2012年12月30日日曜日

12月30日


ついに、30日。
2012年も残すところ、明日1日になってしまった。

多くのひとたちが「不当逮捕」と憤慨し心配していた、
阪南大学の下地正樹さんたちに関して、
以下のメールが関係者から届きましたので、お伝えいたします。


……本日下地真樹さん他1名の釈放が決まり、
7時頃に下地さんは約20日振りに自由の身となりました。(中略)
署名や、各方面から出された声明、会見などが大きな影響を与えたと
弁護士さんが言っておられたそうです。(中略)
みなさまのお心添えに心から御礼申し上げます。
ただ、下地さんと同日に逮捕されたHさんは残念ながら起訴されました。
その他にもデモなどの最中に逮捕され、不当に長期間勾留されたり起訴された方は大勢おられます。
その方々を支援するためにも、引き続き「市民の不当な逮捕に抗議する署名」を続けたいと思います。
どうか今後ともお力添え頂けますよう、お願い申し上げます……。


福島第一原発の過酷事故から2度目の年の暮れ。
早々に「収束」宣言をしながらも、なんの決着もつけることなく
新政権と交代をした野田政権。
そして、野田政権への不信感と不満から誕生した新政権は、
原発の存続・再稼働はもとより、憲法改悪、集団的自衛権の行使、「国防軍」を創るなど、
とてつもない時代錯誤の暴挙を実行に移そうとしています。


むろん、来年の参院選までは比較的に穏やかに静かにたぶん「景気対策」から手をつけ、
それなりの成果を見せ、参院選でさらなる勝利をおさめ多数を確保してから、
憲法に! というスケジュールが組まれているのでしょうが。

27日から体調を崩し、なんとも情けない年の暮れを迎えてしまったのですが、
2013年、少しでも深呼吸のできる時代と社会を。
珍しく静かな、ひとりの時空の中で、2013年に何をどのようにすすめたらいいのか……
という計画を練っています。

2012年12月25日火曜日

12月25日

12月25日。
これからクレヨンハウスに注文しておいた
デコレーションケーキを食べる予定。

大雪のところもあるクリスマス。
東京も寒いけれど、被災地を思えば、福島を思えば、
なんのこれしき! である。
今もって福島の16万人が、
暮らしていたところに帰れないでいるのだ。

間もなく総理になるかたよ、
まず、このことに手を打っていただきたい。
あなたも長い間、原発を推進し、安全神話をばらまいてきた政党にいて、
ブラックアウトの不安はないと言ってきたのだから。

朝日新聞、今日の朝刊一面には、
「通信傍受法、対象拡大へ」という大きな文字のリードが。
そのあとに、ポイントを少し落とした文字で、
「振り込め詐欺・組織的窃盗も」とある。
振り込め詐欺も組織的窃盗も許されない犯罪だが、
多くが頷くテーマを持ち出して、「通信傍受法を拡大」する……。
記事の中にも記されているが、
「傍受の乱用」の可能性を考えると、おそろしい。
 
同じ朝刊の投書欄「声」には、18歳の男子高校生の声が。
今回の選挙で投票率が低い理由のひとつとして、
「ひとつの政党の公約に対して
これは賛成だけどあれには反対ということがあり」
それが低い投票率と結びついている場合があると指摘。
そのうえで彼は次のように記している。
……今回、自民党が勝ちましたが、
「原発維持」を国民が認めたとは言い難いと思います。
原発に絞って国民投票してみれば、
結果は異なるはずです……。

そうして彼は、民意を反映させるためには
テーマごとに国民投票が実施できる環境を整えるべき、と主張している。
むろん費用がかかるという反論にも自分なりの提案を添えて。
詳しくは、朝刊を。
ついでに、その隣に掲載されている38歳の牧師さんの「声」も是非。
旧満州で戦闘機の整備士をしていた祖父の言葉
「戦争は絶対にいけんよー」が心に響く。

2012年12月24日月曜日

12月24日


24日、クリスマスイブです。
無宗教のわたしにとって、イブもまた無縁なものですが、
誰かが誰かの、幸せを考える日、
という風に決めています。
ひとがひと以外の生き物の暮らしを
邪魔をしたり収奪しないことを考える日、
とも言えます。

総選挙の結果はさんざんでした。
土曜日に久しぶりに愛川さんの
パック・イン・ジャーナルに参加。
わたしは評論家ではないので、
自分たちが望む社会と時代を実現するために、
「わたし」に何ができるかを考えるしかありません。
そして、わたしはいまでも諦めてはいません。

テーマは以下の通りです。
1)自民「圧勝」をどう考える
2)青森東通、活断層の可能性大について
3)韓国の女性大統領誕生について
4)一票の格差について。

番組内で言えたこと、時間切れで言えなかったことも含めて、
わたしはこう考える。

1)3年3か月前の当時の政権与党、
 自民党への積年の怒りと不満が
 政権交代に結び付いたのとほぼ同じ形で、今回の選挙結果に。
 「民意はどこに行った?」と思うが、
 大きな争点である復興、反原発、増税停止、時期尚早のTPP参加反対、
 年間320億円の政党交付金削減、一票の格差是正、
 基地問題などの争点が、他党乱立の、しかも小選挙区制度のもと、
 「景気回復」という言葉とイメージに集約されてしまった。
 とはいうものの、小選挙区全体の自民党の得票率は43パーセント。
 しかし議席は79パーセント。小選挙区制の「宿命」なのか。
 参議院の「ねじれ国会」をものともしない、
 衆議院再可決を可能にしたことは事実だ。
 参院選までの7か月、わたしたちが何をするかが問われている。
 すでに書いたことだが、愛知8区や東京でも、
 自民以外の各候補の得票率が、
 当選した自民の候補を大きく上回っているところがある。
 ほかにもこういった選挙区がある。とすると……。

2)今なお16万人の福島の人々が故郷に帰ることのできない現実。
 福島で暮らす多くの、小さな子どものいる家庭では
 将来への不安を感じている。
 日本列島そのものが、言ってみるなら活断層の上に丸ごとある
 と言っても過言ではない。
 調査をする委員の透明性と公開性を死守したい。

3)この国の女性議員は、全議員の一割にも満たない
 7・9パーセント。男女共同参画社会基本法制定、
 国連の女性差別撤廃委員会などに基づくクォーター制導入を。
 わたしは女性議員が増えることを歓迎してきた。
 もっと、もっとと言ってきた。数の論理から言っても、今でもそう考える。
 が、国防軍G0,憲法改悪GO,原発GOの女性議員が増えることには……。
 やはり反対だ。数だけで観ていいものか。
 しかし数も大事だし、と迷うところだ。

4)元最高裁裁判官の泉さんという弁護士さんは、以下のように述べている。
 「違憲状態とした、昨年の最高裁判決から一年半以上たっており、
 是正のための合理的期間は過ぎている。
 最高裁は次のステップとして、主文で意見と宣言すべきだ」
 衆議院選挙ではこれまでに、違憲2回、違憲状態3回の
 最高裁判決が出ているが、選挙無効を認めた判決はない。
 三権分立は完全に無視されているということだ。

と、24日。
いつもより早くに帰宅し、ジョン・レノンとヨーコ・オノの
『ハッピー・クリスマス」を部屋に流して、このブログを書いている。

一週間前の夜中、わが家の壁と正面衝突。
前歯の一本が折れてしまって、接着剤でつけてもらっている。
ね、正面衝突したのに、鼻は無傷、前歯だけが折れたってどういうことだろう!
そういえば、『前歯のない子のクリスマス』という米国の歌があった。
サンタのおじさん、今度のクリスマスには前歯をプレゼントしてよ。
前歯がないから発音がうまくできないで、友だちに笑われているんだから♪
といった歌だった。
接着剤で止めてはいるけれど、一本前歯がなくなると、すごいよー。
これで、怒髪の山姥、完成!といったところ。

2012年12月14日金曜日

12月14日


参議院議員会館での記者会見と
そのあとの取材を終えて、ただいま帰宅。

……確かに反原発、脱原発を約束してくれる
党に、わたしたちは一票を。
福島を決して決して忘れない……
そんな発言が次々にあった、記者会見でした。

多くの政党が「脱原発」と言っているいま、
わたしたちはしっかりと見つめ、選択したい。
どこが、確かな政党であり、誰が確かな候補者なのか、を。

会見で一部触れた話。
米国のほぼ全土が、9・11以降、アフガニスタンへの「報復」に染まったあの日々。
バーバラ・リーがただひとり、報復に反対の一票を投じたことを、
わたしたちは忘れない。会見の席でも触れたが、
報復攻撃に対して、「われらが名をかたるな」と反対した、
9・11の犠牲者の、一部遺族のかたがたの想い。

「国民」と、原発を推進する政党や候補者が言うとき、
わたしも言いたい。「わが名をかたるな」と。
『反戦アンデパンダン詩集 POEMS AGAINST THE WAR』(創風社 刊)に
祖父江拓史さんの、「われらの名を語るな」という素晴らしい詩が収録されていて、
その様子を見事に伝えておられる。
再び原発を推進しようとしている政治家が「国民」と言うとき、
わたしは拒否する。そこに、私を入れるな、「わが名を語るな」と。

明日は、日比谷公園での大集会&デモ。
わたしは地方での反原発集会が以前から決まっていて、そちらに参加する。
日比谷には行けないけれど、気持ちはいつだってひとつ。
投票を前に、もう一度、何度でも、深く心に刻もう。
反原発を! 反基地を! 反差別を! 

2012年12月12日水曜日

12月12日

なぜ、いまになって! と多くのわたしたちは思う。
福井県の敦賀原発の活断層の問題である。
明らかに活断層があるのにもかかわらず、なぜ見逃され続けたのか。
活動時期が古くて問題ないと、審査されたというが、酷い話だ。
むろんこれは敦賀原発だけの話ではないはず。
「安全神話」の歴史は、こうして続けられてきたのだし、今も尚続いている。
今回のことも3・11がなかったら、すり抜けたことかもしれない。
3・11以降はじめての選挙が目前である。
それでお報せを。
昨夜、急遽、決まったことではあるのだけれど、
金曜日の官邸前デモに参加する前に、
もしお時間に余裕がありましたら、ご参加ください。
「記者会見」の形をとっていますが、総選挙を前に、再度
原発反対の声をあげたい、という趣旨で行います。


-民意はどこに?-
私たちは、選挙を通じて脱原発の実現を呼びかけます

私たちは3.11福島原発事故後、脱原発実現のための活動を継続してきました。きたる衆議院選挙後の国会で脱原発政策が確実に実行されていくことを強く期待しているものです。
今も福島から16万人もの人々が故郷を離れ、避難中です。12月16日の衆議院選挙では3.11後の日本が、二度と福島原発事故のような悲劇を繰り返さないために、脱原発の方向に歩み出すのか、原子力政策を進めてきた旧政権党の復活を許し、原発維持・再稼働容認へと大きく舵を切るのかが最重要の争点となっています。有権者には、各政党や候補者の政策を慎重に見極めたうえで、投票行動をとることが求められています。
世論調査では有権者の7-8割が脱原発を支持しているとされているにもかかわらず、報道機関による選挙結果の予測報道によれば、原発維持・再稼働容認の政策を掲げている政党の大勝が予測されています。
私たちは、有権者に次の総選挙を通じて脱原発政策の実現を呼びかけたいと考え、以下の記者会見を開催することとしました。脱原発を願う私たちの声を是非取材していただけますよう、お願いいたします。

日 時:12月14日(金)16:45~18:15
会 場:参議院議員会館 会議室
          〒101-0062 東京都千代田区永田町2-1-1
(地下鉄千代田線・丸の内線・国会議事堂前駅/地下鉄半蔵門線・永田町駅)
出 席:鎌田慧(作家)/神田香織(講談師)
          河合弘之(脱原発弁護団全国連絡会議共同代表)
          木村 結(脱原発東電株主運動世話人)/吉岡達也(ピースボート共同代表)
          海渡雄一(脱原発弁護団全国連絡会議共同代表)
          脱原発運動を取り組んできた市民の方々にもご発言をお願いしています。
司 会:落合恵子(作家)


この記者会見は趣旨に賛同する者が純粋に個人として主催するものです。

連絡先は脱原発法制定全国ネットワークの事務局とさせていただきます。
TEL:03-5511-4386(事務局直通)
        03-5511-4400(さくら共同法律事務所)
FAX:03-5511-4411
TEL:03-3341-3133
FAX:03-3355-0445(東京共同法律事務所)

2012年12月8日土曜日

12月8日


今日は朝、クレヨンハウスヘ。
生物学者であり、環境活動家であり,
ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授でもある
デイヴィッド・スズキさんと『月刊クーヨン』の対談を。
デヴィッドさんが「僕より日本では著名な」と笑う
娘のセヴァン・スズキさんは、十二才のときに、
ブラジルで開かれた環境サミットで,
あの感動的なスピーチをした。
今回の来日は,お連れ合いであり同士である
タラ・カリスさんとご一緒に。
ハーヴァード大学の教授だったタラさんは現在、
デヴィッドさんのファンデーションの責任者をつとめられている。
デッヴィドさんは日系三世に当たる。
家具職人だった父親カオルさんに、
自然のなかで自由に遊ぶことを教えてもらい、
魚や虫や植物に親しむ子ども時代を送った。
第二次世界戦争の時は,日系人であるために
収容所に強制収容された過去もある。
1979年からスタートした人気長寿番組「ネイチャー・オブ・シングズ」では、政治家や大企業の圧力を受けながらも、
世論の強い支持を獲得。
フランクで率直な、素敵なファイターでもある。
原発事故に対しても、世界中がみている、日本の市民の選択を、と。
闘いかたについても、いろいろな意見交換を。
充実した一時間半だった。

対談を終えて、わたしは栃木へ。人権の講演会。
帰京して、いまこのブログを書いている。
明日は、朝の教室。
石丸小四郎さんが、講師を。
今日とは、また違った闘いかたを学べるはず。ぜひ御参加を。

2012年12月7日金曜日

12月7日

金曜日の今日、東京はまずまずの晴れ。
総選挙を前にして(都民は都知事選も)、あれこれ心忙しい日々を、
わたしたち有権者は送っている。

むろん経済の建て直しは基本であるけれど、
福島の子どもたちを、お年寄を忘れてはならない。
東日本大震災の被災者もまだまだ
「復興」には遠い日々を送っている。
にもかかわらず、多くの政党は、選挙のための
口当たりのいいスローガンを繰り返しているだけ。

以下のメールが回ってきた。
……読売新聞によれば、自民党の安倍総裁は「責任を持って原発を再稼働する」と宣言。

酷いもんだ。
メディアによれば自民圧勝、とのこと。
党内にも原発に反対する声はあるにはあるが、「圧勝」の後、
どんな政治が待っているかは充分想像できる。
憲法はどうなる? 
市民の、あらゆる自由に規制がかかる可能性がある。
しっかり考え、一票を投じたい。

日曜日12月9日の「朝の教室」。
講師は、石丸小四郎さん(双葉地方原発反対同盟代表)。
秋田県に生まれ、元郵便局員の彼は、1964年、結婚を機に福島県双葉郡富岡町へ。
1971年の福島第一原発稼動後、「双葉地方原発反対同盟」結成に参加し、
事故などのたびに東京電力と交渉を続けてきたかただ。
現在は原発から約5キロの自宅からいわき市へ移り、
デモや講演で全国をまわる日々を続けておられる。
静かな中に、揺るぎのない熱い闘志を持続してこられた、かけがえのない存在だ。
40年にわたって原発反対運動に尽力してきた石丸小四郎さんと
共有する時空をあなたも是非!
福島がいま何を必要としているのかお聞きしよう。

2012年11月30日金曜日

11月30日


2011年3月11日以降、はじめて迎える総選挙でありながら、
まるで福島第一原発の過酷事故などなかったかのように、
原発が大きな争点にならないまま、「小異」として置き去りにされたまま、この選挙は終わるのか。

「どこにこの思いを投票すればいいのか」
「死に票にはしたくない」
「一体、どうすればいいのですか」

各地での反原発の集会に参加された方々から、解散以降、ずっと聞かれてきた。
「さようなら原発」の署名活動は11月現在、およそ820万筆。
毎週金曜日の官邸周辺の抗議行動もむろん続いている。
この民意が置き去りにされたまま、当選した議員の、万歳光景をまた見せられるのか、
という絶望感と浮遊感が有権者には漂っていた。

「未来の党」が誕生したことで、少なくとも、選挙の争点が明らかになったことを歓迎したい。
もし、これがなかったら、選挙戦といっても、
民主・自民・維新というほとんど政策は似通った政党同士での選挙戦になった可能性があり、
「やっぱり投票するところがない」となっていただろう。
新・第三極が誕生したことをまずは歓迎したい。
このままでは憲法もなし崩しになるという危機感があった。
核の保有を唱えたり、「国防軍」の創設などという、
いのちと平和と人権からほど遠いスローガンが、
テレポリティックスのもと、すすんでいくことに歯止めをかける可能性があった。

むろん未来の党の「卒原発」に関しても、課題は多々あるし、確かめたいこともある。
原発ゼロまでの具体的スケジュールは? 
代替エネルギーは(雇用を拡大するためにも)? 
発送電の分離は?
未来の党自体、いろいろな党が集まっての結成だが、
特に憲法問題、集団的自衛権などへの対応は今までの動きを見ても、明らかに違う。
 
ここは、選挙のための「野合」にならないように、しっかりと民意と約束することが大事だ。
近く発表される公約を待つ。
福島の子どもたちをはじめ、大勢の子どもたちの「現在」と「未来」のために。


テレポリティックスとは、
テレビとポリティックッス(政治)が合体した言葉で、テレビ政治、テレビ投票と通常呼ばれている。
米国の大統領選で、テレポリティックスが大きな影響をもったのは、
ケネディVSニクソンの選挙(60年)が初だと言われている。
この国もまた、少しの時差を経て、テレポリティックスの時代は続いている。
政治の劇場化を支えてきたのも、テレビである。
劇場化は政治への熱い思いではなく、失望感と浮遊感から生まれるものだとわたしは考える。
「どうせ」なのだから、面白いほうがいい、という。
わたしたちは劇場化政治の、観客であることを拒否したい。
そして、心して一票を使いたい。

先週から今週はじめにかけて、愛知、山形、新潟を回り、
新潟では、夏のはじめの反原発集会で会った、
福島からの避難してきている母子たちにも再会できた。みな、真剣だ。
「わたしたちは郷里を後にしたけれど、残っているひとたちとも
繋がり続けたい。同じ被害者として繋がり続けたい」。
そんな言葉が心に響く。
週末はまた東京を離れる。
風邪が流行っている。
みなさま、ご自愛を!

