2012年10月29日月曜日

10月29日

土曜日は埼玉で、
昨日日曜日は兵庫県の加古川での講演会。

日々が「投げられた石」(『パパラギ』のツイアビの言葉だった記憶がある)
のように過ぎていく。

20世紀初頭、はじめてヨーロッパの文明に接した南海の島の長、
ツイアビは 「パパラギ」(白人の意味)が「文明」と呼ぶものが
必ずしもひとに幸福と生きていく上でのエネルギーをもたらさないのではないか、
と島民たちにスピーチした。

そのスピーチをまとめたのが、『パパラギ』という一冊。
時々、読み返すのだが、
わたしたちは20世紀初頭に丸ごと戻ることはできないが、
それでも、いま目の前にある、
これからも永遠と思えるほど続く、
人がつくりだした不幸から目を逸らしてはならないはず。

数日前の朝日新聞、朝刊。
一面トップ「電力値上げ 年収減条件」とならんで
「日立、英原発会社買収へ 500億円超 輸出拡大目指す」の記事が。
仰天!
昨今の政治家たちでさえ、本音はともかく民意を気にしてか、脱原発のそぶりなのに、
この堂々の、原発会社買収とは!

リトアニアで日立が受注とされていた原発について、国民投票でノーの結果が出たのに。その日立である。
一基当たりの建設費、数千億円となると、民意なんてそっちのけ、となるのか。

人として、恥ずかしい、情けない。
「国内では、新規立地が難しく、原子力産業は斜陽化。
だからこそ、海外に技術を残したいという業界からの圧力が大きい」
という記事も。
トルコ、リトアニア、ベトナム、ヨルダン、インド、ポーランドなどなど、多くの輸出相手国の名前が上がっていく。

自分の国で苛酷事故を起こして、収束もまだまだの状態であるのに、それを外に持っていく。
原発廃物の処理はできない、というのが地球規模の心配なのに、海外にもどんどん原発をつくる?

いまだ健在の原子力ムラ。原発輸出への批判が弱まってきた、と読んでいるのか?
なめられたもんだな~、反原発運動。

諦めない、がんばろう。
子どもたちの未来の方が、ずっと心配だ。


11月10日の「朝の教室」。
テレビ朝日報道部の川村晃司さん。
まっとうで真っ直ぐな意見をおっしゃるので、
ある方向からはバッシングの対象になっている。
「話をした瞬間、中傷の電話がたくさん入るのですが」
と、いつもはほんのりと笑っておられる。

川村さんのようなひとが、テレビ局にいてくださることに深謝しつつ、
しっかりとわたしたちも学びたい。
タイトルは、いまわたしたちが最も知りたいことのひとつ、
「脱原発とマスコミの現在進行形」。
是非、ご参加を。

2012年10月24日水曜日

10月24日

沖縄の米兵による女性への性暴力事件。
どれほどの女性たちが、
水面下でも自らの心と身体への暴力に苦しみ抜いてきたか。
空を仰げば、強硬配備された「寡婦製造機」と呼ばれているオスプレイが飛び、
地上にいても、性暴力をはじめ、数々の暴力に沖縄の人々は苦しめられてきた。
バラク・オバマ大統領(ログニーとのディベートでは、言葉の力でまさっていたような気がするが)は、
ご自分の娘さんたちが性暴力の犠牲者になったら、どうするのだろう。
共和党よりも民主党を支持してきたが、なんだか腹立たしい。
この国の外交も、「属国」風、及び腰、米国の顔色をうかがいながら、
「国民の生活を守る」となにかというと言葉にする首相は
どこでどのように市民の暮らしを守るというのだろう。
わたしが性暴力を告発する小説『ザ・レイプ』を書いたのは30数年前だった。
何人かの性暴力の被害者への取材をもとに小説という形を借りて書いたものだったが、
「魂の殺人」とも言える、この最悪な暴力事件の本質を、
この国も、そしてかの国のエライひとたちは全く理解していないのではないか。
受けた傷を乗り越えて、新しい一歩を踏み出せた被害者たちを
「サヴァイバー」(生還者)と呼ばなければならないほど、
被害者は深い傷を負う。
このうえなく、不平等な日米地位協定も拓かれないまま、
わたしたちは、人権を語ることはできない。
この国にある米軍基地の70数パーセントが沖縄にあるのだ。

