2013年9月11日水曜日

9月11日

9月11日は、東日本大震災から2年と6か月に当たる日である。
同時に2001年に起きた米国中枢同時テロの日にもあたる。
当時の米国大統領ブッシュが、アフガニスタンへの報復攻撃を
決定した時、正確には、同年9月14日に米国連邦議会が、
大統領に「必要で適切なあらゆる軍事力を行使する権限を与える」という決議を選択した。
全米のほとんどが、あの酸鼻この上ない悲劇の光景に涙し、報復攻撃を支持したその時……。
ニューヨークの片隅で
「NOT IN OURNAME わたしたちの名をかたるな」
というメッセージを手に、報復攻撃に反対するデモが起きた。
反戦デモの一隅でアピールしているのは、9.11の遺族だった。

拙著「自分を抱きしめてあげたい日に」(集英社新書)でも、
ご了解を得て紹介させていただいたが、そのことを、
祖父江拓史さんという詩人が詩として書いておられる。
創風社の『反戦アンデパンダン詩集 POEMS AGAINST THEWAR』(2003年刊行)に、
ある日見つけた詩である。
……憎悪と怨さに煽りたてられ、
「ゴッド・ブレス・アメリカ」とともに
アメリカ全土を覆い尽くそうとしたそのとき
……もう一つの歌「イマジン」が
マンハッタンの片隅から、沸き起こった……
……「石油のために血を流すな」
  「戦争は解決にならない」
そうして、ニューヨークの反戦デモのその中に、
次のように声をあげながら行進する人々がいた。
「NOT IN OUR NAME」
……胸には両親の遺影 そう、あの9・11の遺族たちだ。

東京五輪一色としか言いようのない、ここ数日のメディア報道。
確かに、励みを感じるひともいるだろう。
異なった文化について学ぼうとする子どもたちもいるだろう。
しかし、「一色」は恐ろしい。
福島第一原発の「現在」も、仮設住宅で暮らす人々の苦しさも、
消費税アップもTPPも、非正規社員の苦悩も、
「五輪一色」で抹消していくような。
「NOT IN OUR NAME」である。

……社会は危険と矛盾を生産し続ける一方、
それらへの対処は個人に押し付ける。
2001年に刊行されたジークムント・バウマンの
『襟キッド・モダニテイー 液状化する社会』(森田典正 訳、大月書店)の一節だ。
これも前掲の拙著の中で紹介しているが、
「自己責任」というあの言葉と呼応する液状化社会のありようである。
福島第一原発の過酷事故、
そしてその後の対応とも呼べないような対応を見ていると、
バウマンのこの言葉を思い出す。
IOCの総会で、この国の首相は
福島第一原発は「Under Controll」と述べ、
汚染水に関しても「ブロック」していると晴れやかな表情で宣言した。
いま、こうしている間にも、汚染水はダダ漏れ状態であるのにもかかわらず。
「東京は安全」という言葉のもとに、「FUKUSHIMA」は、
そこに暮らす人々は切り捨てられてしまうのか。
どんな小さな異議申し立てをもできないような、
この「一色」の空気の中で、窒息しそうだ。