2015年8月11日火曜日

8月11日

出先で、これを書いている。

東日本大震災から4年と5カ月がたった今日、
鹿児島県薩摩川内市の九州電力、川内原発一号機が再稼働した。
国民の六割近くが反対といっている原発を、再稼働したのだ。
収束もつかない福島第一原発の過酷事故から、なにひとつ学ぶことなく、
何ひとつ自らの責任を問い直すことなく、再稼働されてしまった。
万一の場合、住民の避難がスムーズにいくかの検証も、責任のありかも
あいまいなままでの無責任極まりない再稼働である。
いや、避難の検証が十全であったとしても、原発は必要なのか!
必要としたら、その理由は何なのか!
2013年9月に大飯原発が停止して以来、わたしたちは
原発ゼロで暮らしてきた。
その間に、どこかの家の冷蔵庫は停まったか?
冷暖房は止まったか? 電燈は消えたままだったか?
関西電力同様、電力不足をアピールしていた九州電力だが、
この猛暑の中でも電力供給は安定している。
それでも再稼働なのか?
新規制基準のもと、初の再稼働ではあるが、「規制」は「推進」と同義語でしかない。
規制されているのは、住民のまっとうな不安の声であり、反対の声であろう。
原発のコストは決して安くはない。満杯に近い、使用済み核燃料を今後どうするつもりか?
これほどまでに強引に再稼働するのは、何のためなのか?
その説明すら、わたしたちは手にしていない。
安保関連法案の強行採決にしろ、再稼働にしろ、
これが、この国の、この国の政治の姿であるのだ。