来月9日(日曜日です。お間違いの無いように)「朝の教室」でお目にかかりましょう。
福島の郵便局にお勤めの頃から、原発に大きな疑問を感じ、反対の活動をされてきた石丸小四郎さん。
全国を回り、メッセージされていることをわたしたちもしっかり受け止めたい。

2012年11月21日水曜日

11月21日

午後まで他の仕事をして、夕方から川崎の生田に。
生田九条の会が主催された講演会。
お話しをしたいことが多々あり過ぎての一時間半。

11月はさらに各地を回る日々が多く、
少々バテ気味だが、この選挙の季節、浮き足立つことなく、
しっかりと候補者を比較して、選択をしたい。
選挙の時のみ、民意におもねて「脱原発」という
政党や候補者をちゃんと見極めよう。
それにしても、テレポリティックスが酷い。
テレポリティックスについて詳しくは、明日、記す。

2012年11月20日火曜日

11月20日

また数日、このブログをさぼってしまった。
なんだかんだ走り回ることが多くって、
帰宅をすると、ぐったりしてしまうのだ、
などと愚痴を言ってはいられない。
日曜日は、中高校生や保護者のかたがた
教師のかたがたの講演会に行ってきた。

質疑応答の時間。高校三年生(昔、このタイトルの歌があったなあ)
が手をあげて言った。
「署名を一生懸命集め、金曜日の官邸抗議行動にもせっせと参加して、
ぼくはささやかでも、懸命に反原発の活動をしてきた。
でも、いまの政治を見ていると
まったくぼくたちの声は届いていないし、
今度の選挙だって……。
質問ではないのです。励ましの言葉が欲しくなったのです、
ちょっと気弱になってしまって……」

そう発言した彼の気持ちはよくわかる。
わたしも、そういう気持ちになる瞬間はある。
この国は民主主義が機能していないのではないか
と今更ながら、落ち込む瞬間もまた。
大人だって、励ましが欲しいときはある。
けれど、民主主義というのはそれが成熟し、充分に機能するには
長い長い時間がかかるのだ。

福島第一原発の過酷事故が、
わたしたちの停滞気味だった、少々緩み気味だった
言ってみるなら、「お任せ民主主義」の背中を押してくれた。
「そうではないのだ」
という覚悟と決意を改めてする大きなインパクトを与えてくれた。

総選挙の結果いかんで、原発は推進、
憲法は改悪ということ最悪のシナリオにならないという保証はない。
どういう状況になっても、反原発の活動は続けるが、
まずはしっかりチェックしよう。
誰が本当に反原発・反消費増税、反TPPなのか。

言葉だけの、集票のための「脱原発」と
ほんもののそれを見間違えてはいけない。

「朝の教室」でご講演くださったテレビ朝日の川村晃司さんは、
なぜ特定の政党や候補者を取り上げるのか、という質問に
「それが正しいこととは思えないし、悲しいことだが、
特定の政党や候補者を取り上げると、視聴率があがる
……という言われ方がある」と応えておられた。

今朝の東京新聞は、誰かの言葉「大同小異」を取り上げて、
反原発の側こそ、「大同小異」をできないか?と問いかけている。
潔癖であることは悪いことではないと思うが、
脱原発などをテーマとした幾つもの政党を
さらに柔らかく結ぶ、大きな「政党のようなもの」が欲しいと切に思う。

2012年11月13日火曜日

11月13日

日曜日は、郷里宇都宮での反原発集会。
一緒にデモにも参加したかったが、そのまま帰京して、
首都圏反原発連合主催、さようなら原発協賛の、国会周辺での抗議行動に参加。
夕方から激しい雨が。
主宰者発表では、10万人が、あの雨の中で集まったという。
脱原発に賛同する議員さんもずいぶん参加しておられた。

それにしても横殴りの雨。
傘なしのわたしは、帽子をかぶって、
ビールケースでできた特設の壇にてメッセージを。
「国会から推進派議員を落とそう!」
わーっとあがった賛同の声を、わたしは忘れない。
わたしたちは正当な一票を使って、意思表示をするしかないのだから。
帽子は、ジュリーが「勝手にしやがれ」でかぶっていたようなそれだが、
原発だけは「勝手にしやがれ」とは、決して決して言えない。

保守的と言われるわが故郷での集会。
栃木で反戦と平和、そして女性の権利の拡張について、
戦後一貫して活動してこられたS先輩の娘さんもおつれあいと参加されていた。
ご本人は、無念なことに今年、亡くなった。
「お母様に、栃木でも『反』の集会がこんなに多くの
ひとと開けたよ、と見せてあげたかったよね」
そう申し上げたら、娘さんの頬に大粒の涙が。
S先輩。見てくれていますよね。

よれよれになって帰宅して、ぐっしょりと濡れた
帽子をドライヤーで乾かしながら、
アルバート・ハモンドの「落ち葉のコンチェルト」を聴いた夜になった。

2012年11月9日金曜日

11月9日


今日も、前のめり気味に息を切らせて、の一日だった。
午前中に東京を離れ、夕方に一度帰京。
クレヨンハウスに顔をだし、再び東京近郊へ。
思いのほか早く、21時30分に新宿駅に。
駅に着いた途端、
青のりと紅生姜がたっぷり載ったソース味の、焼きそばが無性に食べたくなった。
外食は心進まず、そのまま帰宅。
急いで着替えて、キッチンへ。
クリスマスソングを聴きながらの、ソース味の焼きそば作り。
ロメインレタスとトマトとブロッコリーのサラダ。
白髪葱たっぷりの水餃子と漬物で、なんとか食卓を整える。
おなかがいっぱいになって、いまはただただ眠い。
 
明日は恒例の「朝の学校」。
講師はテレビ朝日の川村晃司さん。
福島第一原発の過酷事故以来、多くのわたしたちが抱いている、
テレビというメディアへの
現在進行形の懐疑についてもお答えいただけるかもしれない。
都知事選や「近いうち」にあると言われている解散、
そして総選挙についても。
 
半原発・脱原発へのわたしたちそれぞれの一票をいかすには?
メディアは、動きのある維新の会や石原新党にばかりスポットを当ててはいるが。

2012年11月7日水曜日

11月7日

11月11日13時から予定していたデモが日比谷公園使用不可、
となったことは東京新聞の報道などでご存知のかたもおられると思います。
以下、拡散希望のメールが入りましたので、改めてご報告します。

11月11日マンモスデモ──「13時から予定しておりました請願デモについては中止せざるを得なくなりました。」
15時~19時の首相官邸前、国会議事堂周辺をはじめとする
永田町・霞が関一帯の大規模占拠抗議行動は予定通り行います!

当日、わたしは他所でのデモと集会に参加し、夕方帰京。
18時前には周辺に到着予定。
国会正門前でお目にかかりましょう!

それより1日前、10日(土)の
クレヨンハウス「朝の教室」は、ご案内のように
テレビ朝日の川村晃司さん。
わたしたちにとって無視できないメディアについて、一緒に考えましょう。

2012年11月6日火曜日

11月6日

東京は雨時々曇りの一日だった。
会うひとごとに「ついこの間まで、残暑だったのにねえ」
と言い合うような、この肌寒さ。
東日本大震災で被災したひとたちが暮らすところでは、
厳寒が速足でやってくる。
福島第一原発の「いま」についても
わたしたちは、充分なる情報を手にできてはいない。

そこに降って湧いたような都知事選。
そして、「近いうち」に統一選挙も。
取り組まなければならないあれこれで、息が詰まりそう。

10日の「朝の教室」講師はこのかた。


テレビ朝日の報道部の川村晃司さん。
何度か仕事をご一緒したことがあるけれど、いまこの時代に、
そしてテレビ界に川村さんがいてくださることのこころ強さを
いつもかみしめている。

福島第一原発の過酷事故から、およそ1年と8か月。
この間のメディアのありかた、
わたしたちにとって望ましい未来のメディアのありかたも含めて、
ここで再検証してみたい。

2012年11月3日土曜日

11月3日

今日は茨城県稲敷で講演。

集会のお報せは一日遅れになってしまったが、
拡散希望の以下のメールが入っていたので、
原発の反対運動をしているすべてのひとたちにかかわる「スラップ訴訟」なので、お知らせします。

昨日金曜日午後、上関原発問題の院内集会があった。
以下、メールの内容をそのまま。

---------------
……この集会では、上関原発計画に30年にわたって
反対を貫いてきた祝島から清水敏保さん、
シーカヤックで抗議に加わってきた岡田和樹さんなどに参加していただきます。
あらためて上関原発計画の問題性と、中国電力が清水さんや岡田さんを相手におこした4,800万円もの損害賠償訴訟の不当性を訴えます。
今週金曜日は、こちらの院内集会に参加してから官邸前の抗議行動に参加していただければと思います。
よろしくお願いします。

【拡散歓迎】
政府が9月14日に策定した「革新的・エネルギー環境戦略」の中で、
2030年代に脱原発を目指すことが位置づけられ、
原発の新設・増設は行わないという方針が示されました。
また、枝野経済産業大臣が、具体名をあげて、
上関原発計画は「進めさせない」と発言していることから、
脱原発を求める人々の中でも、上関原発計画は、もう進められないだろう、
大丈夫だろうという認識が広がっているかもしれません。

しかし、現実は、とても気を緩められるような状況ではありません。
中国電力は、政府が「革新的・エネルギー戦略」を発表した直後、
上関町内で、政府の「戦略」について、「将来に禍根を残しかねない政策」であり、
「極めて遺憾」だというチラシを個別に配布しました。
中国電力は、そのチラシの中で、
「安全性の確保を大前提に、今後も原子力発電を一定の比率で維持していくことが必要」だとして、「現時点において、電力の安定供給に資する上関原子力発電所の重要性に何ら変わりなく、当社では、上関原子力発電所の建設を断念することは考えていません。」と断言しています。 
電力事業者が、政府の政策や主務大臣の発言を全く無視して原発を推進しようとしていること自体、極めて異常であり、理解しがたいものであるとともに、私たちとしては、断じて許し難いものです。 

さらに、中国電力は、上関原発建設のための公有水面埋立免許が、今年10月6日に期限切れになる直前に、山口県に免許の延長を申請しました。
その理由を、中国電力は、「現状を維持する」ためだと説明しています。
しかし、上関原発計画には、30年にわたって地域の深刻な対立を招いてきたものであり、この期に及んで「現状を維持」しようとすること自体、重大な問題だといえます。 
もう一つ、上関原発計画にかかわる中国電力の動きとして、あらためて注目していただきたいことは、埋立工事に抗議した地元祝島の住民および自然保護を訴える市民個人に対して、総額4,800万円もの損害賠償を求め、裁判を起こしていることです。

これは、大きな力を持つ開発事業者等が、
市民の異議申し立てを威圧することを目的としておこす、
いわゆるSLAPP(スラップ)訴訟の典型です。
この院内集会では、上関原発計画に30年にわたって反対を貫いてきた祝島の住民であり、
損害賠償の被告にされてしまった清水敏保さんや、
シーカヤックで抗議に加わり、同じく被告にされた岡田和樹さん、
被告の弁護団にも参加していただき、あらためて、上関原発問題性や、
この損害賠償裁判の問題性を説明していただきます。
ぜひ、この問題を、国会議員や報道関係者、首都圏のみなさんにも
あらためて知っていただき、一日も早く、原発計画を白紙撤回させ、
損害賠償裁判についても、中国電力に取り下げさせる運動に
ご支援、ご協力を頂きたいと思います。

問い合わせ:
上関どうするネット http://kaminoseki.blogspot.jp/
担当 菅波 完 sugenami@nifty.com Tel 070-5074-5985

---------------
市民のまっとうな異議申し立てに蓋をし、異議申し立てをしたら、
「こんなめに遭うぞ」という威圧。
受け入れることはできない。こういった風潮も含め……。
来週土曜日、恒例の「朝の教室」の講師は、
原発報道に関するマスメディアの現在進行形の「事情」について、
テレビ朝日の川村晃司さんが講演をしてくださる。
是非、ご参加を!

2012年11月2日金曜日

11月2日

今日は朝からの打ち合わせを終えて、そのまま東京駅へ。

夜は、新川和江さんや金子みすずさんの詩を歌い続け、
音楽を通して柔らかな平和や反戦の活動をされている
吉岡しげ美さんのコンサートに出演。

昨日は夕方から、東京ドームで行われた
全国信用金庫の脱原発の集いに。
「朝の教室」でもご講演いただいた
城南信用金庫の吉原毅さんの呼びかけの会。
加藤登紀子さん、鎌田慧さん、
広瀬隆さん、田中優さんたちとご一緒に。

反原発の輪がもっと広くもっと深く、
わたしたちの暮らしに根付くように、と改めて自分と約束した。


「城南信用金庫の「脱原発」宣言」
吉原毅


2012年10月29日月曜日

10月29日

土曜日は埼玉で、
昨日日曜日は兵庫県の加古川での講演会。

日々が「投げられた石」(『パパラギ』のツイアビの言葉だった記憶がある)
のように過ぎていく。

20世紀初頭、はじめてヨーロッパの文明に接した南海の島の長、
ツイアビは 「パパラギ」(白人の意味)が「文明」と呼ぶものが
必ずしもひとに幸福と生きていく上でのエネルギーをもたらさないのではないか、
と島民たちにスピーチした。

そのスピーチをまとめたのが、『パパラギ』という一冊。
時々、読み返すのだが、
わたしたちは20世紀初頭に丸ごと戻ることはできないが、
それでも、いま目の前にある、
これからも永遠と思えるほど続く、
人がつくりだした不幸から目を逸らしてはならないはず。

数日前の朝日新聞、朝刊。
一面トップ「電力値上げ 年収減条件」とならんで
「日立、英原発会社買収へ 500億円超 輸出拡大目指す」の記事が。
仰天!
昨今の政治家たちでさえ、本音はともかく民意を気にしてか、脱原発のそぶりなのに、
この堂々の、原発会社買収とは!

リトアニアで日立が受注とされていた原発について、国民投票でノーの結果が出たのに。その日立である。
一基当たりの建設費、数千億円となると、民意なんてそっちのけ、となるのか。

人として、恥ずかしい、情けない。
「国内では、新規立地が難しく、原子力産業は斜陽化。
だからこそ、海外に技術を残したいという業界からの圧力が大きい」
という記事も。
トルコ、リトアニア、ベトナム、ヨルダン、インド、ポーランドなどなど、多くの輸出相手国の名前が上がっていく。

自分の国で苛酷事故を起こして、収束もまだまだの状態であるのに、それを外に持っていく。
原発廃物の処理はできない、というのが地球規模の心配なのに、海外にもどんどん原発をつくる?

いまだ健在の原子力ムラ。原発輸出への批判が弱まってきた、と読んでいるのか?
なめられたもんだな~、反原発運動。

諦めない、がんばろう。
子どもたちの未来の方が、ずっと心配だ。


11月10日の「朝の教室」。
テレビ朝日報道部の川村晃司さん。
まっとうで真っ直ぐな意見をおっしゃるので、
ある方向からはバッシングの対象になっている。
「話をした瞬間、中傷の電話がたくさん入るのですが」
と、いつもはほんのりと笑っておられる。

川村さんのようなひとが、テレビ局にいてくださることに深謝しつつ、
しっかりとわたしたちも学びたい。
タイトルは、いまわたしたちが最も知りたいことのひとつ、
「脱原発とマスコミの現在進行形」。
是非、ご参加を。

2012年10月24日水曜日

10月24日

沖縄の米兵による女性への性暴力事件。
どれほどの女性たちが、
水面下でも自らの心と身体への暴力に苦しみ抜いてきたか。
空を仰げば、強硬配備された「寡婦製造機」と呼ばれているオスプレイが飛び、
地上にいても、性暴力をはじめ、数々の暴力に沖縄の人々は苦しめられてきた。
バラク・オバマ大統領(ログニーとのディベートでは、言葉の力でまさっていたような気がするが)は、
ご自分の娘さんたちが性暴力の犠牲者になったら、どうするのだろう。
共和党よりも民主党を支持してきたが、なんだか腹立たしい。
この国の外交も、「属国」風、及び腰、米国の顔色をうかがいながら、
「国民の生活を守る」となにかというと言葉にする首相は
どこでどのように市民の暮らしを守るというのだろう。
わたしが性暴力を告発する小説『ザ・レイプ』を書いたのは30数年前だった。
何人かの性暴力の被害者への取材をもとに小説という形を借りて書いたものだったが、
「魂の殺人」とも言える、この最悪な暴力事件の本質を、
この国も、そしてかの国のエライひとたちは全く理解していないのではないか。
受けた傷を乗り越えて、新しい一歩を踏み出せた被害者たちを
「サヴァイバー」(生還者)と呼ばなければならないほど、
被害者は深い傷を負う。
このうえなく、不平等な日米地位協定も拓かれないまま、
わたしたちは、人権を語ることはできない。
この国にある米軍基地の70数パーセントが沖縄にあるのだ。

多くの人々の安心と安全のために、ある地域に暮らす人々に犠牲を強いるシステムは、
沖縄も福島も根っこではつながっている。

11月11日。首都圏反原発連合主催の「マンモスデモ」(広瀬隆さんからのメール)があります。
広瀬さんのメールをそのまま借用してお知らせいたします。

11月11日のスケジュール
午後1時から国会・霞が関周辺でどぎもを抜く巨大デモを展開
午後3時から国会周辺抗議行動
午後5時から7時まで国会正門前大集会─反原発・百万人大占拠

以上です。
よろしくお願いします。

2012年10月21日日曜日

10月21日

またまたブログをさぼってしまった。
東京を離れる日が多く、というのは言い訳でしかない。
なんだか少々疲労気味。
最終便で帰京してブログを書こうと思うのだが、
2時間ほど寝てから、とベッドにダイブ。
気が付くと、朝になっていて、また羽田へ、東京駅へ、の繰り返しだ。
せっかくipadを買ったのだから、車内で送ることもできるのだが、
そんな時に限って、「あ、玄関に置いてきちゃったっ」のていたらく。

最近、もの忘れをはじめ、具体的な忘れものがほんとに多い。
これも加齢からの贈りものだが、
忘れてはならないものが、わたしたちにはある。
福島第一原発の「いま」である。
作業員のかたがたは今も尚、被ばくしながら
酸鼻な作業を続けておられる。
そして、今日のような秋晴れの日、子どもたちは? 
地区によって放射線量は違うが、
ひとりひとりの子どもの「いま」と「これから」を考えると……、
申し訳なくて仕方がない。

復興予算が復興のためではなく、ほかに使われている。
そして現政権相変わらず、
「まるで原発事故などなかったかのような」日々の中。
40余年に渡り、原発を推進してきた自民党は、
自分たちがやってきたことなどすべて棚上げにし、推進に向かっている。
これだから、信頼できないというのだ、政治には。
これだから、再稼働はもちろんのこと、
2020年や25年や30年とはいわず、
わたしは即刻の廃炉を求めているのだ。

「とうきょうには オスプレイ とばないの?って
羽田に着いた途端、この子ったら聞くのです」
クレヨンハウスの店頭、沖縄からこられた家族の、お母さんから聞いた話である。
こうして、ある地区を犠牲にし、「あめとむち」をもって
高橋哲哉さん言うところの「犠牲のシステム」は進んできた。
それは事故後の今も尚、「この国」にしっかり根を張っているのだ。

怒れ、わたしよ。
怒ってどうなるかを考えるより、
怒りを表明するのだ、わたしよ。

2012年10月15日月曜日

10月15日

秋晴れ、の東京。
空がまた少し高く、また少し蒼くなったような。
秋です。金木犀が香ります。

香りが先にやってきて、その香りに気づいてあたりを見回して、 
Oh,ここか、と木を見つける……。
秋の金木犀と春浅い日の沈丁花は、香りでまず
「わたしはここにいます」と自己主張をするようだ。
花そのものにはきらびやかな印象はなく、
それがまたすてきなのだが。

