労働条件について話している。
彼らは身元がわれて報復されることを恐れている。
「この地方にはもう仕事はありません。それで東電の仕事をしています」
「話したことがバレたらクビです」
「仕事がないから、家族を食べさせていけません」
作業員達にジャーナリストとの接触を禁止する契約書もある。
敷地内では続々とホットスポットが見つかる。
しかし作業員はたいてい後になって、テレビを見てそれを知る。
8月上旬に致死量を越す、放射能10シーベルトが発見された時もそうだ。

「命の危険がある場所がどこかも教えてもらえない。
説明会で少し注意されるだけ」
「私の測定器はマイクロシーベルトしか測定できません。
原子炉建て屋に入るとエラーが出ます。
測定器が測定しきれないくらいの高い数値なのです。」

放射線専門家は警告する。
「作業員は外部被曝だけでも極めて高いものを受けます。
呼吸や飲食から受ける内部被曝も加えると大変な量です。
最近計測された10シーベルトは、計測器が振り切れたのでそれ以上かもしれません。
人間は7~8シーベルトの被曝で死んでしまいます」。
しかしもっと低い被曝量でも長い期間受け続ければ、
作業員やその子孫に、深刻な健康被害を与える可能性がある」
「十年後、二十年後、病気で仕事ができなくなるのが不安です。
そしたら家族をどう養えばいいのか…
子どもが健康に生まれてくるかどうかも心配でたまらない」

これが日本式の人権蹂躙だ、でしめられるファイルは上掲のアドレスで。

ドイツZDFテレビの告発は、きわめてクールに、かつ人道的だ。
しかし、日本は……。
10日の「朝の学校」は、フォトジャーナリストの立場から
原発作業員の「いままで と いま と これから」を
告発しつづけている樋口健二さんの講演。
予約は 03-3406-6465 クレヨンハウス内
ミズ・クレヨンハウスに。

作業をされているかたがたや、その家族を孤立させてはならない。
上掲のフィルムの中には、今後健康的な被害が生じても、
損害を東電や下請け会社に請求することは
できない、というような契約の一文も紹介されている。

詳しくは、上掲のアドレスで。

2011年10月8日土曜日

10月8日

脱原発を巡るもろもろのご依頼が増えている。
いつでもどこにでも参加したいのだが、
多くは土曜日に開催される。
が、残念なことにすでに土・日は以前からスケジュールが
決まってしまっていて、動きがとれない現実がある。

10・9集会に向けて、今朝書いたメッセージは以下のものだ。

…誰かに「頑張ってください」とは言いません。
  ひとりひとりの「わたし」のテーマです。
  ひとりからはじまる意思表示です。
  この国はもとより、世界中の原発が廃炉になるその日まで。
  それは、平和と差別のない社会への第一歩です。

とはいうものの「廃炉」になったとしても
全面的安全にたどりつくには、10万年もかかる。
それを思うと眩暈がするが。
それでも、それがいまできることを諦める理由にはならない。

2011年10月7日金曜日

10月7日

10日の、「朝の教室」はフォトジャーナリスト
樋口健二さんの講演会。
反・脱原発の活動の中でも、
もっとも「声をあげにくい側」に登録され、
しかも高濃度の放射能を被曝しつづける原発作業員のかたがた。
その苦悩と憤りをカメラで追い続けた樋口さんは
この国が誇るべき筋金入りの「反権力」のフォトジャーナリストである。
脱原発! と言いながらも、
わたしたちがついその存在を忘れがちな作業員のかたがたの
日常を知ることは、そのまま、福島の「いま」に直接つながるテーマでもある。
9・19の6万人集会はまだまだはじめの一歩でしかない。

「いま」と「これから」を考える上で、是非、ご参加を。

2011年10月6日木曜日

10月6日

今日は朝から授業だった。
若い女性たちと共に拓くジェンダー論。
授業のはじまりの10分間は、
「今週のわたしの気になるニュース」
について、語ってもらうコーナーを設けている。
好むと好まざるとにかかわらず、
わたしたちは社会と無縁に生きることはできないのだから。
前期もそうだったが、後期の授業も、
「気になるニュース」の筆頭は、原発について。
郷里が福島の学生もいて、みなそれぞれに心痛め、
「自分たちにできること」を考えている。
後期の授業の三回目に当たる今日のジェンダー論は、
「普通ってなんだろう?普通じゃないってなんだろう?」だ。
ひとの数だけ「普通」はあり、
あなたの普通と、わたしの普通は違うのに、
いとも簡単にわたしたちが、
「普通」というあいまいな基準に自分を明け渡してしまうのはなぜなのか……。
絵本「さっちゃんのまほうのて」を軸に考えてみた。

知性とは、他者の痛みへの想像力であり、
同時に、いまここにある「お墨付きのもの」を
「本当にそうなの?」と距離を置いて見直し、
考え直す姿勢と思想から生まれるものかもしれない。

2011年10月5日水曜日

10月5日

夕方からの雨が激しくなった水曜日の夜。
明日はまた気温が上がるそうだが、
今日は肌寒さを感じる一日だった。

ずいぶん前に、このブログでご紹介したが、
福島の郡山市で集団疎開を求めている14の家族がいる。
当然の要求だろう。
その家族は、福島地裁郡山支部に仮処分の申請をしているが、
それについての決定が今月中には出るらしい。
原告の家族たちは、今月の15日(土)に、
JR郡山駅西口広場で集会をやるというお知らせを、
知人からいただいた。

詳しくは、以下を。
http://fukusima-sokai.blogspot.com/
手続き上のすべては終わったとしても、
やむにやまれぬ思いに背を押されるまま
集会をする福島の子どもたちと、家族のかたがた。
わたしも参加したいが、すでに他所での
講演が決まっていて、当日は動けない。
彼らの思いが、どうか実を結びますように。

雨がますます激しくなったようだ。

2011年10月4日火曜日

10月4日

今日は朝から、月に一度のクレヨンハウス社員ミーティング。
会議が重なり、朝食もお昼もとれないまま、ただいま17時30分。
今日は日付が変わる時間まで仕事があるので、
ここらで、ちょっとひと休み。

クレヨンハウスの地下で、
オーガニック食材のディナービュッフェをとってこよう。
お料理6,7品プラス味噌汁と玄米か胚芽米、そしてデザート。
さらに各種野菜のサラダバー付き。もちろんお替りは何度でも。
といった按配だが、時々、夜にこんなに食べちゃっていいの?
と自分でも不安になる。
ランチタイム・ヴァイキング同様、よろしく! と書きながら、
おなかがグーと鳴る。

わたしが敬愛するアメリカの女性作家・いまはなきメイ・サートンの言葉に
次のようなものがある。
「わたしがいま懸命になって努力していることのひとつは、
 野心を捨て去ることです」。

「成功」とか「野心」とかいったものに対して、
わたしはあまり執着してはこなかった(その方が楽だからだ。
要するに、そういったものに対しては怠惰であるのだ、ほかのことには
わりと勤勉なほうだと思う)が、いまは……。
「成功」がほしい。おおきな「野心」がある。「志」もむろん。
それは、日本中の、そして世界中の原発が止まる日を迎えること。
わたしの「野心」はそれであり、わたしの「成功」とはそれだ。

諦めない、目を逸らさない、逃げない。

あーあ、おなか、すいた。
さ、食べてこよう。

2011年10月3日月曜日

10月3日

また月曜日がやってきて、新しい一週間のはじまり。
ところで、新しい一週間は、日曜日から始まるのだろうか。
遠い昔、会社勤めをしていた頃の刷り込みか、
わたしには、月曜日が一週間の最初の日、という想いが強い。
「ブルーマンデイ 憂鬱なる月曜日」という言葉もあるが、
被災地のかたがたの雇用状況を考えると、
仕事がある、ということのありがたさと、うしろめたさを実感する。
リーマンショック以来、非正規で働くひとは多いし、
そこに東日本大震災である。

あーあ、力がほしい。
望むひとすべてを受け入れることができるぐらいの、
キャパシテイを持った会社がほしい。
集団で移住を望む原発震災の被害者の願いを、
叶えるだけの「力」がほしいと、ため息をつく月曜日。

