どうしてこうも、ニュースは次々に
前のめりになるのだろう。
3月11日以降のあれこれのほとんどは
まだ片付いていないというのに。
フクシマの子どもたちは、その家族は、
胸潰れるような思いを今尚、
そしてたぶん10年先も味わっていかなければならないというのに。
組閣もむろん大事だし、野田政権の今後も
わたしたちの暮らしそのものを直結するものではあるが………。
いま、わたしたちが最も知りたいと願い、
しかし充分に知ることのできない「フクシマ」の「あれから」と「今」が、
充分に伝わってこない。
伝えられていない。
作業している人々の被曝量は、どうなっているのか。
新学期を迎えた、子どもたちの「いま」は!
新しい出来事を伝えるのがニュースであるなら、
それはそれはでいい。
しかし未決のニュ―スを執拗にフォローすることもまた、
ニュ―スであるはずだ。
数年前だったか。
旅先で読んだ地方紙に車の事故を起こした加害者と、
被害者の遺族の5年後だったかを丹念に追った社会面の記事を
読んだことがある。
人としての深い姿勢を感じる、充実した記事だった。
「新しいニュースを追うことだけが報道ではない。
過去にニュースになったものに新しい光を当てることも、
私たちの使命である」
そんなコピーが載っていた。
収束していない原発の事故をしっかり報道すること。
それらが新政権のもとで、どのように扱われるかを取材することも、
ジャーナリズムの大事なテーマであるはずだ。
台風が気になるが………。
明日は、鎌田 慧さんの「朝の教室」。
お気をつけて、ご参加を!