今日は午後まで、遅くなりがちだった原稿を五本。
老眼鏡がそろそろ合わなくてなってきたのか。
2時間もPCの画面を見ていると、文字がみえにくくなる。
今日書いた原稿の中に、アンネ・フランクについてのそれがあった。
アンネの日記については知らないひとはいないと思う。
が、わたしがアンネについて、
あるいはホロコーストについて書くとき、いつも思うのは、
ヒットラー率いるナチ党は、選挙によって第一党となった党であるということだ。
ナチ党を選んだのは、一般のドイツの国民であり、
地方選挙においては、これもまた一般の市民である。
普段はよき父、よき母であったろうし、隣人が困っていると、
進んで手助けもしたであろう、
「あなた」に似たひと、「わたし」に似たひと、であったはずだ。
「郵政選挙」の時から、政治の劇場化ということばがよく使われるようになった。
閉塞状況の中で、「一般の市民」はよりインパクトのある、
より短く明快な言葉に、何かを求めるのかもしれない。
それは希望や期待の一票ではなく、疲労と疲弊を示す一票であり、
それゆえにしばしのエンタテインメント、熱狂の時を求めるのではないか。
そんなことが気になってならない。
明日は「朝の教室」。
河田昌東さんのお話「放射能から農業を取り戻す」を聞く。