昨日、大阪伊丹であった「さよなら原発1000人講演会」
1200人近くの人が集まって、大盛況ではあった。
が、「さようなら原発」はイベントに集客ができて、
それで終わり、というテーマではない。
すべては、原発が止まる日にむけて。

今朝の東京新聞に、中沢新一さんが
脱原発をテーマとした「緑の党」を結成するという記事が。
今日はこのあと東京新聞の取材があるので、
詳しくおききしてみよう。

2011年10月2日日曜日

10月2日

今日は伊丹での「さようなら原発1,000人集会in関西」で講演。

灰谷健次郎さんとご一緒に数々の本を作ってこられた
画家の坪谷玲子さんもご参加されるというメールが入っていた。
久しぶりにお目にかかれる。

一昨日北海道空知では、気温30度の東京から半分の15度。
長沼ナイキ事件の地元。
山の上のほうにある小さなコーヒーショップでお茶を。
地元のひとが木片で作る人形が展示してあった。
木を切ってではなく、たまたま見つけた木片を集めて、
動物や人間の人形を作るのだという。
その中に、乱れた髪を風に舞わせてすっくと立つ
女の人形があった。

STAND ALONE、これって、わたしのテーマだもんね。
それに、この人形の乱れた髪型も、
わたしの怒髪に似ている! と、買ってきた。

女性ひとりで切り盛りしている、小さな店だったが外は森。
小さな人形を「こわれないように」と、
とても丁寧に包んでくださった。
人形はいま、わたしの机の上にSTAND ALONE。

昨日は埼玉での講演会。帰京(というほど遠くはないが)して、
クレヨンハウスで、札幌の女友だちとランチをいっしょに。
北海道の友人と東京で会う不思議。
一時間の再会だったが、とても静かで緩やかな時空が。
いつ会っても、静かな中に熱い情熱を感じさせてくれる友だちである。
わたしが死んだときの、お葬式の司会はずっと前から彼女に頼んである。
楽しいランチのひと時のあとは、人形のように髪振り乱して
仕事へと失踪。

そして、今日は大阪。
タフな落合が続いている。
ベトナム戦争の枯葉剤の悲劇をテーマにした
映画「沈黙の春を生きて」を観た別の友人からメールが。
観たいと思いながらまだ観ていない。
そのうち、と思っているのだが。

2011年10月1日土曜日

10月1日

昨日金曜日は北海道空知で講演。
羽田を発つときは、気温30度近くで、
札幌について雨の中を移動するときはなんと、15度。
半分の気温しかなく、空港で冬物のストール調達。
講師たちの集まりだった。
空港から会場まで、会場から千歳空港まで、往復二時間余。
たっぷりと現在の政治、教育のありかた、むろん原発について、話をする。

帰路の千歳空港。女性おふたりに
「9・19のデモ、わたしたちも行きました!」と声をかけられる。
「わたしたちの日々」はまだまだ続く。
だれるなよ、折れるなよ、と自分と改めて約束をする。

さて、10回目に当たるクレヨンハウス「朝の教室」(10月10日 月・祝)の講師は、
フォトジャーナリスト、樋口健二さん。
推進派も、反対派も、ともすると忘れがちな、
原発の現場で働く人々の「いま」と「それから」を追い続けてこられた、
世界的なフォト・ジャーナリストだ。
国や電力関係者が、ずっと目を逸らしてきた原発被曝者が、ここにも! 
「誰か」を置き去りにしたまま、誰かの存在を消したまま、
脱原発はすすまない。

原発の現場で働く人々は「平時」であっても常に被曝している。
今もなお。
彼らの犠牲の上に、原発は稼働し、彼らの支えなしには原発は動かせない。
そんな彼らの現実を、樋口さんの写真とトークを通して考えてみよう。
1960年代から四日市公害や原発労働者被曝の問題を追い続けてきた
樋口さんが見てきた原発労働の実態とは!

『これが原発だ カメラがとらえた被曝者』(岩波ジュニア新書)、
『闇に消される原発被曝者』(八月書館)、『原発被曝列島』(三一書房)
ほか著書、写真集多数。2001年には、ワールド・ウラニウム・ヒアリングに
よる「核のない未来賞」受賞。日本写真芸術専門学校副校長。

これから埼玉での講演。
以前に読んだ、樋口さんのご著書を手に、行ってまいります!

2011年9月30日金曜日

9月30日

今日は北海道へ。
教師たちの集まりで、お話を。

昨夜、「朝の学校」に参加されているかたから
送られてきたメールです。
福島の女性の言葉をかみしめてみてください。

6月の集会でのスピーチですが、
現状は、3か月以上たったいまでも、
変わっていないのではないでしょうか。

福島の梅農家、渡辺ミヨ子さん(69歳)
6月19日福島市の集会でのスピーチです。

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私は東京電力福島原子力発電所から20km-30km圏内の田村市都路町から
三春町に避難してお世話になって居ります。
全国から、世界中から支援物資、義援金、あたたかいお言葉がよせられて
今の生活物資に不足はありません。本当にありがとうございます。

世界中に、こんなにもあたたかい愛に満ちあふれた人たちがたくさんいるのに、
3月11日から100日過ぎました。…
大きな津波で流された福島県浜通りの人たちは、原発が何基も爆発して誰も近寄ることができず、けがして動けなかった人たちは誰にも助けられずにどんなにか無念の死を迎えたことでしょう。
放射能汚染による恐怖、深刻さは増すばかりです。

4月初め、私が住んでいたところで、部落の人たちから頼りにされてた60歳の男性が自ら命をたちました。
また、有機農業の人、酪農家の主人が放射能から自分の仕事を守るすべをなくした人たちが何人も自ら命を落としていったのです。
あの日から福島は生き地獄となってしまったのです。
それでも「経済発展のために原子力が必要」か
それでも(海江田)経済産業大臣は、日本の経済発展のために原子力が必要だと言っています。

経済発展のため、そんなに原子力が役立つとおっしゃられるなら、
去年あたりの失業者の数、若者までが仕事がなく、生活保護を受けなければ生きられない、
毎年3万人以上の自殺者がいるという現状はあってはならなかったはずです。
もし経済が原子力を頼らなければ成り立たないとしたら、その経済はもはや人民を奴隷とし、
人民の身も心も破壊してしまう魔物です。

「人民による人民のための人民の政治」
アメリカの大統領リンカーンが奴隷解放の折り、言った言葉です。

「人民による人民のための人民の政治」
福島県民の命は、いや原子力発電所立地地域の住民の命は、
原子力発電が国策として始められた時から軽視されていたのです。
そうでなければ、原子力のことが起きた時に、国の誰もがうろたえ、あわてふためき、何の手だてもなく過ごせるはずがありません。
福島の子どもたちが高い放射能にさらされることはなかったはずです。

福島県になぜ原子力発電なのでしょう。
東京には身動きできないほどのりっぱな会社があります。
国策であるならば、あとわずかでも、広い土地のある福島県に回せば、
東京の人たちもそうきゅうくつな思いをせずに生活できたはずです。
今の日本の経済は、国策として使われる原子力という悪魔が、
とどまることを知らない欲望の経済をあやつり、人民を奴隷としているのです。
それが何より証拠に、恐ろしいモノを安心・安全とウソをつき、高い放射能を低いと言い、
恐ろしいと怖がる正直な人たち、正直な心を、「ヒステリックだ」と自民党の石原(伸晃)国会議員が堂々と言ったのです。

福島の地震を「想定外」というのであれば、今すぐにでも起きてもおかしくないと言われる地域の地震は起きないという「想定外」もあるのではないか。
それならば、東京に原子力発電所を作り、東京の会社を東北にもってきてはどうでしょう。

私は福島県沖の海が、たくさん魚の取れるゆたかな海が、大好きでした。
県土に広がるゆたかな山々が大好きでした。
この福島を復興させることができるとすれば、原子力に頼る悪魔ではありません。
世界中の愛ある人民の、正直な、思いやりのある、おだやかで、
誰一人として死ぬことのない再生可能なエネルギーを、世界中の人民の、
日本中の人民による、東北の人民のがまんと思いやりのエネルギーを日本に、
そして世界中に送ることです。