多くの人々の安心と安全のために、ある地域に暮らす人々に犠牲を強いるシステムは、
沖縄も福島も根っこではつながっている。

11月11日。首都圏反原発連合主催の「マンモスデモ」(広瀬隆さんからのメール)があります。
広瀬さんのメールをそのまま借用してお知らせいたします。

11月11日のスケジュール
午後1時から国会・霞が関周辺でどぎもを抜く巨大デモを展開
午後3時から国会周辺抗議行動
午後5時から7時まで国会正門前大集会─反原発・百万人大占拠

以上です。
よろしくお願いします。

2012年10月21日日曜日

10月21日

またまたブログをさぼってしまった。
東京を離れる日が多く、というのは言い訳でしかない。
なんだか少々疲労気味。
最終便で帰京してブログを書こうと思うのだが、
2時間ほど寝てから、とベッドにダイブ。
気が付くと、朝になっていて、また羽田へ、東京駅へ、の繰り返しだ。
せっかくipadを買ったのだから、車内で送ることもできるのだが、
そんな時に限って、「あ、玄関に置いてきちゃったっ」のていたらく。

最近、もの忘れをはじめ、具体的な忘れものがほんとに多い。
これも加齢からの贈りものだが、
忘れてはならないものが、わたしたちにはある。
福島第一原発の「いま」である。
作業員のかたがたは今も尚、被ばくしながら
酸鼻な作業を続けておられる。
そして、今日のような秋晴れの日、子どもたちは? 
地区によって放射線量は違うが、
ひとりひとりの子どもの「いま」と「これから」を考えると……、
申し訳なくて仕方がない。

復興予算が復興のためではなく、ほかに使われている。
そして現政権相変わらず、
「まるで原発事故などなかったかのような」日々の中。
40余年に渡り、原発を推進してきた自民党は、
自分たちがやってきたことなどすべて棚上げにし、推進に向かっている。
これだから、信頼できないというのだ、政治には。
これだから、再稼働はもちろんのこと、
2020年や25年や30年とはいわず、
わたしは即刻の廃炉を求めているのだ。

「とうきょうには オスプレイ とばないの?って
羽田に着いた途端、この子ったら聞くのです」
クレヨンハウスの店頭、沖縄からこられた家族の、お母さんから聞いた話である。
こうして、ある地区を犠牲にし、「あめとむち」をもって
高橋哲哉さん言うところの「犠牲のシステム」は進んできた。
それは事故後の今も尚、「この国」にしっかり根を張っているのだ。

怒れ、わたしよ。
怒ってどうなるかを考えるより、
怒りを表明するのだ、わたしよ。

2012年10月15日月曜日

10月15日

秋晴れ、の東京。
空がまた少し高く、また少し蒼くなったような。
秋です。金木犀が香ります。

香りが先にやってきて、その香りに気づいてあたりを見回して、 
Oh,ここか、と木を見つける……。
秋の金木犀と春浅い日の沈丁花は、香りでまず
「わたしはここにいます」と自己主張をするようだ。
花そのものにはきらびやかな印象はなく、
それがまたすてきなのだが。

今日は川崎で講演。遅い夕方に帰京(といっても近かったが)する車の窓からも、
不思議な懐かしさを連れてくる金木犀の香りが。
嗚呼、秋なのだとしみじみと。
金木犀夕暮れに似合う香りかもしれない。

たくさんの本を贈られる。
「書評によろしく」という率直な言葉が添えられた本も多い。
できるだけ送り手のご意向に添いたいと思うが、すべてを書評などでご紹介することはできず……。

そこでいつも悩む。

この数日間に届いた本の一冊に(送り主は作家の渡辺一枝さん)、絵本があった。
遠藤綾乙(あやを)さんとおっしゃる16歳の女の子が絵と文章を描かれた『あしたの猫』(オフィスエム 発行)。

