2011年11月30日水曜日

11月30日

快晴とは言えないまでも、晴れて暖かな水曜日だった。
午前中は洗濯機を回しながら原稿を書く。

これを書く、と決まれば、そして書き出せば早いのだが、
東京を離れる日が続いてちょっと疲れているせいか、
とりかかるまで時間がかかる。
午後は打ち合わせや会議のために、クレヨンハウスに。
なんだか久しぶり。薄い光が差すテラスで、あたたかなココアを飲む。

白い山茶花が、雪のひとひら(ポール・ギャリコの同名の作品があったが)のように、煉瓦の道に花びらを散らしている。
ポール・ギャリコの世界とも、ずいぶんご無沙汰している。
凛として、深くあたたかな物語に出会いたい、としみじみと思う。
こんな不安で不穏で不安定な時代こそ、物語や音楽、哲学が、こころにはほしい。
「不可欠」とか言った表現であらわされるそれではなく、
猛烈な渇きとしてのそれではあるが。

脅しとしか呼びようのない、電話が続く。
脱原発の活動がそんなに目障りなのか。
それだけのパワーを「1000万人アクション」が持ちつつあるのなら、意味があるのだが。

明日から12月。
東日本の冬が、そこに暮らす人々ひとりひとりの喪失の悲しみの中に
ほのかな明日に繋ぐ希望が見えることを祈るしかないのか。

ゲラ校正で何度も読み返して、どのテーマがどこにあるのかもほぼ暗記してしまった
山田真さんの『小児科医が診た放射能と子どもたち』を読み返す。
「朝の教室」では、いつもと変わらぬ静かな語り口ではあったが、
ひとつひとつの言葉や行間にこめられた、山田真さんの慟哭がこころに突き刺さる。
非力すぎる自分がこのうえなく悔しい。

2011年11月29日火曜日

11月29日

今日は宇都宮で、介護をテーマとした講演だった。
母の介護から見えてきた、この国の政治や福祉への
じれったい思いはもとより、介護保険について、
そして介護職に就かれているかたがたの、
給与問題などについて話をした。

が、原発のことも触れないわけにはいかない。
福島で現在、どれだけの介護を必要としているひとがおられ、
それぞれの要介護度がどのレベルなのか、
正確な資料を探しているのだが、なかなか見つからない。
在宅で介護をしている家族とされているひとがどれほどで、
施設などに入っておられるひとがどれくらいで……と調べても
正確な数字にたどりつけないでいる。
わたしの調べかたが足りないか、
間違っているのかもしれないが。

宇都宮は、わたしの郷里である。
シングルでわたしを産んだ母の郷里でもある。
その地で、介護について話をするのは
五年前の夏に見送った母への、
まだ思い出にはならない思いを、手繰り寄せるような行為でもある。
「脱原発は、子どもや、これから生まれてくる子どもたちはもちろんのこと、介護を必要としているお年寄りが、心安らかに今まで暮らしてきたところで老いていくためにも必要なもんなんですね」
母親を見送ったばかりだとおっしゃる女性から、
そんな風に声をかけられた。

今日の郷里は、曇り空だったけれど、気温は高め。
母を思い、ふっと泣きたくなる夕暮れだった。

2011年11月28日月曜日

11月28日

年賀状をどうするか、という朝日新聞の取材を受けた。
「おめでとう」という新春の言葉が、
2012年にはどうにもそぐわないのではないか……。
そんな躊躇や迷いの声が多々読者から寄せられているという。

わたし自身も迷っている。
年賀状にかかる経費を被災地に使えないか、とか、いろいろと。
すでに「喪中につき……」」というハガキもうけとっている。
そのなかに、大震災の1週間前に、東北で暮らす母親を見送った
という友人のハガキもあった。
……震災後の旅立ちであれば……離れて暮らす子ども(といっても60代だが)は会えなかった。
……老母の最後の、せめてもの心配りだったかしれません。
「さようなら原発1000万アクション」に果敢に取り組む友人の、せつない言葉が心に響く。

そうして愛するひとを失った被災地のかたがたや、
郷里を放射能で汚されたひとたちは、どんな新年を迎えるのだろう。

今日手元に届いたJCJ(日本ジャーナリスト会議)発行の
『ジャーナリスト』第644号を読んでいたら、
福島第一原発にきわめて近く、
すべての町民が避難させられた大熊町で農業を営んでおられた歌人
佐藤 祐禎さんというかたの短歌が紹介されていた。


補償金などもういらぬ今までの空気と水と空を還せ

ゴモラでもソドムでもなき大熊に殺戮の光線そそぎて止まず

ああ今日がわが家今生の見納めか先祖の位牌抱きて帰る

廃棄物地元処理だと?ふざけるなどこまで犠牲にすればいいのか

2011年11月27日日曜日

11月27日

今日日曜日も朝から長野だった。
椋鳩十記念館主催の講演会だった。
先週も伊那に行っているが、今日は下伊那。
伊那づいている、この秋だ。

椋鳩十さんと言えば、わたしも若い頃は特にその作品を熱心に読んだものだ。
『アルプスの猛犬』『金色の足あと』『クマほえる』『片耳の大しか』等々。
自然に生きる、あるいは自然を生きる、動物たちの毅然とした姿勢と、
人間との関係性を描いたものに心打たれたものだ。
10代の頃だったか、きっかけは何だったか覚えていないが、
お名前を「椋鳩十さんだっけ? あれっ! 鳩椋十さんだっけ?」.
夜中になって急に気になりだし、こころ七転八倒状態だったことを、
いまになって思い出す。
わたしは決して明るい女の子ではなかったが、いまでは懐かしい記憶だ。
植物図鑑と動物図鑑が愛読書であった頃のことだ。
生誕100年椋鳩十ベストセレクション(理論社刊)など、むろん無かった。
 
椋鳩十さんがご健在であるなら、いまの日本をどのように感じ、考えられただろう。
25日のブログでご紹介した石川逸子さんの福島の牛の詩も合わせて考える。

ちょっとだけ疲れがたまってきている。
どこかで、丸一日だけ空白の時間をつくる時期が来ているのかもしれない。

2011年11月26日土曜日

11月26日

今朝は、詩人で翻訳家のアーサー・ビナードさんの「朝の教室」。
タイトルは、「(平和利用)なーんちゃって!」。
古今亭志ん生の落語から引き出した原発がある社会への比喩など
欧米人ではじめて中原中也賞を受賞したこの詩人の、
言葉の巧みさと深さに、気持ちよく笑い、解放感の中で、
さらに考えさせられた一時間半だった。
 