みなさん、本日は、ほんとうにありがとうございました。

都路町からの避難住民 渡辺ミヨ子さんの6・19集会アピール

2011年9月29日木曜日

9月29日

福島第一原発の、冷温停止のニュースが
今夜のテレビで盛んに取り上げられている。
冷温停止の条件のひとつは、100度以下だが、
2号基は、97度である。
もちろん低温に向っていることは歓迎したいが、
それほど大喜びすることなのか、
わたしにはわからない。
被害を小さく小さく見せようとしてきた
今までの経過を考えると、にわかに大喜びする気には
なれないわたしがいることも確かだ。

19時すぎには、震度5の地震がまたあった。
不安になることに、わたしたちは疲れている。
それも事実だ。
が、ぬか喜びはしない、という姿勢も大事ではないだろうか。

高濃度の放射能の中で、黙々と作業をつづけるひとたちが
今、この瞬間にもいるのだ。

2011年9月28日水曜日

9月28日

ケニアのノーベル平和賞受賞者、
ワンガリ・マータイさんが亡くなった。
「MOTTAINAI」という言葉と、その概念を
世界的に広めた女性だ。

荒れ果てた大地に三千万本の木を植えたマータイさんは
「木を植える女」でもあった。
同時に彼女の人生のほとんどは
弾圧と権力との闘いの歴史でもあった。
前政権下では、何度も投獄。
不屈の女性でもあった。
28日付東京新聞の「筆洗」では、そのマータイさんと
足尾銅山の鉱j毒問題と闘った田中正造の思想と姿勢を重ねた、
すがすがしくも凛々しい文章が掲載されている。

「どの社会にも業界にも、東電的、保安院的体質があるのだよねえ」
 NHKで収録を終えてから、
仲間数人と退院したばかりの友人を見舞った。
その帰り道、遅い夕食をとりながら仲間たちと話し合う。
「こんな時しか、会えないね」
「今度はみんなが元気な時に会おうよ」
仲間たちとの食事は、数年ぶりである。

環境省が示した汚染土壌の除染土は
最大で2879万立方メートル。
最大で東京ドーム23杯分に相当するという。
中間貯蔵や仮置き機関についても気になるところだ。

2011年9月27日火曜日

9月27日

短い原稿を何本か書いて、あとは校正をしただけなのに、
なんだか、やたら疲れた一日だった。

今夜は、パソコンの前を離れて、ゆっくりと本を読もうか。

ここ数か月、次々と出版される
原発に関連する本を優先して読んでいるせいか、
頭の中が過飽和状態。

突然、開高健さんの本が読みたくなった。
さっきコーヒーをいれようと書棚の脇を通ったとき、
ふっと目についたからかもしれないが。

開高さんの言葉に、次のようなものがあった。
一字一句記憶しているわけではないが……。
「思想は本屋に行けばすぐに手に入るけれど、
皺を手に入れるにはつらい時間がかかるもんだよ」
思想とはいかないまでも、
ものごとに 対するわたしなりの考え方は、ま、
ささやかながら、手に入れることができただろう。
皺だって、ちゃんと、ここに。
あとは、考えたことをどこまで誠実に、
どこまでしっかりと、かつ柔軟に実現していくか、だ。
年齢を考えると、そんなに残された時間はない。

2011年9月26日月曜日

9月26日

昨夕、ブログを更新した時点では、未だ判明していなかった
山口県上関町の町長選の結果が判明した。
原発推進派の現町長が立地反対派の候補者に
「大差をつけて」(とほとんどのメディアが報道している)3選された。
建設を計画されているのは2基の原発で、
上関町が原発の誘致を明らかにしたのは1982年。
以来、町税収入2億5000万円の上関町に、
合計45億円の交付金のほか、中国電力から多額の寄付金が支給されてきた。
当時7千人いた人口は、いまや半減。注がれた原発マネーが、
地域興しに役立っているようには見えないことを証明している。

一方祝島では「自然エネルギー100%プロジェクト」をスタート。
人口3500の上関町が推進派と反対派に二分された対立の歴史は
決して短くはない。
東京新聞9月26日朝刊の社説は、それらの経過を踏まえながら、
「原発マネーと別れよう」と提案している。

……地域に溝を掘ったのは、安心安全と財源をてんびんにかけ、
住民の心を揺らし続けた原発推進の国策だ。
祝島の自然を生かした持続可能な地域おこしに、
法外な原発交付金を付け替えるなど、政府も責任を負うべきだ……。

きょうの夕刊には、
「静岡・牧之原 浜岡永久停止を決議 原発10キロ圏で初」とある。
福島原発事故が、いまだ収束していない現状で、牧之原市議会の決議こそ当然ではないか。

2011年9月25日日曜日

9月25日

三連休の終わりの日曜日。
東京は午前中は晴れ間が見えたが、午後からは曇り空。

さて、野田佳彦首相の国連演説について感じことが。
所信表明演説同様、国連でのそれも新味に欠けた気がしたのは、
わたしだけだろうか。

地震、津波、原発事故への世界中からの支援に対してお礼を言ったのは当然だが、
もっと踏み込んだお詫びをすべきだった気がする。
世界中に、とりわけ、世界中の「子どもたちの未来」に迷惑をかけたのだ。

半減期が約30年と長いセシウム137だけみても1万3500テラベクレル
(テラは1兆)も、海に拡散してしまった責任。
中東・北アフリカの民主化支援で総額10億ドルの円借款を実施、
南スーダン国連平和維持活動(PKO)への陸上自衛隊施設部隊派遣に向けて
活動するとか、◯◯します! 的なことを、アメリカを意識して言うより、
地味でもきちんとしたお詫びをすべきだったんじゃないか、と思っている。
そのためには、「原発問題が核問題だった」と、野田首相の認識が
欠けているんじゃないか、と不安だ。

原爆被爆国としても、「核不拡散」を意識した発言を、すべきだった、と思う。
福島原発事故というのは、核拡散をしてしまったのだから。

その意味では、アメリカのオバマ大統領も、人工衛星の落下について、
世界中にお詫びすべき。
「ひとに当たる確率」の心配は当然ですが、「世界中の原発に当たるかも
しれない」心配とお詫びをすべきではないか。

つまり世界中のひとが集まってくる国連で、野田首相は、
原子力発電と宇宙開発の危険性を「平和」の問題から研究し直そう、
子どもの未来について考えよう、
と発言すべきだったとわたしは考える。

「われわれの首相が、平和について哲学を語るひとであってほしい」!

午前中は昨夜の続きで、被災地に送る冬ものの衣料やかけ布団、
毛布などを「選択&洗濯」。
今朝までで終わる予定が、終わらなかった。

午後は打ち合わせをいくつかして、それから日テレの「バンキシャ」出演。
時間が足りない、としみじみ。

このブログを書いている時点では
まだ開票が始まっていないが、
今日は上関の町長選挙の日。
原発推進派の現町長に、
祝島から反対派の候補者が立候補している。
なんとか祝島のひとたちの勝利という結果にならないか。
祈るように願う。

2011年9月24日土曜日

9月24日

連休二日目の土曜日。
せっせと、ふたつの「せんたく」を。
選択と洗濯だ。
北の冬の訪れは早い。
冬物を送ってという作家・渡辺一枝さんのメールを、このブログでご紹介したことがあった。
9・19の1000万人アクションが終わる前は全く時間的余裕がなかったのだが、
その後も原稿がたまっていた。
それを昨夜まで、というか今朝までに終えて、
さ、冬物の選択と洗濯を。
午後は出かけ、いま戻ったところだが、
これからアイロンをかけることにする。
このブログを読んで、
すでにお送りいただいたかたも
少なからずおられるようだが、
呼びかけたわたしが遅れているのが、
気になっていた。
整理をし、選択をして、そして洗濯を。
どんなかたの手に届くだろう。
母にプレゼントして、一度も手を通さなかった
冬用の寝間着や肩掛けもたくさん出てきた。
わたしが身に着けないような、
きれいなピンクやブルーや花柄のものばかりだ。
ひとつひとつが思いでの品だが、
被災地のどなたかにお役に立っていただければ、
こんなにうれしいことはない。
母もきっと喜んでくれることだろう。
明日の朝にはいくつもの段ボールが
玄関に積まれているに違いない。
さ、夕飯をしっかり食べて、夜なべ仕事だ。
 