表紙は、葉を生い茂らせる一本の樹の幹で、こちらを真っ直ぐに見ている一匹の猫。
鼻筋と頬からおなかにかけては白。足先も白いソックスをはいているようで、頭から背中、しっぽは淡い茶色のやわらかな表情の猫だ。

……一匹の猫がいました。

絵本はそんな言葉ではじまる。

その日。猫は生まれて初めての体験をする。大地が激しく揺れる体験。
遠くで大きな音が鳴り響く。
外に出ると、だーれもいない。だーれも。
雨が降ると、足下の植物は枯れていく……。そうして、猫も……。

16歳の瑞々しく真っ直ぐな感受性と論理性が描いた、「わたしたちのいま」。
『あしたの猫』というタイトルも象徴的だ。

2012年10月12日金曜日

10月12日


速足で歩けば、ちょっと汗ばむような。
けれど戸外のベンチに座って本を開けば、涼しい風がある瞬間から
少し気になるような快晴の金曜日。
金木犀の懐かしいような、ちょっと胸締めつけられるような香りを溶け込んだ今日の風。

クレヨンハウスをベースに朝から出たり入ったりして、夕暮れ時に、
クレヨンハウスの会議室、いつものパソコンの前に辿り着く。

開け放した窓の向こう、淡い藍色と薄墨色が空の真ん中で混じり合っている時間。
突然、藤沢周平さんの短編がむしょうに読みたくなる。
「花のあと」、「おふく」、[鬼ごっこ」、「意気地なし」、「鱗雲」、「うしろ姿」、
「まぼろしの橋」、「時雨みち」等々。

生きて、暮らしていくことの「しみじみ……」を、愛というより哀で描いた作品たち。
自分の暮らしやこころの向きが、ざらついてきたと思うと、
藤沢さんの作品に再会したくなる。
捩れをもとに戻すために、「座り皺」をのばすために、
ひと月前より冷たくなった水で、むくんだ感受性をしゃきっとさせるために。

明日13日(土)はすでにご案内通り、日比谷公園野外音楽堂で、
7月以来の「さようなら原発1000万……」の集会が。
ご案内通りにいかなかったのは、
当初13時スタートと聞いていた開始予定時間が14時に変わり、
わー、残念無念! 参加できなくなったこと。
ともに耳を傾け、語り合うことがたくさんあったのに。
同じゴールを目指し、熱い思いを共有する大勢のなかのひとりになりたいのに。
ま、しょうがない。次回、「あなた」にお目かかれることを。
明日、参加されるかたはくれぐれも、お気をつけて。

これから、明日に代読いただくスピーチ原稿を書く。
1行目からここまで書くのに、2分と少し。

すでに空は墨色に。

2012年10月6日土曜日

10月6日

「原発とエネルギーを考える」朝の教室、講師はフリージャーナリストの
木野龍逸さんだった。
飄然とした雰囲気の中に、真っ直ぐに事象と対峙する姿勢が気持ちいい。

教室が始まる前の、クレヨンハウス一階。
絵本が並ぶ一隅にある座り読み用の古いテーブル。
木野さんがお座りになってコーヒーを飲みながら軽い打ち合わせ(というか世間話)をしたのは、ご一緒に『検証 福島原発事故・記者会見』を書かれた故・日隅一雄さんが、「朝の教室」の講師として4月14日朝に来られた時に座ったのと、奇しくも同じ椅子だった。

チェルノブイリ原発事故の時に18歳だったとおっしゃる木野龍逸さんである。
3月のあの日から、記者会見に出席し、東電の隠蔽の壁に風穴を開けつづけた木野さん。あの日からほかの仕事はすべて断って(フリーランスンスにとっては、いろいろな意味でつらいことでもある)、東電と対峙してこられた。
こういった志あるジャーナリストの存在を通して、
わたしたち受け手は、わたしたちがメディアと呼ぶものの多くが、いかに国寄りであり、当局のシナリオ通りの情報を垂れ流しているかについても知ることができた。