12月の「朝の教室」は17日に、チェルノブイリ原発事故のあと、
現地の要請を受けて、ウクライナに入り、ナタネを使った土壌浄化を行ってきた、
分子生物学者、環境科学の専門家、河田昌東(かわたまさはる)さん。
わたしたち有機にかかわるものにとっては、河田さんは理論的リーダーであり、
すぐれた実践者でもあるが、
新刊『チェルノブイリの菜の花畑から 放射能汚染下の地域復興』(創森社)が多くの支持を得ている。
これからの農業は? 消費者自身は、どのように土と食べ物に向かい合えばいいのか。
お話を期待したい。

2011年11月25日金曜日

11月25日

以前にもご紹介したことがあっただろうか。
「戦争と平和を考える詩の会」が発行している
『いのちのかご(かごは漢字)』という小冊子があり、
いつもお送りいただいている。
その10月号を今日は、移動の電車の中で読んだ。
どれもが「言葉」を選びぬいて、時代と社会と『対決』している。
表現というのは、もともとこういった視点と
姿勢が基盤にあってのものではないだろうか。

その中に、敬愛する詩人、石川逸子さんの作品ものっていた。
この冊子の裏表紙には、ここに掲載されている詩作品は、
反戦集会などのいろいろな集まりで、朗読その他に、
自由に使っていい、といううれしい告知がのっているので、
時々朗読させていただいている。

そして、石川逸子さんの詩である。
クレヨンハウスが発行する総合育児雑誌『月刊クーヨン』でも
石川さんの作品を紹介させていただいたことがあったが、
10月号には、『牛のささやき』という題名の詩が。


『牛のささやき』
                 石川逸子
牛舎で
倒れている 牛たち
道ばたで ハタリ 倒れる牛たち

地震では崩れなかった牛舎が
放射能汚染区域となり
突如避難させられた 飼い主たち

倒れていく牛は知らない
ホウシャノウという言葉も
牛舎も 自分の乳も すでに汚染されていることを

…福島原発に頼っていたトウキョウでは
 原発推進をなお主張 津波災害を天罰と言った
 男が トップ当選していた…

息絶えようとする牛は
無人の家近くをさまよう 犬は 猫は
そんなことは知らない

(神国日本は不敗の次は
(日本の原発は安全)神話の
生け贄になった 動物たち・人間たち

 (ハーメルンの男の吹く笛に
  いつまで
  付いていこうとするのだろうね?)

深夜 牛舎を照らす月光のなか
ものいわぬ牛の遺体が
ひそと ささやき交わすのを聴いた

2011年11月24日木曜日

11月24日

東京新聞朝刊の、
「ストロンチウム 都内3か所で検出」
という見出しが飛び込んできた。
霞が関の経産省庁舎前など都内三か所の路上に堆積していた泥から、
微量ではあるけれど、放射性ストロンチウムが検出された
という一面トップ記事である。
十月半ばには、横浜港北区にあるマンション屋上の
泥からも検出されたというニュースがあったが、今回の調査をしたのも、
先の横浜港北区の自宅マンション屋上でストロンチウムを検出した
男性の教師らの住民のグループだという。

この報道にコメントを寄せている古川路明・名古屋大学名誉教授や
松井英介・岐阜環境医学研究所所長は次のように指摘されている。
「(前略)量としては多くはないが、国は住民に安心してもらうためにも、
セシウムの調査だけでなく、ストロンチウムもどこまで広がっているのか、
土壌検査すべきだ」(古川路明氏)
「(前略。ストロンチウム90は)内部被ばくではセシウムよりも危険度が
高いベータ線を出し、微量でもやっかいだ。国はストロンチウムの食品の基準も
具体的な数値で示して、検査も実施すべきだ」(松井英介氏)

国のいう「風評被害」を防ぐためにも、前掲の男性も指摘するように
「国は食品のストロンチウムの規制値も示し、食品検査に結びつけてほしい」
とわたしも考える。

2011年11月23日水曜日

11月23日

今日は一日、長野県伊那への旅だった。
新宿発の、スーパーあずさを茅野で降り、それから車で伊那へ。
わたしの愛読書の一冊、ヘンリー・デヴィッド・ソローの、
岩波書店から刊行されていた一『市民の反抗』の翻訳者・飯田実さんは、
この伊那の出身だと、迎えに来られた主催者のおひとりから教えていただいた。
ウオールデンの湖畔で,自給自足の暮らしをしながら森の生活などを表したソローではあるが,
奴隷制に反対して税金を納めず,その罪で名誉ある服役もしたひとだ。
学生時代に「我らがソロー」というのが口癖だった、
アメリカ文学の先生にソローについていろいろ教えていただいたことを思い出す。
長髪で、この季節,ダークグリーンのコールテンのジャケットを愛用されていた。
税金不払い、という抵抗の姿勢を貫いて投獄された彼。
そういえば,賢い不服従という言葉があった。
盲導犬のトレイニングなどでも使われるらしい。
飼い主からいかに指示されようとも,危険な命令には服従しない状態をそう呼ぶという。
国からいかに命令にはされようとも,不服従を貫かねばならないときが、
一市民にはあるはずだ。

講演前に、会場近くの公園をあるいた。
赤や黄色の落ち葉を踏んであるく感触を、久しぶりに味わった勤労感謝の日。

2011年11月22日火曜日

11月22日

来年の仕事の予定が決まっていく。
それはいつものことなのだけれど、ふっと不安になることがある。
誰もが有限のいのちを生きているわけで、来年の今頃、
わたしは元気でいられるだろうか。なんの保障もないし、
誰も保障できないことだ。

このところ同世代や、時にはわたしよりはるかに若いひと
の入院や手術、加療の報せが相次いでいる。

それに、この社会、この時代である。次はいつどこで大きな地震が起き、
次はいつどこで原発の暴走が起きるやもしれない、という恒常的な不安もある。
そういった不安を単なる考え過ぎ、という言葉で蓋をする向きもあるが、
ひととして、ごく自然な不安である。

福島のひとたちの中には、いま目の前にある不安さえも充分に言葉にできないような、
言葉にすると、過剰反応だと非難されるという、新しい不安を抱えているひともいる。
「過剰反応」という言葉で、くくってしまおうとしているひとたちの中にも、
悩んで苦しんで、悩みぬいた末に、苦しむことそれ自体に疲れ果ててしまい、
その結果、「いまは考えたくない」というひともおられるだろう。

第一原発の現場に向かう、息子や夫をただただ見送るしかない母や妻がいる。
今朝、下痢をした子どもに、胸しめつられる思いを抱いている母がいる。
「なんでもないわ、この子はすぐにおなかこわすんだから、と不安を打ち消そうと
するのですが……。でも、酷い。わたしたちは生きている限り、ずっとずっと
この不安を抱きつづけなければいけないのです」
この切実きわまりない「叫び」に、国は、社会は、わたしたちひとりひとりは
どんな答えを持ちうるのか。
「さようなら原発」署名、改めてよろしくお願いいたします。

