このところ、「属する」といったことについて考えている。
わたしはできるだけ、どこにも属さない方法を選んできた。
というよりも、わがままなようだが、どこかに属する時間的余裕もないし、その「どこか」と「わたし」の間に往々にして違いを見つけ、
それが苦痛になることも過去、少なからずあったからだ。
「ひとりの時空」の中でようやく紡ぎだした、
たとえ貧弱であっても頼りなくとも、わたしなりの考えは、
わたし「ひとり」のそれであり、それをほかの多くとシェアするほどの力を
自分は持ち得ていないとも考えてきた。
拙著『「孤独の力」を抱きしめて』にも書いているように、
いろいろなことを考えたり、感じたことをより深く自分の内側に受け入れ、
ひとつの選択や決意のもとに行動を起こすためには、
「ひとりの時空」が、わたしにはなによりも必要だ。
だから余計、できるだけどこかに属さない、大仰にいってしまえば、
わたしが属することができるのはわたし、という方法をとってきた。
むろん、どこかに属することは、属するどこかが自分の考えかたに
きわめて近いことが条件ではあるが、属したどこかの内部に
決して許容できない差別的体質やヒエラルキーなどを見つけてしまうこともあって、
ここ十数年は特に「所属ナシ」でやってきた。
属した組織との間に埋めようもない亀裂を見つけ、深い傷を負って、
そこを立ち去るひとも大勢見てきた。
そんな過去のトラウマふうな風景が、よけいわたしを「団体」とか
「集団」とか「組織」との間に距離をとらせ、自前で動いたほうが
はるかに気持ちよいとしてきた。
けれど自前で動いても大きな力になり得ないという矛盾も、
それは同時に抱えることではあった。
いろいろな集会の賛同人になることはあっても、できるだけ呼びかけ人にはならないという形をとってきたのも、そういう理由からだった。「ひとり」として賛同するならいいが、呼びかけるとなるとそれだけの責任がより生じるからだ。
午後まで今日はせっせと原稿を書いて、
それから幾つかの打ち合わせ&インタビューを。
そして今夕は、日本ペンクラブの平和についてのセクションで、
脱原発についての会議が。これも会員のひとりとして参加している。
脱原発についてはもう少し早く立ち上げたかったが、
今まで会議の日は仕事で東京を離れていて不参加だった。
大事なテーマなので、今夕は、万難排して参加する。