2011年6月30日木曜日

6月30日

突然に激しい雨が降ったかと思ったら、晴れ間が見えたり、
空が落ち着かない木曜日の午後。
いまは17時25分。空は明るい。光も見える。
関東地方も梅雨明けが間近か、いよいよ本格的な夏のはじまり。
そういえば午後に降った雨も梅雨のそれというより、
夏の到来を告げるような雨脚の強いそれだった。
クレヨンハウスの向日葵たちは元気に育ってくれている。
夕顔の蔓も伸びて伸びて、さらに伸びて高く。

いまこのブログを書いているのは、クレヨンハウスの編集部の一角。
窓の近くに伸びた枝の葉(なんという樹だろう、楕円形の大型の葉だ)が
さっきまで降った雨で、さっぱりした「顔」をしている。
花は比較的詳しいが、樹木となるとさっぱり。
今年は、春から樹木についても学ぼうとしていたのだが。

大学生から相談を受けた。
彼女の妹さんは中学生。中学の体育の授業について、一家は悩んでいるという。
ホットスポットも近くにあるところで、
プールには入りたいが、水を頻繁に変えているわけでもない。
授業は、プールに入るかどうかは選択制になっているそうだが、
プールに入らず別の代替のクラスを選択すると、
採点は自動的に「B」になってしまうという。
姉である彼女は、妹たちはやむなく選択させられているのに、
「B」となるのはおかしいのではないかと思う、という。
確かに。

放射能について、こんなところでも悩む若いひとたちがいるのだ。
リアルタイムの福島第一原発のニュースが少なくなったと思うのは、わたしだけだろうか。
九州佐賀県の玄海原発は、政府の要請を受けて、再開が決まったという。

2011年6月29日水曜日

6月29日

猛暑の水曜日だった。

熱中症には要注意である。
たっぷりの水分はもとより、少しの塩分も。
炎天下に限らず、室内でも熱中症は起きるのだから、
しっかり水分をとろう。

格差社会の中。生活保護を受けていた女性の部屋から自治体がクーラーを
取り去って、女性が熱中症で救急車で搬送されたのは、数年前のことだった。
去年は電気代が支払えずに電気が止められ、クーラーはあるけれど使えず、
熱中症で亡くなった80代の男性もおられた。

この夏もまた同じようなことが起きなければいいのに、と祈るように考える。
この節電モードの中では、さらなる被害者が増えそうな予感がする。

今朝方、26日の深夜に毎日放送で放映された、映像’11「あの日のあとで~フクシマとチェルノブイリの今~」を観る。
京都大学原子炉実験所の小出さんや今中さんたち「熊取六人組」を紹介した08年に続き、同じ津村ディレクターの作品である。
………大きめに被害を見積もり、その結果、それほどでもなかった、よかった、というのが原発などの事故のときのスタンスであると考える。
にもかかわらず、現実は自体を小さく、小さく見積もっている………。

参議院に招致された席で、小出裕章さんは珍しく、ちょっと激しい口調で主張されていた。その小出さんの隣に坐っておられたのが、クレヨンハウスモーニングスタディズの8月27日の講師。後藤政志さん。
その向うには、ソフトバンクの孫さんのお顔も見えた。
が、この日のそれぞれのスピーカーの発言はわたしが知っている限り、関東圏のニュースや情報番組では報道されなかったようだ。
事故を「小さく見せようとする」東電や政府の姿勢は以前からずっと続き、そしてそれは、いまもって変わっていない。
酷いものだ。

2011年6月28日火曜日

6月28日

暑い一日だった。
小学生のときに見学に訪れて以来、国会議事堂はこれで何度目だろう。
今朝もバスで小学生が見学に訪れている。

朝から自民党の河野太郎さんと「原発」についての対談をしてきた。
ご存知のように河野さんは自民党で唯ひとり、一貫して「脱原発」を主張されている。
自らを「異端」と呼びながら。
いわゆる「核のゴミ」、高レベル放射性廃棄物をいかに処分するのか全くめどが立っていない状況で、
原発は存在してはならないというのが、彼の主張である。
対談にあたり、初当選(96年)以来の、原発に関する彼のインタビュー記事や、
話題の公式ブログ「ごまめも歯ぎしり」に改めて目を通した。

2000年の『論座』11月号では、彼は次のように述べている。
………大惨事が起きたり、生活を直撃するほころびが出て、
「もうダメだ」ということになるまで変わらないかもしれない。
そのとき、十何年前になんで別の選択をしなかったのか、
なぜこんなばかな道を選んだのか、ということが問われるでしょう……。

詳しくは、カタログハウス『通販生活』秋・冬号に連載中の『深呼吸対談』を。
あれから11年。まさに「大惨事」が起きてしまった。
そうして、その只中にわたしたちはいま居る! のだ。
昨日27日にも、福島第一原発では、循環注水冷却にまたもやトラブルが生じて、一時停止した。
そうして、こうしている間にも、行く先のない「核のゴミ」は生産され続けているのだ。
以前にこの欄で紹介した映画『100000万年後の安全』、そのままに。

憲法の解釈などや基地問題などでは、河野さんとわたしは立ち位置は違うところもあると思う。
が、「脱原発」、再生可能エネルギーへの社会への転換においては、同意見である。
起承転結の「結」の部分が曖昧でも、小説は書き始められる。
しかし、「核のゴミ」の行き場もないまま、「起承」を闇雲に推進し、
「転」と「結」で、わたしたちが暮す社会は、そしてわたしたち自身は苦悩の立ち往生をしているのだ。

文芸評論家川村湊さんの『福島原発人災記 安全神話を騙った人々』(現代書館)を読み終える。
リアルタイムの貴重なジャーナルである。

2011年6月27日月曜日

6月27日

新しい一週間がはじまった。
東京は今日も曇り空。時々小雨。
クレヨンハウスではいま、向日葵と朝顔、夕顔がぐんぐん育っている。
向日葵は寄せ植え用に、丈の短いものから1メートル50センチ以上になるもので。
朝顔は透明感のあるブルーの花が咲くヘブンリーブルーを。
純白の漏斗型の大輪の花を、夕暮れから開いてくれる夕顔も。
緑のカーテンはここ数年続けていることだが、今年は特に。
週のはじめ、新潟の知り合いから以下のメールが回ってきた。

福島原発事故に関心のある方々に以下の転送のお願いがあります。
今月24日に、5年前の稼動中の志賀原発の差止を命ずる判決を書いた井戸謙一元裁判長にも
代理人の1人として滋賀から福島県郡山に出向いてもらい、福島地裁郡山支部に、郡山市を相手に郡山市の小中学生14名が年1ミリシーベルト以下の安全な場で教育を実施するよう求める裁判(仮処分)を申し立てました。

以下は、その映像と報道記事です。
放射線懸念 「学校疎開」求め申し立て(TBS News)
http://news.tbs.co.jp/20110624/newseye/tbs_newseye4759733.html
学校の集団疎開求め仮処分申請~郡山の子ら14名
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132
その他記事
http://news.google.com/news/more?pz=1&cf=all&ned=jp&cf=all&ncl=ds0xHD9CiaM9MrMJhRL97pZBijREM

また、この裁判の概要や趣旨は、提訴のあとの記者会見で読み上げた以下の声明文に 述べられています。
記者会見要旨
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624PressRelease.pdf

提訴後の夕方、裁判所から連絡があり、
第1回の期日を、7月5日(火)午後4時半(予定)となりました。
問題はこの裁判の今後の行方ですが、以下は、長らく裁判官を経験してきた井戸謙一さんのコメントです。

「裁判所としては,何らかの救済が必要だと思っても,救済を求めているのが一部の親に過ぎず、それによって、救済を求めていない多くの子や 親に重大な影響を生じうるような決定を出すのは、出しにくいと思います。
すなわち、債権者になっているのは少数の親に過ぎないが、これを支持するサイレントマジョリティがいることを示さなければ、裁判所は積極的な決定は出せないと思うのです。
裁判所が最もナーバスになるのは市民の連合の力です。そこで、当日、少しでも多くの方が、郡山支部の裁判所に集まっていただくようお願い申し上げます」。

以下、この裁判の情報です。
今回の裁判の焦点の1つはICRP勧告とECRR勧告のどちらが科学裁判の基礎になるかです。
当日の記者会見では、英国にいるECRR議長のクリス・バズビー博士からSkypeで会見に参加してもらい、声明を出してもらいました。
これは6年前のイネ裁判提訴のときには想像もつかなかった科学者との連帯でした。
中東の民主化がようやく日本にも訪れるのを実感した瞬間でした。
また、バズビーさんには、7月に来日して、福島で精力的に講演を してもらうため準備を進めています。


★申立関係
仮処分申立書
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624application.pdf
別紙「環境放射線モニタリング一覧表」
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/attachmonitaring.school0601.pdf