今日は川崎で講演。遅い夕方に帰京(といっても近かったが)する車の窓からも、
不思議な懐かしさを連れてくる金木犀の香りが。
嗚呼、秋なのだとしみじみと。
金木犀夕暮れに似合う香りかもしれない。

たくさんの本を贈られる。
「書評によろしく」という率直な言葉が添えられた本も多い。
できるだけ送り手のご意向に添いたいと思うが、すべてを書評などでご紹介することはできず……。

そこでいつも悩む。

この数日間に届いた本の一冊に(送り主は作家の渡辺一枝さん)、絵本があった。
遠藤綾乙(あやを)さんとおっしゃる16歳の女の子が絵と文章を描かれた『あしたの猫』(オフィスエム 発行)。

表紙は、葉を生い茂らせる一本の樹の幹で、こちらを真っ直ぐに見ている一匹の猫。
鼻筋と頬からおなかにかけては白。足先も白いソックスをはいているようで、頭から背中、しっぽは淡い茶色のやわらかな表情の猫だ。

……一匹の猫がいました。

絵本はそんな言葉ではじまる。

その日。猫は生まれて初めての体験をする。大地が激しく揺れる体験。
遠くで大きな音が鳴り響く。
外に出ると、だーれもいない。だーれも。
雨が降ると、足下の植物は枯れていく……。そうして、猫も……。

16歳の瑞々しく真っ直ぐな感受性と論理性が描いた、「わたしたちのいま」。
『あしたの猫』というタイトルも象徴的だ。

2012年10月12日金曜日

10月12日


速足で歩けば、ちょっと汗ばむような。
けれど戸外のベンチに座って本を開けば、涼しい風がある瞬間から
少し気になるような快晴の金曜日。
金木犀の懐かしいような、ちょっと胸締めつけられるような香りを溶け込んだ今日の風。

クレヨンハウスをベースに朝から出たり入ったりして、夕暮れ時に、
クレヨンハウスの会議室、いつものパソコンの前に辿り着く。

開け放した窓の向こう、淡い藍色と薄墨色が空の真ん中で混じり合っている時間。
突然、藤沢周平さんの短編がむしょうに読みたくなる。
「花のあと」、「おふく」、[鬼ごっこ」、「意気地なし」、「鱗雲」、「うしろ姿」、
「まぼろしの橋」、「時雨みち」等々。

生きて、暮らしていくことの「しみじみ……」を、愛というより哀で描いた作品たち。
自分の暮らしやこころの向きが、ざらついてきたと思うと、
藤沢さんの作品に再会したくなる。
捩れをもとに戻すために、「座り皺」をのばすために、
ひと月前より冷たくなった水で、むくんだ感受性をしゃきっとさせるために。

明日13日(土)はすでにご案内通り、日比谷公園野外音楽堂で、
7月以来の「さようなら原発1000万……」の集会が。
ご案内通りにいかなかったのは、
当初13時スタートと聞いていた開始予定時間が14時に変わり、
わー、残念無念! 参加できなくなったこと。
ともに耳を傾け、語り合うことがたくさんあったのに。
同じゴールを目指し、熱い思いを共有する大勢のなかのひとりになりたいのに。
ま、しょうがない。次回、「あなた」にお目かかれることを。
明日、参加されるかたはくれぐれも、お気をつけて。

これから、明日に代読いただくスピーチ原稿を書く。
1行目からここまで書くのに、2分と少し。

すでに空は墨色に。

2012年10月6日土曜日

10月6日

「原発とエネルギーを考える」朝の教室、講師はフリージャーナリストの
木野龍逸さんだった。
飄然とした雰囲気の中に、真っ直ぐに事象と対峙する姿勢が気持ちいい。

教室が始まる前の、クレヨンハウス一階。
絵本が並ぶ一隅にある座り読み用の古いテーブル。
木野さんがお座りになってコーヒーを飲みながら軽い打ち合わせ(というか世間話)をしたのは、ご一緒に『検証 福島原発事故・記者会見』を書かれた故・日隅一雄さんが、「朝の教室」の講師として4月14日朝に来られた時に座ったのと、奇しくも同じ椅子だった。

チェルノブイリ原発事故の時に18歳だったとおっしゃる木野龍逸さんである。
3月のあの日から、記者会見に出席し、東電の隠蔽の壁に風穴を開けつづけた木野さん。あの日からほかの仕事はすべて断って(フリーランスンスにとっては、いろいろな意味でつらいことでもある)、東電と対峙してこられた。
こういった志あるジャーナリストの存在を通して、
わたしたち受け手は、わたしたちがメディアと呼ぶものの多くが、いかに国寄りであり、当局のシナリオ通りの情報を垂れ流しているかについても知ることができた。

東電の「出入り禁止」は3か月たった9月27日に解かれたが、
ある種の「色」がついた木野さんの、今後のジャーナリズム活動が自由に、存分に望み通りにいくことをわたしたちは心から応援したい。

お昼をご一緒して見送った後、次のようなホームページを発見した。
そのままお知らせする。

木野龍逸さんへご支援を!!
NPJ編集長日隅一雄とともに東電会見に出席し続け、
「検証 福島原発事故・記者会見」(岩波書店)の共著者である木野龍逸さんが、東電の株主総会の模様をインターネットで中継したことを理由に会見への出入り禁止を言い渡されていましたが、このほど、記者会見に復帰いたしました。
皆様からいただいたご支援に感謝申し上げます。

フリーランスとして安定した収入に乏しい中、ツイッターやブログで、
原発事故に関する情報を連日発信し続けている木野さんについては、
日隅編集長もブログ 「ヤメ蚊ブログ ‐ 情報流通促進計画」などで支援を呼びかけてきました。

日隅編集長の志を受け継ぐ 「ヤメブン」 弁護士として、引き続き、木野さんに対する皆様からのご支援をお願いします。

 支援金の振込先口座は下記のとおりです。
  郵便局の振替口座
  口座番号は 00100-5-362362
  口座名称は 木野龍逸支援の会(キノリュウイチシエンノカイ)

なお、銀行からの場合、
  ゆうちょ銀行
  〇一九店
  当座預金
  0362362
にお願いします(できれば郵便局の振替でお願いします)。
NPJスタッフライター 弁護士 中川 亮

2012年10月3日水曜日

10月3日



ブログをまたご無沙汰してしまった。
今週土曜日の「朝の教室」講師は、反原発、脱原発の意識をお持ちの方にとっては、おなじみのフリーランスのジャーナリスト木野龍逸さん。

福島第一原発の過酷事故の後、いまは亡き弁護士の日隅一雄さんと共に東京電力の記者会見に通い続け、厳しく、まっとうな追及をされ続け、隠蔽された事実を引きだし、わたしたちに伝え続けたかたでもある。
しかし、六月末にあった東電の株主総会で、議事内容を外部に発信したために「出入り禁止」になったことも、東京新聞の記事で明らかになって久しい。

東電広報部はその理由を「事前にメディアにお願いしていた約束ごとをお守りいただけなかった」と発表。この約束とは、東電の収支報告や監査報告などが行われた冒頭30分以降は写真やビデオ撮影してはいけないというものだったそうで、東電は株主のプライバシーを守るためにそうしたと言っているが、当日取材に入ったテレビ局の多くは、猪瀬直樹副知事をはじめ、株主が隠し撮りしたと思われる映像を放映していた。
多くのテレビ局も東電との約束事を反故にしている事実がありながら、なぜ木野さんだけが『出入り禁止』になったのか。

ご存じとは思うが、木野さんは、原発事故直後から日隅一雄さんと共に、連日、東京電力の記者会見に通い続け、様々な問題を果敢に追及されてきた。その経緯は、『検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したのか』(岩波書店・刊)に詳しい。
そういった意味においては、 木野さんは、東電にとって最も「遠ざけたい」ひとりであったはずだ。

決して少なくないメディアが、東電の「広報」担当のように、まさに東電広報の発表通りの言葉を垂れ流した中で、木野さんの存在はいつもひかっていた。それゆえの「出入り禁止」であり、同時にフリーランスのジャーナリストへの差別でもある。

その、木野龍逸さんをお迎えしての「朝の教室」。
4月14日の「朝の教室」で講演をしてくださった日隅一雄さんは、「もし体調が変化して、ぼくが行けない場合は、木野さんが代わりに行って講演をしてくれます。それは約束済みですから」とおっしゃっていたのだが。
その日隅さんのお別れ会でも、木野さんは飄然とした語り口の中に慟哭の思いを滲ませておられた。

先週は経済評論家の金子勝さんの、ラジカルにして笑いもあった素晴らしい講演。そして今週土曜日は、木野龍逸さんをお迎えしての講演会。
熱く、確かなお話が聞けるはず。ぜひ、ご参加ください。

2012年9月28日金曜日

9月28日

いろいろなことが気になってしかたがない。
「いろいろ」というけれど、根っこにあるのはひとつ。
「いのち」を、生きる権利を侵害するものだ。
言うまでもなく、特に福島のそれぞれの子どもたちの「いま」と「これから」。

子ども時代に、鼻血をだしたことはあった。
遊んでいる最中に塀にぶつかったり、
チャンバラをして勢い余って、棒で鼻をつっついてしまったり。
そんな時、鼻紙を丸めて棒状にして、鼻の穴につっこんで遊びを続けた。
なかなか止まらない時は「仰向けになっていなさい」と大人に言われた。

……子どもが鼻血をだすたびに、はらはらしています。
絶えず「もしや」という思いがあり、この1年半、正直心が休まった日はありません。
このまま幸い、健康な日々を送ったとしても、
わたしたち親は、子どもの、どんな小さない体調の変化にも頭をくらくらさせ続けるのです。

福島を出ていった子どもや、その親だって、同じでしょう。
この事実ひとつをとっても、わたしは許すことができないのです。
原発を、それを推進したひとたちを、国を。
もう一度、もう一度、3・11以前に戻りたい。
玩具を散らかして片付けない子に「いい加減にしなさい」と怒った日々。
家族で鍋を囲んだ日々。
あの頃は、子どもの鼻血に、こんなにも心を乱されることはなかったのです……。

明日は「朝の教室」。講師は金子 勝さん。
すでにキャンセル待ちの状態だが、是非、福島の彼女の思いも共有したい。

2012年9月27日木曜日

9月27日

福島では、原発の過酷事故のあと、郷里を離れた人々に帰村を促す流れがさらに強くなった。
誰もが自分が生まれ育ったところで、家族や隣人との歴史を刻んだところで、暮らし続けたいという思いがある。
庭石のひとつにも、山を背に風の思うままに揺れるコスモスにも、早くなった夕暮れ時の風景にも、かけがえのない記憶がある。それらと心の奥で柔らかくつながることによって、やすらかに今日を明日につないでいくことが容易になるのだ。
ご高齢のかたは特に、そんな思いが強いだろう。
しかし、地域によって差はあるかもしれないが、子どもたちは「そこ」にいていいのだろうか。すでに健康被害の予兆が見られる子どもたちはいる。 
国や政治が動かないなら、わたしたち市民が動くしかないのだが。
すっかり暮れた9月の空を見上げながら、この国を動かす方法を考えている。
こんな国をつくってきてしまった、ひとりの大人の責任として。
シコンノボタンが、たくさんの蕾をつけている。その中の幾つかが、深い紫の花を今日、ほどいた。

2012年9月24日月曜日

9月24日

今朝の東京新聞に12版に、選挙の供託金についての記事が掲載されている。
以前から考えていたことだけれど、衆院小選挙区だと300万円、
比例代表だと600万円と世界一高いのだ。

もともとは1925年の普通選挙法の制定に始まったというが、
当初の供託金は当時の金額で2000円。公務員の初年俸の約2倍に当たる金額で、
現在の価値に換算すると105万円相当に当たるという。
べらぼうに高いこの供託金は、当時「無産政党」と言われていた社会主義政党が、
国政に進出することを防ぐのが目的であったようだ。
間もなくあるだろう次の選挙で、
脱原発を訴え立候補しようとしているひとたちにとって、この金額は高すぎる。

米国、フランス、ドイツ、イタリア等、多くの欧州諸国には、この供託金制度は存在しないそうだし、
英国は6万2000円、カナダ8万円、韓国は105万円だという。
「現職議員は新人候補者を制限する施策に反対する理由はないからだ」
という識者のコメントも掲載されているが、確かにそうだ。
記事によると、自民党は2008年に供託金引下げの改正案を提出しているそうだが、
これも、当時の民主党が勢いを増す中で、野党の候補者が立候補しやすくすることで、
民主の勢力を分散する目的であったと、記事は説明している。
この高い供託金制度を変えない限り、
一般の市民はいかに志があっても、出馬できない現実がある。

2012年9月23日日曜日

9月23日

今日も一日中、バタバタと。
以下、お報せがあります。

 主催:バイバイ大間原発はこだてウォーク
連絡先:NPO南北海道自然エネルギープロジェクト TEL:080-5590-41178
~大間原発建設容認発言を受けての
道南緊急抗議アクション~
*大間町の対岸に住む私たちの声を世界にどどけよう!
9月30日(日)
15:00~16:30
千代台公園 集合
(コース:千代台公園15:30 → 本町交差点左折 →三井生命ビル(梁川町)左折 → 千代台公園 解散)

2012年9月21日金曜日

9月21日

結局、民衆党は脱原発などやる気はなかったのだ。
2030年も換骨奪胎! 閣議決定もなし、という。
次の衆院選挙で、自民と民主が多数を占めれば、
原発はそのまま推進され、再稼働も次々に、となるのか。
憲法改悪も、充分にあり得る顔ぶれだ。
デモも抗議行動も大事だし、続けなければならないが、
その先に見える政治の風景は、おそろしいものだ。

こうしている間にも、福島では作業員が被ばくを続け、
子どもたちに対しても、誰が「大丈夫」と保障するのだろう。
誰かが保障して、しかし、そうあって欲しくはないが、
保障が間違っていたとなっても、誰が責任をとれるというのだろう。
誰もとれない。
紛れもなく政治の責任ではあるのだが、
無策で非情な政治の責任として放置しておいていいのだろうか。

すでに健康被害と思われるような兆候は表れている。
それでもわたしたちは、「なにもしない」
政治をただ指をくわえてみていることしかできないのか。

次の衆院選で、わたしたちは一体、どこに一票を投じたらいいのか。

2012年9月19日水曜日

9月19日


「2030年代に原発稼働ゼロとする」と
新しいエネルギー戦略を決めた野田政権が
予想通りというか、すでに野田首相自身にユレ
が見えはじめたような気配がある。
 
経団連などの財界からの強硬な反対もあるだろう。
民主党代表選の他の三候補は現在のところ、
2030年よりも『前倒し」でと言っているようだが。
一方、国策として原発をすすめてきた自民党の
総裁選の各候補は、当然、党内の意見でもある原発容認派。
次の衆院選で、自民が政権を奪還した場合は、
まがりなりにも、ぶれながらも野田政権が言っている「2030年ゼロ」より
さらに大きく後退するであろうことは容易に想像できる。
おおかたのわたしたちは、代表選や総裁選に一票を投じることは
できないのだが。
 
刊行されてすぐに読んだナオミ・クラインの「ショックドクトリン」。
サブタイトルは、「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」。
文字通り、惨事に見舞われた人間の恐怖や底知れぬ不安を利用した
はげたか資本主義の靴音は、対岸ではなく、被災後のこの国が抱えた問題でもある。

2012年9月17日月曜日

9月17日

敬老の日だ。

いまもって長い間暮らしてきた福島に帰ることができず
(16万人のかたがたが帰ることができないでいる)、
その悲しみを言葉にすることもためらわれ、
下のまぶたで涙を堰き止めるために、空を見上げるお年寄りがどれくらいいるだろうか。

母を見送った夏が去り、いま5度目の秋。
新刊の拙著『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)の前書きにも書いたが、
詩人長田弘さんのこのフレーズが、今日はひときわ高く、心の中で鳴り響いている。

……ことばって、何だと思う?
  決してことばにできない思いが、
  ここにあると指さすのが、ことばだ……。

……一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の
  時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺して
  いった時間でもあるのだ……

……亡くなった人が遺してゆくのは、その人の生きられなかった
   時間であり、その死者が生きられなかった時間を、ここに
   在るじぶんがこうして生きているのだ……。
  (長田弘『詩ふたつ』花を持って、会いにゆく 人生は森の中の一日)クレヨンハウス刊より

『自分を抱きしめてあげたい日に』は、去年の3月11日以降、
折に触れて読み返し、時には声にして読んで、
わたしを支えてくれた「ことば」たちの紹介と解説めいたものを綴ったものだが、
「決してことばにできない思い」を心の奥底で抱きしめながら、
しかし一方では、「ことばにしなければならない思い」もしっかり素手で握っていこう。

昨夜は時間調整に成功。東京新聞「こちら特報部」デスクの田原 牧さんと、
福島原発告訴団副代表の石丸小四郎さんのシンポジウム「原子力ムラの責任を問う」に参加。

田原さんの問題提議「もういちど、フクシマへ」に、そうそうホントにそう、
わたしがこのところ感じていたことと一致して感動。

東日本大震災から一年と六か月余。
わたしたちは、この「状態」に慣れてはいけない。
汚染状況に鈍感になってはならない。
そしていまも、苛酷事故の現場で黙々と作業を続けるひとたちを忘れてはならない。

2012年9月16日日曜日

9月16日


日曜日午後15時。
近隣での講演をいま終えたところだ。
昨日は世田谷区で社協の講演。
久しぶりに保坂展人区長にお目にかかった。

このところ、例によって前のめり状態が続き、帰宅するともうヨレヨレ。
ブログを更新する余力がないまま、ベッドにダイブしていた。
昨日、今日と東京での講演だったので、体調回復。
今日は元気な落合に戻っている。

野田政権は14日、エネルギー・環境会議で
2030年代に「原発稼働ゼロ」を目指す、新しいエネルギー政策をまとめた。
反原発、脱原発の民意をこれ以上無視することはできない、
と思ったのかもしれないが、
総選挙をにらんでの選択とちょっと意地の悪い印象も消すことはできない。
世界第三位の「原発大国」であるこの国の、この政権が、
遅まきながらも「脱原発宣言」をしたのだから、
世界に大きなインパクトがあることは歓迎するが、しかし……。
原発稼働ゼロには避けることのできない使用済み核燃料の再処理問題は
先送りにされたままの、「原発ゼロ宣言」。

廃炉や廃物の最終処分についても具体策は示されていない。
言葉だけの「ゼロ」では意味はない。
この政策の行方を厳しくチェックしていきたい。

自民党の総裁選の顔ぶれをみても、「原発ゼロ」に賛同しそうな候補者はいない。
このままいけば、憲法改変も実現しそうな恐怖を覚える。

そして16日、東京新聞の朝刊。
政府の2012年度予算の復興特別会計のうち、
高速増殖原型炉「もんじゅ」等を運営する独立行政法人・日本原子力研究開発機構の
核融合研究費に、42億円が計上されていたことがわかった。
東日本大震災の被災地復興のために、わたしたち国民に負担を求めた復興予算が、
復興とは無関係の「原子力ムラ」にいってしまったということだ。
この事実に京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは次のようにコメントをしておられる。
「(略)核融合エネルギーは、実用化のめどが立っておらず、一般会計を含めて研究 予算を付けること自体無駄遣いだ」。

さらに枝野経産相は、電源開発大間原発など、建設中三つの原発に関して、
「2030年代に原発稼働ゼロ」という政府自らが掲げたロードマップに反して、
「建設の継続を容認する」考えを示したというニュースが。
これらの稼働が認められるのなら50年代まで稼働することになる。
ゼロ目標、やっぱり偽りだったな?