 

2011年9月23日金曜日

9月23日

秋分の日の二十三日。
今日は珍しく、一日中、東京にいた。
日中の気温は高かったが、朝夕の風はやはりもう秋。
「むかしのひとの言う通りだねえ、暑さ寒さも彼岸までって」。
わたしには、充分確固たる「むかしのひと」と思えた祖母が
お仏壇の花の水を取り替えながら、空を見上げていったのは、
何十年前のことだったろう。
祖母がいて、母がいた彼岸だった。
この秋はまだ金木犀の香りを東京店ではかいでいないが、
あれは、金木犀が香るお彼岸の朝だった。

ところで、二十四日午前一時から午後一時の間に、
宇宙のゴミと呼ばれる人工衛星のかけらが、
宇宙からこの地球に落下するという。
いま問題になっているのは、
一九九一年にアメリカが打ち上げたものだ。
「宇宙のゴミ」が、人に落下したことは、いままで一度も
ないらしいが、そして、大気圏に突入にした時、
燃え尽きる場合が多いと言われてはいるが‥‥。
万が一、どこかの国の原発に落下したら、どうなるのか!
一九八五年には、那智勝浦の人家に、旧ソ連の人工衛星が落ちている。
お役目ご免になった人工衛星の「宇宙のゴミ」自体、
大国の威信と宇宙制覇をかけた競い合いの副産物でしかない。
結局は軍事力の果てしなき競走でしかない人工衛星のゴミが、
原発を直撃したら、どうなるのか‥‥。
それも「想定外」という説明がされるのか。
今更ながら、地球に生きるわたしたちは、
ぎりぎりの崖っぷちで暮らしていることのおそろしさを痛感させられる。

どこまで人間は、自らの欲望に支配され続けるのだろう。

2011年9月22日木曜日

9月22日

ジェーン・グールドさんという、
イギリス人の動物行動学者がおられる。
日本でも彼女の本は刊行されているが、
30年近くもタンザニアで生活している。
チンパンジーの行動についての記述が多いが、
単に「研究対象」としてみるのではなく、
「共に生きる同士」として遇する姿勢が素晴らしい。

彼女は、ひとに接するときも、
ひと以外の動物に接する時も、
いのちへの敬意を忘れてはならないと主張する。

その彼女の言葉がいつも心にはある。
WE HAVE A CHANCE TO USE THE GIFT OF OUR LIVES TO MAKE
THE WORLD A BETTER PLACE.
わたしたちは、贈られたいのちを、世界を
より拓かれたところにするために使うチャンスを持っているのです。

明日から三連休。
わたしは休みなし、だけれど、贈られたいのちを有用に使うために、
今夜はちょっと古めのジャズなど聴こうか。

2011年9月21日水曜日

9月21日

台風の影響で、クレヨンハウス東京は夕方18時に早めの店じまい。
心配していた大阪店に午後に電話をすると、「もう天気になりました」。

18時というと、オーガニックレストラン「広場」の夜のビュッフェの料理は
すでにできあがっている。 
「じゃあ、スタッフみんなで食べて、早く帰って」と、
みんなを地下の「広場」に送り出す。
が、食事をして帰ろうとしたら、止まっている交通機関が多くあり、
「まだまだ帰れない」状態のスタッフも。

窓の外、今は風雨もおさまっている。妙に静かだ。
豪雨で地域ごと避難した住民もいるし、行方不明者や、亡くなったかたもいる。
お年寄りの施設が土石流で全滅したことを思い出す。
そうして、こういった施設の多くは、
「風光明媚」な「人里離れた危険な場所」に建っている。

これ以上、被害がひろがらないように、と願っている矢先、
福島の地域で大雨が、というニュースが。
原子炉建屋の、例のたまりにたまった汚染水は大丈夫か?
溢れだすことはないか?
そして、またもや避難所に避難させられるひとびとの、疲労とストレスは?
落ち着かない夜だ。
なんだか今夜は、とても疲れた。

2011年9月20日火曜日

9月20日

昨日の9・19集会&パレードについて
いろいろなメールやファックス、電話をいただいている。
その中から一通のメールを、ご了解をいただけたのでご紹介したい。
学校名をお出しすることもOK、ということだった。

自由の森学園のある先生からのメールである。

今日(19日)の集会に、同僚5人、生徒4名、
保護者数名とともに参加してきました。
(中略)
僕は、会場の一番端っこにいました。
デモを一緒に歩いていた生徒がこう訊いてきました。
「ねぇ、今日のデモって、将来教科書に載るかな?」
僕は応えました。
「教科書に載るかどうかはわからないけれど、
日本の民主主義の年表には、太字で書かれるべきことだよね」と。

心地よい疲れを味わい、
また明日から生徒たちとともに社会と世界と
向き合いたいと思います。

なんと素敵なコール&レスポンスだろう。
時代は幸せとはほど遠いが、
なんと幸せな生徒と教師の関係性だろう。

ありがとう!

2011年9月19日月曜日

9月19日

長い一日が終わろうとしている。
「朝の教室」。小児科医の山田 真さんのお話が素晴らしかった。
フクシマの子どもたちのいま。そして、そこで暮らす大人たちのいま。
お年寄りのいま。隣人との関係性のいま。
穏やかな口調の中に、激しい憤りの炎を感じるお話だった。

朝の教室を終え、お昼を食べる時間もないまま、
パンをかじって明治公園に。
鎌田慧さん、大江健三郎さん、内橋克人さん、私、そして、
この日のためにリハビリを続けてこられた澤地久枝さんの順番で、
呼びかけ人の4分間スピーチ。
それからFoEドイツ代表のフーベルト・ヴァイガーさん、
ハイロアクション福島原発の武藤類子さん、俳優の山本太郎さんのスピーチが。
そうして、三つのコースに分かれて、「さようなら原発」のウォーク。
呼びかけ人は、明治公園から代々木公園までのコースだった。
無事、完走ならぬ、完ウォーク。途中、いろいろなかたと出会い、
言葉を交わしながらのゆったりウォークだった。

わたしは、以下のようなスピーチを。

こんにちは! こんなにも大勢のあなたに出会えたことに感謝します。
けれど、こんなに暴力的ないのちへの犯罪が、出会いのきっかけで
あったことを考えると、無念です。
この国は、なんという仕打ちをしたのでしょう!

ビートルズに「IMAGINE」という歌がありました。
想像してください。
子どもは、どの国の、どの社会に生まれてくるかを、
選ぶことはできません。にもかかわらず、その子どもたちに、
いまもなお、被曝させ続けているのです。

想像してください。
フクシマの子どもたちを。そして、この国の子どもたちひとりひとりを。
母親の胎内にいる子にも、です。
いま、この時にもです。
スリーマイル島、チェルノブイリ、そしてフクシマ。

想像してください。
今度はどこで? 次は誰が? という絶え間ないストレスと不安を
押し付けられて生きているのが、わたしたちの現実であることを。
放射性廃棄物の処理能力を持たない人間が、原発を持つことは、犯罪です。それは、いのちへの、人がすこやかに自分自身を生きていくことへの、国家的な犯罪なのです。
容易に核兵器に変わり得るものを持つことは、
恒久の平和をうたった憲法を持つこの国の、許容できない侵害なのです。

想像してください。
幼い子どもが、夜中に突然目を覚まし、「放射能、来ないで」と叫ばざるを得ない社会を。
わたしは、この犯罪に加担したくはありません。
わたしは、この人権侵害に、この差別に、加わることを拒絶します。

それでも想像してください。
今日の、この一歩が、反戦を反核を、
そして原発という呪詛から自由になることを心から願う、
すべてのそれぞれの、わたしの、
具体的な行動の、再びのはじめの一歩になることを。