生まれてきたら、そこに原発があった……。ぼくたちは一度もそれを選んではいないのに。
それが、子どもたちの「現実」であるのだから。

2011年11月21日月曜日

11月21日

「あきれた報道監視」という見出しで、
東京新聞11月20日(日)の社会面は、
経済産業省資源エネルギー庁の「メディア監視」事業の
実態を報道している。
のけぞるような「監視」の実態ではある。

原発に関する「誤った報道の是正」という名のもとに、
委託業者を通して、反原発報道を集めていた、という。
むろん、こういった情報収集とチェック体制は
ずっと以前からあったものだろうが。
委託業者からの報告書に添えられたコメントには
「いたずらに不安をあおる」とか、感情的とか
偏っている、といった言葉が並び、感情的で偏っているのは
どちらなのかと問いたいような、不穏な言葉が並んでいる。

「情報公開請求で開示された報告書には、感情的な言葉が並び、
反原発の動きに神経をとがらせる本音が見える」と記事は続くが、
東京新聞(中日新聞)の記事など、ほとんどがエネ庁に言わせれば、
「誤った報道」ということになるのだろう。

収集された情報の、批判の対象は記事だけではなく、
たとえば人気漫画の『美味しんぼ』などにも向けられているという。
『ビッグコミックスピリッツ』2009年12月7日号に掲載された回では、
青森六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の問題点を論じる場面があるという。
「美味しんぼ」はわたしも愛読する漫画だが、
主人公の記者が「もし大事故が起こったら最悪の環境破壊です」と
語る場面などについて、
例によって「いたずらに不安をあおる」と非難しているそうだ。
東京新聞の取材に対して、原作者は、
「書いたことは不正確ではない。電力会社に不都合なだけだ。
報告書のコメントこそ不正確だ」と反論。
「国民の税金を使って、電力会社の秘密警察を務めている」
と小気味よく、批判している。

多額の費用(むろんわたしたちの税金)を使っての、このような「検閲」。
現在はチェックの対象が、ネットに移行し、
ブログなどが「監視」されているという。
こういった無駄遣いを「仕分け」すべきだが、
原発推進に傾く現行の政府には期待できないことか。

送られてきた『原発訴訟』(海渡雄一・著 岩波新書)を読み始める。
帯には、「建設・運転の差し止めから事故後の損害賠償まで」とある。
どれもが、わたしたちの日常に関する「原発訴訟」である。

2011年11月20日日曜日

11月20日

南房総からただいま帰宅したところだ。
 
風が強く、久しぶりに対面した海は荒れて、
白い波しぶきが。
講演前に、岩場を歩くと、波の飛沫が飛んできて、
話の最中に唇をなめたら、しょっぱかった。
 
クレヨンハウス「朝の教室」から、また新しいブックレットが
二冊生まれた。ちょうど見本が届いたところだ。
 
一冊は、後藤政志さんの『「原発をつくった」から言えること』。
東芝で原子炉格納容器の設計に携わった後藤政志さんが、
いつ、どのようにして自らがかかわってきた原発の恐ろしさに気づき、
実名で脱原発を主張するようになったのか……。
技術者の視点からの警告にわたしたちは耳を傾けたい。
 
ブックレットのもう一冊は、『小児科医が診た放射能と子どもたち』
福島にたびたび通っておられる小児科医・山田 真さんが
実際に福島で暮らすひとたちの健康相談をして
見えてきたものを中心にまとめてくださっている。
原発暴走が、同じ苦悩と不安を抱えた地域を、
住民を分断する現実を、山田さんはまっすぐに告発しておられる。
 
次の「朝の教室」の講師は、作家アーサー・ビナードさん。
 
さらにお知らせをひとつ。
「さようなら原発1000万人アクション」は、
12月10日に「がんばろう!さようなら原発1000万署名」の集会を行う。
場所:日比谷野外音楽堂  
開場 13:10 
オープニングコンサート パンタ(元頭脳警察)
13:30 開始 
詳しいことが決まり次第、またお知らせを。

2011年11月19日土曜日

11月19日

風雨の強い一日。群馬での講演だった。
この風雨の、足元が悪い中、10代から80代まで、
主に女性だがさまざまな年代のかたが集まってくださった。

相変わらず、走り回る晩秋。
去年の今頃、わたしは何をしていたのだろうと思うのだが、
もちろん明確な記憶は甦ってこない。
たぶん、来年の今頃に今年を振り返ると、憤りと不安と追いつめられた気持ちで、
とにかく、できることからと、あたふたと走り回っていたことだけは、
はっきりと思い出すことができるはずだ。

IFOAMの世界理事だったかたから、次のようなメールが届いたので、転送する。
-----------------------------
皆様今週日曜日に脱原発や有機農業政策などの実現をめざして、
「緑の党をつくろう!」というフォーラムが開催されます。
主催はみどりの未来です。詳細は以下の案内をご覧下さい。
http://site.greens.gr.jp/article/47824048.html

以下は関連の報道です。よろしければご覧下さい。
東京新聞11月15日(火)「こちら特報部」
『緑の党根付くか みどりの未来代表に聞く』
http://site.greens.gr.jp/article/50476542.html

朝日新聞11月16日(水)社会面
『「緑の党」「茶会」日本でも(震災・政治不信を契機に)』
http://digital.asahi.com/articles/TKY201111150648.html
http://organic.no-blog.jp/
http://twitter.com/#!/MasayaKoriyama

3.11後の暮らしと子どもたちの未来を考えるフォーラム
「みんなでつくろう!緑の党」
 詳しくは↓↓↓
 http://greens.gr.jp/pdf/20111120.pdf

日時:11月20日(日) (開場12:30)午後1:00?4:30
会場:YMCAアジア青少年センター(地下ホール)
    JR水道橋駅東口徒歩5分 TEL:03-3233-0611
    地図→ http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/map1.htm
参加費:1000円 (みどりの未来会員・サポーター700円)
      中学生以下無料、経済的に厳しい方の割引あり)
*事前申込不要
*報道自由(ネット中継・撮影・録音可)
主催:みどりの未来 http://greens.gr.jp

