2013年2月15日金曜日

2月15日


岩波ホールの総支配人である高野悦子さんが亡くなったニュースが、
今朝の新聞に。
大部具合がお悪いことは、岩波律子さんからもうかがっていたが…。
9日に亡くなったことも高野さんと親しい友人から聞いていた。
「国際女性映画週間」のジェネラルプロヂューサーとしての活躍。
国際フィルムセンターの初代名誉館長。映画に関する著作も少なからずある。
日本にもっともっと女性の視点を大事にした女性監督の出現を、と
お目にかかるたびに力説されていた。
ここ数年は体調を崩して、女性映画祭への参加もままならなかったが。
ここ数年、わたしたち妹の世代に多くの示唆や刺激を贈ってくださった

姉の世代を、何人も見送っている。そうして、彼女たちからの
たくさんの宿題がいま、ここに。
わたしたちもいつか……たぶんそんなに遠くない明日……見送られる日が来るのだ。その前に取り組んでおきたいことが、たくさんではない、
ほんの少し、わたしにはある。

母を見送った後、喪失の深い悲しみの中で、しかし死もまたひとつの「解放」と感じたわたしがいた。それは、母の死が「自然死」であったからであり、たっぷりの介護の時間があったからであるだろう。
被災地、特に福島第一原発事故での関連死などは決して、そういったものではない。どんな風に、ひとは愛するひとの「人災死」を納得すればいいのか。

わたしはいま68歳。あとどれくらい現在と同じ速度と濃度をもって走ることができるかは、わからない。が、とにかく走り続けたいと思う。
原発と原発的構造を持つ、この国とこの社会に、どんなにささやかでも
どんなに小さくとも、けれど確かな風穴を開けるために。
雨の金曜日夜に、自分との約束を考える。