「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
3.11以降に生きるわたしたちは、わたしたち自身のくらしを考え直し、
捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが必要ではないでしょうか。
まさに、いま「まだ、まにあうのなら」。
2012年10月3日水曜日
10月3日
ブログをまたご無沙汰してしまった。
今週土曜日の「朝の教室」講師は、反原発、脱原発の意識をお持ちの方にとっては、おなじみのフリーランスのジャーナリスト木野龍逸さん。
福島第一原発の過酷事故の後、いまは亡き弁護士の日隅一雄さんと共に東京電力の記者会見に通い続け、厳しく、まっとうな追及をされ続け、隠蔽された事実を引きだし、わたしたちに伝え続けたかたでもある。
しかし、六月末にあった東電の株主総会で、議事内容を外部に発信したために「出入り禁止」になったことも、東京新聞の記事で明らかになって久しい。
東電広報部はその理由を「事前にメディアにお願いしていた約束ごとをお守りいただけなかった」と発表。この約束とは、東電の収支報告や監査報告などが行われた冒頭30分以降は写真やビデオ撮影してはいけないというものだったそうで、東電は株主のプライバシーを守るためにそうしたと言っているが、当日取材に入ったテレビ局の多くは、猪瀬直樹副知事をはじめ、株主が隠し撮りしたと思われる映像を放映していた。
多くのテレビ局も東電との約束事を反故にしている事実がありながら、なぜ木野さんだけが『出入り禁止』になったのか。
ご存じとは思うが、木野さんは、原発事故直後から日隅一雄さんと共に、連日、東京電力の記者会見に通い続け、様々な問題を果敢に追及されてきた。その経緯は、『検証 福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したのか』(岩波書店・刊)に詳しい。
そういった意味においては、 木野さんは、東電にとって最も「遠ざけたい」ひとりであったはずだ。
決して少なくないメディアが、東電の「広報」担当のように、まさに東電広報の発表通りの言葉を垂れ流した中で、木野さんの存在はいつもひかっていた。それゆえの「出入り禁止」であり、同時にフリーランスのジャーナリストへの差別でもある。
その、木野龍逸さんをお迎えしての「朝の教室」。
4月14日の「朝の教室」で講演をしてくださった日隅一雄さんは、「もし体調が変化して、ぼくが行けない場合は、木野さんが代わりに行って講演をしてくれます。それは約束済みですから」とおっしゃっていたのだが。
その日隅さんのお別れ会でも、木野さんは飄然とした語り口の中に慟哭の思いを滲ませておられた。
先週は経済評論家の金子勝さんの、ラジカルにして笑いもあった素晴らしい講演。そして今週土曜日は、木野龍逸さんをお迎えしての講演会。
熱く、確かなお話が聞けるはず。ぜひ、ご参加ください。