夕方から文京区で、東京新聞「こちら特報部」デスク・田原牧さんと、
双葉地方原発反対同盟代表・石丸小四郎さんのシンポジウム
「原子力ムラの責任を問う」がある。
なんとか参加しようと、いま時間を調整している最中だ。
久しぶりにお目にかかれることになる。

クレヨンハウスから刊行した田原さんのブックレット
『新聞記者が本音で答える「原発事故とメディアへの疑問」』。
自分がかかわっていて、妙なもの言いだが、心からお奨めの一冊!

2012年9月9日日曜日

9月9日

電力を大量に消費する真夏が終わり、残暑は厳しいけれど9月。

あれだけ社会を騒がせてきた「節電要請期間」も終わった。
結論からいえば、多くのわたしたちが予想したように、
大飯原発を再稼働させなくとも、電力は「足りていた」のだ。
真夏の、甲子園の決戦が行われた、あの電力消費量ピークの時でさえ。

これが、この国の「現実」である。
何度でも繰り返す。「これ」が、「この国」の、
そしてこの国の「財界」のやりかたであるのだ。
発行人をつとめる総合育児雑誌『クーヨン』に、
科学者猿橋勝子さんについて今朝がた書いた。

1945年8月、広島と長崎に原爆が投下された。
それより9年がたった1954年3月。
米国はマーシャル諸島ビキニ環礁で、水爆実験を行い、
マーシャル諸島の住民はもとより、遠洋マグロ漁船、
第五福竜丸をはじめとした日本の漁船の乗組員たちも被曝した。
米国の科学者は海水放射能汚染をはじめとして被害を小さく小さく見積もった。
どこの国にも「御用学者」は存在するのだ。
そのとき、猿橋勝子さんは「日本の義務」として、被害を調べ直し、
米国の研究所にも乗り込み、核兵器の被害実態を世界に問いかけたのだ。
いまより更に超大国だった米国と対峙して。
流布し続けた「安全神話」を、福島第一原発の過酷事故のあとは「安心神話」に乗り換えた、
この国の21世紀の御用学者たちは、猿橋さんの存在をどうとらえるのだろう。
岩波科学ライブラリーに、敬愛する友人であり、
世界的物理学者でもある米沢富美子さんの『猿橋勝子という生き方』がある。

今日は一日、宮城に。

2012年9月7日金曜日

9月7日

ご無沙汰の数日間、ばたばた走り回っていました。

涼しい朝でした。
大好きなルリマツリが涼しげな薄紫の花をつけています。

永田町は相変わらず、誰がトップに立つかで大騒ぎ。
福島をはじめ、東日本大震災のことなど忘れているのではないかと悲しくなります。
夜陰に乗じて、という言葉があるけれど、バタバタに乗じて、
首相は原子力規制委員会の委員の顔ぶれを決定。
あれだけの民意の反対を押し切っての決定に、唖然。
やはり、わたしたちの声は「大きな音」
(ご本人は言っていないと否定しているが)でしかないのだろうか。
2020年とか2030年とか、あるいは2025年とか原発「廃止」年度について、
推進派も反対派もいろいろな声があるが、わたしは「即刻廃止を求める。

海の向こうでも、このところ大きな地震が続いているし、
この国も南海トラフに限らず、大きな地震の予想がされている。
フランスの原発でも事故があったばかりだ。
詳細はわからないが、老朽化した原発だという。
日本も老朽化したそれを抱えている。
地震や津波だけが原発苛酷事故の原因ではない。
それでも尚、まだ待て、というのか。
浜岡原発のある静岡県が、住民投票を採択したことに、
かすかな希望を覚えるが、このところ永田町は、
まるで原発事故などなかったような、勢力争いに明け暮れている。

2012年9月2日日曜日

9月2日

9月1日の夜は、久しぶりに「セプテンバーソング」を聴いた。

いまやスタンダードナンバーになっているこの曲、
もともとは映画の主題歌ではなかったろうか。


♪ 5月から12月までは長い長い日々がある。
けれど9月になって、木の葉が色づきはじまると、
10月、11月、そして12月。月日は残り少なくなって……♪

この残りの日々を、あなたと共に過ごしたい、というようなラブソングだ。

毎年、8月末か9月のはじまりの夜にしばしこの曲を聴くのが、
夏を見送り、秋を迎えるわたしのささやかな儀式なのだが、
去年はそんな余裕などなかった。
8月31日、ちょっと体調を崩して、
夜遅くなりそうな約束を延期させてもらったので、
夜はこの唄を聴いた。

この歌の中で、9月、10月、11月と「今年」の残りの日々をカウントしているように、
一体、わたしたちが暮らすこの国はいつまで、
「いままでの暮らし」を続けようとするのだろうか。
福島第一原発のあれほどの苛酷事故を「体験」しながらも、
これほどまでに「民意」は原発はいらないと叫んでいるのに、
それが届かない無念さ、悔しさ。

南海トラフの被害想定可能な地図が発表されているが、
あの地図の中に幾つ原発があるのか。
被害想定地域に入っていなくとも、稼働していなくとも
原発は現にこの日本列島に54基あるのだ。
そのことと、予想される大地震を重ねて考えられないとすると……。
まだ何ひとつ片付いていない福島第一原発の「体験」を
どう位置付けたらいいのだろう。
わたしには、到底理解できない。

「体験」が意味があるのは、その体験から何を引き出し、
何を引き受けたか、にあるのだ、とわたしは考える。
福島の18歳未満の子どもたちの36パーセントに
甲状腺の「しこり」があるという発表を、
わたしたち大人はどうとらえるのか。

発表によると、「良性」というが、
「良性」であったとしても、どれほどの心理的負担であるだろう。
18歳未満の子どもたちは、
原発を一度たりとも選択していないのだ。
生まれてきたところに、原発があり、それが事故を起こしたということだけだ。

「セプテンバーソング」で幕開けしたこの9月も
走り続けるしかないようだ。
今日は島根にいる。

2012年8月28日火曜日

8月28日

至急のご連絡です。

ご存じのように、私たちが反・脱原発についてたくさんのことを学び、
つながるきっかけを贈ってくれた毎日放送の番組、
「たね蒔きジャーナル」が打ち切りになるという話があります。

先週関西を回った時も、存続を願うひとたちがすでにネットワークを作り、
動き出していることを確認しました。
昨夕も、毎日放送に存続を願う人々が集まったそうです。

この番組を通して、わたしたちは、京都大学原子炉実験所の
小出裕章さんのお話にも接し、「原発」についてたくさんのことを学びました。
画期的な番組だと思っています。
それがなくなる? この時期に? 
と多くの視聴者は納得いかない状況を抱えています。

ラジオ局に勤務していた遠い昔の経験からいうと、
これは局が新聞の取材に応えているような製作費の問題ではいような……。
存続を願うネットワークについては下記を是非ご覧ください。
www.tanemakifan.net

2012年8月27日月曜日

8月27日

夕暮れがとても早くなった。
新しい季節が確実にそこまで来ている。
18時を過ぎた空の色は残照を刻みながらも、淡い薄青と墨色のグラデーション。
子どもの頃、この季節はやり残しの宿題を考え、泣きたくなったものだ。
大人になったいまは、違った意味での宿題が。

選挙を間近に控えて、反・脱原発の民意は、果たしてどれほど候補者に届いているのか。
このところ各地を回っていて感じるのは、いま気づき、いま動き出したひとも
少なからずおられるということだ。
昨日、南紀では、ずっと疑問に思っていた謎が解けたような気がします、というお声や、
「自分の意志をはっきりと伝えることに躊躇する必要はないのですね」。
「悩んでいましたが、村長選に立候補することにしました」という女性からの声も。

いつだって、「はじめの一歩」。
九月に向けて、心新たに活動に取り組もう。

今夜は長野の女友だちが送ってくれた、
見事な茄子やいんげんで、
夏野菜の天ぷらを作ろうか。

2012年8月25日土曜日

8月26日


きょうも暑い。相変わらず怒髪から汗が流れでる日だ。
しかし電気はまだまだ足りている! と今日もまた繰り返す。
何度でも何百回でも繰り返す。

クレヨンハウス「朝の教室」の今日の講師は、作家の渡辺一技さんだった。
福島南相馬を軸に、昨年から現地で支援活動に取り組み続ける一技さん。
ひとつひとつのエピソードが、心に響く。

子どもたちを放射能の「被害者」にしてしまったことへの痛恨の思いと、
海にそれを垂れ流したことによって、ある意味ではこの国の子どもたちを
未来の「加害者」にもしてしまったことを考えると胸が詰まる……とおっしゃって、
言葉を詰まらせた一技さん。
受講生の中にも涙ぐまれるかたが大勢いらっしゃった。

講演を終わられてからの、昼食(講演会場がすぐにオーガニックレストランに早変わ
りするわけだけど)には、
作家の澤地久枝さんも加わって「girls talk」。
今後の反原発への希望や未来図についても熱く語り合った時空だった。

明日は再度、関西方面へ。
今夜中に発とうか、明日の早朝にしようか、
たまった仕事を前に、ただいま考慮中。
昨日も明石だったので、そのまま一泊すればよかったのだが、
なかなかそうはいかず、行ったり来たりの旅が続く。
移動中は、読みかけの本を読んだり、ゲラに手を入れたり、爆睡したりと
それなりの過ごし方をしているが。

2012年8月24日金曜日

8月24日

金曜日になると、首相官邸に行かなくっちゃ、と浮き足だつが、
今日は一日、関西。
やっぱり関西も暑い。

「おいしい魚を食べましょうよ」と画家の坪谷令子さんから
お誘いをいただいていたが、予定が詰まっていて、
大好物の「おいしい魚」は残念ながら、次回に。

坪谷さんも反原発の活動に熱心に取り組んでおられる。
絵本作家の長谷川義史さんも、関電を包囲する抗議行動を
続けておられる。
吹田選出の藤村官房長官に対して、反原発をアピールする
活動もはじまった。
しぶとく、かつ涼やかに、続けていこう!

明日は作家、渡辺一技さんの「朝の教室」。
南相馬に半ば住んでいるような日々から見えてきた住民の
姿、その声たちを共有しよう。

2012年8月23日木曜日

8月23日

酷暑、延長中!
真昼時、炎天下にいると、わが怒髪の中から
汗がたらたら流れ出してくる。
それでも電気は現在のところ、足りている!
足りているのだ、この暑さの中でも。

7月、あれほど喧伝された電力不足は、どうした!
この暑く長い夏を、再稼働なしで乗り切れることを
わたしたちに「体験」させたくなかったのだろう。
それで大あわてで、大飯原発を再稼働させたのだろう。
この国にある僅か二基の原発しか稼働していなくとも、
今現在、「足りている」のだ。
足りている現実に多くの市民が気づきはじめると
こんどは「エネルギーの安全保障のための」再稼働と
関西電力は言い始めた。

詭弁に詭弁を重ね、彼らが考えているのは、
「自らの会社の安全保障」のみ。
昨日、首都圏原発連合の有志たちが首相と会ったが、
報道されている通り、話は平行線に終始。
やはり民意は、「大きいな音」でしかなかったか。
「大きな音と報道されたが、そういう言葉は言っていない」、
と首相は言っているらしいが。言ったか言わないかではなく、
「そういう風に扱われている」ことを民意は憤っているのだが。

明日はまた朝早くから東京を離れる。
明後日は、クレヨンハウス「朝の教室」。
講師は、福島南相馬にずっと通い続けている作家の渡辺一技さん。
時々お送りいただく「一技通信」には、大きなメディアが見過ごしがちな、
地元でひっそりと暮らすお年寄りの声をはじめとして、
社会構造的に埋もれがちな「小さな声」に寄り添う、
一技さんの揺るぎない意志と姿勢がいつも瑞々しく記されている。

やさしく、りりしいひとなのだ、一技さんは。

「暑さ負けでダウンしてしまいました。お話をお聞きしたかったのに悔しい!」。
「介護している母が体調を崩して……」。
そんなご連絡がいくつかあり、まだ少し空席が。
ぜひ、福島の現実を、一技さんのお話から。

2012年8月20日月曜日

8月20日


あっちに行ったり、戻ったり、またそっちに行ったり、
とバタバタした一週間も終わり、新しい一週間が。

時々、今日が何日で何曜日であるかも思い出せないことが。
これは加齢によるものなのか、バタバタ続きのためなのか、よくわからない。
移動の最中、途切れ途切れではあるけれど、
『デモ! オキュパイ! 未来のための直接行動』(三一書房編集部編)を読む。
……3・11後の「未来」は直接行動が創り出す……
……進化を続ける「経産省前テントひろば」……
……オキュパイと反原発のあいだのどこかで……(目次より)
等々、なかなか興味深い寄稿が。

遅れてに遅れていた拙著『自分を抱きしめてあげたい日に』(集英社新書)が、
数日前に刊行。
反原発の活動を軸に据えた日々(今も続くが)、
わたしを支えてくれた言葉たちを集めた一冊だ。
続く岩波の新刊『てんつく怒髪』(とタイトルは決まった)のゲラ校正と取り組み中。
明日からまた東京を離れる。

2012年8月15日水曜日

8月15日

今日は、67回目の終戦の日。
「記念日」という言葉になにがなし抵抗があって、
「終戦の日」とわたしは呼んでいる。
元気だった頃、そして意識がはっきりとしていた頃、
母はこの日が来ると、しみじみとした口調で繰り返したものだ。
「もう、何があっても、戦争だけはいやだねえ。
絶対と言う言葉はめったに使えないけれど、これだけは絶対」と。
67年前、小さな地方都市で婚姻外でわたしをうんだ母は22歳だった。
親類縁者、友人からも猛反対をされた上での出産だった。
「最初から父親のいない子にしてしまってごめんなさい」
母は時々、そう言った。
「謝ることなんてないじゃない。わたし、
生まれてきてよかったと思ってるもん」
湿っぽい話が大の苦手な娘はそう言って、それ以上、
話が深まることにブレーキをかけたものだ。
もしかしたら、母はわたしの父にあたるひととの出会いについて、
戦時下で深めた愛について、もっと話をしたかったのかもしれないが。
数日前に書いたように、原発は核問題であるのだ。
「核」は廃絶するしかない。
普天間に配備される予定のオスプレイについても
「安全性」をうんぬんする前に、わたしたちは考えたい。
オスプレイは武器であり、
「安全な武器」など存在しない、と。
福島第一原発30キロ圏内にある川内村に行ってきた。
郡山駅から車でおよそ1時間20分弱。
住民の約一割に当たるひとたちが帰村しているという。
首相の「収束宣言」に呼応するように、
いち早く「帰村宣言」をした、山の多い村だ。
この村もまた、福島第一原発の過酷事故によって、
さまざまな苦悩と試練をいやおうなく迎え入れざるを得なかった。
わたしは反原発の話と、帰村についても
「自分で充分考え、自分で選ぶしかないこと」、
可能な限り情報を集め、自前で取捨選択をすること、
その場合、原発に疑問を呈している側の意見や情報にも耳を傾けてほしいことなどを
繰り返し語るしかなかったが。
住民の望郷の念はわかる。
誰もがそうしたいに違いない。
が、特に小さな子どもや、
これから新しいいのちを迎えるであろう若いひとの場合……。
どうすればいいのか。
他者がどこまで介入できるのか……。
いろいろなことがフラッシュバックで脳裏をよぎり、
不安定な時空を身体ごと漂うような時空だった。
帰京して、昨夜は遅くまで開いている花屋さんを探し、
母の好きな白と淡い緑色がかったトルコ桔梗に
紫の濃淡の八重咲きの同じ花、そして白い竜胆を母の遺影に飾った。

2012年8月13日月曜日

8月13日

土曜日は久しぶりに、愛川欽也さんの「パックイン・ジャーナル」に出演。
朝日ニュースターで打ち切りになってしまったこの番組を、
なんとか続けようと、ご自分でスタジオを作って存続を決意された愛川さんには脱帽。
わたしも非力ながら協力し続けたい。
ただ、土曜日はかなり前から東京以外での講演が続き、
なかなか思うようにいかないのだが。
以下、当日話し合ったテーマについて。
時間切れで、その場で言えなかったことも含めて。

1、消費税大増税に関して。
間もなく終戦の日を迎えるが、
この国の体質は戦前と変わっていないのではないかと思う。
市民の暮らしより国家を優先するということ。
民意を無視しての3党合意という密室協議。

「一体改革」と言いながら、肝心の社会保障は先送り。
一体改革ではないし、順番も違っている。
まず、将来の年金・医療・介護がどうあるべきかを決めるべき。
税収増を、公共事業に転用することが見えている。

官僚の増税論に従った「主権在官」という感じが抜けない。
市民の負担が増えただけ。
次の選挙で、主権「在官」ではなく「在民」を示さないと。
マスメディアは「決める政治を」と評価しているが、
民意不在のままなんでも決めればいいのか。
大事なのは、決め方であり、何より決める中身だ。
原発再稼働、オスプレイ強行配備、TPP参加、消費税のさらなる引き上げ。
すべてそこには、この国で暮らすものの意志が反映されていない。 

2、原子力規制庁委員の人事について。
大問題です。この国の思考は2011年3月11日以前で止まっている。
いまもって収束していない福島第一原発の過酷事故等まるでなかったかのように、
「3・11以前」に流れを戻そうとしている。
原発は電力問題ではなく、「核」問題だという意識がないから、
「規制」の解釈が甘くなる。
核問題は人間の手には負えない。
ひとたび事故が起きたら、10万年も放射能が飛散し続けてしまう。
だから、本来「規制」ではなく、「廃絶」すべきもの。
「原子力ムラ」を完全に解体しなければならない時に、この人選。
 委員長は一度就任したら、よほどのことがなかれば5年間、変わることはない。
その間に次々に再稼働が行われるのか。
この社会で暮らすひとの7割が、
電力の原発比率をゼロパーセントと答えているにもかかわらず

3、聴取会の結果について。
原発を動かしたいために「国民から意見を聴く会」を政府が開いたら、
7割近くが原発ゼロと答えている。
ゼロ、15パーセント、20~25パーセントと三段階に分けたやり方も、
合計すれば原発比率が3分の2になるように目論んだのだろうが、
結果は、「ゼロ」という民意が明確になった。
ならば、ゼロに向かわなければいけないのに、向かわない。
市民のまっとうな感覚は、もう二度と原発事故を自分にも他者にも、
特に子どもたちに体験させたくないと心から考えている。

この酷暑でも、電力は足りている! 
この事実を政府はどうとらえるのか。
足りている、という現実をわたしたちはしっかり再認識したい。
電力不足をあれほど喧伝していた関西電力の社長は、後に撤回したが、
「需要ではなく、エネルギーの安全保障のために福井の高浜3・4号機を再稼働させたい」
と信じられないことを言った。
連日の猛暑のもと、けれど、電力の利用率は今のところ原発ゼロでも乗り切れたはず。
活断層が走る敷地内の原発を再稼働させ、さらに事故が起きたら誰が責任をとるのか。

