2011年が、あと5日と少ししか残り時間がないとは信じられない。
3月11日以降、木々の芽吹きも紅葉も、月の満ち欠けも、季節の花も、
風の感触も空の高さも澄み具合も、みんな素通りしていった。
いつもの年なら、足を止め、耳を澄まし、
感受性の回路を全開して味わうすべてがわたしを素通りしていった。
なんということだろう。
多くの人々は嘆き、憂い、被災地の悲しみに寄り添い、
少しでも自分も背負おうとしてきた。
3月11日を記号にしてはならない、と。
決して決して、その憤りや悲しみを希釈してはならない、と。
詩人であり女性史研究家の堀場清子さんは、
「一億総懺悔』の国に生きて」というタイトルの詩を『いのちの籠』に発表されている。
原発などないかのように生きてきてしまった多くのわたしたち。
その「原罪意識を否定はしないが」と記しながら、堀場さんは加えておられる。
……それより先に 問わねばならなぬ責任はないか
人災 福島第一原発過酷事故の責任を
わたしたちは はっきりと糾明すべきだ
そこから 新しい一歩がはじまる
権力なき弱者のみが懺悔する
奇妙な社会の特殊性から
この不幸な機会に 脱却しようではないか
問うべき責任を問わず ひたすら沈黙する習性から
今こそ 自己を解き放とうではないか……
1930年生まれの、このすぐれた女性詩人がつむいだ言葉に、
わたしの心は「そうだ」と強く高鳴る。
月曜日の今日は朝がたから家での原稿書き。
11時からラジオの収録5本分。
その後、作文の選考会があり、16時から「さようなら原発」の来年度の活動についての打ち合わせ。
そして、ほかの個人的な仕事の打ち合わせなどが続いた。
気が付けば、明日の夜は、クレヨンハウスの忘年会。
被災地の子どもたちに絵本をおくる「HUG & READ」の活動や
朝の教室の開催等、みなそれぞれに頑張ってくれた。