夕暮れが、さらにはやくなった。
猛暑の夏にはまだ真昼の延長にも思えた時間帯がいまは、
17時を過ぎると、夜の色が濃い。
17時ちょうどにクレヨンハウスがある周辺には、
電子音で、童謡の『七つの子』が流れる。
♪……カラスなぜなくの?♪で始まる、おなじみのあの童謡だ。
と、書いて今の子どもたちはどれくらい
この歌を知っているのだろうかと思う。
この童謡を知らない子も少なくはないだろう。
電子音は無機的で深みがないが、気がつけば、
流れるメロデイに合わせて口ずさんでいるわたしがいたりする。
被災地にも、こういった童謡が流れるときがあるだろう。
そんなとき、流れる童謡を被災地のかたがたは、どのように聞いておられるのだろう。
特にお年寄りは。
明かりがついたガラス戸にはりついた、真紅のハゼの葉を見ながら考える。
そういえば、亡くなった俳優の森繁久弥さんが、
この童謡を子どもたちの前でうたう機会があったときのエピソードを読んだことがある。
目の不自由な子だったそうだ。
♪まーるい目をした♪というフレーズのところで、一瞬詰まった彼は次の瞬間、
目ではなく、顔に言葉を変えてうたったという話だった記憶がある。
なんで読んだのか、どなたが書いたのかも思い出せないし、
思い出したフレーズが正確なのかどうかも自信がないが。
童謡というのは、その歌になじんだ時代の自分へ、ときにやさしく、
ときには強引にひとを呼び戻すものなのかもしれない。
福島で暮らす幼い子どもたちは、
いま、誰の膝や背中で、どんな歌を聴いているのだろう。
福島第一原発が報道陣に公開され、
写真や、現場で陣頭指揮をとるひとへのインタビューも各紙に掲載された。
無残な姿を曝す原子炉の写真に接し、わたしたちはやはり選んではならないものを、
積極的ではないにせよ選んでしまったのだ、と痛感する。