東電の「出入り禁止」は3か月たった9月27日に解かれたが、
ある種の「色」がついた木野さんの、今後のジャーナリズム活動が自由に、存分に望み通りにいくことをわたしたちは心から応援したい。

お昼をご一緒して見送った後、次のようなホームページを発見した。
そのままお知らせする。

木野龍逸さんへご支援を!!
NPJ編集長日隅一雄とともに東電会見に出席し続け、
「検証 福島原発事故・記者会見」(岩波書店)の共著者である木野龍逸さんが、東電の株主総会の模様をインターネットで中継したことを理由に会見への出入り禁止を言い渡されていましたが、このほど、記者会見に復帰いたしました。
皆様からいただいたご支援に感謝申し上げます。

フリーランスとして安定した収入に乏しい中、ツイッターやブログで、
原発事故に関する情報を連日発信し続けている木野さんについては、
日隅編集長もブログ 「ヤメ蚊ブログ ‐ 情報流通促進計画」などで支援を呼びかけてきました。

日隅編集長の志を受け継ぐ 「ヤメブン」 弁護士として、引き続き、木野さんに対する皆様からのご支援をお願いします。

 支援金の振込先口座は下記のとおりです。
  郵便局の振替口座
  口座番号は 00100-5-362362
  口座名称は 木野龍逸支援の会(キノリュウイチシエンノカイ)

なお、銀行からの場合、
  ゆうちょ銀行
  〇一九店
  当座預金
  0362362
にお願いします(できれば郵便局の振替でお願いします)。
NPJスタッフライター 弁護士 中川 亮

2012年10月3日水曜日

10月3日



ブログをまたご無沙汰してしまった。
今週土曜日の「朝の教室」講師は、反原発、脱原発の意識をお持ちの方にとっては、おなじみのフリーランスのジャーナリスト木野龍逸さん。

福島第一原発の過酷事故の後、いまは亡き弁護士の日隅一雄さんと共に東京電力の記者会見に通い続け、厳しく、まっとうな追及をされ続け、隠蔽された事実を引きだし、わたしたちに伝え続けたかたでもある。
しかし、六月末にあった東電の株主総会で、議事内容を外部に発信したために「出入り禁止」になったことも、東京新聞の記事で明らかになって久しい。

東電広報部はその理由を「事前にメディアにお願いしていた約束ごとをお守りいただけなかった」と発表。この約束とは、東電の収支報告や監査報告などが行われた冒頭30分以降は写真やビデオ撮影してはいけないというものだったそうで、東電は株主のプライバシーを守るためにそうしたと言っているが、当日取材に入ったテレビ局の多くは、猪瀬直樹副知事をはじめ、株主が隠し撮りしたと思われる映像を放映していた。
多くのテレビ局も東電との約束事を反故にしている事実がありながら、なぜ木野さんだけが『出入り禁止』になったのか。

ご存じとは思うが、木野さんは、原発事故直後から日隅一雄さんと共に、連日、東京電力の記者会見に通い続け、様々な問題を果敢に追及されてきた。その経緯は、『検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したのか』(岩波書店・刊)に詳しい。
そういった意味においては、 木野さんは、東電にとって最も「遠ざけたい」ひとりであったはずだ。

決して少なくないメディアが、東電の「広報」担当のように、まさに東電広報の発表通りの言葉を垂れ流した中で、木野さんの存在はいつもひかっていた。それゆえの「出入り禁止」であり、同時にフリーランスのジャーナリストへの差別でもある。

その、木野龍逸さんをお迎えしての「朝の教室」。
4月14日の「朝の教室」で講演をしてくださった日隅一雄さんは、「もし体調が変化して、ぼくが行けない場合は、木野さんが代わりに行って講演をしてくれます。それは約束済みですから」とおっしゃっていたのだが。
その日隅さんのお別れ会でも、木野さんは飄然とした語り口の中に慟哭の思いを滲ませておられた。

先週は経済評論家の金子勝さんの、ラジカルにして笑いもあった素晴らしい講演。そして今週土曜日は、木野龍逸さんをお迎えしての講演会。
熱く、確かなお話が聞けるはず。ぜひ、ご参加ください。