核という、この強大なる脅威と暴力、組織的犯罪と対峙するには、
わたしたちはあまりにも非力かもしれません。
それでも、わたしは信じています。
何万人のひとびとが、今日ここに集まっている、というその事実を。
北の空。大間原発が見える海に集まり、
函館の駅に向かう北のひとびとがいまいることを。
日本各地で、この時間に歩き出すひとがいることを。
この明治公園から始まるウォークに参加するために
オーストラリアから帰国された、順子さんがおられることを。

世界中から、原発と核が消えるをわたしたちのゴールに、
まずは再稼働を止めましょう。
暴力に対して、わたしたちは非暴力を選びます。
それがわたしたちの、最大の、力なのですから。

わたしたちはあきらめません。
わたしたちは慣れません。
わたしたちは忘れません、目を逸らしません。
このウォークをけが人ゼロ、熱中症ゼロ、
むろん逮捕者ゼロで終わらせましょう。
明日からの日々に向けて、あるきだしましょう。

以上、一字一句記憶しているわけではないが、こんなことを話した。
今日を再びのスタートに、1000万人の署名を目指して………
今夜は眠る!
おやすみなさい。

2011年9月18日日曜日

9月18日

明日は、さようなら原発1000万人アクションのデモ当日。
慣れないこともあり、多少混乱気味だが、
怪我人や病人を出さないことばかりに、気持ちが向く。
そんな中で、こんなメールをいただく。
申し訳ない、と思うと同時に、この取り組み方に感謝の念がわく。
「多くの日本人日本人に知ってほしい」とあるので、再びペーストさせていただきます。

ーーーーーー
突然のメールで申し訳ございません。
ドイツにいる友達が下記のYouTubeのサイトを送ってくれました。

ドイツのTV局ZDF「フロンタール21」シリーズが 8/26 放送した番組
http://www.youtube.com/watch?v=yk3lIFxxaxo

多くの日本人に知ってもらいたいと思いますので落合さんにもお送りいたします。
日本人は事実を知らされていないということに怒りを感じます。
日本社会はどうしたら変わっていけるのでしょうか。
日本の子供たちの将来が心配です。特に福島の子供たちはどうなるのでしょう。

わたしはオーストラリア在住ですが、9月18日には日本に帰国し、
19日の明治公園「さようなら原発集会」に参加させていただきます。
庶民が立ち上がり、社会を変えていく時がきているのだと確信しております。
市井Blades順子
ーーーーー

市井Blades順子さん、ありがとう!   明日、お会いできるかな?
そしてみなさん。わたしたちは、このドイツのTV局以上の報道を、
日本のTV局で見ることが出来ない。この事実に、怒らないわけにはいかないよね。
日本のメディアは、もはやメディアじゃないんだ。どうした!

だから、明日19日を、成功させなければ。
この国を目覚めさせ、メディアを目覚めさせなければ。
福島の子どもたちが、日本の子どもたちが、心配でならない。

いろいろ不安はありますが、どうぞよろしく。
繰り返しますが、体調が思わしくないかたは
どうか無理されないでください。お水、帽子もお忘れなく。
(飴玉など数個、ポケットに入れておいたら、いいかも)
また、ひとりで参加されるかた、はじめてデモに参加されるかた、
ご高齢のかた(わたしもそうだっ!)は特に、ご無理されないように。
かけがえのない意思表示が、苦痛に終ってしまったら、悲しいです。
とにかく「楽しみ」ましょう。
また来たい、という一日にしたいですね。

このブログでご紹介した南相馬に入った
作家、渡辺一枝さんから次のような
メールが届きました。ご紹介します。

ーーーーーー
………南相馬への支援物資の件で、
ブログに載せて下さってありがとうございました。
「落合恵子さんのブログで見ました」のお手紙と共に
多くの方からの支援物資が届いていました。
また、クレヨンハウスにお勤めの方からも届いていました。
先週の日曜日、仮設住宅から被災者の方達がホテル六角に来て、
それぞれ必要な衣服を持って行かれました。
また明日、その後に届いた支援物資を、先週とは別の仮設住宅の
被災者がとりにくる予定です。
ありがとうございました。

このブログをお読みのかた、ありがとうございます。
実はわたしは19日の1000万人アクションの準備や
地方でのプレ講演会などに行っていたので、
冬物の選択と洗濯(両方、センタク!)がまだ終了していない。
19日が無事終ったら、選択と洗濯をしなくては。

以下「一枝通信」より、一部ご紹介。
先月末にみなさまに、ここ南相馬の被災者に冬物衣類の支援を送って下さるよう、お願いを致しました。
その後、多くの方から南相馬ビジネスホテル六角の大留さんに宛てて直接に、また私の自宅宛にも支援品が届きました。(略)
ここ六角は大留さんを中心として仮設住宅に住んでいる自らも被災者の方たちが、
仮設住宅に住む他の方達をボランティアとして支援する活動のセンターになっています。
(略)
先週末までに集まっていた分は、11日の日曜日に全て必要な人たちの手に渡っていました。
そのやり方はこうでした。
食品などはこちらから各仮設住宅を回って配っていくというやり方ですが、衣服は六角までとりにきてもらうという方式をとったのです。
予めボランティアが男性用上着、セーター、ズボン、女性用上着、セーター、ズボン、子供服、などと仕分けしてブルーシートの上にそれぞれを並べ、コート類はハンガーにかけて並べて、そこから選びとってもらうようにしたそうです。
この日は1時間の間に全ての品が無くなったそうです。同じ仮設に住んでいてその日に来られない人の分も、来た人が持って帰ったりもしてくれたそうです。
三足あったスニーカーは、直ぐに貰われて行ったようです。
みなさん本当にとても喜んで下さったそうです。六角に直接お送りくださった方達にはきっと、「原発被害からいのちと環境を守る会」からお礼状が届いたのではないかと思います。
その後も衣服は届いてきていますが、まだまだ必要としている方達は大勢います。
どうぞみなさま、引き続きご支援をお願い致します。冬物衣服の他にスニーカーなどもとても喜ばれます。
今回来て被災者のみなさんからの話を聞くと、夏はタオルケットで寝ていたがこれから寒さに向かって毛布が必要です。掛けふとんもお年寄りが多いので重たい綿のものではなく軽い羽毛ふとんがあればとても助かります。もしも不要のものがありましたら、どうぞ送って下さい。
また、冬になれば暖房も必要です。こたつは1台ずつ行政から配られましたが、暖房器具なども必要になります。台所の足元カーペットなども不要のものがあったら、ぜひ送って下さい。
これらの他に、引き続き食料などもみなさんとても喜んで下さいます。昨日もちょうど届いていた生鮮野菜や果物などを仮設住宅に配りました。「わぁ、梨が食べたかった!」とビニール袋にたった一つずつ入った林檎と梨に、頬ずりするおばあさんがおいででした。
今日もまたお米や茄子、インスタントみそ汁などをボランティアの方達が配りに行きました。お米は5キロ入りや10キロ入りの袋で届きますが、それをボランティアの方が小分けして、他の品と併せて配るのです。仮設住宅に住んでいる多くはお年寄りです。どうぞ、これからも支援をお願い致します。
送り先は下記です。

〒975-0049 福島県南相馬市原町区大甕字林崎51 ビジネスホテル六角 大留隆雄さん宛
      Tel 0244ー24ー2639

ーーーーーー

2011年9月17日土曜日

9月17日

なんだか久しぶりに東京にいる、という感覚だ。
連休の初日の今日は、東京駅も大混雑。
家族連れが多い。
笑い転げたり、ぐずったり、走り回る子どもたちを目にすると、
気持ちはやはり福島へ。
福島の子どもたちは、どんな連休を迎えているのだろう・
中には、帰還宣言をし、村に帰るスケジュールをたてている村もあるのが、 
「年間1ミリ以下」は大丈夫なのだか。
除染は可能なのか。
帰りたい気持ちは痛いほどわかるが、それがどんなに厳しくても
国は、個別の正確な指針を示すべきではないだろうか・。
「自己責任」の名のもとに、
すべてがなし崩し的に動きそうで、こわい。

午後からは幾つかの打ち合わせが。
夜は園関係の講演が。
今日も長い一日になった。

2011年9月16日金曜日

9月16日

昨日に続いて、今日も東北。

明朝いちばんで帰京予定だが、
少々疲れはたまり気味。だが、
丈夫な身体に生んでくれたおふくろに、感謝、感謝!

