午後一番に群馬県女性センターで講演。
テーマは、「女の啖呵……女たちはいかに自分の言葉を獲得したか」。
イギリスの女性詩人ミズ・スティヴィー・スミス、詩人石垣りんさん、
歌人であり小説家でもある金子きみさんらの作品に触れながら、
女性が自分の言葉で自己を、そして他者を、また他者と自己のあいだに通うもの……
を表現してきたかの話を。
言葉を獲得した女性たちは銘々、自分の言葉で語り、記し始める。
21世紀を生きる女たちもまた。
金子きみさんの短歌に次のような作品がある。
……人間がどれほどのものか と 梅雨の晴れ間を孕み猫 公然と行く
ほんとうに、どれほどのものか、人間は、
とテーマが脱線、しばらくは原発の話に。
受講生は五十代、六十代の女性が多かったが、
みな、現在の原発についての当局の発表や、
それを受けての報道に懐疑的になっていることは確かだ。
なにかが隠されている、何かが正確ではない、と。
ただ、それら靄のような疑念と、実際、自分がどう行動したらいいのか。
その間に「溝がある」とおっしゃっていたかたもいた。
1時間45分の講演を終えて、高崎駅へ急ぐ。駅のお弁当屋さんを見て、思い出した。
あ、今日は朝ご飯、食べてなかった! お昼もまた!
それでもあまり空腹をおぼえないのは、少々疲れ気味だからかもしれない。
コーヒーをたて続けに飲んで資料を調べたり書いたりしていて、
朝ご飯を食べないまま家を飛び出してしまったことも忘れていた。
高崎なら、鶏飯か。一瞬迷って、久しぶりに峠の釜飯を購入。
16時過ぎのブランチとなった。
東京駅から新お茶ノ水の全電通ホールへ直行。
たんぽぽ舎と週刊金曜日共催のシンポジウム。
福島からの女性三人のレポートに胸が熱くなる。
北海道に子どもたちと一緒に「家族疎開」する女性。
子どもを被曝させてはいけないという思いを口にすることにも躊躇した日々を経て、
「わたしがそのモデルになることで、ほかのひとたちの弾みになれば」。
それでも大好きな福島を後にするのは悲しく、やりきれない、と。
ご一緒した佐高信さんから新刊をいただいた。『原発文化人 50人斬り』。
シンポを終えて外に出ると、雨。
明日の土曜日、クレヨンハウスで二回目の原発とエネルギーを学ぶ早朝講座。
今回のテーマは安田節子さんの「放射能と食べ物」。
一回目の朝も雨だったことを思い出す。
22時に会社に戻り、このブログを書いている。
今朝の東京新聞の「こちら特報部」には、地下原発議員連盟の特集が。
未曾有の危機を目の前にしながら、こうである。
たとえ地下に原発を作っても、核のゴミの処理ができないことに変わりはないのになあ。