2013年2月24日日曜日

2月24日

「朝の教室」も30回を越えて、
23日の講師はご案内したように評論家の佐高信さん。
笑いをまじえながら、「いいひと」であることの危険性、
裏を読まない、読めないことのおそろしさを厳しく指摘された。
わたしたちが向き合うものの強大さについても。
ひと足早く、新刊の『いま日本はタカ派ばかり……佐高信の政経
外科XV』(毎日新聞社)も届いて、受講生は満足。

そうなのですよね、「いいひと」は「いいひと」であるがゆえに
疲れきり、闘っているつもりの相手に翻弄されて、追い詰められ、
やがては……。
つぶされないためにも、メディア・リテラシーと同時に、人間そのもの、
社会構造そのものの、リテラシーが必要だ、と再確認。

原発は原発単体の恐ろしさと同時に、この国そのものが
頭のてっぺんからつま先まで「原発的体質」で出来上がっていることを
確認すべきだろう。
どの国でもそうに違いない。

映画『シルクウッド』ではメリル・ストリープが演じた実話、
カレン・シルクウッドはなぜ告発寸前、事故に遭っていのちを落としたのか。
信じるひとを信頼するのと並行して、わたしたちは構造そのものと
向かい合い、解きあかす目を自分の中にさらに育てていきたい。

日曜日の今日は、埼玉へ。
新連載の原稿を入れる季節なので、ちょっと緊張気味の2月末。
時間がもっとほしいと一瞬思うことがあるが、そんなことはない。
暮らしの時間も分断・寸断された福島のひとたちを考えれば。

2013年2月20日水曜日

2月20日

今日は一日中、東京での仕事。
朝一番に入れる約束の原稿(反原発について)を書いて、
外に飛び出した。
いろいろなひとに会って、いろいろなことをインタビューしたり、されたり、
春からの仕事の打ち合わせをしたりの一日。

早めに帰宅して、新連載(400字×23枚)の原稿を。
まだ書きかけなので、まずは最後まで書き上げ、それから手直しをしなくちゃ、と
言うわりには、かなり気分的に余裕があるのは、書きたいテーマが決まっているからかもしれない。
若い頃は1日に80枚ぐらい書いていた時期があったが、いまはとても。

今夜は、蕗の薹をはじめ、野菜のてんぷら。
菜の花のおひたしと、蓮根ボール、それから
湯豆腐にしようか冷奴にしようかまだ迷っているのだけれど
そのどちからか、とシジミの味噌汁の予定。味噌は玄米味噌。
ご飯もむろん玄米。お茶も玄米茶と、玄米尽くし風。
昨日は一日中、外食と駅弁だったので、自分で作ったものを
食べたくて仕方がない。

ところで……。
朝の教室」の春の講師が決定!
2月23日 佐高 信さん(評論家)
3月10日 宇都宮健児さん(弁護士)
4月20日 藤村靖之さん(非電化工房)
5月11日 澤地久枝さん(作家)
素敵な講師陣であると、ちょっと自負しています!
お話をうかがうことができるのが、楽しみ。
2月・3月はすでにご予約でいっぱいですが、
キャンセルがでる場合もありますので、
ご希望のかたは、ご連絡を。

さあ、仕事をしよう。

2013年2月19日火曜日

2月19日

早朝に京都に。
お寺の妻たちの大会。

クレヨンハウスは被災地の子どもたちに
絵本を送る「HUG&READ」でも、各地の
お寺の、主に女性たちに温かな協力をいただいた。

ところで、このところ地震がまた頻繁であるようだ。
今度大きな地震がこの国をおそったら、
福島は、そして他の原発はどうなるのだろう。

2月19日付の「日刊ゲンダイ」(日付が1日早い)では、
フランスの「ルモンド」紙が伝えた、チェルノブイリ原発の
「いま」が報道されているという。
「ルモンド」は読めていないので、詳しいことはわからないが、
27年前の事故後、核燃料は石棺に閉じ込められた。
同じような石棺が福島第一原発にも可能かどうかという
論議もあった。
が、チェルノブイリの、老朽化した壁のあちこちに
このところ亀裂が見つかり、あらためて耐用年数100年の
シェルターの建設が始まっていたという。
今回は建物の屋根が倒壊、陥没し、作業中だった80人は
避難したというが、内部には、「200トン近い使用済み核燃料が
残っている」と報道は伝えている。
廃炉までに100年はかかると言われているが、
チェルノブイリの場合は、1基の事故である。
とすると、福島第一は?

