午前中に大急ぎで二つの仕事をすませ、そのあと、上京した友人とクレヨンハウスでランチを。
40数年前からの友人だ。
学生生活とその後に続く数年を東京で暮らした彼女だが、そのあとは帰郷し、小さな店を営んでいる。
彼女が暮す小さな町の町長選。いつから、とも思い出せないほど、余りにも長く続いた「主流派」の独裁とも言える町議会に、いかに新しい風を起こしたか。そんな話題に熱くなった。
Other voices、という言葉がある。
主に80年代のアメリカの文学シーンで使われた言葉だが、「周辺の声」たちと訳してきた。
社会の真ん中を流れるmain stram,「主流」の声=価値観ではない。周辺の声=価値観の担い手は、主に高齢者や女性、子どもたち、そして彼女たちの存在にセンシティブな男性たちである。長い間、この周辺の声は、周辺に固定されてきた。アメリカの文学シーンでも、そういう意味に使われてきた。
たとえば白人中心社会における、アフリカ系アメリカ人やマイノリテイの書き手の「声」というように。
たとえば男性中心社会における、女性の声というように。この言葉と、この言葉が意味する存在に深く共感しながらも、一方でわたしは考えてきた。
周辺の声が、主流の土俵の、ほんの片隅に留め置かれている限り、社会構造は変わらない、と。
そうしていま、わたしたちは新しいPERIODを迎えた。
今朝の新聞に、「原発82%が廃炉求める」(東京新聞)の文字が。