報告書(債権者代理人柳原)
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623kou1report.pdf

★報道関係
放射線懸念 「学校疎開」求め申し立て(TBS News)
http://news.tbs.co.jp/20110624/newseye/tbs_newseye4759733.html

学校の集団疎開求め仮処分申請~郡山の子ら14名
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132

その他記事
http://news.google.com/news/more?pz=1&cf=all&ned=jp&cf=all&ncl=ds0xHD9CiaM9MrMJhRL97pZBijREM


★申立の証拠資料・参考文献
報告書で取り上げた放射線量の測定値の資料
1、文科省、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、共同作成
「実測値に基づく各地点の積算線量の推計値」(甲2号証)(2頁の表の最上行、地点番号 89)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/09/1305519_0525.pdf
2、福島第一原子力発電所の20km以遠のモニタリング結果[平成23年4月5日(火曜日)10時00分時点](甲3号証)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/05/1304667_040510.pdf
3、福島県作成の「環境放射線モニタリング結果(平成23年4月5日~7日実施分)」(甲4号証)
http://www.pref.fukushima.jp/j/schoolmonitamatome.pdf
4、原子力災害現地対策本部(放射線班)と福島県災害対策本部(原子力班)
共同作成「環境放射線モニタリング調査結果(6月1日調査速報値)(甲5号証)
http://www.pref.fukushima.jp/j/monitaring.school0601.pdf


★申立に対する科学者の声明
1、ECRR(欧州放射線リスク委員会)議長クリス・バズビー博士
和訳
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Statement-BusbyJ.pdf
原文
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Statement-BusbyE.pdf

2、ピッツバーグ医科大学放射線科の放射線物理学名誉教授アーネスト・スターングラス博士
(核実験の死の灰〔放射性降下物質〕による被曝で世界の子供たちの白血病・
ガン急増の事実を議会で報告し、これがきっかけで米ソ核実験停止条約が締結)
和訳
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Messag-SternglassJ.pdf
原文
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Messag-SternglassE.pdf

3、国際的な放射能汚染の専門家ローレン・モレ博士
(ローレンス・リバモア核兵器研究所とヤッカマウンテン高レベル核廃棄物貯蔵所プロジェクトの
内部告発をした元リバモア研究所員)

和訳(準備中)
原文(準備中)
市民の、市民による、市民のための原発事故対策
http://1am.sakura.ne.jp/DEW/Fukushima/info1.htm

どうか、どうかよろしく、とわたしからも。

2011年6月26日日曜日

6月26日

土曜日の広河隆一さんの講演を聞かれたかたがたからの
わたしに届いたメッセージをご紹介しよう。

★広河隆一さん。お加減が悪そうな中、
わたしたちのための講演、ありがとうございます。
チェルノブイリの写真を拝見し、お話を聞き、
そして福島を思い……思わず泣いてしまいました。
でも、私たちは行動しなければならないのですよね。
帰り道、一緒に参加したひとたちと話し合いました。

★チェルノブイリの原発事故のとき、私は13歳でした。
何も知らなかったし、その後も知ろうとしなかった。
どこの国にも、利益だけを考え動く
専門家や政治家がいるのですね。
チェルノブイリもFUKUSHIMAも同じです。
フォトジャーナリストとしての広河隆一さんのご活動に
心から感謝すると同時に、どうかご自愛ください、
という思いを強くしました。

★ブログか、あるいはどこかでのシンポジウムで
落合さんがおっしゃっていたのかは忘れましたが、
「地下議連」が動き出していますね。
この時に、まだ原発を存続しようとは、どんなヒトたちなのでしょう。
一市民として何ができるかを、しっかり考え、
行動していきます。
広河さん、どうかご自分の身体も大事にしてください。

★どんな危険も顧みず、命がけで現場に駆けつけるジャーナリストがいる。
自らの手と足を使って行動し、命を削りながら、
そこで目にし、捉えた事実を伝えてくださる。
誰にもまねのできない尊い行為のおかげで、
見過ごすことのできないたくさんの真実を知らせていただきました。
体調が悪いのにお話してくださり……感謝です。

★チェルノブイリの原発事故のとき、私は11歳でした。
いま、9歳と5歳の女の子の母として、またひとりの大人として、
医療に携わるものとしても、声をあげなくては、と考えています。
大学病院に勤務しています。
職場は、何事もなかったように日々動いています。
その中で、話が通じ合う友人とふたりで参加しました。
子どもたちは留守番です。
貴重な会をありがとうございます。企業として、このような
会を立ち上げることがいかにリスキーであるか、想像できます。
落合さん、どうかご無理されませんように。
それから広河隆一さん。検査をお受けになったのでしょうか。
一度お受けいただきたいです。
心に響くお話と写真、本当にありがとうございます。

ミズ・クレヨンハウスのスタッフからは
★会場からは時折り、すすり泣く声が聞こえました。
3月13日からの最も危険な数日間を福島県におられた
広河さんの体調を心配される受講生が多く、
閉会後3階(広河さんがご著書にサインをしてくださったミズ・クレヨンハウスのフロア))にて、
お声をかけている方々が見受けられました。
25年間のチェルノブイリを知ることで、福島原発事故の現状に重ね合わせ、
自分たちのこれからを みてしまったように感じました。
お客さまのアンケートからも、現実を知りつらくなったが、
泣くだけでなく、行動しなければと改めて思った、
という声が多かったです。


次回は、高木仁三郎さんたちと共に市民の目線で活動されてきた
西尾 漠さんを講師にお迎えする。

2011年6月25日土曜日

6月25日

クレヨンハウスが「原発をもっと知ろう」というテーマで始めた毎月二回の、
土曜のモーニング・スタディーズ。
ニ回目までは雨降りだったが、三回目の今回は梅雨の合間の薄曇り。
紫陽花が薄青の花をつけている。

今回の講師は、フォトジャーナリストであり、
「DAYS JAPAN」編集長、広河隆一さん。
「チェルノブイリから〜ニーナ先生と子どもたち」
「チェルノブイリ消えた458の村」などの写真集もある
広河さんの講演タイトルは、「チェルノブイリ25年、福島元年」。

チェルノブイリ原発事故後の、現地での取材写真の数々。
幼い子どもに乳をふくませる若い母親は、いまどうしているだろう。
すべてを悟ったような静かな諦観の表情を浮かべた少女は、
その写真をとった二か月後には、亡くなったという。

そうして、福島。
3月15日に最初の現地入りをし、以来六回、福島を訪れている広河さんのカメラは、
福島の「あの日と、あの日から」を過不足なく写しとる。

この反骨のフォトジャーナリストが見る世界のベースにあるのは、
すべての、それぞれの生命への畏敬の念であり、
それを侵害するものへの、真っ直ぐで熱い憤りであるようだ。

政府が「ただちに健康に影響はない」と言っていた頃、
広河さんが現地で測っていた数値の、なんと高かったことか。
大方のメディアが当初流した情報と比較してみるがいい。
自ら調べて報道したジャーナリズムはなかった、のだ!

2011年6月24日金曜日

6月24日

金曜日。
午前中は中央区での講演会。
女性たち手作りの「ブーケ祭」
10周年の記念の集まりだった。
20代から80代の女性までが大勢。
男性も少しおられた。

介護中のかた、介護を終えられ愛しいひとを見送ったかたがたも多く、
随分お声をかけていただいた。

もろもろの仕事の間にパソコンを見ると、
関西の知り合いから以下のメールが。
そのままご紹介する。

番組のお知らせです。必見!!
毎日放送
「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・異端の研究者たち」と同じディレクターで
6月26日(日)深夜1:20~2:20
映像’11「あの日のあとで~フクシマとチェルノブイリの今~」放送決定!!

