2012年11月30日金曜日

11月30日


2011年3月11日以降、はじめて迎える総選挙でありながら、
まるで福島第一原発の過酷事故などなかったかのように、
原発が大きな争点にならないまま、「小異」として置き去りにされたまま、この選挙は終わるのか。

「どこにこの思いを投票すればいいのか」
「死に票にはしたくない」
「一体、どうすればいいのですか」

各地での反原発の集会に参加された方々から、解散以降、ずっと聞かれてきた。
「さようなら原発」の署名活動は11月現在、およそ820万筆。
毎週金曜日の官邸周辺の抗議行動もむろん続いている。
この民意が置き去りにされたまま、当選した議員の、万歳光景をまた見せられるのか、
という絶望感と浮遊感が有権者には漂っていた。

「未来の党」が誕生したことで、少なくとも、選挙の争点が明らかになったことを歓迎したい。
もし、これがなかったら、選挙戦といっても、
民主・自民・維新というほとんど政策は似通った政党同士での選挙戦になった可能性があり、
「やっぱり投票するところがない」となっていただろう。
新・第三極が誕生したことをまずは歓迎したい。
このままでは憲法もなし崩しになるという危機感があった。
核の保有を唱えたり、「国防軍」の創設などという、
いのちと平和と人権からほど遠いスローガンが、
テレポリティックスのもと、すすんでいくことに歯止めをかける可能性があった。

むろん未来の党の「卒原発」に関しても、課題は多々あるし、確かめたいこともある。
原発ゼロまでの具体的スケジュールは? 
代替エネルギーは(雇用を拡大するためにも)? 
発送電の分離は?
未来の党自体、いろいろな党が集まっての結成だが、
特に憲法問題、集団的自衛権などへの対応は今までの動きを見ても、明らかに違う。
 
ここは、選挙のための「野合」にならないように、しっかりと民意と約束することが大事だ。
近く発表される公約を待つ。
福島の子どもたちをはじめ、大勢の子どもたちの「現在」と「未来」のために。


テレポリティックスとは、
テレビとポリティックッス(政治)が合体した言葉で、テレビ政治、テレビ投票と通常呼ばれている。
米国の大統領選で、テレポリティックスが大きな影響をもったのは、
ケネディVSニクソンの選挙(60年)が初だと言われている。
この国もまた、少しの時差を経て、テレポリティックスの時代は続いている。
政治の劇場化を支えてきたのも、テレビである。
劇場化は政治への熱い思いではなく、失望感と浮遊感から生まれるものだとわたしは考える。
「どうせ」なのだから、面白いほうがいい、という。
わたしたちは劇場化政治の、観客であることを拒否したい。
そして、心して一票を使いたい。

先週から今週はじめにかけて、愛知、山形、新潟を回り、
新潟では、夏のはじめの反原発集会で会った、
福島からの避難してきている母子たちにも再会できた。みな、真剣だ。
「わたしたちは郷里を後にしたけれど、残っているひとたちとも
繋がり続けたい。同じ被害者として繋がり続けたい」。
そんな言葉が心に響く。
週末はまた東京を離れる。
風邪が流行っている。
みなさま、ご自愛を!

来月9日(日曜日です。お間違いの無いように)「朝の教室」でお目にかかりましょう。
福島の郵便局にお勤めの頃から、原発に大きな疑問を感じ、反対の活動をされてきた石丸小四郎さん。
全国を回り、メッセージされていることをわたしたちもしっかり受け止めたい。