福島では、原発の過酷事故のあと、郷里を離れた人々に帰村を促す流れがさらに強くなった。
誰もが自分が生まれ育ったところで、家族や隣人との歴史を刻んだところで、暮らし続けたいという思いがある。
庭石のひとつにも、山を背に風の思うままに揺れるコスモスにも、早くなった夕暮れ時の風景にも、かけがえのない記憶がある。それらと心の奥で柔らかくつながることによって、やすらかに今日を明日につないでいくことが容易になるのだ。
ご高齢のかたは特に、そんな思いが強いだろう。
しかし、地域によって差はあるかもしれないが、子どもたちは「そこ」にいていいのだろうか。すでに健康被害の予兆が見られる子どもたちはいる。
国や政治が動かないなら、わたしたち市民が動くしかないのだが。
すっかり暮れた9月の空を見上げながら、この国を動かす方法を考えている。
こんな国をつくってきてしまった、ひとりの大人の責任として。
シコンノボタンが、たくさんの蕾をつけている。その中の幾つかが、深い紫の花を今日、ほどいた。