未曾有の被害をもらたした東日本大震災。
これまで「絶対安全」といわれてきた原発も冷却機能を喪失し、
「メルトダウン」状態となり、今も大量の放射性物質を放出し続け、
収束に向けての苦闘が続いている。
目に見えない放射能は我々の生活に今後どんな影響を与えてゆくのだろうか。

事故直後から事故の重大性を指摘してきた京都大学原子炉実験所の小出裕章助教の話や、自ら福島へ放射線量を計りに行った今中哲二助教による、
飯館村の状況などを事故の発生から日を追って紹介するとともに、
25年前に起きたチェルノブイリ原発事故のその後を追って、
ウクライナやベラルーシの現状を取材。
晩発性の放射能障害の実態を伝えるとともに、
セシウム137を吸収する植物の栽培に実験的に取り組む「放射能とともに生きる」人々の姿から、
この先の時代をどう生きてゆくのかを考える。

2008年に毎日放送、津村健夫ディレクターが製作された
「異端の研究者たち………」の続編にあたるもの。
2008年に放映された番組も本当に完成度の高い、警鐘に充ちた素晴らしい番組だった。
その番組を制作された津村健夫ディレクターが、ひと月ほど前に
「これからウクライナやベラルーシに取材に行きます」とおっしゃっていた。
それが6月26日に放映されるこの番組だろう。
関東でも観られるのだろうか? 
とにかく関西のかたは必見、の番組である。
こういう視点と姿勢の番組が存在することが、福島第一原発の報道を通して、
メディア不信が囁かれる中で、とても頼もしく、心強い。

2011年6月23日木曜日

6月23日

哲学者、高橋哲哉の『国家と犠牲』(NHKブックス)を読み直している。
まさにわたしたちが直面している「いま」と重なる状況が、そこには描かれている。
以前から高橋さんの書かれるものを愛読してきた。

以前このブログでもご紹介した、5月に出版された週刊朝日緊急増刊『朝日ジャーナル』「原発と人間」にも
高橋哲哉さんは「原発という犠牲のシステム」というタイトルで寄稿されている。

………山林と耕地と牧草地がうねるように連なり、
ところどころで名産の「飯舘牛」がのんびり草を食んでいる。
放射能汚染を知らずにこの村に来たら、
なぜ六千人の全村民がこの美しい村から出ていかなければならなのか、全く理解できないであろう。
原発とは何の関係もないこの地で、地道に農業や牧畜業を営んできた自分たちが、
なぜ突然、村を出ていかなくてはならないのか………。

飯舘村のひとびとの97パーセントが、
自分たちの人生の日々のほとんどを重ね、愛してきた村をあとにした昨日、
高橋さんの文章をもう一度読んだ。高橋哲哉さんご自身、福島で生まれ育ったかただ。

………少なくとも言えるのは、原発が犠牲のシステムである、ということである。
(略)犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、
ほかのもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。
犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。
この犠牲は、通常、隠されているか。共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての
「尊い犠牲」として美化され、正当化されている。
そして、隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、
犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する。

犠牲にする者の「者」は漢字で、されるものの「もの」は平仮名で、記されている。
高橋さん独特の静謐なる憤りと告発の文章が心に響く。
原稿の最後に高橋さんは、20世紀はじめにデンマークの陸軍大将だったフィリップ・ホルムの提案を紹介されている。
もし、各国に次のような法律があれば、地上から戦争をなくせるとホルムが考えた提案である。
………戦争が開始されたら10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。
第一、国家元首。第二、その男性親族。第三、総理大臣、国務大臣、各省時間。
第四、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。
第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者………。

このあとに、高橋さんは次のように続けておられる。

………戦争は、国会の権力者たちがおのれの利益のために、国民を犠牲にして起こすものだとホルムは考えた。
だから、まっさきに権力者たちが犠牲になるシステムをつくれば、戦争を起こすことができななるだろう、というわけだ。

原発も相似形の犠牲のシステムを維持してきた。

………問題は、しかし、誰が犠牲になるのか、ということではない。
犠牲のシステムそのものをやめること、これが肝心だ
………という言葉で原稿は結ばれている。

高橋哲哉さんには、クレヨンハウスのモーニングスタディーズ、8月13日の講師をお引き受けいただいた。

2011年6月22日水曜日

6月22日

計画避難区域になった飯舘村で暮らす人々の避難がはじまった。
97パーセントが避難をすでに終えているという。

特に年を重ねた人びとにとって、
今までと違った環境での暮らしは平坦ではない。
母も住いが変わったところで、最初は見当識障がいになり
(病院でのことで、一週間ほどで回復したが)、
二度目の短期入院で確実に暮らしを認知する力が衰えていった。

暮らしを重ねた「いつもの居場所」こそ、ひとの心の「シェルター」だ。
その「シェルター」を奪われた悲しさ、喪失感、痛みはどれほどのものだろう。
記憶のシェルターでひと休みすることで、ひとは今日を明日に繋ぐことができる。
それを否定されたのが、住民たちであるのだ。

どうかどうか、ご無事で、と祈るしかない、のか。
これでもまだ、安全を確認したら、原発は再開だと言うのだろうか。

2011年6月21日火曜日

6月21日

わたしたちが、たとえば友人や知人と約束をしたことを違え(たがえ)たとき、
自己嫌悪にとらわれる。
自分を責めるはずだ。なぜ約束を守れなかったのだろう、と。
当然、謝罪をする。
そうして、なぜ違えてしまったのかを自分に問い、
被害を受けた相手が納得するまで話をするだろう。
相手が一応納得したとしても、そのひとの内に生まれた
「あのひとって、そういうひとなんだ」という不信感を、どうやったら払拭できるか、
ずっと考え悩むはずだ。自分がしてしまったことを悔やみつつ。
そうして、なんとかして汚名を挽回しようとし、同時に、
今後はこういった自己嫌悪に陥らないでする自分をつくっていこうと、自身と約束をするはずだ。
それが、ひとというものだろう。

そこで、菅 直人首相である。

一時的にせよ、浜岡原発を止めたことは評価する。
自然エネルギーへの転換を示唆したことも、
電力会社が独占してきた発電と送電の分離に触れたことも、評価する。
それらと昨今、永田町に吹き荒れた「菅おろし」旋風は、全く別のストーリーではなかったはずだ。
しかし、ここにきて、どうした! 菅さん。
現在停止中の原発について、「安全対策が適切に整ったので、再稼動すべき」とは、一体、どういうことだ。
どんな神経をしているのだろう、と疑わざるを得ない。
福島第一原発では、作業に従事するひとたちが、
被曝の恐怖と闘いながら、この上なく劣悪な環境の中で働いている。
住民たちは、今後現れるかもしれない子どもたちの健康被害に苦悩の声をあげている。
期待をかけたアメリカ製の高度汚染水浄化装置は、作動してから僅か五時間でダウンしてしまった。
東電は相変わらず、腹立たしいほど淡々と想定外を繰り返す。
汚染水が溢れ出る(実際には、すでに溢れているのではないか)まで秒読み段階となったいま、
この瞬間のわたしたちの苦しみと恐怖と不安と不信を前にしながら、
「再稼動」などと、どうして言えるのか。ひととしての痛みはないのか!
全く理解できない。

「菅おろし」の裏には何かがあるはずだ。だから与したくないと考えていたが、
あなたは市民の苦しみなど全く考えない、非情のひとだったのか。
あまりにも無責任すぎる。
福島の大人たちが、かけがえのない子どもや孫を思って流す涙は、あなたには、伝わらないのか。
巷間伝えられるように、あなたはその場その場で思いつきを口にして、すぐに忘れることができるひとなのか。
なにが「安全宣言」だ。酷すぎる。

2011年6月20日月曜日

6月20日

はっきりしない空模様が続いている。
母がいた頃、こういった天候の日は水分の補給に苦労した。
暑い、のではなく、蒸し暑いのだ。
湿度が高いので、あまり喉の渇きを覚えないのだろう。
「飲みたい」という本人の意欲とは別に、かなり強引に娘は「水分補給」をしていた。
「水を飲む」ではなく、「水分補給」という言葉が、なんとも悲しい。
母は認知症も併発していたから、自分の体調を自分ではかることが難しかった。
その分、周囲が気をつけていなければなかったのだ。
ヘルパーさんや在宅看護の看護師さんたちと書いた連絡ノート。
本日の水分摂取量計、800cc、900ccの文字が目に浮かぶ。
被災地で暮すお年寄りも充分水を摂っていただきたい。
熱中症は室内でも起きるのだから。

北海道の友人から、京大原子炉実験所の小出裕章さんの講演会に参加した様子がメールで届いた。
大盛況であったそうだが、こんな時代がくることを、小出さんは望んではいなかったはずだ。
そのために、40年間、警告を発せられてきたのだが。
余談ながら、小出さんとメールのやりとりをしたとき、
「できたら、さん、と呼んでください」というフレーズがあったので、
以来、心からの敬意をこめて、小出さんとお呼びしている。

北海道には泊原発がある。
泊村には、毎日、海の温度を測って、原発に警鐘を鳴らし続ける男性もおられる。
紙芝居で、原発の危険性を訴えておられる、確か保育士をされていた方だ。
友人が、5/20のインターネット毎日ニュースを送ってくれた。
以下、送られてきた文言。

