2011年12月25日日曜日

12月25日

クレヨンハウスは今日も小さなお子さんと一緒の家族連れで賑わっている。
反・脱原発の著書を集めた3階ミズ・クレヨンハウスで
2人のお子さんと一緒の女性から声をかけられた。
フリーライターをされているという。
「小さな子どもがいると、いろいろと不安で、心配で。
うちの子だけではなく、子どもたちの食べもの、特に給食が心配で心配で」
そういう彼女の背中では、おんぶされた下のお子さんが、
まっすぐな目でまじまじとわたしを見ていた。

メルトダウンを認めたのは、暴走から二か月もたってから。
スピーディが認知した放射能の数値が発表されたのもずっと後のこと。
そのために、暮らしていたところから、
放射能が高いほうに「避難してしまった」住民も少なからずいる。

東芝傘下のアメリカ・ウェスティングハウス社が、
アメリカに新規に原発を建てるという。
軍部の暴走に、国民が知らぬ間に追従していたあの頃と
似ている時代、社会とは言えないか。
あの頃もまた、メディアは大本営発表に専念していたのだ。

クリスマスソングが耳元を素通りする2011年12月25日。