学生時代、デモに明け暮れた友人に9・19について、
相談したところ、以下のアドバイスが。
はじめてデモに参加するひとや高齢のかたは、
デモの「中間あたり」に入ったほうがいいのでは、と。
慣れているひとはいいが、はじめてのひとが戸惑われたり、
アクシデントに見舞われたら………。
そう思うと(想像力はいつもペシミスティックな方向に傾く)、
ここ数日、不安でならなかった。
事務局に伝えよう。
繰り返しになるが、怪我人ゼロ、熱中症などの発症ゼロ、
逮捕者ゼロで終えよう。
「力」に対抗するのは「力」ではない。
無理することはない。
今回参加できなくとも今度がある。
呼びかけ人がブレーキをかけるようなことを
言ってはいけないのかもしれないが、どうかどうか、
自分の体調と慎重に相談してください。

辞任した鉢呂さんの「失言」。
「放射能、つけちゃうぞ」は、いじめを誘発する言葉でもあり、
確かに問題だが、「死の町」発言は、
「ゴーストタウン」と同じような意味で言ったのかもしれない。
その言葉がどんな意味を持つかは受け取る側、
ひとりひとりの感受性に任されるが。
政治家は発する「言葉」が大事だし、同時に、
市民から発せられた言葉を真摯に受け取って欲しいが、
彼が原発依存からの脱却を主張していただけに、
なんだかなあ、である。
メディアは、ワシントンでの前原発言についても、
もっと問題提起すべきではないか?

2011年9月15日木曜日

9月15日

なんだか気分がすぐれない。
朝一番に、アイルランドのアーティスト、エンヤの歌声を聴く。
母の介護をしていた頃、
エンヤは母とわたしの朝を迎える曲だった。
「おかあさん,今朝は朝顔七つ咲いたよ。
水色のきれいな花だよ」
認知症と診断された母のベッドサイドでそう声をかけると、
母はぽっかりと目をあけて、
赤んぼうみたいに真っ直ぐに娘を見つめたものだ。

フランスの核施設での暴発は
どうなったのだろう。
その後の、詳しい情報が公開されていない。
当局は、放射能漏洩なしと言っているが、
不安は募る。
ここでもわたしたちは、情報公開が不充分、
という壁につきあたる。
世界有数の原発輸出国フランスでも
正確な被害状況を公開することに
ストップがかかっているのでは?
そう疑ってしまう。

エンヤの歌声に送られて、今日は山形へ。

2011年9月14日水曜日

9月14日

19日は、いよいよ「さようなら原発1000万人集会」。
呼びかけ人の内橋克人さん、大江健三郎さん、
鎌田慧さん、澤地久枝さん、わたしも参加する。
「いよいよ」と書いたけれど、力む気持ちは、いまは正直ない。
「参加しますよー」と大勢のかたからお声をかけられるけれど、
むしろいまは、「どうか無理をなさらないでください」という思いが強い。
天気予報では晴れ、とのことだが、晴れれば晴れたで、熱中症がこわい。
帽子も、水も忘れずに。

「行くぞー」と朝、目を覚ましたら、
なんとなく気分が悪いといったかたは、
なにも無理することはないと思う。
19日が、ゴールではないのだから。
いま、わたしが願うのは、当日、怪我をしたり、
具合が悪くなるかたがひとりも出ず、
逮捕者ゼロで終ることだ。
先週末の新宿のパレードでは逮捕者が出た。
「力」に対して、「力」で競い合うのは、悲しい。
穏やかに、確かな歩みを刻みたい。
誰ひとり傷つくことなく。
もういちど、参加されるかたは、お水、帽子を忘れずに。
気分が悪くなったら、途中で抜けてもいいのだ。
頑張りすぎず、に、ね。

当日は、クレヨンハウス「朝の学校」。
講師は福島の子どもたちを診療されてきた小児科医の山田 真さん。
権威にならず、メディアに媚びず、
淡々と子どもと共にを選択されてきた山田 真さんの姿勢に、
わたしは心から敬意を抱いている。

当日、「朝の学校」からそのまま明治公園に向かうひとも多そうだが、
どうか無理されないように。

2011年9月13日火曜日

9月13日

原発大国と呼ばれる、フランス南部マルクール原子力施設にある
核施設に爆発があった。「一人死亡」、「四人負傷」と報道は伝えている。
フランス原子力安全機関は「施設内部と外部に
放射性物質のよる汚染はない」と発表している………。
というところまでしか、ニュースは伝わっていない。
国策としての原発に事故が起きた場合、正確にして早急な情報提供を
どれだけわたしたちは期待できるか。
「フクシマ」を考えても、正直懐疑的にならざるを得ない。
正確にして迅速な報道がほしい。
また、報道通り、「一人死亡」であっても、
その「一人」には当然ながら、
かけがえのない人生があり、家族があったはずだ。
「一人」が正確な「数字」であったとしても、
「一人で良かった」には決してならないはずだ。
無機的な数字で、かけがえのない「いのち」が語られ、
スルーされてしまうことを、
わたしはなによりもおそれる。

2011年9月12日月曜日

9月12日

このところ、「属する」といったことについて考えている。

わたしはできるだけ、どこにも属さない方法を選んできた。
というよりも、わがままなようだが、どこかに属する時間的余裕もないし、その「どこか」と「わたし」の間に往々にして違いを見つけ、
それが苦痛になることも過去、少なからずあったからだ。

「ひとりの時空」の中でようやく紡ぎだした、
たとえ貧弱であっても頼りなくとも、わたしなりの考えは、
わたし「ひとり」のそれであり、それをほかの多くとシェアするほどの力を
自分は持ち得ていないとも考えてきた。
拙著『「孤独の力」を抱きしめて』にも書いているように、
いろいろなことを考えたり、感じたことをより深く自分の内側に受け入れ、
ひとつの選択や決意のもとに行動を起こすためには、
「ひとりの時空」が、わたしにはなによりも必要だ。
だから余計、できるだけどこかに属さない、大仰にいってしまえば、
わたしが属することができるのはわたし、という方法をとってきた。

むろん、どこかに属することは、属するどこかが自分の考えかたに
きわめて近いことが条件ではあるが、属したどこかの内部に
決して許容できない差別的体質やヒエラルキーなどを見つけてしまうこともあって、
ここ十数年は特に「所属ナシ」でやってきた。
属した組織との間に埋めようもない亀裂を見つけ、深い傷を負って、
そこを立ち去るひとも大勢見てきた。
そんな過去のトラウマふうな風景が、よけいわたしを「団体」とか
「集団」とか「組織」との間に距離をとらせ、自前で動いたほうが
はるかに気持ちよいとしてきた。

けれど自前で動いても大きな力になり得ないという矛盾も、
それは同時に抱えることではあった。
いろいろな集会の賛同人になることはあっても、できるだけ呼びかけ人にはならないという形をとってきたのも、そういう理由からだった。「ひとり」として賛同するならいいが、呼びかけるとなるとそれだけの責任がより生じるからだ。

午後まで今日はせっせと原稿を書いて、
それから幾つかの打ち合わせ&インタビューを。
そして今夕は、日本ペンクラブの平和についてのセクションで、
脱原発についての会議が。これも会員のひとりとして参加している。
脱原発についてはもう少し早く立ち上げたかったが、
今まで会議の日は仕事で東京を離れていて不参加だった。
大事なテーマなので、今夕は、万難排して参加する。

2011年9月11日日曜日

9月11日

「まだ続けていますか?」
そう、よく訊かれる。
被災地の子どもたちに絵本を送る、
「HUG AND READ」のプロジェクトについてのお問い合わせだ。
先日も講演先で訊かれた。
脱原発の活動を並行していても、もちろんわたしたちは忘れない。
毎週、倉庫に入って仕分けを続けているスタッフもいるのだから。
けれど、ほかのかたから「まだ続けていますか?」と訊かれると、
覚えていてくださったのだと嬉しい。
まずは「忘れないこと」も東日本大震災で被災されたそれぞれのかたへの、サポートの第一歩だ。

きょうで半年を迎えた。
いまはメディアの報道は続くだろうが、この時期を過ぎると、
ニュースも減っていく可能性が高い。
だからこそ、「わたしたち」は忘れない。
政治の手厚い支援を被災地のかたがたと共に求めるのと並行して、
個人としてもつながりたい。

東北の冬は早い。冬物の衣類(下着から上着まで)も必要だ。
また、雪が多くなる季節、室内で過ごす時間が増える子どもたちに向けて
「HUG AND READ」の再びの頑張り時がやってくる。

「もちろん、つづけています」「本をお送りください」とお願いしたい。
多くのプロジェクトが事実上「店じまい」をしてしまったのだからこそ余計、
わたしたちは続けることを約束する。
よろしくお願いします!!!