………北海道電力は20日、泊原発3号機(北海道泊村)で予定するプルサーマル発電用の
ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料製造に向けた検査申請を経済産業省に行った。
電気事業法に基づくもので、6月にも燃料加工を委託しているフランス企業が製造を始める。
早ければ12年度中に原子炉に装填(そうてん)・発電を開始する。
泊原発周辺の自治体などからは「問題はない」「時期尚早」と、賛否両論の声が上がった。
泊村の牧野浩臣村長は
「MOX燃料製造は以前からの計画であり(福島第1原発の事故後であろうと)申請は問題はない。
泊原発では福島のような事故は想定されないうえ、北電も緊急安全対策を講じている」
と理解を示した。
泊原発から約40キロ離れた黒松内町の若見雅明町長は
「時期尚早だ。福島第1原発は『安全だ』と言われていた構造体が壊れてしまった。
プルサーマル計画もより慎重であるべきだ」
と指摘した。
高橋はるみ北海道知事は
「福島第1原発事故で、MOX燃料の影響は明らかになっていない。
今後、MOX燃料に起因する課題が確認された場合、適切に対応していく」
とのコメントを発表した。
道幹部は
「道はまだ(試験運転中の)泊原発3号機の営業運転の是非さえ判断していない。
北電は営業運転よりも先の動きをしている」
と戸惑いの表情を浮かべ
「道民は『福島での影響の有無が明確になるまで、もうちょっと待てばいいのでは』と思うだろう」
と話した。
脱原発運動を展開する北海道平和運動フォーラムの長田秀樹事務局長は
「少なくとも福島の事故でのMOX燃料の影響を検証するまでは凍結すべきで、
スケジュールありきの北電の対応は道民の意識とかけ離れている」
と批判した………。

以下、友人のメールに戻る。
「この計画に対して、道民の中ではやはり疑心暗鬼がふくらんでいると私は感じています。
今日の質疑でもこの不安が語られていました。
(福島原発のMOX燃料の影響も、なんだかうやむやに隠されてしまった感があり)
上田札幌市長はこれに対し、6/16にプルサーマル計画を「凍結すべき」との見解を出しています。
道内の弁護士らが泊原発を止める運動も立ち上げており、お会いした弁護士は、
「とにかく泊を止める!」ことから始めると話していました。
わたしも呼びかけ人のひとりである「1000万人の署名活動」。
年齢制限なし、の署名である。よろしく!

2011年6月19日日曜日

6月19日

午前中に大急ぎで二つの仕事をすませ、そのあと、上京した友人とクレヨンハウスでランチを。
40数年前からの友人だ。
学生生活とその後に続く数年を東京で暮らした彼女だが、そのあとは帰郷し、小さな店を営んでいる。
彼女が暮す小さな町の町長選。いつから、とも思い出せないほど、余りにも長く続いた「主流派」の独裁とも言える町議会に、いかに新しい風を起こしたか。そんな話題に熱くなった。

Other voices、という言葉がある。
主に80年代のアメリカの文学シーンで使われた言葉だが、「周辺の声」たちと訳してきた。
社会の真ん中を流れるmain stram,「主流」の声=価値観ではない。周辺の声=価値観の担い手は、主に高齢者や女性、子どもたち、そして彼女たちの存在にセンシティブな男性たちである。長い間、この周辺の声は、周辺に固定されてきた。アメリカの文学シーンでも、そういう意味に使われてきた。
たとえば白人中心社会における、アフリカ系アメリカ人やマイノリテイの書き手の「声」というように。
たとえば男性中心社会における、女性の声というように。この言葉と、この言葉が意味する存在に深く共感しながらも、一方でわたしは考えてきた。
周辺の声が、主流の土俵の、ほんの片隅に留め置かれている限り、社会構造は変わらない、と。

そうしていま、わたしたちは新しいPERIODを迎えた。
今朝の新聞に、「原発82%が廃炉求める」(東京新聞)の文字が。

2011年6月18日土曜日

6月18日

今日も雨。
少々疲れている。
次に起きるかもしれない諸々を想定して(「想定外」なんて言いたくない)、
いますべきこと、明日に回してもいいこと、来週頭にすべきこと、連絡事項などをリストアップして………。とにかく、後手に回らないように、計画倒れにならないように、と自分と約束してやってきているのだが……。
この疲れは、身体的なものというより、心理的なそれのほうが強いのかもしれない。
東日本大震災、そして原発暴走から100日。
今日は港区の男女共同参画社会の講演が。
みな、不安であるのだ。みな、何かしたいと思っているのだ。実際、果敢に
何かに取り組んでいるひとも多い。何かに取り組めば、必ず目の前に立ちはだかる壁を見つけ、しゃがみこみたい気持ちを苦々しく味わうこともある。
何もしないことのほうが楽であり、同時に苦しい時代でもある。
それでも、なんとしてでも、と子どもを護ろうとしている女性たちも会場にはおられた。
ひとはみな、未完の存在だ。
未完の人間という存在が完璧なものを作れるはずはない。
そういった意味で、ひとの中に、ひとが作るものに、「絶対」などという
言葉を使ってはいけないのだ。
ひとがかかわるものに、そもそも「絶対」などないのだ。
………絶対を言うひとほど、わたしをうんざりさせるものはない………。
今は亡きF・サガンの小説の中に、そんなフレーズがあった記憶がある。
 そうなのだ。「絶対」は、絶対ないのだ。絶対を使えるのは、こういった場合だけだ。
 3月11日から繰り返された、山ほどの「絶対」という約束のほとんどは破られ、濡れそぼち、路上に置き去りにされたまま、だ。
ようやく日本赤十字社と中央共同募金会が、東日本大震災に国内外から寄せられた義捐金の第二次配分を実行した。
遅い。すべてが遅すぎる。
亡くなった先輩ジャーナリストがよく紹介されていたエピソードに
次のようなものがある。
………あなたはジャーナリストだ。その、あなたは戦場にいる。
その、あなたの前で、爆撃がはじまる。
銃弾をくぐるようにして、ひとりの子どもが裸足で逃げてくる。
あなたが手を差し伸べれば助かるかもしれない。
あと三十メートル、二十メートル。
そのとき、あなたはどうするか!
助けられるかどうかはわからかないが、その子に手を差し伸べるか。
手を差し伸べたら、あなたは諦めるしかない。写真を撮ることを。
手を伸ばすことを諦めて、あなたはカメラにその子をおさめるか。
どちらかひとつしかない崖っぷちで、あなたはどちらを選ぶか。
写真を撮れば、あなたはそれを世界中に配信し、この悲惨な戦争をとめる
きっかけを作ることができるかもしれない。そうして、結果的に何万もの
人々を救うことができるかもしれない。ヴェトナムの戦場で、カメラを構え、記事を
書いたジャーナリストのように。
この問いは、実際、アメリカの大学のジャーナリズム科の講義で行われたものらしい。
ひとりを助けるか。ひとりを棄てて、大勢を助けるために、カメラに収めるか。
それはそのまま、自分のミッションを、どこに置くかという問いでもあるだろう。 
職業人としての自分と、ひとりの人間である自分と。
わたしはやはり目の前の子どもに手を伸ばすだろう。たぶん、それしかできないに違いない。
なぜか、亡き先輩ジャーナリストから聞いた、このエピソードが頭の中でぐるぐる回る夜。
今夜は少し眠りたい。

6月17 日

小雨がちな一日だった。
今日は9時30分から19時まで、民放連のラジオ番組の審査を。
不況で広告収入もダウン。制作にかかわる人数も決して多くはないであろう地方局で、
なんとか充実した番組を、とそれぞれが踏ん張っている。
この大震災でラジオの力が見直されている。
はじめて就職した先が民放のラジオ局だったわたしにとっては、
毎年のことながら、懐かしくもいい時空を、今年も体験させてもらった。
福島の局からは、福島在住の詩人、和合亮一さんのツイッターを軸とした番組が。
和合さんには、クレヨンハウス発行の「クーヨン」6月号でも寄稿していただいている。
原発暴走の後、お子さんたちとおつれあいは「疎開」。
和合さんはご両親と福島に残ったとおっしゃっていた。
 
3・11以前に制作された番組と3・11以降に制作された番組は、明らかにトーンが違う。
どちらがいいといった問題ではなく、わたしたちはいま、
3・11以降を生きているということだ。
 
原発にさようなら集会と原発にさようなら1000万人署名のお知らせです。
6月15日に記者会見がありました。わたしは以前から入っていた仕事があり、参加できなかったのですが。
ホームページをご覧ください。
「さようなら原発 NO NUKES」
http://www.peace-huorum.com/no _nukes/
(署名用紙もダウンロードできるそうです)
呼びかけ人 内橋克人、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井 喬、鶴見俊輔、落合恵子

2011年6月16日木曜日

6月16日

どこに行っても、誰と会っても、収束が全く見えない原発と放射能の話ばかりだ。

そう思っていたら、次のような意見があった。
「それは、落合さんが会うひとが、そういうひとだからなんですよ」
そうかなあ。
放射線汚染の範囲はますます拡大し、ホットスポットは各地に点在している。
またまた東京新聞「こちら特報部」の記事で恐縮だが、6月16日の該当特集には、
避難区域の外側でも、特に子どもの健康被害を案じ、苦しむ大人たちの声が特集されている。
大量の鼻血が一週間ほど続いた子。微熱や喉、鼻の痛み。
下痢や頭痛、アレルギーの悪化や倦怠感etc. 