4、3・11福島第一原発の東電のビデオ一部のみ公開について。
国が51パーセントの株を持ち、東電はもはや国有化されている。
なのに未だ東電が情報隠しができるということはどういうことなのか。
未だに東電に権限があるようで、納得できない。
重要な証拠を隠ぺいさせたまま「一部公開」、と言われても納得できない。

5、オスプレイの配備について。
原発の推進と似ていますね。安全だ、安心だ、
事故は起きない、と流布して起きてしまった。
そもそもオスプレイの安全性を問題にしているけれど
とても奇妙なのは、オスプレイは武器。
「安全な武器などあるわけない」ということ。
次の選挙で民意を形にするしかないけれど、もどかしい。

月曜日は秋に刊行する「反原発の本」の手直しに集中。
オリンピックも終わったが、「いのちを脅かすものに反対する」という
わたしたちの「聖火」は燃え続けている。

2012年8月10日金曜日

8月10日

夜遅く帰宅して、テレビをつけるとオリンピック中継やダイジェストニュースが。

ひとの気持が、被災地、特に福島から離れてしまったのではないかと
不安に思う声もあるが、そうではないだろう。
反・脱原発への、わたしたちの「聖火」を何人も消すことはできない。
国は息詰まると、刺激的なイベント等を使って、市民の気持ちを
「大元」から逸らすことで、やりたいようにやってきたが、
「忘れさせていく装置」をそんなに容易に「再稼働」させることはできない。

電力は足りている。
専門家の正確な試算によっても「充分足りている」。
電力会社にとっても、いまや原発は「不良資産」でしかない。
それをどうするか!
動かし続けることで問題を先送りにすることをわたしたちは許容できない。
今後お盆休み前にして、急ぎの操業をする工場が増えることは考えられ、
瞬間最大ピークになることはあったとしても、
基本は「足りている」ことをわたしたちは心に刻もう。
ひとの知性とは、既存のすべてに「本当にそうなの?」と問いかけ、
自前で考えることから磨かれる。

2012年8月9日木曜日

8月9日

410数名のかたがたと共に過ごした2泊3日の「クレヨンハウス夏の学校 2012」。
今年のテーマは「いのち」。
無事終了した。
ちょっと疲れてしまって、ブログをさぼってしまった。

「夏の学校 2012」のそれぞれの講師のかたからは
この閉塞的は社会を拓く、刺激的で深い講話をいただいた。
政治学者・姜 尚中さんは、シューマッハーのあの著作
「スモール イズ ビューティフル」を軸に
これからわたしたちが目指す社会について。

フォトジャーナリスト・広河隆一さんは、
チェルノブイリ→福島をテーマに
わたしたちの「現在」と「未来」を。
久米島に作られた福島の子どもたちの保養所の話も。

絵本作家・長谷川義史さんは、新作に触れながら、
ご両親の話を通して、受け継いでいく「いのち」の繋がりについて。
紙芝居ライブに加えて、お得意のウクレレもゴヒロウ。

旭山動物園の飼育係を25年つとめた絵本作家あべ弘士さんは、
北極探検のエピソードの数々と
そこから生まれた絵本の話を。

動物医である竹田津実さんは、野生の動物のいのちと暮らし、
それにかかわる日々から見えてきた
いのち全般のおはなしを。

作家の寮 美千子さんは
奈良少年刑務所での少年たちと出会いと、
そこから生まれた、詩について。

シンガーソングライターの新沢としひこさんは
例年のように、楽しく心に響くコンサート、
といった具合。被災地岩手で応援歌のように歌われた、
「空より高く」も。ライブはやっぱり素晴らしい。

わたしは、「さようなら原発1000万人アクション」の活動と、
言葉のもつ「力」について話をした。
こういった会の成功は、一重に受講生のかたがたにかかっている。

「脱原発、わたしも署名集めをしています」
「7月16日は参加しました」
「官邸包囲、昨夜もいってきました」
「いのち、なんですよね。それしか、ないのですよね」
等々。
むしろ主催者が元気と励ましを贈られた2泊3日。

さあ、この贈られた元気を素手で握りしめて
明日に向かおう。

それにしても、永田町は相変わらず、党利党略、私利私欲の坩堝。
市民を置き去りにしたまま、醜悪なる権力争いを続けている。
3つの被爆体験。8月6日、広島での被爆。今日8月9日、長崎での被爆。
3月11日、福島での被爆。
原発問題は、発電所の話ではない。エネルギーの話ではない。
原子力の話、核の話なのです。発電所の話と思うから、発電量、電力が足りる、足りないという方向に話が進む。
実は、エネルギー問題だと思って論じている限り、解決の方向に向かわないのではないか。
推進派が、エネルギーが足りる足りない、発電コストが安い高いと話すことに、付き合ってはいけないのではないか。
原子力の話となると、核について、放射能について考えざるを得ない。
それは、人間の手に負えるのかどうか、まで問い詰めて、核廃絶が至上命題だと気づくことになるはずだ。
ここのところを、はっきりすっきりさせて、「闘おう」!

2012年8月2日木曜日

8月2日

暑い日が続きます。
それでも、現在、電力は足りています。
このことをわたしたちはしっかり心に刻みましょう。
どんなに足りないと喧伝されても
この暑さの中でも、足りていることを。

今週もタイトな一週間だ。
月曜日に旭川から帰京して、
そのまま三議員会館での記者会見。
原子力規制庁の委員の人選について。
今までも規制する側とされる側が一体下したこの国の原子力行政の下で、
福島第一原発の過酷事故はおきてしまった。

記者会見に参加された福島の男性が、どんなにせつなく苦しい思いの中で、
家族がばらばらに暮らしているか。
愛する郷里は「避難したひと」と「残ったひと」との間に、
どんな悲しい亀裂が生じているかを切々と語っておられたが、
まさに、これが「わたしたちの実情」だ。

委員の顔ぶれをみても、原発について疑問を呈している専門家は入っていない。
この国の政治家のほとんどは、思考回路が2011年3月11日「以前」で停滞、凍結している……。
そんな内容の話をした。

いろいろなところから、話をする機会を作っていただいている。
夏休みなし、の日々だが、不思議に元気だ。
憤りがあると、わたしは元気であるようだ。

今日はこれから8月分の「絵本の時間」の収録。
その後は打ち合わせ、取材と続く。
そして土曜日からは、恒例の「夏の学校」が始まる。
400名以上のかたがたが、この2泊3日を楽しみにしていてくださる。
頑張ろう。

1日。広瀬隆さんから以下のメールが。

本日2012年8月1日、ルポライターの明石昇二郎氏と、
私・広瀬隆が東京地方検察庁に提出していた、東京電力福島第一原発事故の
刑事責任を問うた告発状が、東京地方検察庁に受理されましたので、
ご報告します。いよいよ、歴史的な捜査が始まります。

2012年7月30日月曜日

7月30日

29日の集会、そしてキャンドルナイト、
おつかれさまでした。
日比谷公園での15時30分からの集会。
北海道から帰京しての参加だったが、喉を少々痛めたのか、
声がうまく出ないで、焦りまくってしまった。
大勢のひとをかき分けて、のど飴を差し入れしてくださった女性、
「あなた」、ありがとう! 助かった。
参加されなかったかたに向けて、喉を詰まらせて
わたしがメッセージしたことを、ここに再度。
限られた時間のスピーチには、
しっかり原稿を作っていくのですが、
その通りにスピーチできなかったので、改めて!

29日のスピーチ。

政府の思考回路は、去年の3月11日以前で止まったままです。むろん電力会社も同じです。
電力不足をあれほど喧伝していた関西電力社長は、後に撤回謝罪しましたが、
「需要ではなく、エネルギーの安全保障のために福井の高浜3・4号機を再稼働させたい」
と信じられないことを言いだしました。
連日の猛暑のもと、けれど、電力の利用率は今のところ原発ゼロでも乗り切れるはずなのです。
活断層が走る敷地内の原発を再稼働させた責任を誰かがとるのでしょう。
原子力聴取会でも、原発比率について、三段階に分けて作った設問自体が欺まん的です。
原発比率0パーセント、15パーセント、原発を増設しなければ達成できない20~25パーセント。
賛成か・反対かという設問でいいのに、三つに分けて、
原発比率が3分の2になるような欺まんをまたもや繰り返しています。
わたしたちが諦めるのを待っているのでしょう。でも、諦めませんよね。
彼らは知らない。わたしたちの内側に、憤りと明日のいのちへの希望から生まれた、
誰にも消すことのできない持続可能なエネルギーがあることを。
誰も押しつぶすことのできない持続可能なエネルギー。
目覚める朝ごと、わたしたちは自らの内側の持続可能なエネルギーに水やりをし、
原発ゼロの世界に向けてまた一歩、歩き出すのです。
この社会の価値観と理不尽な構造をかえるために。
この中にも、たくさんの挫折を知っている世代も多いでしょう。
わたしもその世代のひとりです。
闘いの半ばで、最後まで見届けることもなく、折れていったたくさんのいのちたち。
わたしたちは何度でも立ち上がります。わたしたちこそ、生き証人なのです。
熱中症に気を付けて、キャンドルナイトに向かいましょう。
キャンドルの炎は燃え尽きても、ひとの心を燃え尽きさせることはできないのです。

夕方からのキャンドルナイト。
一度抜けて、打ち合わせをすませて合流したのだけれど、
どこに行っていいのか……。
知り合いに声をかけられて、うろうろしていた。

クレヨンハウスのオーガニックレストランも
昨夜は国会周辺のキャンドルナイトに呼応して、
キャンドルだけの夜とした。

本日はこれから北海道へUターン。

2012年7月27日金曜日

7月27日

元気ですか?
元気でいてください。

ブログアップを数日間、さぼってしまいました。
岩波書店から秋に刊行する反原発の単行本のまとめと
ほかのあれこれが重なり、余裕がなくて。
この間、「10都県でストロンチウム」という忌まわしい記事が、
朝日新聞25日の朝刊に。

続いて、このブログでも触れたように懸案の原子力規制委員の人選案。
市民の命運を左右する人選案だが、「規制」と言いながら、
どこまで独立性と安全性への高い視座を持っているか、
委員の顔ぶれをみても、理解できない。

安全性というなら、
本来、「反・脱」の意識をもった専門家も必要だと思うが、
予想通り、そうではない人選案である。性懲りもなく!

7月29日(日曜)の国会包囲キャンドルデモは、
午後15:30 日比谷公園集合(日比谷公会堂裏の中幸門)
16:30 デモ出発
19:00 国会大包囲!!
主催は毎週金曜の官邸前抗議を呼びかけてきた
偉大なる「首都圏反原発連合有志」。

28日に北海道、30日も北海道で講演があり、
ほんとは中一日、北海道での休日にあてたかったが……。
一度帰京し、日比谷公園で短いスピーチを。
それからキャンドルナイトの国会包囲に参加。
途中抜け出して北海道に戻ることにした。
体力勝負、って感じだ(笑い)
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前述の規制庁人事に関しては、以下をご参考に。

 【超・緊急署名】~★大拡散希望!
★「原子力規制委員会」のムチャクチャ人事に異議あり!「原子力ムラ」だらけの人事はもうたくさん。これでは子どもたちは守れません!
★オンライン署名はこちらからhttps://fs222.formasp.jp/k282/form2/
★こちら補助フォームです。https://pro.form-mailer.jp/fms/d75df4fc31929
★紙の署名はこちらからhttps://dl.dropbox.com/u/23151586/120725_shomei_jinji.pdf
一次締め切り:7月30日(月)午前9時 
二次締め切り:8月2日(木)午前9時

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原発担当大臣 細野豪志 様国会議員各位「原子力規制委員会」の5人(田中俊一氏、更田豊志氏、大島賢三氏、中村佳代子氏、島崎邦彦氏)の国会同意人事案が複数のメディアに報じられました。しかし、このうちの3人は、明らかに「原子力村」の人間であり、現在までの原子力推進政策の責任者としてその責任を問われるべき立場にあります。とりわけ田中俊一氏は、日本原子力研究開発機構 副理事長、原子力委員長代理、原子力学会会長を歴任し、長年にわたって「原子力村」の中心で活動してきた人物です。事故後も原子力損害賠償紛争審査会では、最後まで自主的避難者への賠償に反対しました。低線量被ばくリスクについての認識がなく、「100mSvというのは健康に大きな影響がないということ。このあたりをどう今後住民に、折り合いをつけていただくかということが大変大事」と発言しています(注1)。政府が決めた年間20ミリシーベルトの避難基準をそのまま帰還基準とし、住民に20ミリシーベルト近い線量を浴びる暮らしを強いても構わないという考えです。中村佳代子氏も、「低線量被曝では子供と大人で発がんリスクに差がなく、原発事故による住民の被曝線量も十分に低い」(注2)と発言しています。注1)2011年8月23日 第32回原子力委員会 議事録より注2)読売新聞 2012年7月22日「原子力規制委員起用予定の中村さん、福島で講演」これは、「原子力ムラ」の中心人物に「規制」を担当させるもので、「利用と規制の一体化」に他ならず、「中立公正」でもなく、国会での法案審議の趣旨を踏みにじり、3.11の教訓から何も学ぶことなく、原子力安全行政に対して更なる国民の不信をもたらします。また、低線量被ばくの影響をもみ消そうとする巨大な行政の力を加速させることとなります。もうこりごりです。直ちにこの人事案を撤回して、国民の意見を踏まえた上での人事案を示してください!以下を要請します。


1.現在の人事案を白紙撤回し、原子力ムラの影響を完全に排除した案に差し換えること。
2.選定基準、選定に当たった内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室の体制、政府による選定プロセスを明らかにすること。
3.国民の意見をきくためのプロセスを設けること。パブリック・コメントを設けること
一次締め切り:7月30日(月)午前9時 二次締め切り:8月2日(木)午前9時

2012年7月24日火曜日

7月24日

毎日、家に戻るのが遅くなり、
メールチェックも従って遅くなる。

 昨夜のメールから、以下のものをお伝えします。
拡散をお願いいたします。

みなさま、様々な形で細野原発大臣、国会議員、マスコミに対して、
「原子力ムラの専門家を原子力規制委員に選任するな!」と、声を上げてください。
どんな短い要請文でもかまいません。何とかこの人選案を差し替えないと
今後、危険な原発が稼働を始めてしまいます。
ツイッターなどで、声を上げてください。

<一般向け>
大ピンチ。新設の「原子力規制委員会」の人事案、原子力ムラの面々。トップの田中俊一氏は、自主的避難の賠償に最後まで反対。新設の委員 会は巨大 な権限。まだ間に合う。人事には国会の同意が必要。国会議員に声を!
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5a71.html

<国会議員向け>
原子力規制委員会の人事に反対を。こんな人事では原子力ムラに日本は牛耳られます。トップの田中俊一氏は、原研機構副理事長、原子力委員 長代理、 原子力学会会長を歴任したムラ出身者。自主的避難の賠償を妨げた張本人。
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5a71.html

<メディア向け>
ちゃんと取材をしてください。原子力規制委員会の人事に異議あり。原子力ムラに日本は牛耳られます。トップの田中俊一氏は、原研機構副理 事長、原 子力委員長代理、原子力学会会長を歴任したムラ出身者。自主的避難の賠償を妨げた張本人。
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-5a71.html
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2012年7月22日日曜日

7月22日

やらなければならないことが山ほどあるのに、ちょっとボーっとしている。
仕事を抜けさせてもらって、東京会館で行われた日隅一雄さんを偲ぶ会に
短時間だが参加してきた。
白い花で飾られた祭壇の中央に、日隅さんの写真が。
確か東京新聞に掲載された写真だ。

昨年の5月末期の胆のう癌で「余命半年」と告知され,苦しい闘病をしながらも、
インターネットメディア「NPJ」(News  for  the  people in Japan)編集長として記者会見場に日々通い、東電に鋭い質問を発し続けていた日隅さんだった。

「主権在官」構造を打ち砕き、真の民主主義、「主権市民」を求め続けた彼の志を、
改めてわたしたちもしっかりと受け止めたい。
自分とそう約束しつつも、日隅さんの写真が瞼に焼き付いて……。

4月14日にクレヨンハウスの「朝の学校」で講演していただいた時の、
彼の言葉のひとつひとつが甦る。
東京共同法律事務所の先輩、海渡雄一さんが日隅さんに代わって、
最後の校正をしてくださったブクレット『原発事故報道のウソから学ぶ……市民が主人公となる社会のために』。
海渡さんはもとより、クレヨンハウスの編集担当者も本当に頑張ってくれて、
偲ぶ会に間に合わせることができたのだけれど……。
ご本人に直接手渡したかった。
きっと、はにかんだうような、あのキュートな笑顔を見せて受け取ってくれたに違いない。
無念だ。悔しい。
でも「市民が主役」の社会を目指して、わたしたちは歩いていこう。
日隅さんの、あの笑顔を胸に刻んで。

2012年7月20日金曜日

7月20日

金曜日。夕暮れの時間が近くなると、落ち着かなくなる。
しっかり雨具の準備もして家を出たのだが、仕事が終わらず、
悔しいな、首相官邸周囲での首都圏反原発行動には参加できなかった。
来週こそ!