風の強い火曜日。
京都を発つ頃には、散っていた風花もやんでいた。
風に散る純白の山茶花の花びらと、風花がいっしょになって……。
京はまだまだ冬の中、だった。

2013年2月18日月曜日

2月18日


明日もまた雪かもしれない、と今夜の天気予報が。
先週土曜日は徳島、日曜日は都内と講演が続いている。
明日もまた東京を離れる。
しかし、どんなに寒くとも、先月末に福島南相馬や飯舘で見た光景。
人影は全くなく、信号だけが点滅する雪景色を見てしまったからには、
「寒い」などとは到底言えない気分だ。

13日に発表された福島の子どもたちの甲状腺がんの実態。
3人になったというが、子どもの甲状腺ガンは通常なら、
100万人に1名なのに、2次検査した151人の子どもの中から、
10名の小児甲状腺ガン(確定と、ほぼ確定の計)が見つかったという
ニュースがまた。嚢胞や結節等の異変が見つかったのは、
6~10歳女の子の55.6%、11~15歳の女の子の58.2%に。
甲状腺がんに限らず、今回の結果は、今後発生するかもしれない
子どもの様々な疾病への予兆でないことを、わたしたちは祈るしかないのか!
「円安」、「株高」にうかれていていいのか、わたしたちは!

以下の、拡散希望の緊急声明が回ってきた。
是非、ご一読を。

◎ 福島の子どもたちの甲状腺がんについての緊急見解
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/130216Matuzaki-report.pdf

2013年2月15日金曜日

2月15日


岩波ホールの総支配人である高野悦子さんが亡くなったニュースが、
今朝の新聞に。
大部具合がお悪いことは、岩波律子さんからもうかがっていたが…。
9日に亡くなったことも高野さんと親しい友人から聞いていた。
「国際女性映画週間」のジェネラルプロヂューサーとしての活躍。
国際フィルムセンターの初代名誉館長。映画に関する著作も少なからずある。
日本にもっともっと女性の視点を大事にした女性監督の出現を、と
お目にかかるたびに力説されていた。
ここ数年は体調を崩して、女性映画祭への参加もままならなかったが。
ここ数年、わたしたち妹の世代に多くの示唆や刺激を贈ってくださった

姉の世代を、何人も見送っている。そうして、彼女たちからの
たくさんの宿題がいま、ここに。
わたしたちもいつか……たぶんそんなに遠くない明日……見送られる日が来るのだ。その前に取り組んでおきたいことが、たくさんではない、
ほんの少し、わたしにはある。

母を見送った後、喪失の深い悲しみの中で、しかし死もまたひとつの「解放」と感じたわたしがいた。それは、母の死が「自然死」であったからであり、たっぷりの介護の時間があったからであるだろう。
被災地、特に福島第一原発事故での関連死などは決して、そういったものではない。どんな風に、ひとは愛するひとの「人災死」を納得すればいいのか。

わたしはいま68歳。あとどれくらい現在と同じ速度と濃度をもって走ることができるかは、わからない。が、とにかく走り続けたいと思う。
原発と原発的構造を持つ、この国とこの社会に、どんなにささやかでも
どんなに小さくとも、けれど確かな風穴を開けるために。
雨の金曜日夜に、自分との約束を考える。

2013年2月14日木曜日

2月14日

バレンタイン・デイの朝。
新聞各紙に、「甲状腺がん 新たに2人」
(東京新聞より)というニュースが報道された。
昨年の9月に甲状腺がんと確定された
震災当時15歳以下のおひとりに、新たに
2人が甲状腺がんと確定された。
計3人、である。
甲状腺検査は震災のときに18歳以下が対象と
されているが、18歳と2か月だったら、対象外と
なってしまうのか。
この線引きが、わたしにはわからない。
現在ほかにも7人が、がんの疑いがあるとして、
福島県立医大が検査を続けていると
ニュースは伝えている。
同大の教授は、福島第一原発による
放射線の影響を否定している。
理由は、甲状腺がんは「最短で4,5年で発見というのが
チェルノブイリの知見」だからということだが、
どの立ち位置で、たとえばチェルノブイリを観るかに
よっても、「知見」の内容は変わるのではないだろうか。
3人とも手術を受け、経過は良好であるらしいことには
安堵するが……。

