2011年6月3日金曜日

6月4日

間もなく東日本大震災から3か月。
先週は、原子炉格納容器を設計され、研究を重ねれば重ねるほど「安全ではない」ことに気づいて告発してこられた技術者の後藤さんたちと医師の上林さんと『週刊金曜日』で座談会を。

後藤さんは、福島第一原発暴走を受けて、それまでのペンネームを棄て、カミングアウトされて原発の危険性を指摘されている。
上林さんは、現在の医療にあるパターナリズムと、原発暴走後しばらくはメディアで安全・安心神話を流布した学者たちの存在をだぶらせて、
「市民に必要なメディア」のありかたを力説されていた。

「(格納容器の)研究に、研究費がこれだけ欲しいと申請すると、
私たち技術者が申請したものより、0がひとつ多い研究費がぽんと出てきたものでした」
原発設計時代をそう語った後藤さんは先日、韓国にいかれた。
韓国で脱原発を主張するひとたちに招かれてのことだそうだが、
本来、ともに脱原発を主張できるはずの環境問題に取り組むひとたちが、
「原発はクリーン」ということで、推進側に取り込まれる傾向があることが残念、とおっしゃっていた。この国でも盛んに流布された、例のCO2問題である。

先夜、チェルノブイリの原発事故の後、原発の危険性と放射能の関係を解き明かす講義をされていた市川定夫さんが出演するDVDを観た。
このDVD、クレヨンハウスの土曜朝の講座に来たかたが配っていかれたもので、誰がどこでどのようにして25年前の市川さんの講座をキープしていたのか不明であるのだが。

チェルノブイリの原発事故のときも、全く同じ構図で、「安心神話」は流布されていたこと。
そして、ごく少数の良心的研究者や専門家がそれに異議申し立てをしていたことを、改めて痛感。
チェルノブイリ以降、何ひとつ変わらないまま、
原発の安全・安心神話は「ここ」にあったのだ。
DVDが映し出す当時の画面と、25年後の「現在」のもろもろが、見事に重なって見える。

18日は、「放射能と食べ物」というテーマで、安田節子さんのお話が。
当日のレジュメがすでに届いているのだが、とてもわかりやすく、いま必要な情報に満ちた講座になりそうだ。

それにしても、仮設住宅はまだまだ不足、義捐金も届かず………の日々。
ひとの、いのちと、重ねてきた人生をこんな風に「扱って」いいわけがない。
久しぶりに快晴の土曜日だが、心は重く曇天のまま。