なんとアンフェアなことなのだろう。
なんと勝手なことなのだろう。
なんと無責任なことなのだろう。
わたしが子どもなら、たぶんそう思うだろう。
たぶん、ではない。心から、そう思うだろう。
子どもは、それを決めることはできない。
子どもは、それを選ぶこともできない。
にもかかわらず、子どもは、それを受け入れなくてはならないのだ。
受け取らざるを得ないのだ。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっと
子どもの、そのまた子どもの、そのまたまた子どもの、そのまたまたまた子どもの、
何百年もさきの子どもまで、
自分が選ばなかったモノを、自分が決めたのではないコトを、
遺産として受け継いでいかなければならないのだ。
いらない、と言うこともできずに。
どこかに捨てることもできずに。
蹴飛ばすこともできないで。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……。
何万回もの「ずっと」の先まで、持ち続けなくてはならないのだ。
核のゴミを。
何かに迷ったときは、うしろから考えるのだ。
うしろの正面だーれ?
うしろのうしろのうしろのうしろの、最後のうしろ……。
核のゴミの処理法をわからないまま、作ってしまった原発。
なんと勝手な、なんと無責任な、なんとアンフェアな大人たちだろう。
原発を選ぶということはね、戦争を選ぶっていうことなんだよ。
原発を推進するために設けられた、子どもの原発ポスター展の真逆の思想と姿勢から生まれた、脱原発ポスター展。
なかなかの力作揃いだ。ちょっと覗いてみないか!
http://nonukeart.org/