どこに行っても、誰と会っても、収束が全く見えない原発と放射能の話ばかりだ。
そう思っていたら、次のような意見があった。
「それは、落合さんが会うひとが、そういうひとだからなんですよ」
そうかなあ。
放射線汚染の範囲はますます拡大し、ホットスポットは各地に点在している。
またまた東京新聞「こちら特報部」の記事で恐縮だが、6月16日の該当特集には、
避難区域の外側でも、特に子どもの健康被害を案じ、苦しむ大人たちの声が特集されている。
大量の鼻血が一週間ほど続いた子。微熱や喉、鼻の痛み。
下痢や頭痛、アレルギーの悪化や倦怠感etc.
放射線との関係は不明だが、親はどんなに不安だろう。どんなに苦しんでいるだろう。
たとえば避難区域外の郡山市内の6月12日の最大値は、1・38マイクロシーベルトを。
文部科学省が年間積算線量を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトにしたことに対して、
わたしもこのブログやほかの媒体で反対を表明した。
福島の親たちの憤りの声が少しは届いたのか、
文科省の高木大臣は「努力目標」として1ミリシーベルトに戻したが、目標は目標でしかない。
郡山では毎時最大値1・38マイクロシーベルトだったが、365日、この最大値の中で暮らしたら、子どもはどうなるのか。
特集記事では、放射性物質が濃縮されやすい牛乳を給食で出すかどうか、
学校ごとに対応が違うこと。保護者の選択制でも「娘が仲間外れにされたくないというので……」飲ませている親の苦しさも報道されている。
この「こちら特報部」は、特集に添えられる極めて短い「デスクメモ」もすぐれているが、
「充」と記されメモにはこうある。
「『脱原発は集団ヒステリー』とは原子力村の本音だろう。そんなごう慢な意識で
選別した『情報』を誰が欲し、誰が信じるか(略)」とある。
わたしたちは真実を知りたい。
「風評被害」をなくせと当局は言うが、そう思うのなら、真実を公表すべきだろう。
飯舘村の例をだすまでもなく、ずっと隠蔽されて、ある日突然、真実を知らされるものの
言いようもない悔しさと憤りを、これからも繰り返すつもりなのか。
それがいかに非情で残酷な現実であっても、そこから、わたしたちは再びのはじめの一歩を踏み出すしかない。
その「知る権利」、ふたたびの一歩を踏み出す覚悟さえ、当局は侵害し、踏みにじるつもりなのか。