・・・ プ ロ グ ラ ム・・・

1.基調提言 「2013年 緑の党が政治を変える」
 〈みどりの未来共同代表〉すぐろ奈緒 杉並区議会議員

2.パネルディスカッション 基調提言を受けて

<1>経済成長神話にサヨナラ 脱成長こそ環境と雇用・生活を守る
 飯田哲也 環境エネルギー政策研究所所長
        『北欧のエネルギーデモクラシー』
 満田夏花 国際環境NGO FoE Japan
      原発・エネルギー担当
 松本 哉 リサイクルショップ「素人の乱」店主
      『貧乏人の逆襲!?タダで生きる方法』
 星野 泉 明治大学教授授(財政学、地方財政論)
      『スウェーデン高い税金と豊かな暮らし』
 〈みどりの未来共同代表〉中山 均 新潟市議会議員

<2>サヨナラおまかせ民主主義 大事なことはみんなで決めよう
 平田仁子 環境NGO気候ネットワーク東京事務所長
        『地球温暖化防止の市民戦略』(共著)
 白井和宏 緑の政治フォーラム・かながわ
        『緑の政治ガイドブック(仮)』(訳書、近刊予定)
 畑山敏夫 佐賀大学教授授(政治学)
        『フランス緑の党とニューポリティクス』
 〈みどりの未来運営委員〉渡辺さとこ 前香川県議会議員

★ゲストスピーチ
 ジルビア・コッティング=ウール
 ドイツ連邦議会議員、緑の党 原子力・環境政策スポークスパーソン
 稲村和美 尼崎市長、前みどりの未来共同代表

また、午後5:30?7:15には若者企画☆トークイベントもあります。
『若者目線で考える3.11後の新しい政治のカタチ』
 参加費 500円 終了後、懇親会を予定しています。以上
------------------------------------------
以上。

それぞれのわたしたちが、それぞれの、やわらかな形でもって
この「原発社会」を拓いていこうとしている。
北海道泊や九州玄海の「再開」を考えると、一刻の猶予もならないと思う。

前掲のイベントに、わたしは残念ながら東京を離れていて、参加できないが、
関心がおありになるかたは、ぜひ!
成果のみをカウントせず、やれることはすべてやり尽くしたいと心から思う。

2011年11月18日金曜日

11月18日

いま読みたくて、取り寄せた本がある。
★『3・11後の「安全」報道を読み解く』
影浦 峡著/現代企画室刊/1000円+税
副題が「社会情報リテラシー実践講座」。

土曜日にはわが書店に入るそうだが、土、日は東京を離れているので
手にして読めるのは来週だろう。
報道を読み解く力、メディアリテラシーも、いまわたしたちにとって大事なテーマだ。

読みたい本が山ほどあり、考えたいことが山ほどあり、
それでも、なかなか時間的余裕がない。
どこかで、一日中、本漬けの日を作りたいと切望する。

2011年11月17日木曜日

11月17日

相変わらず、ばたばたと走り回っている。
去年の今頃、わたしは何をしていたのだろうと思うのだが、
もちろん明確な記憶は甦ってこない。
たぶん、来年の今頃に今年を振り返ると、
憤りと不安と追いつめられた気持ちで、
とにかく、できることからと、あたふたと走り回っていたことだけは、はっきりと思い出すことができるはずだ。
 
昨日のペンクラブのシンポジウムでも会場の参加者から、
「原発のとらえかたについて温度差があり過ぎる」
という声があがっていた。
地域差もあるし、むろん個人差もある。
春から夏へ、そして秋から初冬へと、季節はめぐり、
日常の中にある「原発」が、また見えなくされているような。
 
なにをして「収束」と呼ぶのか別として、
収束など遠い日々の中で、
絶え間ないストレスと苦悩を抱えたひとたちが2011年の11月の今、
ここにいることを忘れてはならない、と自分と絶えず確認し続けなくてはと、確認する。
 
今夜も冷え込みそうだ。

2011年11月16日水曜日

11月16日

今日は朝9時〜仕事で、帰宅したのが23時。
遅い夕食をとって、
このブログを書くために、パソコンに向かった。

余談ながら本日の夕食は、鍋料理。
鶏でだしを取って、野菜室にある野菜たち、
白菜、小松菜、水菜、茸各種、豆腐などを。
湯気がたつ鍋料理がうまい季節になったのだ、もう。
以前にも書いたが、3月11日以来、時間や日にち、季節の感覚が
なくなってしまったような、浮遊感の中にいる。

去年の今頃、自分たちが暮らすところが、被災地と呼ばれることなど予想もせずに
熱々の鍋を囲んでいたひとたちが、東日本には大勢おられただろう。
むろん福島にも。

午後は、もと経産省の官僚で、『日本中枢の崩壊』などの著者、古賀茂明さんと対談。
彼も脱原発、である。

そのあとは、日本ペンクラブの脱原発シンポジウム。
「朝の教室」でも講師をお願いしたフォトジャーナリストの広河隆一さんたちとご一緒に。

2011年11月15日火曜日

11月15日

移動の新幹線の中で、池内 了(いけうち さとる)さんの
『娘と話す 原発ってなに?』(現代企画室)を読む。
10月に送っていただいた新刊だが、もっとゆったりとした
時空の中でと思って、机の上に大事に置いておいた。
けれどやはり読みたくて、今日は旅行鞄に忍ばせた。

池内さんが原発反対とおっしゃっていることは、
さまざまなメディアでの発言を通して、わたしたちは知っている。
同世代のこの著者の『娘と話す……』シリーズは、
どれもが魅力的だが、特に本書は心に響く。
晶文社から刊行されている池内さんの『ヤバンな科学』も愛読書だ。
……原発事故が起こって初めて、私たちは異様な国に住んでいたことを
しみじみと認識させられた。五十四基もの原発を海岸線に建設して
安逸さを貪ってきたことだ。原発が危険な放射能を大量に内蔵している
ことを知りつつ、安全神話を信じ込み、エネルギー浪費の体質に染まっていた。(中略)
そこに潜む差別の構造を見て見ぬふりをしてきた……(後書きより)。
だからこそ、「既存の路線を踏襲しようという勢力」と対峙し、
わたしたちは「今回の事故を奇貨にして世界に先駆けて文明の転換を図る国にしなければならない」
と池内さんは記す。

まったく同感だ。
これを「奇貨として、文明の転換を図る」ことができなかったら、
わたしたちはあまりに愚かであり、悲しすぎる。

2011年11月14日月曜日

11月14日

夕暮れが、さらにはやくなった。
猛暑の夏にはまだ真昼の延長にも思えた時間帯がいまは、
17時を過ぎると、夜の色が濃い。

17時ちょうどにクレヨンハウスがある周辺には、
電子音で、童謡の『七つの子』が流れる。
♪……カラスなぜなくの?♪で始まる、おなじみのあの童謡だ。
と、書いて今の子どもたちはどれくらい
この歌を知っているのだろうかと思う。
この童謡を知らない子も少なくはないだろう。
電子音は無機的で深みがないが、気がつけば、
流れるメロデイに合わせて口ずさんでいるわたしがいたりする。

