2011年6月14日火曜日

6月14日

 今日は北九州へ。
一昨日大分だったのだから、もう少し余裕があるなら、
日曜に一泊して、月曜は九州の温泉で少し休み、火曜日は講演というスケジュールも組めるのだが、
バタバタと日帰り、そしてまた先方へ、が続いている。
本当はもう少し余裕のある日々を送るはずだった2011年上半期だが、そういうわけにはいかない。
移動の最中も、原発関連の本ばかり読んでいる。
読んでいなかった本がたくさんあった、と痛感。
不幸な日々の中で、しっかりとした知識を身につけることのかけがえのなさを体感している。
『まだ、まにあうのなら』の著者、甘蔗珠恵子さんから、いたいだたファックスの中に、チェルノブイリ原発の事故の後、わたしがどこかに書いたか、あるいはラジオで語った言葉が記されていた。
本人もすっかり忘れていたのだが、甘蔗さんは、、講演などで使ってくださっていたという。

………知らされなかった
知らそうとしなかった
知ろうとしなかった
そのつけを ひとりひとりのわたしが
自分で背負うことからしか
再びの一歩を踏み出すことはできない………

25年前と、24年間。
原発を推進する側はまったく変わらぬ姿勢を維持し、
わたしも含め、おおかたのわたしたちも同じような日々を送っていたのだと再確認させられている。痛い。
二度と繰り返さないと自分と約束しながら、手書きの甘遮さんのファックスをバッグの中に入れて旅を続ける。