秋分の日の二十三日。
今日は珍しく、一日中、東京にいた。
日中の気温は高かったが、朝夕の風はやはりもう秋。
「むかしのひとの言う通りだねえ、暑さ寒さも彼岸までって」。
わたしには、充分確固たる「むかしのひと」と思えた祖母が
お仏壇の花の水を取り替えながら、空を見上げていったのは、
何十年前のことだったろう。
祖母がいて、母がいた彼岸だった。
この秋はまだ金木犀の香りを東京店ではかいでいないが、
あれは、金木犀が香るお彼岸の朝だった。
ところで、二十四日午前一時から午後一時の間に、
宇宙のゴミと呼ばれる人工衛星のかけらが、
宇宙からこの地球に落下するという。
いま問題になっているのは、
一九九一年にアメリカが打ち上げたものだ。
「宇宙のゴミ」が、人に落下したことは、いままで一度も
ないらしいが、そして、大気圏に突入にした時、
燃え尽きる場合が多いと言われてはいるが‥‥。
万が一、どこかの国の原発に落下したら、どうなるのか!
一九八五年には、那智勝浦の人家に、旧ソ連の人工衛星が落ちている。
お役目ご免になった人工衛星の「宇宙のゴミ」自体、
大国の威信と宇宙制覇をかけた競い合いの副産物でしかない。
結局は軍事力の果てしなき競走でしかない人工衛星のゴミが、
原発を直撃したら、どうなるのか‥‥。
それも「想定外」という説明がされるのか。
今更ながら、地球に生きるわたしたちは、
ぎりぎりの崖っぷちで暮らしていることのおそろしさを痛感させられる。
どこまで人間は、自らの欲望に支配され続けるのだろう。