福島第一原発の「収束」が首相によって宣言された。
このブログで何度も書いてきたが、
何をして「収束」というのか。
原子炉内の状態だってなにひとつわかっていないし、
汚染水だって、今でも漏れ続けている状態である。
それでも「収束」というのか。
誰に、何に、言わされているのか。
福島のひとびとが、そしてこの国に暮らす一人ひとりが認めたとき、
はじめてその言葉を使うことができるはずであるのに。
「収束」を決めるのは、「わたしたち」であり、国ではない。
それでも尚、「核のゴミ」は行き場のないまま、残る。
そういった意味では、一度原発をもってしまった国に、
真の「収束」はない言うべきなのに。
今日は松戸で、地域の市民のネットワークについての、講演。
市民がどこにも属さず、どこからも制御されない
自立的なネットワークをつくることはすばらしいが、
国や行政の不備を補充するために、
市民が「使われる」ことには、わたしは異議あり! である。
クリスマスウィークだ。
毎年、このシーズンは親しいひとへのクリスマスプレゼントを考える時期でもあるのだけれど。
今年は心弾まない。