以前にもご紹介したことがあっただろうか。
「戦争と平和を考える詩の会」が発行している
『いのちのかご(かごは漢字)』という小冊子があり、
いつもお送りいただいている。
その10月号を今日は、移動の電車の中で読んだ。
どれもが「言葉」を選びぬいて、時代と社会と『対決』している。
表現というのは、もともとこういった視点と
姿勢が基盤にあってのものではないだろうか。
その中に、敬愛する詩人、石川逸子さんの作品ものっていた。
この冊子の裏表紙には、ここに掲載されている詩作品は、
反戦集会などのいろいろな集まりで、朗読その他に、
自由に使っていい、といううれしい告知がのっているので、
時々朗読させていただいている。
そして、石川逸子さんの詩である。
クレヨンハウスが発行する総合育児雑誌『月刊クーヨン』でも
石川さんの作品を紹介させていただいたことがあったが、
10月号には、『牛のささやき』という題名の詩が。
『牛のささやき』
石川逸子
牛舎で
倒れている 牛たち
道ばたで ハタリ 倒れる牛たち
地震では崩れなかった牛舎が
放射能汚染区域となり
突如避難させられた 飼い主たち
倒れていく牛は知らない
ホウシャノウという言葉も
牛舎も 自分の乳も すでに汚染されていることを
…福島原発に頼っていたトウキョウでは
原発推進をなお主張 津波災害を天罰と言った
男が トップ当選していた…
息絶えようとする牛は
無人の家近くをさまよう 犬は 猫は
そんなことは知らない
(神国日本は不敗の次は
(日本の原発は安全)神話の
生け贄になった 動物たち・人間たち
(ハーメルンの男の吹く笛に
いつまで
付いていこうとするのだろうね?)
深夜 牛舎を照らす月光のなか
ものいわぬ牛の遺体が
ひそと ささやき交わすのを聴いた