被災地にも、こういった童謡が流れるときがあるだろう。
そんなとき、流れる童謡を被災地のかたがたは、どのように聞いておられるのだろう。
特にお年寄りは。
明かりがついたガラス戸にはりついた、真紅のハゼの葉を見ながら考える。

そういえば、亡くなった俳優の森繁久弥さんが、
この童謡を子どもたちの前でうたう機会があったときのエピソードを読んだことがある。
目の不自由な子だったそうだ。
♪まーるい目をした♪というフレーズのところで、一瞬詰まった彼は次の瞬間、
目ではなく、顔に言葉を変えてうたったという話だった記憶がある。
なんで読んだのか、どなたが書いたのかも思い出せないし、
思い出したフレーズが正確なのかどうかも自信がないが。

童謡というのは、その歌になじんだ時代の自分へ、ときにやさしく、
ときには強引にひとを呼び戻すものなのかもしれない。

福島で暮らす幼い子どもたちは、
いま、誰の膝や背中で、どんな歌を聴いているのだろう。
福島第一原発が報道陣に公開され、
写真や、現場で陣頭指揮をとるひとへのインタビューも各紙に掲載された。
無残な姿を曝す原子炉の写真に接し、わたしたちはやはり選んではならないものを、
積極的ではないにせよ選んでしまったのだ、と痛感する。

2011年11月13日日曜日

11月13日

今日は山形に。
山形といえば、敬愛する作家、藤沢周平さんの郷里であり、
経済評論家であり、「週刊金曜日」編集委員の佐高信さんの郷里でもある。
そして、写真家・土門拳さんも山形酒田の生まれだった。
講演のテーマはフリーでいいということだったので、
むろん原発の話をしっかりしてきた。

羽田空港では、朝日新聞の星浩さんにお声をかけられる。
記事はよく拝読するし、テレビでもよく観ているので、
はじめまして、といった感じではなかったが。

二日続けての小旅行は、やはりこたえる。
こういうときだ、普段は忘れている体力の衰えを痛感するのは。

原稿はひと眠りしてからにしよう。

2011年11月12日土曜日

11月12日

3月11日から、8か月と1日が過ぎようとしている。
今日は、岩手で講演。
秋にあった脱原発集会で岩手を訪れたときは
かすかに黄色を帯びていた並木の銀杏が
与謝野晶子風にいうと、今日は金色に。
今日訪れたところは、
内陸部で東日本大震災の被害は少なかったと
土地のかたが言っておられたが、
「親類や友人が被害の大きかった海っ側で暮らしている」
というかたもおられた。
同時に
「自分にはいったい何ができるかを考え続けて、
時々自己嫌悪に陥ることがある。
でも、忘れない、ずっと記憶に刻んでおくことを、
8か月たったいま、自分や子どもたちと約束している」
というかたも。

金色の銀杏と真紅の満天星つつじと、
「明日あたり山は雪かな」。
そんな言葉が心に響く初冬の岩手の一日だった。

2011年11月11日金曜日

11月11日

TPP参加に向けて、政府は大きく舵を切った。
野田首相が「TPPについて、関係国と協議に入ることにした」と今夜表明したのだから。
この国で暮らすわたしたちひとりひとりには
充分な説明も情報も開示されないまま、ひたすらGO。

このやり方、何かに似ていないか。
そう、原発もこうして、その危険性に気づいたひとびと、
少数派の反対の声を踏みにじり蹴散らし、
多数派の「よくわからない」の声に蓋をして、
それで大いなる利益を得る亡者たちの「賛成」の大合唱をBGMに、
既成事実として推進されてきたのではないか。

また同じことの繰り返しなのか! 
わたしたちもまた彼らが繰り返すのを許容してしまうのか。
こういった進め方が、わたしには「いつか来た道」に思えてならない。
さらに、このところ大きな地震が相次ぎ、
犠牲者もでているトルコに原発を輸出しようとは! 
とうていまともな神経とは思えない。
ひどいはなしだ。

今日は寒い一日だった。被災地はすでに冬だ。

2011年11月10日木曜日

11月10日

よく仕事をした木曜日だった。大学で授業をふたコマ。
それから全国中学生人権作文コンテストの選考会。
そして、カナダの児童文学者デボラ・エリスさんとの対談。
そして、その後別の場所へ移動して打ち合わせ。
ひとは十数時間働きつづけると、規模の大小に関係なく、
なんらかのミスをすると言われているが。
ミスしなかったか? わたしよ。

デボラ・エリスさんはの作品はさ・え・ら書房などから何冊も翻訳されている。
戦火のもとの子供たちや、貧困の中の子ども、
学校というシステムの中で立ちすくんだり、
果敢にその壁を破ろうとする子どもや女性を描く作家だ。

わたしは特に、2001年に日本では翻訳刊行された『Xをさがして』の主人公、
「カイバー」(自分でつけた名前が)が大好きだ。
……母さんは昔、ストリッパーだった……から始まる、
この過激にして初々しい少女の、成長物語。
それはそのまま、母さんと双子の自閉症の弟と「わたし」という
家族の成長物語でもあるのだが。

「カイバーは、わたしに似ている部分もあるし、
わたしがそうありたかった少女像でもあるわ」
デボラさんはそうおっしゃった。
はじめての来日。
講演などの合間に、福島を旅して、
いろいろなひとやいろいろな風景に出会ってきた。
17歳の時から、非暴力、平和運動、フェミニズムなどの
活動をはじめた彼女は、いまもパートタイムで、
かつて勤務していたトロントの施設で、カウンセラーの仕事も続けている。
並行してアフガンの難民を支援するNPOの中心人物でもある。

「わたしは子どもがいないわ。でも、わたしは
かつて子どもだったし、わたしの中にはかつて子どもだったわたしがいまもいる。
だから、子どものことを書くのは自然なことだと思う」。
と、彼女。
原発をなくすために、「わたしたち」にできること。
そのテーマでも熱くなって話をした。
詳しくは2月号の『クーヨン』で。

2011年11月9日水曜日

11月9日

纐纈あやさんが初監督した『祝の島』をDVDで観たという話は数日前に書いた。
是非おすすめしたい作品だが、
そのブログを読んでくださった作家渡辺一枝さんから、『女たちの3・11l それでも、私は命を繋いでいく。』(脱原発ナガノ・2011フォーラム 編・オフィスエム発行)が送られてきた。
一枝さんをはじめ、前掲の纐纈あやさん、ドキュメンタリー映画『花はどこへいった』の監督・坂田雅子さん(亡くなったお母様が『聞いてください』の著者・坂田静子さん)たちの鼎談をまとめた本だ。