今日は古巣の文化放送で番組を収録。
そのあとは、児童文学賞の選考に。
 
風邪はだいぶ回復。
皆様もご自愛を。

2013年2月11日月曜日

2月11日


快晴の月曜日。
クレヨンハウスでは、新しく見つけたハンギングバスケット
に植えつけた、ビオラやノースポール、アリッサムなどが
陽射しを浴びて、輝いて、うっとりの時空を贈ってくれる。
こういう日は、雑木林などを散歩するのにもってこいなのに、
と思いつつ、都内での講演。
その後、澤地久枝さんたちと打ち合わせを。

今朝の東京新聞「こちら特報部」には、宮城と岩手県の
震災「がれき」を被災地以外で処理する広域処理の
大半が、来月末で打ち切られるという記事が。
処理する「がれき」の必要量が、当初の推計の
およそ6分の1に激減したためだという。
受け入れ先の各地では、放射能汚染の不安はもとより
税金の無駄遣いではないかとい声も多々あがって
いたのに、環境省は固執してきた。
が、理由はさまざまでも広域処理に反対する
ひとびとが言っていた結果に落ち着いた。
環境省は住民の反対の声まで押し切って、なぜ
広域処理の必要性にあれほどまでに固執したのだろうか。
広域処理に協力し、住民と対立姿勢を示した自治体だって
「はしごを外れた格好だ」と記事は伝える。
大阪では、阪南大学の下地真樹さんをはじめとして、
広域処理に反対した人々が威力業務妨害罪で
起訴された。
結局、「原子力ムラの住人」たちは、原発事故の責任を
とろうともせず、焼却による放射能汚染(セシウム)の不安に
もきつく蓋をし、原発関連業者とゼネコン(多くの場合、イコールで
結ばれるが)儲かるシステムをいまもって維持し続けているのだろう。

2013年2月9日土曜日

2月9日

ちょっとばかり体調がすぐれず、ブログをお休みしていた。
ごめんなさい。
この間にも、いろいろなことが次々に起きて、ここに書ききれないほどなのだが……。
連休初日の土曜日。東京は晴れ。
クレヨンハウスの春の花たちは、光を浴びて笑っている。

ところで、東京新聞「こちら特報部」の記事にもあったし、今朝も福島で反原発の活動をされている
女性Sさんとも電話で話したことなのだが……。
福島県鮫川村での焼却施設のことと、隣接する塙町の「木質バイオマス発電」の
施設建設について知っているかたはどれだけいるだろう。
「木質バイオマス発電」施設については、「福島民報」に詳しく報道されているらしいが、わたしは未だ読めていないが。
「こちら特報部」の記事によると、鮫川村のこの焼却施設について環境省が鮫川村に事業の概要を説明したのは2012年春、とある。
2012年の春、といえば、福島第一原発の過酷事故からほぼ1年たった頃のことだ。
記事によると、その後2012年6月に村議会は施設建設を了承。
環境省が建設の同意をとったのは僅か、周辺1キロの住民、30世帯だけ、とある。
この拙速なやりかたを、わたしたちは以前にもいやというほど体験してこなかったろうか。
覚えはないだろうか。
鮫川の焼却施設も、隣接する塙町のバイオマス発電の施設建設にしても、あやしいと感じるているひとは少なくないはずだ。Sさんもそのことを強調しておられた。
地域の住民はもとより、近隣の市町村にも、そして全国で暮らす市民にも知らせず、そこに
「集められ」、「焼却」されるのは、何なのか。
除染の結果に大量に出て、「集められ・焼却」される場がない、汚染物の行き場のひとつとして、
鮫川村も塙町のそれも考えられているのではないか。

今日は大阪。
明日もまた講演が続く。