放射線との関係は不明だが、親はどんなに不安だろう。どんなに苦しんでいるだろう。
たとえば避難区域外の郡山市内の6月12日の最大値は、1・38マイクロシーベルトを。
文部科学省が年間積算線量を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトにしたことに対して、
わたしもこのブログやほかの媒体で反対を表明した。
福島の親たちの憤りの声が少しは届いたのか、
文科省の高木大臣は「努力目標」として1ミリシーベルトに戻したが、目標は目標でしかない。
郡山では毎時最大値1・38マイクロシーベルトだったが、365日、この最大値の中で暮らしたら、子どもはどうなるのか。

特集記事では、放射性物質が濃縮されやすい牛乳を給食で出すかどうか、
学校ごとに対応が違うこと。保護者の選択制でも「娘が仲間外れにされたくないというので……」飲ませている親の苦しさも報道されている。
この「こちら特報部」は、特集に添えられる極めて短い「デスクメモ」もすぐれているが、
「充」と記されメモにはこうある。
「『脱原発は集団ヒステリー』とは原子力村の本音だろう。そんなごう慢な意識で
選別した『情報』を誰が欲し、誰が信じるか(略)」とある。
わたしたちは真実を知りたい。
「風評被害」をなくせと当局は言うが、そう思うのなら、真実を公表すべきだろう。
飯舘村の例をだすまでもなく、ずっと隠蔽されて、ある日突然、真実を知らされるものの
言いようもない悔しさと憤りを、これからも繰り返すつもりなのか。
それがいかに非情で残酷な現実であっても、そこから、わたしたちは再びのはじめの一歩を踏み出すしかない。
その「知る権利」、ふたたびの一歩を踏み出す覚悟さえ、当局は侵害し、踏みにじるつもりなのか。

2011年6月15日水曜日

6月15日

原発を停止した場合、標準家庭の毎月の電気料金
「1000円はねあがる」、というニュースが流れている。
「日本エネルギー経済研究所」の試算だそうだ。
これって、脅迫ではないか。

現在、日本にある原発54基のうち35基が稼動停止。
来年春までには残りも定期検査に入って、稼動が停止になる可能性はある。
そこで火力発電がフル稼動になると、燃料をはじめとして天然ガスなどの
調達コストが増えて、電気料金アップとなるということだが、
原発の再稼動のためのキャンペーンではないか。

日刊ゲンダイ6月16日付けでは、立命館大学国際関係学部の大島堅一教授が
一キロワット当たりの発電コストについて次のようなデータをだしておられる。
「原子力が10・68円
火力   9・9円
一般水力 3・98円」
〔有価証券報告書の実績に税金負担分を足して計算〕
さらに大島氏は次のようにコメントしている。
「問題は数字をどう読むかです。原発は燃料コストだけでない。管理などに
巨額の費用がかかる。それに、稼動率でいうと、原発ほどあてにならない
ものはない。(略)そもそも原子力を過度にかいかぶった結果、再生可能
エネルギーの研究や燃料費の努力を怠り、安全性のチェック、防災対策を
おろそかにして大事故を招いた。これも膨大なコストです。
来年は大きく稼動率が下がりますが、管理などの費用は変わらないため、
発電コストはさらに膨れ上がるでしょう」

6月15日13時より市が谷アルカディア(旧私学会館)で、
内橋克人さん、澤地久枝さん、鎌田慧さんたちが「原発にさよなら集会」の
記者会見を。お誘いを昨日いただいたのだが、わたしはほかの仕事があって、
参加できなかった。
詳しい内容は改めて発表されると思う。送っていただいたチラシには次のような文言が。
「原子力と人間の共生など、けっしてありえないことなのですが。
それに気づいていながらも、私たちの批判の声と行動があまりにも弱かった、と深く悔やんでおります」
「わたしたちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、
自然エネルギーを中心とする『持続可能な平和な社会』にむかうために行動します。その目標です。
新規原発建設計画の中止
浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止。
もっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」、「再処理工場」の廃止。

「原発にさようなら集会」の開催。
日時   2011年9月19日
場所   明治記念公園
集会規模 五万人(集会後、パレードがあります)

さて、今日の記者会見の模様が、各メディアでどのように報道されるか。
あるいは報道されないか。
しっかりチェック!

詳細は追ってまた!

2011年6月14日火曜日

6月14日

 今日は北九州へ。
一昨日大分だったのだから、もう少し余裕があるなら、
日曜に一泊して、月曜は九州の温泉で少し休み、火曜日は講演というスケジュールも組めるのだが、
バタバタと日帰り、そしてまた先方へ、が続いている。
本当はもう少し余裕のある日々を送るはずだった2011年上半期だが、そういうわけにはいかない。
移動の最中も、原発関連の本ばかり読んでいる。
読んでいなかった本がたくさんあった、と痛感。
不幸な日々の中で、しっかりとした知識を身につけることのかけがえのなさを体感している。
『まだ、まにあうのなら』の著者、甘蔗珠恵子さんから、いたいだたファックスの中に、チェルノブイリ原発の事故の後、わたしがどこかに書いたか、あるいはラジオで語った言葉が記されていた。
本人もすっかり忘れていたのだが、甘蔗さんは、、講演などで使ってくださっていたという。

………知らされなかった
知らそうとしなかった
知ろうとしなかった
そのつけを ひとりひとりのわたしが
自分で背負うことからしか
再びの一歩を踏み出すことはできない………

25年前と、24年間。
原発を推進する側はまったく変わらぬ姿勢を維持し、
わたしも含め、おおかたのわたしたちも同じような日々を送っていたのだと再確認させられている。痛い。
二度と繰り返さないと自分と約束しながら、手書きの甘遮さんのファックスをバッグの中に入れて旅を続ける。

2011年6月13日月曜日

6月13日

イタリアの原発再開に関する国民投票の結果は、どうなっただろう。
朝刊が休みなのと、テレビでもまだ確認できていない。結果はもう出ているはずだが。
一度、国民投票で原発を止めたのに。
こうして、政・財界等は再開の時期をいつも虎視眈々と狙っている、ということである。
イタリアの政治の詳しいシステムはわからないが、官僚や御用学者もやはりいるのだろうな。
虎視眈々はむろん、この国も例外ではないだろう。油断禁物。

昨日の大分での講演会。摂食と介護・看護がメインテーマだったが、
海を越えて伊方原発に反対をしている女性たちも来られていた。
まっすぐな目をした素敵な女性たちだった。

「別府の近くまで来て、温泉にも入らないなんて」と主催者のかたが惜しんでくださったが、
いまはその余裕がない。
ところで、被災地のお風呂は、充分か? せめて手足を伸ばしていただきたい。
介護をしていた母は、ひとりで入浴できなかった。
最初はわたしが一緒に、見送る前の数年間は、入浴サービスをお願いしていた。
母と同じ状況のかたが被災地にも少なからずいらっしゃる。そのことが気になって………。
母の遺影の前にいつも飾っている花を、買い忘れている。

クレヨンハウス朝の教室に参加した「まちこ」さんから次のようなメールが回ってきました。


6・11全国各地で集会やデモが開かれました。
私も新宿中央公園からデモ行進に参加しました。(中略)
福島で、原発の老朽化を心配して地元で廃炉の活動をしていた うのさえこさんは
事故後、娘さんと福岡に避難しています。
6・11広島の集会に参加されたうのさんは、原爆ドームの前で次のようなお話をされました。
すばらしいメッセージなので多くの方に読んでほしいと思い、送らせていただきます。
-----------------------------------------------------------
福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。
この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。

目を凝らしましょう。見えない放射能に。4月5日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。

目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。

目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。
赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。
学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。

大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。

耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、子どもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。

耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。

耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。

耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。

耳を澄ましましょう。自分の心の声に。

私たちの故郷は汚されました。
もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。
海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。

私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。

私たちは変化を恐れません。
恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。
科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。

私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。
私たちはそれを、乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは、行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。

再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和し、つつましく豊かに暮らす世界の姿に。

今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。

広島市 原爆ドーム前にて
2011年6月11日 うのさえこ

2011年6月12日日曜日

6月12日

飛ぶか飛ばぬか。
朝の羽田空港で、多少の混乱。
「大分空港雷のため、福岡空港または大阪伊丹空港へ向かうことがあります」
という条件付で出発。けれど、無事に大分着。

「摂食と介護についての集まり」で話を。
母のことを思い出す。
正確に言うなら、思い出すためには、
一度忘れなくてはならないのだから、思い出したわけではない。
いつも、考えている。
被災地のお年寄りは……、そして、福島のお年寄りは……。
激しい雨の中、90代の方も集まってくださった。

お年寄りと子どもに共感のある人間関係と社会を!