もうひとつ嬉しいニュースを。
・HUG & READで本をお送りした、福島県いわき市立高坂保育所のかたが来られ、子どもたちが大喜びでした、どうもありがとう、とおっしゃっていかれた、
という日報が子どもの本のフロアから。

わたしは外でのあれこれが忙しく、このところクレヨンハウスにはいられないのだが、
こういった伝言に接すると、素敵な深呼吸を贈られたような。
いわき市に送られた本は「あなた」からの絵本かもしれない。
ありがとうございます。

福島にとっては一層厳しい冬がやってくる。

2011年9月10日土曜日

9月10日

土曜日は朝から「パック・イン・ジャーナル」。
ほぼ原発特集の2時間だった。
「朝の学校」の講師をお願いした
後藤正志さんもご出演されていた。
番組が終って、そのまま日本教育会館へ。
「週刊金曜日」創刊18周年記念の講演会。
18年になるのだ、と改めて考える。
わたしは途中から、編集委員のひとりとして参加した。
先輩編集委員の筑紫哲也さんも、井上ひさしさんも、
もういらっしゃらない。
それぞれのかたから受け取った「宿題」を
しっかり握りしめていきたい、と改めて痛感。

それにしても………。
民主党の前原誠司政調会長は、7日、ワシントンで
「3・11以降の日米同盟」というタイトルで講演を。
PKO(国連平和維持活動)で、
自衛隊とともに活動する外国部隊が攻撃を受けた場合、
反撃できるようPKO参加、5原則を見直す考えをスピーチ。
また、すべての武器輸出を禁じる、
武器輸出三原則の見直しについても触れた。
憲法9条が禁じてきた「海外での武力行使」や
「他国の武力行使との一体化」に抵触する内容ではないか。
武器輸出三原則とは、すべての武器や武器技術の輸出を
禁じる政府方針だが、この禁が緩和されれば、
「なんでも、あり」にならないか。
事実上の、憲法「改変」はスルーしてしまいかねない発言だ。
こうして「なんでも、あり」の風潮が広がれば、
憲法はなし崩しとなり、「核のゴミ」もモンゴルに「輸出」か。
気分曇天の、週末である。

2011年9月9日金曜日

9月9日

友人のジャーナリストから、以下のメールが入った。
フランスの元環境大臣コリンヌ・ルパージュさんが
最近福島を訪れ見聞した報告記事がフランスの
インターネット新聞「Rue89」に掲載された。
わたしたちが既に知っている情報も中にはあるが、
以下、ご紹介する。

2011年9月2日 仏インターネット新聞「Rue89」
http://www.rue89.com/corinne-lepage/2011/09/02/de-retour-de-fukushima-ou-le-silence-et-les-mensonges-tuent-220331

福島からの報告、そこでは沈黙と嘘が住民を殺す

すでに数週間前から、福島原発事故の危機は
すでに現実的な問題ではなくなっている。
大多数のフランス国民は、問題はすでに解決されており、
東電と汚染水処理を担当するアレバ社は
完全に事態を掌握していると思っている。
避難すべき住民はすでに避難しており、
放射能の測定値は低下し、フランスから見ると日本は
原発を間もなく再開するように見える。
フランスの原子力ロビーから情報提供されたフランスのマスコミは、
この原子炉、あの原子炉が間もなく再開されるだろうと報道しています。
しかしそれらは悲劇的な嘘なのです。

●数百万平米の水が汚染されている
まず第一に、私は環境大臣、環境副大臣、福島県副知事に会ったが、
彼らは「危機は去っていない、何も解決していない」
と言っていた。

正確な情報は非常にまれなのです。

日本の行政当局は
「3つの原子炉の炉心が溶融し圧力容器を貫通したこと」
を認めています。
しかもいまどのような状態なのか分からないのです。
特にもっとも肝心な点である格納容器が、
溶融した核燃料で穴が開いたかどうかさえも分からないのです。
もしも格納容器に穴が開いていたとしたら、
必然的に地下水は放射能に汚染されたことになります。
グリーンピースは汚染水の処理に関して、
処理はたった今始まったばかりと言っています。
日本の行政当局は誰も話したがらない
放射能に汚染された汚泥が増え続けていることと
数百万トンの汚染水が貯まっていることを認めています。

●放射能測定器が空港で止められている
二つ目に心配なことは、福島地方に居住している家族が
文字通り悲劇的な状況にいることです。
私は断固とした決意をもって闘っている女性たちが率いる
数百家族が集まっている市民団体と話をしました。
彼女たちの言う事は十分理解できます。
彼女たちに起きたことは
かつて私たちがチェルノブイリ原発事故の際に遭遇したことと同じなのです。
日本の気象庁は福島原発事故が起きた時の風向きを表示する地図を提供できませんでした。
住民は風がどの方向から吹いて来るのかがわからなかったのです。
住民には何の避難指示も出されずヨード剤も配給されなかったのです。
汚染度に関する情報が公表されるまでに一か月待たねばならなかったのです。

40,000個の放射線測定器が政治的な決定で
東京国際空港にいまだ留め置かれたままになっているのです。

●子どもを心配する母親たち
食品検査に関して事前検査は行われていますが、
検査結果は食品が流通した後に知らされているのです。
母親にとって一番の問題は子供たちの状況です。
国際原子量委員会(AIEA)加盟の日本を含めたすべての国は
年間の許容放射線量を1ミリシーベルトと決めています。
原発労働者の年間許容放射線量は20ミリシーベルトです。
福島県内の原発近くに居住する人の年間の放射線量は
5ミリシーベルトを大きく超え、場所によると20ミリシーベルトになるのです。
彼女たちは子どもたちのためと自分自身のために、
1ミリシーベルトの環境で住める権利を要求しています。
問題は誰も彼女たちの質問に積極的に応じられる答がないことです。

●より広い地区からの避難を考えるべき
考えられる二つの解決法は除染と、充分に議論された避難です。
50cmから60cmの深さで土を掘って除染する訓練が行われています。
そのことで汚染レベルを下げることができますが、
県全体を除染することはできません。
そして考えるべきは二つ目の解決方法です。
希望する人々を出発させることです。
離れていく人がほかの地域でも生活できるようにすることです。
実際のところ日本の行政当局は、悲劇的なことですが、
行政のやり方でしか行っていません。
住民には十分な情報が届かず本当の状況を知る手段は拒否されているのです、

●農民は損害賠償されず
変化と技術的観点から、農業も例外とはならず
行政当局の不作為によって犠牲にされています。(中略)
生産者は生活のため損害を補償されるべきなのです。(中略)
日本が直面しているこの悲劇的な状況は、全ての工業国に対して
同じ危険と同じ悲劇が生じることを示しています。

沈黙が日本を支配している理由は、正確に言えばこのためなのです。

●医師たちが独自のネットワークを立ち上げた

医師は語る権利がなく、敢えて語る事をやめています。
小児科医のネットワークが現地にでき、農村部で医師たちが
住民の健康を守ろうと努力し、医学的フォローが始まっています。
しかしこれらの全ては市民によって行政とは別建てで組織されているのです。
原子力当局は福島原発事故による疫学的な影響に関する、
詳細で正確な結果は得られないだろうと決めています。
私たちが闘わねならないのはこの沈黙の壁なのです。
なぜならば、福島の子どもたちはフランスの原発が立地するフェッセンハイムやブジェやブレイエの子どもたちと同じ運命だからです。
大きな困難と現場で戦っている市民団体について、語り行動し支援することは私たちの責任なのです。(後略)