ところで……。
今朝の朝日新聞には、沖縄普天間基地に配備されるオスプレイの
この5年間での事故件数が58件だという。
この国は、市民を「犠牲のシステム」の中に組み込んで、平然とし続けている。

さらに今朝の東京新聞には、「原発聴取会 業者任せ」という記事が。
将来の原発の比率はどれくらいがいいかを問う、市民への聴取会である。
アンケートの集計や分析も、広告代理店任せであると記事にはある。

明日の「朝の教室」講師は、広瀬隆さん。
明日の朝も、小さな会場は熱く! 熱く! なりそうだ。

2012年7月19日木曜日

7月19日

だいぶ遅くなってしまったけれど、7月16日はおつかれさまでした!
10万人集会に、なんと17万のかたがたが。
33度の炎天下、わたしたちの憤りは沸騰。 集会に続くパレードは、千駄ヶ谷コースを。
暑かったけれど、なんだかとても元気になれた一日だった。

16日までは、と手がつかなかった仕事が、そのあとにドーッと押し寄せ、ブログをさぼってしまった。
そして今日、7月19日の東京新聞朝刊には、おそろしいことが載っている。
原発が活断層の上にあることが判明して、「立地不適格」とわかっても、
現行法では、国が廃炉の命令ができないというのだ。
大飯3・4号機の建屋直近にある断層は?
志賀原発1号機の直下を通る断層は?
大飯原発再稼働しておいて、再調査指示だという。 まったく理解できない。

2012年7月15日日曜日

7月15日


「行くよー」
大勢のかたから、16日の10万人集会へのメッセージが続々と。
ありがとうございます。
北海道からも沖縄からも、福島からも、各地から。
すでに今日、東京入りをされたかたがたも大勢おられる。

わたしたちの反原発の声を、大きく、豊かに響かせよう、
東京(集会やパレードが行われるどこでも)の空に響かせよう。

理不尽過ぎるこの時代と、この社会を変えるどんな小さなチャンスも見逃さず、
果敢に、けれどデリケートに、すすんでいこう。
大権力に、21世紀の「アンチ」の形と意気込みを刻もう。

気温はかなり高そう。
湿度もまた高そうなので、参加されるかたは、くれぐれもご注意を。
毎回お伝えしているが、怪我や熱中症、むろん逮捕などゼロの、
解放感のある気持ちのいい、しかし意志のある集会とパレードを約束しよう。 
途中、気分が悪くなったら、決して無理せずに。
明日で終わるのではなく、明日からも続くのだから、無理は禁物。

それでは、集会とパレードで会おうね。

2012年7月14日土曜日

7月14日


九州をはじめ各地で、豪雨の被害が。
この国は、天候もまた大きく変わりつつある。
豪雨のニュースに接すると、いつも気になるのが、
崖に面したロケーションなどに建てられている
お年寄りの施設が少なくない事実である。
自然が豊かで風光明媚な、と言えないこともないけれど、
地価が安いところを選んだ結果でもあるだろう。

いつだってこの国は、より声が小さい側のひとたちに無理を強いて、
「経済的発展」を遂げてきたのだ。
果たしてそれを「発展」と呼んでいいのか。
以前にも集中豪富で、裏山が崩れ、
土砂流が施設をまるごと流してしまった悲しい事故があった。
こういった「小さな声」を封じ込め、いのちを後回しにする流れと、
原発推進・再稼働は無縁のことではない。
首相官邸を取り巻く多くの人々の声を「大きな音」と呼ぶ人々が、
この国の現在と未来を決めているのだ。

東電の記者会見で鋭い質問をされていた弁護士日隅一雄さん。
4月14日に「朝の教室」でもご講演いただいた。
そのお話を軸としたブックレットが22日の「故日隅一雄氏(弁護士)を偲ぶ会」
までにできる。
なんとしても間に合わせましょう、と日隅さんに代わってゲラチェックをしていただいた
同じ事務所の弁護士海渡雄一さんのおかげが大きい。感謝とお礼を。

さて、16日である。
東京では「10万人集会」。
そして同じ時刻に各地での集会が計画されている。
上京されるかたがたから、「行きますよ」というご連絡をいただいているが、
どうかお気をつけて。
また、事情があるかたはどうか無理をされないで!
わたしたちの反・脱原発の運動はまだまだ続くのだから。

2012年7月10日火曜日

7月10日

数日前の東京新聞に、ひとりの男性が紹介されていた。
福島の二本松市のNPO職員、関久雄さんというかただ。
61歳の彼は、東京電力福島第一原発の事故で放射能に汚染された自宅庭の土をリュックサックに背負い、東京を目指して歩いている。
歩いて、いるのだ。この暑さの中を。

東京にたどりついたら、彼は東電と経済産業省の職員に手渡す予定だという。
「この中に含まれる放射性物質は私たちの物ではない。国と東電に返したい」。
関さんの憤りが伝わってくる言葉だ。
ビニール袋に入った少しの土に、持ち歩いている放射線量測定器をかざすと、
毎時0・27マイクロシーベルトを示したという。
この数値は、24時間身に付けているとすると、単純計算で、
155日日間で一般の人の被ばく線量限度である年間1ミリシーベルトに達する計算だ。
放射性物質を含んだ土の遺棄は放射性物質汚染対処特別措置法に触れる可能性はあるが、携行について取り締まる法律はないという。
関さんのNPOでは廃校を利用し、農業体験や自然との触れあいの場を子どもたちに提供してきたそうだ。
事故の直後、自宅前の土や芝生の放射線量は毎時7~9マイクロシーベルトの高い値になった。
表土をはぎ取ったりしたが、現在も〇・7マイクロシーベルト前後で、室内でさえ〇・~〇・マイクロシーベルト。

関さんは過去にも反原発運動の一環で、使用済み核燃料再処理工場がある青森県六ケ所村から、高速増殖原型炉「もんじゅ」が立つ福井県敦賀市まで、複数の仲間とリレー形式で走った経験があるという。
六月上旬に二本松市を出発し、仕事が休みの月曜と火曜を利用して東京に向かった。
前回歩いた場所までは知人の運転する車などで歩みを進め、福島県郡山市、須賀川市、栃木県那須町と南下してきた。
「原発いらない」「こどもを逃がせ」と手書きした段ボールを体にくくり付けてのウォーク。
通りがかりの車から支援のクラクションが鳴る。時には、止まって「がんばってください」と言ってくれるひともいるという。
16日に東京・代々木公園で行われるデモ「さようなら原発十万人集会」に間に合わせるため、すべての道のりを歩くことは断念したそうだが、
17日に東電本店や経産省前で予定されるデモの時に、土を手渡す予定だという。

……と書いていて、涙がでた。

関さん。そして多くの方々、
16日、お目にかかりましょう。

2012年7月9日月曜日

7月9日


茨城県東海村に行ってきた。
「脱原発首長会議」の呼びかけ人でもある、
茨城県東海村の村長、村上達也さんと対談するためだ。
東京新宿を11時30分にたって、途中パーキングエリアでお蕎麦などすすり、
2時間余で東海村に。

東海村といえば、1966年わが国で初の商業用原発が稼働したところである。
村上達也さんが東海村の村長になったのは、1997年。
1999年9月30日の、核燃料加工会社JCOの臨界事故。
出張先の栃木県で村上さんは、緊急の電話で知らせを受けた。
とって返した村上さんは、災害対策基本法から逸脱する独断で、村民を避難させた。
「私が守るのは原発ではなく、住民だ」
この臨界事故では、無念にも2名の作業員が亡くなった。
村上さんが村長に就任した、東海村には2機の原発があり、水面下では、
3号機、4号機の建設も予定されていた。

原発を一機誘致すれば、20年間で、1千億円が入ってくる。
それゆえの、3号機、4号機の増設計画である。

決してはじめから脱原発と考えていたわけではないが、
増設には積極的になれなかった。

そのあと3度の村長選があった。
独断で住民を避難させた臨界事故直後は違ったが、3選目、4選目の村長選では、
推進派や原発増設派が対抗馬として立候補し、僅差での当選だった。

そうして2011年3月11日東日本大震災。
その時、東海村第二原発も、冷却用の海水ポンプのひとつが津波のために水没し、
福島第一原発とほぼ同じような危機一髪の状態にあったと村上さんが知ったのは、
震災から2週間がたった頃だった。
福島の惨状を知れば知るほど政府への、不信感が募った。
過酷事故を過少評価し、情報を隠ぺいし、被災者に不要な被曝を拡大させる専門家集団。
原発に反対するものを敵視したり無視する推進派。
昨年の6月、当時の経産大臣が安全を宣言し、運転再開に向けてゴーサインを出した時、
村上さんは、明確な「脱原発」派になった、とおっしゃる。

東海村に並ぶ家々の庭には、向日葵が咲き、立葵が青い空に向かってすっくと立っている。
梅雨の晴れ間に洗濯物は舞い、田んぼには緑の稲穂が。
これらの光景も、海水ポンプが水没した3・11に失われていたかもしれないのだ……。

詳しい対談は、「通販生活」の秋号を。

鹿児島県知事選・向原祥隆さん。残念。

2012年7月8日日曜日

7月8日


日曜日の19時45分。
さっきまでほのかな明るさが残っていた空も、この時間となると
群青色を溶かした墨色になっている。
窓の外、伸びた夕顔の蔓が、緑のネットにからみついている。
あと半月もすれば、白い、ほんとうに純白の花が夕暮れに
ほろりと花びらをほどいてくれるだろう。

郷里の宇都宮の垣根にも、この季節、夕顔が伸びていた。
大好物の海苔巻きの干瓢のおおもとが、夕顔だとは知らなかった
子ども時代の頃のこと。裏庭には、糸瓜棚もあった。
記憶のシェルター、という言葉が心に浮かぶ。
どうにも疲れた日は、その中にもぐりこみ、
疲労をとったら、またそこから飛び立つことのできる、
懐かしい記憶を集めたシェルターだ。
わたしの記憶のシェルターにあるのは、
やはり子ども時代のそれが多い。

だいたいこのブログは一日の終わり、それもかなり遅くなってから
書くのが常だったが、今夜は珍しく、早い時間にパソコンに向かっている。
金曜日、土曜日とブログが書けなかった。

毎週金曜日に首相官邸を取り巻く、抗議行動。
7月6日も雨の中、多くの人が集ったという。
わたしは仕事で東京を離れていて、とても残念だが、参加できなかった。
友人たちも大勢参加していて、携帯で「実況中継」をしてくれた。
終わりの頃、ちょっと揉みあいがあったと聞いているが、
怪我などがなくってほんとによかった。
ようやくメディアも取材するようになり、
「ニュースにならなきゃニュースじゃない」の法則が崩れつつあるようだ。

金曜日は朝から三鷹で講演。環境ホルモンフリーの、
主にドイツの玩具を輸入している会社「二キティキ」主催の講演会。
ニキティキが輸入している玩具は、クレヨンハウスでも人気のものばかり。
シンプルで、子どもの(大人も)の想像力と創造力をさっくりと耕してくれる
「一生もん」の玩具たち。

ケーセンの、ぬいぐるみもわたしのお気に入りのひとつだ。
母のベッドサイドにはいつもケーセンの、ゆったりと腹這った
確かな重量感のある猫や、ゴールデンレトリーバーや、熊や、
掌にのってしまう馬たちもいた。
いまは会長になられた、このニキティキの創立者・西川敏子さんが
素敵なかたなのだ! 
ドイツに留学している時に玩具に出会い、
帰国されてからニキティキを創られた。
知的で繊細で、毅然としていながらひとを寛がせる豊かな深さをお持ちの方で、
わたしはいつもドキドキしながら、ちょっと遠くから見ている。

彼女は、わたしがどんな話をするかも充分承知の上で、1時間30分の
時間をくださった。
もちろん原発の話もした。
子どもと向かい合う、すべての大人は子どもからするなら、
もうひとつの環境問題であること。

福島第一原発の原因究明もまだまだの状況で、
大飯原発3号機の再稼働をしてしまった、現政府の非情さ等々。
話を終えて、神奈川女性センターに直行。
追い詰められて、こころにトラブルを抱えた人々を支援するひとたちの全国大会での
話をした。
神奈川女性センターは、江の島にある。
記憶のシェルターにもぐりこば、
子どもの頃、江の島は母と来た海だった。
海ほうずきをまだうまく鳴らすことができず、口の中で噛んでいた夏だった。

城南信用金庫理事長、吉原毅さんのブックレットと、
亡くなった日隅一雄さんのブックレットの校正の手伝いを。
日隅さんとともに東電の記者会見に参加し、
共著『検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したか』を刊行された
木野龍逸さんが、東電記者会見に入ることができなくなったというニュースが。

明日は東海村に。
脱原発を目指す首長の会の、東海村村長・村上達也さんと対談を。

2012年7月5日木曜日

7月5日

以前から知り合いの、
はるか年下の女性(素敵な教師です)から、
以下、うれしいメールをいただいたので、ご紹介を。

……うれしい&楽しい話を。
 毎週金曜日の首相官邸前や、
 先日の新宿の脱原発デモなどで頑張っている知り合いの青年から 聴いた話です。

 日曜日、新宿デモのあとの居酒屋での乾杯を
 単なる「かんぱ~い」ではなく、
 「再稼働、はんた~い!」としていたら、
 いつの間にか、デモとは関係ない他のテーブルのお客さんたちもみんな
 「再稼働、はんた~い!」という乾杯になったとのこと。
 その場に居合わせたかったなと思いました……。


わたしもその場に居合わせたかったと心から。
去年から、誰かさんの本のタイトルではないけれど
『積極的その日暮らし』を続けている。拙著のタイトルだけど。
一日も休んでいないので、たまーに、ふーっとため息をもらしたくなることがある。
それでも、「かんぱーい」の代わりに「再稼働、はんたーい」で乾杯、
ほかのテーブルのお客さんもそれに合わせて……
と言う、うれしいニュースに接すると、それだけで疲れが吹っ飛ぶのだ。
今はちょっとしんどいけれど、わたしたちは「希望」に向かって歩いているのだ。
確かな明日に向かって、一歩一歩歩いているのだ……、と。

8日は川内原発のある鹿児島県知事選。
鹿児島在住であればよかったのに、選挙権が欲しい、と心から。

2012年7月4日水曜日

7月4日

昨日は午後遅くから、
フォトジャーナリストの樋口健二さんとブックレットの打ち合わせを。
原発で働いてきたひととじっくりつきあい、深い信頼関係の中から写された写真たち。
カメラに向かって、微笑んだり、ちょっと照れていたりするかたがたが、
「ひとをひととも思わない」現場で、そして現場を離れてからも、
どれほどの苦しみと無念さを募らせてきたか。
写真の中の彼らの中には、
すでに筆舌に尽くしがたい苦しみの中で亡くなられたかたがたもおられる。
危険性についてはほとんど何も知らされず、
原発という職場に出かけていった彼ら。
いまもなお、この流れは続いているはずだ。
「直球しか投げられない」と笑う樋口さんの姿勢と思想に頭が下がる。
苦しみ抜いて亡くなったかた。遺されたご遺族も、「本を待っています」。
頑張られねば。

ところで、8日が投票の鹿児島県知事選。
川内原発がある鹿児島での知事選である。
再稼働容認の現職と、
廃炉を求める反原発団体事務局長の向原(むこはら)祥隆さんの一騎打ちだ。
28日の東京新聞に掲っている、向原さんの笑顔のなんと素敵なことだろう。
顔がすべてではないが、顔がそのひとの生き方を確かにうつしだす場合はある。
市民団体が支持層の向原さんの応援は特に
小さな子どもがいるご家族が中心だとか。
東京新聞の記事によると、なんと告知後、
九州電力から「計画停電時の注意事項」というハガキが各家庭に届いたという。
受け取ったひとは「え? 計画停電するの?」と驚いたそうだが、
あくまでもお報せだったとか。
いまはまだどちらに投票するか決めていないという記事の中の男性でも、
この計画停電の報せには、原発を再稼働しないと電力不足がおきるという「脅しとしか受け取れない。
やり方があまりに露骨だ」と憤慨している、そうだ。
桜島の噴火回数はこのところずっと増えている。
去年より今年は3割強だと言われる。
地底で何かが起きている証拠でもあるだろう。
九州に脱原発の知事が誕生したら、社会は大きく変わる。
以下、『まだ、まにあうのなら』の著者、甘蔗珠恵子さんからの拡散希望のメールです。

……九州の脱原発を願っているグループみんなの力を結集してせっかく立候補してくれた向原さんを当選させましょうよ。
東京官邸前を包囲した20万人の人々希望はあります。山口県からは飯田哲也さんが立候補されています。
この二人が当選されたら一気に弾みがつきます。
草の根市民の力を発揮させたいです。
応援にはグリーンのスカーフ、タオル、Tシャツ、リボン、帽子、手袋、メガネ、なんでもいいです。
各々身に着けていって下さい。
投票は7月8日(日)です。時間がありません……

2012年7月1日日曜日

7月1日

大飯原発3・4号機が再稼働。
原発の真下に活断層がある可能性が高い
という専門家からの声があるにもかかわらず! 

また脆弱化した福島第一原発。
今後、地震が起きたら、どうするつもりか。
出たばかりの「週刊現代」(7・14号)の特集。
1号機建屋内の地下1階にたまった汚染水の照射線量は、
毎時10以上シーベルト(ミリシーベルトではない!)という数値であり、
それは人間が浴びると即死するレベルであることを全国紙の記者が証言している。
原発事故から1年と3か月。
この破滅的な数値をどう読めばいいのか。
さらに4号機貯蔵プールの使用済み核燃料。
地震で冷却水が回らなくなったら、という疑問も呈している。
大飯再稼働に続いて、伊方か?
苛酷事故は収束していないのだ。

夕方から池袋で集会。

2012年6月30日土曜日

6月30日

この土曜日は兵庫で、あす1日は山陽で講演。
往復にやたら時間がとられる旅だったが、
東京を数日離れることができないタイトなスケジュールのため行ったり来たり。
おかげで、読みたかった本が読めたし、爆睡だったりの移動中。

2012年6月29日金曜日

6月29日

金曜日の夕方は、先週に続いて首相官邸前に。
ものすごいひと、ひと、ひと、ひと。
広瀬隆さんから送られてきた空撮写真を (撮影 すべて野田雅也さん)。








主催者発表およそ20万人。
警察発表はなんと、1万5000人。
これは、なんだ?
横断歩道も封鎖されてしまったので、
思うように動くことができなかったが、
あの熱気、あの憤り、思いをわたしも持続したい。
22日には、絵本作家の長谷川義史さんや
長野ヒデ子さん、飯野和好さんたちも参加されていた、と後になってわかった。
長谷川さんは、反原発の缶バッジも作っておられるし、
今年の夏の学校の講師のおひとりでもある。
「原発なんてまったく考えてこなかったけど、目が覚めた?」と
去年の4月、番組でご一緒したとき、おっしゃっていた。
夏の学校といえば、やはり講師のおひとりである絵本作家のあべ弘士さん。
「さようなら原発……」の賛同人お願いのファックスに「もちろんです。原発反対!」と即お返事をくださったおひとり。
旭山動物園で飼育係をされていた日々の中で、「いのち」をしっかり見つめてこられたかたである。

2012年6月28日木曜日

6月28日

広瀬隆さんから以下のメールが。

みんな集まれ!!
6月29日(金)
電車に飛び乗れ!!
首相官邸前だ・・・

先週の金曜日に続けて、
今週も首相官邸前での
抗議行動が。
わたしもスケジュール調整成功。
もちろん参加します。
民意をまったく無視しているこの国、
この政治に鉄拳を。
でも、無理はされないでください。

2012年6月27日水曜日

6月27日

消費税増税法案が衆議院を通過した。
反対票は54票。
自民党のあまりに長い「独裁」にしびれを切らした多くのわたしたちが、
政治主導(=脱官僚政治)や税金の無駄使いを徹底的になくすことを、
民主党に託しての、歴史的な政権交代であったはずだ。
「コンクリートから人へ」のコピーも心地よかった。
「ひと」はあまりにもないがしろにされてきたのだから。
2009年の衆院選で、消費税は増税しないと言っていたのは
いったい誰なのか。
重大なマニフェスト違反だ。
さらに、これだけはマニフェストを変えるべきなのは、
安全神話が崩壊した原発に関して、である。
あれだけのシビアアクシデントを体験しながらも、
そしてまがりなりにも菅内閣では「脱原発依存」と転換したのを、
もとに戻して推進へ。
政策によって政権を選択する、
民意に対してこれほどの二重の裏切りはないのではないか。
関西電力大飯原発の敷地内を走る破砕帯がずれる可能性があり、
原子炉の危険性が専門家から指摘されているにもかかわらず、
再稼働GOである。
あの斑目春樹原子力安全委員会委員長ですら、言っているのだ。
新しい知見がでたら、評価をしっかりやり直すべき(27日、東京新聞朝刊)と。
信じられない、裏切りの連続だ。
国民の生活を守るために、と首相は言うが、
「いのち」の問題ではないか。
さらに核のゴミを処理もできない現実もそのまま、
再稼働という神経がまったく理解できない。
酷すぎる。
この酷さから目を逸らすことは、民主主義の崩壊と、
いのちへの侵略の共犯者になることだ。
諦めず、いまできることのすべてと取り組もう。

2012年6月24日日曜日

6月23,24日


金曜日の19時。
首相官邸前の集会に参加。
すごい!
特に、主催しているのは若いかたがた!

