久しぶりに、クレヨンハウスのすぐ近くの美容院にいった。
「ご無沙汰でしたねえ。姿はときどきお見かけしましたが」
担当をしてくださる若い女性美容師から言われた。
なにせ彼女のお母さんは48歳だというのだから、若い。
「この前、来たのはいつだったかしら?」
覚えていないのだ。
3月11日以降の、特に暴走中の原発に、
いつ、誰がどんな説明をし、何をしたかはメモがなくとも言えるほどだが、
私的な暮らしのあれこれとなると、まったく記憶がない。
それほどまでに、わたし個人にとっては衝撃的な暴走事故だと言える。
それも未だに現在進行形、ゴールは見えない暴走である。
「この前は、確か1月でしたよね。暮れに来たかったのだけど、時間がなくてって1月に」そうだった。1月に来て、今度カットしてもらうのは3月か4月だと思っていたのだ。
それが突然にやってきた「3・11」。
それに続く福島第一原発の暴走。
当局は正確な情報をわたしたちに伝えているとは到底思えず、
テレビの画面には、従来の安全神話から安心神話に乗り換えた専門家が
次々に登場しては、わたしたち市民を愚弄し続けた。
その間にもHUG & READ を立ち上げたり、原発やエネルギーシフトや、外部被曝と内部被曝、放射能と特に子どもたちへの影響の資料を徹夜で読み漁ったり、市民目線の原稿をあちこちに書いたりと、瞬く間に3月、4月、5月が過ぎていった。
講演や顔が写る仕事もあるのだから、美容院に行かなくては、
という思いも心の片隅にはあるのだが、
「そんなこと、どうでもいい!」、
「そんなこと、やってるときか!」
そういった気持になっていた。
さすがに今日はもうこれ以上放っておけないと、
6月末に小学館より発行する『孤独の力を抱きしめて』
の再校ゲラを手渡してほぼ6か月ぶりに美容院に。
ようやくいつもの「怒髪パーマ」に戻ったというわけである。
このドレッド風「怒髪パーマ」は、母を自宅で介護していたおよそ7年間、
もっとも手間暇かからないのでしていたのものだが、
パーマも伸びてしまい、もっともわたしが怒髪状態のときに、
怒髪でなくなっていたのだ。
怒髪に戻って、さあ、さらに憤ろう。告発しよう。
怒髪になるまでの1時間半。
美容院の椅子で、クレヨンハウスの早朝講座でも講師をお引き受けいただいている、
ルポライター・鎌田 慧さんの『原発列島を行く』(集英社新書)を読み返す。
初版は2001年。本書の中に登場する脱原発の活動と取り組んでおられるかたがたは、
この2011年3月11日以降をどんな思いで迎えておられるだろう。
あらためて、怒髪と対面する6月。
この不安と恐怖と悲嘆を、わたしたちは決して決して忘れてはならない。