坂田さんはベトナムでの兵役を体験した夫、フォトジャーナリストのグレッグ・デイビスさんが癌で亡くなったのをきかっけに、ベトナム戦争でも盛んに使われた枯葉剤の世代を超えた被害を取材し映画化したのが、『花はどこへいった』だった。
このドキュメントを制作されたときに坂田さんとはクレヨンハウスでお目にかかっている.
渡辺一枝さんは『夏の学校』の講師をお願いしたこともあるし、憲法などをテーマとした会でもお目にかかる機会が多い、以前からのお知り合いだ。
そして、纐纈あやさんは、先日の朝の教室の講師、フォトジャーナリストであり、映画監督の本橋誠一さんのもとで、映画製作にかかわってきたかただ。
『祝の島』を拝見してから、はるか年下だが、仲間という気持ちになっている……といったあんばいで、どこかで、ひとは繋がっているのだ、と再確認した。

『女たちの3・11』には、30年も祝島で原発に反対してこれたのは「おばちゃんたちの力です」というエピソードが紹介されている。
「おばちゃんたちは、『危ないもんは危ない、嫌なものは嫌』と実にはっきりしていて、それはもう理屈じゃないのです」。
この鼎談の司会をされているのは、この本の発行もと「オフィスエム」の代表・寺島純子さん。その寺島さんはこうおっしゃっている。
「女性の生活実感から感じる「ヤバさ」のようなものは、案外正しいのかも知れないと思うんですよね」

NOというべきものにはNO。そして心から賛同するのものにはエールを! 
女たちはいま、「イズム」に寄りかからず、自前の言葉で声をあげはじめている。

2011年11月8日火曜日

11月8日

今日は午後まで外での仕事と打ち合わせ。
午後から夕方までは、
全国の中学生が書いた人権についての作文コンテストの採点を。
数日前にすでに採点をし終えているのだが、
もう一度目を通したくて、締切の今日まで提出をしていなかった。
この人権作文コンテストは、
すでに20年近く続いているわたしにとっては11月の行事で、
毎年思うのは……。

「こういった中学生が大人になったとき、
この社会の人権意識は必ず変わる!」ということだ。
幼いところもあるが、本当に真正面から人権と向かい合っている。
今年は当然ながら大震災や原発事故をいのちと人権からとらえた、
鋭い作品もあった。
選考は山田洋次監督や、各メディアからの委員で行う。
本当は内容もご紹介したいほどだが、
選考会がこれからなので、ご紹介することはできず、残念!

遠い昔、晴海にある中学校に、
教育実習で 通っていた21歳の晩秋を思い出す。
当時の中学生はすでに50代半ばになっている。
この大震災を、そして原発暴走を彼女や彼らは、
どんな風にとらえているだろうか。
共に憤り、社会を変えようと思ってくれたらうれしいのだが。

2011年11月7日月曜日

11月7日

この12月に刊行予定の翻訳絵本『ハグくまさん』と
『生まれかわったヘラジカさん』の最終稿に目を通す。

ちいさなひとたちも手にする絵本なので余計のこと、
ひとつひとつの言葉の選択に悩む。
最後の最後に来て、加筆したり、言葉を選びかえたり……。
手元にある限りは、そんなことを繰り返してしまう自分を知っている。
それがまた楽しいのだ。それでまた「愛しすぎてしまう」のだ。

2冊とも、カナダの絵本作家ニコラス・オールドランドの
「人生を希望に変える絵本」シリーズで、

『ハグくまさん』は、なんでもハグしてしまう平和主義のくまさんが、
生まれてはじめて愛せない、ハグもできないもの(森の木を切り倒そうと
する人間なのだが)に出会ったとき、どうするかを描いたもの。

『生まれかわったヘラジカさん』は、無気力なヘラジカさんが
「自分はこのままでいいの?」と気づいた時、
何がどう変わっていくかを描いた絵本。

生まれてはじめて本というものに出会うちいさなひとから、
年齢制限なし、大人にとっても大事なメッセージが含んだ絵本たちだ。

ニコラスの絵本、3冊目は、いつの間にか「忙しいこと」が
人生の目的そのものになってしまったビーバーが主人公。
なんだか身につまされる。

加筆修正のあいまに、FM東京の3・11から8か月。
わたしたちはどう変わったかの取材。
ただいま19時。
これからもうひとつの仕事に向けて、クレヨンハウスからご出勤。

2011年11月6日日曜日

11月6日

今日、日曜日も19時まで、あちこち外での仕事が。
昨夜は、昨日の「朝の教室」の講演者のおひとりだった本橋誠一さんがプロデュース、
纐纈(はなぶさ)あやさんが初監督をされた『祝いの島(ほうりのしま)』を観た。
昨日、本橋さんから「監督からです」と手渡されたDVDである。

1000年前、難破した船を助けたことから農耕がもたされた、
海と山に囲まれた小さな島、山口県上の関町、祝島(いわいじま)。
1982年、島の対岸4キロメートルに原発の建設計画が持ち上がったことは、
鎌仲ひとみさんのドキュメント映画でも、またこのたびの町長選挙でも、
多くのわたしたちが知るところになった。
建設の話が持ち上がって以来、28年間、
島のひとたちが続けてきた反対運動を追ったドキュメントだ。
作品の中でも時々耳にすることができる声が監督のものだろうか。

その声と島に長く住み慣れた80代や70代の声とのやりとりが、心に響く。
「米さえあれば、なんとか食べていける」と祖父がひとりでつくった棚田で、
70年間、米をつくりつづけている男性。
原発反対運動の先頭に立っていた夫を25年前になくし、それを引き継いでいる女性。
普段は運搬の仕事もしながら、原発反対派として町議会議員を。
いまでも島のひとたちからは「敏坊」と呼ばれる50代の男性。
島唯一の、60代の女性漁師さん等々。

「贅沢」ではないが、地に足つけてまっとうに等身大で暮らす島のひとびとの姿から、
島の人たちがなぜ原発に反対するのかが、
沖合からあがる朝日のように、すっくと立ち上がる。
暮らしってこういうものなのだ。
暮らしから生まれる思想と姿勢ってこういうものなのだ、と
深くうなずかせてくれる作品だ。

「朝の教室」で「暮らしからチェルノブイリを撮りたかった」と言われた本橋さんの発言とつながるDVD(販売元 株式会社新日本映画社)。ぜひご覧いただきたい。

DVD制作者の静かな、厳しい怒りに共感する。
暮らしを根こそぎ奪っていく原発推進の流れを、どうしても止めなければならない。
いま目の前に、福島原発事故で暮らしを奪われた多くのひとの現実があるのに、
なお原発推進派の動きが止まらない。利権は、生命より重いのか?

