快晴とは言えないまでも、晴れて暖かな水曜日だった。
午前中は洗濯機を回しながら原稿を書く。
これを書く、と決まれば、そして書き出せば早いのだが、
東京を離れる日が続いてちょっと疲れているせいか、
とりかかるまで時間がかかる。
午後は打ち合わせや会議のために、クレヨンハウスに。
なんだか久しぶり。薄い光が差すテラスで、あたたかなココアを飲む。
白い山茶花が、雪のひとひら(ポール・ギャリコの同名の作品があったが)のように、煉瓦の道に花びらを散らしている。
ポール・ギャリコの世界とも、ずいぶんご無沙汰している。
凛として、深くあたたかな物語に出会いたい、としみじみと思う。
こんな不安で不穏で不安定な時代こそ、物語や音楽、哲学が、こころにはほしい。
「不可欠」とか言った表現であらわされるそれではなく、
猛烈な渇きとしてのそれではあるが。
脅しとしか呼びようのない、電話が続く。
脱原発の活動がそんなに目障りなのか。
それだけのパワーを「1000万人アクション」が持ちつつあるのなら、意味があるのだが。
明日から12月。
東日本の冬が、そこに暮らす人々ひとりひとりの喪失の悲しみの中に
ほのかな明日に繋ぐ希望が見えることを祈るしかないのか。
ゲラ校正で何度も読み返して、どのテーマがどこにあるのかもほぼ暗記してしまった
山田真さんの『小児科医が診た放射能と子どもたち』を読み返す。
「朝の教室」では、いつもと変わらぬ静かな語り口ではあったが、
ひとつひとつの言葉や行間にこめられた、山田真さんの慟哭がこころに突き刺さる。
非力すぎる自分がこのうえなく悔しい。