毎週金曜日はこうして抗議行動をしていることは知っていたが、
この時間はいつも仕事が入っていて、参加することができなかった。
大飯の再稼働を前に、迫る危機感と憤りと無念さが、霞が関にとどろいた。
本当に「とどろいた」のだ。

小さなお子さん連れの若い家族たち。
「ブログを見たよ」と声をかけてくれる女性たち。
「居ても立ってもいられなくてね。来ちゃったよ。あなたも身体、気をつけてよ」
杖をついて参加されたご高齢のかた(わたしも高齢者だが)。
ただただ立ち尽くして、涙を流されるかた。
「ありがと!」(こちらこそ)と声をかけていく、
会社帰りに参加したらしい男性たち。
本当にすごい熱気だった。

「さようなら原発……」からは鎌田慧さんとわたしが。
広瀬隆さんも参加されていた。
警備もすごかったが、この声を首相官邸の中にいるものたちは、どう聞くのか。
こんなにもたくさんの「声」を無視するのか。

木曜日は鬼のかく乱、熱を出して珍しくダウン。
それらが吹っ飛ぶような熱気に、
それも若者たちが始めた熱い集会に胸震えた夜だった。

土曜日は大阪での講演。
大飯町で再稼働反対をしているひとたちから、
30日の集会への参加を要請するファックスが事務所に入っているとの電話を大阪で受ける。
が、その日のその時間は、他所で講演をしている。
参加したいが、申し訳ない。

原子力基本法の改編は、原子炉の核兵器転用の為だけじゃなく、
原発の再処理事業の延命の為でもあると報道ステーションで。
http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/56628171.html

2012年6月20日水曜日

6月20日

至急のお報せです。
 土曜日の「朝の教室」でもお報せしましたが……。 

毎週金曜日に首相官邸前で抗議を続けてこられた
「首都圏反原発連合」の抗議行動に、
 鎌田・落合(もしかしたら広瀬隆さん)も今回は参加いたします。
ご無理のない範囲で、参加できるかたはいらっしゃってください。
 鎌田・落合は19時頃に参ります。

それにしても、ホントにどういう政府なのか。 
米軍普天間基地に8月にも配備されるオスプレイもそうだが、
なにひとつ市民の声が届いていない。

それでも、諦めないわたしたちでいよう。

2012年6月18日月曜日

6月18日

拡散希望の以下のメールが届きました。
海外の一斉行動です。
わたしたちも、さらなる声を!

拡散希望:「大飯再稼働に反対する世界一斉抗議行動」

2012年6月16日(土) 13:30 (日本時間)

世界中で日本政府の大飯再稼働に向けて抗議行動が始まりました。
世界各地の日本大使館と領事館前にて、野田総理の再稼働の決断に
対する抗議行動が行われ、抗議文と署名が届けられました。
この抗議行動の一部リストを、以下、グリーン・アクション、ピースボートと
Shut泊がまとめました。

オーストラリア
・キャンベラ
6月12日、オーストラリア緑の党国会議員であるスコット・ルドラム氏が、抗議文を在オーストラリア佐藤重和大使に届け出。
・メルボーン
戦争防止医療協会(MAPW)と平和をめざす日本人会が、日本領事館に抗議。

フランス
・パリ
6月15日 反核団体「ソティール・デゥ・二ユークリアー」ネットワーク940団体の57,000人の会員の署名による抗議文が野田総理宛に提出。
http://www.sortirdunucleaire.org/

ドイツ
・ベルリン
6月13日 ドイツ緑の党の53人の国会議員全員と緑の党代表全員が抗議文に署名。
他にも署名が集められ、合計6000の署名、野田総理と西川福井県知事宛の抗議文がベルリンの日本大使館に届けられた。
・ベルリン
6月12日、レベッカ・ハルムズ欧州議会議員による野田総理宛の抗議文が提出された。
・フランクフルト
6月15日 日本領事館前で抗議行動が行われ、領事と野田総理宛の抗議文が届けられた。

インド
・ムンバイ
友好共同体委員会 (EKTA) のスクラ・センにより、公開抗議文が送られた。

イタリア
・ローマ
6月13日、3700の署名による抗議文がローマの日本大使館に届けられ、記者会見が行われた。
http://isdepalermo.ning.com/notes/Fukushima

韓国
・ソウル
6月15日、11時、在韓国邦人と市民団体エネルギーと正義アクションが日本大使館前でデモを行なった。

タイ
・バンコック
6月15日 「再稼働見直しを、再稼働を止めよ」タイの市民活動家たちがプラカートを掲げ、日本政府の二機の大飯原発の再稼働に対する抗議をバンコックの日本大使館前にて行った。
http://www.daylife.com/photo/04qM6aH6NYfIo?__site=daylife&q=Thailand

アメリカ
6月15日 14:00 ニューヨークにて、「マンハッタン プロジェクト」主催による決起集会が、日本領事館前にて行われた。大飯再稼働に対する野田総理宛抗議文が届けられた。
6月15日 
ニューヨークで、同時多発一斉アクション
オレゴンで、同時多発一斉アクション
シカゴで、同時多発一斉アクション
ロスアンジェルスで、原発エネルギー情報サービス(NEIS)が日本領事館前にて抗議行動

以下は今後のアクション予定です:

6月18日 12時 二ユーヨーク日本大使館にて抗議行動(マサチューセッツ通り2520)NWアベニュー、デュポンサークル、ニューヨーク
6月22日 15時 「原発廃止、メルトダウン阻止:日本の原発をなくせ!」 イベント。 ロスアンジェルス 350 サウス グランドアベニュー。野田首相代理に抗議文を提出、16:45から被曝の影響へのアクションとしてのダイ・イン。

2012年6月16日土曜日

6月16日

昨日は一日、庄内だった。

米どころである。
水田の青々とした、まだ小さな苗を観ながら、
受け継いだ田畑でいのちを育てることさえできない
福島の農家のかたがたを考える。

今日16日は「朝の教室」。
行使は元スイスやセネガルの大使をつとめた村田光平さん。
効率万能の「父性原理」社会が行き着いたところが原発であり、
シビアアクシデントであるなら、
拓かれた「母性原理」(わたしは女性性原理と呼ぶのだが)の社会の構築を、
と大使時代に培われてきた人脈をいかして
反原発を世界に発信し続ける立場からのお話し。
首相の、大飯原発再稼働の最終判断の
翌日の教室であったこともあり、質疑応答にも熱いものが。

それにしても酷い話だ。
市民の声は素通りで、よくもよくも!
安全対策の多くを先送りしながら、
どうして原発は安全だ、国民の生活を守る、
などと言えるのだろう。
大飯3・4号機の再稼働を機に、
ほかの原発もなし崩しの稼働と考えているのだろう。

とにかく諦めない。
体力キープして、でき得る限りの活動を。

2012年6月15日金曜日

6月15日


『東京に原発を』を刊行されて以来、長年、
反原発の活動をされてきた広瀬隆さん
から以下のメールをいただきました。

落合恵子様
 このまま大飯原発の再稼働を、マスコミが誘導するままにズルズルと認めるわけにはゆきません。この一年以上、みなでやってきたことが、まったくの無になります。トンデモナイことです。今度は、絶対に引けません。
 何とか、国民的な緊急行動を呼びかけてください。急ぎます。鎌田慧さんにも電話してお願いしました。数でなら勝てます。落合さん、鎌田さん、大江さんの三人が声をあげてくだされば、私からも全国に呼びかけます。
 若者たちも賛同してくれています。5万人ぐらいならすぐに集まると言ってくれています。
 キャッチフレーズは「野田内閣の退陣」がよいと思います。野田個人に対する圧力が、最も効果があると思います。政治家に対する圧力が効果的でしょう。ですから、国会周辺でないと、この緊急行動の効果がないと思います。テレビと新聞が、それを実感できるように・・・
 あらゆる運動を結集しましょう。訴訟も、署名も、申し入れも必要だけれど、今は一点に全員の力を集中しましょう。「打倒・野田」の行動に。
 ただ私自身は、今週〜来週ずっと名古屋・北海道などでの講演会のスケジュールが詰まっていて、その東京行動には参加がかなり困難な状況です。うまく空いている日であれば駆けつけますが。
(私が行くと、肉弾戦になるので、自重します。)
 今から名古屋に出かけるところです。経営者の大規模講演会なので、決起を呼びかけてきます。
 取り急ぎ要用のみにて失礼します。草々不一

広瀬さんのご提案について、来週早々、呼びかけ人で話し合いを持ち、
決定した時点で、このブログでもお知らせします。
よろしくお願いいたします。

2012年6月14日木曜日

6月14日

有機の研究をされている新潟大学の野中昌法さんという先生
(お目にかかったことはありません)からの
11日に亡くなった水俣病の研究者であり、告発の実践者であり、
終始患者さんに寄り添われた原田正純さんの言葉が回ってきました。

「水俣の教訓を残してゆくために、忘れてはならない視点がある。
第1は、弱者の立場で考えること。
政策や研究とは、そもそも弱者の立場を基本にすべきである。
第2は、バリアフリーだ。素人を寄せ付けない専門家の壁、研究者同士の
確執、行政間の壁などが、患者救済や病像研究をどれだけ阻害してきたか、
私は目の当たりにしてきた。
そして第3は、現場に学ぶということだ。事実は現場にしかない」

今、有機農業も同じと考えます、と野中さんは書いておられます。
そして原発もまた同じだと、わたしは考えます。

明日は藤村官房長官に「さようなら原発」に集まって署名を提出します。
わたしは予定を調整できす、残念ながら欠席しますが、
皆様の思いをしっかりお届けします。

日曜「クレヨンハウス 朝の教室」は、元スイス大使の村田光平さん。
特に福島第一原発4号機の危険性について、世界中に発信をされているかたです。
むろんこの国の首相にも。
報道もされましたが、12日夕、反・脱原発で合意してくれる
議員さんたち30余り名のかたがたと会いました。
署名された方々の思いをお伝えし、
 「皆様のことを、署名者はしっかり見ています」、
「別言すれば、750万の人たちがそれぞれ一票を
行使する応援団とお考えください」と伝えてきました。
中には、
「電力会社から、次の選挙は応援しないと言われた。
それでもガンバります」という議員さんもいました。

これらの話し合いをしているちょうどその時間に、
日隅一雄さんは、病室でお仲間たちに囲まれておられたのです。

2012年6月13日水曜日

6月13日

弁護士日隅一雄さんが亡くなった。

12日20時過ぎ。49歳。

「朝の教室」に講師で来ていただいたのは、4月だった。
講演終了後、大勢の受講生のかたがたと
ご著書へのサインをされながら、
おひとりおひとりに丁寧にお話をされていた。
10日、日曜日に吉祥寺であった講演で
苦しそうにされていた、ということは聞いていたのだが。

とてもとても無念だ。
昨夜、今朝の新聞に掲載される訃報を友人の記者から送っていただいた。
ブログを書く気にもなれず、ただぼーっとしていた。
友人の記者が、そのまた友人から
次のように日隅さんがおっしゃっていたというメールが。

……(福島県庁のオフサイトセンターに公開質問状提出と記者会見に来て下さったときは)
食事はできず、点滴と気力だけで新幹線に乗って来て下さいました。
(けれど日隅さんは)「いや、活動することで生き甲斐になり、
去年5月にすでに余命半年と言われていたのが
免疫力があがってここまでこれた。幸せだった」と。

それにしても、悔しい。無念だ。
うまく言葉にできないので、12日のご報告を時系列で。

12時に水道橋で講演を終えて、そのまま衆議院へ。

12:30 横路孝弘衆議院議長

13:00 輿石東民主党幹事長 

    それぞれに「さようなら1000万人…」の署名提出。
    鎌田慧さん、澤地久枝さん、内橋克人さんと。

14:00~16:00 打ち合わせ

17:00~ 衆議院第一議員会館 第2会議室で 記者会見

18:00~衆議院会館 大会議室 原発に反対する議員さんたちへの報告会。

20:00~クレヨンハウスで澤地さんたちと食事。

21時頃、日隅さん訃報に接した。

嗚呼。

2012年6月10日日曜日

6月10日

今日は新潟。
「子ども女たちの健康をまもる会」の講演とシンポジウム。
熱い会だった。
イベントではなく、「これから」を探る決意に充ちた会だった。

昨日、兵庫県にお住まいの、絵本作家坪谷令子さんからメールが。
坪谷さんはお母様の介護をされながら、
このブログを読んで、時々メールを送ってくださる。
そういえば、坪谷さんに久しぶりに再会したのは、去年の4月。
大阪十三での小出裕章さんの講演会だった。
そして今年4月には小出さんの講演会も実現……といったように、
いろいろなところでいろいろな柔らな人の輪が繋がっている。
大飯原発再稼働に関しては、坪谷さんが書いた一文をご紹介したい。


野田首相様
枝野経済産業大臣様
細野環境・原発事故担当大臣様
藤村官房長官様

「責任を取る」とは…を、ずっと考えています。
どう考えても、大飯原発の再稼働は、
国民の不安や生命の危険を顧みない暴挙。
原発の安全性について、私たちは余りにも無知で
あった(安全神話に侵されていた)と恥じています。
この地震国にあって、原発は人の手に負えないものを
扱っていたのだと思い知りました…余りにも辛い酷い
中で。
では、どう生きて行くか…遅まきながら私たちは、
そう考え始めました。それが地震・津波・原発事故で
犠牲になった方々への贖罪であり、未来の人たちへの
“せめてもの誠実”なのだと思い始めています。
その想いは国中に広がり、人々は原発のない夏を
過ごそうと思い定め、具体的に何ができるのかを
模索し歩み始めているのです。
首相にとって「責任を取る」とは、そんな国民を
信頼することです。
人々の切なる想いをナイガシロにして原発再稼働を
見切り発車させることは、この国に生きる私たちのみ
ならず、この地球に生きる人たちと全ての生命の現在と
未来に対して無責任というものです。
真に命を大切にすることこそが「責任を
取る」に他なりません。
原発の再稼働をさせないことで先ず一歩、それを
実現させる道に近づいて下さいますように…。
今なら、まだ間に合うと祈るような想いで、お送り
いたししました。
                        2012.6.7 坪谷 令子(兵庫県)

坪谷さんは、亡くなった灰谷健次郎さんとコンビを組んだ本を出されている。
灰谷さんがここにおられたら………。

2012年6月9日土曜日

6月9日


東京ははっきりしない小雨がちの土曜日だ。
昨8日、野田首相は記者会見をし、
関西電力大飯原発3・4号機について
「再稼働すべきだというのが、私の判断だ」と語った。
この国に暮らす多くの人々の不安や心配、悲しみや喪失など
一顧だにせず、来週にも最終決定をするという。
周辺地方自治体が求める再稼働を「夏限定」とすることも、
夏限定では「国民の生活を守れない」と否定。

だよね、こうなると思っていた。
一度再稼働への道ができてしまえば、
「夏限定」などどうでもいいことになる、とわかっていたはずだ、
周辺地方自治体の首長さん。
それを承知した上での「合意」だったのか、それとも「裏切られた」のか。
「福島を襲ったような地震、津波が起きても事故は防止できる」と彼は言うが、
その福島第一原発の事故の原因究明さえできていないのに。

4号機はいま、どうなっている。2号、3号機の格納容器の水位はどうなっている。
何よりも、日々たまっていく使用済み核燃料はどうなるのか。

「こちら特報部」の「デスクメモ」。
クレヨンハウスの「朝の教室」の講師にも来ていただいた田原 牧さんの
短いメッセージに泣けた。
「略……使用済み核燃料は処理できず、
再稼働してもあふれるのは時間の問題。
道はこうある。希望のある挑戦か。
絶望しかない安寧か。敗北感に浸るにはまだ早い」

そう。敗北感に浸ってはいられない。
クレヨンハウスが出版しているからというだけではないが、
田原牧さんの反原発を語ったブックレット
『新聞記者が答える「原発事故とメディアへの疑問」』はすごい本だ。
易しく、深く、凄みを帯びたメディア論、反原発論。
読み返すたびに、わたしは「覚悟」をいただく。
わたしたちはこの非情な時代に、
田原さんのようなジャーナリストが存在していることを感謝したい。

きょう土曜日は午後から、新宿カタログハウスで、
渡辺一枝さんたちがされている、「声をあげよう女の会」でリレートークを。
そのまま抜け出して、文京区での講演に。

2012年6月8日金曜日

6月8日

晴天。
今日は午後まで幾つかの仕事を終えて、
夕方にクレヨンハウスへ。
この夏の気持ちいいグリーンカーテンを目指して、
ただいま、朝顔と夕方の蔓がぐんぐん育ってくれている。
今年は蔓性の植物を意識したので、ノウゼンカズラや
クレマチス(すでに咲いていてくれる)も、ぐんぐん、である。
こんな風に、反・脱原発の活動も「ぐんぐん」であるなら嬉しいのだけれど。

以下、京都から紹介希望のメールが。
ご覧にください。

俳優 山本太郎 緊急上洛!
6月13日(水)18:30〜20:30 http://nonukes-kyoto.com/

どうする? 再稼働、震災遺物(がれき)
俳優・山本太郎×奈須りえ(東京都大田区議会議員)×東日本原発事故体験者ユニット 対話の夕べ

【会場】京都教育文化センター 2Fホール
京都市左京区聖護院川原町4-13
※京阪電車神宮丸太町駅5番出口徒歩3分

【会費】1,000円(会場でお支払いください)
【託児あり・先着順】3才以上未就学児まで。
0~2才、 小学生以上は会場へお入りください。

【お問合せ・申込み】前日までに氏名・電話番号と、参加人数(お子様含む)を
以下のアドレスまでメールでご連絡ください。
info@nonukes-kyoto.com
※託児を希望される方は、
お子様の人数と年齢もお知らせください。
*HPはこちら http://nonukes-kyoto.com/

【主催】東日本原発事故体験者ユニット
【共催】京都を愛する市民の会

2012年6月7日木曜日

6月7日

6日は、18時~日比谷野外音楽堂で集会&デモが。
加藤登紀子さんのミニコンサートから始まって、
呼びかけ人から、鎌田慧さん、大江健三郎さん、
そして賛同人の佐高信さんのスピーチも。
心配していた空模様も夕方からは落ち着いて、
大飯町からの再稼働反対のかたもスピーチに続いて、
全国の保育園や幼稚園の保護者に署名のお願いの手紙をだすとき、
一丸となって書いてくださった、シスターの代表もスピーチをしてくださった。
反対署名の8万通以上は、彼女たちが投函してくださった手紙に対する返事でもある。
以下、6日のわたしのスピーチ。

……あいにく今日は荒れ模様の天気でした。
けれど、わたしたちの決意は、どんな雨にも風にも揺るぎません。
いま、心を覗き込むと、ひとつの言葉がすっくと立っているのが見えます。
……わたしたちは、決してあきらめない……と。
機能不全の国会。
「天命」などという時代がかった言葉を使うこの国の政治家は、
再稼働について「私の責任で、最終決定」をするといいます。
わたしたちは、あなたたちに、この人生を、この生命を預けた覚えはありません。
わたしたちは、この時代の、この社会の、目撃者であり、生き証人でもあるのです。
福島第一原発の過酷事故から、
わたしたちは、何を見たか、何を聴いたか、何がどれほど隠されてきたか。
何が偽りで、何が真実であるのか。
わたしたちは自前で判断します。
それを学ばせてくれたのが、この国であり、この国の政治です。
 失望と落胆と憤りの上に、
わたしたちは自前の志と希望を重ね、言います。
決して、決して諦めない、と。

過去を変えることはできなくとも、明日を変えます。
わたしたちが変えるのです。
もう一度、ここに約束をしましょう、
わたしたちは決して諦めない、と……。

澤地久枝さんの
「悲しみと憤りの中にいます。けれどがんばりましょ!」
の伝言もお伝えした。
次の予定の関係で、デモには参加できなかったが、
皆様、おつかれさまでした。

12日のお昼には、720万筆の署名を、
輿石、横路両氏にお渡しします。
1000万名署名は、もちろん続けます。
同日夕方には、「脱原発」を目指す議員さんたちとの会合が。

2012年6月5日火曜日

6月5日

今日は朝から夜中まで、みっしりの仕事だった。
終わりは6日の午前一時。
その前に、朝日新聞と集英社のコラボ企画、本の学校の講義が。
コーディネーターは、姜 尚中さん。
「OTHER VOICES」、この社会において、無念なことに「主流」となり得ない
「周辺に置かれた声」を軸に、介護などについての話を。
それが終わって、ラジオ深夜便。
好きな映画の話であり、好きな曲も流してもらえて、
あっという間の二時間近くだった。

6日は、朝から夕方まで仕事あり、
18時には、日比谷野外音楽堂で「さようなら原発」の署名の報告集会。

猛烈な勢いで邁進する、再稼働の流れの中で、
とにかく、あらゆる場面で「OTHER VOICES」をあげつづける……。
無念きわまりないが、諦めない。
天気が崩れそうで、不安だが、参加されるかたは、天候にご注意を!