2011年11月5日土曜日

11月5日

「朝の教室」、5日の講師は絵本作家のスズキコージさんと写真家本橋成一さん。
5月からはじめたこの教室、はじめての対談形式の1時間30分だった。
朝から雨? と不安だったが、どうにか天気ももって今回も大勢のお客様が。
途中、映像を映すPCがうまく作動せず(ごめんなさい)、
つなぎにわたしも加わっての、鼎談のひと時も。
浜岡原発の近くに生まれたスズキさんと、ベラルーシを取材して、
映画『アレクセイの泉」などでは監督もつとめた旧知のお2人のトークは絶妙。

玄海4号機の再稼働、福島第一原発2号機からはキセノンが検出。
大間の原発(フルMOX燃料)も建設開始らしいというニュースを、
函館の友人と昨夜電話で話し合ったばかりだ。
テレビをつければ、節電のこの冬を、電力不足の厳寒を
どう乗り越えるかという話題ばかりが。
もちろんこれは、原発再稼働のための大キャンペーンと解釈したほうが妥当であろう。
こうしてメディアは侵略されていく。
わたしたち市民発の、真実を伝えるメディアがほしい。

2011年11月4日金曜日

11月4日

今日も一日、大盛りの仕事が。
昨夜のお鍋の残りに春雨や春菊、アワビ茸などを入れて軽く食べたまま、
気がつけば19時。おなか、すくはずだ。

午前中は外での仕事。
午後は、韓国で24時間ニュースだけを流しているテレビ局の取材を受ける。
ちょうど韓国からの新婚旅行のおふたりが来られていて、Good timing!
テーマはむろん脱原発について。韓国にも20基の原発がある。
「僕は韓国人ですが、心から支持します」 
日本メディアのひとは、そういう習慣なのか、不文律があるのか、
個人としての意見は取材中にあまり,言葉にしない人が多い。
なんだかとても新鮮な感じがした。

取材の後は急ぎ銀座に。新春対談である。
もう、そんな季節なのだと改めて確認。 
対談場所から帰る途中、官庁の前でTPP反対のひとびとの一団が。
農業もそうだが、TPPに参加したら、
日本がいま世界に誇れる唯一のものとも言える
「国民皆保険」が破たんする可能性が。

そうなると、病院で手厚い治療を受けることができるのは、富裕なひとだけ。
あとは治療も受けられない多数が誕生することになる。
ウォールストリートに端を発した「1:99」不公平他国の話ではなくなっていく。

クレヨンハウスでは今、クリスマス飾りの最後の仕上げの真っ最中。
各セクションからスタッフが出て、
アウトテリアや道路沿いリースを飾ったり、ベルを吊るしたり、
頑張ってくれている姿がうれしい。

さあ、わたしもあとひと踏ん張り。
明日は「朝の教室」。絵本作家スズキコージさんと
写真家で映画監督の本橋成一さんの対談。
おふたりの脱原発を願っての告発のコラボの作品展が、
クレヨンハウスの1階で、11月15日まで。ぜひご覧を。
「作品を買うことができます」と、スタッフがしきりにすすめてくれる。

2011年11月3日木曜日

11月3日

今日も一日、仕事だった。
3月11日から、一日も休んでいない。
こういった働きかたはまずいなと思いつつ、
通常の仕事に、クレヨンハウスの「朝の教室」の講演を基にした
ブックレットの編集や校正も手伝わなければならないので、
いつものの二倍は働いているだろう。

気が付けば、11月。
ゆったりと季節の移ろいを体感し、植物を眺め、
ひとつ先の季節に咲いてくれる種子を蒔く……。
といった我が得意分野のあれこれも、少々遠ざかっている。

仕事の帰り、カーラジオから「ワルティングマチルダ」が流れてきた。
映画『渚にて』でも効果的に使われていた遠い記憶がある。
イギリスの作家だったと思うが、ネビル・シュートの作品だ。
帰宅して調べてみたら、スタンリー・クレイマー監督で映画化されたのが1959年、
わたしが14歳の時だ。
洋画ファンだった叔母に連れられて、観に行った。
主演はグレゴリー・ペック。
第三次世界大戦と核爆弾の恐怖を描いた作品だった。
核兵器の放射性物質で被曝する人々の話だが、
被爆の認識と描写が実際とは違っていると映画について誰かが論評した、
とわたしに教えてくれたのは叔母だったか。
世界が競って「核の力」を誇示しあうとした時代に生まれた作品であることだけは確かだ。
そうしていま、この国では。

2011年11月2日水曜日

11月2日

昨夕は本当にショックと憤りで、くらくらした。
昨日のブログにも書いたが、玄海原発4号機の再稼働のニュースである。
2,3号機の再稼働について、第三者を装い、再稼働に賛成の声を寄せた「やらせメール」事件が問題になった。
その後、第三者委員会の意向を無視し、換骨奪胎した報告書を提出。
最終報告書の再提出を求められながらも未だ応じていない現実がある。
それを目の前にしても、「国」は再稼働GOなのか。

問題の4号機の自動停止は、10月のはじめだった。
部品交換の手順に誤りがあり、発電タービンが停止。
連動して、原子炉も止まった「事件」である。

手順書そのものに不備があったらしい。
ということは、初歩の初歩の、初歩的なミスである。
初歩的ミスが、原発の場合は致命的な暴走につながるのだ。
自然災害だけが原発事故を招くのではなく、人為的ミスや原発そのものの老朽化もまた事故の原因になる。
そして、一度事故を起こしたら、取り返しのつかないことになるのは、原発被災地福島をみても、充分理解できる。
「対処」療法だけで、すべてが解決する問題ではないし、
同じような人為的ミスや地震などが、ほかの「どの原発」で今日、
起きないとも限らないのだ。明日も。
老朽化した原発もしかりである。
いのちあるものと共存してはならないものを、
わたしたちの社会は持ってしまったのだ。
むろん核のゴミの問題も依然解決してはいない。
次はどこで? という恒常的不安と絶望を抱えながら、
わたしたちは、わたしたちの子や孫は、生きていかなくてはならないのか、
今後もずっと。何十年も何百年も。
わたしたちの次世代もまた次世代もずっと、ずうっと。

2日は、朝日ニューススターで、
先日の朝日新聞オピニオン欄に掲載された
市民運動に関するインタビューを軸に討論。
放映は11月6日22時30分だそうだ。

自分が出た番組というのは、見たくなくて
(画面の中の自分がなぜか他人みたいに思えるのだ)、
今回も見ないだろうが。
生ではなく、収録というのは、どこをカットされるかで全体の印象が違ってくる。
それでも出ることにしたのは、9・19を一過性のイベントには決してしない、
という思いがあるからだ。
原稿の締め切りをいくつか抱えたまま、スタジオに。
と書いたところで、新たな衝撃的なニュースが。