2011年6月11日土曜日

6月11日

あの日から、三か月がたった。
なんという、三か月だったろう。
人生のすべてが、いままでと全く変わってしまった。
生きることの原型のようなものだけを支えに、
今日を明日につむいでいるような日々である。
腹に力が入るのは、ひとりひとりのいのちのかけがえのなさに
鈍感なものやこととぶち当たったときだけで、
心の片隅には埋められない洞のようなものが、ぽっかりとあいたままである。
この洞が埋められる日がくるのだろうか。時々むしょうに泣きたくなる。

土曜日は朝九時から、原発とエネルギーを学ぶモーニング・スタディの、二回目があった。
食品と放射能というテーマで、安田節子さんを講師にお迎えしての1時間半。
一回目も雨の土曜日だったが、今回もまた。
とても具体的でわかりやすいお話と、いのちをつくる有機食材への愛情と、
生産者と消費者、その双方への深い共感と。
そうして、放射能をおそれなくては生きることのできない「現在」をつくったものへの怒りをも、
とてもデリケートに、けれど骨太に語ってくださった。

質疑応答の時間が終了しても質問は続き、
地下の会場から三階のミズ・クレヨンハウスのフロアに場所を移してのご対応に、
受講生一同感謝、感謝。
できるだけ早い時期に一冊のブックレットにまとめたいと考えている。
 
クレヨンハウスの野菜市場は悩みに悩みぬいた末に、
しばらくは、西日本の生産物を選んで店頭に並べることとした。
東日本の生産者のかたがたのことを考えると、ほんとうに心痛む。
特に安全で安心な食材のためにがんばってこられたかたがたである。
どんなに悔しいだろう。どんなに無念だろう。
それでも子どもたちや妊婦さんたちの安全は、
なんとしても確保したおきたいという思いもあって……。
心を二分されながらの決断である。

生産者も消費者も、わたしたち八百屋も苦悩する。
こんな理不尽なことがあっていいものか。
『出荷停止』となれば賠償もされるが、出荷停止にならなくとも、
出荷しにくい、出荷したくない、
不安のある野菜たちを抱えた生産者をサポートするために、
消費者も一緒に、東電と政府に買わせよう。
ちゃんと落とし前をつけさせよう。
そんな次なる行動の勇気もいただけた講演だった。

日曜日、イタリアでは原発の再開の是非を問う国民投票がある。
反対派が優勢といわれているが、
投票率が五十パーセントを下回ると無効であるという。
日本でそれを実行した場合、原発全廃の結論がでるだろうか。

2011年6月10日金曜日

6月10日

午後一番に群馬県女性センターで講演。
テーマは、「女の啖呵……女たちはいかに自分の言葉を獲得したか」。
イギリスの女性詩人ミズ・スティヴィー・スミス、詩人石垣りんさん、
歌人であり小説家でもある金子きみさんらの作品に触れながら、
女性が自分の言葉で自己を、そして他者を、また他者と自己のあいだに通うもの……
を表現してきたかの話を。
言葉を獲得した女性たちは銘々、自分の言葉で語り、記し始める。
21世紀を生きる女たちもまた。

金子きみさんの短歌に次のような作品がある。
……人間がどれほどのものか と 梅雨の晴れ間を孕み猫 公然と行く
ほんとうに、どれほどのものか、人間は、
とテーマが脱線、しばらくは原発の話に。

受講生は五十代、六十代の女性が多かったが、
みな、現在の原発についての当局の発表や、
それを受けての報道に懐疑的になっていることは確かだ。
なにかが隠されている、何かが正確ではない、と。
ただ、それら靄のような疑念と、実際、自分がどう行動したらいいのか。
その間に「溝がある」とおっしゃっていたかたもいた。
1時間45分の講演を終えて、高崎駅へ急ぐ。駅のお弁当屋さんを見て、思い出した。
あ、今日は朝ご飯、食べてなかった! お昼もまた! 
それでもあまり空腹をおぼえないのは、少々疲れ気味だからかもしれない。
コーヒーをたて続けに飲んで資料を調べたり書いたりしていて、
朝ご飯を食べないまま家を飛び出してしまったことも忘れていた。
高崎なら、鶏飯か。一瞬迷って、久しぶりに峠の釜飯を購入。 
16時過ぎのブランチとなった。
東京駅から新お茶ノ水の全電通ホールへ直行。

たんぽぽ舎と週刊金曜日共催のシンポジウム。
福島からの女性三人のレポートに胸が熱くなる。
北海道に子どもたちと一緒に「家族疎開」する女性。
子どもを被曝させてはいけないという思いを口にすることにも躊躇した日々を経て、
「わたしがそのモデルになることで、ほかのひとたちの弾みになれば」。
それでも大好きな福島を後にするのは悲しく、やりきれない、と。
ご一緒した佐高信さんから新刊をいただいた。『原発文化人 50人斬り』。

シンポを終えて外に出ると、雨。
明日の土曜日、クレヨンハウスで二回目の原発とエネルギーを学ぶ早朝講座。
今回のテーマは安田節子さんの「放射能と食べ物」。
一回目の朝も雨だったことを思い出す。
22時に会社に戻り、このブログを書いている。

今朝の東京新聞の「こちら特報部」には、地下原発議員連盟の特集が。
未曾有の危機を目の前にしながら、こうである。
たとえ地下に原発を作っても、核のゴミの処理ができないことに変わりはないのになあ。

2011年6月9日木曜日

6月9日

トマトが鮮やかなトマト色に輝いている。
トマトをトマト色、と呼ぶ以外に、どう呼べばいいのだ?
赤でもないし、朱色でもないし、やっぱりトマトはトマト色だ。
有機食材をあつかうクレヨンハウスの「野菜市場」には、
いま熊本県沢村さんの見事なトマトが、
緑色野菜と並んで、「ここにいます!」、見事なトマト色を放っている。
それに旨い! 
サラダにしたり、そのまま自然塩をふりかけてかぶりついたり、
パスタにしたり、ズッキーニといっしょに焼いたりして、
毎日毎食(昼は外食になってしまうが)食べている。
あまり手の込んだ料理より、
うまい野菜は、素顔のままで食べるのがいちばんいい。

「トマトが赤くなると、医者が青くなる」という諺がイタリアにあった記憶がある。
トマトのもっている力が、ひとの免疫力やらなにやらをアップしてくれるという意味だ。
今朝も出がけに、トマトとレタスとスライスしたタマネギのサラダをもりもり食べた。
ボイルしたヒヨコ豆をトッピングして。
こうして、有機野菜を頬張るたびに、大震災が起きた直後、
福島で自死された有機野菜の生産者を思う。
どんなに無念だったろう。どんなにか悔しかっただろう。

有機農業は、土がいのち、と言える。土と会話し、土と共に育ち、生産者は生きる。
その土を汚染され、土との会話を分断された彼の無念さは、
そのまま有機農業と向かい合う、
すべてのそれぞれのわたしたち(生産者、流通、そして八百屋)の無念さであり、憤りである。
福島の農家をはじめ、多くのかたが田を畑を汚染された現実に、立ち竦んでいる。
西日本の生産物をいまは積極的に並べているわたしたちも、泣いている。
東日本の生産者をどうやって支援できるか、と。
 
今週の土曜日で、震災と原発暴走から三ヶ月。
原発は、こうして生産者や小売まで、そこにつながる消費者まで破壊した。
村を、町を、住民のネットワークを、分断している。
一方、被災地では新鮮な野菜が食べたいという叫びが。
 
金曜日は18時から、たんぽぽ舎と編集委員をつとめる「週刊金曜日」の共催講演会がある。
評論家の佐高 信さん、たんぽぽ舎の山崎久高さんとご一緒に。
福島からも、ふたりのおかあさんが参加して、やむにやまれぬ現状についてメッセージを発してくださる予定だ。
 
子どもたちを救おう 福島から、ふたりのおかあさんの訴え
6月10日(金) 18時~
場所 東京・全電通ホール 予約なし(先着順)
お問い合わせは、03-3221-8521

2011年6月8日水曜日

6月8日

一日中、はっきりしない天気だった。
ふっと思い出したように、淡い青空が見えるときもあったが、
小雨も散らついた。蒸し暑い。すっきりしない。
ただでさえ心晴れない日々が続いているのに。

被災地の子どもたちの中には、今もって小さなパック入りの牛乳1本と
パン一個を、お昼の給食として摂るしかない子どもがいるようだ。
「おなかすくけど、しょうがないや。がまん、がまん」
子どもの血肉は、「いま」作られるものであるのに。
放射能を警戒して、締め切った教室で学ぶ子どもたち。
外を自由に走り回れないことが、どれほどのストレスになるだろう。
遊びを通して、子どもは成長するのに。

置き去りにされる子どもたち。

選挙で反原発を主張する政党が大きく躍進した、この春のドイツ。
昨年、原発の運転延長を決めたにもかかわらず、脱原発へと方針を転換して、
2022年までに原発全廃! が閣議決定された。
むろん福島第一原発の暴走を受けてのことである。
民主主義が機能する、というのは、こういうことを言うのだろう。
もともと原発推進派の政権であっても、選挙の結果(市民の意志)で、
政府はこんな風に動かざるを得ないのだ。

一方、ドイツ政府に歴史的な方向転換を迫った原発暴走のおおもとの国では、
大連立だ、大増税だと、政治家は走り回っている。
まるで、大震災も原発暴走も
こか遠くの、ほかの国のことであるかのように。
被災者などひとりもいないかのように。

この、痛みのなさはどこからくるのだろう。
この、想像力の欠如は一体、何なのだろう。
ひとと他の動物を分けるもののひとつが、想像力ではなかったか。
その想像力を眠らせ、ひたすら政争に明け暮れる大方の政治家に一票を投じたのは……?

