「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2012年7月8日日曜日
7月8日
日曜日の19時45分。
さっきまでほのかな明るさが残っていた空も、この時間となると
群青色を溶かした墨色になっている。
窓の外、伸びた夕顔の蔓が、緑のネットにからみついている。
あと半月もすれば、白い、ほんとうに純白の花が夕暮れに
ほろりと花びらをほどいてくれるだろう。
郷里の宇都宮の垣根にも、この季節、夕顔が伸びていた。
大好物の海苔巻きの干瓢のおおもとが、夕顔だとは知らなかった
子ども時代の頃のこと。裏庭には、糸瓜棚もあった。
記憶のシェルター、という言葉が心に浮かぶ。
どうにも疲れた日は、その中にもぐりこみ、
疲労をとったら、またそこから飛び立つことのできる、
懐かしい記憶を集めたシェルターだ。
わたしの記憶のシェルターにあるのは、
やはり子ども時代のそれが多い。
だいたいこのブログは一日の終わり、それもかなり遅くなってから
書くのが常だったが、今夜は珍しく、早い時間にパソコンに向かっている。
金曜日、土曜日とブログが書けなかった。
毎週金曜日に首相官邸を取り巻く、抗議行動。
7月6日も雨の中、多くの人が集ったという。
わたしは仕事で東京を離れていて、とても残念だが、参加できなかった。
友人たちも大勢参加していて、携帯で「実況中継」をしてくれた。
終わりの頃、ちょっと揉みあいがあったと聞いているが、
怪我などがなくってほんとによかった。
ようやくメディアも取材するようになり、
「ニュースにならなきゃニュースじゃない」の法則が崩れつつあるようだ。
金曜日は朝から三鷹で講演。環境ホルモンフリーの、
主にドイツの玩具を輸入している会社「二キティキ」主催の講演会。
ニキティキが輸入している玩具は、クレヨンハウスでも人気のものばかり。
シンプルで、子どもの(大人も)の想像力と創造力をさっくりと耕してくれる
「一生もん」の玩具たち。
ケーセンの、ぬいぐるみもわたしのお気に入りのひとつだ。
母のベッドサイドにはいつもケーセンの、ゆったりと腹這った
確かな重量感のある猫や、ゴールデンレトリーバーや、熊や、
掌にのってしまう馬たちもいた。
いまは会長になられた、このニキティキの創立者・西川敏子さんが
素敵なかたなのだ!
ドイツに留学している時に玩具に出会い、
帰国されてからニキティキを創られた。
知的で繊細で、毅然としていながらひとを寛がせる豊かな深さをお持ちの方で、
わたしはいつもドキドキしながら、ちょっと遠くから見ている。
彼女は、わたしがどんな話をするかも充分承知の上で、1時間30分の
時間をくださった。
もちろん原発の話もした。
子どもと向かい合う、すべての大人は子どもからするなら、
もうひとつの環境問題であること。
福島第一原発の原因究明もまだまだの状況で、
大飯原発3号機の再稼働をしてしまった、現政府の非情さ等々。
話を終えて、神奈川女性センターに直行。
追い詰められて、こころにトラブルを抱えた人々を支援するひとたちの全国大会での
話をした。
神奈川女性センターは、江の島にある。
記憶のシェルターにもぐりこば、
子どもの頃、江の島は母と来た海だった。
海ほうずきをまだうまく鳴らすことができず、口の中で噛んでいた夏だった。
城南信用金庫理事長、吉原毅さんのブックレットと、
亡くなった日隅一雄さんのブックレットの校正の手伝いを。
日隅さんとともに東電の記者会見に参加し、
共著『検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したか』を刊行された
木野龍逸さんが、東電記者会見に入ることができなくなったというニュースが。
明日は東海村に。
脱原発を目指す首長の会の、東海村村長・村上達也さんと対談を。