2011年9月8日木曜日

9月8日

東日本大震災から3か月がたった6月11日。
このブログでもご紹介したが、
広島原爆ドームの前で心に響く廃炉のスピーチをされた女性。
彼女は幼いお子さんと一緒に福島を離れ、
廃炉のためのアクションを続けておられる。
スピーチを拝読してから、彼女とは時々、メールを交換している。
わたしたちクレヨンハウスが被災した子どもたちに
本をお送りする{HUG&READ」の本が、
彼女たちが暮すところにも届いた、
というメールとともに、次のようなメッセージが昨日、入った。

………今朝の新聞で、
福島の先生たちの除染活動などの記事がありました。
子どもたちの被曝量を減らすための除染、
子どもたちが放射線について考える教育・・・
最初の最初で、かけちがえてしまったボタン。
<今、ここに子どもがいてはいけない。
大人は何としても子どもたちを外(福島)に出さなくてはいけない>
という現実認識を大人が持てない悲劇に、叫びたい気持ちです。
9・11は、福島県立医科大学で、
山下俊一氏らが呼びかけて放射線医療の国際会議があるそうです。
今「科学」や「医学」は、私たちを苦しめ、あざ笑う巨人です。
確率、リスク論といったものに、子どもたちを預けてしまうことはできません………。
この切実な叫びを、ここまできてしまった社会の構成員たるわたしたち大人は、
真摯にシェアしたい。
しかし、どうやって「外に」だすことができるのだろう。
このことを多くの人たちは随分前から考えてきた。
何度もプロジェクトが立ち上がりそうになり、
けれどそのたびに立ち消えていった。
正直、わたしたちはいま、具体案を持ち得ないでいる。
政府はむろん動いてはくれない。
どうしたらいいのか。

2011年9月7日水曜日

9月7日

東京は、久しぶりの晴天。猛暑は続いている。

日刊ゲンダイ(9月7日)には
「結局 原発15基分の電力が余った!
あまりにもデタラメだった『節電令』」と題して、
次のような記事が掲載されている。
……就任したばかりの鉢呂経済産業相は、
5日の会見で、今年の冬の「電力使用制限令」を
出さない意向を示した。(略)この夏の制限令だって、
本当に必要だったのか(略)
東電によると、9月直近の需要見直しは
4080万キロワットで、供給力は5510万キロワット。
つまり電力は、1500万キロワット余っているのである………。

記事はそう問題提起をした後、原発問題に取り組む
「たんぽぽ舎」の共同代表・柳田真さんの以下のコメントを紹介している。
「原発の発電量が一基平均約100万キロワットとして、
現在は原発15基分の電力が余っている計算です。
日本にある全原発54基のうち、
現在稼動しているのは11基だから、余力の電力量に相当する。
原発ゼロでも全く問題がないことが証明されたのです」
電力が余り、「大量にダブつき始めた途端、
慌てて解除(節電令を)するありさまだから呆れる」と記事は記す。

電力が足りなくなるイコール原発は必要なのだ、というロジックは、
こういった記事と数字を確認すると、当然ながら成立しないことになる。

8日は夕方から日本青年館で、「1000万人アクション」のプレ講演会が。
内橋克人、大江健三郎、鎌田慧、私の呼びかけ人と
賛同人の山田洋次監督、崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノ演奏がある。

少々疲れ気味のせいか、奥歯が酷く痛む。
頬も腫れてきたがなんとか抗生物質でおさえている。
薬はあまり飲みたくないのだが。

2011年9月6日火曜日

9月6日

きょうは、市谷アルカディアで
「さようなら原発1000万人アクション」の記者会見を。
呼びかけ人の大江健三郎さん、鎌田慧さん、私。
そして賛同人の弁護士・宇都宮健児さんも参加してくださった。
野田内閣についての要請など、会場とのやりとりも活発な一時間余。
わたしは、「老朽化なら廃炉。新設なし。けれど再稼動」という、
野田政権の考えかたについて「2つのことを無視した考えではないか」と発言。
1・現に被曝しているひとが居つづけるということを忘れている。
放射能の感受性が高い乳幼児や子ども、おなかのなかの赤ちゃんなど。
いまこのときも、被曝しつづけていることを無視した政策であること。
2・放射能廃棄物(核のゴミ)の処理する技術をわたしたちは持っていない。
にもかかわらず原発を稼動し続ける限り、核のゴミはこれも現在進行形で貯まっていて、その処分の方法に解決策はない。そのことも無視した、政策ではないか。

話している間中も、新しい九月を迎えた福島の子どもたちが
気になって仕方がなかった。
会場では以下のチラシが配られたので、ご紹介を。

わたしたちは、福島第一原発事故のあと、原発社会からの脱却を願って、九月一九日の「さよなら原発五万人大集会」と「一○○○万人署名運動」をよびかけているものです。

このたび発足しました野田内閣は「経済重視」と「原発再開」を掲げております。
経済生活の立て直しは、たしかに緊急の課題ですが、こと原発との対比で語られますと、経済回復のための原発再開、という民意に反する、危険な強権的なものになります。

はたして、経済活動は生命の危機より優先されるべきものでしょうか。
このたびの原発事故は、いったん事故が起きれば、土も空も海も地球上のすべてを汚染し、人間と動植物の生活の場を破壊する恐怖を示したばかりです。

それなのにまだ性懲りもなく、経済優先を語る無痛覚、無責任さには驚かされます。
もう二度と原発事故を起こさせないためには、前首相の浜岡原発停止の英断につづく、積極的かつ真摯な政策が必要とされています。

技術的に未完成、かつ危険な「もんじゅ」と「再処理工場」の停止と破棄、
緊急停止中の原発の再稼動中止、全原発の段階的な運転停止、
という大英断が必要とされています。

人類が自然のなかで大らかに、核の恐怖に怯えることなく、
平和にして持続的な自然エネルギーに依拠して暮らす、その人間的な権利を手にしましょう。

一、被曝したひと、被曝した食物、被曝した動物、生物の補償が円満解決するまで、政府と東電は交渉を打ち切らない。
一、子どもたちの健康調査と治療は、将来的にも打ち切らない。
一、停止している原発は、再稼動させない
一、老朽化、危険な原発から即刻廃炉にする。
一、もっとも危険なプルトニュームを原料とする、もんじゅ、再処理工場、MOX加工工場は、操業せず、廃棄する。
一、持続可能な、自然エネルギーを中心に据えた、新エネルギー政策への転換を早急に開始する。
以上を求めます。

二○一一年九月六日
9・19大集会呼びかけ人、賛同人一同 

2011年9月5日月曜日

9月5日

会ったこともないのに、あのひとはどうされているだろう?
元気でいてください、と祈るように思うひとが、いる。

たとえば北海道泊原発の近くで暮らし、毎日、毎日、一日も休むことなく、
海水の温度を測っている男性がおられる。
もと保育士だったかただと記憶している。

原発は温暖化を促進する「海あたため装置」であり、
100万キロワットの原発一基ごとに一秒間に70トンの海水を取り入れ冷却し、
排水口から放射能や化学物質をともなって、海に放出される。
その結果、海水は7度から10度は上昇している。
その海水温度を彼は毎日計り、記録をとっているのだ。

それを紙芝居にして、請われれば、集まりに出かけていって上演していると知ったのは、
確か新聞の記事だった。(東京新聞「こちら特報部」だった記憶がある)
各地でこういった地道な活動をされているかたがたの声。
警鐘を鳴らし続けた専門家たちの声。
そうして「誰」かに「頑張ってください」と託すのではなく、
ほかでもない、ひとりひとりの「わたし」の声が、
柔らかくひとつになりますように、と思う夜。

8月20日。抱っこした生後二ヶ月の赤ちゃんの重みが、いまだ両腕にある。
この子たちは、なにひとつ選んではいないのだ。