国民はその民度に見合った政治しか持てない、という言葉を噛み締める夕暮れ。
いつもの道の垣根に、淡い紅色の紫陽花が咲いている。

2011年6月7日火曜日

6月7日

なんとアンフェアなことなのだろう。
なんと勝手なことなのだろう。
なんと無責任なことなのだろう。
わたしが子どもなら、たぶんそう思うだろう。
たぶん、ではない。心から、そう思うだろう。

子どもは、それを決めることはできない。
子どもは、それを選ぶこともできない。
にもかかわらず、子どもは、それを受け入れなくてはならないのだ。
受け取らざるを得ないのだ。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっと
子どもの、そのまた子どもの、そのまたまた子どもの、そのまたまたまた子どもの、
何百年もさきの子どもまで、
自分が選ばなかったモノを、自分が決めたのではないコトを、
遺産として受け継いでいかなければならないのだ。
いらない、と言うこともできずに。
どこかに捨てることもできずに。
蹴飛ばすこともできないで。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……。
何万回もの「ずっと」の先まで、持ち続けなくてはならないのだ。
核のゴミを。

何かに迷ったときは、うしろから考えるのだ。
うしろの正面だーれ?
うしろのうしろのうしろのうしろの、最後のうしろ……。
核のゴミの処理法をわからないまま、作ってしまった原発。
なんと勝手な、なんと無責任な、なんとアンフェアな大人たちだろう。

原発を選ぶということはね、戦争を選ぶっていうことなんだよ。

原発を推進するために設けられた、子どもの原発ポスター展の真逆の思想と姿勢から生まれた、脱原発ポスター展。
なかなかの力作揃いだ。ちょっと覗いてみないか!
http://nonukeart.org/

2011年6月6日月曜日

6月6日

久しぶりに、クレヨンハウスのすぐ近くの美容院にいった。
「ご無沙汰でしたねえ。姿はときどきお見かけしましたが」
担当をしてくださる若い女性美容師から言われた。
なにせ彼女のお母さんは48歳だというのだから、若い。

「この前、来たのはいつだったかしら?」
覚えていないのだ。
3月11日以降の、特に暴走中の原発に、
いつ、誰がどんな説明をし、何をしたかはメモがなくとも言えるほどだが、
私的な暮らしのあれこれとなると、まったく記憶がない。
それほどまでに、わたし個人にとっては衝撃的な暴走事故だと言える。
それも未だに現在進行形、ゴールは見えない暴走である。
「この前は、確か1月でしたよね。暮れに来たかったのだけど、時間がなくてって1月に」そうだった。1月に来て、今度カットしてもらうのは3月か4月だと思っていたのだ。

それが突然にやってきた「3・11」。
それに続く福島第一原発の暴走。
当局は正確な情報をわたしたちに伝えているとは到底思えず、
テレビの画面には、従来の安全神話から安心神話に乗り換えた専門家が
次々に登場しては、わたしたち市民を愚弄し続けた。

その間にもHUG & READ を立ち上げたり、原発やエネルギーシフトや、外部被曝と内部被曝、放射能と特に子どもたちへの影響の資料を徹夜で読み漁ったり、市民目線の原稿をあちこちに書いたりと、瞬く間に3月、4月、5月が過ぎていった。

講演や顔が写る仕事もあるのだから、美容院に行かなくては、
という思いも心の片隅にはあるのだが、
「そんなこと、どうでもいい!」、
「そんなこと、やってるときか!」
そういった気持になっていた。

さすがに今日はもうこれ以上放っておけないと、
6月末に小学館より発行する『孤独の力を抱きしめて』
の再校ゲラを手渡してほぼ6か月ぶりに美容院に。
ようやくいつもの「怒髪パーマ」に戻ったというわけである。
このドレッド風「怒髪パーマ」は、母を自宅で介護していたおよそ7年間、
もっとも手間暇かからないのでしていたのものだが、
パーマも伸びてしまい、もっともわたしが怒髪状態のときに、
怒髪でなくなっていたのだ。

怒髪に戻って、さあ、さらに憤ろう。告発しよう。
怒髪になるまでの1時間半。
美容院の椅子で、クレヨンハウスの早朝講座でも講師をお引き受けいただいている、
ルポライター・鎌田 慧さんの『原発列島を行く』(集英社新書)を読み返す。
初版は2001年。本書の中に登場する脱原発の活動と取り組んでおられるかたがたは、
この2011年3月11日以降をどんな思いで迎えておられるだろう。

あらためて、怒髪と対面する6月。

この不安と恐怖と悲嘆を、わたしたちは決して決して忘れてはならない。

2011年6月5日日曜日

6月5日

「大震災被災者数」 死者 1万5355人 行方不明 8281人
今朝の新聞に記された数字である。数字は数字でしかないのだが、
わたしは毎朝、「ひどすぎる!」と憤慨する。

仮設住宅の入居に応募し、「運良く」あたったひとの何割かが入居していない、という報道がある。
入居してしまうと、そこから暮らしは「自己責任」となり、避難所にはあった食事やその他の支援がなくなるからだ。
これくらい、なんとか支援できないのか。

さらに、仮設住宅そのものがまだまだ目処が立たないまま、
避難先で暮らしているひとも少なからずいる。
家を失い、船を失い、田畑を失い、家財を失い、地域の繋がりを分断され、
なによりも愛する家族を失ったかたがたが大勢、
放置されたままで今日を明日に強引に繋いでいるのだ。
我慢の強制、である。

3月11日のあの瞬間、そしてそれに続く日々。
かつて体験したことのない衝撃と喪失と悲しみと憤りの中に、
放り出されたひとたち(子どもも大人も)は、この間、
ご自分の感情を、丸ごと吐露できただろうか。
このところ、それが気になって仕方がない。
我慢し、耐えて、抑えこんでこられなかっただろうか。
もろもろのインフラの復興・増設と同じくらい、感情の吐露は、
ひとがひとして生きていく上で、省略してはならないものだ、とわたしは考えている。

昨今、「デイグニティ・セラピー」といったセラピーの言葉を目にすることが多々ある。
デイグニティとは、尊厳という意味である。
そのひとがそのひと自身であることでもある。
そうして、率直な感情吐露は、ひとの尊厳そのものにかかわるものだ。

たとえば泣くこと。
最初の衝撃の時が少し過ぎ、現実を受け入れようとするとき……。あるいは受け入れたとき……。
内側から湧いてくる「泣きたい」という思いを我慢してしまうことは、ひとの感情生活に、重たい蓋をしてしまうことにならないだろうか。

大震災、そして原発暴走から間もなく3か月。
「いつまでも泣いてはいられない」という明日にかける覚悟は、
「思いっきり泣いたあと」にようやく導きだし、到達できる心の動きである。
泣いても3月11日以前には戻れないという、このうえなくせつない自分への宣言もまた。
「思いっきり泣けない」ままで迎えた「現在」は、そのひとの過去と未来を分断するものでしかない。
逆説的なものいいになるが、「思いっきり泣く」ためにも、
ほかのものにじゃまされない、ひとりの時空が必要であるのだ。
食事の心配も、ほかの不安も一時保留にして、思いっきり泣く……。
生きていくために、感情の吐露は無視できないものであるのだが、
果たして被災者は、それが充分に保証される時空の中に、3か月たとうとした「いま」いるだろうか。
泣けないまま迎えた、表面的「一部復興」……これさえもまだまだだが……、ひとの人生と心理を寸断し、明日に向かう意欲を奪う。

「福島原発の災害を伝える海外メディアを追い、政府・マスコミの情報操作を暴き、事故と被曝の全貌と真実に迫る」(帯コピーより)『世界が見た福島原発災害………海外メディアが報じる真実』(大沼安史・著、緑風書房・刊)を昨夜から読み出している。
その中に、作家でありコラムニストであるジェームス・キャロルというひとが、3月21日にアメリカの新聞ボストン・グローブに、「私たちの沈黙の春」というコラムを書いたという記述があった。
わたしのこのブログのタイトルも、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』からタイトルをいただき、
JOURNAL OF SILENT SPRINGである。

『世界が見た福島原発災害』の著者、大沼さんは本書のプロローグを、次のような言葉で結んでおられる。
……私たちはいま、悪しきものが強いる「沈黙の強制」に抗し、告発の言葉を語り始めなければならない……、と。
同感!

