2011年6月26日日曜日

6月26日

土曜日の広河隆一さんの講演を聞かれたかたがたからの
わたしに届いたメッセージをご紹介しよう。

★広河隆一さん。お加減が悪そうな中、
わたしたちのための講演、ありがとうございます。
チェルノブイリの写真を拝見し、お話を聞き、
そして福島を思い……思わず泣いてしまいました。
でも、私たちは行動しなければならないのですよね。
帰り道、一緒に参加したひとたちと話し合いました。

★チェルノブイリの原発事故のとき、私は13歳でした。
何も知らなかったし、その後も知ろうとしなかった。
どこの国にも、利益だけを考え動く
専門家や政治家がいるのですね。
チェルノブイリもFUKUSHIMAも同じです。
フォトジャーナリストとしての広河隆一さんのご活動に
心から感謝すると同時に、どうかご自愛ください、
という思いを強くしました。

★ブログか、あるいはどこかでのシンポジウムで
落合さんがおっしゃっていたのかは忘れましたが、
「地下議連」が動き出していますね。
この時に、まだ原発を存続しようとは、どんなヒトたちなのでしょう。
一市民として何ができるかを、しっかり考え、
行動していきます。
広河さん、どうかご自分の身体も大事にしてください。

★どんな危険も顧みず、命がけで現場に駆けつけるジャーナリストがいる。
自らの手と足を使って行動し、命を削りながら、
そこで目にし、捉えた事実を伝えてくださる。
誰にもまねのできない尊い行為のおかげで、
見過ごすことのできないたくさんの真実を知らせていただきました。
体調が悪いのにお話してくださり……感謝です。

★チェルノブイリの原発事故のとき、私は11歳でした。
いま、9歳と5歳の女の子の母として、またひとりの大人として、
医療に携わるものとしても、声をあげなくては、と考えています。
大学病院に勤務しています。
職場は、何事もなかったように日々動いています。
その中で、話が通じ合う友人とふたりで参加しました。
子どもたちは留守番です。
貴重な会をありがとうございます。企業として、このような
会を立ち上げることがいかにリスキーであるか、想像できます。
落合さん、どうかご無理されませんように。
それから広河隆一さん。検査をお受けになったのでしょうか。
一度お受けいただきたいです。
心に響くお話と写真、本当にありがとうございます。

ミズ・クレヨンハウスのスタッフからは
★会場からは時折り、すすり泣く声が聞こえました。
3月13日からの最も危険な数日間を福島県におられた
広河さんの体調を心配される受講生が多く、
閉会後3階(広河さんがご著書にサインをしてくださったミズ・クレヨンハウスのフロア))にて、
お声をかけている方々が見受けられました。
25年間のチェルノブイリを知ることで、福島原発事故の現状に重ね合わせ、
自分たちのこれからを みてしまったように感じました。
お客さまのアンケートからも、現実を知りつらくなったが、
泣くだけでなく、行動しなければと改めて思った、
という声が多かったです。


次回は、高木仁三郎さんたちと共に市民の目線で活動されてきた
西尾 漠さんを講師にお迎えする。