福島第一原発2号機からキセノン133と135が検出された。
キセノンは半減期が短いものだが、核分裂でできるものだ。
ということは、規模はどうであれ、2号基で「臨界」状態が起きた、ということだ。
半減期を考えると、それも最近に。
「起きたとしても小さなもの」という説明をどれだけ信頼していいのかはわからないが……。
一度起きたら、取り返しのつかないことになる、をまた証明してくれた2号機である。

それでも、再稼働をするのか。
「多くの住民の理解が得られた」という町の発表もあったが、
2000戸のうち、「賛成・激励」の回答があったのは、30数戸であったという。
福島の「収束」がまったく見えない現実を目の当たりにしながら、
「こう!」であるのだ、この国は。
廃炉に持ち込むことができなかったら、終わりだ、この国!
民主主義はまったく機能していない。

2011年11月1日火曜日

11月1日 その2

11月1日21時30分。
今日のブログは書いてしまったのだが、特大の文字で、加筆を。
打ち合わせを終えて、毎日のWEBニュースをみたら、

玄海原発(佐賀県玄海町)4号機再稼働!の報道が。

ショックのあまり、しばし呆然自失。

「九州電力は1日夜、記者会見を開き、トラブルで停止している玄海原発(佐賀県玄海町)4号機を同日午後11時ごろに再稼働させると発表した。これに先立ち九電は同日、自社の判断で再稼働させることを玄海町の岸本英雄町長に伝え、町長は受け入れる考えを表明。同県の古川康知事も報道陣に容認の意向を示した。東京電力福島第1原発事故後、定期検査やトラブルで停止していた原発の再稼働は全国で初めて」

4号機は明日2日の午後に発電を開始するという。4日までには通常運転(フル稼働)となる見通しだそうだ。

国の原子力安全・保安院が「おおむね妥当」と評価し、再稼働を容認。町長は「国が安全と言ったので納得している」と応じ、古川知事も「国が大丈夫だと判断した以上、これまでの手続きに沿って対応した」と記者たちに述べたという。
4号機は12月中旬から定期検査に入る予定で、再稼働せずに検査入りすると思われていた(わたしもそう思っていた)が、九電は自社の判断で再稼働する方針を佐賀県や玄海町に連絡していたという。
知事も町長も「国」が許可したのだから、と国を錦の御旗にしている。
この国は、「福島」の反省など微塵もない。

今朝がた、わたしは廃炉アクションに向けての一歩として、1基も再稼働を
許容してはならないというメッセージを書いて、岩波書店に送ったばかりだった。
「やらせメール」に始まり、第三者委員会の報告書も無視した経緯もまた、
これでチャラになるのか。

酷すぎる。こうやって「民意」は、頭から「ないもの」としていくのが、
彼らの常套手段だ。
許してはならない。
これでNOアクションであったら、各地の原発は再稼働するし、
新規の建設も
NO PROBLEMになってしまうだろう。

11月1日

以下のメールが「さようなら原発1000万人アクション」の投稿欄に届いたそうです。
昨日は留守にしていたので、メールを即お届けできず、締切に
間に合わなかったのですが、ぜひご一読ください。
わたしも、むろん原発輸出は反対!です。
福島と同じ苦しみを他国のひとびと、特に子どもや、これから生まれて
くる子どもに味あわせるのは罪深いことです。
本文中の「明日」は、31日現在です。


明日にも日本からベトナムへの原発の輸出が両国政府によって
合意・進展してしまいそうです。
皆様、緊急ウェブ署名に、ぜひご協力ください。
明日午後には提出となりますので、できるだけ早く、今晩のうちにご署名ください。
よろしくお願いいたします。

==============拡散希望!=====================
【24時間・緊急署名】私たちは、原発輸出を促進する日越合意に反対します。
輸出すべきは、福島の経験から得られた学びであり、命を脅かす原発ではありません
http://goo.gl/td0KY(どれからでも署名できます)
署名フォーム1: http://goo.gl/sYfBg
署名フォーム2: http://goo.gl/GGBNL
署名フォーム3:https://pro.form-mailer.jp/fms/356a455e23405
締め切り:10月31日正午まで
---------------------------------------------
声明:私たちは、原発輸出を促進する日越合意に反対します。輸出すべきは、
福島の経験による学びであり、命を脅かす原発ではありません。
福島の原発事故は未だ収束せず、日本の大地、自然、海に
いまも放射性物質が降り注いでいます。福島をはじめとして、多くの人達が、
放射能汚染の危機にさらされ、生活を破壊され、苦しんでいます。事故の原因さえ、
究明されていません。そんな中、原発輸出をまた一歩前進させる日越政府合意が
行われようとしています。現在、ベトナムでは、日本の税金によってニントゥアン省の
原発建設に向けた実行可能性調査が実施されています。しかしこの調査の結果は、
ベトナムの住民や日本の納税者に公開される保証がありません。
ベトナムの建設予定地は、風光明媚な自然が広がり、住民たちは漁業や農業、
観光などでくらしをたてています。原発建設はこのような住民の生活を脅かすものです。
さらにひとたび事故が起これば、放射能汚染はタイ、カンボジア、ラオスなどの
ベトナムの近隣国にも広がります。日越政府は、自国民に対する説明責任を
果たしていないのと同様、これらの国々の住民にも一切の説明責任を果たしていません。
私たち、経済産業省前に集った北海道から九州までの女たち、そして原発輸出に
懸念を有する市民たちは、日本政府の原発輸出に強く反対します。
輸出すべきは、福島の痛みによって得られた貴重な経験による学びであり、
断じて原発ではありません。以上を踏まえ、私たちは日越両政府に対して、
以下を要請します。
・日本政府は、原発輸出を行わない方針を明確に打ち出すこと
・日本政府は、原発輸出に向け、これ以上無駄な税金を使わないこと
・日越両政府は、現在実施されている実行可能性調査を打ち切ること
・日越政府は、自国民、近隣国の住民に対する説明責任を果たすこと
以上呼びかけ団体:原発いらない全国の女たちアクション
--満田夏花 MITSUTA Kanna
kanna.mitsuta@nifty.com
携帯:090-6142-1807
国際環境NGO FoE Japan/tel: 03-6907-7217 fax:03-6907-7219
--------------------------------------------------------
★【署名】渡利の子どもたちを守ろう!
http://www.foejapan.org/energy/news/111007.html
--------------------------------------------------------