2011年6月3日金曜日

6月3日

「哲学」と漢字で書くと、やたら難解なものを想像しがちだ。

けれど、今回の大震災、さらにそれに続く復興の遅れや、収束の見えない福島第一原発の現実を前にして、なにが「わたし」たちに足りなかったと考えるとき、ふと心に浮かんだのが「哲学」、あるいはカタカナの「テツガク」という文字とそれがイメージさせるものだ。

10数年前に会った、ネイティブアメリカンの、女性教育者ダイアン・モントーヤさんの言葉が甦る。以前にも一度ご紹介した記憶があるが。

……わたしたちは、祖父母やそのまた祖父母から言われてきました。
何かを選ばなければならないとき、七世代さきの子どもたちのことを考えなさい。

リアルタイムの現在、それがどんなに便利に思えても、七世代先の子どもたちが扱いに困るようなものを残してはいけない、と。
たぶん、哲学とは、こういう視点であり姿勢を育むものであるだろう。
わたしたちは七世代どころか、目の前にいる次世代の子どもたちに負の遺産を押し付けようとしている。

原発を「トイレのないマンション」と称するひとがいる。
その意味するところはわからないではないが、そんな程度のものではない。比喩そのものが,原発の危険性を過小評価していると言わざるを得ない。
トレイのないマンションに溢れた「排泄物」を片付けても、被曝はしない。細胞を傷つけはしない。胎児や赤ちゃんの甲状腺を直撃はしない。

しかし核の「排泄物」、核のゴミは、片付けたくとも片付けることのできないものであり、誰もその処理について答えすら持っていない。
そもそも処理できないものを作ってしまったことが、わたしたちがいかに「七世代先の子ども」のことを切り捨ててきたのかの逆証でもあるだろう。
行く当てのない、使用済み核燃料をためておくプールの存在がまた、さらなる暴走のこのうえなく危険な火種になることは、福島第一原発の例を見るまでもない。

そして、「FUKUSHIMA」に世界中が注目して固唾を飲んでいるいまも、
「核のゴミ」はつくられつづけているのだ。この国の原発で。

6月4日

間もなく東日本大震災から3か月。
先週は、原子炉格納容器を設計され、研究を重ねれば重ねるほど「安全ではない」ことに気づいて告発してこられた技術者の後藤さんたちと医師の上林さんと『週刊金曜日』で座談会を。

後藤さんは、福島第一原発暴走を受けて、それまでのペンネームを棄て、カミングアウトされて原発の危険性を指摘されている。
上林さんは、現在の医療にあるパターナリズムと、原発暴走後しばらくはメディアで安全・安心神話を流布した学者たちの存在をだぶらせて、
「市民に必要なメディア」のありかたを力説されていた。

「(格納容器の)研究に、研究費がこれだけ欲しいと申請すると、
私たち技術者が申請したものより、0がひとつ多い研究費がぽんと出てきたものでした」
原発設計時代をそう語った後藤さんは先日、韓国にいかれた。
韓国で脱原発を主張するひとたちに招かれてのことだそうだが、
本来、ともに脱原発を主張できるはずの環境問題に取り組むひとたちが、
「原発はクリーン」ということで、推進側に取り込まれる傾向があることが残念、とおっしゃっていた。この国でも盛んに流布された、例のCO2問題である。

先夜、チェルノブイリの原発事故の後、原発の危険性と放射能の関係を解き明かす講義をされていた市川定夫さんが出演するDVDを観た。
このDVD、クレヨンハウスの土曜朝の講座に来たかたが配っていかれたもので、誰がどこでどのようにして25年前の市川さんの講座をキープしていたのか不明であるのだが。

チェルノブイリの原発事故のときも、全く同じ構図で、「安心神話」は流布されていたこと。
そして、ごく少数の良心的研究者や専門家がそれに異議申し立てをしていたことを、改めて痛感。
チェルノブイリ以降、何ひとつ変わらないまま、
原発の安全・安心神話は「ここ」にあったのだ。
DVDが映し出す当時の画面と、25年後の「現在」のもろもろが、見事に重なって見える。

18日は、「放射能と食べ物」というテーマで、安田節子さんのお話が。
当日のレジュメがすでに届いているのだが、とてもわかりやすく、いま必要な情報に満ちた講座になりそうだ。

それにしても、仮設住宅はまだまだ不足、義捐金も届かず………の日々。
ひとの、いのちと、重ねてきた人生をこんな風に「扱って」いいわけがない。
久しぶりに快晴の土曜日だが、心は重く曇天のまま。

2011年6月2日木曜日

6月2日

「夜陰に乗じて」という言葉がある。
夜の闇に紛れて、というやりかたはフェアではない。
きったない!やりかた、進め方のことだ。
まさに、この東日本大震災と、一向に収まらない原発暴走に乗じて、
「コンピューター監視法案」が、衆議院を通過してしまった。

コンピューターウィルスによる被害防止のための法案というが、
ほんとにそうか? 
と「おカミ」のやることには懐疑的なわたしは首を傾げる。
この法案について詳しくは、1日と2日付け東京新聞朝刊、「こちら特報部」で報道されているが、わたしたちの憲法で保障されている「通信の秘密」に対する侵害であり、違反にはならないか。

今回の福島第一原発にかかわる情報の多くが明らかに「後出し」で、たとえば放射線量の正確な数値も知らされない日々の中で、玉石混交の傾向は一部にあったとしても、ネットが果たした役割は、決して小さくはない。
何十年にもわたって安全神話をたれ流し続け、絶対安全と喧伝した原発が暴走すると、今度は「安心神話」を流布した多くの大手メディアに対抗する、市民のメディアのひとつとして、ネットの存在は徐々に、そして急速に大きくなりつつある。

活字文化で育ち、いまでも活字が大好きなわたしでも、3月11日以来、ネットをチェックし、新しい情報を得るケースが多い。
この間、ネットは「御用学者」ではない、真正の学者の存在を紹介し続け、誰の言葉なら信じていいかをも伝えてくれた。
真正の声をあげつづけたのも、ネットであり、ネットが紡ぐネットワークそのものだった。
「コンピューター監視法案」は、そういったネット社会を刑法で規制するための、法案ではないか。

「民」は従順に大人しく受け身に「おカミ」の言うことを聞いて従っていればいいのに、自分たち独自の「市民ネットワーク」を駆使しはじめ、「おカミ」にきわめて都合の悪い情報を交換している、これはまずい、これは無視できない………。
そんな風に考えてのことかどうかは知らないが、「夜陰乗じた」法案であると言わざるを得ない。
他国の民主化運動もネットやフェイスブックを通して、呼びかけられた。
70年代、「明日は騒乱罪!」という言葉がわたしたちの世代を飛び交った。
2011年の現在は、「明日は共謀罪」か! である。
しっかりチェックしていこう。

2011年6月1日水曜日

6月1日

6月になった途端、わたしが暮らす東京は肌寒い天気に。
さらには、こんな時に、国会は不信任案騒ぎでさらにお寒い状況。
夕方には、自民・公明・たちあがれ日本が、菅内閣不信任案を提出。
あとは、与党民主の内部で、誰がどう動いて、どっちにつくか、の心躍らないレースになるのだろう。

被災されたひとたちの中には、まだ仮設住宅にも落ち着けないひとも大勢おられる。
心理的にも、「政治がさらに遠くなった。結局わたしたちのことは考えていないんですね」
と被災されたひとが言っていた。
菅首相がベストとは決して思わないし、被災者やこの原発暴走の被害者たちに対しても、
発する言葉に人としての痛みのようなものを感じないところが正直、苛立つし、腹も立つ。
しかし、じゃあ誰が? となると、浮かぶ顔がない。
長年、原発を推進してきた自民も、現政権を攻撃する前に、
まずは「自分たちがやってきたこと」を真摯に反省、謝罪すべきだろう。
政・官・業・学(アカデミズム)・メディアが一体となって「原子力村」を作ってきたのだから。

なんとも「寒い」6月初日である。