2013年12月4日水曜日

12月4日

先週、日比谷野音で行なわれた特定秘密保護法案反対集会で、
「ふざんけんな!」と叫んでしまった結果、
今日水曜日の国会包囲ヒューマンチェインでは、
「ふざけんなと叫んだ落合さん」と、名誉ある(?)紹介をされた。

パブリックコメントでも9割が反対しているにもかかわらず、
政府はなんとしてもこの憲政史上最悪と言われる法案を衆議院に続き、
参議院でも6日までに通そうとしている。

与党幹事長は、国会周辺の抗議の声を「テロ行為」と一度はブログに書いたが、
これこそ、特定秘密保護法案の「正体」そのものだ。
自分たちにとって都合が悪いものはすべて、「テロ」とみなし、網にかけるのだろう。

彼らにとって、反原発の活動も、基地反対の声も、TPP反対も、
その研究や話し合いさえも、すべて「テロ行為」であるに違いない。

「ただひたすら己の主張を絶叫し、多くのひとの静穏を妨げるような行為」と彼はいうが、
市民の声に耳を傾けず、「ただひたすら己の主張」を強制しているのは、どちらだ。
市民の静穏な暮らしを破壊しようとしているのはどちらだ。

反対する市民の声を「絶叫」と呼ぶなら、なぜ「絶叫」になるのか教えてあげたい。
市民が、静かな声音で話し合う場を、
あなたたちは一度でも設ける努力をしたのか。聞こうとしたか。

第一原発の過酷事故を体験した福島での公聴会。
自民推薦の浪江町の町長でさえ反対したのは、情報が隠される恐ろしさを、
この間、いやというほど体験したからだ。

いかようにも拡大解釈でき、いかようにも適用できるこの法案の危険性を、
たとえばスピーデイーの情報を隠され、その結果、
避けられたはずの低線量被ばくをさせられたひとたちは、いやというほど知っている。
その情報は今法案に該当しないと担当大臣は言っているが、
「特定の原発に対するテロの情報に関する警備計画は該当する場合もある」
と使い分けをしている。
そして「場合もある」の「場合」を決めるのは、わたしたちではなく、
彼ら、権力者であるのだ。

36か所も「その他」のある法案である。
いかようにも解釈できるし、いかようにも「該当する場合」は拡大できる。

民主主義に、平和主義に、主権在民に逆行し、
集団的自衛権や日本版NSCとセットになった、
つまり戦争に参加する危険性が極めて高いこの法案にどうして賛成できるだろう。

反対の声をテロ行為と呼ぶなら、市民の声に耳を傾けず(いつだってそうなのだが)、
特定秘密保護法案を強引に可決させようとする彼らのやりかたこそ、
民主主義への、わたしたち市民への、テロ行為だとわたしは呼ぶ。

かつてこの国には、機密保護を目的とした二つの法律があった。
軍機保護法と国防保安法。両法律とも「機密」の範囲は「曖昧なまま」独り歩きをした。

飛行場や軍港を写真に撮っただけで、軍事的なうわさ話をしただけで、
権力に「該当する」とされただけで、無辜の市民が次々に検挙された。
「機密」の範囲が曖昧なまま、というのは今回の特定秘密保護法案と相似形だ。

この法案が恐喝、脅迫、見せしめとして持つ力も無視はできない。
すでに始まっているかもしれないメディアの自主規制。市民の委縮。市民相互の不信感。
そして、「見ざる、言わざる、聞かざる」の時代はそこまで来ている。

今日は、13時と13時30分の二回、ヒューマンチェーン、
参加者が手をつなぎ合って、国会をぐるりととり囲んだ。
ウィークデイの昼過ぎであるにもかかわらず、各地から集まった市民の数は、
なんと6000人。脚本家の小山内美江子さん、評論家の佐高信さんたちと、
わたしもご一緒した。

クレヨンハウスはクリスマスプレゼントの絵本や玩具を探すひとたちで賑わっている。
抗議の集会が続き、仕事が少々遅れ気味。

若い父親の腕の中で眠る幼い子どもの、
なんとも愛らしい盆の窪から贈られた元気を握りしめ、さ、仕事をしよう。
明日も朝から忙しい。