2012年6月4日月曜日

6月4日

今日も板橋で講演。
お伝えしたいことが、こんなにある。
時間が足りない。
言葉を選びながら、思いを整理しながらの一時間半であった。
以下、次のようなメールが入りました。
拡散、よろしくお願いいたします。

★「原発いらない福島の女たち」から、
 「原発いらない全国の人たち」に発信します。
フクシマの女たちの叫びが、官邸には聞こえていない。
フクシマの男たちの悲しみが、野田には伝わらない。
...フクシマの子どもたちの悲鳴が、霞が関には届かない。
未曾有の福島第一原子力発電所事故を招いた責任を
東京電力とともに責任を負うべき国に、
もはや原子力発電所の再稼動を認可する資格はありません。
広大な放射能汚染地域の住民、特に子どもたちの命と健康を守ろうとしない国に、
原子力発電所の安全性を保証する資格はありません。
大飯原発再稼働にむけて、しゃにむに突っ走る野田政権。
私たちは、また福島から緊急に皆さんに呼びかけます。

★6月7日(木)国会周辺で、緊急アクションとして、
 ダイ・イン&座り込みをしますのでご参集下さい。
まずは、12時、経産省前テント集合です。(詳細は後日に)

2012年6月3日日曜日

6月3日


昨日2日付の東京新聞に「個の抗議」と題して、
東電の姿勢に電気料金の支払いを遅らせて
抗議するひとたちの活動が大きく紹介されていた。

記事によると、銀行口座からの引き落としをやめて、振込用紙を送ってもらう。
今年1月、2月は事故前の全国の発電比率(三分の一だという)を除いた額を。
3月分以降は、請求料金から一円引いた額を支払っているという。
「不足分が一年以下なら、延滞利子もかからない」。

1973年、オイルショックに伴う値上げが発表されたときも一時不払いをした、
日本消費者連盟の富山洋子委員もこの記事で紹介されて、
次のようにコメントされている。
「消費者として納得できないなら、簡単に料金を払う必要はない。
 暮らしの場からなされる意思表示は重い」。

東電は来年度から柏崎刈葉原発を再稼働も打ち出している。
時に無力感に、非力感に落ち込むが、
わたしたちひとりひとりにできることはまだまだあるはず。

日曜日もそろそろ終わりの時間。
月曜からの一週間は超ハードな日々になる。
早く寝よう、と言いたいところだが、まだまだ寝られない。
机の上に、五分咲きの白いバラが。

2012年6月2日土曜日

6月2日


まだ納得できていないわたしがいる。
大飯原発に関して、関西広域連合がだした結論についてである。
「事実上の容認」と橋下徹大阪市長はのべ、
一方、京都府の山田啓二知事は、容認を打消し、
「これからも主張する」と述べたという報道がある。

今朝の朝日新聞の社説にもあるが、
9人の首長は出連名で、「限定的なものとして」という声明をだし、
一方政府は容認と受け止め、再稼働を事実上決定した。
政府は期間限定を否定し、橋下市長は「期間限定」だと言う。

わたしたちにはなんとも理解しがたい事象ではあるが、
昨日1日、滋賀県は節電の目標を
従来通りの15パーセントとすることに決めたという。
再稼働を容認して「一件落着」とするなら、
広域の住民へ、なんと説明するのか。

同じ紙面の「朝日川柳」には、つぎのような川柳がのっている。
・ 節電の出ばなをくじく再稼働
・  とりあえず次の事故まで再稼働
おそろしいことだ。

午後の新幹線で帰京。
夕方は、新宿で講演。

2012年6月1日金曜日

6月1日

今日から6月。
昨日から胃がしくしくする。
理由は、再稼働だ。
関西電力大飯原発3号機、4号機。
結局は、安全性などすっ飛ばしたまま、
再稼働へと政府はつきすすんでいる。
安全評価、ストレステストの業務を受注しているのは、
日立や東芝、三菱重工などの原子炉メーカーだ。

ストレステストに、中立性など存在しない。
どこを見ても、何を掘り返しても、今朝の
東京新聞「こちら特報部」が詳しく書いているように、
『検査・審査も「自作自演」』の現実が。
まっとうな審査体制がない中で、何を信じろというのだろう。
7月2日というタイムリミットに向かって、
あらゆる手をつかって、政府は再稼働に踏み切るだろう……。

嫌な予測をしていなかったわけではない。
しかし、やはりショックだ。
一応、反対を唱えていた関西広域連合も、たった1夜で腰くだけ状態。
福島第一原発の苛酷事故から1年3か月。
何も変わっていない。
何も変えようとしない政治家が、この国を破壊させようとしている。

2012年5月30日水曜日

5月30日

昨日は荒れ模様の天気だった。
「STORMY WEATHER」というスタンダードナンバーもあったな、と。
この曲をテーマソングにしていた、レナ・ホーン(リナとも表記される)も亡くなった。
「クールビュテイー」と呼ばれた彼女は、コットンクラブ(コッポラの映画でおなじみ)で、
僅かな衣装を身にまとって踊り、やがてハリウッドに。
「笑うと、白人社会に迎合しているようでいやだった」と、微笑を消した彼女の抵抗の
姿勢すら、「クールビューティ」と商品化した「夢の都」。
昨夜は遅く仕事から戻って、彼女の「STORMY WEATHER」を聴いた。

先日、観たくてたまらなかった「ザ・ヘルプ」を、ようやく観た。
60年代のアメリカ。
白人中心社会で、白人の家で家事や乳母の仕事をヘルプしたアフリカ系アメリカ人の
女性たちと、白人の若い女性ジャーナリストの交流を描いた作品だ。
主題歌の「LIVING PROOF」(生きた証、とも生き証人とも解釈できる)もとてもいい。
集英社文庫で翻訳(厚手の上下巻)も出ているので、是非。

同じテーマを扱ったもので忘れられない作品に「LONG WALK HOME」がある。
南部のモンゴメリーの街にはじまった、アフリカ系アメリカ人のバスボイコット事件
(公民権運動を広げた)をテーマにしたもので、その映画にも出ていた
シシー・スペイシックが、この「ザ・ヘルプ」にも出ていた。
アカデミー主演女優賞を獲得したこともある女性俳優だが、人種問題に深い視点を
深く持ったひとなのだろう。
いつだって、権力はその社会の「OTHER VOICES」を消していく。

原発についても同じだろう。
前述の歌の中に、次のような一節がある。
♪……最悪の日々は終わった。
まだまだ気を緩めることはできないが……
わたしたち、反・脱原発を求めるものが、そう歌える日々はいつなのか。

拡散を希望する以下のメールが届いていたので、皆様に。
*********************************************************************************
本日、衆議院本会議において、原子力規制庁・原子力規制委員会設置法案の審議が
スタートしました。
この法案審議に脱原発の意見を反映するため、eシフト:脱原発新しいエネルギー政策を
実現する会は、5月29日、原子力規制委員会および原子力規制庁の設置に関する
NGO声明を発表しました。
みなさまの団体、ネットワークでも掲載等いただければ幸いです。
新しい規制組織の職員・委員が 「原子力ムラ」に占拠されないよう、また、6月末に予定されている国会事故調査委員会の報告・勧告をふまえた法律になるよう、脱原発を目指す市民・団体が協力して、国会議員への働きかけてゆきたいと思います。


原子力規制委員会および原子力規制庁の設置をめぐる与党法案
(原子力組織制度改革法案)と野党法案(原子力規制委員会設置法案)に関するNGO声明


http://e-shift.org/?p=1952

2012年5月29日火曜日

5月29日

気がつけば、クレヨンハウスの「朝の教室」がスタートしてから1年に。

何かできることはないか。
何かをするにしても基本をしっかり学びたい。
クレヨンハウスのスタッフの中には、スリーマイル島の原発事故のときは
「まだ5歳でした」という若いひともいて、
まずはスタッフの学びたいという思いからはじまった朝の教室。
同じころ、オープンの頃から(というと、なんと36年!)から通ってきてくださって、
チェルノブイリ事故の頃の学習会にも参加されていた客様たちからも、
「学びたい」というお声をいただいて、スタートした。

すでに22名の講師のかたがたと共に、考え、学んできたこの教室。
土曜か日曜の朝9時スタート、という時間帯にもかかわらず、大勢のかたが参加してくださっている。
昨夜も地震があったが、地震のたびに、そして竜巻などの天候異変のたびに、
ただでさえ脆弱化した福島第一原発は?
格納容器の水が40センチと言われる1号機は?
60センチと言われた、2号機は?
そして、4号機は? 
と不安で仕方がない。
むろん福島第一だけではなく、どこの原発も。

 以下、6月、7月の「朝の教室」講師のかたをご紹介します。

6月17日(日) 村田光平さん(元スイス大使)
アフリカ・セネガルほか、スイスの大使を長年勤めながら、
さまざまな国際会議に議長・パネリストとして参加。
2012年3月、参議院公聴会にて、
福島第一原発事故の危機的状況への対処を積極的に求め、
国連事務総長をはじめ、国外の人々にもその状況について報告。
著書に『原子力と日本病』(朝日新聞社)、『新しい文明の提唱 未来の世代へ捧げる』(文芸社)など。

7月21日(土) 広瀬 隆さん(作家)
著書『東京に原発を』は反・脱原発を考えるときのバイブルのような一冊。
長い間、原発に警鐘を鳴らし続けた広瀬さんが、
2012年の「いま、この時」何を考えておられるのか。
お聞きし、共に社会を拓いていきましょう。

2012年5月27日日曜日

5月27日


今日は荒川で講演があった。
大幅に遅れ気味の単行本のまとめに、なかなか落ち着いてとりかかれない。
先日、数時間だけ、肋骨のひびのために巻くきついコルセットを外していたら、
ほかのところに負担がかかったためか、背中や腰が痛むようになった。
コルセットをすると、今度は声がスムーズに出ない、という塩梅だ。

もう少しの辛抱、なんのこれしき!これくらい!で、
わたしは参りはしないと思いつつ、ちょっとばかり落ち込むのも事実だ。
母がいた頃、周囲を安心させるためになんでも「大丈夫」と言う母に、
「痛いなら、痛いって言ってよ。お母さん、なんでも大丈夫というのは、やさしさじゃないんだよ」
などと言った娘が、同じことを娘のほうもやっているな、と苦笑。
痛みも充実も、悲しみも喜びも、当人しかほんとのところはわからない。

東京、今日も快晴。かなり暑い。
洗濯をしっかりしてから、外出したかったけれど、パソコンに向かっているうちに、タイムリミット。
夜になってしまった洗濯。

いろいろなところで、選挙の話がでる。
選挙といえば、「一票の格差」である。
国会は一票の格差を、いつまで放置するつもりなのか。
どこの論調も「結論先送りで、衆院解散総選挙を先のばしているしか思えない」で一致している。
その通り、だ。
国会は現在、違法状態だ。通常、違法だと捕まるわけだが、国会を丸ごと逮捕しなければならない、のでは?
参院も同じ。このさい、自動的に公平にするシステムは作れないものか? 
いつも継ぎ接ぎで、定数を決めているのは納得いかない。

2012年5月26日土曜日

5月26日


久しぶりに愛川欽也さんの「パックイン・ジャーナル」に出演。
朝日ニューススターでの最後の番組に出てからだから、ほぼ2か月ぶりである。
敢えて、ご自分の劇団の稽古場を改造し、
自前でスタジオを作っての彼のチャレンジである。
是非ともみんなでサポートしたい、ひとりの負担にしたくないと願いながら、以前からの約束で、わたしも土曜は東京を離れる日が続き、ようやく実現した。

今日もたくさんのテーマがあった。
ひとつは東電が、企業向けの電気料金よりはるかに、
わたしたち一般家庭の電気料金から収益をあげているという事実。
「とれるところから、とろう」ということなのか、
この不公平をどうただしたらいいのだろう。

メディアも、家庭から平均して七割の事業利益をあげているという報道で終わらず、
「総括原価方式」を改めない限りこの構造は変わらないとか、
発送配電を分離しない限り自由競争が起きないとか、
エネルギー政策にもっと踏み込んだ提案をあらゆる角度から、
それも折に触れてしてもらいたいものだ。
政府は、東電を原子力損害賠償支援機構を通じて、
7月25日に実質国有化することにしているが、
そういった立場にある東電が、家庭向けの電気料金の値上げを申請すること自体、実におかしなことなのだが。

企業と一般家庭のこの格差は、企業向けの電気料金は自由化されていて、
電力会社は自由に価格設定ができることによる。
企業の場合、PPSなどの新電力などとの競争で、販売価格を下げたため、利益幅は少なくなっている。
一方、家庭向けは電力会社が各営業区域で販売を独占。
電気料も発電にかかる費用に利益を上乗せできる「総括原価方式」に守られ、 
安定した利益が得られる構造になっているのだ。
つまり、企業向けの競争が、家庭にしわ寄せされ続けてきた、という形だ。
「おかしい」「許容できない」と多くのひとは思っているはずだ。
あとは、政治判断なのだが、こちらも一向に動きが見えない。

2012年5月25日金曜日

5月25日


小雨がぱらつく金曜日。

今日の毎日新聞朝刊には、
見過ごすことのできない記事が一面に。

核燃サイクル政策の見直しをすすめてきた内閣府原子力委員会が
推進側だけで、勉強会と称する「秘密会議」を開いていた問題で、
近藤俊介原子力委員長が去年12月8日の会合に出席していたことが、判明したという。
この「秘密会議」は20回以上開かれ、
高速増殖炉の研究開発などを担当する文科省の職員も出席していたという。
「表」の会議である内閣府原子力委員会の小委員会(ややこしいが)の
審議時間を上回る「秘密会議」が続けられていたことになる。
市民が関知しない、目が届かないところで
再処理推進派だけが集まった「勉強会」とは何を意味するのか。
同紙の「余禄」にも、このブラックボックスを指して、「電力事業者と一体化した原子力ムラ」について、「国民はたまらない」と述べているが、まさに、酷いものだ。
まだまだ原子力ムラ、安泰ということか。

2012年5月23日水曜日

5月23日

朝から夕方までは、少し集中力を要する仕事を。
17時過ぎに湘南新宿ラインで横浜に向かう。
夕刊を開きながら、紙コップ入りのコーヒーを飲むしばしの休憩時間が、「美味」である。
18時過ぎから、憲法の集いで講演を。
5月は憲法集会が続く。

世界に誇るべきわれらが憲法は、わたしたちの暮らしの基本でもある。
ずっと以前、まだ20代にいた頃(ということは40年数年前である!)、
ラジオ局に勤務していたわたしは、深夜放送の中で、憲法を恋愛にたとえたことがあった。

かけがえのないものは、絶えず「それが、ここに在るということ」を意識していなくてはならない。
絶えず、「それ」に磨きをかけていなくてはならない。
「ここに在る」ことに慣れて、かけがえのなさを忘れてしまうとき、
「それ」は壊れるか、輝きを失うか、場合によっては奪われるおそれもある、と。

いま思えば、若いなあと笑ってしまう。
憲法を恋愛にたとえるとは、いささか無謀だなとも思うが、
底流に流れる気持ちに変わりはない。
憲法を考えることを5月だけのイベントに終わらせてはならない、と考える。

2012年5月22日火曜日

5月22日


東京新聞の朝刊を開いて愕然とした。

このブログにも以前書いたが、
福島第一原発2号機の水位が約60センチしかない、
という報道があり、そのことがずっと気になっていた。
その後、その事実をフォローするニュースにも出会っていない。
今朝の新聞にはそれに加えるに、1号機の水位も「40センチ」と報道されている。

…1号機「水位40センチ」。
「格納容器下部に穴 漏水か」…。
原子力安全基盤機構の解析でわかったと記事は伝えている。
他の新聞はこのニュースをどう伝えているか、
当たってみたが、見つからない。
どう考えたらいいのだろう。

知り合いの他社の記者に訊いてみた。
「東京新聞の特ダネでしょう、ほかはすべて
抜かれたのだということだと思います」。
そうなのかもしれない。
が、金環日食だ、スカイツリーの開業だと世間がお祭り騒ぎの中で、
水位60センチと40センチを抱えて、
わたしたちは暮らしている事実を忘れてはいけない。

そしてメディアは、無意識にせよ意図的にせよ、大事な事実を
「忘れさせていく装置」として「稼働」してはならないはずなのだが。
明日の朝刊もしっかり読み比べてみよう。

6月のクレヨンハウス「朝の学校」は、4号機の状態について、
ずっと警鐘を鳴らし続けている元スイス大使の村田光平さんを講師にお迎えしている。

2012年5月21日月曜日

5月21日

昨日の日曜日、武蔵野で憲法の講演会が。
改めて読み直してみて、やはり世界に誇るべきものだと考える。

肋骨のブレストバンドがきつくて、暑くて、声が出にくくて、
昨日数時間とっていたのだが、
やはり痛いところをかばうせいか、今度は反対側の背中が痛くなってしまった。
あせもができようが、やはりまだしばらくはコルセット着用を励行することに。

講演会が終了後、
すぐれた翻訳絵本も遺していってくださった、詩人であり法政大学の教師でもあった
きじまはじめさんの、妹さんからお声をかけていただいた。
「兄がいたなら、ご一緒に活動をしたはずです」。
その言葉が心にしみる。
お元気な頃、絵本についてなどお話をさせていただいた。

あのかたがいま、ここにおられたら……。
折に触れて、懐かしく切なくそう思い出すかたが、少なからずおられる。
長田弘さんの「詩ふたつ」の後書きを改めて心に刻む。

……わたしたちはわたしたち自身の固有の人生を生きながら、
亡くなったひとが生きられなかった時間を贈られて生きているのだ……。
というような、内容の後書きだった。
贈られた時間をしっかり受け止めて、一歩、一歩!