2011年6月5日日曜日

6月5日

「大震災被災者数」 死者 1万5355人 行方不明 8281人
今朝の新聞に記された数字である。数字は数字でしかないのだが、
わたしは毎朝、「ひどすぎる!」と憤慨する。

仮設住宅の入居に応募し、「運良く」あたったひとの何割かが入居していない、という報道がある。
入居してしまうと、そこから暮らしは「自己責任」となり、避難所にはあった食事やその他の支援がなくなるからだ。
これくらい、なんとか支援できないのか。

さらに、仮設住宅そのものがまだまだ目処が立たないまま、
避難先で暮らしているひとも少なからずいる。
家を失い、船を失い、田畑を失い、家財を失い、地域の繋がりを分断され、
なによりも愛する家族を失ったかたがたが大勢、
放置されたままで今日を明日に強引に繋いでいるのだ。
我慢の強制、である。

3月11日のあの瞬間、そしてそれに続く日々。
かつて体験したことのない衝撃と喪失と悲しみと憤りの中に、
放り出されたひとたち(子どもも大人も)は、この間、
ご自分の感情を、丸ごと吐露できただろうか。
このところ、それが気になって仕方がない。
我慢し、耐えて、抑えこんでこられなかっただろうか。
もろもろのインフラの復興・増設と同じくらい、感情の吐露は、
ひとがひとして生きていく上で、省略してはならないものだ、とわたしは考えている。

昨今、「デイグニティ・セラピー」といったセラピーの言葉を目にすることが多々ある。
デイグニティとは、尊厳という意味である。
そのひとがそのひと自身であることでもある。
そうして、率直な感情吐露は、ひとの尊厳そのものにかかわるものだ。

たとえば泣くこと。
最初の衝撃の時が少し過ぎ、現実を受け入れようとするとき……。あるいは受け入れたとき……。
内側から湧いてくる「泣きたい」という思いを我慢してしまうことは、ひとの感情生活に、重たい蓋をしてしまうことにならないだろうか。

大震災、そして原発暴走から間もなく3か月。
「いつまでも泣いてはいられない」という明日にかける覚悟は、
「思いっきり泣いたあと」にようやく導きだし、到達できる心の動きである。
泣いても3月11日以前には戻れないという、このうえなくせつない自分への宣言もまた。
「思いっきり泣けない」ままで迎えた「現在」は、そのひとの過去と未来を分断するものでしかない。
逆説的なものいいになるが、「思いっきり泣く」ためにも、
ほかのものにじゃまされない、ひとりの時空が必要であるのだ。
食事の心配も、ほかの不安も一時保留にして、思いっきり泣く……。
生きていくために、感情の吐露は無視できないものであるのだが、
果たして被災者は、それが充分に保証される時空の中に、3か月たとうとした「いま」いるだろうか。
泣けないまま迎えた、表面的「一部復興」……これさえもまだまだだが……、ひとの人生と心理を寸断し、明日に向かう意欲を奪う。

「福島原発の災害を伝える海外メディアを追い、政府・マスコミの情報操作を暴き、事故と被曝の全貌と真実に迫る」(帯コピーより)『世界が見た福島原発災害………海外メディアが報じる真実』(大沼安史・著、緑風書房・刊)を昨夜から読み出している。
その中に、作家でありコラムニストであるジェームス・キャロルというひとが、3月21日にアメリカの新聞ボストン・グローブに、「私たちの沈黙の春」というコラムを書いたという記述があった。
わたしのこのブログのタイトルも、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』からタイトルをいただき、
JOURNAL OF SILENT SPRINGである。

『世界が見た福島原発災害』の著者、大沼さんは本書のプロローグを、次のような言葉で結んでおられる。
……私たちはいま、悪しきものが強いる「沈黙の強制」に抗し、告発の言葉を語り始めなければならない……、と。
同感!